腐った世界で腐り目の男は生き延びられるか。   作:ぴよぴよひよこ

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箱の底に残っていたモノ。

 

 

 また数日が経った。

 今日は朝からみんなでリビングに集まり、何も映さないテレビの前に座っていた。あのテレビ局の最後の放送から一週間。有志のみで行われていたその放送で、彼らが残した言葉は「一週間後、また戻ってくる」だったのだ。俺たちはその無事を確認すべく、いつ始まるともしれない放送を待ち続けているのだった。

 

「あの人たちも無事だといいのだけれど……」

「そうですね……」

 

 すでに肉や野菜が食卓に上らなくなり始め、それぞれが缶詰をつまみながら何も映らないテレビを眺める。焼き鳥、ツナ缶、魚の煮物などなど。白米が欲しくなるがパン食がメインだった雪ノ下家では米の保有量が少なく、もうそれがテーブルに並ぶことはない。

 俺はタレ焼き鳥で甘辛くなった口内をコーンで誤魔化して飲み込んだ。飽きはまだ来ていないし、あまり贅沢も言える状況ではないのだが、缶詰から直につまむというのも楽な代わりに単調さを助長しているな。

 まあ、今日は朝早くからということもあって調理していないだけというのもある。しっかりと時間をとれる時には小町や雪ノ下がまだ余裕のある調味料からさまざまなバリエーションを考え出してくれるし、由比ヶ浜はオリジナルの組み合わせを試しては失敗作を涙目で食べていたりする。何やってんだお前は。サンマにミカンが合うわけねぇだろ……。

 

「ま、今日は休日だと思ってゆっくり待とうぜ」

「そうだね~。ずっと緊張状態だと気が緩んでることにも気付けなくなるから、たまにはゆっくり休まないと」

「そうね……あっこら、姉さん!」

 

 陽乃さんが雪ノ下の持つカニ缶に箸を伸ばして摘み取った。朝からカニとか豪勢だな。奪われた側の雪ノ下は恨みがましく睨みつけるが、当の姉の方は気にすることなくけらけらと笑っていた。

 

「いいじゃーん、色んな味を楽しもうぜ~」

「陽乃さん、それを由比ヶ浜に向かってもう一度言えますか?」

「ごめんなさい私が悪かったよ」

「謝らないでください、余計ひどい!」

 

 冗談も交えながら会話をしていると時間はあっという間に過ぎ、昼時になっても特に動くことのなかった俺たちは空腹を感じることなく適当にフルーツ缶だけ開けてテレビ画面の変化を待ち続けた。

 そしてようやく、真っ黒な画面が砂嵐に変わり、やがて待ち望んでいた映像を映し始めた。

 

「おっ、始まったな」

「うん! 無事だったんだね」

 

 皆の顔に喜色が浮かび、もともと緩やかだった食事の手を止めて画面を見つめる。映像には誰も映っていなかったがすぐに以前と同じアナウンサー代わりのスタッフが画面端から現れて真っ直ぐにこっちを見た。

 

『みなさま、お久しぶりでございます。先週の約束通り、今日からまた放送を再開したいと思います』

 

 やや疲れ気味ではあるものの、誰かのために真実を伝えようとするその強い眼差しは前よりも力を秘めているように伺えた。上手いこと食料やら何やらを確保できたのだろうか。

 

『私たちのいるこの放送局は駅前に近いこともあり、周辺の食料品を扱う店舗などから物資を分けて頂くことができました。生きている方には快く、生存者のいないところからは無断という形になりましたが、多くの方に支えられてこの放送を続けることができます。本当にありがとうございます。調達の最中、スタッフの一人が犠牲になってしまいましたが、彼のためにも、私たちは明日へ向かい続けなければなりません』

 

 無傷とはいかなかったか。この局に何人のスタッフがいるのか定かではないが、多ければ多いほど外に出た時の危険性は高まるだろう。誰かが襲われた時、助けるか見捨てるかの選択を誤れば全滅もありえる。その際に人がいるほど、優しい人が多いほどこの世界の現実は残酷に牙を立てるのだ。この人たちの犠牲が一人で済んだということは、彼もまた誰かのために自らの命を捧げられる人間だったのだろう。強くて、美しくて、悲しい。そんな、人間だ。

 

