とある宿の一室。その扉の前に僕は立っていた。
コンコン、と軽くノックの音が響く。
あいてますよ、と室内からは女の子の声がした。
ガチャリとドアを開けると、中にいた女の子はなんとも言えない顔でこちらをみていた。
「私に客って、まさかとは思いましたけどほんとに貴方でしたか……」
「うん。こんにちは、リリ」
「はぁ……こんにちは」
部屋の中からこちらを見る彼女はシャツに短ズボンだけというラフな格好で、いつも白いローブに全身を被った姿ばかりだったのでとても新鮮だった。
何より常に背負っている大きなバックパックがないことで、本当にただの小さな女の子に見えた。
「そこに立たせているのもなんですから……入ってください」
「それじゃ、おじゃまします」
ドアを閉めながら僕は部屋に入る。
彼女は部屋に唯一おいてある小さな木製の椅子を指して
「どうぞ、それ座ってください」
「リリは?」
「椅子はひとつだけなので、私はこっちでいいです」
そう言ってリリはベッドに腰掛ける。
そんなに背が高くないベッドだけど腰掛けると足がつかない様子で、座る時に彼女が軽く飛び乗りるとマットが小さく空気の抜ける音を立てた。
「それで、何の御用ですか?あれからまだ四日しかたってませんけど」
「うん、まずはこれ。借りてたお金……あの時はありがとう」
僕がお金の入った袋を差し出す。
「もって来ちゃったんですか。よくこんなに早くお金を作れましたね……例の親切な施薬院の知人かなにかから?」
「うーん、まぁそんなところかな」
「……余計なことを」
彼女は悪態を隠しもせずに舌打ちをした。
「それでリリに改めて―――」
「待ってください」
僕が口を開こうとすると、彼女は強い口調で僕の声を遮った。
「またサポーターとして一緒に、と言う話ならお断りします」
「……えーっと、なんでかは聞いていいのかな」
「いいですよ、この際だからはっきり言わせて貰いますけど、貴方には冒険者としてやっていくだけの素質があるようには思えません。貴方のサポーターをしてたらリリはちっとも儲かりません。いえ、それどころかリリもいつか怪我を負って先日の貴方と同じようなことになるでしょう。
貴方に雇われてたのは、ただのリリの気まぐれの親切なんです」
リリは矢継ぎ早に言葉を投げ出す。
そして彼女は大きく息をついて、顔を背けて床を向いた。
「さぁ、これでリリの本音は解かって貰えたでしょう。貴方だってこんな生意気なサポーターにはもう辟易したと思います。良い機会ですし、必要なら誰か別のサポーターを雇えばいいじゃないですか。」
僕は投げやりに言葉を重ねて横を向く彼女の名を呼んだ。
「リリ」
「……なんですか」
おずおずと、彼女が僕を見る。
僕も彼女を見つめ返し、精一杯の思いを込めて言う。
「リリじゃなきゃだめなんだ」
一瞬の沈黙。そして彼女はまた僕から顔を背ける。
「なんですそれ。何でリリなんかにそんなに拘るのか、理解できません」
そんな彼女に、僕はどう伝えたらいいか悩んでしまう。
だからとにかく正直に、思ったことをそのまま言って行くことにした。
「僕に雇われるのが駄目な理由はわかったし、しょうがないと思う。でも僕はリリを雇いたいんじゃない。仲間になって欲しいんだ」
「仲間……?」
「うん。どうかな」
「……まさかリリに、サポーターではなく冒険者をやれと?」
頷く。
「そんなの、無理に決まってます」
「そんなの、やってみないとわからないよ」
「いいえ、わかってるんです。だいたい、そうしたら荷物はどうするんです。結局リリが持つんじゃないですか?だって、リリに向いてますからね」
頑なに否定する彼女は、僕に疑いを向ける。
「結局、ベルさんはリリを雇うお金が惜しくなっただけじゃないですか?仲間ってことにすれば、成果は山分けでいいですからね。そうすれば、リリだけ経費と宿代で赤字になっていくって寸法です」
猜疑心を向き出しにする彼女を僕はなだめる。
そんなつもりはないし、仲間になったとしても掛かった経費の分はきちんと別に渡すつもりだよと。
「そんなこと、信じられません……ただのサポーターのリリに……」
「ねぇリリ。リリはどうしてそんなにサポーターであることに拘るの?」
僕のその問いに、彼女は声を苛立たせた。
「……それはリリが、素質のない落ちこぼれだからです。貴方はリリを馬鹿にしたくてそんな質問をするんですか?」
