「いらっしゃいませ……あ、来てくれたんだねリリ」
「はい。こんにちは、シル」
「それじゃあ席に案内するね。お昼、食べていくでしょ?」
「えぇ、お願いします」
「それじゃあ一名様入りまーす!」
ダンジョンに潜る合間の休息の日、必要な用事を済ませたリリはシルを訪ねて豊穣の女主人に来ていた。
特に今日はベルとヘスティアは神の宴に二人で出席するので帰還は夜遅くなると聞いていたから、今後について相談しておくのに丁度良いと思ったからだ。
少し遅い午後、店内は客もまばらで落ち着いた様子を見せている。昼食の時間が過ぎるとこの店はおやつ時を過ぎるまで、店員たちの食事を含む半休憩の営業状態になる。それを更に過ぎると夜の酒場としての営業に備えて一旦店を閉めてしまうが、逆にその間は食材の買出しやテーブルの並び替え、料理の仕込みにと店内では大忙しになるとシルは言う。
シルからそれを聞いていたリリは彼女と落ち着いて話すため、わざわざこの時間を選んでここを訪れたのだった。
「そっかぁ、もうリリは仲間の人に冒険者を辞めたいって伝えたんだね」
「はい。今すぐでないにしても、伝えるのは早いほうが良いでしょうから」
「そうだよね、パーティを組んでるのにいきなり辞めますじゃ相手の人も困っちゃうもんね」
「ええ、パーティを抜けるとなったら色々準備がいりますから」
リリとシルは同じテーブルを囲み、互いに昼食を食べながら近況やこれからの事について話し合っていた。
「それじゃ、冒険者を辞めたらうちで働くってことで良いの?」
「そうですね。私がパーティを抜けても問題ない体制が整うまでは冒険者を続けるつもりですけど、その後はお世話になろうかと」
「そっか。うん、任せて。ミア母さんにはもう話してあるし、リリならきっと皆ともすぐ仲良くなれるよ」
「それは、どうでしょうか……」
「心配ないってば……そうだ! ねえ、リューーッ」
シルは俄かに立ち上がると、各テーブルのカトラリーなどを交換しているウェイトレスに声をかけ手招きをする。そのウェイトレスは、彼女の声に応えて二人のいるテーブルへとつかつかと歩み寄った。
細くしなやかな体型と金糸のような髪。その髪から突き出すとがった形の耳。透き通った空色の瞳に整った鼻梁。美しい容姿を持つとされるその種族の評判そのままの、典型的なエルフ。近付いてくる彼女はその様にリリの目には見えた。
「なんでしょう、シル」
「えっとね、このこにリューのこと紹介しておこうと思って」
「私を紹介……その方にですか?」
「うん」
そう言ってリリを見たそのエルフのウェイトレスに対して、シルは頷くと、こほんと拳を口の前に持ってきて軽く咳払いをして畏まる。
「リリ、この子はリューって言うの。私の友達で同僚。見ての通りのエルフで、ちょっと人見知りだけど仲良くなると凄く優しくて正義感があって、とってもいい娘なんだよ」
「リュー・リオンです。シルが言う程の人格者ではありませんが、彼女の友であることは間違いありません」
「はぁ……どうも」
リューと名乗ったそのエルフにリリが言葉を返す。
それを見届けたシルは、今度はリューの方へと向き直って座ったままのリリへと腕を伸ばして指し示した。
「それでね、こっちはリリ。今は冒険者をしてるんだけど、そのうち私達の同僚になる予定なの。リューも仲良くしてあげてね?」
「今は冒険者……そう言うことですか。わかりました、シルが認めた相手であれば、私にも否はありません、その時はどうぞよろしくお願いします」
「あ、はい。リリルカ・アーデと申します。その時はよろしくお願いします……」
訳知り顔で頷いたリューに対して、リリが困惑気味ながらも挨拶を返した。
「うんうん。それじゃあ折角だしリューも一緒に休憩にしよ? あとお友達になるんだから、二人とももっと砕けてしゃべろうよ~」