『局の外の探索中、某大学に今も立てこもっている学生たちが私たちと同じ目的で近辺を探っているところに出会い、話をすることができました。連絡先を交換し、未だ電話は繋がりにくい状況ではありますが、なんとかそのグループと回線をつなげることができました』

 

 この放送に合わせて繋げようとした結果、時間が遅れたのか。そもそも時間指定をしていなかったから不明だが、そうまでして話を聞くということは何か有益な情報を、その大学のグループはもっているのだろうか。

 

『今日はよろしくお願いします』

『はい、我々も外部にこの情報を伝えられることを喜ばしく思います』

 

 アナウンサーのものではない、少しだけ聞きとりにくい声がテレビから聞こえてきた。

 

『我々は某大学の研究棟にこもり、この事態の原因を追究すべく行動してきました。学生たちの協力を得て、危険な橋を何度も渡ってもらい大人として顔向けできるような者ではありませんが……。それでもこの状況の最中、外部と、それも公共の電波に乗せて発信できるテレビ局の方と知り合えたのは奇跡に近い僥倖です』

 

 研究者。なるほど、話から察するに医学部の研究室か何かか。某大学としか言わないのはさまざまなリスクヘッジの結果だろう。医学に関するところに医者かは定かではないが第一人者がいると分かれば怪我人が殺到するような事態にもなりかねない。

 

『それで……その原因は分かったのでしょうか?』

 

 誰もが聞きたかったことをアナウンサーが代弁する。その質問は是が非でも答えを知りたい、しかし絶望しか詰まっていないパンドラの箱かもしれない。すでにその箱を開いたような災厄が世界に蔓延っているが、果たして希望は残っているのだろうか。

 

『答えは、『イエス』です』

 

 大学グループの返答に、アナウンサーも俺たちも歓声をあげた。しかしまだ早い。日本の一研究室がその原因を突き止めたことは本当にすごいことだが、まだ「原因」だけだ。治療や予防、または沈静化に向けて何かできることがあるのか分からない。

 

『で、では、詳しくお願いします!』

『分かりました。我々はこの……分かりやすく言うならば"ゾンビ化"する症状を『死毒症』と名付けました。この名前が示す通り、原因は毒に近い物質であることを突き止めたのです。

 この毒に侵されるとまず高熱にうなされます。ヒトの限界を超えた発熱によりたんぱく質が破壊され、意識の混濁や身体の不調が見られます。が、恐ろしいのはこの毒が破壊された部分を作り変え、新たに毒を振りまく存在として動かす点です。寄生虫に乗っ取られた昆虫のように……。全身の体液は毒に変わり、汗腺から漏れた体液が表皮にすら猛毒を覆わせます。引っ掻かれただけで感染するように毒に侵されるのはそのためです。

 ヒトより小柄な生物は発熱の時点で復元不可能なほどに身体中が破壊されつくすために動くことはありません。逆に大柄な動物などは毒への適正が高いのか、理性は失えども多くの場合、生前と同じかそれ以上の身体能力を得て毒をまき散らそうとします』

 

 発熱、意識の混濁。実際に味わった俺からしてみれば頷ける内容だった。しかし、毒か。この人も言っているが寄生虫のように意識を乗っ取ったり、某ウイルスのように感染していくアレは、いったいなんなんだろう。

 

『では……人を襲うアレらは……?』

 

 アナウンサーも同じことを思ったのか、俺の聞きたいことをそのまま代弁してくれた。

 

『この毒自体が細菌のように自らの繁栄を目指しているのかは定かではありませんが、限界ギリギリまで破壊され作り変えられた脳は理性を失い、身体のリミッターも全て外して動き出します。そして残された本能、即ち"食べる"ことのみを求めるのです。共食いをしないのは恐らくですが、彼らは『熱』を求めていると考えられます。毒に侵され、発症した後の身体は血管も破壊され急速に熱を失っていきます。視覚も聴覚もある程度残っていますが、彼らは彼ら同士で、恐らく認識し合っていません。

 ただし、もともと平均体温が高いなどで適性のあった動物の一部は体組織の半壊を免れて、食べること以外に一つか二つ、元の本能を残しているように見えます。縄張りや群れを作り、維持するなどがそれにあたりますね』

 

 次々明らかとなっていく真実。いや、確定ではないしまだ分からないこともあるだろう。それでもこの情報は俺たちには知りえないもので、ずっと謎続きだった現状に一筋の光を見せてくれた気がした。

