三ヵ月という長く短い月日、人によって感じ方は違うだろう。受験生にとっては幾つあっても足りない時間だろうし、在校生にとっては退屈な授業が続く夏休みまでの時間かもしれない。
しかし、そのファミリーにとっては信じられない程長い時間だった、そして酷く眠れない日々だった――特に百代にとっては。
百代の気が爆発する――臨戦態勢に移ったことが誰からでもよくわかる程気が溢れている。少し前までなら鉄心やルーが止めに入っていただろうが、ここまで気を撒き散らそうともかつての百代のように暴走はしない、むしろ今少しでも発散させておかねばいけないと判断している。
なにせ、生涯のライバルが三ヵ月も安否が知れなかったのだから。
その時、爆発して溢れ出た気が百代の体に収まっていく。鉄心やルーはそれを知るところだったが、総一郎は口を半開きにして驚愕の表情を浮かべていた。
まさしく――天衣無縫、かつて総一郎と河川敷で戦った時に百代が出した動の極み、総一郎の気に当てられて偶々だせたものだったはず、三年はかかると言われたものだ。
「……化け物かよ」
「化け物、結構――」
二人の合言葉に成りつつある言葉を呟くと二人の交差は始まった。
まず百代、初手先制という基本は変わっていない、これは戦闘スタイルの問題であって変えれるものではなかった。総一郎も後の先であるためやり辛さが全くない全力の勝負が出来るライバルであった。
して。その初手には勿論変化がある、つまり後の先と対になる先の先――二人の距離はおおよそ二十メートル、総一郎に向かって攻撃を放つ間に百代は七十七変化をつけてその刹那を駆け抜けていた。
ならば――後の先にいる総一郎は七十七手に変化する百代の攻撃に七十八手対応するのがその筋である。しかし、百代が残り三メートルに近づき五十四変化をつけた時点でその大太刀を抜いてすらいなかった。そもそも剣術家にとって三メートルという間合いは自分の制空権内である、その内側は彼らにとって現実として死に直結するとも言う。後の先にあるまじき行為、百代もそれを理解していたからこそ、そのまま総一郎に一撃を――と考えていた。
結果としてその拳は総一郎に当たることは無かった。
「な……」
総一郎はただ単に体を傾けるだけで避けた。まさか、そんな表情で百代は視線を右に向けて総一郎の顔を見上げていた。カウンターを放ってくることもなく、刀を抜くこともない――まるで自分の七十六手を無視するように最後の一手をただ避けていた。
総一郎は軽く笑い、百代を置き去りにするよう校舎へ向かって三ヵ月前とは違う、やる気のなさ――を見せながら飄々と遅い歩みを進めていた。
「総一!」
教室に入るなり数人がそう叫んだので誰が、とは言い辛いが明らかに一子は涙ぐんでいたのでこの場合の代表は一子だろう。勿論、モロやガクトも心配していたと言わんばかりの表情をしていたが、キャップは「連絡ぐらいしろよ!」と肩を組んで再会を喜んでいる。一方、京は不機嫌な顔のまま一点の札を総一郎に向けている。
内部事情を知らなくとも彼が三か月間も連絡が途絶えていたことを知る者は多い、総一郎の周りには人だかりが出来ている。揉みくちゃにされている総一郎だが、ふと視線を向けると口角を上げて笑みを浮かべている大和の姿が見えた、総一郎からその姿がどんなものに見えたのかは分からないが、右手を上げてこちらも笑みを浮かべた。
「お前らホームルーム中だぞ!」
と、梅子の檄がF組に響き渡ると一同は何事もなかったように自らの席についていた。よほど怖いのだろう。
「申し訳ありません、騒がしいクラスで」
「いえいえ、楽しそうでよかった。クリスも喜ぶでしょう――それに良いものを見せてもらったよ」
