Armored Core farbeyond Aleph 作:K-Knot
「どうだ?」
南極。
ゴテゴテの防寒具に身を包んだ男がエネルギーのたっぷり詰まったチョコバーを力の限り噛みながら尋ねる。
凍り付いたチョコバーは歯の圧力にも負けることなくただ唾液に濡れていく。
「まあ待て」
応える男も同様にバッチリ防寒しておりそれどころか少し汗をかいている。
尋ねた男はチョコバーにかじりついているだけだがもう一人の男は何やら大仰な機械を展開し弄繰り回している。
望遠鏡だろうか。
だが天気は生憎の雪であり星など見えるはずもない。
その望遠鏡から伸びる太いコードは男たちの後ろに佇む二機の赤と緑の巨人の内、ずんぐりとした緑の機体に接続されていた。
「電源も確保…これで大丈夫だろう」
機械を弄繰り回していた男が乾いたハンカチで額を拭うと見る間に凍っていく。
「ちっ…折角オーロラが見えると思ったのによ…」
チョコバーをハンマーで砕きながらそんなことを呟く。
大雪、吹雪というわけではないがそれは厚い雲に覆われている。
「南極だからと言っても毎日オーロラが見える訳ではない。時期も大事だし、太陽の活動も影響してくる」
「あっそ。なんか手伝うか?」
「ならコーヒーを入れてくれ…寒くてかなわん」
「あいよ。しかし、俄かには信じがたいな」
「何がだ?」
「あのガロア・A・ヴェデットだよ。依頼にあったとは言え…あの怪我が一か月経たずと完治するわけがねえ。ましてや出撃なんてよ」
「だからわざわざこうしているのだろう」
あのホワイトグリント戦から23日。
カラードにいる誰もが知ることとなったその戦い、そして結末。
映像もニュースも流れたのだ、当然この二人…ウィスとイェーイの耳にも入ってくる。
あっという間にオッツダルヴァを戦闘不能に追い込んだホワイトグリントに正面から勝利を収めたガロア・A・ヴェデット。
その勝利の意味は大きく、ランク1も不在の今、彼こそが一番だという声も大きい。
だが、勝利の代価もそれなりに支払ったようで全身余すところなくボロボロになった彼は入院していたはずだ。
調べたところその怪我はどう考えたって完治に1、2か月はかかる。
機械ならばまだしも、人間には限界がある。
そこにウィスとイェーイに舞い込んできた依頼…
「サイレント・アバランチがアレフ・ゼロに襲撃されているから撃退してくれ」
という物。
普段なら絶対に断っていた。例えこっちにさらに味方が二機ついたところであの魑魅魍魎の類と戦うのはごめんだ。
ホワイトグリント戦で見たあの異様な姿とコジマ粒子の奔流はウィスとイェーイのみならず正常な感性を持つ者全てを震え上がらせた。
しかし大けがを負ったというのもまた事実。
だというのに依頼する企業も企業だが出撃する方も相当イカれている。
しかしこれは好機とも捉えられる。
あんな怪我で出撃できるはずがないが、もし本当にいるのならば。
そこに怪我の影響が表れていたら。
あのホワイトグリントを打ち倒したアレフ・ゼロの首を取れる。一気に成り上がれるのだ。
コンビ戦主体で戦う自分たちはランクが低い…が、そんなのもあのコジマお化けを倒せば関係ない。
という訳でこんな奇怪な機械を持ち出して作戦領域の外の外から内側を見てみようと言うのだ。
もしも不調なんて様子が全く見られずに暴れまわるアレフ・ゼロがいても、
逆にそんなものがいなくても、即作戦放棄して観光でもしながら帰るつもりだった。
「よし、準備完了だ」
「お」
「……」
スコープを覗いて光量を調節しながらピントを合わせる。
「いた…本当にいた…」
それは丁度サイレント・アバランチのうち一機にブレードを突き立てている場面だった。
はい、終了。撤退、撤退で~す。帰りま~す。
という声をあげるまでに気が付く。
アレフ・ゼロは遠目からも分かるくらいにはボロボロである。
