真剣で一振りに恋しなさい!   作:火消の砂

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ずいぶんと遅れました。


精神の宮殿

 先、先の先、先々の先、後の先と言えば読み合いの基本原則である。先手、返し、阻止、見切り、これを決めた者同士の戦いは一見異様な光景に見える。

 構えを少しずつ変え、立ち位置を変えていく。その光景は観客の息を止める時間にしては少し長い。いつしか息を吐きだしてその後は一時の退屈に見舞われる。

 と、その瞬間に決着が着いていることもある。

 総一郎が何度も言及している通り刀という物は振れば命をいとも容易く奪うことができる。卜伝は百十二人もの剣士を切り捨てた、それは相手の技量にかかわらず刀によって百十二回も絶命の危機に瀕したというわけだ。結局の所生涯受けた傷は戦場などで受けた鏃の傷が六つ度だけ。現代人には考えが及ばない程「読み合い」に秀でた剣士であり、それは即ち最強を意味している。

 一方、総一郎とて達人の領域に居るわけであり、そして計り知れない才能の塊である。「明鏡止水」や「無我の境地」と静の極みの二つをこの若さで極めているのは紛れもなく天才と言わずしてなんとしよう。だが――経験、年月――にて明らかな劣等が総一郎にはあり、この二人の間に差があるのは明白だった。

 しかし、それを理解しない総一郎でもない。二人は適切な間合いを取りつつ見切りの境地である「技撃軌道戦」を始めてから既に――三日経っていた

 踏み込み上段からの一振りを釣りに使い、鞘による打撃を試みる。対する卜伝は上段斬に見向きもせず鞘を刀の逆刃で弾いた。

 これは只の読み合いで実際には一太刀として相見えてはいない。しかしそれは総一郎の太刀が一度たりとも届いていないと同義だ。そして卜伝の方からは一度も攻めることは無かった。

 

(後の先に置いて――違うな、見切りについては俺の及ばぬところに居る。見切りの奥義とでも言うのか、このままでは勝てない)

 

 総一郎は心を静めた、目を閉じた。幾ら相手が攻撃してこないといっても相当な度胸である。彼の無我が目を閉じたのならば正解と言えば正解だが。

 

(六徳――無我――その先を得なければならない。ここで成長しなければ死ぬぞ……!)

 

 卜伝はその姿を見て少しだけ口角を上げた。

 その様子から見るに卜伝は今すぐ総一郎を殺す気がない、総一郎も数十分でそれに気が付いた。飽くまでも自分を殺してもらいたい卜伝だ、時間の許す限り総一郎に実戦形式で稽古をつける気なのだ。それでも何時かは殺す、それをどうできるか、総一郎は理解してそして焦っていた。

 力、技、そういう話ではない、正面から打ち合うには最高の環境と最大の鍛錬をして最低でも五年必要だ。この技撃軌道戦だけでも相当な経験値を積むことができているが、卜伝に総一郎が勝つには閃きと何かが圧倒的に足りていない。

 

(後の……後とでもいうのか、それが俺には出来るのか)

 

 総一郎は刀を鞘へ納める。

 

「ほう」

 

「開祖爺さん、打って来てくれよ」

 

「良いだろう」

 

 局面は次へ移る。

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

想像を絶した。総一郎は優に千を超えた死の間際を体験した。幾度の走馬燈を抑えて生きるために三百六十度から放たれる太刀筋を避けて受けた。

この時既に二月を超えている。打ち合いと見繕ってはいるが実際は一ヶ月以上も相手の攻撃を休まず受け続けているだけだ。この場合の休まずというのは誇張ではない、一月から初めて二月中旬、一か月半も彼らは手を止めず睡眠も一切をとっていない。卜伝は元々そう言う奴なのかもしれないが、総一郎は迫り来る死神から命を守るためにアドレナリンを意図的に出し、筋肉を無理やり緊張させていた。

 

「死ねない――」

 

 ほぼ無意識なのか卜伝はその言葉を所々で聞いていた

 彼に一体どのような生活があり交友があり、その瞳に宿る信念があるのか。卜伝はそれを知らぬ――が、故に「総一郎」という人物像が良く分かってきていた。

 

「なるほど」

 

 卜伝はそう呟くと刀を鞘に納めた。同時に笑みを浮かべた。

満身創痍のようで気が極限までに洗練され、体も一回り大きくなっている。筋肉の緊張状態は殺し合いに相応しいほど張っており、総一郎の目から「死ねぬ」という意思が濃く伝わる鋭さが放たれている。

 そんな総一郎は卜伝の行動に深刻な動揺を覚え、そして――崩れた。

 

「無理もない、儂もかなりの所まできている」

 

「野郎……!」

 

「安心しろ、今は殺さん」

 

