腐った世界で腐り目の男は生き延びられるか。   作:ぴよぴよひよこ

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腐った目の少年は。④

 窓がないために外の様子は分からない。携帯はきちんと時刻を表示してくれていて、それだけが朝だということを教えていた。

 あれからいろいろなことが頭をよぎって、睡眠をとったはずの頭は今もぐらぐらと不安定に揺れている。

 死んでしまった知り合いたちのこと。川崎のこと。生きているのかも分からない誰かのこと。

 両親や、川崎とともに別れた戸塚。俺だけじゃない、雪ノ下や由比ヶ浜だって家族や友人のことを心配しているだろう。考えれば考えるほどドツボにはまって、ネガティブな思考がまとわりついて離れない。何か、いい情報でも入ればいいのだろうが、せいぜいが一夜を明かしても俺が生きていたくらいしか思いつかない。それさえも地獄が続くと考えると気が重くなってしまう。

 

 ――――コンコン。

 

 暗い考えを吹き飛ばすようにノックの音が部屋に響いた。急いで扉の前へと行きノックを返す。無気力に伏したままではせっかく繋いだ命も閉じ込められて終わるという意味の分からない最後を迎えてしまう。

 

 ――――コンコンコン。

 

 偶然を考えてか二度目のノックが打たれ、これにも返す。すると扉が勢いよく開いて小町が突進するように抱き付いてきた。

 

「お兄ちゃんっ!」

「っとと、小町……心配かけたな」

「うん……、おはよう、お兄ちゃん……」

「ああ、おはよう、小町」

 

 きっと小町も不安な気持ちで一晩中いたのだろう。俺の背に回した手は震えていて、二度と離すまいとする思いが伝わってきた。

 ああ、そうだ。ネガティブになっている場合なんかじゃない。俺には守りたいものがあるんだ。この温もりを、二度と失いたくないと決めたじゃないか。

 扉の向こうには雪ノ下と由比ヶ浜、陽乃さんが立っていて、まるでまばゆく輝く世界へ誘うように迎えてくれた。

 

「良かった、ヒッキー……おはようっ」

「おはよう、比企谷くん」

「ああ、おはようさん」

 

 それぞれが安心したように笑ってくれている。陽乃さんでさえ俺の姿を確認した瞬間にほっと胸を撫で下ろしていた。

 

「無事でなによりだね。それじゃ、朝ごはんにしよっか」

「はい、ありがとうございました」

 

 腐り始めた世界にも朝が来る。眩しい笑顔に囲まれて、俺は朝食の席へと案内された。

 昨日も使ったソファとテーブルに用意してあった、温かな湯気を立てるスープとパン、サラダに舌鼓を打ってひと心地つけると、陽乃さんがまたノートPCをテーブルに乗せて電源を入れる。

 

「さって、今日は情報収集に徹するとしましょうか」

「それはいいんですけど、なんの情報を集めるんですか?」

 

 昨日話したように、俺たちに世界が腐り始めた原因が分かるとは思えない。もし分かったとしても素人が解決できるような事態でもないはずだ。

 それは陽乃さんも分かっているらしく、パソコンを操作しながら説明をしてくれた。

 

「表面的、というか短期目標を決めたいなって思ってね」

「短期目標ですか」

 

 そう、と頷き雪ノ下の方へ目をやると、彼女はリモコンでテーブルの前にある大きなテレビのスイッチを入れた。テレビ局はまだ生きているのか。

 

「そういえば比企谷くんはテレビの情報を知らなかったわね。自衛隊が動いてくれて、まずは各地にある駐屯地の周辺から住民を救助してくれているらしいの」

「……なるほど」

 

 たしかここら辺で一番近いのは習志野駐屯地だったか。しかし自衛隊が動いてくれているのはありがたい話だ。平和な国とされる日本において、ゾンビと戦える、さらに言えば鎮圧できる組織というのは警察や自衛隊を除いて存在しないだろう。どこかのゲームのように、道端に銃や弾丸が落ちていたりしたら即事案だしな。

