たとえ英雄になれないとしても   作:クロエック

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第一章 ベル・クラネル
始まり


「ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 

 背後から響く猛牛の雄たけびが、僕の心をビリビリと震わせる。

 それに追い立てられて僕はただひたすらに走っていた。

 叫び声はでない。僕の喉はただ息をするのに精一杯で、荒い呼吸に焼け付いてひりひりと痛む。

 

 必死に逃げ出しながら僕の思考はただ一つの疑問でぐるぐると空転していた。

 

(なんでここにミノタウロスが!?)

 

 ミノタウロス。

 ダンジョンに出てくるモンスターの勉強なんてしなくったって、一目でわかる有名な怪物。

 御伽噺にだってでてくる。初めて見たって見間違えようもないその姿形。

 ゴブリンやコボルト、ダンジョン・リザードとは違う―――"本物の怪物"

 

 何故? 何故? 何故??

 僕はまだ、本物の怪物と闘う気なんてなかったのに!

 

 疑問と苛立ちと焦りを混ぜ合いながら走り続けると、前方に岩壁が見えてくる。

 

(行き止まり!?……違う、T字路だ!)

 

 突き当たり、右か左か。考えている暇は無かった。道だって滅茶苦茶に逃げ回ったせいで全く覚えていない。僕は意味も無く右へと走り出す。

 でもその道に入った先には、人影が現れてしまったんだ。

 

「たっ助け……!」

 

 そう言いかけて僕は気付く。

 人影は、一人。細身で小柄。金髪の長い髪……僕とそう変わらない年頃の、ヒューマン女の子だった。

 その子を見た途端、僕の思考はかつてないほどの速度で回り始める。

 

 (こんな華奢な女の子に、ミノタウロスに追われる僕を助けることなんてできるだろうか?)

 

 この5階層を探索しているような単独冒険者(ソロ)に?

 ミノタウロス相手の救援なんて……無理だ。

 

 怪物進呈(パスパレード)。そんな単語が脳裏をよぎる。

 

 少女は僕を、と言うよりも物音に反応してこちらを見ている。

 逃げるでも構えを取るわけでもなく、事態を把握しているようには思えない。

 彼女に逃げろと叫んだところで、それを素直に受け入れて僕と一緒に全力疾走を開始するだろうか? その望みは薄いように思える。

 彼女が事態を把握するまで足を止めてしまったら、ミノタウロスに追いつかれてしまう。……だったら、言うだけ言って足を止めずに走り抜けてしまってはどうだろうか。

 

 そうすれば……僕は助かる?

 それって、彼女を身代わりにして?

 

(あの人がそれで犠牲になるとは限らない。なんとか凌いで、僕と同じように逃げ出すかも)

 

 それどころか、逆にミノタウロスを返り討ちにしてしまう可能性だってある。

 そうとも、彼女が僕と同じ上層探索者とは限らない。もっと下層へ行く最中にたまたま通りがかった上級冒険者かもしれない。

 だから、だから僕は逃げ出したって構わないのかもしれない。

 

 彼女の装備は、軽装だ。荷物だってほとんど無い。

 とてもこれから下層へ向かう上級冒険者には見えない。

 いや、もしかしたら上級冒険者が適当な装備で上層を探索することだってあるのかも――そんな自分への誤魔化しは、僕には出来なかった。

 歯を食いしばって恐怖を噛み殺しながら、僕は短剣をホルスターから引き抜く。

 

「逃げて!!」

 

 叫びながら後ろを振り向いて武器を構える。

 そこにはやっぱり、牛頭の巨体が恐ろしい勢いで迫って来ていた。

 あぁ……今までのことが何かの勘違いで、振り向いた先には何もいなくて、僕が笑いものにされるような、そんな笑い話だったらどんなによかったか。

 

 とにかく、時間を稼ぐしかない。

 そう考える僕の前にミノタウロスの蹄が振り下ろされる。

 

「あ……」

 

 轟音と共に体が震える。

 恐怖から思わず後ずさりした僕が一瞬前にいた地面が粉砕され、僕は足を取られて地面に手をついてしまう。

 

「フゥー、フゥーッ」

 

 僕を見下ろすミノタウロス。

 その突き出した鼻からでる息にさえ、僕を押しつぶす圧力があるように感じられる。

 ミノタウロスが拳を握り振り上げる。当然その後には―――

 

「うわあああああぁぁぁ!!」

 

 必死で地面を転がって体を移動させると、衝撃と共に砕けた地面の破片が僕の体を打った。

 見上げるとミノタウロスが自分の肩越しに僕を睨んでいる。

 偶然だったけれど、振り下ろした右腕の外側に僕は転がったようだった。

 この体制なら相手の左手はとりあえず届かない。

 

(このまま外側に転がって!)