 総一郎は辛うじて視線だけを卜伝へ向けた。体全身から滴る汗はまるで洪水、まるで失禁だ。良く見ると総一郎の使っていた刀も相当な消耗をしていた。

 

「どのみちそれではあと数振りが限度だろう。これ以上無駄なことをしても意味が無い」

 

どうにか上半身だけでも起こそうと手のひらで踏ん張ろうとする総一郎を他所に卜伝は転がっているひょうたん徳利を拾い中身を浴びるように飲み干した。振り返り総一郎が片肘突いた状態で息を枯らしているのを見ると卜伝は言う。

 

「お前、武への執念がないな?」

 

「――」

 

 息が止まった。総一郎の息が止まった。大きく揺れていた体がぴたりと止まり、やがて総一郎は何事もなかったように体を起こしてそこで座った。

 

「楽しくないのだろうな、幼少期から儂を殺すためだけに武を強制されたのだから。しかしな、それでは儂に勝てぬぞ、仮に儂にその刃が届こうとも貴様は死ぬ、お前には儂を一撃で殺す手段を想像する力がない! 生への執着と約束だけでは生き残ることは出来ない! 執着、約束、そして執念の三つを持つ者だけが今日を生きることが出来、明日愛する者と愛を確かめられる! それの無いお前に明日は生きられない」

 

 沈黙が続く。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 自己回想など何年振りだろう。師匠が死ぬよりも前の話だ。

 正確に覚えている、人を斬ったその二日後。全て諦めようとする自分をどうにか留めたのが最後だ。

 自分は目の前にいる爺のせいでこんな思い出に浸っている。

 

「おはよう」

 

 そこは新当流の道場だ、門下生が朝から汗を垂らし、汗まみれ。匂いは想像通りの匂いだ。自分はそこに身なりを整え足を踏み入れた。今までの行いを鑑みれば門下生の視線の理由もうなずける。

 

「おっはー!」

 

 自分の後ろから燕が明るく入ってくる。

 

「総ちゃん、おはよう!」

 

 視線を遮るように燕は総一郎の前で満面の笑みを浮かべた。今の自分にとって素晴らしくありがたいことだ。

 少し前にあの川で心の内を明かしてから自分と燕の距離はかなり縮まった。

 

「おは、つーちゃん」

 

 総一郎の笑み、そして二人の雰囲気に門下生は目を見開いた。荒くれ者の総一郎とアイドル燕、幼馴染、しかし最近の中は最悪だったはずだ。それだと言うのに今「総ちゃん」「つーちゃん」とかつての呼び名、まるで恋人のように呼び合っているではないか。

 

「皆聞いてくれ」

 

 自分は門下生の前に立って真剣な趣のまま鍛錬を止めさせる。門下生が自分を畏怖して自分を崇めていることを知っている、自分自身を信頼してくれているわけではない。だからこそ自分からやっていかねばならない。

 

「我が師、雲林院村雨の後を継ぎこの度新当流総代を受け継ぐことになった」

 

 どよめき。しかし自分は話を続けた。

 

「俺は不出来な弟子だ。師匠が死ぬまで彼の愛を理解しなかった、俺が理解できる状態でないと知りながらも彼は俺を愛し続けてくれた」

 

 もう話し声は聞こえない。皆が自分の声を聞こうと努力してくれている。

 

「次は俺が皆を愛する番だ、俺は我が師を受け継ぎそして必ず超えてみせる」

 

 初めての決意表明だった。何としても師の無念を晴らしたい、恩返しをしたい、門下生は自分の真摯さに応えてくれた。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 それから少し経つ、自分はこれから夏休みを利用して武者修行の旅、師に縁のある剣士の元へ経験を積みに行く算段を立てていた。

 金銭に支障は無い、礼儀作法も学んだ。

 

「あとは……」

 

 京都の河原。特に別称でもなくただの河原だ。強いて言えばあの日の夜の河原だ。

 自分が今ここで腰を下ろしているのは人を待っているからだ。しかし普段であれば水切りの一つでもして暇をつぶすのだが、今日に限って自分は堤防の坂に腰を下ろして一点を凝視していた。

 待ち人は「松永燕」だ。

 あの日ここで辛さを共有した彼女、自分は旅立つ前に気持ちをつもりだ。

 

「総ちゃん!」

 

 横から足音と共に透き通った可憐な愛しい声が聞こえてくる。正直言って燕のことが好きでたまらない。燕も自分に好意を寄せてくれると思っているので、その燕が時折見せてくれるとびっきりの笑顔が心を突きさしてくる。こんな世界にいるからなのか、鍛錬後の汗が滴る燕の姿や近くにいると漂ってくる女の汗の匂いが自分の性的欲求を満たすようだ。