恐らくは攻撃を幾度も受けているのだろう。スフィア防衛部隊とサイレント・アバランチに。
「どうなんだ?イェーイ」
「ボロボロだ…それに…」
「マジか?それに、なんだよ」
「動きが悪い」
油が足りていないカラクリのような動きは近距離主体のアレフ・ゼロであれば本来ありえない動きだ。
「行くか?」
「……ああ」
しかし、スコープからすっ、と目を離すか離さないかのその瞬間。
アレフ・ゼロの紅い眼光がこちらを向いた。
「ひっ!?」
驚きは鼻より出でて、即座にツララになる。
「おい、大丈夫か?」
地面に尻をつく相方を見て滑ってこけたのかと呆れ気味に声をかけるウィス。
「あ…いや、なんでもない…大丈夫だ」
クールな雰囲気漂わせる知的なイェーイはカラードでも人気の美男子だが、
その実彼は超がつくほどのビビりだった。
ウィスとコンビでいるのも、遠距離戦主体なのも、慎重なのも、今回の念入りな準備も全てその臆病心からの物だった。
驚きはしたが、自分の機体エメラルドラクーンですら影も見えぬこの距離。
多少の雪に加えダメ押しのECMまで展開されていてまさかこちらに勘づくはずがない。
(ありえぬことだ…)
跳ねる心臓を落ち着けながらもう一度相方と作戦を確認する。
「いいか、ウィス。奴の戦闘の引き出しは多いが…」
「もう耳にタコが出来る程聞いたぜ?」
「いいから黙って聞け。死にたくはないだろう?何度確認してもやりすぎということはないんだ」
「わかったよ、続けろ、イェーイ」
勇み足で少々無鉄砲なウィスはイェーイとは実にいいコンビである。
「そう、かなり多いが中距離以上でほぼ一つの手しか打ってこない」
「マシンガンでPAを削って…」
「そうだ。グレネードかロケットの爆風でダメージを与える。それしかない。特別な環境でなければまず直撃させてくることはない」
黙れと言って五秒も経たないうちに口を動かす相方に少しがっくりきたがちゃんと覚えているならいい。
「射撃が苦手なんだろ。俺と同じで」
「そう、お前と同じだ。そして射撃の才に恵まれないものとして、この戦法は理にかなっている。だからお前はそのスタイルを選び取ったのだからな」
「そしてお前がサポートする。今まで通りだろ」
やっぱり全部は覚えていなかった相方にうなだれながら話を続ける。
「……、今回は余計な事を考えるな。グレネードとマシンガンで攻撃そして回避。それだけでいい。奴のマシンガンは片手のみ。一方のお前は武器腕のマシンガン。単純に計算してPAを削る速度は倍だ」
「余計な事って言われても後はミサイルしかねーよ」
「それが余計だと言うんだ!理屈はわからんがあいつは射撃センスが無いのになぜかミサイル全てを撃ち落とすことが出来るんだ!目の前でミサイルを撃つなんて隙を晒せば即惨殺されるぞ!
…相手は手負い、そして俺も遠距離から支援する。削り合いなら絶対にこちらが勝つ。近づかないでロケット、グレネード、フラッシュだけに気をつければいい。マシンガンは当たっても構わない」
「まあその三つならよく見てれば避けられるからな」
「その通りだ。さて…もうそろそろサイレント・アバランチも全滅する頃だろう。行くぞ」
「おう!下剋上だ!」
アレフ・ゼロの姿を見た時点で撤退しておくべきだった、
と後悔する将来の自分の姿を本来なら先ほどの悪寒から勘付けていたイェーイだが、
やはり彼も眼がくらんでいたのだ。その勲功に。
「サイレント・アバランチの排除を確認。ミッション完了だ…。…、…早く帰って来い」
AP40%を切っている。
いかにサイレント・アバランチといえど本来のガロアなら弾薬を使わずに完封することすら出来たはずだ。それをこれだけのダメージ受けるぐらいには身体の影響がでかい…。
依頼してくる企業もおかしいがそれを受けるガロアもガロアだ。
まだ病院のベッドの上にいたガロアに、私がいない隙に依頼を持ち込んだのはオーメルのあの嫌味な仲介人か?