「はぁ……でもリリの口調はこれが素ですから、あまり気にしないで下さい」
「私もですシル。それにアーデさんとは今会ったばかり。同僚になるというのもまだ先の話ですし、いきなりその様な馴れ馴れしい態度は失礼かと……」
「も~~、リューはそうやって最初に距離を置こうとするからだめなんだよー。だから仲良くなった後も、呼び方をいつ変えて良いのかなんて悩んだりするんだから」
「そ、それは、そうかも知れませんが……」
「だから今回はそういうのは無し! リリって、最初からそう呼んでみよう? いいよね?」
シルがリリにそう水を向けると、彼女は戸惑いを見せながらもおずおずと頷いた。
それを見て、リューも迷った末諦めたように口を開く。
「リリ……さん」
「さんじゃなくてっ」
「う……リリ」
潔癖で、他種族に中々心を開かないと言われるエルフの彼女が慣れなさそうにリリを呼び捨てにするのを見て、リリはくすりと笑って返事をした。
「はい、リューさん」
「えっ……シル、話が違います。あちらからもさん付けではないですか」
「呼び捨てで良いんだってば! も~~、リリもリューをからかわないのっ」
「からかったわけではなく素なのですが……わかりました。リュー、すいませんでした」
「いえ、気にしないで下さい……リリ」
二人はシルの監視の元、慣れない様子でもじもじと見詰め合った。
それを満足げに二人を見るシルの背後から、二人の人影がやってくる。
「なんニャなんニャ~、お見合いかニャー?」
「おうおう、ニャー達が必死に働いてるっていうのにシル達は随分面白そうなことしてるじゃニャいか」
現れたのは、黒髪と栗色の髪の二人の
「あ、アーニャ、クロエ。あのね、このこはリリって言って……」
「おーー! シルがはニャしてたあの新入り候補かニャ!」
「新入り候補ということは、つまりもう新入り同然と言っても過言ではないニャ! リリとかいったニャ、お前、この先輩をよーく敬うと良いニャ!」
「アーニャはアホだから敬わニャくて良いニャ。それよりこのクロエに付いてくれば立派なウェイトレスとして育て上げてやるニャ!」
「にゃ、ニャにおう! アーニャはクロエなんかより頭は良いニャ!」
「なんニャと! やる気かニャ!」
「上等だニャ!」
ぎゃいぎゃい、とあっけに取られるリリ達を他所に、二人の猫娘はにらみ合いを始める。
そこへ一人の人間族の娘が近寄り―――ゴスン、と手にしたお盆を二人の頭にたたきつけた。
「い、いたいニャ。何するニャ!」
「ニャー達は何もしてないニャ! 何でこんなことするニャ!」
「何もしてないから怒ってるんでしょうがっ、サボってないで働け!」
「そ、そんニャ! シルだって働いてニャいのに、なんでミャー達だけ怒られるニャ!」
「シルは今休憩中だけどアーニャ達は仕事中でしょうがっ」
そう言ってその少女は二人の猫娘の襟首をむんずと掴むと、ずるずると強制的に引き摺っていく。
「うわーん、ニャー達もサボりたいんだニャ! ルノアは酷いニャ!」
「えこひいきだニャ! 公平な扱いを要求するニャ!」
「サボりたいとか堂々と言ってないで働けー!」
ルノアと呼ばれた少女に雷を落とされながら、猫娘達は強制退場させられて行く。
それを見送りながらリリが引きつった笑いを漏らした。
「随分と、楽しそうな職場ですね……」
そんな皮肉とも取れるリリの言葉に、シルはにっこりと頷く。
「でしょ? とっても素敵な職場なんだから」
怒るでも焦るでもなく、自信満々に肯定されるとは思わなかったリリは内心で冷や汗をかいた。
(こ、この人……大物かもしれません)
そんな引きつった笑みのリリを見て、リューは慌てて口を開く。
「シル、誤解を招くような言動はやめてください。まるであの二人の様子がこの店の標準的な態度かのように思われるではありませんか」
