灰と幻想のグリムガル 紅き眼のニ刀使い   作:kia

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第十五話 遭遇

 

 

 

 いつもの如く紅き月に照らされたオルタナの街。

 

 ユキトはいつも通りの訓練を終えた後、義勇兵宿舎の庭で鎧を着込んだままショートソードを振るっていた。

 

 「ハ!」

 

 剣を振るう度に風切り音が庭に響き渡る。

 

 狩りに夜の訓練と続け様に動いた後だから体に疲労は溜まっている。

 

 無理は禁物。

 

 故にゆっくり確実に型をなぞるように剣を振る。

 

 イメージするのは今日戦ったコボルトだ。

 

 素早い動きをいかに止め、致命傷を与えるか。

 

 それを考えつつ、イメージ通りに動けるようになるまで続けていく。

 

 「もっと速く、もっと正確に」

  

 少し剣速を上げ、柄を握る手に力を込めた。

 

 訓練に熱が込められようとした瞬間、それを阻む足音が聞こえてきた。

 

 「ユキト、また訓練してたのか?」

 

 近づいてきたのはハルヒロだ。

 

 いつも通りの眠そうな目をしながら、ゆっくりと歩いてきていた。  

 

 「ああ、ちょっとな。こんな夜遅くに呼び出してごめん、ハルヒロ」

 

 「いや、いいけどさ」

 

 どこか戸惑い気味に答える、ハルヒロ。

 

 呼び出された理由が分かっているのか、どこか気まずそうだった。

 

 「……それで話って?」

 

 「ここじゃ何だし、少し飲みに行こうよ」

 

 「え、おい」

 

 戸惑うハルヒロを強引に連れ出し、シェリーの酒場に顔を出す。

 

 もうすぐ閉店という時間からか店で飲んでいる客の数は少ない。

 

 それでも騒がしい奴は騒がしいらしく、下品な笑い声が響いてくる。

 

 「結構派手に騒いでるな」

 

 「絡まれないように避けて―――ん?」

 

 いつも座っている席に視線を向けるとその途中で気になる人物を見つけた。

 

 全身にローブのようなものを纏い、顔も分からない。

 

 いかにも胡散臭い人物だった。

 

 「ユキト?」

 

 「あ、いや、何でもない」

 

 何となくこちらを見ているような気がする。

 

 何故か嫌な予感が止まらない。

 

 しかしフードの人物が振り返る様子はなかった。 

 

 夜だし、ああいう人も居るのだろう。

 

 それに自分に戦い方を教えてくれた師匠だって、全身ローブに仮面をつけている有様だ。

 

 世の中には色々な人がいると言う事。

 

 無理やりそう言い聞かせたユキトはローブの人物から目を逸らし、隅の席に陣取るとビールを二つ注文する。

 

 「話っていうのは今日の狩りの事、ていうかランタの事だよ」

 

 主題は今日の狩りの件。

 

 この話をする為にわざわざ訓練が終わった後でハルヒロを呼び出していたのだ。

 

 それをハルヒロも分かっていたのか、動揺する事もなくため息をつく。

 

 「……やっぱそれか」

 

 「まあ。ランタは良くも悪くもいつも通りだったけど、ハルヒロは今日一段と余裕が無かった気がしたからね」

 

 その理由もおおよそ検討はついているが、ユキトからは何も言わない。

 

 ハルヒロから直接理由を聞きたかったからだ。

 

 悩んでいるなら出来る限り力になりたい。

 

 ハルヒロはしばらく俯いているとポツリと呟いた。

 

 「ユキトはランタの事どう思ってる?」

 

 「どうって、まあ思う所は色々あるけど仲間だろ」

 

 「……うん、俺もそれは分かってる。でも、こう何ていうかパーティの和というかさ、そういうのも考えて欲しいっていうか」

 

 「……あ~」

 

 その気持ちはわかる。

 

 何というかランタの空気の読めなさは確かに腹立たしい気持ちにはなる。

 

 率先してもめ事を起こしているのではと疑いたくなる事すらあるくらいだ。

 

 「それはまあ分かるけど」

 

 「俺だって頭ごなしにアイツだけが悪いとは言わないさ。でも……」

 

 ハルヒロは何か苦い苦しい思いを飲み込むように運ばれてきたビールを煽る。

 

 「だからランタは邪魔だと?」

 

 「そんな事はない。……ただ直す所は直してほしいというか。それが原因でまた……マナトみたいに、誰かが死んだりしたら俺は」

 

