再生と追憶の幻想郷   作:錫箱

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 遅くなりました。やっぱり目標を設定するとダメでした。








#28 小さな苦痛を伴う浮上

 

 

 

 

 星明かりのみが照らしていた夜の庭園から小さな木のドアを開けて会場に踏み入った僕は、その部屋いっぱいに広がる照明のマブしさに目を焼かれて、しばらく何も見ることが出来なかった。思わず閉じた目蓋の裏に残る緑色の残照……部屋の空気は暖かかった。外はそれなりに寒かったから、きっと暖房が焚かれているのだろう……それよりもどうだ、この宴会の場に満ちる楽しげな声の数々は……若干女性の声が多いが、時々は男の声も聴こえてくる。数十……イヤ百人以上はいるだろうか? 最も、この館の特徴を考えてみれば、人間でない者もいるのだろうけれど……

 

 もういいだろう……目を開けてみると、とても自然な「パーティー」の光景がそこには広がっていた。大きなホール(やっぱり紅い絨毯敷きだ)に大小のテーブルがいくつもある。僕の右手側には窓がずーっと続いていて、ガラスの向こう側にさっき阿求のいたテラスが見える……視界の左半分は大勢の人で埋め尽くされ……人だろうか? 人に見えるだけで、それ以外も実はいるのだろう……とにかく賑やかな参加客たちが思い思いの行動を取っている。

 

 阿求たちはどこにいるのだろう。和装と洋装がごったまぜになった群衆を見渡して捜していくが、一向に見当たらない。ここからではホール全体が見えない……先方が僕を見つけるのも難しいだろう。仕方なく、場所を移動して捜そうと思ったとき、ホールのずっと奥の方、一段高くなった舞台のような場所に黒っぽい人影が登っていくのが見えた。黒い服に、黒いとんがり帽子の小柄な人影……手に何か細長い物を持って、階段を登っている。何だろう? ちょっと興味が湧いてきた……舞台側のほうがここよりも見通しが良いだろうし、ちょっと見に行ってみよう……そう考え、僕は参加客の間を縫うようにして舞台へと向かった。

 

 

 その辺を走り回ったり飛び回ったりしている子ども(これが妖精というヤツなのだろう。大抵が古典的なハウスメイドの格好をしていた)や、投げ掛けられる好奇の視線をどうにかしてかわしステージの前に辿り着くと、ステージの上の黒っぽいシルエットの正体がよく見えた。黒い上着に白いシャツ、黒いスカートを履いた小柄な女の子だ。短めの金髪の上に乗っかっている帽子は本当に三角形で、少々滑稽に見えなくもない。それが今、ステージの奥で何やらごそごそしている。何かを始めようとしているのは明らかだが、今のところ何が始まるのかはっきりしない。

 

 ならば、と振り返ってホールを見渡したが、視点が変わって多少見通しが良くなっただけで、やはり大勢の客がわいわい騒いでいることには変わりない。こちらから阿求たちを見つけるのは至難の業のように思えた。どうすればいいのだろう? まさか迷子のように助けを求める訳にもいかないし……途方に暮れていると、

 

 

 「……あれ、お客さん? 悪いけど、もうちょーっと待っててくれる?」

 

 

 不意に横合いから聞こえた声。見ると、先程見たステージの上の女の子……その「色違い」とも言えそうな、赤い服と帽子を身につけた茶髪の女の子が手を後ろ手に組んで立っていて、僕ににっこりと笑いかけていた。

 お客さんと呼ばれた僕だったが、これからステージ上で何が始まるのかすら分かっていない。反応に困ったまま何も言わないでいると、赤っぽい女の子は何もないステージを指差した。

 

 

 「見ての通り楽器のセッティングもチューニングもまだだから……それにわたし、シンセ準備する前にチラシ配らなきゃいけないからね、もう少し時間かかっちゃいます。……あれ? チラシがない? ルナ姉ー!」

 

 

 どうやら彼女らは音楽を演奏する気でいるらしい(シンセって何だろう?)。現在準備中につき少々お待ちを……ってことだろうか。納得した僕の眼前で、配るべき紙束を手に持っていないことに気づいたらしい女の子は、振り返ってステージ上の黒い少女に呼び掛けた。その声に反応してこちらを見やった少女の金色の目がチラリ、僕と女の子の方を向いてから、

 

 

 「何。こっちは中々忙しいのだけれど」

 

 

