戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフへの途~   作:Hermes_0724

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第四十五話:故郷への帰還

ラウルバーシュ大陸七不思議の一つである「メルジュの門」は、東方見聞録によってその存在が西方にも知られるようになった。東方見聞録の中には、先史文明からの警鐘として機工女神が描かれている。しかし「科学文明の遺産」を運び出したことや、それをイルビット族が引き継ぎ、ターペ=エトフ国内で研究が行われたことなどは、書かれていない。東方見聞録の主人公である「私」は、イルビット族の集落で機工女神からの「預言」を受け、メルジュの門を目指したとされている。メルジュの門の中は、白一色の何もない空間で、「私」の目の前に機工女神が姿を現し、イアス=ステリナからの警鐘を受け取り、それを書物に描くように命じられたとしているのである。

 

・・・機工女神は私に、イアス=ステリナ人の過ちを繰り返さないよう、教訓として書物に残し、広く世に知らしめるように命じた。ただの旅人である私が、そんな重要な使命を果たせるだろうか。なぜ機工女神が私を選んだのかは解らない。だが少しの想像力があれば、イアス=ステリナで生きていた人間族の過ちは、ディル=リフィーナにおいても繰り返される可能性があることくらい、理解が出来るだろう。この旅を通じて、多くの人々に出会い、多くの文化を見てきた。人間の歩みの速さは、他族の追随を許さない。それは西方でも東方でも同じであった。このままいけば、人間族はやがて「科学文明」へと舵を切るかもしれない。そのこと自体は間違いとは思わないが、身の丈を超えた技術は、大きな災厄へと繋がりかねないのである。旧世界の災厄を教訓として残す必要がある。これが、私が東方見聞録を執筆した動機である・・・

 

著者不明の紀行記「東方見聞録」は、東方の多様な文化を紹介する紀行録としても、また挿絵の芸術性からも高く評価を受けたが、天空島やメルジュの門などの内容は、ホラ話として失笑を買った。著者の想いとは裏腹に、機工女神の警鐘を重要視したのが「ネイ=ステリナ三大種族(ドワーフ族、エルフ族、獣人族)」だったことは、皮肉と言うほかない。メルジュの門の存在が実証され、西方から大規模な調査隊が派遣されたのは、遥か後世のことである・・・

 

 

 

 

 

美しい天使が、貌に喜悦を浮かべ、快感で羽を震わせる。後ろから自分を貫く男と呼吸を合わせ、やがて絶頂を迎える。燃え尽きた後の余韻を楽しみながら、二人は寝台で話し合った。

 

『・・・天使族たちも、貴方の提案を受け入れました。少し時間はかかりますが、私たちはターペ=エトフに移住をします』

 

『インドリト王も歓迎するだろう。ターペ=エトフは美しく、住み心地の良い国だ。きっと、貴女も気に入ると思う』

 

男の胸板に顔を寄せる。男女の営みがこれ程までに愉悦を齎すとは思っていなかった。七つの大罪に挙げられるのも理解できる。この愉悦を知ってしまったら、意志の弱い者は溺れてしまうだろう。男の顔を見ながら、問いかける。

 

『そういえば先日、貴方は「主」について、何かを言いかけましたが・・・何を言おうとしていたのですか?』

 

『ん?いや、これは何の証拠もない、オレの仮説に過ぎないんだが・・・』

 

『構いません。聞かせてもらえませんか?』

 

『・・・恐らく、イアス=ステリナで使われていた「神」とネイ=ステリナの「神」とは、意味合いが違うのだと思う。現神たちは、イアス=ステリナで言うならば、貴女がた「天使族」のような存在なのではあるまいか?』

 

『どういうことですか?もう少し詳しく、聞かせて下さい』

 

『物事には必ず、因果がある。このディル=リフィーナが生まれたことにも因果があった。では、その前のイアス=ステリナやネイ=ステリナの誕生には、因果は無いのか?そんな筈はない。この世界・・・異世界なども含めた、この「宇宙」を生み出した原因が、必ず存在するはずだ。それこそが「創造神」、つまり「主」なのではあるまいか?』

