真剣で一振りに恋しなさい!   作:火消の砂

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――私という者の支え。――

 冬休み直前、イブまであと一週間となるその週の火曜日。三ヵ月前までは夏の残り火である残暑が厳しく、夏に遊び疲れた風間ファミリーにとって最悪の季節とも言えたが、現在は朝起きれば布団から出ることは困難を極め、ぬくぬくのスウェットで生活し、学校や町へ外出するときは手袋やマフラーなどが必需品となるほど冬という季節がこの川神にも訪れていた。

 川神学園は金持ちが多い。もっと言えば川神には金持ちが多い。なので中には成績を金で買おうなんていう連中がいることもある、もちろんそれを鉄心が許すことはない。

 が、地元有力者からの寄付金や援助金は無視できるようなものではないため、ある程度の上納金を納めれば学校内での「私服」着用を許される。

 その特徴とも言えるのが不死川心や九鬼英雄、忍足あずみ、二年の京極彦一など、その性質上Sクラスに私服組は集まりやすい。

 百代や一子も川神院の一因ではあるが鉄心の意向により制服を着用している。風間ファミリーも大和を覗けば一般階級であるため寄付金など払える筈もなく、特に苦労することもないので制服を着用している。冬用にセーターを着ることも可能だ。

 当然、総一郎も制服の着用をしている――していた。

 

「おや」

 

「どうしたトーマ?」

 

「総一郎君の服が制服ではありません」

 

「ん? あら、若の言う通りだぜ。十徳だなありゃ」

 

 教室の窓から見える総一郎は制服ではなく、その周りには風間ファミリーの影も見えない。それ以上に何故、総一郎が私服で来ているのか冬馬にとっては不思議でならなかった。

 

「不死川さん、何故、総一郎君があのような格好をしているのか分かりますか?」

 

 私服を着ている――それだけが不思議なのではない、あの格好自体が不思議である。心のように着物で来るならまだしも、まるで正装ではないか。

 

「ん? あれは……塚原君の勝負服じゃのう。理由は分からんが滅多に着るものではない、と本人は言っていたぞ」

 

「塚原君じゃなくで「総ちゃん」でしょ?「ココちゃん」♪」

 

「にょわー! やめんかその話は!」

 

 微笑ましい光景を繰り広げられている一年Sクラス、準もそんな心に慈愛の視線を向けているが、只一人、褐色の少年からは総一郎の姿があまり微笑ましく見えていなかった。

 

 

 

 

 

 冬馬の懸念――というか彼は疑問に思った程度だが、その違和感は的中していた。

 総一郎は学長室へ続く三年教室が並ぶ廊下を神妙な趣で歩んでいた。それも一人ではなく、三人で。総一郎の前を二人の中年男性が歩む。それもみすぼらしい中年男性ではなく、二人とも袴姿であった。

 冬馬は総一郎に話しかけようと三年教室のある廊下までSクラスの数人を連れてやってきていた。とても声を掛けられるような雰囲気ではなく、総一郎と視線を合わせることも出来なかった。そんな中、心は言う。

 

「あれは塚原家当主と新当流師範代の――足利興輝殿ではないか……?」

 

 一見穏やかそうな信一郎とは違い、興輝と呼ばれる男はかつて「鬼太刀」と呼ばれた塚原純一郎のように強面で屈強な男だった。足利――と呼ばれることで容易に想像ができる、直輝の父で当主制度はないが、いわば現足利家当主のようなもの。村雨が総一郎を新当流総代に指名していなければ彼がそれを継いでいたとされている新当流の二番手、村雨や総一郎にも劣らない実力を持ち、直輝の目標でもある人物だった。

 そこで冬馬は三年F組の前で寄り掛かる百代を見つけた。てっきり声を掛けるのだろうかと考えていたが、百代は総一郎を見つめるだけで、総一郎も横目で一瞬だけ視線を合わせるだけだった。視線を合わせたことに冬馬自身は気が付かなかったが。

 

「……彼にとって良くないことのようですね」

 

「冬馬、大丈夫―?」

 

「若、あんまり気にしても――総一なら大丈夫だ」

 

 冬馬は二人の言葉で胸のもやもやどうにか排除しようと必死だった。

 心当たりがある、総一郎の姿に。かつて彼がそうなりそうであったように。

 

「……そうですね、総一君であれば大丈夫でしょう。もし何かあれば我々が受け入れればいいだけの話です」

 

 冬馬、準、小雪以外にその言葉の意味を理解できる者はいない、が。その気持ちを共にする者達はこの学校に、この世界には少なくとも「居る」ことは確かだった。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

「この度は事前の約束もなく、突然の訪問をお許しください」

 