 やっぱりハルヒロの根底にあるものは、仲間を失うかもしれない恐怖とそして自分への自信のなさだ。

 

 どうにか自信を持ってもらいたいけど、多分これは指摘してもきっと治らないと思う。

 

 「……なるほど。でもあえて言うけどランタは僕達のパーティには必要だと思う」

 

 確かにランタには問題がある。

 

 それでもランタは自分達には必要だと断言できる。

 

 パーティメンバーは結成当初から良くも悪くもリーダーに寄り過ぎている。

 

 完全なイエスマンという訳ではないが、ほぼ全員が基本的にリーダーに意見するという事がない。

 

 マナトの時も。

 

 そして今、ハルヒロの時もだ。

 

 でもそれでは視野が狭くなり過ぎる。

 

 そういう意味でリーダーに対して遠慮なく意見が言えるランタの存在は必要不可欠だと思うのだ。 

 

 まあ、もう少し空気を読んでもらいたい時が多々あるのは事実だが。

 

 「……なあ、やっぱりさ、ユキトがリーダーになってくれないか? 俺がリーダーとか向いてないって」   

  

 「駄目だよ、それは。僕じゃみんなを引っ張っていく事は出来ない。パーティの中で適任者はハルヒロだけだ」

 

 「けどさ」

 

 「ハルヒロ、前も言ったけどフォローはするし、今回みたいな事があっても相談に乗る。ただ一つ言っておきたいのはマナトの真似をする必要はないって事」

 

 「え?」

 

 「ハルヒロはハルヒロなりのやり方で良いって事だよ」

 

 「簡単に言うなよな」

 

 愚痴を漏らした事で少し気分が変わったのか、いつも通りの雰囲気に戻ったハルヒロは苦笑しながらビールを飲む。

 

 それに合わせユキトもまたビールが注がれたジョッキに口を付けた。

 

 

 

 

 二人が話を終えシェリーの酒場を出たのは、随分遅い時間になってからだった。

 

 「結構、遅くなったな」

 

 「うん。明日も早いし、戻ろう」

 

 ビールは一杯しか飲んでいないし、酔いは全然回っていないけど朝は早い。

 

 寝不足は集中力を奪うし、致命的な隙になる場合もある。

 

 さっさと戻って休むのが吉だ。

 

 足早に義勇兵宿舎に向かって路地裏を歩く。

 

 相変わらずこの辺りは暗く、ゴミの散乱で道も汚い。

 

 袋に入れられ纏められているゴミはまだマシな方だ。

 

 設置された松明が無ければ、足元も見えず中身の入った酒瓶や捨てられた食べ物らしきものに蹴躓いていただろう。

 

 明りに照らされたゴミに顔を顰める。

 

 「相変わらず汚い場所だなぁ……ハルヒロ?」

 

 横を歩くハルヒロの顔が険しい事に気が付いた。

 

 明らかに様子がおかしい。

 

 何かあったのか、聞こうとするとハルヒロが口を開いた。

 

 「……つけられてる」

 

 「ッ!?」

 

 ユキトの中の緊張が一気に高まる。

 

 「……一体誰が」

 

 「さあ。面倒な事だけは確かだと思うけど」

 

 警戒を強めた二人の様子につけてきていた相手も気が付いたのか、あっさりと姿を見せる。

 

 物陰から姿を見せたのは、シェリーの酒場に居たローブを着込んだ人物だった。

 

 相変わらず性別すら分からない。

 

 しかし滲み出る殺気はこちらに向けられている。

 

 友好的な要件でない事だけは確かだった。

 

 「……俺達に何か用?」

 

 ローブの人物に問いかけるも、答えは返ってこない。

 

 不穏な空気だけが漂い、緊迫感だけが高まっていく。

 

 それに耐えきれず再びハルヒロが問いかけようとしたその時、事態は動いた。

 

 ローブの人物が腰を落とすと細剣を構えて突っ込んできたのだ。

 

 「ッ、速い!?」

 

 目にも止まらぬ速度で駆けるローブの人物。

 

 一足飛びで間合いに踏み込むと手に持った細剣でハルヒロに突きを放つ。

 

 「やらせるか!」

 

 反応できたのは普段からの弛まぬ訓練のお陰か。

 

 剣を構えていたユキトはギリギリのタイミングで割って入る事に成功。

 

 剣と剣が激突し、甲高い金属音が鳴り響いた。

 

 「ッ、一体、何者だよ!」

 

 殺意の籠った強烈な一撃に歯を食いしばって耐えながら、相手を問いただす。

 