 

『・・・つまり、旧世界であるネイ=ステリナを生み出したのも、現神たちを生み出したのもまた、主であるということですか?』

 

『そう仮説すると、幾つかが説明できるんだ。なぜ創造神は、三神戦争時でも姿を現さなかったのか?なぜ現神も古神も、神と呼ばれる存在でありながら「神核」という弱点を持つのか?なぜ「光の神」でありながら「悪」に見えるのか?』

 

『主が御姿を顕されないのは、この世界に存在しないからでは無く、この世界を含め、全てを生み出したから・・・では、主はいまも何処かに?』

 

『解からん。およそ人の理解など超えている。だから「神」なのだろう?』

 

男は体位を変えた。再び侵入し、互いに喜悦を貪る。天使は男の首に腕を回した。男の言葉に、かつて友であった一人の天使を思い出した。

 

 

 

 

 

・・・ミカエラ、主はきっと簡単には御姿を顕さない。いや、ひょっとしたら未来永劫にわたって、その姿を顕さないかも知れない。主は私たち天使族ですら、理解を超えた存在だ。まして人間族ではとても理解できないだろう。主が生み出した太陽や月、大地や海などを擬人化し、神を見出している。彼らはきっと永遠に、主には届かない。だから私たちが、彼らの信仰の対象になる必要があると思う・・・

 

・・・何を言っているのです?私たちは主から「人間族を見守れ」と使命を受けました。「導け」とは命じられていません・・・

 

・・・そうだな。だが「見守れ」とは、具体的に何をすることなのか?ただの「傍観者」で良いのか?主は私達にも試練を課す。私は、天使族たちは主の言葉を受け取り、自分自身で判断をすべきだと思う・・・

 

・・・そのような事、主は仰っていませんっ!・・・

 

・・・そうかな?「盲目的な信仰は望まない」と仰ったではないか。「盲目的信仰」とは、自分で考えること無く「言われたことだけ」を実行し続けることだ。少なくとも、私はそう思う・・・

 

・・・では、貴方はこれから、どうするつもりなのですか?・・・

 

・・・人間族は解りやすい構造を好む。善と悪、昼と夜、光と闇・・・ミカエラ、君は「光」を担え。私は「闇」を担う・・・

 

・・・ま、まさか貴方は、堕天するつもりですか!「明けの明星」と呼ばれ、天使族の最高位にいる貴方が!・・・

 

・・・主の使命に戸惑いを覚える天使たちがいる。主は全てを語らないからな。これまで主の愛情を受けていたと思っていたのに、人間という「肉の塊」を生み出し、それを見守れと言われた。戸惑うのも当然だ。このまま放っておけば、堕天をする天使が続出する。誰かが、彼らの疑問を汲み取る必要があるんだ・・・

 

・・・天使族らしからぬ不穏な空気は、私も感じていました。天界を、天使族を護るために、あえて堕天の途を選ぶというのですね?そして私に、貴方と敵対しろと!・・・

 

・・・迷惑を掛けて済まないとは思う。だがこのまま行けば、天使族そのものが人間族から「悪」と思われてしまうだろう。それは避けなければならない。だから私は堕天する。天使族とは違う存在となる。二項対立構造によって、悪の立場から、人間族を見守るよ。いつの日かきっと、この二項対立を人間族は克服するだろう。物事の善悪を自ら「審判」することが出来るようになる。その日まで、私は君の敵になる・・・

 

・・・解りました。人間族が進歩するまで、「善悪の審判」を自ら下すことが出来るようになるまで、貴方は私の敵です。ここでお別れです。「明けの明星(ルシファー)」よ・・・

 

 

 

 

 

(ルシファー、貴方は正しかった。二項対立を超えた人間が、私の目の前にいます・・・)

 

愉悦の津波に翻弄されながら、ミカエラは行方不明となっている旧友を思い出していた・・・

 

 

 

 

 

イルビット族の集落を離れる日、ディアンはベルムード以下、イルビットの研究者たちと挨拶をした。

 

