再生と追憶の幻想郷   作:錫箱

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頑張ります





幕外:多々良小傘の受難(上)

「こんちわーっ! 金物屋ですけどー」

 

 カラン、コロンと下駄の音色が軽快に薄暗い路地裏へ反響すれば、それは妖怪忘れ傘の出で来る兆しである。一本歯の高下駄を得意気に、足取りも軽く裏通りをゆく空色の影がひとつ。

 かつて、この比較的新参の小妖怪が町にはじめて現れた時には、巷の夜べに溢れる、駄々をこねて寝ぬ子らへの制裁として、よく化け傘の名前が用いられていたものだった。奇態な茄子色ゆえに忘れ傘となったこのもののけも、往時は勢いこんで路地の角などに潜み、不気味な赤い舌やひとつ目などを見せびらかして人々を驚かせていた。

 

「毎度ありがとうございまーす! お駄賃の方は……へい、まいど!」

 

 時は流れ、人間(じんかん)の口にめっきり化け傘の話題が上らなくなった今でも、この不思議な傘は路地裏を闊歩していた。歩き続けて云十年、本業に閑古鳥の鳴く今では金物屋など営んでいる。ひとつ目のたたら入道だか何だかとの混同がみられる化け傘であるから、鍛冶仕事をなりわいとして細々と生きることも、別に不可能ではなかったのだ。少なくとも、当の本人は自分の特技に何の疑問も抱いていない。

 

「今後ともご贔屓にー!」

 

 件の傘は空色の頭髪とオッド・アイがいやがおうでも人目を惹く、見目麗しいおなごの姿をしているから、ときおり別種の驚きが顧客から発散される。人の恐怖を至上の飯とする妖怪にとっては若干の不満もあることだろう。だが、妖怪少女は健気に生き続けている。

 

「……あー終わり終わり。今日の夕飯は何にしようか……蕎麦……またかけ蕎麦?」

 

 表通りへ続く細道を歩きながら、不満や愚痴はつゆほども漏らさず、今日も少女は屋台の蕎麦のめんつゆを啜りに行くつもりでいた。里の中で腹を膨れさせようと目論めば、他に道はない。洋服のポケツには小銭がじゃらじゃら言っているが、少しでも贅沢をしようものなら、あっという間に人の世の露と消えるに相違なかった。

 とかく妖怪の生きづらい世となってしまったことだ。目立つ茄子色の傘をしっかりと畳み、後ろ手に持ち直しながら、少女は人知れず路地にて嘆息した。見上げる太陽は昨夜の嵐から一過して燦然と輝く。

 表通りへ身を滑り込ませた少女は、道行く人々に紛れるようにして早足で端を歩き始めた。陽の当たる大通りの真ん中を歩けるほど彼女は図太くなかったし、第一そのような行いは妖怪らしくないのだと、無意識のうちに理解してもいた。視点を変えてみれば、庶民の間にひっそりと息づくこの忘れ傘こそ、真に妖怪らしい妖怪といえたかもしれない。

 

 多々良小傘。誰が呼んだか名付けたか、そのゆえんは本人のみぞ知るところ。

 これはある初夏の一夜に、妖怪少女の身に……予期せず……降りかかった出来事の顛末である。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 さて、辺りはすっかり夜の装いである。

 夕闇迫る人里の外れ、人家もまばらな道の端に、煌々と提灯の薄赤い光を灯して、小さな木造りの屋台が鎮座していた。表面(おもて)の暖簾には「八目鰻」と大書されており、たしかに周囲には煙と調味料、香辛料の交ざった、なんともいえない蠱惑的な香りが漂っていた。

 人気のない夕暮れの小路ではあったが、もし誰かが通りかかり、暖簾越しに屋台を見たとしたら、おんぼろの椅子に掛けて脚をぶらぶらさせている小柄なシルエットが一つだけ見えたことだろう。

 

「……かけそば」

 

 屋台から少女の声がする。

 

 

 ────────────

 

 

「かけそば」

「かけそば?」

「かけそば」

「うなぎは?」

「ない、金」

「…………」

「そば」

 

