初めてそれを目にした時、感じたものは強い違和感だった。
陽が沈み、空を見上げる。
するとそこには憎らしいほどに輝く月がいつも街全体を照らしていた。
それだけならば、別段不思議もないのだろうが―――問題はその光。
空に浮かぶその月は赤く光を発しているのである。
少なくとも赤い月なんてここに来るまで見たことなど無かった筈。
何も覚えていないのに、何故だかその事だけは覚えていた。
「ユキト、左から来るぞ!」
聞こえてきた声に我に返ると両手で握った二刀を強く握り締め、前傾姿勢から一気に駆けだした。
上段から大ぶりで剣を振り下ろそうとしている敵はこちらの動きについてこれていない。
やれると確信すると速度を落とさず、懐に飛び込んだ。
「ウォォォォ!!」
頭上の敵から雄たけびが上がる。
初陣の頃の自分なら竦み上がっていただろうその雄たけびも、今となっては死の直前に放った屈辱の悲鳴にしか聞こえない。
剣撃が振るわれる前に一閃、横薙ぎに振るった剣が肉に深く食い込んだ。
肉を斬る感触が手に伝わってくる。
確かな手ごたえを感じ取りながら力を込めて一気に振り抜くと腹が大きく裂かれ大量の血が噴き出した。
その一撃は間違いなく致命傷。
証拠に敵はズドンと大きな音を立てて倒れ込んだ。
「よし、次!」
足を止めない。
共に闘う仲間と連携を取りながら、周囲の敵を駆逐していく。
そこは戦場。
デッドヘッド監視砦と呼ばれる場所で周りにはオークと呼ばれる敵が溢れている。
今、自分達はこの死地で命を懸けた戦闘に身を置いていた。
怒声の響く砦の中を駆け抜ける。
その周りには敵味方問わず死体が溢れ、それを物ともせずに未だ群がる敵がこちらに向かって突撃してくる。
目は血走り、息は荒く、明らかにこちらを殺してやるとばかりに怒気を漲らせていた。
「上等だぜぇぇぇぇ!!」
「あまり突っ込みすぎるなよ!!」
ボロボロになりながらも戦意は衰えず、仲間の一人が突っ込んでいく。
同時に響く轟音。
仲間に続くように走る僕は響いてくる音の元凶を確かめる為に横目でその中心を見た。
そこには圧倒的な力を持って猛威を振るう二人の怪物がいた。
「「ハアアアアア!!」」
二人の扱う獲物が激突し、その度に凄まじい音と共に衝撃が巻き起こる。
それは一種の結界のように突風を発生させ、他の者達を寄せ付けない。
不用意に近づけば、それだけで命を奪われてしまう。
別次元の戦いを繰り広げている二人は驚く事に美しい女性だった。
身につけている軽装を靡かせ、相手の首を取らんと殺意の刃をぶつけ合う。
扱う獲物も戦い方もまるで違う二人だったが、共通している部分もある。
眼だ。
その眼は離れているにも関わらず、紅く煌めいている。
まるで最初に見た、あの赤い月のように。
「ユキト!」
「分かってる!」
余計な考えを振り捨て、戦闘に集中する。
自分のその眼もまた紅く光を発していた。
◇
此処にたどり着いて何日経ったのだろうか。
ユキトの覚えている一番古い記憶はここ『グリムガル』と呼ばれる世界に存在するこの街、『オルタナ』にたどり着いたところだったりする。
―――
最初にそんな声を聞いた気がする。
「……ここは」
ゆっくりと瞼を開けると、周囲は何も見えない真っ暗闇。
いや、僅かだが明かりが見えるがそれは本当に僅かなものであり、周囲が見渡せる程ではない。
せめて何か様子が分かるものでもないかと、周囲に手を這わすと何かゴツゴツした感触が伝わってきた。
細かい砂と小石のようなもの。
息苦しさと横の岩壁。
ここは洞窟のような場所らしい。
そのまま周囲を探っていると、何か動くような気配がした。
そして―――
「もしかして誰かいる?」
恐る恐るといった感じで声が聞こえてくる。
声色からして同年代くらいの男だろう。
「うん、いるけど」
「こっちにもいます」
「ああ」
「何人いるんだ?」
「ここ何処なんだよ?」
自分が返事をしたのを皮切りに次々に声が上がる。
どうやら複数の人がこの場所に居たらしい。
正直どうしようかと思ったけど、一人じゃなかったのが幸いだった。
しかし問題が解決した訳ではない。
むしろ問題はここからだった。
何故なら僕はユキトという自分の名前以外何も覚えていない事に気がついたからだ。
何故ここに居るのか?
