再生と追憶の幻想郷   作:錫箱

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#34 堂廻目眩 (幕間狂言)

 

 

 (午後六時三十分 稗田邸 客間)

 

 

 「……森で採集、ねぇ……安全なのですか?」

 

 「絶対とは言い切れんがなぁ。しかし、ヤツが働きたいって言うのなら……私が思いつくのはこのぐらいだ。どこか余所へ仕事を紹介してやれる自信はないな。正直、誰も雇いたがらないだろうよ。ハンディキャップが多すぎる」

 

 「そうね……彼の意思を尊重するなら、他に方法はないでしょう……頼んでも、いいかしら?」

 

 「分かってる。これ以上傷つけたりさせるもんか……やっこさんも、もう十分すぎるくらい辛い思いをしたことだろうし……ま、ジョニィ・ジョースターにとって、ちょうど良い心の休養になるように、安全面には細心の注意を払うつもりだよ。安心していい」

 

 「お願いします……しかし魔理沙さん、なぜこのような提案を? あなたには、彼の世話をしてやる理由など無いというのに」

 

 「……質問に質問で返すようだけど、構わないか?」

 

 「どうぞ」

 

 「ありがとう。……じゃあ、その質問、そっくりそのまま返させてもらおう。何故あいつを厚遇する? 阿求、お前の方こそ理由がないんだよ。どういうつもりなんだい?」

 

 「……そうね、何故かしらね。最初、彼を迎え入れた時、その理由は至極単純明快だった。憐憫、同情……偽善めいた思いがあって、保護を決めたことは確か……かなぁ」

 

 「今は違う?」

 

 「微妙にね。今でも彼を見るとき、同情し、哀れみを感じるのは変わっていない。後は……そうね……妙な表現になるけれど、『好奇心』が芽生えちゃったみたいで」

 

 「分からんでもない。私も興味がない訳じゃないから……ぶっちゃけ、私の理由もそれだ」

 

 「そう……なら、判るでしょう。私の気持ち。彼の行く末を見たい、私の気持ちが」

 

 「……ああ、そうだな。分かるよ。不思議だな……」

 

 

 (暗転)

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 【冥界 日時不明】

 

 

 庭先からふわり、暖かい風が吹き込む。

 風はただっぴろい和室の中を渦巻いたかと思うと、急速に弱まり消えていく。

 

 薄い桃色の髪を夜風に靡かせて、白い和装の少女が一人庭に面して佇んでいる。

 右の手には酒杯。左の手には閉じた扇を携えて、彼女はただ座っている。

 

 一陣の風が残した最後の弱い流れに乗って、どこからか飛来してきた桜花の片。部屋を優雅に舞い……少女の捧げ持つ酒杯の中へ落ちた。透明に近い清酒に、桃色の彩どりが染み込んでゆく。彼女は不思議そうにその花びらを見つめ、静かにほほえんだ。

 緩慢な、しかしこの上ない優美さを忍ばせた所作で漆塗りの杯を口許へと運び、わずかに傾ける。やがて唇から離れた酒杯が、傍らにある盆の上へ音もなく置かれた時、酒精で湿った彼女の唇が再び開いた。

 

 

 「ん、今年の桜は早いわね。現世はどうなのかしら?」

 

 

 ほとんど独り言のような小さな呟きであったが、応える者はいた。

 少女の背後、廊下と部屋とを仕切る障子の陰から、その声は流れてくる。これもまた低く押さえてはいたが、若い女性の発する声色だった。

 

 

 「はぁ。ついこの間買い物に下りたときは、全く。むしろちょっと雪とか降ってましたし」

 

 「へぇー。その時は何を買いに行かせたんだっけ?」

 

 「んん、もうお忘れですか? 昨日召し上がったばかりなのに」

 

 「え? あぁ、思い出した。アレね」

 

 「はい。アレの肉です」

 

 

 不透明な会話は、そこで一旦中断した。

 やがて短い沈黙を破り、桃色の髪の少女が声を上げた。

 