「ほっほっほ、別に友に会うだけで約束などいらんわ。久しぶりじゃな興輝――数ヶ月振りじゃな信一郎」

 

「お久しぶりです先生」

 

「ご無沙汰しています、先日は失礼しました」

 

 一度目の礼の後、鉄心が言うと二人は各々の思いを秘めながら再び頭を深く下げた。後ろにいる総一郎へ鉄心は視線を向けたが真摯な眼を向こうから送られ、二人には悟られぬよう少しだけ微笑む。

 

「して、今日はどんな話があるのじゃ?」

 

 それを口にしたのは信一郎だった。

 

「――一月から総一郎を休学にして頂きたい、期末考査も免除させて頂きたい」

 

「……ほう」

 

 二人の間に闘気こそないが不穏と言える雰囲気が立ち込めていた。特に総一郎はそれ止めることもなく二人の後ろで様子を窺っていた。

 だが、誰かがこの間に入らねばならない。そのために興輝はこの場に調停役として参じていた。

 

「先生、新当流師範代として私からもお願い致す。塚原家にとって重要なことでございます」

 

「興輝、お前とて成績が金で買えないことを理解しておろう?」

 

「はっ、勿論でございます。もし進級ができないと言うならばそれでもかまいません。総一郎もそれは了承しております」

 

「……留年しても構わんのか?」

 

「いえ――」

 

 興輝は少し間を置いて総一郎の様子を窺い、総一郎が頷くとまた自分も首を縦に振った。

 

「――進級ができないならば退学で構いません」

 

 鉄心の眉間に皺が寄り、額には少しだけ血管が浮き出て今にも闘気を出す――そこで前に出たのは総一郎だった。

 総一郎に無言の窘めを受けて鉄心は少しずつ穏やかに気を静めていく。一度目を閉じて再び開いた時、総一郎は鉄心の目の前で微笑んでいた。

 

「お主はそれで良いのか?」

 

「ああ、後に引くつもりはない。逃げ道を作るつもりはないが帰る場所位欲しい、それぐらいが今の願いだ」

 

 そんな顔で――と、鉄心は心が痛むのを感じていた。何も言えない、それが鉄心の精一杯できることであった。

 

「……終業式の時に臨時の試験をやる……で、どうじゃ? お主ならできるじゃろう?」

 

「――ありがとう、鉄心さん」

 

 話が終われば早々に三人は学長室から去って行った。

 鉄心が一言いえば臨時の試験など直ぐにでもできる。それしかできないことに鉄心は憤りと不甲斐なさ、そして悲しみを覚えていた。

 

 鉄心にとって総一郎は既に孫のような存在であったのだ。

 

 遅れてやってきたルーは何事かと鉄心に問いかけるが、鉄心は一言――

 

「試練じゃよ」

 

 と、窓に顔を向けて言うのだった。

 

 

 

 

 

「では総一郎君、元日に」

 

「はい」

 

「それまで済ませておくことは済ませておきなさい。何があるかは分からないのだから」

 

「はい」

 

 川神学園校門前にて総一郎は先に京都へ帰る信一郎と興輝の見送りをしている。配慮してなのか総一郎へ声を掛けているのは興輝の方であった。

 終業式まであと数日ある、万が一――があるため期限一杯まで総一郎はこの川神に鍛錬し心を清める。総一郎が袴に十徳を羽織って学校へ来ているのはそのためである。特に格式ばった正装はないが、本人が良しとする礼装を節目に着ることを塚原家は義務付けている。それは京都における名家の集まりや結婚式など、通過儀礼と呼ばれるものを指す。

 ――決闘と言う場合も少なくはない。

 つまり総一郎は元日までこの服装で日常を過ごすことになる。

 

 この服には先程言った通り「礼装」という言葉がぴったり当てはまる、「正装」という言葉よりもだ。

 同じような言葉でも彼らにとってはそのニュアンスの差に価値がでる。

 

「――総一郎、くれぐれもな」

 

 興輝はそう最後に言うと使用人が運手する車に乗り込んでこの川神を去って行く。

 ――くれぐれも――

 総一郎が校舎の方へ振り返るとその意味が理解できる。

 今、総一郎の体から普段ならば考えられない程に闘気が溢れている。――否、総一郎は普段から気を一切漏らすことは無い。百代もそのせいで初めに不覚を取っている。今、総一郎から気が漏れ出ているのは考えられないことではなく――信じられないことだ。

 そこで、だ。普段得物を惹きつけるような気を出していない総一郎がそれを漏れ出していたならば、それに反応する者を多いと言える。

 ――百代、そして呼応して一人。

 総一郎は興輝達が去って行った町中へと再度振り返る。

 ――最低でも六人。

 