『国王の許可を得次第、再びこの地に戻ってきます。出来るだけ早く戻るようにしますが、一年近くは掛かると思います。それまで、どうかお待ち下さい』

 

『儂らはこの地で、千年も過ごしたのじゃ。たかが一年などなんでもないわい。お主には本当に感謝をしておるぞ。一千年間の研究、散っていった仲間たち・・・それらが決して、無意味なものではなく、価値あるものだと証明してくれた。そればかりか、儂らに新たな生き甲斐まで与えてくれた。お主の戻る日を待っておるぞ。道中、気をつけてな・・・』

 

ディアンと握手をするベルムードは晴れやかな笑顔を浮かべていた。挨拶を終え、馬に乗ろうとするディアンたちに、ベルムードが思い出したように声を掛けた。

 

『一つだけ忠告をしておく。南周りで西を目指すのであれば、死の大砂漠を通ることになる。出来るだけ北方を通るのじゃ』

 

『元よりそのつもりですが、大砂漠の南には、何があるのですか?』

 

『解からん。じゃが、これまであの砂漠に入って生きて戻った者はいないそうじゃ。三神戦争において激戦区であったと言われている砂漠じゃ。あるいは呪われた土地なのやも知れぬ・・・』

 

『ほう・・・面白そうですね』

 

興味を持つディアンに、ベルムードが苦笑した。

 

『まったく・・・ブレアードも同じような表情をしておったわ。どうしても砂漠を目指すのであれば、まずはここから南にある街「クシャ」に寄るが良い。そこで装備を整えなければ、とても砂漠に入ることは出来まい・・・』

 

『「クシャ」ですね。解りました。まずはその街を目指したいと思います。砂漠に入るかは、その街で決めたいと思います』

 

イルビット族たちに手を振り、ディアン一行は南を目指した。気温はさらに上り、暑くなる。ディル=リフィーナは、地軸の傾きが緩やかであるため、赤道直下には太陽光がほぼ垂直に当たる。普通であれば、人が住めないほどの気温になるはずだが、南中と北中を繰り返す太陽によって、ある程度は中和されるのである。だがそれでも、レイナたちは薄着になり、滴る汗を拭った。

 

『ちょうどこの辺りが、赤道直下のようだな・・・太陽がほぼ真上にある。みんな、水は十分に飲んでおけ。ベルムードの話では、明日にはクシャの街に着くはずだ』

 

魔神の肉体を持つディアンでも、この暑さには辟易していた。しかし、夜になると急激に冷え込む。砂漠地帯が近いためか、放射冷却現象が大きいのだ。焚き火を囲う使徒たちは、昼とは一変して、厚手の布を羽織った。

 

『まったく・・・暑くなったり、寒くなったり・・・ターペ=エトフと比べると、ここはまるで地獄だな』

 

焚き火から少し離したところで、グラティナが鳥の肉を炙る。皮から脂が滴り、食欲をそそる薫りが立ち上る。その様子を見ながら、ソフィアがディアンに尋ねてきた。

 

『ディアン、これから旅を続けるにあたって、あなたに聞いておきたいことがあります。あなたは、本当はこの世界の住人では無かったのではありませんか?』

 

使徒二人の動きが止まった。ディアンは少し目を細めたが、口元には笑みを浮かべた。メルジュの門でのやり取りを聞けば、ソフィアならそう推察出来るだろう。ソフィアは言葉を続けた。

 

『あの門での、古の女神とのやり取りを聞いていて、私は改めて思いました。あなたはただの魔神ではない。ましてただの人間でもない。あの警鐘を受け取り、これから先、あなたがどのように世界を変えていくのか・・・私はそれを見たいと思います。ですから、私を使徒にして下さい。あなたの使徒として、あなたの傍で生き続けたいのです』

 

『ソフィア、前にも言ったと思うけど・・・』

 

レイナの発言をディアンが止めた。そんなことは承知の上で、使徒になりたいと言っているのである。ソフィアが言葉を続けた。

 