 

 離れながら立ち上がろう。そう思った矢先に、ミノタウロスは振り下ろした右手を地面を抉りながら僕のほうへなぎ払う。

 

「ぐぶぅっ!」

 

 脇腹にめり込んだ巨拳に声と反吐を吐き散らしながら、僕は右手の壁に叩きつけられた。

 体中の力が抜けて、短剣を取り落としながら床に落ちる。

 肺から強制的に空気が絞り出されて息が吸えない。腕に力が入らず、指が土を掻きむしるばかりで体を起こせない。

 当然ミノタウロスがそんな僕が一息つくまでゆっくり待ってくれるはずもない。

 

 顔を持ち上げられず、ミノタウロスの姿さえ確認できない。

 

(僕は、ここで終わりなのか……)

 

 冒険者になりたくて。英雄になりたくて。でも、ダメだったのかな。

 思うのは、祖父のこと。神様のこと。そして最後に見た少女の事だった。

 

(逃げてくれたかな……)

 

 こんな終わりでも、最後に誰かの助けになれたのなら救われる気がした。でも―――

 

「テヤァーーーー!」

 

 高い声と、何かがぶつかる音、それから激しい足音が聞こえ、地面の振動が自分の体に伝わってくる。

 

(た、戦ってる?)

 

 なんで……そう思いながら、どうやら先延ばしになったらしい自分の死を意識の隅に追いやり、なんとか息を整えて体を起こす。

 そこでは、金髪の少女が剣を奮ってミノタウロスと切り結んでいた。

 ミノタウロスの攻撃を必死にかわしながら、その手足に僅かずつ剣をあて傷を刻んで行く。

 かわし切れない攻撃は左手に装備した小盾で受けながら体ごと下がって体制が崩れないようにして、再び向き合う。

 

(何で、逃げてくれないの!?)

 

 そう思った僕と、彼女の視線が一瞬だけ交錯する。戦いの最中、彼女がこちらに目をやったのだ。

 

(僕が……いるから?)

 

 僕を助けようとしている。そう思い到って愕然とした。逃げる時間を稼ぐどころか、逆に足かせになってしまうなんて。

 頬が熱くなったのを感じられた。いつまでもこんな風に倒れていられないと思った。

 彼女の動きは戦いなれたもので、僕なんかより全然強いことが伺える。それでも、その表情は苦しそうに見えた。

 回避を何より優先し、よけきれない攻撃を受け止めるたびに歯を食いしばって踏ん張りながら、僅かな反撃も相手に小さな傷を与えるだけ。

 

(加勢しなきゃ)

 

 息を整えてながら落ちた短剣を掴んで慎重に立ち上がる。ミノタウロスは彼女との戦いに夢中でこっちをみていない。なんとか不意をついて彼女を援護しなくてはならない。

 しかしミノタウロスの巨体とその盛り上がった肉の分厚さの前には、手の中の短剣がひどくちっぽけに感じられた。

 こんなもので斬りかかったとして、何か意味があるのだろうか? でも、せめてアイツの気をそらす事だけでもやらなくちゃならない。僕のせいで、彼女はミノタウロスと戦っているのだから……。

 

 僕が短剣を腰だめに構えながら戦いの様子を伺っていると、ミノタウロスは攻撃をかわされ斬りつけられているにも関わらず、無理矢理に彼女に体当たりを仕掛けた。

 咄嗟に彼女は盾を自分とミノタウロスに間に挟んだけれど、体ごとはじかれて体制がくずれてしまう。

 

(危ない!)

 

「うあああぁぁぁ!!」

 

 彼女が危険だ、そう思った僕は考える前に飛び出していた。

 ミノタウロスの追撃を防ぐために背後から脇腹にむかって短刀を突き立てる。

 

(硬い!)

