テーブルに向けて怒りの籠ったジョッキが叩きつけられ、ビールの泡が僅かに飛び散る。
「ふざけんじゃねぇってんだよ!」
怒りの主はランタだ。
顔を赤くしながら、苛立ちを隠そうともしていない。
「お、落ち着いて、ジョッキが壊れちゃうよ」
「手加減してるっつうの! お前はどうなんだよ、モグゾー!」
「そりゃまあね」
「だろ! ハルヒロ、ユキト、お前らはどうなんだよ!」
「腹に据えかねてるものがあるっているのも無きにしも非ずだけど」
「ランタ、飲み過ぎだよ。この後の予定忘れてない?」
テーブルを囲む男子メンバーの話題の中心は新たにパーティに加わった神官メリィの事だ。
彼女が新たなメンバーとして加わり、すでに数日が経過しているにも関わらずパーティの状態は順調とは程遠いものだった。
メリィとの関係は出会った時と変わらない。
それどころかハッキリ言って非常に険悪である。
理由はいくつかある。
例えば回復について。
メリィは致命傷になりえるような大きな怪我でなければ、回復魔法を使わない。
これがマナトであればたとえかすり傷であろうとも、回復魔法を使って傷を癒してくれた。
その対応の違いが大きな溝の一つになっている。
メリィが何故そういう対応をするのかをきちんとみんなに話せば、そこまで揉めることもなかったかもしれない。
だが彼女は神官としての役目をこなす以外、誰とも話さない。
いや、話しかけるなオーラが出ている為、誰も迂闊に話しかけられないのだ。
一応ハルヒロやユキトは何度も声をかけているけど、もれなく冷たい視線が返ってきて、言葉に詰まってしまう。
そしてもう一つ、現在パーティの最大懸念事項。
それがユメとシホルだ。
メリィが加わって以降、全くと言っていいほど会話をしていない。
マナトの件やアナスタシアの事、そしてメリィ、彼女達に黙っている事が山ほどある。
その罪悪感もあって中々二人と話す切っ掛けがないのだ。
「で、お前はどうなんだよ、ユキト!」
「僕は……どうなんだろ?」
「ハァ!? なんだそりゃ!」
「何か理由があるのかもしれないし。メリィは……なんかさ、怯えてるように見える時があるんだよね」
「怯えてる? 何に?」
「前にさ、僕がちょっと大きな怪我したときあったよね? あの時、怪我した僕を見てメリィはこっちが驚くくらいに顔を蒼くしてた」
メリィが加わって少し経った頃、ダムローを探索していた時にホブゴブと遭遇してしまった事があった。
マナトの件もあり一旦退くことになったのだが、殿をしたユキトが結構大きな怪我をしてしまった。
出血は酷かったが怪我自体はそこまで大した事は無い。
しかしその時メリィが普段の態度から想像できない程に慌てて治癒してくれたのだ。
あの時、何かに怯えているような印象を受けた。
「けっ、あの女がそんな繊細なもんかよ! 気のせいだ、気のせい! お前やハルヒロは女に甘いんだよ!」
「じゃあこんな所で陰口叩いてないでランタが直接メリィに文句を言えよ」
「できるかァァ!! あの女、めちゃくちゃ怖いんだよ」
当然、ランタは何度もメリィに噛み付いているのだが、悉くあの冷たい視線と毒舌で返り討ちに合っている。
「あれってわざとじゃなかったんだ。ランタっててっきりMなのかと」
「んなわけあるかァァ! 俺は至ってノーマルだ! もしくは暗黒騎士らしくSだっつーの! ユキト、お前時々さらっと毒吐くよな」
「そう?」
「まあまあ、落ち着いて」
「それに本当のSってさ、バルバラ先生とかアナスタシア師匠みたいな人達だろ」
ハルヒロが疲れ切った表情でポツリと呟いた。
その名前を聞いてモグゾーもランタもゲッソリしたようにため息をついた。
アナスタシアと協力関係となった男子メンバーは訓練という名の地獄を毎晩味わっている。
鍛えようとしてくれているというのは分かっているのだが、いかんせん彼女はSっけが強く、全員が毎晩死にかけなのだ。
「とにかくパーティ内はこのままじゃ不味いよ。ユメ達と話しをしないと。……だけどその他、特にアナスタシア師匠に出会う事ができたのは結果的には良かったかも」
「そうだね」
確かに問題を抱えてはいる。