「え、でもあの二人はいっつもあんな感じだよ?」
「あの二人はそうですが、落ち着いた者とて大勢いるではありませんか」
「そうだけど……でもアーニャとクロエは毎日いるんだから、お店の雰囲気は一緒じゃない?」
「そ、それは……」
あの猫娘達があんなやり取りをして騒いでいるのが、お店の日常とシルに言われてしまうと、否定できないリューは言葉に詰まる。
「それよりリューも早くご飯を持ってきなよ。ルノアはリューの事見逃してたけど、休憩時間を逃したらお昼食べられなくなっちゃうよ?」
「それもそうですね……では、厨房の者に用意して貰ってくるので一度失礼します」
そう言ってリューも一旦テーブルを離れて行く。
残されたシルは席に座りなおして、リリに笑いかけた。
「ね? リリもきっと皆と仲良くなれそうでしょ?」
「そうですね……そうだと、嬉しいです」
「うん。あ、そうだ、リリってこの後予定ってあるの? 夕食までには帰らないとだめだったりする?」
「この後ですか? ベルさん達……パーティの人たちは今日は帰りが遅いそうですし、特にそう言う事はありませんけど」
「それならそれなら、この後一旦お店は閉まるから、そこからリリも夜までお店を手伝ってみない?」
「随分と、行き成りですね。突然そんなことして大丈夫なんですか?」
「リリは器用そうだし、きっと大丈夫だよー。お店が開いた後はお客さんの注文を聞いて、料理を運べば良いだけだからさ」
「でも、注文を間違えてしまったりとかするかもしれませんよ」
「アーニャ達もよくやってるから大丈夫。ちょっとぐらい違ってもにっこり笑って、これも美味しいですって言えばオッケーだよ!」
「……酷い店です」
「夜まで働いてくれたら一緒に賄いご飯も食べていけるしね。うちの賄いは美味しいよ~?」
「そう、ですね……帰って一人で食事を作ったり外食するぐらいなら、その方が良いかもしれません」
「じゃあ!」
「ええ、どこまでお役に立てるかわかりませんが、手伝わせてください」
「うん! よろしくね、リリ」
「はい……シル」
そうしてリリはその日、夜まで豊穣の女主人の臨時店員としてお店を手伝う事になった。
一旦店が閉まった時に、店の奥に案内されて予備の制服を借りて袖を通す。
リリが大鏡の前で、ウェイトレス姿のまま手を広げたり背を向けて振り返ってみたりと見慣れない自分の姿を確認していると、そんな彼女に横にいたシルがパチパチと拍手をした。
「うん、似合ってる似合ってる」
「そうでしょうか……」
「自信もって良いよ~。あとはそう、笑顔があれば完璧だよ!」
「笑顔ですか」
それならば得意だ、とリリはにっこりと笑った笑顔を作りシルに向けてみせた。
彼女が様々な冒険者に雇われてサポーターをしていた頃、働きが悪かったからと貰える筈の報酬を奪わることなど日常茶飯事だった。
そんな時、不服を顔にだせば容赦なく殴られ、蹴られ、何か文句でもあるのかと脅される。そういった手合いに対し、愛想を振りまき媚びる事にリリは慣れざるをえなかったからだ。
しかしそうやって笑顔を作って見せても、シルは首を横に振る。
「違うよ~。うちは客商売だけど、別に無理に笑う事なんてないんだよ。リューだってウェイトレスなのに滅多に笑ったりしないけど、皆気にしないし」
「ですけど、笑顔があったほうが良いと言ったのはシルですよ?」
「そうだけど、自然で良いんだよ自然で。楽しい職場だから、きっと何も考えなくても気付いたら笑顔になってるよ」
「自然に……わかりました。それじゃあ嫌な客がいたら遠慮なく顔にだしちゃいますよ?」
リリが挑発的にシルを見詰めると、シルはそんなリリに柔らかく微笑む。
「ふふっ……いーのいーのそれで。うちはそういう店なんだから」
「……やっぱり、酷い店ですね」
着替えたリリを連れて、シルは店の皆に彼女を紹介していった。