(私がその場にいたらぶん殴って追い返していたのに…)
いや、その場と言わず今度見かけたらあのモヤシ眼鏡を思い切り殴り倒して二度と近づく気も起きないようにしてやる。
通り魔と大して差の無い思考を般若の表情で頭に浮かべるセレンはその時あってはならない情報を目にする。
「敵機!!ネクスト二機!!撤退を…いや、ダメだ!もう遅い!」
ECMか雪のせいか、とにかく捕捉が遅れてしまったがそれは間違いなく二機のネクスト。
ランク25,26のスカーレットフォックスとエメラルドラクーンのコンビ。
単なる二機の増援ではなく、歴としたコンビとして活躍しているリンクス。
それでも、本当ならばガロアの相手なんかではない。だがこの状況では。
『ガロア…!』
「……」
セレンの心配そうな声を聞きながらしかしその増援はなんとなく予感していた。
ボロボロにされている今、そんなこと言うべきではないが今回の任務は今までの任務の中でも群を抜いて簡単だった。
増援が無いというのはなんとなくありえないんじゃないかと思っていた。
そして途中で感じた明らかな視線のそれ。
しかし…。
幼いころに動物に噛まれ一週間以上高熱で寝込み意識が遠のきながらもなんとか飯を食いトイレに行き服を着替え生き延びた。そんな記憶がある。
今の気分はその記憶の中にある感覚に近い。
勝てるだろうか。
「ふん…サイレント・アバランチも過去の遺物だな。最初から任せておけばよかったものを 」
あたりの惨状を見まわしながらもふらついているアレフ・ゼロを見て強気に口を開く。
『…まあな』
相方が重々しげな声を発する。
あいつは相変わらずビビりだ。頭が良くても度胸が無くちゃ勝てるもんも勝てねえ。
「俺達は上に行く。あんたには踏み台になってもらうさ。悪く思うなよ」
『…悪いな』
悪いと思うなら襲わなければいいって話だ。
「死んでくれえええ!!」
両腕のマシンガンをアレフ・ゼロに向けると同時に相手も動き出す。
が、少し遅い。動き出したアレフ・ゼロのPAを少しずつマシンガンが削っていく。
(さあ、どう動く!?右か!?左か!?それとも上!?どう動いても削りつくしてやる!)
ガリガリと当たるマシンガンの弾を全て受けながらアレフ・ゼロは…ただ真っ直ぐとこちらに向かってきた。
(全く避けない!?)
完全に予想外。
以前動画で見たように中距離でふらふらと不規則に浮かびながらマシンガンを撃ってくる物だと思い込んでいた。
全ての弾をその身に受けながらも最短距離で自分の元へ来たアレフ・ゼロ。
当然PAは完全に削り切れてはいない。
『ウィス!』
相方の怒声。
分かっているが、もうこの距離と角度ではグレネードを撃てない、撃っても当たらないしスキが出来る。
そして、相手の左腕のブレードはすでに起動している!
避けねば!避ければ隙が出来るのは向こうも同じこと!
「……!」
ヒュン、とブレードが間抜けに空を薙ぐ音がする。
避けた!完璧に避けた!
