腐った世界で腐り目の男は生き延びられるか。 作:ぴよぴよひよこ
待つと決めてからは逆にやることが増えてしまった。衣類は実家にあるものを使えばいいけれど、食料はどんなにあっても足りることはない。でも全てを持っていくことは物理的に不可能なので、日持ちする物を選別してゴミ袋を利用して放り込んでいく。今はゴミ袋だろうと使えるものは使わなければならないのだ。
逆に日持ちしない食品は多少無理してでもお腹へ詰め込んだ。私とてプロポーションには気を使ってきたけれど、ゴミ袋も胃袋も必要ならば詰め込む。
小町さんの料理の心地良い満足感を台無しにしてしまうのは心苦しかったけど、この無理に膨れた満腹感も次いつ味わえるか分かったものじゃないのだしね。
そして次に懐中電灯や乾電池などの防災用にも使える日用品。この部屋にも防災リュックが供えられていたので整えるのは簡単だったが、ラジオも入ったこのリュックがまた重い。
どうにか食料と合わせて三等分、小町さんの担当は若干軽めではあるけれど、なんとか私たちでも運べそうな範囲に収まってくれた。
防災リュックのラジオを見て思い出す。そういえば電気はまだ生きている。携帯電話の電波は混みあってるからか、はたまた別の理由なのか繋がりにくいが、テレビはどうなのだろう?
そう思って普段一人で見ることがほとんどないテレビを久しぶりにつけてみる。リモコンの操作を受け付けて、テレビは砂嵐を映すことなくその画面を点灯させた。
「わっ、普通にニュースやってるんだ」
「内容は普通じゃないみたいですけどね」
「……緊急放送、ね」
テレビが映し出したのは右上に緊急放送というテロップを出したニュース番組だった。普段ニュースを見るのは朝食の時くらいな私でも、その様相が異常だということがわかる。
恐らく有志のみがテレビ局に残って放送しているのだろう、青い顔をした男性が、それでもなお気丈に画面を通して私たちを見つめていた。
『最初から繰り返します。この放送は――』
この勇気あるテレビクルーたちは有益な情報をもたらしてくれた。ありがたいことに何回も何回も繰り返し伝え続けてくれていたおかげで、先ほどテレビをつけたばかりの私たちにも現在分かっている全てが理解できたのだ。
『安全のために、語弊を恐れずに伝えます。死者が甦り、生きている人を襲っています。様子のおかしい人には絶対に近づかないでください。また、発狂、もしくは発症と呼ぶべき状態に陥った人に噛みつかれる、引っ掻かれるなどすると、個人差はありますが数十分から、遅くとも二時間で彼らと同じ状態になってしまいます。
……彼らは、頭部、恐らく脳を大きく損壊することで完全に活動を停止します。まだ原因や解決方法が分かっていないためあまり推奨はできませんが、どうしてもという場面にはどうか、思い出してください』
画面の中の男性が、強い眼をして訴えかけている。私は思わず頷きを返してしまっていた。
原因不明。解決や治療方法も不明。長い研究の末にもしかしたら画期的な方法が生まれるのかもしれないけれど、そもそも電気すらいつ止まるか分からないこの現状で、それを期待するには余りにも酷というものだ。
彼の言葉はいわゆる人権屋と呼ばれる人々の耳に入ればこれでもかとやり玉に挙げられるだろう。でもそれも安全な場所にいてこそ。
目の前で大事な人を食い殺されることを、ゴミみたいに打ち捨てられることを、そしてその人自身さえも大事な何かを自ら壊してしまうようなモノになってしまうことを許せるはずもない。
もし私がああなってしまったとしたら、その時は速やかに、どんな手段を使ってでも殺してほしいと思う。大事な人に手をかけてしまう前に。
『バス、電車、飛行機など交通体系は全て停止しています。また、道路も車が放置されていて通れない場合があるため注意してください。
この異常事態は世界中で起こっていると思われます。原因は今のところ不明ですが、電話は通じにくく、綿密な連絡が取れないため外出を控えてください。特に夜は危険と思われます。彼らは視覚や聴覚だけでなく、何か別の方法で生きている人間を探していると考えられます。暗闇や曲がり角の死角には充分に気を付けてください』
比企谷くんが言っていたとおり、この世界はホラー映画やゲームのようになってしまったらしい。私はその某有名なシリーズは観たことはないけれど、小さい頃にみたCMにすら怖がっていた記憶がある。
何がどうなったらそんなことが起きるのだろうか。死人を甦らせる。それだけ聞けば、もしかしたら素晴らしい技術、現象かもしれないと受け取れるのに、現実は残酷で凄惨で目も当てられない。死んだ人にとってもあまりにもむごい、冒涜なんて言葉では言い表せないモノへと変貌してしまっている。
『っ! 新しい情報が入ってきました!』
マイクを持った男性に新しく紙が渡される。これ以上絶望的な情報を聞いていたら気が触れてしまいそうだったが、それでもテレビを消すことなどできない。
どれだけ悪辣なことでも、それが事実だったら知っておかなければならないのだから。僅かにでも生き延びる確率を上げるためには。
けれどその紙に目を通したアナウンサーの表情はこれまでの沈痛なものとは比較にならないくらい明るかった。
私たちも三人揃ってテレビに釘付けになる。
『ネット回線を使い、自衛隊から救助活動を始めていることが伝えられました。彼らは駐屯地の安全を確保しつつ、周辺地域から無事な人々を救助してまわるそうです!』
それは今までで一番希望が持てて、なおかつ現実味のある情報だった。
自衛隊。そして駐屯地ならばここ千葉にもある。しかも割とすぐ近くに。確か習志野駐屯地と言ったかしら。ここからならば実家の方が距離もないため、雪ノ下家に行く意味がさらに強まった。実家に逃げ込み、助けを待つ。それだけが、私たちにできる唯一の避難行動だ。
「ゆきのん!」
「ええ、初めて希望が持てる情報が聞けたわね」
「そうですね、自衛隊、ですか」
彼女たちも今まで彼らの存在を強く実感したことはないのでしょう。私も災害時なんかでしか活動しているということを知ろうとはしていない。けれどこんな事態においては何より心強い存在だった。
「ここから一番近い駐屯地は私の実家の方が距離もないからちょうどいいわ。あとは姉さんを信じて待ちましょう」
「うん!」
かき集めた物資を改めて確認して、姉さんの到着を待つ。恐らく車で来るのでしょうけど、マンションの正面につけるのか、それとも裏の駐車場に来るのか、まだそれは分からない。
車を飛ばしたとして、通常ならば一時間程度。しかしすでにそれ以上経っている。いつものような道路状況ではないのだから当然だけれど。
不安が募る気持ちを抑えて、必要なことだけを考えた。ベランダから周囲を確認していた方が良いかと思案していると、緊急用の直通電話が着信を知らせる音声を鳴らし始めた。
実家からかしら。それとも、到着の合図?
もしかしたら嫌な報告かもしれないという可能性を頭の中から削除して、受話器を取った。
そして、そこから聞こえてきた声は、先ほどのニュースとは比べ物にならないくらい、私たちにとってはこれ以上ないほどの希望をもたらしたのだった。
「もしもし?」
『雪ノ下か? ……俺だ』
「比企谷くん!?」
聞き間違えるはずもない。二度と聞けないと思っていた大事な人の声。
初めて出したかもしれないくらいの私の大声に、由比ヶ浜さんも小町さんも肩を跳ねさせたが次の瞬間には私の持つ受話器に耳を押し当てていた。
* * *