暖かい陽気を感じて、まどろみから目が覚める。
瞼を開けると天井の魔石灯がぼんやりと光を放っているのが見えた。
ぼんやりとした思考のまま掛け布をまくって体を起こすと、眠っている間にこわばった体がギシギシとなったような気さえする。
掌を組んで両腕を前へと伸ばす。それからそのまま上へ。そうしたら今度は掌を解いて、両腕を左右へゆっくりと下ろしながら伸ばして深呼吸をする。
(あれ?)
そこでふと気付く。
自分が寝ていたのはいつものソファーじゃなく、神様のベッドの方だった。
(じゃあ、神様は?)
そう思って部屋を見渡すと神様はあっさりと見つかった。どうやらコンロの前にたってヤカンを火にかけているみたいだ。
「おはようございます、神様」
「あぁ、おはようベル君」
神様は振り返って挨拶を返してくれて、腰に手をあてて言葉を続けた。
「それにしてもぐっすりだったねベル君。お日様はもうボク達の真上でサンサンに輝いてるぜ?」
言われてみれば朝と言うには気温が暖かい気がする。
そう思って壁に備え付けてある時計を確認すると、時刻はもう午後の一時を回っていた。
ああ、そんなに寝ちゃってたのか。
僕は頭をぽりぽりとかきながら苦笑してベッドから降りた。
「さぁ、今紅茶を入れてあげるから座りなよベル君。それに朝食……いや、昼食だって用意してあるんだぜ。君は今とてもお腹がすいている筈さ。まったくボクはよくできた女神だろ? ふっ、惚れるなよ……火傷するぜ……」
「ヤカンをもったままポーズをとると危ないですよ神様」
僕が危惧した通り、傾いたヤカンの口から雫がとんで神様の体にはねる。
「うわっちゃお!!」と奇声を上げる神様に、僕は「大丈夫ですか、神様」と声をかけながらソファーに座った。
テーブルの上にはじゃが丸君がいくつもお皿にのっていて、その横には野菜のスープまで用意してあった。しかも湯気がたっている。思わず空腹が刺激されてお腹がぐぅと主張をはじめる。
「うわぁ、どうしたんですか? これ」
「ふっふーん。実は昨日、露天の売り上げに貢献したボクに感動した店主がね、どうしても感謝の気持ちを表したいって言うから受け取ってきたのさっ!」
「わぁ、良かったですね神様!」
神様のアルバイトは順調なようで何よりだった。
僕はさっそくじゃが丸君と野菜のスープを自分の胃にかきこみはじめる。
「こらこら、感動したからってそんなに勢いよく食べたら大変だぜ?」
そう言いながら神様はお茶を入れたコップを僕に差し出してくれる。
「ありがとうございます神様」
神様に感謝の言葉を返しながら、僕はお茶をのんで一息いれる。そのあとはゆっくりと味わって食事をした。
結構な量があったジャガ丸君だったけれど、全て僕の胃の中に消えてしまう。
食器を片付けようとすると、神様は僕が立ち上がるのを手でせいして食器をさらってしまう。
「いやいやベル君。君は紅茶がまだ残っているだろう? それでも飲んでゆっくりしなよ。これはボクが洗っておくからさ」
「そんな、悪いですよ」
「いいからいいから」
結局神様に押し切られてしまい、僕は紅茶を飲むことにした。
一口飲む。
暖かくて美味しい。
二口飲む。
そういえばミルクを忘れていた、入れなきゃ。
……三口目。
温くなった紅茶を飲みながら、僕は静かに考え込んでいた。
無言で紅茶を飲む僕を、洗い物を終えた神様が見つめている。
「あの、神様……」
「うん。なんだいベル君」
「僕……どうして生きているんですか?」
途中から、気付いていた。
僕はあのとき、死んだ筈だった。
人は死ねば魂が天にのぼり、神の審判を受けることになると言う。
最初は、もしかしたら神様が天界に戻って僕を迎えてくれたのかなと思った。
けれどどうやら、ここはオラリオにある僕達のホームで間違いないようだった。
僕は、死んではいなかった。
じゃあ―――
神様は目を伏せると少し困ったような様子で、ボクもまた聞きになるから正確なことはわからないけど、と前置きをしながらも説明をしてくれた。
「君は昨日ダンジョンの5階層でミノタウロスに襲われた。ここまではいいかい?」
僕は頷いて続きを促す。
「うん……。どうやらそのミノタウロスは、もっと深い階層で遭遇したロキ・ファミリアの一団から逃げ出したモノだったらしいんだ。」
「ロキ……ファミリア……ですか」
僕は口の中で小さく呟いた。
「階層をまたいでまたいで、5階層まで逃げ込んだミノタウロスに君は運悪く襲われた。それで瀕死の重傷をおったところに、追跡していたロキのところのアイズなにがしっていう冒険者が間一髪、ミノタウロスを倒して君を救出したんだってさ」
「ロキ・ファミリアの……アイズ……さん……」
「その冒険者が重症の君を