リリは肝っ玉母さんと表現するのがぴったりなドワーフの女将ミアに背中をはたかれて激励される所から始まると、新入りだ後輩だと調子に乗るアーニャやクロエに付き纏われたり、リューやルノアがそんな猫娘達を咎めながら仕事で迷った時にフォローをして貰ったりしたのだった。
そしてシルはそんな風に周りと関わりながらリリが働いているのを、笑顔で見ていたのだった。
シルに未来の同僚予定と紹介されたリリに対し、店の誰もが親切だった。
女将を除くと若い女性店員ばかりのこの職場は、明るく、騒がしく、いつも誰かの笑顔が絶えない。
シルやリューと共に休憩を取って食べる賄いも、リリには料理の味以上にとても美味しく感じられた。
酔って暴れる客、横柄な客、そんな相手も当然いたけれど、リリがそういった手合いに頭を下げ、相手を宥め様とすると、その前にリューやアーニャが飛んできて、あっさりとそいつらを店の外に叩き出してしまう。
その中には上級冒険者らしき者すらいたにも関わらずだ。
殴った自分の手が汚れたといわんばかりに、客をたたき出した扉を見ながらパンパン、と手をはたいていたアーニャがリリに声を掛けた。
「まったく失礼ニャ客だったニャ。いーかニャ新入り、あんなやつにペコペコすることないニャ。あーいうニャつはこのニャーに任せるが良いニャ」
「ありがとうございました……それじゃあお願いしますね、アーニャ先輩」
「ニャニャッ……アーニャ先輩、中々いい響きだニャ。よし、お前が店に入ったらニャーが面倒みてやるニャ! これからはシルじゃなくニャーに付いて来いニャ!」
「あ、それは遠慮しておきます」
「ニャ、ニャぜだニャーーー!!?」
驚きに耳と尻尾が逆立っているアーニャを見ながら、リリはくすりと笑みを漏らし、ハっとして自分の口を手で抑えた。
(自然に笑える……かぁ)
シルの言うように、ここでなら自分も自然と笑っていられるのかも知れないと彼女は思った。
姿を偽ったりもせず、素顔を晒し、ありのまま振舞う。強者に怯える事も、へつらう必要もない。皆に守られ助けられ、平和の中で笑顔を浮かべながら。
そうやって生きていく事ができるなら、それはどんなに幸せな事だろうか。
周囲を悪意と敵意に囲まれて、身を縮こめる様にして命を繋いできたリリにとって、ここはまるで楽園の様にすら感じられたのだった。
ダンジョン帰りの冒険者たちの食事が落ち着いた頃、リリは店の奥に引っ込んで制服を脱ぎ、私服へと着替えていた。
その部屋の入り口を、薄鈍色の髪をした頭がぴょこんと覗き込む。
「お疲れ様、リリ」
「……シル?」
「うん、ちょっと休憩。どうだったかな? うちのお店は」
「それは……初めてなのでなんとも。皆こそ、リリが突然混ざってしまって大変じゃあなかったんでしょうか?」
「とんでもないよー。リリ、凄い。お店の即戦力間違いなしって感じの働きぶりだったよ」
「そう言うお世辞は良いです」
「も~、お世辞なんかじゃないってば」
「はいはい。なら話半分に受け取っておきますけど、まぁお店に迷惑じゃなかったのなら良かったです」
「ホントなのに……リリさえよかったら、また手伝いに来てくれると嬉しいな。あ、でも冒険者をしてる間は、休みの日はほんとはゆっくり疲れを取った方が良いのかな?」
「そうですね。まぁ気が向いた時にまた手伝わせさせて頂ければ、と」
「うん、冒険者をしてる間は無理しないほうが良いよね……あーあ、早くパーティに別な人が入って、うちで働けるようになると良いのにね」
「それは……そう、なんでしょうね」
「えっと、違った?」
「いえ、ただ今の仲間も大切な事に違いはありませんから……」
「あ、ごめん……当たり前だよね。早く別れられればいいだなんて、酷い事言っちゃった」
「気にしないで下さい。その方が良いのは、間違いないんですから……」