迅かったが、真上90度の角度から兜割りのように振り下ろしてきたその腕は左に動くだけで避けれた。
反撃を!…。
「…あ?」
あれ。
右手のマシンガンが無い。
さっきまであったのに。
その腕を真っ直ぐ広げて自分が避けた方へ…。
「ウィス!」
怒鳴ったのはアレフ・ゼロがマシンガンを捨てているのが見えていたから。
その意図までは分からなかったが、今なら分かる。
『くそ!離せ!』
「…あ…あぁ」
ラグビーかレスリングのように飛びついてきたアレフ・ゼロはそのまま二機でもつれ合ったまま雪積もる地面へ落下、スカーレットフォックスをそりか何かのように押えこみつつ雪煙をあげながらこちらへ向かってくる。
ウィスと何度も模擬戦をしているイェーイにはわかる。
武器腕は負荷は少ないがその可動域も少ない。内側に入り込まれたらもう引き離す術がない。
普通の腕ならば押しのけることも出来るだろうしし、アサルトアーマーを搭載していれば話は別だったかもしれないが。
「…っ」
ミサイルは使えない。
雪煙に邪魔されロック出来ないし、万が一に当てずっぽうでウィスに当たったら笑い話にもならない。
自分程腕のある射手ならここからライフルで当てることも出来たかもしれないが、ウィスが下手に暴れているせいで照準が定まらない。
「ウィス!暴れるな!」
『馬鹿言うな!こいつはアサルトアーマーを積んでいるんだぞ!』
(違う、そうじゃない!そんなことは分かっている!)
相方との意思の齟齬によりさらに一手遅れ、二機はもう目の前にいた。
「…っ!」
地面から刈り取るように振られたブレード。
ジャンプして避けたと思ったが遅かった。
ぎりぎり足が通るぐらいしかない大きさの粗雑な落とし穴に足を突っ込み皮膚がでろでろに剥けてしまったかのような痛みが脳に送り込まれ下に目をやると、両脚とも膝から下が無くなっていた。
「やはりな…」
受けるべきではなかった。
『があぁああああ!!』
懸念した通りの0距離のアサルトアーマーを喰らいダメ出しとばかりに斬撃を貰うウィス。
『…手負いを襲い、なお負けるか…』
とりあえずは死んではいないようだ。
とりあえずだが。
『……』
芋虫の如く転がる自分達を見もしないでアレフ・ゼロは不安定な速度で飛び去ってしまった。
ここはBFFの基地だから贔屓にしている自分たちが死ぬことは無いだろうが…
任務失敗に加えウィスの機体の損傷は特に酷い。
ここから持ち直すのには莫大な借金をするしかない。
『ちくしょおおおおおお!!』
相方の叫びを聞きながらイェーイは先刻の間違った判断を悔いるしかなかった。
その頃。
最近伸びだした髪をアシンメトリに切り、もう思い残すことも無いと自分に言い聞かせながらハリは荷物をまとめたカラードの自分の部屋へと戻った。
暗い部屋へと一歩踏み出し、ドアが閉まる前に電気をつけようとしたその瞬間。
「テルミドールについて知っているこトを全て話セ」
「……!」
闇から伸びてきたナイフを持つ手が背後からハリの喉に添えられた。
「……もウ一度言う」
「下を見てください」
「!」
侵入者が言われるままに視線を下へと向けると、ハリの太腿の拳銃ホルスターから既にピストルが抜かれそっと侵入者の腹に押し当てられていた。
「後ろを取るのならば手を使えなくするのが基本ですよ。何のために太腿にホルスターがあると思っているのですか?」
「……」
お互いの命に王手をかけながら二人とも動かない。
この状況ならば先に動いた方が相手の命を取ることになるのは間違いないだろう。
それをしない理由は単純で、お互いに必要なのが命ではなく情報であるからだ。
「それにナイフは横に当てるんじゃなくて縦に刺すんです。でないと重要な血管や気管に届かないでしょう?」
「…!」
その言葉は全く適当に言った言葉であり、ナイフによる正しい暗殺の仕方などハリは知らない。