 合法・非合法を問わず考えるならば、もしかしたらヤクザ的な何かも武力という点では戦えるかもしれないが、頼りにできるかと聞かれれば頷くことはできない。

 

 自衛隊とはいえど物資に限度はあるかもしれないが、きっと彼らは食料やらの調達もしてくれているのではなかろうか。

 サバイバルホラー系の定番といえばホームセンターやそこに付随する大型スーパーなんかに立てこもったりするが、大勢の人がいた店内で、ゾンビと化した人間を排除するだけでも相当な武力がいる。銃はおろか、確実に仕留められる武器が限られている日本では、その定番のスポットも地獄の様相を呈している可能性が高い。

 だが自衛隊ならば、あの不死もどきを一撃で潰せる武器を持っている彼らならば、そういったところに突入して、充分な物資を確保できるかもしれない。

 

「自衛隊が救助に来てくれるまでを、どう過ごすかってことですね」

「そういうこと。情報はいくつあっても足りないし、彼らの作戦に役立てられるようなものがあればなお良し、ってところかな」

 

 そういうことなら今日は特に動くこともないか。正直に言うと一晩休んだだけでは身体はガタガタのまま、走るのは辛かったし助かった。雪ノ下もたぶんだが筋肉痛やら何やらでひどい状態なんじゃないか。

 

 ちらりと目をやってみると、そんな彼女は自分でつけたテレビを確認して、情報を紙に書いてまとめている。

 俺の視線に気づくと、ちょいちょいと手招きをして紙を指さした。

 

「比企谷くん、私なりにまとめてみたのだけれど、この現象に似たような題材の映画やゲームがあるのでしょう? 気づいたことがあったら教えてほしいのだけれど」

「ああ、分かった」

 

 雪ノ下の隣に腰を下ろし、その紙に書かれていることに目を通す。綺麗に整った字で物騒なことが書いてあるが、まあ仕方のないことだ。

 

―――――――――――――――――――

 

・ゾンビ化した人に噛まれる、引っ掻かれるなどすると「感染」し、数十分から遅くて二時間ほどで同じくゾンビのような状態になる。

・ゾンビは人を襲う。人以外の生き物に対しては不明。

・また、人以外の生物が感染するかも不明。

・現在治療する方法はない。ゾンビ化せずに死ぬ人もいるが原因は不明。

・彼らは目が見え、耳も聞こえている模様。ただしそれ以外のなんらかの方法で人の気配を探知しているらしい。

 

―――――――――――――――――――

 

「まだ途中だし、比企谷くんからは何かあるかしら」

「そうだな……」

 

 この感染から発症までの時間や人間の探知についてはテレビからの情報か。テレビ局もやるな。正しい情報を与えるってのはマスコミの正しい姿だ。この状況の中よくやってくれている。

 

「ゲームだと犬とか蛇とか、動物も感染して凶暴化して襲ってくるんだが、まだそういうのは確認できてねぇのか」

「そうみたい。……そういえば昨日から動物の姿を見ていない気がするわね」

「あっ、それあるかも。犬とか猫とか、あと鳥? たまーに遠くで犬の吠える声は聞こえた気がするかもしれないけど」

「たしかに吠えてるのが聞こえましたね」

 

 犬、か。吠えているというのが感染している証なのか、または逆なのか分からんがな。それとも動物には感染しないんだろうか。野生の勘やらで危機を察して逃げていったってんなら辻褄も合うが……。

 

「動物かぁ。SNSにはまだそういう情報はないけど……確認してみよっか」

「確認?」

 

 陽乃さんがパソコンから目を上げて、何か思いついたように部屋を後にした。

 まさか外に出て見に行くのではと危惧したが、彼女が両手に抱えるような大きな箱を抱えて戻ってきて何か方法があるのかと知った。重そうなそれを受け取ってテーブルに乗せ、箱を開けてみるとプロペラが四つ付いたヘリのラジコンみたいなものが出てくる。

 ……ドローンってやつか。

 

