再生と追憶の幻想郷   作:錫箱

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時間がかかった割に短いのですが、結構色々詰め込みました







#40? Lotus/まぶたの裏の旅路

 

 

 その夜はいつもより早くやってきて、普段の群青よりももっと濃い色をしたカーテンを空にひっかけていった。昼頃から間断なく続いていた稲光と遠鳴りは交互にやってきて、雨の音をかき消す。その間隔を数えているうちに真っ暗闇がやってきた。

 

 疲れが体の奥底からわき上がり、僕の腰の辺りを捉えて離さない。腕は節だらけの棒のように固く凝り、思うように動かすことが出来ていないように感じる。いま、畳に身を横たえた僕の顔の前には、説明のし難い素朴な植物と空気の混ざった香りが鼻をくすぐっている。この香りが僕にとって優しく、安心か脱力を誘うものになったのはいつのころからだっただろうか。たかが四ヶ月ほど……このイ・グ・サ (一字一句を思い出す) の上に座り、歩き、眠るようになってから、たったの四ヶ月ほど。けれどそれが僕にとっての全ての月日なのかもしれない。大部分を失った「思い出」とかいうものは、僕にとっての本当の日々では──今のところ──ない。本来なら懐かしさを感じるべき本物の僕の記憶は、どこかに散り散りになって隠れている。取り戻せば自分のものになるはずだと信じて、それら姿形も様々な連中を探し歩かなければならない。

 

 「口で決めるのは易しいこと、優しいこと」

 

 あの子ならそう言うだろう、そう言った上でいつも無言で僕を送り出した。これからも。

 それを彼女の優しさと受け取ってきた僕と、どうしようもない、正体のわからないわだかまりを抱え始めた僕が同時に今ここにいて、これから呼吸をするのが少しずつ難しくなっていく予感がしている。この気持ちを振り払えないまま、今日の僕は眠りに着こうとしていた。

 すっかり「違う」匂いがしなくなった布団の布地の上へ身体を置く。開け放したままの障子からは廊下の雨戸が見え、その向こうに降りつづく雨の気配が枕元にまで漂っていた。障子は閉めようか、いや閉めなくっていい。暗すぎて息が詰まりそうだ。目を閉じてまろびでる欠伸をこらえずに、僕は仰向けになった。こんなに疲れているのだから、きっとすぐにもあなたたちは迎えに来る。

 

 …………………………

 

 『で、何を書いてたんだ?』

 『燃え滓をいくらつついても……』

 『……宝が埋まってるって話だよ』

 

 ああ──でも。

 

 『河童って知ってるか?』

 『《二度と手助けしなかっただろうな》』

 『詰まらない奴』

 『詰まらない奴』

 『詰まらない奴』

 『鳴いてるのは一月くらいだ──』

 

 …………

 

 

 『また明日』

 

 (*** *)

 

 

 

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 【189× 5.14】

 

 

 『今日の朝十時ごろヨコハマ港に着いた。サンディエゴからここまで、長かった船旅もこれで終わりかと思うと少々名残惜しい感があるかもしれない。海風の吹くデッキの上から見た港は、以前どこかの博物館の写真で見かけたニッポンの風景とは全く違って、赤レンガやらでできたアメリカ風の建物が建ち並んでいた。しかし道端に立つ木は見慣れないもので、そればかりが東洋の雰囲気を醸し出しているといえばそうだったかもしれない。

 

 難しい入国の手続きは雇ってきた通訳と案内人に任せて、ぼくは港を少し見て回ることにした。通りに立って眺めた街並みはまるっきり僕の知るアメリカ風を装っていて、何だか妙な感じがした。歩いている連中も半分ぐらいは西洋人だし、残りの半分の日本人らしき人々も洋装をしていた。本当に図鑑や雑誌とは大違いだ。誰もあの妙な薄い上着を着ていないし、ズボンとスカートをいっしょくたにしたようなヤツも穿いてない。腰に反りのある刀を提げた人もいない。髪型だって普通だ。やたらとポマードの香りをプンプンさせている。

 正直少しガッカリしないでもなかった。東方見聞録だかなんだか知らないけど、この港は西洋の続きでしかない。一体どこまで行けばこの眺めは終わるのだろうか。ぼくたちの慣れ親しんだヨーロッパの火は。

 