ただ、その言葉で侵入者の気配が揺らいだのをハリは見逃さなかった。間違いなく、素人だ。部屋に侵入されていたのは驚いたが。
「…慣れないことはするものではないですよ、ウィン・D・ファンション」
「!!」
侵入者、いやウィンは動揺のあまり一秒弱硬直した隙にハリは気体のように腕の間から抜け銃を突きつける。
「…テルミドールはあなたが嗅ぎまわっているのを知っています」
「…ならば何故放置していた…?」
髪を覆い隠すフードとマスク、変声機を取り外し尋ねるウィン。
殺意が無いのは向こうも同じようだ。
「あなた一人が動いたところで何も変わらないからですよ。戦況の話ではありません」
「どういうことだ」
ハリが拳銃を収めるのを確認してナイフをしまう。しかし言っている意味がイマイチつかめない。
「…はぁ…。荷物をまとめてしまったからちょっと大変ですね…飲み物は出せませんよ」
「いらん」
何やら小さくまとめた荷物をごそごそと漁り出したハリにウィンはなんだか毒気が抜けてしまい、壁にもたれながら時間が過ぎるのを待つしかなかった。
どうやらノートパソコンを取り出したようだ。
「見た方が早いでしょうからね。今から1か月ほど前、ガロア・A・ヴェデットに企業連からある極秘任務が下されました」
「…?」
インテリオルが収集できる限りの任務記録は見ている。
苛烈ではあったものの極秘と言えるような任務は無かったはずだ。
と、記憶に頭を巡らせていると取り出されたノートパソコンに動画が映る。
どうやらこれはアレフ・ゼロのカメラからの映像らしい。
「反体制派の過激組織リリアナにクレイドル21が占拠されたのを殲滅せよ、との任務でした」
「馬鹿な…そんな暴力集団が警備の穴をついてクレイドルまで上がれるものか!」
「…運が良かったんでしょう。ここら辺はあまり重要ではないので飛ばします…。ここからです。分かりますか?」
動画がコマ送りされ、画面に映る風景が星空のみとなった瞬間、間違いなく兵器の形状をした物が現れ、アレフ・ゼロに、周囲にいた自律型ネクストに攻撃を始めた。
「な…なんだこれは…自律兵器か…?」
「あなた、クレイドルから降りてきたのでしたよね、確か」
「あ、ああ」
「思いませんでした?水も酸素も食料も全部クレイドルで生産できるのに、なんで地球の衛星軌道上を飛び回っているのかって。
もちろん理由なんていくらでもあるでしょうけど、地球を汚し続けながら飛び回る正当な理由になるとは思えません」
「!まさか!」
さっきの自律兵器が地球を覆い尽くしているのだとしたら。
「理解が早くて助かります。他の企業の宇宙進出を阻止するためだけに各企業から打ち上げられた無数の自律兵器…アサルトセルが数十年以上も前から地球を睨み続けています」
「待て…もしかして国家解体戦争は…」
「そう。宇宙進出を狙うのは企業だけじゃない。国家プロジェクトもある。この事実を隠匿するためだけに起こされた戦争なのです」
「……」
顔から血が引いていくのがはっきりとわかった。
まさか、独善的だと決めつけていたORCA旅団の目的は。
「我々の目的はアサルトセルの一掃です。このままでは人類は逃げ場が無くなり壊死します。そうでなくとも宇宙というフロンティア無くして進歩はあり得ません」
「私がどうしたところで変わらないと言うのは…」
「そういうことです。クレイドルを降ろすための口実として多少の揺さぶりは必要となるでしょうが…
各企業の上層部にとっても悩みの種のアサルトセルを取り除くという我々の活動を建前以上の邪魔をしてくるはずがありません」
「……あぁ…」
最初から負けが決まっている勝負。
だから自分は泳がされていたのか。
ここまで大規模なテロ組織が企業の支援なしで動けるはずがないと警戒しながらカラードを一人で嗅ぎまわっていた日々。