 

 「……妖夢。彼女、そろそろ来るわ」

 

 

 障子の陰で、慌てて立ち上がるような気配がした。

 

 

 「え? た、大変だ。早く準備しないと。失礼します……」

 

 

 妖夢と呼ばれた人影が、廊下の奥へ駆けていく。

 徐々に小さくなってゆく足音を聴きながら、桃色の髪の少女は思った。

 

 

 (……厨まで二分くらいだっけ。往復で二倍以上……間に合うかしらね)

 

 

 今から姿を現すであろう客は多忙だ。妖夢が酒や膳を持ってくるのを、待ってはくれないかもしれない。あの子には悪いけれど。「妖夢」の主である少女は、心の中で従者に「ごめんね」を贈呈する。

 少女の名は西行寺幽々子。

 冥界のただなかにそびえ立つこの和館「白玉楼」の主にして、冥界を埋め尽くす幽霊たちの管理者である。また彼女自身が強大な力を持つ亡霊であり、立場上幻想郷の実力者たちとの親交も深い。此度の訪客もまた然り。

 ただ、当の本人は掴みどころのない、はぐれ雲のような気性を持つ。彼女は感情を露にすることも、また秘めた能力を誇ることもなく、ぽやんぽやんと毎日を過ごしている。徒然なるままに日を暮らすその態度が「西行寺幽々子」であるのか、それとも世を欺く隠れ蓑であるのかどうかは、やはり判然としない。

 

 穏やかな笑みを口許に湛えたまま、亡霊の姫は、春を迎えた庭園を見つめる。中庭の枯山水とは異なり、こちらは一種植物園のような雰囲気を漂わせる、典型的な日本庭園。自然の縮図。その一画、五分咲きの小ぶりな桜が立ち並ぶ塀際に、一羽の(うぐいす)が止まっている。幽霊鶯……この冥界にあるものは全て霊である。生前と変わらぬ声色で高らかに鳴く小さな鳥。幽々子はそれを、蒙昧な表情でじっと見ている。

 

 突然、鶯が飛び立った。

 庭の木々が、芽吹いたばかりの下生えが、ざわめき始めた。

 幽々子が言葉を発する。誰も居ないはずの、桜の木の下に顔を向けて。

 

 

 「久しぶりね。調子はどう?」

 

 

 その言葉の終わらないうちに、木の下で異変が起きた。虚空から突如として、黒い風の塊のような物体が吹き出て来たのだ。嵐に揺れる木の葉のように、まるで生きているかのようにざわめくその物体は、よく見れば、黒い羽を羽ばたかせる蝶の群体であった。数百とも思える黒揚羽が空気を渦巻き、思うさま飛び回る。そのただ中にあって、亡霊の姫は静かな笑みを絶やさぬまま、蝶の間に垣間見える桜の木を見つめている。

 羽ばたく黒い群れが過ぎ去った跡に、残された影が一つ。

 

 

 「快調……と言いたい所だけれど、状況はそれを許さないのよね」

 

 

 桜花の下に、その女性は立っていた。

 立っているだけで周りを歪めているような、強烈な存在を持つ姿であった。

 完璧な造形の、しかしどこか翳りのある美貌。しなやかな肢体。それを包むのは紫色を基調とした、和洋ないまざった仕立てのドレス。緩いウェーブのかかった金色の髪が風に靡く。

 少女は手に持った白い大きな傘をくるくると回し、畳む。次の瞬間には、傘は跡形もない。

 優雅に一礼して曰く、

 

 

 「ご無沙汰しておりましたわね、西行寺様」

 

 

 亡霊の少女は礼に応え、居住まいを正して一礼する。曰く、

 

 

 「いえいえ、こちらこそ。八雲殿」

 

 

 そうして二人の少女は数瞬、お互いを見つめ――やがてどちらからともなく、くすくすと忍び笑いを始めた。二人の笑声は共鳴し、鈴の音を思わせる響きとなって辺りに広がった。