 

 みっちりとした感触の筋肉に、短刀が刀身半ばで止まっている。まさか体ごと突進して短刀をぶつけたのに、奥まで刺さる事すらないなんて。

 ミノタウロスが首だけをふりむかせ僕をぎろりと睨みつける。

 

「ブモオオォォォォ!!」

 

 怒りと共に振られた裏拳をとっさに体を低くしてやり過ごすと、僕は後方に飛びずさる。

 

「こ、こ、こっちだこの牛野郎!!!」

 

 精一杯の挑発。僕じゃこいつに深手を与えられない。

 もし逃げずにこいつを倒すという選択を取るのなら、攻撃役(アタッカー)は彼女に任せるしかない。そしてそれは僕が盾役(タンク)としてこいつをひきつけなきゃならないという事だった。

 でも、それはかなり無謀な選択肢のように思える。

 

「フウゥー、フゥー!!」

 

 言葉はわからなくても僕みたいな弱い相手に邪魔をされ挑発されたことを理解しているのだろうか、歯をむき出しにして怒りの形相を見せるミノタウロス。

 正直、怖くてたまらない。何とか今からでも隙をついて二人で一緒に逃げ出せないだろうか。

 僕がそう思っていると、彼女も同じことを考えていたようで僕に呼びかけてくる。

 

「この先は行き止まりになってるわ。あなたが来たほうへ何とか隙をみて逃げ出……」

 

 そう彼女が提案しかけた矢先……ビキリ、と嫌な音がダンジョンに響いた。

 壁が突然にくずれる。はじめは、さっき僕が叩きつけられたせいで岩壁が脆くなったのかと思った。

 でも……ちがった。

 崩れた壁の破片を乱暴に蹴散らすものが、崩れた壁の内側には潜んでいたんだ。

 

(ゴブリン!)

 

 初めて見た。ゴブリンをではなく、この現象を。

 知識としては知っていた。

 ダンジョンがモンスターを生むと言うこの話。

 それが、よりによって今こんな時に起こるなんて。

 思わず自分の不運を呪わずにはいられない―――しかも、二体同時にだなんて。

 

 ビキ、ビキリ!

 

 同時に異音を発していた逆側の壁からゴブリンの腕が突き出され、壁面が崩れ落ちていく。 

 僕と同じく苦々しい顔をした彼女が言葉を絞り出す。

 

「……とにかく、ゴブリンだけ先に始末して隙を見て逃げましょう。」

 

 そこまで広くない通路で、ミノタウロスの巨体を含めた三体の魔物を無理やり振り払うのは危険が大きすぎると判断したのだろう。

 僕にもその判断は妥当なように思えた。―――どうやって実行したらいいかわからないという問題はあったが。

 

 比較的戦闘能力の高い彼女に急いでゴブリンを倒してもらう間、僕がなんとかミノタウロスを引き付ける。あるいは、彼女がミノタウロスを抑えている間に僕がなんとかゴブリンを倒す。どちらにせよ混戦になることは必至だった。僕でも彼女でも、ミノタウロスの攻撃をまともに一撃うけてしまえば致命傷になりかねないというのに。

 それも、相手が素直に標的(タゲ)を分散してくれればの話だ。……そんなに都合よく行くものだろうか?

 

(でも、やるしかないんだ)

 

「わかりました!」

 

 声を張り上げて了解の意思をしめす。せめて、拙くてもこちらが連携しなければ。

 

「私がミノ、君はゴブを!」

 

 必要最小限の言葉と共に、彼女は一歩前へ踏み出して剣と盾を構えなおす。

 三対の視線が彼女に集まる。

 左右にゴブリンを、まるで従えているように見えるミノタウロスが唸り声を上げた。

 ここから僕はゴブリンの意識を引き付けて、かつなるべく急いで奴らを倒さねばならない。

 すぐにでも飛び出して行きたい逸る心を抑える。まずはミノタウロスが彼女へ攻撃を加えるのをまたなきゃ。もし僕がゴブリンとミノタウロス両方の標的となってしまったら、とてもじゃないけれど一瞬だって耐えきれないのだから。

 

「キキッ」「ヒヒィーッ!」

 

 焦る僕をあざ笑うかのように、二体のゴブリンが左右から彼女へと迫る。

 

(くそっ、先にゴブリンがっ!!)

 

 こうなったら先にゴブリンから始末するべきだろうか? もし僕と彼女が初撃(ファーストアタック)でゴブリンを倒せれば、ミノタウロスが動き出す前に事態を打破できる。でも、もしそれに失敗してしまったら……?

 

 一瞬の逡巡。

 僕が迷うその間に、彼女は既に行動を起こしていた。

 

 冷静に盾を構えつつ、右側……僕とは逆側に位置するゴブリンへと踏み出し、相手の攻撃を受け止めると、そのまま体格に劣るゴブリンを盾でこちら側へ弾きながら右前方へと踏み込んで行く。

 攻撃を防がれたゴブリンが、もう一体のゴブリンとぶつかりそうになりながらこちらへ押し出されてくる。ミノタウロスから見れば左手に彼女、右手側にゴブリン、その先に僕という形だ。

 僕と彼女が、自分の相手と相対しながらモンスターを挟み込むその位置関係。

 

(あの一瞬で、すごい!)