 しかしフードの人物は質問には答えず、即座に追撃を仕掛けてくる。

 

 「くっ」

 

 再び繰り出される突きの一撃。

 

 反応も出来ないまま、刃が頬を掠めていく。

 

 不味い。

 

 止められない。

 

 咄嗟の判断で盾代わりに構えたのは剣の腹。

 

 眉間を捉えた鋭い一撃をどうにか受け流し、致命傷を避ける事に成功する。

 

 「くぅ」

 

 凄まじい速さだ。

 

 正直、防げたのが驚きな程である。

 

 しかし危機は終わらない。

 

 敵は腕を引き、さらなる追撃を仕掛けてきたからだ。

 

 「なら!」 

 

 剣で止められないと判断し、臆せず左拳を突き出し籠手に当てて刃を弾いた。

 

 相手にとっては予想外の行動だったのか、僅かに相手の体勢も崩せた。

 

 その隙に仕切り直そうとしたユキトは次の瞬間、驚愕する。

 

 ローブの人物は剣の弾かれた勢いに逆らわず、流れに身を任せるように体を捻ると右足を蹴り上げてきたのだ。

 

 「なっ!?」

 

 強烈な蹴りがユキトの右肩に直撃し、今度はこちらの体勢が崩されてしまう。

 

 「ぐぁ!!」

 

 「ユキト!」

 

 そんなユキトの隙を見逃す程、相手も甘くはない。

 

 即座に目にも止まらぬ追撃がすぐさま迫ってきた。

 

 蹴りを受けた右手は痺れて動かせない。

 

 しかし迷っている暇もなかった。

 

 故にユキトを突き動かしたのは単純な反射。

 

 日頃の訓練の賜物。

 

 飛んできた剣閃を咄嗟に左手に持ち替えたショートソードをぶつけて防ぐ。

 

 「速、すぎ、だろ!」

 

 目にも止まらぬとはこういう事か。

 

 事前に剣を構えてなければ、抜刀する事すら難しかったかもしれない。

 

 ユキトは我武者羅に剣を振るいどうにか剣戟を受け止め続ける。

 

 だがそれすらも関係ないとばかりに再び剣閃が放たれた。

 

 「ぐぅ」

 

 繰り返される攻防。

 

 しかしそれも防ぎきれない一撃が籠手や鎧に細かい傷を刻み、徐々に劣勢へとユキトを追い込んでいく。

 

 それでもと必死に相手に食らいつくが、このままではジリ貧だ。

 

 ユキトは防戦一方であり、反撃の糸口すら見つけられない。

 

 「……こいつ!」

 

 とんでもない使い手だった。

 

 実力はユキトなどとは比べ物にならない程に格上。

 

 力こそあまり変わらないものの速度は桁違いに速い。

 

 さらに一撃一撃が正確に急所を狙ってくる。 

 

 その正確さと速度はあまりに脅威。

 

 こうして持ちこたえられているのは動きが限定される狭い路地裏である事。

 

 そして毎晩行っている訓練の成果が出ている事に加え、防戦に徹しているからだ。 

 

 だがそれも長くは持たない。

 

 そもそも根本的な実力が違うのだから当然だろう。

 

 「くっ、どうすれば!」

 

 焦りが隙を生み細剣の一撃がユキトの肩を掠め、再び体勢を大きく崩してしまった。

 

 「しま――」

 

 確実に死をもたらす一撃。

 

 避ける事は出来ない。

 

 冷たい剣の切っ先がユキトの急所に突き刺さろうとした瞬間、今度はダガーを構えたハルヒロが割り込んできた。   

 

 細剣を得意の蠅叩き(スワット)で弾き飛ばすと手に持った石を投げつける。

 

 「この!」

 

 だが奇襲染みた一投にも拘わらずフードの人物は首を横に逸らすのみで回避して見せた。

 

 「嘘!?」

 

 「あの位置から避けるのか!?」

 

 驚きの反応と言わざる得ない。

 

 それとも初めから予測していたのか?