 すぐに背けられた。赤い子がそれでもめげずに「チラシどこー?」と問いかけると、振り向きもせずに答えた。小さくも大きくもない声だが、少し暗い響きがある。

 

 

 「リリカ、あなたさっき新譜いじり回してたでしょう。その中に紛れてるんじゃない? ……それに告知はライブの後に配る予定だったでしょう」

 

 「あ、そうだった、たぶんそこだ……ってわけでお兄さん、またねー」

 

 

 赤い子は飛ぶように走って行ってしまった。後に残された僕は相変わらずぬぼーっとそこに居て、状況をどうにか把握しようとしてますます混乱していた。周囲には人が集まり始めている。何かが催される気配を嗅ぎ付けて。ここは舞台直下、劇場の席に例えれば最前列だ。

 

 集まる視線。どうにも居心地が悪い……とりあえずここから退散することにした。また阿求たちを捜しに行こうかと思ったが、思いとどまった。せっかくパーティーの場にいて、しかも面白そうな演奏会が始まろうとしている。少しくらい聴いていってもいいのではないだろうか? このバンド(女の子がこういうことをするってのも珍しい。この土地ではどうなんだろう?)は有名なのか、そこそこの注目を集めているし、ここにいて演奏を聴きながら待っていればそのうち、知っている人が来てくれるかもしれない。

 

 

 「…………」

 

 

 といっても、ちゃんとした知り合いなんてこの場にはほとんどいない。阿求と魔理沙、そして小鈴くらいのものだ。その彼女たちだって、本当によく解り合えているわけではない。

 

 あぁ、一人だなぁ。

 

 気づいた時にはもう遅い。生まれたばかりの名前――ジョニィ・ジョースターは今、孤独だった。ここでは百を越える人々がそれぞれに楽しんでいて、きっと僕はその中で一等一人ぼっちだ。僕の思い出をさらけ出させたあの吸血鬼も、僕のことを一番理解してくれているであろう可憐な歴史家も側にいない。そう、ここに今僕がいて、そして同時に「本来の僕ではない」ことを知ってくれている人など、いないのだ。

 

 舞台の前に集まった集団の最後列にたどり着いた。一息つこうとして……それすら難しいことに気がついた。どうしようもなく息苦しい……上手く息ができない。経験したことのない苦しさだった。なぜだろう――病気というわけじゃあない、そういうのとは何か違う。まるで鉄の肺から息を吸っているような……冷たく重苦しい感覚。

 

 自分で思っている以上に、僕の心は弱いのかもしれない。寂しいだけなのに……その寂しさで溺れそうな気分で――車椅子の肘掛けを握りしめ、海面から首を出して空気を求める潜水夫のように天井を仰いだその時だった。

 

 

  ――――――

 

 

 空気を僅かに震わせて、一つの音が僕の鼓膜を叩いた。美しい、心地よい、精巧な――いや、その何れもが当てはまらない、形容し難い音……でも、ずっと聴いていたくなる、物悲しい一本の震え。音は長く尾を引き、やがて消えていく、消えていく。

 音の聴こえてきた方向を見上げると、舞台の上。片隅に立っている黒い少女が首筋に当てがう楽器から、音は発せられていた。弓を引き終わった少女は楽器を下ろし、物憂げに首を左右へ振った。

 ヴァイオリン……信じられないことに……もう終わってしまった音が、目に見える透明な軌跡を描いてその楽器へと還っていくのを、僕は幻視したように思った。幻だったのだろうか。音が目に見えるとは――そんなバカなことが。半疑の思いで彼女を注視する。黒い三角帽子の上に、よく見ると赤い月の形をした飾りが付いていて、一種クリスマスの樅の木の飾りのようでもあった。だとしたら随分憂いの色の濃いツリーだけど……

 

 ――もう一度、黒い少女が弓を弦に当てがい、ゆっくりとその上を滑らせる――

 

 A音。音合わせ用だったような気がする――しかし驚いたことに、聴こえてきた音は一つではなかった。少女の捧げ持つヴァイオリンから滲み出るように零れてくる高音の他に、もう一つ――いや、二つ?――低い音が混じっている。物悲しい気持ちをそのまま音にしたようなチェロの音色が、彼女の背後の何もない空間から湧き上がっていた(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ )

 明らかにただの奏者ではない。ひょっとして彼女は魔法使いか何かで、僕が聞いた音色はその産物なのでは? チューニングを聴いている他の人たちを見てみるが、僕のように驚いている人はいなかった。彼女が(そしてもしかすると「彼女たち」が)普通でないことは周知の事実なのかも。