 昼からは船室に戻って、本や手紙を読んでいた。ぼくがここニッポンを訪れるきっかけになったヒガシカタからの手紙。スティール・ボール・ラン(あのレース)の帰りに船で一緒になって以来の付き合いになるが、どうもぼくはあの老人が苦手……「嫌い」ではなく「不得意」……なようだ。うまいことその気にさせられてここまで来てしまった。……「仙台は良いところじゃ」「最近、娘がお前さんの話ばかりしての」だってさ。ぼくを呼んで何をさせるつもりなんだろう。雇われ教師の真似事はごめんだが。

 くだらない与太話だらけの癖に結構読ませるヒガシカタの手紙を読み返しているうちに、ふと、国に残してきた父のことを考える。ヒガシカタ老人と違って元気溌剌とはいかない、あわれにも一人で暮らすぼくの父親のことを。急な出立だったからろくに挨拶すらしていない。息災でいるだろうか。

 あの男……いや、父のことを考えると苦い思い出がぽつぽつと浮かび上がってくる。淡く古い怒りと、柔らかな赦しの声も同時に……今思えば、ぼくも父も、二人とも孤独な時間を長く過ごしてきた。その間にどう変わったかが違っただけで、結局ぼくたちはどちらもかわいそうな迷子だった。思い出からどこまでも逃げていったぼくと、逃げずに沈んでいった挙げ句、どこへ心をぶつければいいのか分からなくなった父。大して変わりはない。変わりは……

 こんなことばかり考えているうちに薄暗がりになっている。

 

 夕食は船で摂った。港町にはどうせ洋食屋しかないのだから、どこで食べたって結局は同じだ。明日からはもっと刺激的な食生活が営めることを祈ろう。

 外はすっかり夜のヴェールの中だ。いい加減油も少なくなってきたし、異国に到着した最初の日の日記としては少し短いが、そろそろ終わることにしよう。明日はヒガシカタのいるセンダイに向かって北へ出発だ。また明日、明日こそは日本の原風景を船窓から望めることを願って。

 

 

 (railroad switch-on)

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 遠くで汽笛がぼうっと鳴った。

 

 僕はその古びた、誰のものとも知れない日記帳を懐かしさと一緒にテーブルの端に押しやって、走る列車の窓から外を見た。揺れる列車は岩山に灌木の点在する荒れ地のただ中をゆっくりと走っている。砂ぼこりの匂いが鼻をつく。赤茶けた殺風景が延々と広がっている他には何もない……僕は砂ぼこりよりもその殺伐に耐えかねて窓を閉め、シャードを半分下ろした。

 テーブルに視線を戻すと、僕の前には大きな白磁の皿が置いてあって、レタスと肉の挟まった大きなサンドイッチが一つ乗っていた。同じように、僕の向かい側の席の前には皿があったが、そちらに乗っていたのは誰かの食べ残したらしい、かじりかけのサンドイッチだった。相席には確かに、さっきまで誰かがいたような気配が残っている。砂ぼこりの臭いに混じって、微かに甘い果実のような香りがした。

 はて、僕はいつからここにいたのだろうか? 目の前のサンドイッチをじっと見つめながら考える。ここに来る前の事を考えようとしても何故だかうまく行かず、ただ今ここにある風景……走る列車の座席とテーブル、空っぽの相席、サンドイッチ……がぼうっとそこにあるだけで、他の考えを持とうとしても難しい。ここはどこだ? 列車。座席。いつからここに? サンドイッチ。なぜこんなにも考えるのは難しい? 窓の鳴る音、荒野のさみしさ、かすかに漂う熟れた果実のような残り香。

 

 誰かの走る足音。

 

 今、誰かが通路を早足で駆け抜けていった。子どものような軽い足音だ。他にも人がいたのか? 一体どうしたんだ? 通路に身を乗り出そうとテーブルに手を突いたところで、さっきまでテーブルの端に置いてあった日記帳がどこにも見当たらないことに気がつく。

 まさか。ぐいと上体を倒して覗き込む。通路の奥、車両のほとんど端に、走ってゆく小柄な人陰が見えた。くすんだ金髪の、おそらくは男の子だ。手に本のようなものを持っている。僕の日記帳を……僕の?……

 僕の。

 

 「待て!」

 

 ほとんど衝動と怒りから僕は声を張り上げた。あれは僕のものだ、いやたとえそうでなくとも、あ、あれは僕にとってひ、必要なものだ。かかかか返せ。僕の声にびくりと肩を震わせて子どもが立ち止まる。おそるおそる、ゆっくりと彼はこちらに振り向いた。あどけない、年の頃五~六歳と思われる男の子の、怯えたような青い目。