でも、目標を見失ってはいない。
それはアナスタシアのおかげだ。
毎日の訓練は厳しいものだが、それでも充実感がある。
もしも彼女の出会わなければ、目標を達成すべき道筋さえ見えず、途中で挫折していたかもしれない。
テーブルのジョッキからビールを流し込み、未だに慣れない苦みに顔を顰めていると、見た事がある顔が見えた。
「レンジ?」
「あ、ホント、レンジ達だ」
視線の先でテーブルを囲って居たのは同期のレンジ達だった。
「すごいね」
「うん」
隅っこにいる僕達とは違いカウンター近くの明るい席でテーブルを囲っている。
食べている物や飲み物もそうだが、明らかに装備が違う。
傍に立て掛けてある大剣も身につけている鎧も、随分高そうだ。
レンジだけではない。
仲間であるロンやアダチ達も皆がユキト達とは比べるまでもない程、良い装備を身につけている。
「アイツら俺達と同じ
ランタが呆然と呟いた。
気持ちは分かる。
同じスタートラインから始めた筈の同期にこうまざまざと差を見せつけられると、焦りが生じるのも当然だと思う。
でも―――
「レンジ達がどれだけ先に行こうと関係ない。僕達はやるべき事を一つずつこなしていくだけだよ。団章買う前にやることもあるし」
「そうだな」
「ケッ、ま、気にしてもしょうがねぇよな」
「うん。そろそろ行こう。アナスタシアさんが待ってるよ」
「ヤバ、遅刻でもしたら殺される!」
あの人はどこかルーズな印象を持ちながらも時間にはかなりうるさい。
もしも遅れようものなら、考えるだけでも恐ろしい目に合わされるだろう。
容易に想像できる悪夢の光景を身震いしながら振り払い慌てて身支度を整え、シェリーの酒場を飛び出した。
そのまま全力で走っているとランタが顔を蒼くして、遅れ始める。
「う、ちょっ、ま、きぼち悪くなってきた」
「お前、あれだけ飲み過ぎるなって言ってたのに!」
「しょうがないだ、うっ! うぅぅ」
「大丈夫!?」
モグゾーが道端に蹲ったランタの背中を優しくさする。
これでは走る事はできない。
「……これ遅刻確定じゃないかな」
「言うなよ。あんまり考えたくない」
ハルヒロトとユキトはお互いに憂鬱な気分のまま、ため息をついた。
◇
暗い夜の闇を照らす街の光。
その光に照らされた薄暗さが残る広場で金属音がぶつかる音が鳴り響く。
ユキトは何の躊躇いもなく、片手で握ったショートソードを振るう。
「ハァ!」
躊躇なく踏み込み、繰り出した袈裟懸けの一撃。
それを手で持った鞘付きの剣で難なく捌いたアナスタシアは剣を素早く、逆手に持ち替えユキトの腹を突く。
剣を横に寝かせどうにか防御するが、衝撃が剣越しに腹まで伝わってきた。
「ぐぅ!」
女性の細身から生じたとは思えない凄まじい衝撃に一瞬意識が飛びかける。
これで可能な限り手加減しているというのだから、背筋が凍るというものだ。
歯を食いしばって横に流し、上段より
「甘い」
「えっ」
渾身の一太刀だった。
その一撃を苦も無く弾き飛ばしたアナスタシアは剣を思い切り横薙ぎに払ってくる。
防御しようとするが間に合わず、受け身も取れないまま吹き飛ばされてしまった。
「グァ、ゲホ、ゲホ!」
地面を転がり、腹部の激痛に耐える為にその場に蹲る。
その様子を見て呆れながらアナスタシアがゆっくりと近づいてきた。
「全然ダメだな。一刀も碌に扱えない奴が、二刀を使いこなす事などできないぞ」
「す、すい、ません」
何とか意識を保ちながらも、片手で握ったショートソードを見つめる。
現在ユキトに対してアナスタシアから二刀禁止令が出されていた。
元々パーティの戦術の幅を広げるつもりで二刀を使い始めたのだが、アナスタシアに「まだ早い」と言われてしまったのだ。
一応これまでの経緯と自分の考えは伝えた。
その時に「じゃあ、モグゾーが戦えない、もしくは二刀で戦えない状態になった時どうするつもりだ?」と真顔で聞かれて反論できなかった。
確かに狭い建物や洞窟の中でモグゾーが負傷した時や神官が居ない場合。
さらにパーティが不測の事態で分断されてしまった時など、最悪の状況などいくらでもある。
その時、きちんと戦えると胸を張って言えるだろうか?