 

 ……いつの間にか、舞台に人が増えていた。現れたのは白っぽい服装――やはりヴァイオリンの子と色ちがいのように見える――の、片脇に金のトランペットを抱えた女の子。銀色の髪はちょっと癖っ毛で、これまたお揃いの三角帽子が頭に乗っかっている。少女は客に向かって笑顔で手を振った後、懐からマウスピースをひょいと取り出して「ぷぅーっ」と間の抜けた音を出した。心底楽しそうに笑いながら……そのおかしな動作と一緒に、またもや何処かから聴こえてくる、高らかに響くトランペット……浮き立つ心を押さえきれずに放ったような、陽気で華やかな……もはや楽器の本体すら必要としない。

 

 黒い少女が二言三言、トランペットの子に何かしら指摘した。頷いて再び吹かれたマウスピースから出てきた音は、今度は低音の金管。マウスピースを楽器本体に嵌めて、また楽しそうに笑う白い少女。その背後から、階段を上がってステージに登ってきたのは……

 

 

 「あっ……」

 

 

 思わず声が出た。赤いチョッキに赤い半ズボン(そういえばこの子だけズボンだ)、赤い三角帽子。さっき僕の所に来たあの子だった。「リリカ」……と呼ばれていたっけ? 殊更に驚いたのは、彼女が見慣れない大きな板のようなモノをえっちらおっちらと抱えてやって来たからで、例えば他の三人のように魔法のような音を出しながら登場してきたとか、そういう妙な事があったわけじゃあ……

 

 

 「それっ」

 

 

 あった。

 

 まず、妙に気合いの入った掛け声と一緒にその板が宙高く放り上げられた。呆気にとられて板を目で追う……そして、やけにゆっくりくるくると回りながら落ちていくその大きな板の両端に……半透明の羽根が生え、少女の目の前でハチドリよろしくホバリングした。観客は「おお」とかそんな感じの感嘆を漏らしている。感嘆の声にリリカと呼ばれた少女が微笑み、板の上へ手を振り下ろすと、羽根つきの謎の板はどこかくぐもったピアノの「ような」音の重なりを鳴らした。

 

 ……つまりこういうことだろうか。多分アレ、あそこの彼女たちは魔法使いか妖怪か何かで、「そういう」楽器を使って演奏会をやろうとしている。しかも一つの楽器から、様々な種類の音色を出せる。そして赤い子が言っていた「シンセ」は、空を飛ぶ携帯式ピアノのことだ。我ながら何を言っているのか分からない。

 

 しかし、彼女たちの奏でる音がどれもこれも不思議で、美しいのは確かだ。演奏が始まってもいないのに、僕を含めた多くの人が聞き入っている。まるでそれぞれの音に感情そのものが乗っていて、それらが透明な道を通ってこちらにやってくるような……僕が始めに見た音の軌跡も、あながち幻覚ではなかったのかもしれない。

 

 ロングトーンが舞台を席巻する。聴こえてくる楽器の種類はどんどん多くなって、ついにはちょっとしたオーケストラのようなアンサンブルになってしまった。何処からともなく沢山の楽器が飛んできて、ふわりふわりと宙に円を描くように回っている。たとえ夢の中でも、こんな光景にはお目にかかれないだろう。

 気がつくと、あの息苦しさは綺麗さっぱり消え去ってしまっていた。

 酔っ払っているらしい女の子が一人、ステージの上によじ登った。すぐさま弦楽器担当の黒い子に引き留められ、何か論争している。何をしているんだろう? 早く楽団の演奏を聴きたかった。

 

 

 「………………」

 

 

 ふと、隣に誰かが立っていることに気づく。いつから居たのだろう……阿求だった。

 僕は彼女の顔を見た。同様に彼女も僕の顔を見たが、ちらりと見ただけでお互いすぐ、楽器と音の飛び交う舞台上へと視線を戻した。後から小鈴もやって来て、三人一緒になって魔法の楽団が演奏を始めるのを待っている。

 

 僕らはみんな、同じことを考えているのかもしれない。

 少しずつ増えていく聴衆の中で……上手く言い表せないが、そう感じた。

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 「面白い漫画ぁ? おみゃー()さん以外とガキっぽ……」

 

 「私はねぇ、幼いのよ永遠に」

 

