Armored Core farbeyond Aleph 作:K-Knot
肩に乗っていい?
その子供はそう尋ねてきた。
吹き抜ける風がどこどこまでも高い木の葉たちをザザザザァ、と揺らす。
「ああ、落ちるなよ」
その子供を肩に乗せると、落ちないようにだろうか、髪の毛を掴んできた。
痛くはない。自分は誰かの依り代になっていると思えば。
これはなんなんだろう、とその子供はまるでこの世界を支えるかのような大きさの木を指さして言った。
「なんなんだろうな。でも、人間に似ているな。一枚一枚はひとりぼっちに見えるのに、どこかで繋がっていて」
そして、時には憎い奴ほど太く繋がっていたり、と言いかけてやめる。
どうしてそんなことが起きるのかと言えば、きっとそれだけそいつのことを思ってしまっているからだろう。
まるで愛しい人を想うように。
「どこかに影が出来ればそれはどこかが日光をたっぷりと受けているということ。それでも一本の木からしてみれば光を受けないよりはずっとマシで……」
その子供はふんふんと頷きながら髪の毛の中に顔を埋めてくる。まともに聞いているのだろうか、難しすぎたか?
「そして葉は一枚一枚別に見えても結局木の一部……人間も、どこかで枯れてどこかで影が出来てもどこかで光を受けて青々とする木のように……また伸びやかに、か」
全員漏れなくドブの中にいるよりは誰かが光を受ければ種としては得をしている。
最大多数の幸福とは言い換えればどうしたって誰かが割を食うこと。
「独りじゃないって分かるなら、例え自分が酷い目にあってもそれが誰の為になるとしたら、きっと」
ああ、あそこの葉っぱは枯れている。上に重なる何枚もの葉が光を奪ってしまっているからだ。
でも木は潤う。自分含む誰もが光を受けないよりはずっと。
「自分は誰かの幸せを願える人間なんだということを幸福に思えるのが人間の素晴らしいところなんだろう」
自分の手が一切汚れていないと思っている人間が多すぎる。手を汚さなければ生きていけないと開き直っている人間も多すぎる。
その狭間にいて苦しむ人間こそが一番人間らしい心を持っているのかもしれない。
「人間には心があるからこの世界はどこまでもやれやれでどうしようもないところもあるけど、それでもな」
愚かさに限りはないが、人間にそのやれやれな心がある限りはどこまでも不死、永遠の命を紡げるのだろう。
獣のように本能のみに支配されるよりもずっと感動的に。
「誰かの幸福を願って、その為に自分が焼かれるならば、それも幸福だと……言えるなら。この世界に分け合うには幸せが足りなくたって、そう悪くないよな」
綺麗事なのかな、とは思う。だがそれを本当に感じているのなら、誰かに押し付けたりしないかぎりは綺麗事でも構わないじゃないか。
そう、それなら、本当の幸福は?