 プライベートでもあれから何度も遊んだ。燕はアイドルなので自分のような男といれば噂が立つかもしれない。だが、「京都のツインエース」なる言葉に今は救われているのが現状だ。学校でもプライベートでも一緒にいても仲の良い姉弟に見られることも多い、実際学校ではそういう工作をしている。

 

「待った?」

 

「待ったが別に苦じゃないさ」

 

「良かった。それで何か御用かな?」

 

 燕は走ってきたせいなのかハンカチで額や首に垂れた汗を拭いている。そんな燕を凝視していると微笑んで「どうしたの?」と言ってきた。

 すると知らぬうちに自分は燕を抱きしめていた。

 自分からは見えないが燕の表情はみるみる赤みを帯びていく。だが、抵抗は無い。

 

「燕、好きだ」

 

 燕は俺をそのまま強く抱きしめて胸に顔を隠した。

 

 

 

 その後、俺と燕は隠れて付き合うことになる。燕が変装して自分の家に来たり、デート中も燕が変装、学校などでは寧ろ今の関係を変えないようにした。どこか旅行に行くときは修行の形をとった。

 

「俺、川神行くことにした」

 

「武神がいる?」

 

「ああ」

 

 隣で寝ている燕は少し驚いたように瞳を濁らせた。

 

「どうして?」

 

「心機一転さ」

 

 燕は腕に腕を絡めてきた。自分も燕に正面で向き合った。

 

「無理しないでね」

 

「ああ」

 

 自分はそのまま燕を抱きしめて眠りに落ちた。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

「無いと申すか」

 

 総一郎は執念と約束、村雨の為に呪いを消す執着ともう只の関係ではない燕との約束。だがどうしても執念が見当たらない。

 総一郎は死を覚悟した――

 

「無いと申すか!」

 

 一喝。それは総一郎の心の隅に置かれているものを引き出すのには十分響く言葉だった。久しぶりに大人に怒られた総一郎に響く言葉だった。

 

「――光灯る町に背を向け」

 

 卜伝はその言葉に構えた。少しずつ総一郎は立ち上がる。

 

「我が進は果て無き荒野――」

 

 卜伝は呼吸を整えた。総一郎は正眼に構えた。

 

「揺ぎ無い意志を糧として……!」

 

 卜伝は「良き」と呟き、総一郎は顔を上げた。

 

「闇の旅を進んで行く!!」

 

 卜伝は上段に振り上げた。総一郎は真摯な表情で顔を合わせる。

 

「次で決める、奥義を使うぞ」

 

「いいぜ――来い!」

 

 

 

 

 総一郎の目前に卜伝は一瞬にして間合いを詰めた。否、その表現はその次があるようにも聞こえてしまう。

 卜伝はそれを振れば確実に総一郎を殺せる間合いに入った。

 総一郎は受けるか避けるか。また否、受ければ死ぬと理解した、そして避けれないと理解した。

 

 上段斬りを受ければ刀ごと体を真っ二つ。

 

 返し技を決めても自分の体は真っ二つ。

 

 体を半身にして避けようとしても卜伝の修正で唐竹割りにされる。

 

 防御しながら避けようとするには時間が足りない。

 

 逃げてもその次は無い。

 

 総一郎の頭に自らの死が何度も何度もリフレインした。そして走馬燈が過る。

 

 

 ――ううう、なんで総ちゃんはいつもこうかな

 

 ――……道場破りなら川神院へどうぞ

 

 ――風間ファミリー入団試験を行う!

 

 ――なんだとー!

 

 ――私は総一に感謝しきれない

 

 ――あはは、何か大変そうだね

 

 ――川神一子よ! ワン子じゃない!

 

 ――お前は楽しくなかったかもしれないが、私はものすごく楽しかった

 

 ――死なないで

 

 

「――」

 

 現実に戻された時、総一郎はまだ生きていた。卜伝の動きがまだスローに見える。

 

(まだ、生きれる……死ねない!)

 

 総一郎は無我の境地の先へ入ったことを気が付いていない。だが、諦めない。総一郎の構えは正眼よりも少し低い位置に刀を置いていた。

 卜伝は依然として上段斬りのままだ。

 

 総一郎は思考する前に体を動かしていた、体を半身に。だがそれでは死が待っている。しかし、その先は完全に思考の外、精神の奥底が体に求めた結果だ。

 両手で持っていた刀を右手だけに持つ、卜伝は目を見開いて笑みを浮かべた。この少年は生きようと、死にたくないという気持ちで心に全てを委ねている。喜ばしいことだった。だからこそ、自分は最大の力で彼を殺すのだ。

 

 卜伝の上段と総一郎の――突きが交差した。

 

 そして卜伝の刀は総一郎の肩を掠め、総一郎の刀は――卜伝の心臓を貫いていた。

 




すいません。向こう書いていたんですが、何故かデータがない。

ですが今日出てきまして、投稿しました。申し訳ないっす。

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