答えは先の戦闘を見れば一目瞭然。
一刀では戦う事ができない。
より正確にいうならば、一刀で戦う経験に乏しく上手く扱う事ができない。
「前にも言ったが二刀を使うなと言っている訳じゃない。二刀を使うなら、まずは一刀でも十分に戦えるようになってからにしろ」
「は、はい」
「次、ランタ」
「おす! おりゃあああ!!」
アナスタシアに向かって攻撃を仕掛けるランタの掛け声を聞きながら、仰向けに寝転がる。
考えるのはユメやシホル、メリィの事だ。
メリィはともかく近頃は二人とも全く話をしていない。
狩りから帰れば、そのままシェリーの酒場に向かい食事を済ませてアナスタシアとの訓練に向かう。
それが最近の行動パターンになっている。
狩りの途中でも話しかけるけど二人からは簡単な返答のみ。
たまに早い場合もあるけど訓練から帰ればほぼ深夜。
二人は寝静まっており、話をする暇がないのだ。
「やっぱり不味いよね、これってさ」
このままだとパーティ分裂って事もありうる。
色々言えないことができた事もあるけど、こっちが遠慮していたというのもある。
「本当に駄目だ」
ユキト達は何だかんだ言い訳して二人と話し合う機会から逃げていたのではないだろうか?
ハルヒロは慣れない役をこなしてかなり疲れているみたいだし、モグゾーや特にランタはこういった事には向かないだろう。
「……頑張って話してみよ」
考えが纏まったところで丁度、ランタが吹き飛ばされてきた。
「ぐあああ! 痛って!!」
「ハァ、進歩がないな、お前達は」
「「「すいません」」」
「戦いながらもっと敵の事を観察する癖をつけろ。どんな敵にも弱点のようなものはある。それが分かれば、戦闘も組み立てやすくなる。特にハルヒロ、リーダーであるお前は常に周りに気を配れ」
「う、はい」
現在、パーティを率いているのはハルヒロだ。
ハルヒロ的には遠慮したかったようだが、他に適任者が居なかったのだから仕方ない。
一応ユキトは何かあった時などにサブリーダーという形でハルヒロを支援する事にしたが、それも果たして上手くいくのか、不安である。
「基本、貴様らはまだまだ話にならん。もっと精進しろ」
「「「はい」」」
アナスタシアから相変わらずの酷評を頂くと、全員が項垂れた。
これでも少しは進歩しているものと思いたい。
「よし、休憩終わり、さあ続きだ。立て」
「え」
「い、いやいや。僕たちまだ立てないっていうか」
「それに俺今ボコられたばかり……」
「知らん、立て」
「ヒィ」
ニッコリ楽しそうな笑みを浮かべる、アナスタシア。
全員ただ震える事しかできず、結局、この日も碌に反撃も出来ないままボコボコにされ続ける事になった。
◇
「あ~身体中が痛いよ」
今日も今日とてアナスタシアにボコボコにされ、メリィを含む女性陣とは碌に話もできず。
聞くだけならまるで進歩がないように聞こえる。
「ハルヒロ達ももう寝てるし、僕も寝たいんだけど」
体の痛みと心的疲労も重なってユキトは中々寝付けなかった。
まあこっちの心的疲労なんてリーダーのハルヒロに比べれば微々たるものだろうが。
でも、やっぱり負けるというのは悔しいものだ。
最近気が付いたが、自分はどうやらかなりの負けず嫌いらしい。
前にレンジ達の姿を見た時もそうだ。