「違うよ。でも僕には、リリが落ちこぼれにはとても思えなかったから」
「それは貴方の勘違いです。リリは非力で戦いの役には立てません。サポーターとしてしか、あそこでリリのやることはないんです」
どうしても認められないと、リリは反論を重ねていく。
「そうかな。リリは僕よりよっぽど強いように思えたけど」
「武器のおかげですよ。私のリトル・バリスタは優秀な武器です。あれを使えば非力なリリでも、それなりの打撃力を発することができます」
「それが使いこなせるなら、強いってことじゃないのかな?」
「いいえ、違いますね。引き金を引くだけで済むあの手の武器は極端にいえば魔剣と同じ、使用者の能力に依存しない代物です。自分の能力が低くても無関係な代わりに、
だからリリは補助としてしか戦闘に参加できないのだと言う。
それは、想像してなかった。
確かに弓とは違ってボウガンの様な武器は自分の力を矢に伝えて飛ばしているわけじゃあないけれど、まさかそのせいでステイタスが成長しないものだったなんて。
「でも、リリが非力だとは思えないよ?あんな重いバックパックを背負っても、軽装の僕と同じぐらい素早いし」
「あれは、スキルの補助があるんですよ。リリの力が強いわけじゃないです」
「えっ、リリってスキルが発現してたの?凄いな……」
「持ってるだけマシ、と言うような情けないスキルです。あなたが考えているような恩恵ではありません」
「……そうなの?」
「……諦めていないようなのでお話しますが、リリのスキルは一定以上の装備過重時における補正。つまり荷物持ち専用のスキルです。役に立たないスキルだからお話しましたが、本来他人のスキルを詮索するのはマナー違反だからやめてくださいね」
「……でも、十分凄いと思うけどなぁ」
「そんな慰めは止めてください。さぁこれでわかったでしょう。リリには冒険者なんて無理なんですよ」
彼女がそう言い切る。
諦めたように吐き捨てた言葉。
でも僕は、それを認める訳にはいかなかった。
僕とリリは、単純なステイタスの面では大差がない。リリに冒険者が無理だと言うのなら、僕にも冒険者は無理って言う事になるだろう。
だからリリは自分が無理だと思うように、僕にも冒険者は諦めろと言うのかも知れない。
でもそれなら僕は、自分が冒険者になるのを諦めないのと同じように、彼女を仲間にする事も諦めない。一人では難しくても、力を合わせればきっと乗り越えられる。
素質なんかより、もっと大事な物をリリは持っていると僕は知っているから。
「リリは、他のサポーターと一緒にパーティを組んだことってないでしょ?」
「……あたりまえじゃないですか。雇われのサポーターを必要とする規模のパーティに、複数のサポーターなんていりません」
「だからリリは、自分以外のサポーターがどういうものかはよく知らない」
「……確かにそうですけど、それが何だって言うんですか?」
僕の言葉を肯定させられることに、彼女は警戒心を露わにする。
僕は、リリと出会う前のことを思い出していた。
「7人だよ」
「何が……」
「僕が、リリの前に声をかけて断られたサポーターの数」
「それ……は……、きっと、貴方が、弱そうで儲からないと思ったんでしょう……」
彼女は言葉を探すようにして、その理由を説明しようとする。
「違うよ」
僕はそれに首を振った。
お金は原因じゃなかった。彼らの中には、雇ってもらえるなら報酬は僅かでも構わないと言う人もいた。
「じゃあ、何だって言うんですか」
「怖いから、だよ」
「怖いから……」
彼女は呟くように僕が聞いた理由を繰り返した。
「専業のサポーターは戦うことは出来ない……ううん、戦う気はないんだ。自分は戦わないと決めたから
「それは……」
「だから僕に同行して、僕がモンスターに負けたらそこで自分も終わりだって考える。だから僕みたいなソロには彼らは雇われないんだって」
「…………」
「それにリリは、他のパーティのサポーターがリリみたいに戦闘の援護をしているのを見たことある?」
「……いえ、ありません。ですがそれは……」
リリは何か言おうと言葉を探そうとするけれど、その声を続けることはできずに沈黙してしまう。
「リリは、違った」
「……違いませんよ」
僕の言葉に、リリはただ否定を重ねる。