と。
先ほどまでその体格に似あったやや舌っ足らずな言葉遣いだったその子供は、急に落ち着いた雰囲気を言葉に織り交ぜながら優雅に肩から降り立った。
「なんだって?」
「待て」
「俺は、ここは」
「どこだ?…………?」
青い空が見えた。雲一つない青空だ。
自分は水の中で倒れていた。窒息するような深さでは無く、倒れていても耳が浸かる程度の深さだった。
「……?」
起き上がるとどこからか綺麗なハミングが聞こえてきた。名前は知らないが……確か……教会とかで歌われるようなやつ。そんな気がする。
教会なんて行ったことも無いからしらないが。
「なんだ……?」
周りの壁や柱は白い。青い空はどこまでも続くのかと思ったら、手すりの向こう側にまで青空が続いていた。
「ああ……??」
手すりから身を乗り出すと視界の下に雲が見えた。
ここはどこなのだろう。青々と茂りながらもよく手入れされた木々と花々、白く輝く大理石の床と柱。
宮殿のテラスや中庭のように見えるが、どんな王族の住む宮殿でも手すりの向こうを青空にするだけならまだしも手すりから乗り出した下の方に雲を持っていくことなど出来ないはずだ。
今になって気が付いたが右手がある。蒸発したはずの左脚も、弾け飛んだはずの目もある。
「そっか。死んだか」
身体に痛みもない。確かにあれで死ななければおかしい。
「ここどこだろ。地獄? には見えないな」
地獄ってのは地面の下にあるものだ。こんな空の上にある場所は……まるで。
「天国……? はっ……」
そんな場所があるなら誰でも行きたいと思うんだろう。
でも自分は違った。本当は自分は、死んだ後は完璧に消滅したかった。
「そうさ……皆死ぬんだ」
寂しい場所だ。水からあがって石造りのベンチを見つけたので座る。色とりどりの花の前で座れるとは中々いい場所だ。
歌声は聞こえても人の気配はしない。手すりの向こう側には雲を挟んで同じように浮かんでいる地面が見えるが、あそこに行く手段が分からない。
落ちたらどうなるんだろう。さらに空の向こう側には巨大な天使の銅像が見える。
「過程に意味は無い。みんな死ぬからな。……そう思っていた。それは間違いだったみたいだな」
七面倒くさい人間の脳から解放されて死んだ後にこんなに物事を考えられるなんて。
死んだ後に色々考えられるなら、やはり皆死ぬんだからなんて諦めて生きるよりも自分の望みのままに、誇らしく生きた方がいいのだろう。
「俺は……誇りを持って死んだ」
あの時、確かに感じた。奴が消滅していくのを。目的は果たせた。
ミッション完了だ、ってあの声で言ってほしい。
「やめてくれ……」
心にふと浮かびあがる願いにやめてくれと請う。
意識すればするほど消すことなど出来ない。
誇らしく生きるのはいい。天寿を全うした後も振り返って笑える。
誇らしく死ぬのはちょっと違うみたいだ。
「……セレン……もう君は殺されない。君の世界も……」
父は出来なかったのだろう。アナトリアの傭兵が暴走して世界を壊していくのを。
自分は父が出来なかったことが出来たのだ。願いは一つ。セレンの事が好きだと分かる前から、願いは一つだけだった。
「幸せになれよ。クソみたいな世界だけど……頑張れ。君なら……」
「幸せに……」
「しあわせ……」
願いは一つだけでも後悔はないとは限らない。
もう抑える理由もなくなった涙が白い地面を濡らしていく。
震える身体を抱いて抑え込もうとしても震えも嗚咽も収まらなかった。
「いずれ……きちんと住む場所を見つけて」
「……ちゃんと……似合いの男を見つけて……」
ぽたぽたと滴る涙は心の痛み、その穴から流れ出てくる。
(抱かれるのか)
綺麗に澄んだ水たまりの前で膝をついて項垂れると情けない顔で泣く自分が映っており、水面に波紋を作っていく。
「い……いるんだろうな……俺にもいたんだ……孤独も絶望も……心の傷も癒してくれる人が……この世界は……救いがあるもんだ」
幸せになってほしい。自分を失って悲しんだとしても、その傷を癒す優しい男と添い遂げればいい。幸せになればいい。
心から願っている。でも後悔はどうしてもある。
「だから、いつか出会うんだろうな……そんな男と……悲しい過去も、辛い思い出も忘れさせてくれるような……そして……」