 言葉数の少ない会話が屋台の中で静かに展開し、そしてまた閉じた。

 本来飲食物が置かれるはずの天板の上に顎をのせて項垂れているのは件の傘妖怪、多々良小傘。空色の頭がこてんと板の上に置かれている様は滑稽ではあったが、底知れぬ哀愁を漂わせている。

 そんな客の頭部を見下ろしながら小さなため息をついているのも、また小柄な少女の姿だった。かわいらしい顔立ちにくすんだ紅色の短髪。白い巾と前掛けをつけて、種々の調理器具や器、調味料の入った瓶や升の向こうから小傘を見下ろしている。

 

「はいはい、かけそばね」

「……かけそば」

「うんうん、もうわかったから」

 

 先ほどから四文字以上の言語を話さない客の様子にやや辟易し、屋台の主たる少女は三角巾越しに頭を掻いた。掻きつつも、片手で棚から夕方こしらえたばかりの蕎麦玉を取り出して、湯気を立てている鍋に放り込む。ぱしゃっ、という音に反応してのことか、空色の頭が一瞬ぴくりと動いた。

 

「今日はとみにしょぼくれてんね。どうかしたの?」

 

 金網の上で焼けている鰻らしきものを睨みながら屋台の主は聞いた。ややあって、天板の上の頭がゆっくり傾いた。

 

「やるせない」

「やるせない?」

「やるせない」

 

 お、五文字喋った、などと店主の少女は思ったりする。鍋の中でゆっくりと回転する蕎麦を菜箸で解しながら、そうして客の言葉を待っている。

 

「……やっぱりね、私、いったん金物屋やめようかな、と」

 

 しばし屋台に沈黙が流れた。

 炭火に掛けられた金網の上で、八ツ目鰻と、何か得体の知れない肉の油がはぜる。暮れる日に取り残された屋台の寂しい静けさに、その音は短筒のごとき乾音を打ち付けた。

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 人里から西に伸びる、街道と呼ぶには大いに躊躇われる小径の途上に多々良小傘の姿が現れたのは、湿気た夜の帳がすべて地平を浸すような、月のない子の刻の出来事だった。

 

 叢に潜む虫たちのさんざめく音色に、高下駄の砂利を踏む拍子は乱れて絡み合い、何かしら根源を表すような音の帯が大気にこだましている。夜をゆくあやかしには似つかわしくない、ヒトの鼓動を感じさせるその響きに、音の主である忘れ傘の妖怪は忸怩たる想いを抱きつつも家路を邁進するのだった。

 沢沿いの別れ道……棲み家への岐路が見えたとき、自らの高下駄の音を聴きながら彼女は考えた。

 

 また、なんとなくこの道をゆく。

 再び、歩いてねぐらへ帰ろうとしている。

 幾度、あの三叉の路を見ただろうか。

 

 

 今に限った話ではなく、たとえば一月に一度は訪れるこんな深い夜には、必ずと言っていいほど心象を無造作に横切る考えだった。

 そうした時に多々良小傘は──毎度のことながら──夜道をてくてくと二本の脚で歩く自分のことが可笑しくてたまらなくなってくるので、どうしようもなくなった衝動に身を任せて口元を歪めてみたりする。

 なんとはなしに自分を確かめたくなり、半身たる江戸紫色の傘をぱっと広げて、柄を軸にくるりと回してみる。飾り物のようでそうでもない眼玉と大きな舌とがひゅうと風を切ると同時に、小傘は若干の眩暈を覚えて半歩ほどよろめいた。この傘も「わたし」なのだから当然か、と妖怪少女はどうにも情けない呟きを口の中で発する。

 

 発声に反応してのことか、数瞬、あたり一面に充満していた虫たちの音鳴りが止んだ。小傘が歩みを刻む音が孤独さを際立たせ、夏の闇夜は本来あるべきシン……とした粘性の印象をつかの間取り戻した。

 

 …………ヒトの呟きの余韻が消え、大気の一部たるあやかしの存在を再認識した虫たちが再び鳴き出す…………

 

 里で小耳に挟んだ小唄の節回しを鼻にのせて、多々良小傘は家路を急ぐ。ヒトならざるもののハミングは鈴虫たちの音色を脅かすことはなく、ただ高下駄の拍子木がカラリ、コン、カラリ、コンと彼女の存在を喧伝しつつやがて夜の淵へと沈んでいった。