 

 どちらにせよこれ以上の戦闘は得策じゃない。

 

 実力的に万に一つの勝ち目もないのだ。

 

 「……ユキト、俺が合図したら走れ」

 

 「え?」

 

 ハルヒロは拾った酒瓶をローブを着た人物へ投げつける。 

 

 酒瓶から残っていた中身がばら撒かれた。

 

 そしていつの間にか持っていた松明の火を掲げる。

 

 思いっきりアルコールを浴びた敵は明らかに怯んだ。

 

 あの状態で火を付けられたら一気にローブは燃え上がるだろう。 

 

 それを危惧したのか敵は徐々に距離を取り始める。 

 

 ハルヒロはその隙を見逃さず、傍にあったゴミ袋を蹴り上げ叫んだ。 

 

 「走れ!」

 

 蹴り上げられたゴミ袋が敵の視界を塞いだ隙に二人は脇目も振らずに走り出した。

 

 狭い裏路地を全力疾走。

 

 とにかく走る。

 

 ここに来て僅か一杯のビールが効いてくるが、どうにか堪えつつ走り続けていく。

 

 「何なんだ、アレ!」

 

 「知らない! 師匠が言ってた反ギルドの連中かもな!」

 

 角を曲がり、目指すは少しでも人が居る方向だ。

 

 いくら何でも人前で襲い掛かってくる事はないだろう。

 

 「それにしてもやっぱり流石だよ」

 

 「何が?」

 

 「さっきの事だよ。咄嗟の判断力に観察力。やっぱりリーダーはハルヒロしかいない」

 

 「煽てるなよ。偶然だって」

 

 「そんな事はない。僕は君を信じてる」

 

 ハルヒロは大きくため息をつくと、頭を掻いた。

 

 そう簡単に自分の事を評価できれば苦労はないと言わんばかりだ。

 

 しかしこれ以上言う事はない。

 

 後はハルヒロが自分でどうにか答えを出す以外にないのだ。

 

 だから何も言わずに黙って走る。

 

 何故ならユキトはハルヒロを信じているのだから。

 

 

 

 

 結局、追撃される事もなく義勇兵宿舎までたどり着いた二人は部屋に駆け込み装備一式を装着してしばらく外で警戒していた。

 

 しかしフードの人物が現れる事は無かった。

 

 拍子抜けしたように顔を見合わせたが、正直助かった。

 

 あいつとまともに戦っても勝ち目はないからだ。

 

 まあ、意図せず夜中に叩き起こす羽目になった他の仲間達からはしつこく詰問される羽目になったのだが。

 

 「たく、お前らの所為で変に寝不足だっつーの!」

 

 「悪かったって何度も謝っただろ、ランタ」

 

 「誠意って奴が感じられないんだよ」

 

 「性格悪いなぁ、ランタ」

 

 「……いつもの事だけど」

 

 「うっせーんだよ!」

 

 女性陣からの冷たい視線もなんのその。

 

 ブーブーと文句を垂れるランタの声を聞き流し、サイリン鉱山の坑道を警戒しながら歩いていく。

 

 パーティ全体から滲み出ていた緊張も昨日に比べれば随分マシになっていた。

 

 これならば今日はもう少し先に進む事もできるだろう。

 

 そんな楽観とも取れる考えだったユキトはすぐにそれが間違いだったと気が付いた。

 

 「み、皆」

 

 敵を見つけ偵察に行っていたハルヒロが何故か焦った表情で戻ってくる。

 

 その青ざめた表情からも何かあった事は一目瞭然だった。

 

 「どうしたの?」

 

 「……いた」

 

 「何が?」

 

 「死の斑……デットスポットがこの先にいた」

 

 ハルヒロの報告に全員の顔が強張った。

 

 サイリン鉱山で最も危険な敵。

 

 それがこの先にいた?

 

 もしも何も気が付かずに進んでいたならば――

 

 背中に冷や汗が流れる。

 

 「……此処を離れた方が良い。下に行く為の井戸は他にも何か所かあるから、そっちへ」  

 

 メリィの意見に皆からの反論はない。

 

 ランタだけは何時もの如く空気の読めない軽口を叩いていたが、誰一人反応できない。

 

 先ほどまでの余裕のある空気は何処かへと消え失せてしまっていた。

 

 

 

 

 

 オルタナという街はそこに住まう住人が思う以上に広い街である。

 

 住宅街。

 

 様々な商店が立ち並ぶ商店街。

 

 義勇兵宿舎や辺境軍の詰め所。

 

 そしてオルタナ幾つか点在する治安の悪い区画。

 

 最前線から近く日々変化するこの街を正確に把握している者など誰もいない。

 

 そんなオルタナの一画に存在するボロボロになった一軒の家の地下室。

 

 地下室はかなり広い空間を持ちその中央には小さなテーブルと僅かな光を発するランプが置かれている。

 

 そこに数名の人が集まっていた。

 