「本当になんでも持ってますね、陽乃さん」

「面白そうなのはなんとなくね。こういう使い方をするとは思ってなかったけど」

 

 やたらと高性能そうなドローンは、カメラも標準装備でモニターでリアルタイムの映像を確認しながら飛ばせるらしい。しかも改造されて増設されたカメラにより左右、真下の景色まで捉えてくれる優れものだ。

 説明書を読むと、およそ二キロメートルの範囲で操縦できるとか。普段なら条例で高さも距離も活かしきれない性能だが、今なら誰も文句など言わないだろう。

 

 使用人さんの一人がカメラの分だけモニターを持ってきて並べてくれる。人数もいるし、広範囲を探りながら飛ばせるってわけだ。

 

「不謹慎ですけど、こういうの興奮しますね」

「あはは、たしかにそうだけど不謹慎だからってずっと暗いままじゃ周りも落ち込んじゃうし、こういうのは素直に楽しもうよ」

「ですね」

 

 てきぱきと準備を整えていく陽乃さんを手伝いながら、そんな話をした。

 人が死ぬことに慣れたくはない。だがこんな世界でも生きていかなければならないのなら、こういう探索や情報収集なんかを楽しむというのは大事なのかもしれない。もちろん、油断やら何やらは禁物だが。

 

「よっし、大丈夫そう」

「じゃあ窓を開けますね」

 

 広い室内で試運転を済まし、動きやカメラにも問題がないことを確認した。携帯は繋がりにくいが、こういう電波はそういうこともないみたいだ。機敏に動くドローンを促すように窓を開く。その先にはベランダが広がっていて、離着陸にも不都合がなさそうだ。

 

「八幡号はっしーん♪」

「なんですかそのネーミング……」

「ふふ……八幡号……」

 

 陽乃さんが意味の分からない名前をつけたドローンは勢いよく空へと上がっていった。雪ノ下は雪ノ下でそのネーミングがツボにでも入ったのかくすくすと笑っている。八幡号ってなんだよ。開発に七万九千九百九十九機でも要したのか。やべぇすげぇ高性能っぽい。

 

「わぁーすごい!」

「こんなに高く飛べるんだー」

 

 由比ヶ浜と小町は、俺のように男子特有の興奮ではなく、景色自体を楽しんでいる。分かんねーかなぁ、このリアルタイムで映像を見ながら操作できるロマン。俺が操縦しているわけではないが、まるで戦闘機やモビルアーマーに乗っているかのような興奮はなかなか味わえない。

 

「う……」

 

 が、すぐに由比ヶ浜たちの顔色が悪くなった。

 それも当然、そこら中に蠢くゾンビと、飛び散る赤色。そんな景色ばかりが、カメラを通して流れてくるのだ。見ていて楽しいものではない。

 

「動かなくなった死体と、動いている死体。何か違いはあるのかしら」

 

 嫌な顔はしつつも、冷静に物事を見ている雪ノ下がぼそっとこぼす。道端には見たくもないがちらほらと死体が転がり、それを貪るゾンビもいた。

 だが、明らかに無視されている死体と、かなりの数に囲まれて食われ続けている死体があり、その違いを調べようとみんなでそのモニターをじっと観察してみた。

 

「うーん……あっ……」

「どうした小町、何か気付いたか?」

 

 あまり妹に見せたくない映像だったが、この先いくらでも目にすることになるものを隠したところで意味はない。人の目は多いほど気付くものも増えるのだ。現に今、俺が気付かなかった何かに小町が反応した。

 

「えっと、死んで動かない方は、子ども? が多いのかなって」

「子ども……」

 

 言われて映像を確認すると、たしかに小柄な死体が多い。ゾンビに貪られていて確定することができないが子どものように見える。逆に、大人らしい体躯をした死体、恐らく頭部を損壊したそれにはゾンビが群がっておらず、奴らが共食いをしないのと同様に獲物として捉えられていないことが伺えた。

 

「なるほどね……中学で死体が多かったのはそういう……」

「この現象に、子どもの身体では耐えられないってことか?」

「その可能性があるわね」

 