 くれぐれも――とは、くれぐれも戦うな――ということだ。

 

「……ふっ」

 

 この状況を鼻で一蹴した総一郎は次の授業の鐘が鳴る前に一時の日常へと歩み出す、己が最も高揚できる「礼装」を気とともに身に纏って。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

 

 やるべきこと、やりたいこと――多すぎる、それが総一郎の感想だった。

 彼はまだ十六歳、元日までに遊べばいい、そういうわけでもないのだ。その意味合いが違う。やるべきこと、やりたいこと――というのはつまり死を目の前にしてというニュアンスだ。

 倫理の授業でよくある「世界最後の日に何をするか」という題。正直言って総一郎は答えのない問いを興輝から与えられてしまい困惑していた。

 幾つかの事は決めている。

 ――精神修行、当たり前と言える。

 ――できるだけファミリーと遊ぶ。

 ――荷物の整理。

 この三つ。だが、これでは決めたというよりも元からあったものを羅列しているようでどうも納得いかない、それでもってそれ以上に思いつかない。

 そんな状況で食堂のソファで寝っ転がりながら、大和と二人で七人のサムライVSエイリアーンVSプレデターンという新作のB級映画を見ていた。

 もちろん、風間ファミリーには全てを相談済みだ。その回答は「好きにすればいい」だ、まったく無責任だ、と憤慨した総一郎だが、よく考えてみると単純な正論であることに気が付いていた。

 

「なあ、大和」

 

「なんだ」

 

「なんかすることないか」

 

「……ないからこれを二人で見てるんだ――あ」

 

 映画のエンドロール、それが流れている間の会話だった。丁度、協賛の紹介の所で大和は何かに気が付いたようでリモコンを使い一時停止のボタンを押す。

 

「なんじゃ」

 

「……九鬼に行ってないぞ」

 

 

 

 

 

 と、総一郎と大和はスウェットから普段着に――総一郎は礼装に着替えて九鬼財閥極東本部に足を運んでいた。

 前回の記憶が鮮明に残っている大和はしかめっ面で、総一郎はでかいビルの屋上をさして興味もないような表情で見つめていた。

 

「おい、ここから九鬼の――って、お前らか……」

 

「どうも、総一郎様と大和様。前回は酷い失礼をいたしました」

 

 歯切れの悪く―そしてどこか思い出したくない表情で言う金髪メイドと二人の名前を確認した後に深く頭を下げる黒髪の暗殺者メイド。大和は軽くお辞儀をして早速――九鬼家とは別に――二人へ粗品を渡していた。驚いて金髪メイドは「お前ROCKだな」と黒髪暗殺者メイドはポーカーフェイスを崩して「……ありがとうございます」と呟いていた。

 すると中から別のメイドが現れて総一郎と大和は九鬼ビルへと足を踏み入れていた。

 

 一人のメイドに連れられて歩く、幅の広い廊下は十人が並んで歩いてもまだ余裕があった。その壁には高価な絵画や壺、特に目利きが優れているわけでもない二人からしたら、ただ単に触れて壊さないようにするだけで、価値の分からないものから祟りを進んで受けようとも思わなかった。

 一つ驚いたとすればメイドや執事――従者と言うべきか。その数がかなり多い。女はメイド服、男は燕尾服、その数は確認しただけでも三桁はくだらなかった。大和はそれだけに気が付いていたが、総一郎は全ての従者が何らかの武装を懐に隠していることに気がいていた。

 あの金髪メイド――ステイシーと黒髪の李という女が居る時点で理解していたことであるが、この九鬼の従者は私兵として確実な「部隊」と認識するのが正しいと総一郎は再確認して立ち止まった。

 

「こちらへ」

 

 メイドは大き目の扉の前で立ち止ると、こちらに一度お辞儀をしてから扉を開いた。

 その先にはおよそ五百人は着けるテーブルがあり、シャンデリアや装飾には相当な金額がかかっている。そのだだっ広い部屋の最奥に座っている者がいた。

 

「お前らが塚原総一郎と直江大和か」

 

 威厳の塊のような声が二人の体を通り抜けていく。その――女――の隣には例の金髪老人――ヒューム・ヘルシングと銀髪の眼鏡をかけた老人執事が待機していた。

 

「はい、直江大和です。今回はお招きいただきありがとうございます」

 

「初めまして、塚原総一郎です」

 

 二人とも深く頭を下げる。意図は違うが。

 大和は確実にコネづくりの為、現在の自分をできる限り最大限売りたいのであろう。逆に総一郎は一つの確信を以て礼儀を尽くしていた。

 