 なぜだろう……その目を見たとたんに、僕の頭と胸の奥で燃えていた気持ちは嘘のように消えてしまった。呼び止めた後の二の句が次げずに、ただ呆然として男の子の顔を見ていた。彼もまた、表情から怯えを消してこちらを見ている。どうしていいのか判らないままに、長い長い数瞬が過ぎた。

 

 ……男の子は次の車両へ連なるドアのノブに背伸びして手を掛けて開け、隙間からするりと身体を滑り込ませるようにして僕の視界から消えた。

 行ってしまった……座席に戻ろうとして、無意識のうちにドアに向かっていた指先に気づく。座席へ姿勢を戻しながら、この指の持つ恐ろしい意味に思い当たった。そうだ、確か……僕には爪があった。僕はあの子どもを撃とうとしていたのだ。僕の物「かも」しれない日記帳を持っていっただけの子どもを撃とうとして、爪を。

 

 (そんなつもりじゃなかったのに、ついカッとなったんだ。信じてよ)

 

 窓の外で、列車を包む砂塵が渦巻いている。

 僕は自分の頭をカチ割ってしまいたくなった。今のところこの力は人を傷つける以外にその価値を見いだせない厄介者であるというのに、それでも僕はこのいかれたコンパスを頼りに旅を続けるしかないらしい。ああ、まるで悪夢のような話だ。

 唇を噛んで砂塵の向こうを睨み付けているうちにふと、ここではない別の世界で起こった出来事が頭をよぎった。そこにはやっぱり不自由でままならない僕がいて、手探りで何か大切なものを (何を?) 探し続けていた。周りの人々の助けを借りながら……得体の知れないモノに見張られながら生きている。

 僕はふたたび、空っぽの相席の方を見やった。「さっき」、遠い昔にそこに座っていたあの人も、確か「向こう側の人々」だったはずだ。姿形も、名前も、果ては本当にそこへ座っていたのかすら定かではないけど、そういう気がしていた。

 

 ……この汽車はどこへ向かっているのだろうか。絶え間ない砂煙のせいで外の景色はまったく見えないし、第一なぜこの汽車に乗って、そしてどこへ向かうつもりだったのかさえはっきりしない頭の中なのだ。車両には他に人の気配はないようだし、彼は向こうへ行ってしまった。座席に根差したような脚は言うことを聞いてくれない。

 遠くで汽笛がぼうっと鳴った。

 僕は何かを追いかけてこの汽車に乗ったような気がする。汽車だって、その「何か」に沿って進んでいたはずだが、どうしてか今はこんな砂煙の中を延々と走っている。僕がいつのまにか乗る路線を間違えたのか、それとも間違っているのは汽車の方か。

 遠くで汽笛がぼうっと鳴った。

 どのくらいの時間が経っているのだろうか。気づくと車内は赤い光の照らす場所になっていた。砂漠の夕暮れを走る汽車に違いない。ぼぼぼくは少し怖くなった。なぜならその光の色ときたらあんまり赤色で、血の色よりもなお毒々しかったから。それにしても不思議だ。秒を数えるごとに車内が暗くなっていく。僕は眠くなってきた。何もかものわけがわからないままで釈然としない気分だったけど、僕は夜の力に抗えず、まもなくテーブルに突っ伏した。

 

 ……汽笛が何度も何度も鳴っている……

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 【手記】

 

 七月○日

 

 昨日は森から帰ってきてすぐねた。霧雨魔理沙に着いて、森の中をずい分長いきょり移動したから疲れていたんだろう。ここのところずっと見ていた夢は、昨ばんに限って見なかったようだ。代わりに少し頭が痛いし、首のあたりの古キズ(ほり出されたときのキズだろうか) も突っ張るように痛む。今日は外に出るような気分じゃない。

 夢を見なかったということは手がかりが手に入らなかったということでもあり、少々落たんの思いもある。最近は特に進てんもない。馬の話だってお金はまだぜんぜん足りないし、爪の妖せいは相も変わらず非力なまま。鉄球はカサのお化けにあずけたまま返ってこない (だまされたのか?) し、八方ふさがり? とはこの事だ。

 

 ひまなので午前中のうちはべん強でもしていようと思う。どうにも漢字はむずかしくっていけない。

 

 

 

 

 







タイトルは平沢進氏の5thアルバム「Sim city」の楽曲「lotus」を頂きました
このお話は三つの軸から成り立つものになる予定ですが、最後の一本だけがテーマを決めかねていました。割に最近になって氏の楽曲を知り、ようやくテーマが固定された感があります。ぜひご一聴ください。

次回はいい加減再登場する予感の、例のあの傘。

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