あの笑顔が、優しい言葉が、柔らかい身体の抱擁が、自分では無い誰かのものになる。それがセレンの幸せになるというのなら、それを願う。そこに一切の曇りはない。
「俺を………忘れるのか……ああぁ……」
自分の足跡は血の上にあった。なんでそんな人生にしたんだと神なんて者がいるなら言ってやりたいが、最後の一歩が、セレンの為なら苦しんだ意味はあった。
この世界にうじゃうじゃといる人間どものどれだけにハッピーエンドが待っているというんだ。
死にたいときに死ねず、願いは叶わない、思いは届かないでそれでもそこそこになんとか生きていければ万事良いだろう、なんて世界だ。
それならばこれは望外の死だと言える。そして、それでも自分の心は痛み続ける。
(でももう……ここまで来たらかっこつける理由も……我慢する理由もないよな……)
「俺は……」
「俺はなんのためにいきていたんだろう」
この命が消滅した意味じゃない。その過程のことだ。
自分はただ苦しみ抜いて死に、そしてなお苦しむ。この自我はなにを受けたくて存在したのだろう。
「俺の大切な物は……幸せは……全部この手をすり抜けていきやがる……」
それは全部自分のせいなのだろうか。本当の両親を亡くしたことも、父を失ったことも。
あの世界で愛した女性と生きられなかったのも。
「ああ、俺のせいだ。突き離していた!……でも……俺が掴めば傷つく……。なんでなんだ。つよくなくたって、よかったのに」
この手は世界の誰よりも、どんな生物よりも強かった。
しかしその代償はとてつもなく大きかった。少なくとも自分にとってはそうだ。
「最強なんて、いらなかった」
(そうだな。奴は幸せを守るために戦った。俺は不幸を作るために戦った。救えねえな)
あの日、この手で抱いた赤子は未来の希望そのものだった。自分が敵を消滅させて、奴はこの先も家族と一緒に生きていくのだろう。
それは奴自身の手で掴みとっただけだ。奴のこれまでの行動の結果なのだ。自分はそんなことをしていなかった。全部が全部自分のせいではなくても、原因は自分にある部分もある。
知っている。分かっている。だからこそ、自分は死ぬべきだったのだ。
「でも……しあわせだったなぁ。……死んでもいいやって思うくらい……この時が永遠に続けばいいと思うくらい……」
今までで一番泣いている。水たまりの水位が上がるのではないかと思う程に涙が溢れてくる。
この顔をもっと早くに見せて、この弱音をもっと早くに言っていれば何かが変わったのだろうか。どうして強くなってしまったんだろう。
「ふ、ふつ、ふつうに……もっと早く……せめて……もっと早く……君と会う道はなかったのかな、なんで……おれは……」
自分の幸せも願いも、セレンの幸せと願いと同じだった。
でも、セレンの願いはもう叶わない。幸せを作ることは出来ない。
それでもいつかは家族になれる男を見つけ、子を作り、自分がいたことも、失った傷もゆっくりと薄れさせながら年老いていくのだろう。
自分のいない世界で。
「いやだ……忘れないで……いやだよ……」
顔を覆う指の隙間から何本もの線となって涙は流れる。
自分が思い出だけの存在になるなんて考えたくもないのに。
「こんな思いをするくらいなら……消えたかった……」
誇らしく死んだとしても後悔は残っていた。
このままこの場所で一人で後悔し続けるのならば、消えた方がずっとマシだった。
「君ともっと……一緒にいたかった……」
きっと父も同じく、自分ともっと一緒にいたかったと思っていたのだろう。
そしてやっぱり自分の幸せを願っていたのだろう。
(ごめん……俺……幸せになれなかった……)
誰にどうして謝ったのかすらも、分からなかった。
そしてガロアのいる世界とは違う世界で、今、戦いが終わった。
アレフ・ゼロとスプリットムーンがいつか共闘して倒した、赤銅色のボディに節々が青く光る機体と同系統と思われる機体たちが一斉に動きを止めた。
『いよっしゃあああああ童貞卒業だあああああ』
『終わった……? の……?』
敵機の動きは全て止まっており、中には今にも銃を発射するような格好で止まっているものすらもある。
恐らくは突入した二機が無事に作戦を成功させたのだろう。
「とりあえず……借金……どうすっかなぁ」
それはでもまぁ、後で考えればいいや。
カニスはサベージビーストの背部から出て二機に思い切り笑いながら手を振った。
ギリギリだった。