 

 おまけに僕の方へ来たゴブリンの体制が崩れているおまけつきだ。臨時の相棒(パートナー)の実力に、こんな危機的な状況なのになんだか嬉しくなってしまう。

 僕は彼女にはじかれ体制を崩した方のゴブリンへと短剣を構えて突っ込んだ。

 

「うおぉぉぉぉっ!!」

 

 ぐさり、と言う音と共に、ミノタウロスを攻撃した時とは違う確かな手ごたえが感じられる。

 狙い通り、短刀はゴブリンの胸へと深々と突き刺さった。僕はその勢いのままに、もう一匹の相手へと串刺しにしたゴブリンを盾にするかのように押し出して突進した。

 

「キキィッ!?」

 

 仲間の死体ごとなされた体当たりにひるんだゴブリンがたたらを踏む。

 行ける、このままもう一体も一気に!そう思った瞬間だった―――

 

「駄目! 避けてッ!!」

 

 あれ? 彼女はなんでそんなに焦った声を出しているんだろう。僕たちの連携は会心の出来で上手くいったはずなのに。

 それに、なんで僕が攻撃する前にもう一匹のゴブリンの体がぐしゃりとつぶれているんだろう。

 ……そして、なんで僕も同じように体をへし曲げられて、宙を舞っているんだろう?

 

 わずかな滞空時間の後、地面へと叩きつけられ体が跳ねる。

 

「うっ……ぐぷっッ!」

 

 苦痛の声が押しのけられるように、体の奥からせり上がってきた吐瀉物と血反吐が口から飛び出す。

 

(な、なにが……?)

 

 混乱する思考でぼろ雑巾みたいに地面に横たわった体から視線だけを向けると、こちらへ振りぬいた拳を戻しながら雄たけびをあげるミノタウロスがいた。

 

「ヴモ"オオオォォォォォッッ!!」

 

 (ゴブリン……ごと……)

 

 ダンジョンの怪物は同種でなければ仲間意識は薄く、時にはモンスター同士で争う事さえある。どこかでそう聞いたことがあるのを、僕は痛みの中で思い出していた。

 手前にいるゴブリンごと僕を殴りつけるなんて……。

 想像もしていなかった同士討ち(フレンドリーファイア)。それによって、僕等に見えかけた希望は一瞬で叩き潰されたのだった。

 

「くっ……このおっ!!」

 

 彼女が単身ミノタウロスへと斬りかかる。僕はそれを、ぼんやりと眺めていた。

 最初の時とは違う。体に力が入らず、指一本動かせる気がしない。視界も色が暗く、息をしようとしても血泡がゴボゴボと音を立てるばかりだった。

 そうして僕は、地面へ横たわりながら彼女の戦いをただ見ていた。

 

 

 彼女は強かった。

 僕なんかより手慣れていて、冷静で、腕も確かで。

 きっと僕と同じレベル1。でも僕なんかよりずっと見込みのあるレベル1。

 冒険者は半数以上がレベル1のまま死ぬか引退していくと言う話だけれど、彼女はきっとその壁を越えられる。上級冒険者に手が届く人間なんだ。

 僕とは……違う。

 ミノタウロスと切り結ぶ彼女を見て、僕はそう思った。

 

 僕は何の役にも立たない。

 ただ足を引っ張るばかり。

 僕では……彼女を助けることはできない。

 

 ミノタウロスのこぶしの振り下ろしを受け止めた彼女の剣が、鈍い音を立てて刀身の半ばから先が折れ飛ぶ。

 その音は、僕の心が折れた音のように感じられた……。

 

「*******!!」

 

 壁に追い詰められた彼女が何かを言っている。でももう耳がよく聞こえない。

 彼女が死んだら、次は僕の番だろう。でも恐怖は感じなかった。なんだか、何もかもがどうでもよくなってしまったような気がする。 

 

 彼女の体が崩れ落ち地面へ投げ出され、ミノタウロスがこちらへ向き直る。

 僕はそれを見てゆっくりと目を閉じた。

 ミノタウロスがこちらへと歩み寄る震動を感じる。

 

 それと、風。

 僕は暗闇の中、体にビュウビュウと風が当たるのを感じた。

 

(ダンジョンって、こんなに風が吹いているものだったんだ)

 

 全身にビシャリと生温い液体がかかった感触。

 

(自分の血でも、こんな風に生暖かく感じられるんだな……)

 

 そう思いながら、僕の意識は闇へと落ちて行った。

 

 

 

 


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