『私は理屈が先行する女です。ですから、無条件で死ぬことなど出来ません。ですが、あなたの思想は理解しているつもりです。光と闇の対立を克服し、すべての種族が共に繁栄する世界を創り上げる・・・神に依存するのではなく、自らの足で大地に立ち、自らの手で歴史を動かしていく・・・「神からの自立」、その理想実現を手伝いたいのです!』

 

『・・・つまり、オレ個人の為に生きるのではなく、オレの思想のために生きる、そういうことか?』

 

『同じ理想を追いたい・・・それではいけませんか?』

 

使徒二人は沈黙した。自分たちはディアン・ケヒトという「男」に惹かれ、その使徒となった。だがソフィア・エディカーヌは、ディアン・ケヒトの持つ「思想」に惹かれている。ディアンは瞑目した。使徒は主人の為に生きる存在である。だがここで言う「主人」とは、様々な解釈の仕方がある。一人の男性としての主人なのか、思想家としての主人なのか、レイナやグラティナは前者、ソフィアは後者で、ディアンを主人とするのである。そうした使徒の在り方もあって良いのかもしれない・・・

 

『ソフィア、お前はいま、何歳だ?』

 

『え?あと二月ほどで、十八歳になりますが・・・』

 

『若いな・・・いま直ぐに、というわけにはいかん。レイナは十九で、ティナは二十でオレの使徒となった。あと一年は待つ必要がある』

 

『そ、それでは!』

 

『ターペ=エトフに戻ったら、もう一度考えてみろ。インドリト王や他の種族たちとも話をし、それでもお前の思いが揺るがないのであれば、オレの使徒に加える。それで良いな?』

 

ソフィアは嬉しそうに頷いた。ディアンは焚き火に木枝を焚べ、話を続けた。

 

『・・・良い機会だ。レイナやティナにも聞かせよう。オレが何者であり、何故、このような思想を持つに至ったのか・・・』

 

ディアンは静かに語り始めた。三人の使徒は、それを黙って聞き続けた。夜の帳が深まる中、火の爆ぜる音とともに、ディアンは自分の過去について語り続けた・・・

 

 

 

 

 

大禁忌地帯から南方に行くと、人間族の街「クシャ」がある。遥か千年前に、イルビット族たちが西方から逃れてきた時に、この集落に落ち着こうとして拒否をされたらしい。クシャは砂漠地帯に近い場所にあるが、北西にある濤泰湖から海へと流れる川沿いにあり、真水も湧き出している「オアシス都市」であった。北方は大禁忌地帯、南方は死の大砂漠、東は海、西は礫砂漠が広がっている。農業や畜産業が行われているが、他の地方や都市との交流は殆ど無いようだ。旅人自体が珍しく、街に入ったディアンたちは注目を浴びた。さっそく、酒場らしきとろこに入ると、店主がジロリと睨んできた。

 

『アンタら、どこから来たんだ?』

 

『オレたちは、西方出身者だ。東方の見聞をするために、旅をしている。北方にある龍國に入り、東方諸国を巡り、濤泰湖を渡って大禁忌地帯を抜けてきた。この街で宿を求めたいのだが、二階の部屋は貸しているのか?』

 

『凄いな。話半分だとしても、アンタらの様子を見れば、かなりの距離を旅してきたのはわかる』

 

店主は呆れたような表情を浮かべた。ディアンが数粒の黄金を机に置くと、店主は頷いた。どうやらこの街でも、金銀は貨幣の役割をするようである。

 

『ウチは宿屋じゃねぇが、部屋なら空いている。広い部屋と狭い部屋だがな。この集落には、宿なんかねぇよ。旅人自体が滅多に来ねぇんだ』

 

『広い部屋は、後ろにいる女三人に使わせてくれ。オレは狭い部屋で構わない』

 

店主は頷いて、部屋に案内をしてくれた。広い部屋には、寝台が二台置かれている。繋げれば三人がゆっくり眠れるだろう。狭い部屋は、寝台は無かった。小さな机と椅子があるだけである。

 

『ディアン、良いのか?私たちが寝台を使って・・・』

 