 小町を迎えに行ったあの中学校では、いつ動き出すのかと恐れていた死体がたくさんあった。結局突然起き上がって襲い掛かってくるなんてことはなかったが、そういう可能性もあるのか。

 

「この黒いのは……カラスの死骸?」

 

 由比ヶ浜も顔を青くしつつちゃんと確認してくれている。指をさした先には死体の周りに落ちた黒い鳥の死骸が転がっていた。

 

「死体を食って、感染して死んだって感じか」

「そうね……仮定するなら、中学、いえ小学生以下の体躯、もしくは年齢による身体の機能の違いでゾンビ化するかどうかが決まっているのかしら」

 

 雪ノ下が情報をまとめてくれる。それが正解だとすれば、その事実でいい未来と悪い未来が両方浮かび上がってくる。

 

「だとすると……。防ぐのが難しいネズミなんかの小動物は死滅して危険にはならないってことだ……が」

「が?」

 

 ある意味で人間のゾンビよりも怖いのがそいつらだ。人を獲物と認識し、かつ凶暴化したネズミが大挙してやってきたら、たとえマシンガンを持っていても打ち払うのは難しい。そういった点で、小動物が感染しても発症しないというのはまだ良い情報として受け止められる。

 だが、逆もまたありえるのだ。由比ヶ浜が俺の言葉の先を促す。

 

「デカい動物……。例えば、熊とかライオンが動物園を抜け出して感染、発症したら……」

「それは、たしかにやばいね」

 

 俺の予想に、陽乃さんが同意してくれる。この近辺で一番近い動物園は千葉市動物公園で、それなりに距離も離れてはいるが大型の動物が感染して脱走なんてしたら、それこそ自衛隊の戦車でもなければ倒せないだろう。陽乃さんの猟銃でも、鹿を一撃で仕留めるのにはかなりの技術が要るのだ。それよりも強靭で、なおかつ不死身に近い動物が向かってくるとなると、その危険性は計り知れない。

 そして、そんな不安を裏付ける事態がドローンに襲い掛かった。

 

「陽乃さん、右から何か来てます!」

「おっとぉ!」

 

 由比ヶ浜の警告に陽乃さんがドローンを急上昇させる。カメラには赤黒い物体が高速で向かってきて、そのレンズの目の前でガチンと歯を打ち鳴らすのが映った。

 真下のカメラを映すモニターに目を移して確認すると、それはゴールデンレトリバーと思われる大型犬だった。もともとは白か金色に近かったであろう体毛は、返り血かそれに類するもので赤黒く染まっている。

 

「ひ……!」

 

 モニター越しだというのに雪ノ下はその犬に怯えていたが、正直俺もめちゃめちゃビビっていた。

 その眼光は見ただけで狂気に侵されているのが見て取れ、口からは鮮血のような唾液がだらだらと垂れている。毛皮も所どころ剥げており、もはや犬ではなくモンスターと言った方が分かりやすい。

 それにしても生物でもないドローンに襲い掛かってくるとは、こいつは人間のゾンビとは何かが違うのだろうか。

 

「なんでドローンに……?」

「うーん、追いかけてくるわけでもないから、縄張りみたいなのでもあるのかな」

 

 陽乃さんの言う通り、おぞましい狂犬はその場を離れたドローンをしばらく睨みつけた後、来た方向へと帰っていった。生物だけでなく、動くものすべてに襲い掛かっているのだとしたら、それもまた恐ろしいことではある。ゾンビと共食いでもしてくれていればいいが、腐った者たちは自分と同じ臭いでもするのか、特に襲う様子はなかった。

 

「わんちゃんが……あんな、うう……サブレ」

「由比ヶ浜さん……」

 

 愛犬も家族である由比ヶ浜には辛い現実だ。しかしサブレは小型犬、例え無事でなかったとしても人を襲うようなことはないはず。それは慰めの言葉にすらならないし伝えることもなかったが、あのようなおどろおどろしい姿になっていないだけでもいくらかマシにすら思えてしまった。……もちろん、同じことがカマクラにも言えたが。