軍服の老人は総一郎へ視線を向けた。
「父様!」
「おお! クリス!」
するとそこにクリスが飛び込んできた、それを迎えるクリスの父は至極幸せそうである。
「さて、クリス。ご挨拶しなさい」
「はい――ドイツのリューベックから来たクリスティアーネ・フリードリヒだ。日本に侍の武士道精神を学びに来た、よろしく頼む」
幾つかのアクシデントはあったが、クリスの自己紹介が終わるとF組の男子一同は金髪美少女の登場に一テンポ遅れる形で歓声を上げた。賭けに勝って喜ぶものもいればヨンパチやガクトのように下心丸出しで嬉しさを爆発させるものもいた。
特にガクトはそれを口にまでしていた。
「え、えーと。く、くりすてぃあーねさん?」
「クリスでいいぞ」
「お、そうか。じゃあクリス――彼氏とかいるのか?」
「いるわけがないだろ!!」
ガクトの質問に刹那も間を空かせることなくクリスの父は怒鳴り声を上げた。当のガクトは反射的に心と体が竦んでいつの間にか自分の席に着席していた。
「いないぞ」
「当たり前だ、いたら本国の一個大隊で爆撃してやる」
「父様は仕事に情を持ち込まない人だ」
「はぁ……」
梅子を含むF組全員がそう溜息をついたことだろう、親バカと天然お嬢様そして日本勘違い外国人というF組にぴったりと言える転校生が波乱の幕開けを告げた。
そんな中一人、総一郎はクリスに興味なさげで刀の金属音を鳴らしてこの学園の雰囲気を楽しんでいた。
「フランクさん、そろそろ」
「おお、そうだな。クリス、何かあればすぐに言いなさい、戦闘機を飛ばして駆けつけよう」
「はい、父上!」
クリスが抱き付くとフランクは梅子に一礼して教室から出ていった。
どうやらクリスは島津寮へ引っ越してくることになっているようで、同じ寮で女子の京がクリスの案内係に指名されたが、恐らくそんなことはしないだろう。その尻拭いはキャップか大和に降りかかる。
兎にも角にも総一郎がこの川神学園に帰って来たことはファミリーにとって喜ばしいことであり、この日クリスと並んで学園の二大ニュースとなった。エレガントチンクエの一人が男前になって帰ってくるわけであるから昼休みのF組は騒然としていた。教室の外に女子が総一郎を一目見ようと集まっているのだ。一年生にとってはエレガントチンクエ謎の五人目という都市伝説となっており、かなりの人数が集まっていた。
逆に先程まで総一郎が帰って来たことに喜んでいたガクトはF組の端っこでヨンパチとなにやら呪文のようなものを唱えている。
するとそこにエレガントチンクエが一人――葵冬馬、そして準と小雪、さらには英雄やあずみ、心までが姿を見せた。
「お久しぶりです、総一郎君」
「ひさしぶりだな総一」
「チョコマシュ寄越せー!」
「フハハハハ! 総一、何故連絡を寄越さなかった!」
「お久しぶりです総一郎様☆(てめえの安否が分からねえから英雄様に余計な心配をかけたんだぞ、どう落とし前つけるんじゃ? ああん?)」
「久しぶりじゃな塚原君。いや別に、心配してなどは居らんぞ? 父上がな塚原君の――にょわー! ココちゃんはやめんかー!」
そんな怒涛な攻め。両手を前にして六人からの質問攻めに「まてまて」と呟くもそれを聞き入れられはしなかった。というか、その両手は冬馬がこれより近づかないようにする為のバリアだったのかもしれない。
一息つくこともなく昼休みが過ぎていくように感じられた。
「クリスはなにかやっているの?」
総一郎の耳にそのような言葉が入ってくる、視認しなくてもわかることだがその声の持ち主は一子だった。
なにか――アバウトな質問だがクリスはここの雰囲気を汲み取りその意味を理解した。つまり何か格闘技をしているのか、そういう意図だ。