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 西のはずれ、里の灯を遠くおぼろに望む林のそばにその小屋は建っていた。

 元はこの辺りの土地で生業を営んでいた樵や農夫のたぐいが休むためのものだったらしく、軒先に吊るされた古く乾燥しきった玉葱や、壁に立て掛けられた錆斧や鉈などが在りし日のなごりを伝えていた。土地が痩せ、妖怪の脅威が増すに従って人の足は遠のき、今では窓辺に蜘蛛が巣を拵えている。

 

 下駄を鳴らして歩く多々良小傘は、星の明にぼんやりと小屋の輪郭を見て取り、心象のうごきを感じてかやや目を細めた。

 

 数ヶ月前、雪に閉ざされていたこの小屋を再発見したのは他ならぬこの傘妖怪であり、それからは時たまに訪れては、ぼうっと時間を徒に過ごす場として使っている。金物仕事のない昼には埃にまみれた蓙の上、薄暗いなかに行灯を灯して、里からくすねてきた書物を広げてみたり、墓場に行く気の失せた夜には囲炉裏へ火を入れて薪のはぜる音を身に響かせたりと、およそ妖怪らしい行いとはまるで結び付かないことをしているのがこの小屋の中での小傘だった。

 

 歩ごとに小屋へ近づくに従って、小屋の輪郭はますます確かになってゆく。が、あと二十歩ほどというところにまでたどり着いたとき、小傘の高下駄はふとその歩みを止めた。目を凝らして見ると、締め切られた戸口や窓に打たれた板木と壁の隙間から光が漏れているのである。

 

 夜中に、こんなにも里から遠い場所に人間がやってくるはずもない。となれば、小屋の中の先客の正体は自ずと知れていた。妖怪……格下であれば嚇して追い払えばよし、万が一格上なら失礼を詫びて引き退がるか、でなければ一目散に逃げてしまえばいい……などとやや情けないことを考えながら、小傘は息と足音を殺してそろそろと近づき、戸口の前に立つ。まずは様子を探ろうと、戸板に耳を近づけたときだった。

 

 

《ん、勝手に邪魔してるよ》

 

 

 唐突に小屋の中から投げ掛けられたのは、「凛然とした猫なで声」と形容するしかないような、若い女性の声だった。艶やかな妙齢の淑女が持つ深みと、溌剌とした少女の持つ瑞々しさが一つところにある、奇妙な音声。

 小傘には覚えがある。前に聴いたのはそう、命蓮寺の裏手、卒塔婆の並び立つ墓場だっただろうか──

 

 そのときは、

【よう、湿気てんね】

 と、あの不可思議な声色で宣い、土塀の上から月を背にしてケラケラ笑っていたように思う。「ように」という表現をことさらに用いるのは、それないし彼女の姿を正確に捉える自信がなかったからだった。

 

 戸板ひとつ向こうにいるのが思い浮かべた通りのヤカラなら格上も格上、現世では最上の格付を為された妖怪だ。声を掛けられた以上無視できようはずもない。

 

 息をひとつついて、小傘は引き戸を開け放った。

 

 土間の向こう、明々と燃える囲炉裏の側に、黒い人型が立て膝をして座りこみ、こちらににやついた顔を晒している。火に照らされてもなお白さの際立つ肌と、胸元に象られた赤い飾り布(リボン)……それ以外の全ての装いがぬばたまの闇よりも更に濃い黒色を呈する。

 

 大妖怪・鵺がそこに居た。

 口角を少し吊り上げた、蛇を思わせる笑みを浮かべてこちらを見ている封獣ぬえが。

 

「……えーっと、何のよ、御用でしょ」

 

 とりあえず何か言わねば、と絞り出した声はやや上ずっていた。それを聞いてかぬえの口角が更に上がり、赤みを帯びた瞳と目尻がすっと細められる。小傘は戸口に縫い付けられたように動けないままで、精神的に五歩ほど後退りした。

 

「……まぁ、用というほどのことではないんだけどさぁ。ほら、こっちに来て座んなよ。ひとつ目の」

 

 下手な言動で相手の怒りを買うことを恐れ、口をつぐんでしまった小傘の様子をたっぷり10秒は眺めたあと、ぬえは満足げにそう言った。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 





(下)の次に本編へ戻ります

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