 

 その後もドローンによる散策で辺りを探った。電柱や電線に気をつけながら飛び回り、イオンモールや小学校などを見たが、いるのはゾンビばかりで生きている人間はほとんど見かけない。いても建物の中にいてこちらに手を振っているのに気づいた時だけだったりする。こちらから何かを発信することはできないので何も返せなかったが、少しでもまともな人の姿を見れてホッとした部分もあった。

 だが生存が絶望的というわけでもなかった。多くてもすし詰め状態みたいに見渡す限り一面ゾンビという地獄の顕現のような場所はなかったし、ゾンビが少ない=生きている人間が多いという証明にもなる。恐らく自宅や職場などの建物に籠っているのだろう。テレビさえあれば、自衛隊が動いているという情報は知ることができるのだから。

 

「小学校は昨日の時点で休日だったみたいね」

「ああ、そこは良かったな」

 

 一番近くにあった小学校はもしかすると死体だらけという最悪の映像を見せられるかと覚悟していたが、この異常事態発生時である土曜日で休みだったこともあってほぼ無人の状態だった。

 逆にサバイバル鉄板のショッピングモールは混雑もあってひどいことになっていた。入口が封鎖されたりしている様子はないので、もしかしたら誰かが中に逃げ延びているかもしれないが、あの周辺のゾンビの数だと脱出も救出も難しいだろう。

 

「っと、そろそろ充電がまずいかな?」

「もうちょいで一時間になりますね。飛行系のラジコンって充電短いイメージありましたけど、最近の技術ってすごいんすね」

「そだね、まあお金に任せて一番いいの買ったからだけど」

 

 なんだろう、陽乃さんのお金持ち自慢ってあんまり嫌味に聞こえないな。この人は大学生のはずなのになぜか自分で稼いだお金しか使ってないようなイメージがあるからか。それともしっかりと使いこなしているからか?

 ともかく最寄りの駅前まで飛ばしていたドローンをこの屋敷へ戻そうと、陽乃さんがコントローラーを操作して高度を上げると、モニターに映る景色の中に迷彩柄の何かが動いているのが見えた。

 

「あ、あれってもしかして」

「自衛隊の人たち?」

 

 俺が指さした先にあったものを見て由比ヶ浜も同様のことを思ったらしい。ドローンが上昇をやめてカメラのブレが収まると、陽乃さんが乗っていたハマーよりも強そうな迷彩柄の車と、その車の天井部分から銃を持って顔を覗かせている隊員の姿が確認できた。

 

「おお……本当に救出に回ってくれてるんだな」

「ありがたいわね。この近辺もいずれは彼らの行動範囲になってくれるかもしれないし、しばらくは動かず待っている方が良さそうね」

「だな」

 

 さすが、軍隊ではないが同様のレベルにまで練度を高めた組織だけあって、その進軍に隙がない。なによりあの戦車みたいに重厚な車は軽どころかミニバンだって踏み潰して進むことができそうだ。もうあれで街中走ってくれるだけでゾンビが全滅するまである。

 彼らの活躍を追ってみたかったが、そろそろ本格的にドローンの限界が近づいてきていることもあって撤収することになった。

 

「この高度で設定して……よし、あとは自動でここまで戻ってくるはず」

「そんな機能まで?」

「うん、まだGPSも使えるしね」

 

 GPSか。たしかアメリカのお偉いさんがたが管理しているんだっけか。管理とは言っても衛星自体に何かしらの手を加えるわけじゃないだろうし、アメリカという国自体が無事ってわけでもなさそうだけどな。それでも向こうは銃社会だし、こっちよりは早く事態が収拾してくれることを祈ろう。そして助けてほしい。やはり他力本願な俺だった。

 

「まだ電気も水道もネットも生きてるし、あのゲームよりは絶望的ってわけでもないのかな」

「……だといいんですけどね」

 