馬鹿らしい。トップがその行動を支援する理由があったというのか。空回りを繰り返していただけとは。それでもこのままいけば大勢の人が死ぬというのは分かっているが、ここから反撃する手が思いつかない。
「それでも戦うと言うのならどうぞご自由に。テルミドールとあなた…どっちが強いかは自分が一番わかっているのでは?もし…思うところあるのならばただ放っておいてください」
言うや否やさっさと荷物を纏めて鍵をかけることもなく部屋から背筋を伸ばしながら出て行ってしまった。
「……」
情報を引き出し、可能なら戦力の一つであろうハリを無力化する、と意気込んでいた今日の行動が…
いや、それどころか世界の平和の為だと薄ら寒い大義の元に動き回っていたここ一年以上の全てが無に帰して崩れる音が聞こえ、ウィンは何も無い暗い部屋で膝をついた。
その頃、(勝手に)ウィンのパートナーとなっていたガロアは完全に意識を失っていた
「ガロア…」
消え入りそうな擦れる声を出す自分を沈みかけた太陽が窓から見ている。
「……」
夕陽に照らされているガロアの寝顔は苦痛に歪んでいる。
ピクリ、と動き額に置いた濡れ手拭いがずれる。
「…っ!ッッ!」
「暴れるな…!落ち着いてくれ…!頼む…」
夢見が悪いのか。身体が痛むのか。苦しげにベッドで暴れ悶えるが未だにその眼が開く気配はない。
なるべく痛くないように、力はこめず、かといってベッドから転げ落ちたりしないように押える。
ピーッと、押えていた腕の脇から音が鳴る。
「38度…7分…下がらないか…」
カラードに帰還したアレフ・ゼロ。
いつまで経っても更衣室から出てこないガロアに嫌な予感がしたセレンは更衣室を抜けて発着場へ駆けた。
途中カニスが運悪くパンツを脱いでおり生娘のような悲鳴を上げていたが気にしている余裕なんかなかった。
案の定コックピットの中で唾液を垂らし項垂れたまま気を失っているガロアをなんとか抱え引きずりながら部屋まで戻ってきた。
体力のない頃からぶっ倒れるまで身体を鍛えて自分が部屋まで運んでくることはそれこそ数えきれないほどあった。
あの頃より大きく、重くなり頑丈に成長したはずなのに目の前にいるガロアはそんな事実なんて全て夢であるかのように弱弱しく、儚い。
ホワイトグリント戦でカラードに回収されたガロアが血だまりの中でピクリとも動かずにいたのを見て心底血の気が引いたものだ。
一週間寝込みはしたがなんとか覚醒してくれたのを喜んだのも束の間、またこれだ。
「なんでだよ…もう、やめてしまえばいいじゃないか…」
念願だったホワイトグリントを倒して金もある。
もうやめてしまえばいいんだ。リンクスなんて。戦いなんて。
「なのに…なんで…」
悲願を遂げた今でもボロボロの身体を引き摺ってお前は戦う?
もう戦う必要なんかないだろう?
このまま死ぬまで戦うつもりか?
「親を失って…一人で…ただ身体を鍛え続けて…ワケの分からない機械に繋がれて…そして死ぬのか…?」
人は時に答える者がいないと分かっていても口に出して問いかけたくなる時がある。
その問いに答えが無いとしても。
「そんな人生って…まともに生まれてきたはずのお前が…たった17歳のお前が…」
まるで花火のように打ち上がり、大輪の花を咲かして虚空に散っていく。
他人はそれを見て羨むのか。
手の届かない空に浮かんだそれを。
あるいは決して自分ではなれない華々しさに。
でも誰も散る花火のことは考えない。
散った花火のことは考えない。
「じゃあ…お前は一体…何のために生まれてきたんだよ…」
父の死により狂わされた人生を、その元凶にケリをつけて死ぬ。
狂いっぱなしの人生をそのまま投げるのか。
自分の人生に漕ぎ出さないのか。
これではまるで…これが自分の人生だと言わんばかりだ。
怒り悲しみ同情…そのどれともつかぬ感情に震えベッドの端を力なく叩くセレン。