前はどこに居たのか?
自分は一体誰なのか?
思い出そうとするが欠片も浮かんでくるものがない。
それは僕だけではなかった。
他の皆も同じで他に何も覚えていなかったのである。
「どうすんだよ、これ?」
「ここに居ても仕方ない」
男の一人が立ち上がる気配と共にゆっくり歩き出す音が聞こえた。
どうやら壁を伝って明かりが続いている方向へ向かうつもりのようだ。
確かにこんな場所で座り込んでいても何も分からない。
最初に歩き出した男の後を追う為に立ち上がると他の者たちもついてくる気配がした。
皆で一緒に壁伝いに外へと出る。
外には見たこともない街と不気味に光る赤い月が見えた。
もちろん見覚えなど全くない、というか違和感しかない。
不気味な寒気すら走る。
「あれって街だよな? 見覚えある奴いるか?」
「いや、僕は知らない」
「俺もだな」
自分達のいた場所を確認しようと振り返る。
そこには高い塔のような建物がそそり立っていた。
勿論それにも見覚えなどない。
しかしどうやら僕達は小さな丘の上に建っている塔の中に居たらしい事は分かった。
目の間に広がる全く見覚えのない街と赤く光る月にそそり立つ塔。
そこがどこかも分からず途方に暮れていると突然ツインテールの女が前に飛び出してきた。
「どーもーようこそ、『グリムガル』へ。案内役を務めるひよむーですよ!!」
「は?」
「なんだお前?」
先頭に立っていたギャングのような男が鋭い視線で威圧する。
ひよむーと名乗った女性はビビッたのか、すぐに塔の陰に顔を引っ込めてしまった。
「怖いですねぇ。あの、話を進めたいのですがぁ、いいですかぁ?」
「ムカつく話し方をする奴だな。さっさとしろよ」
丸刈りの男がイラついたように怒りを込めた視線で睨みつけると、ひよむーは怯えたように身をすくめる。
「怒らないで下さいよぉ。とりあえずお仕事させてもらいますねぇ。皆さん、私に付いてきてください」
何の説明もせず歩き出すひよむーの後をギャング風の男を先頭にして歩き出す。
ひよむーが何者なのか分からないまま付いて行く事は少々迂闊とも思えた。
だけど生憎当てもない状況だ。
少しでも現状を知る為には付いて行く他なかった。
丘から下るように麓に向かって歩みを進めていくと、街の入口に辿りつく。
「ここが『オルタナ』の街ですよ。さ、このままついて来てくださいねぇ」
ひよむーの後について歩き、石造りの家が立ち並ぶ区域を抜けた先にある建物の前に立った。
「ようやく到着しました、ここがオルタナ辺境軍義勇兵団レッドムーンの事務所ですよー!!」
案内されるままレッドムーンの事務所の中に入るとひよむーは「じゃ、ブリちゃん、後はよろしくー!」と出て行ってしまった。
残されたユキト達はカウンターからこちらを見ているブリちゃんとやらの方へ視線を向ける。
何かこのブリちゃんって人はどうも変な感じがする。
間違いなく男なのだが、やたら化粧が濃く、仕草もどことなく女性的なものを意識している。
もしかすると、この人は所謂―――
「ふ~ん、こちらにいらっしゃい子猫ちゃん達。私はブリトニー、当オルタナ辺境軍義勇兵団レッドムーンの事務所の所長兼ホストよ。呼ぶときは所長かブリちゃんで!」
気味の悪いウインクに僕は若干、いやかなりドン引きしてしまった。
要するにこのブリトニーなる人物はオカマという奴なのだろう。
ほぼ全員が同じ感想を抱いたらしい。
だけどギャングのような男だけは怯まずブリトニーの傍に寄って行く。