神様が話してくれた言葉をゆっくりと頭の中で咀嚼する。
僕が助かった理由はわかった。
でも神様の説明の中には僕が知りたいことが一つ含まれていなかった。
「あの……」
「ん、なんだい?」
神様が優しい微笑みを僕に向けてくれる。
聞くのが怖い、そう思った。―――けれど、どうしてもそれを聞かずに済ませることは出来なかった。
「僕の他に、ミノタウロスに襲われた人は……?」
僕がそれを尋ねると、神様は僅かに言い淀んで嘆息した。
でも僕が見つめているとおずおずと口を開いてこう言った。
「その冒険者は、助からなかったらしい」
―――彼女は、助からなかった。
その後のやり取りは、どこか他人事のような
まるで自分の口が勝手にしゃべっているのをすぐ後ろで眺めているような、そんな現実感の無いもののように思えた。
エイナさんに僕からもお礼を言っておいた方が良いという話。
そして、僕を助けてくれた人は僕と彼女をパーティーかもしれないと思ったらしく、遺品を預かっていると言う話。
もし他のファミリアの子ならそのファミリアにも伝えてあげた方がいいと思って遺品を確認したけれど、魔石やドロップアイテム、ポーション等の消耗品しか背嚢には入っていなかったらしい。
それから、一振りの折れた剣。
それが、彼女の残した全てだった。
神様は僕を心配して、今日はゆっくり休もう。自分もバイトは今日はお休みにするからと言ってくれたけれど、僕は今日もダンジョンに行くと伝えて断った。
心配する神様に、僕は無理はしないから大丈夫だと伝えて準備を整えると、彼女の背嚢と剣をもってホームを出た。
まずはギルドに行き、エイナさんに挨拶とお礼をする。
エイナさんには随分と心配されて、色々と小言も貰ってしまった。
神様にも、彼女にも凄く心配をかけてしまったことを改めて申し訳なく思う。
ダンジョンに入ると、僕は右手に彼女の剣を、左手に短刀をもって進んだ。
刀身が半ばで折れたこの剣は、少し長めの短剣のようで思ったよりも使いやすかった。
道中のモンスターを倒しながら、5階層まで降りる。
僕はそこで彼女が死んだ場所を探してまわった。
冒険者の死体なんて翌日まで残っているわけがないし、地形だって似たり寄ったりで目印なんてなにもない。
ただうろうろと探索しているうちに、何となくここだと思う場所に僕はたどり着いた。
僕は地面に彼女の背嚢を置いた。
これは自分が受け取って良いものでは無い様に思えたから。
でも、右手に握った折れた剣だけは、持って行くことにした。
「ごめんなさい、これ……頂いて行きます」
それだけ言って僕は踵を返した。
帰り道、何体ものゴブリンやコボルトを斬り倒す。
あのミノタウロスと比べると、動きの早さも力も全然弱く感じられる。今日は自分でも驚くくらい、鮮やかに敵を倒すことが出来た。
―――でも、今更だ。
どんなに素早くゴブリンを倒したって、彼女の命は戻らない。
もう、何もかもが無駄に思える。
それでも身についた習慣に従って魔石やドロップアイテムを拾い集めていると、どんどんと自分が惨めに感じられた。
地上に戻ると、ギルドでそれを換金して家路に着く。
こんな時でもお金稼ぎ。そう思うと自分がひどく卑しい存在になった気がした。
それから僕は、だんだんとダンジョンに潜る頻度を減らしていった。
今日は気分が乗らない。今日は遅く起きたから時間が中途半端。今日は明日に備えて英気を養おう。
そして一日でもダンジョンに潜ればその後はまた、疲れが抜けていない、怪我が治りきっていない等といってずるずると探索を先延ばしにしてしまう。
じゃあダンジョンに行かない日は何をしているのかと言えば、何をするでもなく僕はただ教会の隠し部屋に引きこもっていた。
そんな僕を見かねた神様は、あれこれと僕を連れ出そうとしてくれる。
料理が美味しくて、ウェイトレスの服装まで可愛いって言う酒場あるらしいから一緒に行ってみないかとか、今日は
でも、僕はどうしても気晴らしをして楽しむ気になれなくて、今日は家でゆっくりしますと言うばかりだった。
なのにたまにダンジョンに潜れば、怪我と疲労でふらふらになるまで戦い続けるようなことを、僕は繰り返していた。
そんなどうしようもない日々を続けていたある日……。
その日も僕は教会の地下で蹲っていた。
前にダンジョンに潜ったのは何時だっただろうか。二週間前ぐらいか。いや、もっと経っていたかもしれない。
でもダンジョンに行く気分じゃない。だから今日は行かない。明日は……明日考えよう。
僕はベッドでごろりと横になる。
神様はバイトに行っているので、部屋には僕一人だけだ。
地下にあるこの部屋は雑音が無く静かで。光も差さないから魔石灯を消せば真っ暗闇の静寂の中で過ごす事が出来た。