そう言って俯いたリリの手をとって、シルは包み込むように自分の手を重ね合わせる。
「リリの方こそ気にしないで。私達ならいつだって歓迎するから、焦ったりしなくていいんだよ。リリが戦いから離れて生きたいと思った時に、来てくれたら良いんだからね」
顔を近づけて自分の目を見詰めながらそう言ってくるシルに対して、リリは目を瞬く。
そして頬を赤くすると目をそらして、しどろもどろにお礼を口にする。
「ありがとう……ございます……」
「どういたしまして、だよ!」
着替えを終えた後店の裏口からシルに見送られて外へでたリリは、まだ人通りの多い夜の町を歩き、帰り道を進んでいた。
石畳の上を歩きながら、リリは今日を過ごしたあの店の事を思う。
(あそこに、リリの望んでいた生き方があるんでしょうか……)
何にも脅かされることなく、安心と平和の中で笑える生活。
それに心惹かれている自分に、彼女は後ろめたさを覚えた。
リリ―――
彼女の名を呼びながら、仲間になりたいと手を差し出してくれたあの少年の姿が、彼女の脳裏をよぎった。自分は差し出して貰った彼の手を振り払って、一人で逃げ出そうとしているのでないか。そんな思いが彼女の心に湧き上がる。
ベルの事を思うと、リリは胸がずきりと痛む。
そう、彼はどんなに弱くても決して諦めない人だった。落ちこぼれのサポーターでしかなかった自分に手を差し伸べて、勇気付け、共に戦う方法を考えてくれた。いつも自分に出来ることを精一杯考えて、前に進もうとする事を止めなかった。
そんな彼の力になりたい、それはリリにとって確信を持って言える気持ちだけれど。
(でも、リリには無理ですよ……)
自分は彼の様に強くない。彼の様に強くあろうとし続けられない。彼のように周りに優しくもなれない。
ベルはリリのことを凄いと、諦めずに努力して来たと言うけれど、それは違うと彼女は思う。
自分はただ、状況に強いられて必死に生きて来ただけなのだと。
本当に諦めなかったのなら、スキルを覚えた時、魔法を覚えた時、ベルに言われるまでも無く自分の力で冒険者として立つ転機はあった筈なのだ。
けれど彼女はそうしなかった。自分には無理だと、諦めていたからだ。
自分のファミリアの事情で、彼等に迷惑を掛けたくない。それは間違いない。けれどそれだけなら、リリが単身でファミリアに帰るという手だって、あったのだ。
ベルとパーティを組んだ今、もうリリは十分に稼ぐ事ができる。ノルマを納めさえすれば、リリもステイタスの更新を受けられる。
金を持っている、と見られればソーマ・ファミリアの団員達はリリからそれを奪おうとするだろう。ベルの事が知られれば、彼にさえ略奪の手が及ぶかもしれない。でもそれは、リリがベルの事を言わなければ良いだけだ。
そしてリリから金を奪おうとする相手には……戦えば良いのだ、リリ自身の手で。
外部のファミリアと戦うとなれば、事が露見すれば問題になる。だからソーマ・ファミリアの団員もある程度は協力しあうだろう。でも、そうでなければ元々身内の争いの方が激しいファミリアなのだ。リリから搾取しようとする者達だって、その間には結束なんて欠片もありはしない。
リリが弱くなんの力もないと見れば、誰もがリリを踏みつけ奪えるだけ奪おうとする。けれどリリが牙を向き、力を示して戦おうとすれば、ソーマ・ファミリアの団員は団結してリリを叩き潰すだろうか? 彼女はその可能性は低いと思っていた。
リリが戦えるとなれば、それはただのソーマ・ファミリア内で日常的に起こっている争いでしかなくなる。彼女から金を奪おうと考える者がいなくなるわけでは無いだろうけれど、殆どはより弱い者、より容易く奪える者を探そうとするだけだろう。
……それが、ソーマ・ファミリアの昔からのあり方なのだから。