「所長、ここがオルタナと呼ばれる街なのは分かった。しかしその辺境軍だの義勇兵というのは何のことだ? そもそも俺達は何故ここに居る?」
「威勢がいいわねぇ。嫌いじゃないわよ 貴方みたいな子。名前は?」
「レンジだ。俺はあんたみたいなオカマは好きじゃないんだよ」
「そう」
ブリトニーが不気味な薄い笑みを浮かべ何かを振り上げる仕草をしたようにみえた。
その瞬間、レンジの前にナイフが突きつけられていた。
「一つ教えてあげる。私をオカマ呼ばわりして長生きした奴はいないわ。アンタならこの意味がわかるんじゃない、レンジ?」
「そうだな。長生きしたい訳じゃないが、脅されて従うのは性に合わないな」
驚くことにレンジはナイフを素手で掴み、一歩も引く事無くブリトニーと睨みあっている。
当然、手からは血が滴り落ちている訳だがそれを一切気にしていない。
ブリトニーは初めからまともとは思えなかったがこのレンジも結構な度胸をしているらしい。
「ふふ、ま、それは今度ゆっくりとね。それよりも仕事の話をしましょうか」
ナイフに着いた血を拭い、ブリトニーは笑みを湛えながら何事もなかったように語り出した。
ブリトニーの話を聞いたユキト達が突きつけられた選択肢は二つ。
義勇兵見習いになるか、否かだ。
義勇兵というのは端的に言ってしまえば、モンスターたちと戦いオルタナの街を守る者たちの事。
ここ『オルタナ』はアラバキア王国に属する街で現在この国では敵対種族と戦争状態にある。
防衛拠点である『オルタナ』は辺境軍と呼ばれる軍隊が守っているらしい。
だが彼らは侵攻してくるモンスターと戦う最前線を支えるので精一杯。
だから彼らが街を守っている間に、周辺に存在する敵対種族やモンスター達を討伐するというのが義勇兵の仕事らしい。
「で、どうする? 別に義勇兵にならなくてもいいけど?」
ブリトニーが意地の悪い笑みを浮かべて僕たちを見ている。
「具体的に何からすればいいんだ?」
「あら、がっかりさせないでね、レンジ。ここから自分を生かすのは、才覚と独自の判断、己の技量のみよ」
「なるほど。つまり何をすべきか自分で情報を収集し、判断しろと。それが義勇兵の流儀って訳だ」
「その通り」
ブリトニーはカウンターの上に革袋と硬貨のような物を人数分置いた。
三日月のような模様が浮かび上がった硬貨のような物が見習い義勇兵の身分証であり、革袋の方にお金が入っているらしい。
「銀貨二十枚。つまり二十シルバーでアタシから団章を買うと見習い卒業。一人前の義勇兵として認められるわ。ま、自分で調べろって言ったけど、まずは一人前の義勇兵になる事を目標にしてみたらどうかしら」
「なるほどな」
レンジは躊躇いなく革袋を掴むと丸刈りの男が続く。
そしてユキトもまたすぐさま革袋を手に取った。
無論、義勇兵にならないという選択もできた。
ただし、そうするとすべて自分の力のみでこれから生きてゆかねばならない。
それは義勇兵も同じことなのだが、義勇兵見習いになれば銀貨十枚、つまり十シルバーお金がもらえる特典が付いている。
記憶も知識も無い。
頼れる人もいない。
さらにお金もない。
となれば選択の余地はなかった。
その証拠に躊躇う者はいても、義勇兵見習いにならなかった奴は一人もいなかった。
すべての説明と言えるのかどうかは分からないけどやる事が明確になった後に待っていたのは憂鬱なチーム別けだった。
今までがどうだったかは覚えてないが、とても社交的とは呼べない性格である事は自分で分かる。
多分、余るなぁとか思っていたら案の定。