 暗がり故にお互いの顔も見えないが、集まった面々はそんな事は気にしない。

 

 構わず口を開いた人物は野太い声を発した。 

 

 「なるほど。ま、ギルドの動きは良く分かった。だがなそれとこれとは話が別だぜ、ジュンヤ。勝手な行動を取るってのはどういう事だ?」

 

 テーブルの中央に立つ男が丁度対面に立つフードの人物―――ジュンヤを威圧する。

 

 怒りはおろか殺気すら籠った声。

 

 返答を間違えれば即殺されてしまうだろう。

 

 だが並みの人間であれば卒倒しかねない威圧感を前にジュンヤは特に表情を崩す事無く淡々と答えた。

 

 「別に。偶々アナスタシアの血族を仕留める機会があったから、仕掛けただけだ」

 

 「理由になってねーよ。仮にその言い分を認めたとしても、成果なしじゃ流石に見逃す事もできねぇな」

 

 確かに独断行動を取って失敗しましたでは話にならない。

 

 ただでさえ最近はギルド側もこちらを警戒しており、動きづらくなっているのだ。

 

 独断行動の挙句ギルド側にこちらの動きを掴まれましたなんて冗談にもなりはしない。

 

 男の殺気はピークに達し、手元に置いていた自身の獲物を構えた。

 

 そしてジュンヤもただ殺されるつもりはないと腰の細剣の柄に手を添える。

 

 一触即発。

 

 今にも狭い部屋の中で凄惨な殺し合いが始まろうとしたその時、殺伐としたこの場にそぐわない凛とした声が全員の動きを制止した。

 

 「待ちなさい。こんな場所で殺し合うつもりかしら」

 

 全員が入口を振り返ればいつの間にか美しい女性が立っている。

 

 その女性は黒い長髪を靡かせ、黒いドレスに身を包んでいた。

 

 確かに美しい。

 

 しかし見つめる目は氷のように冷たく、身に纏う殺気はこの場にいる誰よりも濃厚なもの。

 

 さらに立ち振る舞いに一部の隙もなく、彼女もまた尋常な使い手ではない事は一目瞭然だった。

 

 「落ち着きなさい、マジード。ここで暴れればそれこそギルドの連中に嗅ぎつけられかねない」

 

 殺気を放っていた男―――マジードは怒りを噛み殺すように拳を強く握りしめるとゆっくり獲物から手を引く。

 

 しかしジュンヤは細剣の柄から手を離せずにいた。

 

 目の前の女の危険性を良く知っていたからだ。

 

 「ジュンヤ、貴方もよ。いい加減に武器から手を放しなさい」

 

 何気ない一言。

 

 しかし心臓を鷲掴みにされたような恐怖感にジュンヤは指一本も動かせない。

 

 「おめぇの所為だろ。普段から脅かし過ぎで動けないんじゃねーのかよ、グローア」

 

 「私は何もしてないけれど」

 

 黒衣の女性グローアが視線を逸らすと感じていた恐怖感が薄らぎジュンヤは思わず膝をついてしまった。

 

 そんなジュンヤを全員が見下し、同時に嘲笑したように口元をつり上げる。

 

 「くっ、ハァ、ハァ」

 

 「ハ、粋がろうが所詮は餓鬼か。これに懲りたら勝手な行動は慎めよ」

 

 「そうね。今回は見逃しましょう。でもこれ以上勝手な事をし続けるようであれば制裁も覚悟しておきなさい」

 

 思わず二人を睨みつけるがここは従う他に道はない。

 

 膝をつき小さくコクリと頷いたジュンヤの

 

 はっきり言って屈辱だった。

 

 だが暴れ回ってどうにか出来ると思う程ジュンヤも馬鹿ではない。

 

 マジードはまだしも、グローアは別格。

 

 あのアナスタシアやアラディナと同類の化け物だ。

 

 今、戦うなど無謀もいいところ。

 

 そんな浅慮に走ればたちまち自分は殺されてしまう。

 

 「力がまだ足りない……そしてあいつら」

 

 結局の所、自分自身の力不足、そして奴らを仕留めきれなかった事こそが原因だ。

 

 ああ、確かに過小評価しすぎていたきらいはある。

 

 そして同時に奴らが思った以上の実力を秘めていたのも事実。

 

 「だが次はない。必ず殺してやる」

 

 膝をつき首を垂れる自分に浴びせられる嘲笑。

 

 その屈辱に耐えながらジュンヤは誰にも気づかれぬよう殺意という刃を研いでいった。


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