腐った世界で腐り目の男は生き延びられるか。   作:ぴよぴよひよこ

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地獄が始まった日。

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 暦上では春先の、それでも吹きすさぶ風はまだ冷たい土曜日の午後。進学校である総武高は一般的には休日とされる土曜日にさえ登校を強制してくる。

 俺としては休むことも大事だと声を大にして主張したいのだが、一生徒がそんなことを喚いても何も変わりはしない。つまり無駄に体力を浪費するだけであって、休むことも大事だと思う俺はデモだのなんだのはしないのである。決して生徒指導パンチが怖いわけではない。

 

 だが今日は授業があったのではなく、数日後に控えた卒業式のために労働を課せられていたのだ。生徒会による招集は人数の多い部活、運動部で言えばサッカー部や、文化系で言えば吹奏楽部などが挙げられたが、ボランティアを掲げる我らが奉仕部にもお声がかかり、俺は貴重な休みを潰してまで体育館で紅白幕を張ったり椅子を並べていたりしたのだった。

 本来ならば正午を過ぎた今でも仕事として体育館に居たはずの俺たち奉仕部のメンバーは、現在部室で昼食をとっている。なんでも予想以上に早く設営が終わってしまったらしく、予定を繰り上げて解散となった。それも偏に生徒会の仕事の割り振りがしっかりしていたからだろう。

 一色はよくやっている、と俺は思う。あいつもあいつなりに前生徒会長のめぐり先輩を憂いなく送り出したいと思っているのだろうか。珍しく雪ノ下も褒めていたしな。無駄のない指示だわ、なんてどこか嬉しそうにしていた。こいつにとっても唯一と言っていい後輩だしな、成長を喜んでいるんだろう。

 

 で、だ。

 なんで解散になったのに部室で昼食をとっているのかというと、由比ヶ浜が一緒に食べようとごねたからだ。まあ家に帰っても小町も俺たちと似たような理由で学校へ行ったし、今日は学食も開いていないので登校途中にコンビニで飯も買ったから文句はないのだが。

 由比ヶ浜は卒業式というイベントを前にして、自分たちに残された時間を自覚したようにも見える。なにかと俺や雪ノ下を誘ってきて、遊びに行こうとしたりしている。

 俺も寂寥を覚えないわけでもない。この総武高校にはあと一年の間通う事にはなるが、部活動は引退――奉仕部に引退の概念があるのかはさておき――することになるし、受験もあって登校日数もだいぶ減ることになる。部長たる雪ノ下はどう思っているのだろう。彼女も残された時間の少なさに、一抹の寂しさを感じているのだろうか。

 

「ねえねえ、午後はまるまる空いちゃったし、どっか遊びに行かない?」

 

 前述の通りに俺たちとの時間を増やそうとする由比ヶ浜。お前は寂しいと死ぬのか。ウサギか。別にウサギは寂しくても死ぬわけじゃないらしいが。

 頭のお団子をもにもにとしているその姿はどこか恥ずかしそうにも見える。それを察したのか、はたまた自身もそうなのか、雪ノ下がはにかみながら首肯した。

 

「そうね、受験もあるのだし、勉強会を開くのもいいかもしれないわね」

 

「ええっ!? 遊びに誘ったのに勉強会になってる!?」

 

 大仰にのけ反って不満も露わに由比ヶ浜が叫んだ。雪ノ下にとっては遊ぶのも勉強するのもさして変わらないのかもしれない。むしろ由比ヶ浜と一緒にいればなんでもいいんじゃないのか。なにその百合空間。あ、いつもの事だった。

 

「お前は遊んでる余裕はあるのかよ。高校はあと一年あるけど受験はもうすぐそこだぞ」

 

「うう、ヒッキーまでぇ……」

 

 がくりと肩を落としているが、本当にこいつは受験大丈夫なのだろうか。進学校である総武高に受かったのだから、馬鹿ではないはずだ。バカだけど。どこの大学を受けるかなんて話はこれまでしたことがなかったが、それなり程度でも厳しそうに思えるのは俺だけか?