 だが、本当の希望はその先に。

 

『なるほど……。ではもう一つ。その原因を知り、この先の未来にどう繋げていけるのでしょうか』

『我々が原因となったこの症状に『死毒症』と名付けたのはそこです。これは"毒"なのです。予防、もしくは発症までに使える抗血清が作れるはずなのです』

『そ、それは……! 本当なのですか!?』

『ええ。残念ながらゾンビ化した生物を元に戻すことはできません。あれはもう、人類の医療技術では修復不可能なほどに破壊されつくしていますから。ですが、そうなる前に接種することでゾンビ化を防ぐことができるはずです。

 そうすれば……世界が元通りとはいきませんが、いずれ秩序が戻ることでしょう』

 

 それは、本当に光だった。

 この地獄に、終止符が打たれる。そんなことが、本当にあるのか。まだ始まって一か月も経っていないのにそこまでの情報が入ってくるなんて。だが逆に早ければ早いほど良いのも確かだ。まだ生きている人が多いうちでないと意味がない。この人たちは他の何をかなぐり捨ててでも研究を続けたのだろう。

 人類の進歩とは戦争と共にある、なんて言葉がある。

 そう、これは戦争なのだ。人類が生き残るための、生存競争。相手が目に見えない一つの物質だとしても。

 そして一歩踏み出した。ボロボロになりながら、それでも人は命のともし火を吹き消させやしなかった。世界というリングの中で、コーナーに追いつめられてなお前に踏み出したのだ。

 

「すごい、すごいね!」

「ああ、まさかこんな良いニュースが聞けるなんて」

「今すぐということはないでしょうけど、それでも……!」

 

 俺たちも希望に目を輝かせて笑いあった。完全に人任せにすることしかできないが、いずれこの地獄が終わってくれるのならば。それまでに生き残りさえすれば、俺たちの勝ちなんだ。

 

『本当に……! そ、それで、その抗血清はいつ頃までに作られるのですか?』

『…………』

 

 アナウンサーも喜びを隠しきれず、語気も荒く問いかけたがそれに対する返答がない。これまで流暢に話していた大学グループの人間、恐らく研究者の人は重苦しく、その先の言葉を紡いだ。

 

『理論的には可能……、ですが、そもそも抗血清とは弱めた毒素を馬などの動物に打ち込み抗体を作らせてそれを採取します。普通に作れたとしても半年以上。さらにこの死毒症は毒素が強い、いえ、強いなんてものじゃなく、ほとんどの生物は耐えきれずに発症してしまうでしょう。適性が高いと言った動物たちも、アレは身体が破壊されつくされないだけで、抗体など持たずほとんど死んでいるも同然なのです』

『え……で、では、血清は……』

『恐らく原因となる毒の存在は世界中の研究機関で見つけられているはずです。しかし抗血清を作らないのではなく、作れないのです。噛まれてなお発症せず、抗体を持った生物を発見できない限り、我々にはどうすることもできません』

『そんな……』

 

 画面の中で男性が涙を隠すこともせずにうなだれた。当然だろう、希望を見せられた挙句、それが紙に書いただけの想像にすぎないと分かれば誰もがそうなるはずだ。

 だが、俺は知っている。

 噛まれても発症せずに、それまでと同じように確実に「生きている」ものを。

 

「こ、これ……って……」

 

 隣に寄り添っていた小町が信じられないものを見るように俺を見上げた。由比ヶ浜も、雪ノ下姉妹も同様に俺に視線を注いでいる。

 

「……つまり、俺は」

「抗体を、持っている。そう、考えられると?」

 

 かつて受けた肩の傷に手をやる。完治とまではいかないものの確実に治癒されつつあるそこは、もう痛みを発することもない。

 あの時俺は、たしかに先ほど聞いたように高熱に侵された。まさしくそれは『死毒症』と名付けられたその症状に他ならない。だからこそ雪ノ下たちと別れて、一色と共に死を迎え入れるべくそこに留まろうとしたのだ。

 もし、俺が本当に抗体を持っているとして。

 俺はどうするべきなのだろうか。

 しかるべき研究機関に身を任せる? 化け物が闊歩する中を。

 それとも俺と同じような存在が現れるのを待つか? 幸いにして食糧も水もある。だがそれは俺たちだけかもしれない。いずれ他の人間が死に絶えてしまうかもしれない。その抗血清とやらを作れる人たちもだ。