 「都合の……良いヤツらなぁ」

 

 

 多大な魔力を持つ騒霊の演奏。だが、ハナから聞く気のない、そもそも騒霊の存在に気づいてすらいない者たちの耳には、おそらく効果がない。

 もっとも、先程から辺りを憚らず大声で愛読書の話をしているこの二人、霧雨魔理沙とレミリア・スカーレットの神経が度を越えて太い、という可能性も皆無ではないが……

 

 

 「漫画ねぇ……ふむ、鈴奈庵にらんかあった気がしないれもない。こんろ(今 度)来てみたらどうだ?」

 

 

 癖のある濃い蜂蜜色の髪を少し掻き回して、呂律の回らない魔理沙が提案する。すでに側のテーブルには空のボトルが何本も転がっている。対する吸血鬼は(酒の入っているせいもあってか)すぐさま快諾した。手に持つクリスタルグラスの中身が数滴跳ねて、床へと散る。

 

 

 「うん、行こっか。最近お買い物してないし……あー、でも寒いぞ……」

 

 「すぐあったかくなるってぇー。ほら、マフラー貸してやっからさぁー」

 

 

 どこからか取り出した例の山高帽をひっくり返して、一本の白いマフラーを取り出す魔法少女。にやにや笑いながら相手の首にそれを引っ掛けようとする。が、少し巻く位置がおかしい。レミリアは何も考えていないのか、されるがままに長いものに巻かれている。一歩退いてそれを見ているメイド長の視線が生温い。

 

 

 「……ん? でも、これ貸しちゃったらわらし()が寒いしなぁー」

 

 

 そもそも今からすぐに鈴奈庵に行くわけではないのだが、魔理沙は自分なりの理由を別に発見してしまったらしく、幼い少女の口の辺りにマフラーを巻く作業を中止した。レミリアは微笑を浮かべたままで「んーぅん、んーぅん」と謎の呟きを繰り返している。双方とも手から酒杯を離そうとしない。

 

 そうして数瞬のち、正体を無くした二人が幾度目とも知れぬ乾杯をしようとして――

 同時に口の中身を吹いた。さっきまでワインだった(はずの)杯の中身が、とんでもなく苦くて酸っぱい何かに変貌していた。一セット噎せ込んだり咳き込んだりを繰り返してから、何を思ったか二人同時に背後を振り向き、そこに控えている十六夜咲夜の澄ました顔を見た。

 

 

 「酔いざましの複合ハーブティーでございますが」

 

 

 そう言って一礼するメイド。「あまりお二人がみっともないので、ちょっとすり替えておいたのです」と要らぬような一言を付け加える。ちなみに、悪戯心からボトルの中身を度数の高い物にこっそり交換して呑ませていたのも彼女である。ハーブティーと称するその薬品の正体は彼女しか知りえない。

 身震いして、魔理沙がポツンと呟く。

 

 

 「あぁ、そういや私は護衛役だった……ん、潰れてたら危ないとこだった」

 

 「ぺっ……咲夜、お前もなかなか味な真似をするようになったね」

 

 「光栄です」

 

 

 再び一礼して、完全な従者を自称する少女はホールの片隅を指差す。

 

 

 「お嬢様、幽霊楽団……プリズムリバー三姉妹の演奏が始まっております。最前列にお席を確保しておりますので、お早く……お忘れですか? 貴女が呼んだのですよ?」

 

 

 「そいつら何だっけ」とでも言いたげな主人の顔を見下ろして、咲夜は頭を振った。

 元酔っぱらいの吸血鬼と魔法使いはここにきてようやく、楽団の奏でる文字通りプリズムの如き(虹 の よ う な)メロディーに気がついたらしく、あらゆる動きを止めて聞き惚れている。

 

 

 「へぇ、良いものねぇ……」

 

 「いつ聴いても綺麗な音だ」

 

 

 ぼんやり突っ立って、そんな感想を漏らしている。風情もへったくれもない。メイドは鼻からため息を吐いて、二人の衣服から滴り落ちるハーブティーのようなモノを拭き取るべく、手の内に新品の布巾を出現させた。

 

 宴もたけなわ。

 楽団の登場で更に場の混沌は深まり、時は飛ぶように過ぎてゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 










タイトルはレディオヘッド、セカンドアルバムのタイトルから。
第一章ももうすぐ終わりに近づいていますので、明るい雰囲気を作りたかったのです。


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