『構わん。オレはこっちの部屋で良い。別に寝なくても問題ないしな。大禁忌地帯の見聞録を書きたいと思う。三日ほど、この街に滞在しよう。その間に、大砂漠の情報を集める』

 

この街に酒場が少ないためか、夕方になると酒目当ての男たちが集まってきた。女たちは勿論、目立つ。だが閉鎖的な集落に見られるように、余所者を忌避する傾向が見られた。こういう時は、酒を奢るのが一番である。ディアンは宝石類を渡して、全員に酒を振る舞った。ターペ=エトフや龍國からの支援金は、かなりの額であったため、使い切れない程である。機嫌を良くした男たちに、ディアンは南方について質問をしていった。

 

『南の砂漠は、誰も近寄らねぇよ。何十年か前に、アンタらと同じように旅人が来て、砂漠に入ったって話を聞いたことがある』

 

『ヤミル爺さんの話だろ?あの爺さんは胡散臭いからな。眉唾だぜ?大昔に大戦争があって、そのせいで砂漠が出来たそうだ。行ったって、何にもねぇと思うけどな・・・』

 

『その「ヤミル爺さん」は、どこに住んでいるのだ?話を聞いてみたいのだが・・・』

 

『集落の外れで暮らしているよ。変わり者で、訳わからねぇ本を一冊、大事そうに抱えているんだ。見たこともねぇ字で、自分でも読めねぇクセに、四六時中読みふけってやがる』

 

ディアンの目が光った。その本に興味を持ったからだ。だが、話題を変えるために別の質問をした。集落の歴史や産業などを聞く。クセのある椰子酒に慣れた頃、店は閉店となった・・・

 

 

 

 

 

目の前に座る老人に、ディアンは丁寧に挨拶をした。老人は訝しげにディアンを見つめる。革袋から「カッサレの魔道書」を取り出す。

 

『私の師が書いた魔道書です。あなたも、同じ本を持っているのではありませんか?』

 

ヤミル老人は、手を震わせながら、ディアンから魔導書を受け取った。愛おしそうに表紙を撫でる。

 

『この魔道書の著者「ブレーアド・カッサレ」は、この大陸を旅し、各地にその足跡を残しています。もしブレアードに会ったことがあるのなら、当時の話を聞かせて頂けませんか?』

 

『ブレアードはどうしておる?もう死んだか?』

 

『・・・この地から遥か西方で、静かな眠りに就いています』

 

『もう何十年も昔の話じゃ・・・若かった儂は、この土地から外に出たいと熱望していた。砂漠や海に囲まれたこの地を抜け出し、広い世界を見たいと思っておった・・・そんな時に、二人の旅人がやってきた。四十ほどの魔道士と、その弟子であった。今のお主のように、世界を旅しているという空気を漂わせていた。まだ子供だった儂は、二人にくっついて歩き回ったものじゃ。魔道士は一見、取っ付き難そうに見えたが、優しい男であった。そんな魔道士を弟子は父親のように慕っておったな・・・』

 

『二人は、この集落から南の大砂漠に向かったと聞いたのですが・・・』

 

『二人は二週間ほど、この集落で準備をし、死の砂漠に入った。周りの大人たちは皆、反対をしていた。あの砂漠に入って、生きて戻った者はおらんかったからのう・・・じゃが、砂漠に入ってから二月後に、二人は戻ってきた。水を入れていた革袋に、何かを入れて持ち帰ってきたようじゃった。日に焼け、憔悴しておった。集落の者たちは大いに驚いた。砂漠で何を見たのか、二人に問い質した。じゃが二人は決して、語らなかった。「何も無かった」というだけじゃった。じゃが魔道士は、それから一月、この地に留まり、この書を書き上げた。それが、コレじゃ・・・』

 

ヤミル老人が差し出した魔道書を受け取る。紛れも無く、カッサレの魔道書(grimoire)である。角がスレ、紙には手垢の跡がある。数十年間の間に、何度も読もうとしたのだろう。ディアンは老人の許可を得て、その書を開いた。死の大砂漠での出来事が書かれていると思われたからだ。