 つまるところ、西行寺幽々子と「八雲(やくも)(ゆかり)」、二人の関係はこういうものであった。

 

 

 ≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡

 

 

 「あまり時間が無いものだから、取り敢えずこれを読んで頂戴」

 

 

 幽々子と並んで縁側に座った紫は、一綴りの紙束を幽々子に渡した。半紙で数十枚分はあるその厚い束を、亡霊の少女は胡散臭げに受け取る。目を左から右へ滑らせながら、数枚捲って呟いた。

 

 

 「最近貴方から音沙汰が無かったのは、これが原因?」

 

 「そう。なかなか面倒なことになっていてね」

 

 

 心底面倒くさそうに紫は言うと、小振りな酒瓶らしきものを何処からか取り出した。琥珀色の液体がたっぷりと充たされたそれを「これ、良かったら飲んでね。本場英国のスコッチ」と言って幽々子の脇に差し出す。「ありがとう」と言いつつも、幽々子は紙束の表面から視線を離さない。次々と読み進めていく。

 

 

 「力は微弱だが所在不明、だから複数存在する可能性すらあって……奇態な術を使う……と。確かに面倒ねぇ。どうするつもりなの? 放置しておいたら……」

 

 「分かってるわよ。今、結界の防備を固めているところ。式を方々に飛ばして痕跡を追わせているし、私の目は何処にでも届くから、奴の影響で発生した事実は見つけ次第排除している……念には念を入れて、地底にも協力を要請した。あの連中に貸しを作るのは賢明ではないけれど……」

 

 「遺憾ながら、ね。それでもなお未発見……と。厄介ねぇ、本当に」

 

 

 そこで幽々子は視線を上げ、旧友の顔にぴたりと視線を合わせた。

 

 

 「で、私には何をしてほしいの?」

 

 「察しが良いわね。それの二十五枚目を見て」

 

 

 指示されるままに紙を繰り、幽々子はその紙面を見た。視認できないほど僅かに、眉と眉の間に皺が寄り、ここまで一度も絶えることのなかった微笑が翳った。

 しかし、それから数秒のち、面を上げた彼女の表情は、いつも通りの曖昧な微笑み。

 

 

 「うーん、まぁ良しとしましょう。すぐにでも取り掛かるわ」

 

 「助かるわ。……さて、私は行かなくては。本当はもう少しゆっくりしたかったのだけれど」

 

 

 立ち上がる紫。急な行動に、幽々子は特に驚いた様子もなく、右の手をひらひらと振った。

 

 

 「また今度いらっしゃいな。いつでも構わないわ」

 

 

 ありがとう、と言って紫は庭に降り立つ。虚空から取り出した傘を広げ、目の前の空間を指でそっとなぞる。その軌道に沿って空気がぱっくりと口を開き、中から形容し難い黒々とした空間が覗いた。スキマ……彼女だけが知る境界であり、何かしらの裂け目である。

 桜の舞う庭園に、不気味に開いた次元の裂け目。その中へ姿を消そうとする友人の背中に、縁側の幽々子が、思い出したように声を掛けた。

 

 

 「あ、ちょっと訊きたいのだけど」

 

 

 振り返る紫に、幽々子は件の紙束を指し示しながら問う。

 

 

 「この、あなたが連れてきたという外来人。彼の今後の処遇について、このレポートでは特に触れられていないみたいだけれど、どうする気なの? 『それ』が彼にくっついてきたモノだと言うのなら、何かしら手を打っておくのがいいんじゃない?」

 

 

 「ふむ」呟いて、スキマ妖怪は髪をかき上げる。

 

 

 「無論、監視の対象ではあるわ。でも、幻想郷全土、何処にでも潜んでいる可能性がある『アレ』の捜索が最重要課題である今、とても構っていられる状況じゃあないのよね……次元の狭間で、得体の知れない力――『回転』――によって、存在そのものが消滅しようとしていた人間……まぁほとんど抜け殻のようなものだったけれど、それでも何か鍵を握っている可能性はある」