その耳に聞き覚えのある音が聞こえる。
「……」
備え付けのコンピュータに届いている二通のメール。
その一方を開く。
『アルテリア・カーパルス防衛
ローゼンタール社からの依頼です。
つい先ほど、これから十日後に不明ネクスト機によるカーパルス襲撃の情報が得られました。
詳細は確認されておらず、信ぴょう性にも疑問が残る情報ですが』
途中までしか読まなかった。読めなかった。
「ふっっっっざっっっけるな!!!」
拳闘の教科書に載ってもおかしくない、脚の位置取りからなる重心の取り方は完璧かつ腰の入ったお手本のようなストレートをスクリーンに叩き込んだ。
コンピュータの画面は派手な音を立てて砕け散り中の機械はぐちゃぐちゃ、煙を吹いている。
当然、セレンの右手も無事では済まない。
「お前らで何とかしろクソ野郎のクソ企業!!何かあるとすぐ頼ってきやがって!!そのくせっ…!」
怒鳴り散らかしながらさらに回し蹴りを叩き込もうとしたとき、後ろから音が聞こえた。
「…っ、ガロア!まだ寝ていろ!動いちゃダメだ」
血まみれの右腕のことなんか髪に掠りもせず吹き飛んでいき即座に駆け寄りベッドに押し戻そうとする。
が、ガロアはふらつきながら虚ろな顔で逆にセレンをリビングの椅子にすとんと座らせた。
「……え?」
呆気にとられるセレンをよそにパチリと明かりを点けて何か箱のようなものを持ってきて自分の隣に座る。
「なに…?」
箱から何かを取り出し、呼吸の虚を突いたかのようにするりと傷ついた右腕を手に取られる。
「あ…」
救急箱だった。
テキパキと、というわけではないがそれでも淀みなく、手にしたピンセットで食い込んだガラスを取っていく。
この家に引きずってくる過程で知り合いにこそ会わなかったものの沢山の人にすれ違った。
過ぎゆく人、人、人。
じろりと見てくる目、目、目。
誰一人として手を貸そうとしなかった。
今までもガロアは十分化け物扱いはされていたがその戦い方はあくまでクレバーで外連味のない作戦による、言ってしまえばどこまでも現実的な強さだった。被弾だってするし怪我もする。
だがこの度のホワイトグリント戦で見せたあの異様は正常な感性の人々を遠ざけ、弱い人々は完全に一線を引くようになってしまった。
ただ避けるように歩き、すれ違うやおっかないものでも見るかのように一瞥。
ひそひそと聞こえる言葉。
化け物。危険。兵器。近づくな。
「…うっ…」
ベッドの傍にいたときも、コンピューターを叩き壊した時も、
いや、それどころか生まれてこのかた…少なくとも自我を得てからは一度だって経験したことはなかったはずだ。
涙がはらりはらりと両目から止まらずに流れる。
(…私…泣いているのか…)
敵を、お前らの敵を倒したんだぞ。
お前たちが強い兵器を望んだのだろう。
それなのにこれか。
そんなことを主張する気にもなれなかった。
どいつもこいつもガロアの中身は考えることはせずにただ兵器としてその戦闘力と危険性のみを見るばかり。
「うっ…ひぐっ…」
優しい奴なのに。戦いだけじゃないのに。
目の前にいるこいつは、本当は人の痛みに敏感で、聡く、そして優しい。
痛みに敏感で愛情深く無ければそもそも父の敵討ちなどしないだろう。ましてや最強のリンクスに敵討ちなんて通常の神経ではできない。
壊されたのだ。時代に、戦争に。そして壊れたものはもう戻らない。
「えぐっ…、!」
少女のように泣きじゃくるセレンの涙をそっと指で拭い頬に手を当ててくる。
やはりまだ大分辛そうな顔にある、二つの眼が語っている。
『痛いか?』と。
「痛くなんか…痛くなんか、ないよ…ガロア…」
「……」
理由は分からないが泣きじゃくるセレンの涙を拭いつつ治療を続けるガロア。
彼が自分達の元に届いたもう一通のメールに気が付くことはとうとう無かった。