勿論、必ず上手く行くという保証などない。何もかも奪われて、今後戦えなくなることも……最悪殺されてしまう可能性だってある。
しかし少なくともリリがベルの事を口にしなければ、彼に影響が及ぶ事は無い。
けれど、リリにはそれが出来ない。恐ろしいのだ。危険を冒すことが。
そんな賭けに出るよりも、身を隠し、ソーマ・ファミリアと接触を避けて、現状のまま安定して戦える所で稼げば良いと、彼女は思ってしまう。
もしシルと出会わなかったとしたら、それが冒険者としてのリリの考え方だった。
(それで
挑戦よりも安定を、成長よりも保身を。それが自分の本質だと彼女は思う。
勿論必要に迫られれば彼女とて危険を冒す。
サポーター時代にそうしたように、あるいはベルとのパーティが弱く、安全策では稼いでいけなかった時にそうしたように。
けれど今のように安定して十分な金を稼げるようになったなら、リリはそこから更に踏み出すことを嫌がる人間だった。
もし魔剣の様に強力な道具型の武器が安く手に入るなら、リリは危険を感じればすぐさまそれを使用するだろう。そんな事をしていたらアビリティの成長は到底望めないとしても、だ。
冒険しない冒険者。それがリリのあり方だった。
今までそれが正しい事だと彼女は思ってきた。冒険者は冒険してはいけない。有名な言葉だ。リリはその言葉にまったく同意する。そして無駄に危険を冒すような連中は馬鹿だと、そんな冒険者達を醒めた目で眺めていたのだ。
けれど、ベルは違った。彼はリリが初めて付き合った本当に高みを目指している冒険者だった。
危機感を持たずに危険に身を晒している無謀な人間とは違う。危険をそうと知って恐れながら、踏み出す勇気を持った人間だった。
そんな彼に自分が付いていけば、いつかどこかで致命的に足を引っ張ってしまうのではないか。彼女はそう思えてならない。
それでも状況に迫られれば、ソーマ・ファミリアから逃れるためにベルの元に留まって彼の仲間として生きていくしかなかったなら、いつか彼女も危険を冒し、ステイタスを成長させて彼の仲間として共に前へ進んだのかも知れない。
けれどシルがリリに逃げ道を与えてくれた。リリは、安全な道を手に入れてしまったのだ。
(それが、リリの道なのでしょうね)
酒場で沢山の同僚と共に笑顔で働き、守られ安心の中で平和に暮らす。
それに何の不満もあろう筈がなかった。
結局自分は、ベルと並び立って前へ進んでいけるような人間ではなかったのだとリリは思う。
でも、それで良いじゃないか。そんな人間そうそういるものじゃない。ベルには彼に相応しい仲間がきっと見つかる。だから自分はシルとの出会いに感謝するべきなのだ。
彼女は落ち込む気持ちを前向かせようと、そう自分に言い聞かせたのだった。
ゴブニュ・ファミリアで整備された装備類を受け取った後、歩く事幾許か、彼女はヘスティア・ファミリアのホーム、廃教会へと辿りつく。
(そうだ、今度ベルさん達を誘って豊穣の女主人に行ってみようか)
それは、自分でも良い思いつきのようにリリには思えた。
ベルとヘスティアはもう神の宴から帰っているだろうか、それともまだ宴を楽しんでいるのだろうか。きっとその宴では美味しい料理が沢山並べられたのだろう。でも、豊穣の女主人だって味はきっと負けていない。値段は高いけれど……かなり高いけれど、今の自分たちの稼ぎならそのくらい許される筈だとリリは思う。
そうしてあの店の行きつけになったなら、自分がいつかパーティを離れた後、今度はリリが店員として冒険から帰るベルを迎えるのだ。
恩人の勇敢な冒険者の青年の帰りを待つ酒場娘。
昔の自分からしたら、これ以上ないほど上等な未来図ではないだろうか。
「それで、良いんですよね……」
幸せだと言える筈の想像図を胸に抱いて、リリは呟き廃教会の隠し部屋へと降りて行ったのだった。