 

「…………行こう」

「お、お兄ちゃん……」

「この地獄が終わるのなら、それは一日も早い方がいい。そうだろ?」

「そう、だけど……でも、でもあなただけが特別じゃないかもしれないじゃない。他の……そうよ、他の人だってもしかしたら噛まれても発症しなかった人が……」

 

 まだ場所も知れないその大学に向かうと決めた俺に、意外と周りは否定的だった。特に雪ノ下はらしくない言い訳じみた言葉でそれを否定した。

 たしかに危険はたくさんある。俺が一人で歩いていって無事たどり着けるはずもない。だからといって俺には車の運転なんてできないし、やはり誰かの協力が必要不可欠になる。

 そして仮に辿り着けても、確実に抗血清が作れるとは限らない。もともと馬のような動物で作るそれを、人間でも同じように作れるのか、その場合俺がどうなるのかも定かではない。

 

「比企谷くん、落ち着いて」

「でも……いえ、分かりました」

 

 自分でも気付かないうちに俺は立ち上がっていた。陽乃さんに促されて再びソファに座り直すと、彼女はじっと俺の目を見つめて口を開く。

 

「……半年。まずは半年待ちましょう。さっき、抗体ができるのにそれだけかかるって言ってたよね? 向こうに着いてもまだ完全に抗体ができてないなんてことになったら意味がない」

「……そうですね」

「だからその半年のうちに、できる限り安全に、しかるべき研究機関に向かえるように準備しよう。自衛隊の救助は諦めたけど、彼らに知らせて頼ることも念頭に入れて」

 

 陽乃さんは冷静に物事を計っていた。その通りだ。何もこのメンバーの中から同行者を選ぶ必要なんてない。自衛隊に協力を仰げばヘリだの何だのでもっと安全に素早く目的地へと向かうことだってできるはずだ。考えなしに飛び出そうとした俺はやはり暴走しかけていたらしい。深く息を吐いて気を落ち着かせた。

 

「陽乃さんの言う通りですね、すみません。まずは半年……準備もそうですが、生き残らなきゃ話にすらなりませんからね」

「ん、そうだね」

 

 ニッと笑う陽乃さんは、それはもう可愛らしく。俺でなければ即座にプロポーズしてストーカーとして訴えられるまである。フラれるだけじゃすまねぇのかよ。

 他の三人もホッとして表情を和らげていた。そんなにさっきの俺は危なっかしかったのだろうか。まあなんだかちょっとおかしかったもんな。無駄な心配をかけてしまった。

 

「悪い」

「んーん、でもお兄ちゃん、本当に行くの……? 研究って、実験台みたいに変なこととかされない?」

「分からんが、まあ自分で言うのもアレだが、人類の希望をそんな手荒には扱わねぇだろ」

「ヒッキー……でもっ」

「その時は、私が首に縄をかけてでも取り返すわ。……その時は、由比ヶ浜さんにも手伝ってもらうわね」

「ゆきのん……。うん、そうだね」

「ああ、頼むわ」

 

 何を心配することがあるだろうか。俺はこんなにも思われている。例え見ず知らずの人間にこの身を差し出そうとも、そばにこいつらがいてくれるのなら安心できる。誰か、ではなく、こいつらに身を任せるのだ。それが安心でなくなんだというのだ。

 

「決まりだね」

「はい」

 

 そして俺たちは立ち上がった。

 まずは生きること。生き延びること。全てはそれからだ。これまでずっとしてきて、でも簡単ではないこと。だが不安はない。

 

 テレビ局が生きているうちにその大学の研究室や自衛隊の連絡先を聞き、話をしなければならない。それに自衛手段の強化、移動手段の確保。やることは山ほどある。

 それでも未来はもう真っ暗なんかではない。

 俺たちの明日は、これから始まるのだから。

 

 

To be continued...

 






pixivの方でも言い訳しましたが、けっこう設定がガバガバです。
雪ノ下家の所在地が分からなかったのでグーグルマップとにらめっこをした結果、習志野駐屯地のやや南西に配置しました。

猟銃ってぶっちゃけゾンビに効くんですかね?
至近距離で頭に打てばどうにかなるのかな・・・。

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