レンジは丸刈りの男ロンとアダチ、チビちゃん(本名不詳)、サッサと言った自分が選んだ人間だけ連れてさっさと街の中へ消えてしまった。
「……どうする、ユキト?」
隣に立っていた眠そうな目をした同い年くらい少年ハルヒロが声をかけてきた。
「えっと」
どうするも何も、どうしようも無い。
所長もレンジに対してすべては自分達でなんとかしろと言っていた。
情報を集める事も、これからの指針を立てる事も、すべて自分でやるのが義勇兵の流儀であると。
何でもかんでもお膳立てしてもらえると思うなという事だ。
とりあえず、レッドムーンの前に残ったハルヒロ以外の人を見渡す。
ハルヒロを除きそこに居るのは、むすっとこちらを見ている天パのランタ、ニコニコしているおさげの子ユメ、恥ずかしそうに俯いているシホルの三人だけ。
先程まで一緒だった年上と思われる青年マナトは「少し待ってて」と別の方向へ出て行った。
近くに立っていた大きな体を持つモグゾーはクズオカと名乗る義勇兵に連れて行かれてしまった。
駄目だ。
自分が言えた義理ではないが、リーダー的に頼れる人は誰もいない。
「……とにかく情報かな。団章を買う為にお金も稼がないといけないし」
自分達はあくまでも見習い。
正式な義勇兵と認められるには団章を買う必要がある。
所長もまず正式な義勇兵になる事を目標にしてみろと言っていた。
別に義勇兵にこだわりがある訳ではないが、今は他に目標もない。
それに正式な義勇兵になれば、情報も集めやすいし今よりは現状も把握しやすくなる筈だ。
そんなユキトの提案に座り込んでいたランタが口を開いた。
「あてはあんのかよ?」
「そんなのある訳ないよ」
「何だよ、駄目駄目だなぁ、ユキトは」
「じゃ、ランタは何かあてはあるの?」
「無い!」
きっぱりと言い切るランタに皆が呆れたように視線を向ける。
何でそんな自信満々なんだろうか?
そこで不安そうに俯いていたシホルが顔を覆ってしゃくり上げ泣きだしてしまった。
「ど、どうしたの?」
「ご、ごめんなさい。急に不安になって」
それもそうだ。
こんな状況で不安にならない方がおかしい。
特にシホルは大人しそうな性格をしているようだし、なおの事だろう。
「えと、大丈夫だよ、僕達が何か聞いてくるからさ。ね、ハルヒロ」
「えっ、あ、うん」
二人揃って碌な言葉も出てこないとは、情けない。
でもこれが精一杯なのだ。
「……あの、ありがとう」
シホルは涙を拭くとぎこちないながらも笑ってくれた。
「ホントにいいん?」
「うん、ユメ達はここで待ってて」
「よーし、じゃお前らに任せたからな!」
「ランタは来ないの?」
「言いだしっぺはお前だろ。物事ってのはそういうもんだ。お前は情報を探してくる係、俺はここで待ってる係だ」
「清々しいまでに他人任せだな」
「爽やかだろ」
ハルヒロは「すげーむかつく」とぼやいていたがランタにこれ以上何を言っても無駄のようだ。
ユキトはハルヒロと今だ何かを言っているランタを置いて一緒に歩き出すが、初めに言っていた通り当てなど全くない。
「えと、義勇兵の人を見つけて話を聞けばいいかな?」
「教えてくれればいいけど。でもどこにいるのか解らないし」
人通りに多い所にいるとは思うが、道を歩いていてもこういう時に限ってそれらしい人は見つからない。
「こういう時ってさ。酒場とかに行けばいいんじゃない。定番でしょ」
「ああ。そうだよなって、定番って何の定番なの、ユキト?」
「えっ」
ハルヒロに言われて思わず固まってしまった。
そういえばそうだ。
何の定番なんだろう?