 ――王の家系か。

 

「うむ、直江の父、直江景清殿は良く知っているぞ、あの者には父上も苦労したものだ」

 

 そこで大和のポーカーフェイスが崩れた、狼狽したわけではなく、単純に父の名を出されて驚愕しているだけだ。

 表情が崩れたことを認識するのも時遅し、ヒュームは鼻で笑い、銀髪の老人は心地の良い笑みを浮かべ、女は「はっはっは」と笑い上げていた。

 

「はあ……日本に愛想が尽きてヨーロッパへ移住し、成功しているような人ですから父は、すいません」

 

「別に良い。それにしても景清殿よりもお前は穏やかだな、流石百代の弟分だけはある」

 

「姉さんをご存知ですか」

 

「ん? ああ、そういえば名乗っていなかったな。我は九鬼揚羽である、お前の姉とはライバルであった、負けたがな」

 

「!? そうですか……じゃあ英雄のお姉さんですか」

 

「うむ」

 

 そう揚羽は頷くと銀髪の執事に一枚に紙を渡し、その執事はいつの間にか大和の前に現れてそれを手渡していた。

 

「申し遅れました。私、序列三位のクライディオ・ネエロと申します」

 

 そしていつの間にか揚羽の隣に戻っていた。

 

「それは我の名刺だ。何かあったら言うといい、百代の弟ならば私の弟のようなものだからな」

 

「!? あ、ありがとうございます!」

 

 揚羽がまた笑うと大和は名刺に目線を向けながら深くお辞儀をしていた。

 そして視線が総一郎へと移る、それと同時にヒューム、クラウディオも意識を総一郎へ向け、力量を測ろうとしていた。

 

「どうも、村雨師匠がお世話になりました」

 

 先に総一郎が一言、それに対して揚羽は真剣な趣のまま表情崩さず、ただ総一郎一点だけを見つめていた。

 また総一郎も同様だ。九鬼の人間が村雨の弟子として総一郎に向ける視線の理由を彼は知らない、知る筈もない。何故なら総一郎は村雨のことなど何も知らないからだ。

 だからこそ、理由に予測を付け、その理由に師の生き様を見出していたかった。

 

「師匠は私のことを何と言っていましたか」

 

 一瞬だけ揚羽のこめかみがヒクついた。

 

「私は師匠のことも村雨という男のことも、あの剣客のことも何も知りません。無知です、なんでもいいです、教えてください――これが最後の機会になるかもしれませんので」

 

 その意味を揚羽が理解できるわけもなかった。ヒュームやクラウディオ、大和ですら、いや、総一郎ですら何故これが最後になるかもしれないのか知っていない。釘を刺した興輝も信一郎の言伝でしかそれを知らない、純一郎と信一郎のみがその詳細を知る。

 ただ、揚羽はその目の前で深く頭を下げている男の真摯さを邪険にはしなかった。

 

「いつも村雨殿はお前のことを案じていた、正直に言えば我からしてお前の印象は余り良くない。だが、今は違う」

 

 揚羽は少しだけ微笑みを見せた。

 

「村雨殿はお前のことを誇っていた。自分には勿体ない弟子だといつも言っていた。いつか共に歩める日を待ち望んでいたぞ」

 

  少し間を置いて総一郎は深く深呼吸をする、上を向いて口から息を漏れ出せば、そこには死の間際の師と自分に世話を焼くあの悲しそうな瞳と表情が浮かび上がってくる。

 呪い――その言葉に今までどれだけ反応し、どれだけ師の顔と言葉を連想しただろうか。込み上げるものはまだない。まだだ、まだ早い。そう言い聞かせると、早くこの思いを

解放したいのか、心の奥から巨大な波と共に大きな塊が浮き出てくるように感じた。

初めて感じた――信念――

 それの姿を見れば総一郎が今どんな思いで揚羽の――もとい、師の言葉を噛みしめているかは一目瞭然。揚羽やヒューム、クラウディオでもない大和ですらその心の一片を感じ取ることは容易だった。

 ゆっくり目を開いて微笑むと、総一郎は先程とはうって変わり、非常に柔らかい雰囲気で周りを包みながら村雨の話を楽しく聞くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

 クリスマスが過ぎて今年も残すところあと三日、その日は十二月二十九日で総一郎の軽いゲン担ぎ会を行っていた。

 メンバーはファミリーの面子に源さんを加え、さらには冬馬や準と小雪も島津寮に集まって広間ではすき焼きが振る舞われていた。川神院の肉に合わせ葵紋病院の跡取り息子である冬馬が持ってきた川神産の珍しい野菜、食後に食べるデザートによって島津寮には合わないかなり贅沢なものとなっていた。