「ああ、フェンシングをドイツではやっていた」
「そうなんだ」
一子はその回答に相槌を打つと少し口元が緩みだした。そして胸ポケットに入っている――ワッペンをクリスの机に叩きつける。
聞き覚えのある破裂音にそばにいた一同はそこへ視線を向けた。得意げにニンマリと笑みを浮かべている一子、そしてクリスはそのワッペンを凝視する――が、そんな時間が長引けば緊張感が漂った雰囲気も見るも無残に崩れていく。そんな状況に困惑していく一子の後頭部を大和が叩いた。
「痛い!」
「馬鹿、クリスは来たばっかりなんだから決闘制度のことは知らないんだ」
「あ」
一子の口から洩れた音で教室からは一気に笑い声が漏れた。恥ずかしがる一子にクリスは構いもせず質問する。
「決闘制度とはなんだ?」
「まあ、簡単に言えば教師立ち合いの下、生徒同士の争いや優劣を武による勝負や智による謀り合いで決める制度。この学園ではそれを認めているわけだ」
恐らく一子では答えられないと判断した大和は二人の横から口を挟む。その説明は手慣れたようで簡潔な説明によりクリスも理解するのが早かった。
だからこそだ、クリスはそこに疑問を抱く。
「自分は川神さんのと何故決闘するのだろうか」
至極真っ当な疑問である――はずだが、このクラスもといこの学園の常識ではそんな疑問は出てこない。あれだけの登場をしてさらに格闘技まで習っているのだ、ならば理由は一つ。
「歓迎――よ!!」
その一言にクリスは一度驚き、そして笑みを浮かべ胸ポケットにある物を机に叩きつけた。
♦ ♦ ♦
校庭にはかなりの人数が集まっている。貴重な昼休み――それが学生の共通認識だが、昼ご飯を適当に済ましてまで楽しいことがそこにある。
ホームルームに馬で乗りこんできたドイツからの転校生である金髪美少女クリスティアーネ・フリードリヒ、武神が妹で武士娘の切り込み隊長である川神一子の決闘。さらにその決闘理由は歓迎会である、そう煽り文句が学園中に広まるにはカップラーメンが出来る時すらかからない。
二人の決闘に注目が集まっているのには更なる理由がある。早朝のひと悶着が彼ら彼女らの魂に火をつけていたからだ。
その当事者である二人は人だかりの最前線で並んでいた。
「あれ、後輩君じゃないか。さっきは舐めたことしてくれたな」
「怖い怖い、ワン子が怯えるからやめて」
「なんでワン子になすりつける」
総一郎の後ろから百代は抱き付いて殺気を出していた。しかしそれもただのスキンシップ、周りからしたら迷惑もいいところだが、実際百代の敵対の意志は無い。殺気が無くなるとギャラリーは総一郎へ妬みの視線を浴びせる。
「で、どうなのワン子は」
「ん? なにが」
「いやいや、ワン子の実力はどうなの」
「あーそうか、三ヵ月振りに見るのか」
三ヵ月振り――と聞いて総一郎も百代も気持ちが昂っていた。総一郎は一子の成長振りを楽しみにしていたし、百代は総一郎が帰って来たことを実感して――一子の成長をようやく見せられると思っていた。
すると中央で準備していた一子が体に着けている重りを取って総一郎の方に駆けてくる。
「総師!」
「なんぞ」
「修行の成果お見せします!」
「良し、頑張れ」
「はい!」と力強い返事に総一郎は「それ」を感じ取り興奮が安心に変化した。
二人が中央に向かい合う。ギャラリーの興奮は最高潮に達し、後ろの方でトトカルチョをしていた大和とキャップや弁当売りの声が聞こえなくなる。歓声にかき消されたのではなく、全てが静粛になった。
それをみて鉄心が現れる。
「儂が戦闘続行不可能と判断するか、もしくは降参を宣言するまで決闘は続く。武器はレプリカを――これは良いな。急所への攻撃は禁止、降参した相手へ攻撃した場合は儂が力ずくで止めるからよいな?」