何も覚えていない筈なのに、たまにこうして何か自然と口にする事があるのが不思議だった。
「何なんだっけ?」
「まあとにかくそれらしい方へ行ってみようか」
「うん」
歩いていて見つけた美味しそうな肉の串焼きを売っている露天でオルタナで使われている硬貨の話を聞き、両替と金の預かりも行っているヨロズ預かり商会の事を教えてもらった。
とりあえず串焼きにかぶり付く。
「旨い」
串焼きがとにかく美味しい。
ハルヒロと一緒にそのヨロズ預かり商会へ行く道を歩いていると、ユキトの耳に何かが聞こえてきた。
「え、何?」
綺麗な声だ。
前を歩くハルヒロに何も言わず、思わずつられるようにそちらの方へ歩き出すと何かの店の前に辿りついた。
店の前に立てかけられた看板を見ると酒の絵が描かれている。
そここそがユキトが探していた酒場であった。
「聞こえてくるのは……歌かな?」
綺麗な歌だった。
心に響いてくるかのような、引きつけられる感じがする。
「……でも何か嫌な感じが」
ユキトは歌は気になるが、何故か中に入る勇気が湧かずゆっくりと入口から覗き込む。
覗きこんだ店の中は様々な客で溢れている。
それこそ屈強な男から踊り子のような軽装の女性まで多種多様だ。
しかしその全員が何もしゃべる事無く黙って、店の奥に釘付けになっている。
「アレって」
奥では一人の女性が歌っていた。
銀色の長髪に透けるような白い肌、軽装ではあるが腰には長い剣を携えている。
絶世の美女という言葉が実に似合う女性だった。
女性慣れして無いユキトでさえそう思うのだ。
その美女がこれだけの美しい声を歌っていれば皆が聞き惚れるのも当然である。
しかしユキトが感じたのは全く別のものだった。
感じ取ったのは―――怖気。
「な、何だよ、あの人」
確かに綺麗だ。
十人見れば、十人とも振り返るのは間違いない。
しかし、彼女はどこか普通ではない。
根拠もなければ、証拠も無い。
だけどある種の確信がある。
―――彼女に不用意に関われば死ぬ。
離れるべきだ。
本能に従うようにユキトが入り口から離れようとした時、丁度彼女が歌い終え入り口の方へその紅い瞳を向ける。
目が合った気がした。
まるで血の様に紅い眼。
思い起こすのは空に浮かぶ赤い月。
不気味な違和感しか感じないそれを思い起こしたその瞬間、ユキトは逃げように走り出した。
何も考えず一心不乱にただ走る。
どこを走ったのか覚えていないが、いつの間にかハルヒロと歩いていた場所へと戻ってきていた。
「ハァ、ハァ、何なんだアレは」
自分でも分からない恐怖で手が震える。
とにかく落ちつけ。
何でも無い。
自分には関係ないのだから―――
「何やってんだ、ユキト」
「うわああああ!」
「うわあ!」
声を掛けられ振り返るとハルヒロが優男と一緒に立っていた。
同じ事務所にいたマナトだ。
柔らかい雰囲気で自分達より年上に見えるその姿はとても頼りになるように見える。
レンジ達とは別の方へ出て行った筈だけど、何でここにいるのだろうか?
「大丈夫、凄い汗だけど」
「うん、マナトこそ。何で?」
「事務所に戻る所だったんだけど、途中でハルヒロに会ってさ。ユキトもいるって聞いたから探してたんだ」
「そうだよ、いきなり居なくなるからびっくりしたよ」
「ご、ごめん」
マナトが差し出してくれた手を掴むとそのまま立ち上がった。
「じゃ、戻ろうか。色々分かったし」
「ホント? ハルヒロの方は?」
「うん。話は聞けた」
「じゃあ、僕だけか。ランタに何か言われそう」
「絶対言うよな」
「アハハ」
「笑い事じゃないよ」
マナトやハルヒロと話をしている内に身に巣食っていた恐怖は消えていた。
それでも振り返れば再びあの恐怖が襲ってくるのではという、別の恐怖は頭の隅から消える事は無かった。
だから、ユキトは必死にハルヒロ達の会話に耳を傾け続けた。
でもユキトはまだ知らない。
この先にある戦いも、別れも、苦難も、そしてあの恐怖を再び味わう事もまだ何も知らぬまま。
ただ分かっているのは一つだけ。
この日からユキト達の義勇兵見習いの日々が始まる事だけだった。