 

『・・・儂は、何度もこの字を読もうとした。じゃがどうしても読めん。なぜ、あの魔道士がこの書を残していったのか、なぜ、読めない字で書いているのか、そしてあの砂漠に何があるのか・・・儂は知りたかった。儂は二人に、旅に連れて行ってくれるように懇願した。じゃが二人は、儂を置いて旅立ってしまった。結局、何も教えてくれなんだ。儂はこの地に縛り付けられ、老いていった・・・』

 

ディアンがパラパラと魔道書を捲る。そしてある一文で目が止まった。それはこれまでのブレアード暗号とは違う文字であった。ディアンは首を捻った。やがて、その文字の正体に気づいた。

 

『手鏡はありますか?』

 

老人の膝の上で、その頁を開く。手鏡に文字を映し出す。

 

『この字は「鏡文字」です。鏡に映しだすと、元の字になるのです。読めますか?』

 

老人の手が震えた。

 

・・・我が友、ヤミルよ。お前を置いて旅立つことは心苦しい。出来ればお前を連れて行きたい。だが、旅の第一歩は自らの足で踏み出すべきなのだ。「知りたい」という想いは、人は誰しも持つ。その想いを遂げるためには、強い情熱を持ち続けなければならない。大人になっても、それでもなお、世界を見たいのであれば、自分の足で踏み出しなさい。私は西方に向かう。縁があれば、出会うこともあるだろう。その時は、お前を弟子にしよう・・・

 

『当時のブレアードは、自分の研究で手一杯の状態でした。弟子の李甫はともかく、子供であったあなたを連れていくことは、出来なかったのでしょう』

 

『なんということじゃ・・・儂は、儂は・・・』

 

ヤミル老人の双眼から、涙が溢れだした。ディアンはヤミル老人の肩に手を置いた。

 

『ずっと、忸怩たる想いを持ち続けていらっしゃったのですね。慰めにならないかも知れませんが、私の知る限りのブレアードの足跡をお伝えします』

 

ディアンは語り始めた。落ち着いたヤミル老人は、時に笑い、時に涙を浮かべ、ディアンの話を聴き続けた。語り終わった時には、既に夕暮れになっていた・・・

 

 

 

 

 

『ディアン、死の大砂漠に入らなくても良いのか?』

 

馬に揺られながら、グラティナが聞いてきた。クシャの集落を出発し、西方の礫砂漠に向かう。ヤミル老人は、ディアンにカッサレの魔導書を渡した。

 

・・・有り難うよ。儂は結局、ここから出ることは出来なんだ。ずっと魔道士のせいにしていた。じゃが、それは儂が弱かったからじゃ。そのことをやっと認めることが出来た。儂の生は残り短いが、生まれ変わったらお主のような旅人になりたいものじゃ・・・

 

それがヤミル老人の最後の言葉であった。魔導書を受け取った翌日、ヤミル老人は寝台に横たわったまま、息を引き取った姿で見つかった。(わだかま)りが消えたためか、口元には笑みが浮かんでいた。簡単な葬儀の後、ヤミル老人は集落の外れに埋葬された。その後、ディアンたちは集落を出発したのであった。

 

『ブレアードが残した魔道書によると、彼は死の大砂漠で「化石」を見つけたそうだ。現神も古神も、神核を持つ神々が「化石」などになるはずがない。ブレアードも疑問に思って、持ち帰ったそうだ』

 

『それで?その化石は何だったのだ?』

 

『未知の化石もあったそうだが、ある化石は間違いなく「龍人族」だったそうだ。また人間族と思われる化石もあったらしい。となると、三神戦争とは、現神と古神だけの戦いでは無かったということになる。イアス=ステリナとネイ=ステリナの種族間闘争だったのかも知れん。ミカエラなら、三神戦争について何か知っているだろう。折を見て、彼女に聞いてみよう』

 

『・・・聞くだけじゃないでしょう?』

 