自分のAPはもう尽きていた。レッドラムももう数百も残っていなかった。
あと一分遅かったら自分達を踏みつぶして街を焼き尽くしていただろう四本脚の巨大兵器を呆けたように見つめる。
耳元に心臓があるかのようにバクバクと心臓が鳴っていた。
『ド・ス! 大丈夫!?』
「シャミア……」
普段ならば負けた敵に対して鞭を打つ様な言葉を吐くというのに今、シャミアはレッドラムを真っ直ぐにこちらに走らせながらそんな言葉を言ってきた。
成長したのかどうかはよく分からないが、戦いが終わったことよりもその言葉の方がただただ嬉しかった。
『これでやっと終わる』と。
その言葉を残し、重量二脚の機体は動きを停止した。
言葉を発するとき、再びカメラアイの色は黄色に戻ったのをウィンは見た。
「……!?」
それに合わせて降り注いでいた特攻兵器がその場で動きを止めて落下していく。
『ウィンディー様! 終わったのですか!?』
「いや、分からないが……」
だが、特攻兵器と次々に波のように押し寄せる敵機で埋め尽くされていた空は青く、雲一つなく輝いていた。
「マギー! 早くしろ! もうだめだろう! 見ろ! 火が出ている!」
流れてくる海水の勢いは激しいとまではいかないがそれでも着々と床を水で浸していく。
ジョシュアの言葉通り、光の中にかすかに見えるアレフ・ゼロは炎に巻かれており、電流が迸っている。
(なんてことを……)
ホワイトグリントに入って自分に繋ぎ直してさっさと脱出してフィオナのところに帰るべきだ。それは分かっている。
だがあの少年にも待っている者はいたはずなのに、本当に命を捨ててしまった。
せめて遺体だけでも持ち帰れないだろうか。そう思ったが、炎と電気に食い荒らされコジマ粒子の渦巻くあそこに踏み入ることは不可能だろう。
勝利したというのに。
マグナスは下を向いて重々しく瞼を閉じて数秒逡巡した後にホワイトグリントへと駆けた。
生まれ変わりとか、あるんだろうか。
まさかここにずっといるということもあるまい。
「あるのなら……あ、あるんなら……」
「ま、また……セレンに会いたい……とことん馬鹿野郎だ……今度はちゃんと……普通に…………」
知らなかった。自分はこんなにもあの人を好きだったんだということを。
平和な世界など自分の生きる世界では無いことは気が付いていた。
セレンには平和な世界で幸せに生きていてほしかった。自分のような男と結ばれるべきではないと思っていた。
それが全部本当の事だとしても、何故自分はもう少しだけ素直に自分の幸せを追い求められなかったのだろうか。
いいや、それを言うのならばどうして自分はあの日、復讐を心に刻んだのだろう。その先には一つも幸せなどないことは知っていたのに。
思えば思う程後悔は強くなっていく。
(俺には出来なかった……もしも……もしも本当にまたあの世界に生まれ変われるのなら……)
そばにいても幸せには出来なかった。知っている。最後の方はずっとセレンは自分のそばにいても泣いていたことを。
自分は人間にも獣にもなれきれなかった。なんだったら彼女を幸せに出来たのだろうか。
(君のそばで花になりたい)
あの花は、自分が贈ったあの花は何もせずともただ咲くだけでセレンを笑顔にしていた。
精一杯生きて咲く花は人々を笑顔にして、精一杯生きたつもりの自分は多くの人間を悲しみに叩き込んできたのだろう。
咲くならそっとすみれ色のあの花になりたい。そうすればまたあの笑顔が見れるのだろう。
(………………)
一陣のあたたかな風が花々の芳香と花弁を巻き上げ、涙に濡れるガロアの頬を撫でていった。
そこにいるのは最強のリンクスでも、戦場の王でもなんでもない、一人の弱い少年だった。
後悔は遅いから後悔という。それが活かされる日は来るのだろうか。
たとえそれが死人であっても。
光の渦の奥深く、真っ白なアレフ・ゼロのコアの中のガロアの身体には火が付きもう動いていない。
残った左目は半分に虚ろに開かれて生命の輝きはない。既に心臓は止まっており、呼吸も当然なくなっている。
ガロアが自分にはそれがお似合いだと思った通り、あるいはそう願ったように、
ガロアは戦いの中で死ぬことが出来た。
コロンビア(分かる人には分かるネタ)
やっぱり後悔しているじゃないか(憤怒)
でも死人に口なしだからね、しょうがないね