ランタにはああ言ったものの、本当はかなり悔しかった。
「まあ、今は負けてるけどいつか追いつけばいいし」
その悔しさ故か訓練にも身が入り、戦闘面ではようやく訓練の成果が出始めている。
というか、調子は悪くないと思う。
―――連携以外はだが。
義勇兵宿舎の廊下でため息をつきながら月を見上げる。
相変わらず不気味な雰囲気の赤い月だった。
見ていると憂鬱な気分が増してくる気さえする。
その時、部屋に戻ろうとしているユメと鉢合わせになった。
湯上りなのか、下ろした髪の毛が少し湿っている。
髪型が違うだけで随分雰囲気も変わるものだと思わず見とれてしまった。
「あ、ユメ。えっとシホルは?」
「部屋」
「あ、そう。あの少し話があるんだけど」
髪を拭きながら、無言で立ち止まるユメに思わず息を飲んだ。
ユメといえばパーティの中でも独特の空気を持ち、どんな時でも雰囲気を良くしてくれる明るい性格だ。
それが今は黙ってこっちを見ているだけ。
ユメとの間でこんな気まずい空気は初めてかもしれない。
「あの、ごめん」
黙っていても仕方ないと意を決して頭を下げた。
「なんでユキくんが謝るん? それともユメに謝るような事したん?」
「……いや、その、メリィを何も言わずにパーティに加えたし」
あの状況ではどうあっても必要な事だった。
そこは譲れない。
でも、二人に何も言わずに決めてしまった事だけは、少し後悔していた。
「それやったら誰が悪いん? ユキくんなん?」
「……うん。僕が悪いと思う」
勿論、一緒に決めたハルヒロ達も責任はある。
けど、少なくとも二人の事を考えながら話そうとも提案しなかった時点で自分は間違いなく悪いだろう。
「ちがうやろ……ちがうやんかぁ」
ユメは泣いていた。
髪を拭いていた布で顔を覆い、声を殺して泣いている。
その姿に自分でも驚くぐらいに動揺してしまった。
「ユ、ユメ!? あ、あの、な、なんで、ご、ごめん」
「何も分かってないやんかぁ。そんなんやから、そんなんやから、ユメ達こんな風になってしまったんやろ」
何にも分かっていない―――確かにそうかもしれない。
結局、ユメ達の事など何も分かっていない。
それじゃ駄目だと思って話そうとしても、こうして泣かせるばかりで何もできない。
でも―――
「……ごめん、ユメ。僕は確かに何も分かってないかもしれない。でも、みんなの事を仲間だと思ってる。だから―――」
「そのみんなやんか」
「えっ」
「こんな事になったんはみんなのせいやろ。ユキくんやハルくん、モグゾーやランタのせいやなくて、ユメやシホルのせいでもあるやんか。皆で、マナトくん入れて、七人で仲間やったやんか。そうやなかったん? ユメ、間違ってる?」
「……間違ってないよ」
ユメの言う事は正しい。
本当に何も分かってなかった。
いや、見えていなかったというのが正しい。
あの日の悪夢。
何もできなかった自分。
死んでしまったマナト。
その衝撃が大きすぎて、自分でも気がつかない内に視野が狭くなっていたのかもしれない。
七人で仲間、それが一番大切な事なのに。
マナトが居なくなって、アナスタシアとの出会いもあって、訓練ばかりにかまけていた。
その間ユメやシホルは何を考えていたのだろう?
酷い疎外感を覚えたのではないだろうか?
寂しかったのではないだろうか?