 だが、時が経つのはあっという間だ。流石に空気を読んだ冬馬は総一郎の部屋に泊まるなどいうこともせず、小雪と準を連れて十時頃には帰宅していた。風間ファミリーもいつもならばこの後壮大にはしゃぐのだが、十二時を回った頃でお開きとなった。夜も遅いため百代と一子は京の部屋に泊まることとなる、もちろん今回は入学時とは違い川神院からの許可は取っている、そういうところに変化が現れたところも総一郎にとって嬉しいものである。

 それでも――だ。

 それが嬉しかろうと今は心に余裕を持つことができていない。やることは済んだ、やりたいことも済んだ、心の重りはもう殆どない――だが、一向にこの靄は晴れることを知らなかった。

 午前一時頃、総一郎はあの河川敷で、もう明かりが殆どない夜を黄昏ていた。

 

「どうした」

 

 不意に声を掛けられたが総一郎は余り剣術家として良いとは言えない反応を見せた。人が――百代がすぐ傍まで来ていることに気が付いていなかった。

 

「油断してたなあ」

 

 ニヤっと百代は笑った。普通ならばこんな時に特別な感情を抱くこともあるだろう、百代は美少女と言える女だ、しかも風呂上がりで髪が妖美であった。

 だが総一郎は百代に恋愛感情を抱いては居ない。もし燕よりも早く百代に会っていたらもしかしたら……だ。

 そこで顔を向けて反応を示さない総一郎にムカついたのか百代が不機嫌な顔、訝し気な視線を向けてきた。

 

「なんだか心が落ち着かない」

 

 そう口にしたことで初めて総一郎は自分の心が「迷い」というものを抱いていること認識した。

 そんな表情が表に出ていたのかだろうか、百代は含んで笑い出し総一郎の隣へ座り込んだ。

 

「遠足じゃないんだ、いつものお前でいればいい」

 

「……まあ、そうだけどさ」

 

 一度間が空く、話のきっかけは総一郎が大きく息を吐いたことだった。

 

「覚えてるか、本気の戦いをここでしたこと」

 

「……ああ」

 

「お前は楽しくなかったかもしれないが、私はものすごく楽しかった」

 

 百代は微笑まし気に総一郎は肩をすくめてそんなに感情を込めることは無く河川敷の地面を眺めていた。

 二人はその河川敷にあの日の動きを投影していた。

 

「あんな動き今はできないな」

 

「まあ、俺もかな」

 

「六発は当てたんだけどな」

 

「こちとら一発で十分――だけど刀が耐え切れないのは誤算だった」

 

「あれは焦った、思いっきり深くまでいってたから、瞬間回復の気を良く練れたな私は」

 

「あれはチート過ぎる、首を刎ねないと勝てない」

 

「お前も大概だぞ、それに美少女の首を刎ねるな」

 

「化け物」

 

「化け物結構――そっくり返す」

 

「――化け物結構」

 

 二人は目を合わせて腹を抱えた。人目はないけれど声を抑えて肩が上下小刻みに揺れている。一体何が面白かったというのだろうか、きっと他の者が会話とこの状況を見ていたとしてもそれは理解できないだろう。

 この二人でしか会話できない、友達や恋人を超えた関係だから通じるツボなのだ

 

 ――好敵手と書いて友、二人は生涯のライバルになる。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 島津寮に帰って歯を磨き就寝、その時に携帯電話が光った。

 

 

『 I LOVE YOU SWORD MAN 』

 

 

 笑みを浮かべて総一郎は気を失うよう眠りについた。

 

 

 

 




どうも、遅くなりました。

GWなどで忙しく、ここ一週間も素晴らしいほどに多忙でして更新が遅れました。

今回の話で一年生編は終わりです。次からは時系列で言えば塚原家当主編にあたりますが、それは後に回想としてやろうかと考えています。つまり先に二年生編をやろうかと考えていたりします。
活動報告でも言いましたが、原作突入がまだだと一年生キャラやクローンが出せないので早めにやろうかなと思いました。

二年生編が始まるときは一応、空白の三ヵ月を軽く触れようかと。

まあもしかしたら塚原当主編をやるかも知れませんが。

――お知らせ――

えー同時進行でやっている「真剣で俺に愛、したら?」の方を一時更新停止にしたいと思います。

理由は今回のマジ恋A-5が思ったよりも話に突っ込んできたので修正をしようと、すると時間がないのである程度一振りが片付いたらそちらをやっていこうかなと思います。

楽しみにしてくださる方もいると思いますがご了承ください。

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