レイナがジロリとディアンを睨む。グラティナも横目でディアンを見ている。目が冷たい。水の巫女の時もそうだったが、どうも使徒たちは「嫉妬深い」ようである。こういう時は、話題を変えるのが一番だ。

 

『・・・タミル地方に行けば、黒龍族の行方について知ることが出来るかも知れん。インドリトと約束をした「二年」という期間もあるし、大砂漠の調査は別の機会にしよう』

 

『タミル地方は、香辛料の栽培が盛んだそうです。西方と東方の血が混じったような、独特の顔をした人たちが多いと聞いています』

 

ソフィアの助けによって、何とか使徒たちの「妬心」から逃げることが出来た。レイナとグラティナはお互いに頷き合い、ディアンを左右から挟みこむと太腿を抓った。肉が千切れるかと思うほどの痛みに耐え、ディアンは苦笑いを浮かべた。

 

 

 

 

 

タミル地方は、香辛料栽培が盛んで、各都市に都市国家が形成されている。その中の一つ、シュラヴァスティに立ち寄ったディアンたちは、そこで黒龍族の話を聞くことが出来た。

 

『十年ほど前だな。黒い龍が西の方を目指して飛んでいる姿を見た。それなりの数だったな。十か・・・いや二十はいたな』

 

『西方というと、北西の方か?』

 

『いや、真西だな。ちょうど夕暮れ時で、夕日に向かって飛んで行く姿が印象的だった。だからよく覚えている・・・』

 

『真西か・・・』

 

宿に戻ったディアンは、部屋でこれからについて話し合った。

 

『このまま北西に行けば、ニース地方からアヴァタール地方に入ることになる。だが、黒龍族が真西に向かったというのが気になる。ここから真西となると、ディジェネール地方か、その南のセテトリ地方になる。セテトリ地方には、黒龍族の聖地があると聞いたことがある。ひょっとしたら、そこを目指したのかも知れん』

 

『どうする?私たちも飛行して、真西を目指す?』

 

『え?』

 

ソフィアの顔が青くなる。ディアンは笑って首を振った。

 

『いや、折角の機会だ。ニース地方からディジェネール地方に入ろう。オレの恩人に挨拶をしておきたい』

 

『ディアンの恩人?龍人族の人ね』

 

『訳も分からず、森の中を彷徨っていたオレを救ってくれた。そればかりか剣や魔法を教えてくれた。オレが生きているのは、彼女のおかげだ』

 

『彼女?』

 

レイナとグラティナの眼が光る。藪蛇であった。ディアンは慌てて、話題を変えた。

 

『龍人族の長老なら、何か知っているかもしれない。必要なら、セテトリ地方まで行こう。ダカーハにしっかりと報告をする必要があるからな』

 

 

 

 

 

タミル地方を北西に抜け、ニース地方に入る。闇夜の眷属たちが多くなる土地だ。野営をして進むが、二度ほど盗賊に襲撃された。哀れな盗賊の末路は、言うまでもない。ニース地方を西に進み、ディジェネール地方に入る。原生林が広がる、亜人族たちの地帯だ。馬を降り、手綱を握る。ディアンは懐かしさに、心なしか歩を早めた。あれから十五年の歳月が流れている。リ・フィナやグリーデ、そして長老は元気にしているだろうか?見覚えのある川を超える。リ・フィナと最初に出会った場所だ。そこから南西に少し進む・・・

 

『着いたぞ!ここだ!』

 

森を抜け、龍人族の集落に入った。だが、ディアンが見たものは、弓と剣を握り、臨戦態勢のまま自分を取り囲む、大勢の龍人たちであった・・・

 

 

 




【次話予告】
次話は6月12日(日)22時アップ予定です。

懐かしい恩人たちへの挨拶の後、ディアンたちはセテトリ地方フェマ山脈にあるという、黒龍族の聖地を目指す。殺気立つ黒竜たちに、ダカーハの生存、そして李甫の「後悔」を伝える。そしてディアンは、黒竜族が護る「要石」の存在を知るのである。

戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵への途)~ 第四十六話「黒竜族の聖地」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・

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