「はい!」
「了解しました」
二人の返事を確認して鉄心は頷く。
「それでは――始め!」
先手は一子――と総一郎の考えは良い意味で裏切られた。先手を取るスタイルを否定するつもりはない、それを貫いて進化させているならばそれで良い。だが、一子は動かなかった。かといってクリスが先手を取ることもない。
クリスは一子のことをまだよく理解はしていない。だがそれでも気質は感じ取っていた。犬のように直進的――それはファミリーにとっても学園の生徒にとっても共通の常識である。総一郎でも思っている。
だからクリスは驚愕とまでいかなくとも意外感を覚えた。しかし意外感を超えない程度であるからこそ動揺は見られない、二人の膠着はギャラリーが六度息を飲むことができるほどに長かった。
総一郎は横目で百代を見ていた。それに気が付いた百代は「してやったり」と言わんばかりに悪い笑みを向けている。しかし総一郎も悪い気はしない、弟子の成長を喜ばないわけがないのだ。
一子は豹へ変貌を遂げていた。
時間が経つに連れクリスの表情が曇っていくのが良く分かる。我慢比べに疲れたわけではない、一子から放たれる視線の鋭さに恐怖を覚え始めたのだ。普通は正面で対峙するはずのない肉食動物から放たれる狩りの意志、サバンナでもその意志に立ち向かう者はいない、感じ取った瞬間に逃亡を選択するだろう。
状況を打破したい――クリスはそう考えるが、むやみに攻めれば思うつぼ。思考が攻めと守りで揺れていた。
(揺れた)
そう思考したのは他でもない一子。
相手の動きを読むのではなく、相手を観察するのが一子の見つけた戦い方――「六徳の観」である(名称は大和が付けた)五感だけでは観察できないものを六感にまで頼り「感じる」のではなく「観察する」成長段階ではある物の百代お墨付きの代物であった。
して、一子がクリスの揺れを観たその時、豹は狩りを始めた。それに気が付いたクリスは自分の判断が正しかったと信じた、正解は待ちだったと信じてしまった。
それは決定的な間違いだ、それに気が付いた者は数人と言ったところだろうか。殆どの者が一子が痺れを切らしたと考えた。
動揺は獣にとって十分に狩れる動きである――
迫る一子をクリスは一突きした。フェンシングの突きは最速、そして細すぎる点は容易に弾くことはできない。
クリスの突きは一子の胴体を完全に捉える位置にいた。
「なっ!」
クリスはそう声を上げたのは切っ先に感触がなかったからだ。一子の突進が突然だったからこそ当てる場所を予測しなければならない。だが、それは当たらなかった。
その理由は簡単だ、二人の意図の違い。もっと言えば一子は機を間違わなかったがクリスは一子が機を誤ったと勘違いしている。
つまり一子はクリスのカウンターを予測済みであったわけだ。
フェンシングの間合いに入れば一子が使う薙刀も間合いに入ったことになる。圧倒的にクリスは不利、しかもフェンシングは特性上一度突いたら引かねばならない。この間合いで武器を引くことは自殺行為、間合いは零になる。クリスはそう考える暇もなく剣を引いてしまった、後は一子がクリスに一撃を浴びせるだけだった。
「そこまで! 勝者、川神一子!」
間髪を入れず歓声が上がる。一子の信頼度と人気度が現れている。
そんな歓声の中一子はクリスに手を差し伸べている――が暫くすると何にか口論が始まっていた。仲介に大和と京が入り、鉄心が一子に拳骨をかましていた。
総一郎も「さていくか」と考えていたが――
「ありがとうな」
――と、百代が耳元で囁き、総一郎は一子の方へ駆けている百代の後姿を見て、もう一人の弟子の成長も感じていた。
怠けていたのですが、一子のシナリオをやったら一気に書けました。