 

「あなたが正論を言うなんて、明日は槍でも振るのかしらね」

 

「正論述べただけで何で罵られてんの俺。天邪鬼じゃねぇんだぞ」

 

「あら、あなたは割と天邪鬼なところがあると思うのだけれど」

 

 雪ノ下がなんとも失礼なことを言ってくれる。俺が言ってるのは妖怪の方の天邪鬼ですけどね。そう伝えても「あなた妖怪じゃなかったの?」とか言われそうなので黙っておく。

 由比ヶ浜はうんうんと頷いてるし。俺は捻くれはしていても天邪鬼ではないと思うんだけど? 自分に素直だしな。あー仕事したくねぇ。

 遠い目をして黙りこんだ俺は会話の中から外されたらしく、特に追及もなしに話が進んでいった。

 

「そうね……、一度勉強道具を取りに行くのも手間でしょうし、今日は勉強会はやめておきましょうか」

 

「ほんとっ? じゃあさじゃあさゆきのーん、カラオケとかどうかな!」

 

「カラオケは……やめておきましょう」

 

「えー、ゆきのん歌上手いのにー」

 

 歌の上手い下手じゃなくて数曲歌ったら尽きる体力が問題なんだろ。そう思いつつも口には出せない俺である。君子危うきに近寄らず。八幡雪ノ下にツッコまず。また名言が生まれてしまった……。

 キャッキャウフフしている二人を眺めながらぼーっとしていると、ノックもなしに部室の扉が開かれた。その結構な勢いで、ガシャンと大きな音を立ててレールの反対側にぶち当たる。

 

「平塚先生、ノック以前に静かに開けてもらえませんか」

 

 ドアの音に肩を跳ねあげて反応した雪ノ下が恥ずかしさを誤魔化して怒りに変換している。俺は見ちゃったけどね。「ひゃっ」って声も聞いちゃったもんね。ごめんなさい睨まないでください何でナチュラルに心読んでるの怖い。

 果たしてそこに立っていたのは平塚先生だった。いつもより若干険しい顔をしているが怒りなどの感情ではなく、何か焦っているような、そんな表情で。

 

「ああ、すまない、緊急なのでな。なんでか携帯も繋がらんし直接来たんだ」

 

「緊急? 何かあったんですか?」

 

「残業だけは勘弁してください」

 

 はて、と首を傾げる由比ヶ浜と頭を下げる勢いでお願いする俺。さて、社畜に向いているのはどっちでしょうか?

 しかし平塚先生はそんな余裕はないらしく、いつもみたいな激しいツッコミも飛んではこなかった。いやあんなのツッコミじゃねぇだろ。

 

「校内に不審者が侵入したらしくてな、電話が繋がらなくて警察も呼べなくて、まだ学校にいる生徒に注意して周っているんだ。もうすぐ放送もあるだろうから、お前たちはそれまでここに待機していてくれ」

 

 不審者とはまた、穏やかじゃねぇな。由比ヶ浜も不安そうにしているし、雪ノ下は……、おい、お前捕まえようとか思ってないよなその顔。

 

「警察に繋がらないって、どういう」

 

 そこまで言って、俺の発言は途切れた。そう遠くない所から、絹を裂くような悲鳴が響いてきたからだ。

 

 この、声は……っ!?

 

「今の……」

 

「戸塚ぁあああああ!!」

 

「ちょ、ヒッキー!?」

 

「おい比企谷、待て!」

 

 由比ヶ浜たちの制止も振り切り走り出す。戸塚に何かあったら不審者の野郎ボコるだけじゃすまさねぇぞ!

 俺の後に続いて複数の走る音。先生たちも追いかけてきているようだ。由比ヶ浜はともかくとして、平塚先生と雪ノ下が後ろにいるなら心強い。平塚先生は言わずもがな、雪ノ下も合気道だか何だか習っていたはずだ。

 この時俺には、戸塚を助け出すビジョンしか見えていなかった。その後で、あのまるきり美少女の声にしか聞こえなかった悲鳴をからかってやろうとか、そんな平和な事を考えていたのだった。

 

 

 

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