その中で、僕はただ時間が過ぎるのを待っている。
そんな時だった。
突然、地上部のドアがドンドンと乱暴にノックされる音が部屋に響いてくる。
誰だろうか。
神様ならノックなんてする筈ないし、自分への来客も思い浮かばない。
かといって無視する訳にも行かず、僕は魔石灯のスイッチを入れるとベッドを降りて、億劫になりながら階段を上がった。
今行きますから、と続いていたノックに声を返しながら階段をあがる。
ドアを開けるとそこに居たのは予想もしていなかった相手だった。
「……ナァーザさん?」
ドアを開けた先に居たのは、ミアハ・ファミリアに所属する唯一の団員。
彼女は左腕は半袖なのに右腕は長袖と言ういつものかわった服を着ていて、瞼の半分降りたような瞳でこちらを見つめていた。
「ベル、やっぱりいた」
「はぁ……」
生返事を返して用件が告げられるのを待つ僕だったけれど、彼女が口を開く様子はない。
どうも埒が明かないのでこちらから聞くことにした。
「えっと、何か御用ですか?」
「……うん、手伝って欲しい事がある」
「はい……うんと、何をお手伝いすればいいんですか?」
そうたずねると、ナァーザさんは半分の眼のままじろりと視線を強くしてこう言った。
「なんでも、いいでしょ。ベルはどうせ……暇……違う?」
そのあんまりないい様に、僕ってお願いされる立場の筈だよね? と自問自答していまう。
「別に、大変なことをお願いする訳じゃない。ただの軽い作業……手伝って」
そう告げるとナァーザさんは有無を言わさず踵を返して教会の出口へと歩き出してしまった。
僕がぽかんと口を開けてそれを見ていると、彼女はくるりと振り返って「はやく……」と問答無用で付いて来ることを要求してくる。
あんまりな言い分に怒る気にもなれず、困惑した気分のまま、まぁいいか……と僕は自分を納得させて彼女に付いていくことにした。
そうしてミアハ・ファミリアにつれて来られると、僕はそのまま中へと案内される。
「なんだ、手伝いってポーション調合の手伝いの事だったんですね」
ゴリゴリと音をたてて薬研で薬草をすりつぶしながら僕は言った。
「うちのファミリアの帳簿は万年火の車。猫の手でも借りたい」
ナァーザさんが釜で複数の薬草を煮詰めてかき混ぜながら答える。彼女の言う手伝いとは調合の単純作業は僕、経験を要する作業はナァーザさんという風に分担する事で、ポーション作成の能率化を図ろうと言う事だった。
「それならそうと、普通に言ってくれたらよかったのに」
「どうせ、結果は一緒……。でも感謝はしている……ベル、ありがと」
「いえ、暇だったのは本当ですから良いです……。次はこれをすりつぶせは良いんですか?」
「うん。お願い……」
そうして日が落ちるまで彼女に言われるままポーション作りの手伝いに従事したのだった。
そしてミアハ・ファミリアから帰る時には、見送りに出てきたナァーザさんがお礼を言ってくれた。
「ありがとう……今日は助かった」
「いえ、ちょっとでも役に立てて良かったです」
それは、偽らざる本当の気持ちだった。
ダンジョンで一人剣を振っていても感じる事のできない、誰かの助けになっているという感覚は僕の鬱屈とした心を少しだけ軽くしてくれる気がした。
慣れない作業のせいか、モンスターと戦う方がよほど大変な筈なのに随分腕が痛くなってしまったけれど、たまにはこんな日があっても良いと思えた。
「そう。それじゃあ明日は朝7時から作業を始めるから……遅れないで」
「……え?」
何を言われたのか理解する事を脳が拒否したかのように、思わず聞き返してしまう。
「明日は朝7時……」
「えっと時間じゃなくてですね……この手伝いって今日だけじゃなかったんですか?」
そう僕が言うと、ナァーザさんはまるで呆れたと言う風にふぅーとゆっくりため息をついて僕を睨んだ。
「うちの家計は万年火の車と言った……今日だけでどうにかなる筈が無い」
そんな事もわからないのかと言いたげなナァーザさんだったが僕も負けじと言い返す。
「いやでも、僕だってそんな毎日は……やることが……」
「……なに」
「え?」
「やることって……?」
「えーっとそれはですね……」
思わず返答につまってしまう。言うまでも無くやることなど何も無い。
かといって手伝いをしたくないからダンジョンに潜る、何て言う気にもなれない。
「じゃ……また明日……」
ナァーザさんはそう言うと、バタン、と音を立てて問答無用で扉を閉めて引っ込んでしまう。
取り残された僕は、しばらくそこで考え込んでみたけれど……。
「……はい」
と力なく白旗をあげるように虚空に返事をして、家路につくことしかできなかったのだった。