 

 

 そのうち当たってみるわよ、そのうちね――

 そう言い残して、八雲紫は狭間に体を埋め、幽々子の視界から跡形もなく消え去った。

 一人残された幽々子。一見して、呆然と目を丸くしてただ座っているようにも見えるがその実、幽体の脳裏ではさまざまな打算と、その過程たる色とりどりの思考が渦巻いている。

 

 ……やがて、廊下を急ぎ足で擦る軽い足音が聞こえ、近づいてきた。

 客人が居れば無礼に値する程度の勢いで、幽々子の背後の障子が開け放たれる。

 駆け込んできたのは、銀に近い白髪を短めに切り揃えた小柄な少女。両の手に捧げ持つのは、徳利と猪口の乗った朱塗りの盆。カチャカチャと忙しない音を立てながら、白髪の少女は幽々子の元へ馳せ参じる。

 

 

 「お待たせしました。紫様、まだいらっしゃっていないようで……」

 

 「もう帰ったわ……あぁ、あなたが悪いんじゃないの。向こうも忙しいんだってさ」

 

 「……いえ、申し訳ありません」

 

 

 それでも申し訳なさそうに頭を垂れる少女。その肩の辺りで、半透明のガスの塊のような物体が、形を変えながらふわふわと漂っている。

 突然、西行寺幽々子はぽん、と手を叩いた。

 

 

 「そうだ。ちょっと早いけれど、お花見にしましょう。たまには主従水入らずで」

 

 

 昨日も呑んでましたよね、と渋る従者を無理に隣に座らせ、紫の置き土産のスコッチとやらを嬉々として開封する亡霊の少女。結局のところ、西行寺幽々子とはこういった気質の持ち主である。

 

 あくまで平時の際は、だが。

 

 

 (暗転)

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 【未明、稗田邸】

 

 

 ぼんやりとした苦しさと痛みに堪えかねて、重い目蓋をむりやり抉じ開けた。

 

 身体の上の布団をゆっくりと捲り、静かに上体を起こす。

 星明かり以外に光源らしい光源のない、ほとんど真っ暗闇な空間。

 目覚める度に繰り返す問い。「ここはどこだろう」「どこだろう」「僕は……」

 

 答えを見つけて安心する。ここは安全で、とても心地の良い場所。つい最近まで失くしていた、ジョニィ・ジョースターという名前だって、今はちゃんと僕のものだ。

 さっきまで見ていた、けど覚えてない夢の中。そこでいくら不安に駆られても、目覚めれば元通りだ。僕にとっての現実は今のところ (奇妙だが) 快調そのもので、正常に働いてくれない、記憶の詰まっていたアタマを抱えていても、満足に動かすことのできない半身を引き摺っていても、確かに前へと進んでいる。進めるんだ――

 

 考えただけで、ふっと楽になった。再び柔らかい寝床に身体を預けて、僕は目を閉じる。

 痛みと苦しさは、しばらく胸の奥でばたばたともがいていたが、そのうち小さくなっていった。

 

 

 

 【溶暗】

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 《この世界の――》

 《この我が国民の――》

 《安全を保証する》

 

 

 (その 為 に 随分 多く の 『世界』 が めちゃくちゃ に なった)

 (全て は 在る べき 所 に 戻らなければ ならない)

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 やっと

 やっと

 はなせるようになったよ

 

 でも

 まだ

 たりないから

 たりないから

 

 せかいよりも

 うちゅうよりも

 おおきくなるんだ

 どこまでもいくんだ

 

 

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 












 これにて第一章は完結です。冗長かつ面白味のない物語ではあると思いますが、ここまでお付き合い頂いた方々、本当にありがとうございます。
 章が終わったとはいえ、別に書くことを休むわけではないのですが、取り敢えず一区切りということで、ご挨拶申し上げました。

 これから間章に入ります。日常のどんちゃん騒ぎの描写がメインになります。
 桜の散ってしまう迄には、お花見の話を書きたいですね



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