そんな事にも気がつかず、仲間の為と言いながら肝心の二人を放置して好き勝手にやっていたのだ。
本当、何も分かっていないと言われても反論の余地もない。
強い罪悪感に襲われながらも、思わず涙を流すユメを抱きしめた。
「ごめんね、ユメ。本当にユメの言う通りだ。僕は何も……分かってなかったよ」
「うぅ、うう」
ユメを抱きしめ、頭を撫でるとユメも僕の背中に手を回してきた。
どのくらいそうしていたの分からない。
気がつけばユメは泣きやんでおり、頭も冷静になっていた。
どうしよう。
思わず抱きしめてしまったけど、すぐに離れるべきか。
でも、ユメが離してくれないし、柔らかいし、いい匂いも―――
「ユキくん」
「ひぁい」
「ふぇ?」
動揺して思わず変な声が出てしまった。
「い、いや、何でもないよ。それで?」
「うん、ユメな、メリィちゃんの事とか色々頑張ってみる」
「それは願ったりというか、助かるけど」
「うん。でも、少し不安なんよ。メリィちゃん、ユメの事嫌いやろうし。前にも目があった時、すっごい冷たい目で見られてなぁ」
それはユメだけじゃないと思う。
何度か話しかけたが、同じように冷たい視線を返されるだけだった。
「ユメが嫌われてるなんて事は絶対にないよ。みんなもそう思ってる」
それは絶対だ。
皆の顔を見ていれば良く分かる。
どんな時でもパーティの雰囲気が暗くなりすぎないのは、間違いなくユメのお陰だ。
「でも、ランタとかいっつもユメの事、ちっぱいとか馬鹿にしてくるし」
「あれはランタの冗談というか、コミュニケーションみたいなもので……ユメは可愛いよ、胸もランタが言うほどというか、十分すぎるというか」
そう考えると今の状態と合わせておかしな気分になってくる。
気持ちを落ち着けようと、深呼吸しながらユメに悟られないように視線を逸らした。
「僕はいつもユメに助けられてる、今だってそうだよ。……それにさ、マナトも言ってたろ、いざという時、頼りになるのはユメだって」
「ユキくん、ありがとうな。もう少しこのままギュッとしてくれるかな? なんかすごい落ち着くんよ」
「えっ、う、うん」
笑顔のユメに思わず顔が赤くなってしまう。
いかん、ますます変な気分になってくる。
どうにかしないと色々不味いと考えたその時、気配を感じた僕は横に向くとそこには顔を赤くしたシホルが立っていた。
「あ」
「えっと、あの、あの、ごめんなさい!」
パニックに陥ったシホルはそのまま部屋まで走り去ってしまった。
見かけによらず素早い、言い訳する暇もなかった。
「えっと、同じ部屋やし、後でシホルと話しとくな」
「うん。そうしてくれる?」
抱き合っていたユメとの抱擁を解き、照れ隠しを誤魔化すために頭を掻いた。
ある意味助かった。
あのままでは非常に不味い事になっていただろう。
とにかくユメと話せただけでも十分だ。
今夜は疲れたしシホルとの話はまた今度にしよう。
そのままユメと別れて部屋に戻ろうとするが、そこでもう一つの懸念事項がある事に気が付いた。
アナスタシアの事を言うべきだろうか?
仲間である以上、できればもう隠し事はしたくない。
でも、ユメたちを危険な目に合わせる事もしたくない。
しかしこれからアナスタシアとの事をずっと隠し通せるとは思えなかった。
ならすべてではないがアナスタシアの事だけでも話しておいた方がいいかもしれない。
反ギルドとかの物騒な話はハルヒロ達と話し合って決めれば良い。
「あのさ、ユメ。実はもう一つユメ達に話したい事が―――」
その時、頭に突然、痛みが走った。
「ぐっ」
「ユキくん? だ、大丈夫?」
「う、うん。僕は平気で、ぐぅぅ」
あまりの激痛に思わず頭を押さえ蹲ってしまった。
「ユキく―――ッ!?」
気遣うようにしゃがみ込んだユメが驚いたようにユキトの顔を見つめている。
「……眼が紅い」
「え? ぐっ!!」
結局、それ以上ユメと話しをすることができず、痛みが去るのを待つように廊下でジッと蹲っていた。
◇
そこは何の変哲もない酒場。寂れてもいないが、人もそう多くはない。
それでも喧噪が止まないその場所でフードを被った人物が一人テーブルで酒を飲んでいた。
印象としてだけで言うなら不気味の一言に尽きる。
しかもただ不気味なだけではない。
どこか不穏な気配がある。
他の皆もそれに気が付いているのか、そこだけポッカリと穴が開いたように誰も近づく事はない。
それはそうだろう。
素顔も見えず、どんな奴かも分からないのだから。
そこに一人の男が酒場に足を踏み入れてくる。
恰好からして商人の類だろう。
その商人風の男はフードの人物と背中合わせになるように座ると酒を注文した。
誰しもが避けていた場所の近くに座った商人をその場にいた全員が注目する。
しかし一向に変化がないことを知ると自然と各々の会話に集中し始め、最後には誰も見なくなった。
その瞬間を見計らったように、商人が誰にも聞こえないようポツリと呟く。
「……仕事だ」
商人は折り畳んだ紙を後ろ手で差し出すと、フードの人物が素早く受け取る。
二人はそれ以上、何も言わずただ目の前にある酒を煽っていく。
そして何時しか二人の姿は誰も気が付かない内に消えさり、空になったジョッキだけがテーブルの上に残されていた。