「前にね……僕も一度、冒険者を諦めたんだ。迷宮で、死にかけて……それで、サポーターどころか何もできなくなっちゃったことがあるんだ」
「……」
「あの時僕はただ周りの人に寄り掛かるばかりで、自分では何もしようと出来なかったんだ……。でも、僕の周りの人は優しくて、僕はそれに甘えて逃げていることができた……」
「それは、随分恵まれた話ですね」
皮肉気に笑うリリに僕は、本当にね、と苦笑を返した。
「でも、もしそうじゃなかったら。優しい人達に囲まれていなかったら、僕もああなっていたかもしれない」
「専業のサポーターに、ですか」
彼女の言葉に僕は小さく頷いた。
「そうしたら僕はきっと、自分では何も決めず、行動せず、ただ言われるまま動くだけになっていたと思う」
考えるのはきっと、ただ何もしなくても安全そうなパーティについていくことだけ。
そしてその安全って言うのは、きっと自分だけのことなんだ。
不運が重なり、パーティの誰かが死んだとしても……そこで諦めて撤退を開始すれば、自分は生き残れる。
パーティとリスクを共有する気はなく、ただ地上の荷運びよりも高額の報酬が得たいだけ。
だから、ぎりぎりの階層に挑むソロの冒険者には雇われることはない。
エイナさんはあの時、専業のサポーターは冒険者から蔑視の対象になっている、と納得できない様子で憤っていた。
僕もそれを嫌だと思う気持ちは変わっていない。バベルの地上部で、雇ったサポーターを蔑んでいる冒険者を見ると、とても嫌な気分がする。
……でも、命の危険を共有して挑むパーティの中にいる、それをするつもりがない人間に対して怒りを覚えることもわかってしまう。
「リリは、違った」
僕はもう一度同じ言葉を告げた。
「リリは、いつも自分に出来ることを探している。その中で最善をつくそうとしている」
「……」
「リリは、雇われた時でもそのパーティの一員だと思って行動してる。だから、パーティの危機に他人事みたいな態度はとらない」
「……っ!」
「リリは、自分に出来ることを
「だから僕はリリと仲間になりたい。そう思ったんだ」
彼女は目を見開いて、僕を見ていた。
やがてリリは、おずおずと視線を逸らして過大評価ですよ、と呟いた。
それからぼそぼそと口を開いた。
「それにその考えはわかりましたけど、現実問題貴方と二人じゃあ迷宮でやっていけません。それはどうするんですか」
「うーんそれはこれから次第。一応いくつか案はあるよ。それに仲間になってくれたなら、リリの意見も聞いてから考えたいな」
「随分、あやふやな話です……」
「こればっかりはね。ああそうだ、リリは宿暮らしでお金が掛かるって言ってただろ?なら、僕達のホームにおいでよ。僕と神様だけの小さな所だけど、歓迎するし、きっと楽しいよ」
「私を……ホームに……」
思っても見なかった風で、リリは言葉を繰り返した。そして何かを思い出したように、悲しげに顔を伏せる。
「きっと碌な事にはなりませんよ……」
「それはどうして?」
「リリのファミリアは酷いところです。リリが他所のファミリアのホームで世話になっている、なんて知ったら何をしてくるかわかりません。リリには身を隠すための能力がありますけど、ここ最近は随分無警戒にベルさんと過ごしてしまいましたから隠し通せる保証もないです」
「そうなったら、そうなった時だよ。そうならないよう努力するし、もしダメでも皆でどうするか考えようよ」
「そんな無責任な……周りの人に迷惑だと思わないんですか?」
「まだ一人だけでも、僕はファミリアの団長をやるって決めたんだ。僕が決めた事なら、神様だって応援してくれる。だから僕は、そんな事で仲間を見捨てたりしない」
仲間って……と呆れたようにリリが呟いた。
「リリはまだ、頷いてませんけど」
「でも頷いてくれたら、そうなれるじゃないか。だから、もしそれができない最後の理由がそれなら……どうか僕の手を取って、リリ」
僕はそういって彼女に手を差し出した。
「貴方は、馬鹿ですよ」
「そんなことないよ」
「リリに、そんな価値ありません……」
「そうかなぁ。でも、価値なんて関係ないんだと思う」
「じゃあ、何故?」
「だって―――」
「
「―――やっぱり、貴方は馬鹿です」
どうにもならないと思った時は、リリは手を引きますからね。
そう言いながらだけれど、リリは僕の手を握ってくれたんだ。