 それでもその生活の要はいずれ途絶えるだろう。仮に発電所や浄水場が勇気ある人間の手によって管理されるとしても、例えば電線が切れたり、水道管が破裂しても直す者がいないのだ。

 日々の生活は人々の営みの上になりたっていることを痛感させられる。そう考えると社畜になりたくないっていう俺の願いも浅はかだと思わされるな。今ならあの日常に戻れたとして、社会の歯車の一員になるのもいいって思わなくもない。

 

「あっ、戻って来た!」

「ほんとだ」

 

 小町が窓の外に浮かぶ黒い点を指さし、由比ヶ浜もそれを見上げる。

 一時間近く前に送り出したドローンが無事に任務を終えて戻ってきたのだ。陽乃さんが操作をマニュアルに戻してベランダに着陸させると、みんながそれを出迎えた。

 

「おかえりー八幡号」

「無事でなによりだよ」

「マジでそのネーミングにするんかよ。俺に似てる部分なんてなくない?」

 

 俺が意義を唱えると、雪ノ下がくすりと笑った。

 

「あら、考えようによってはあるかもしれないわよ?」

「どこだよ。あ、仕事をきっちりしてくるところとかか?」

「ゾンビ化しないところとか?」

「おま……あんまシャレならんぞそれ」

「……ごめんなさい」

 

 彼女なりのジョークだったのかもしれんが、素直に笑えそうにはない。しかしそんな冗談のひとつも飛ばせるくらいにはみんな落ち着けていると考えればまあいいだろう。小町も由比ヶ浜も苦笑ではあるものの笑みを浮かべているしな。

 とにかくこのドローンは情報収集には便利だということが実証されたし、無事に帰ってきてくれて嬉しいのはたしかだ。ベランダから室内に戻して、丁寧に箱に入れなおしてやった。

 

「ふー。車の運転も楽しかったけど、これもこれでいいね」

「お疲れ様です。まあ普段は規制とかかかってこんな風には飛ばせないでしょうけどね」

「だよねー。危ないのは分かるけど、なんでもかんでも抑えればいいってもんじゃないと思うけどなー」

 

 一仕事終えた陽乃さんに労いの言葉をかけると、使用人さんがまた紅茶を持ってきてくれた。俺たちがこの屋敷に到着したときに迎えてくれた人だ。そういえばあの時いた二人しか見ないが、他の人たちはどうしているんだろうか。

 

「陽乃さん、使用人の人たちってあの二人しかいないんですか?」

「うん。この状況になってから、希望した人しか残ってないんだ。みんな家族のところに帰ったよ。可能なら戻ってきてもいいって言ってはあるんだけど……」

「……なるほど」

 

 ただ戻って来れないだけならいいが……。まあ雪ノ下家に仕えた人たちだ。きっと上手くやっていることだと信じよう。

 

「雪ノ下家の車には直通電話もあるからね。うちの両親は一応無事みたいだけど、戻ってはこれなさそう」

「そうなの?」

「あ、言ってなかったね。ごめんごめん」

 

 陽乃さんがなんてことなさそうに謝った。雪ノ下はそんな彼女を睨んではいるものの、両親の無事を喜んでいるみたいだ。うちの親もどうにか生き延びていてほしいな。

 

「じゃ、そろそろお昼の準備をしましょうか! 今日は小町も手伝いますよ」

「そう? 実は、ってさっき言ったけど使用人も二人しかいないしありがたいな」

 

 その場の誰もが安否の知れない家族を思ったのか、一瞬無言の空間が広まりかけたが、小町の一声のおかげでなんとか元の空気に戻ることができた。

 人が少ない以上できることは分担した方がいいだろう。それに人数が少なければ物資の消費も少ないと思えば悪いことばかりではない。

 使用人さんの一人に案内され、小町が厨房へと向かっていくのを見送り、俺たちは俺たちで何かできることはと仕事を探し始める。

 

「では私たちはまた情報収集に戻りましょうか」

「おう」

「はいはーい」

 

 麗らかな日が差す中、俺たちは暗闇のような未来の中に光を求め始めた。

 

 

 

* * *

 


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