桜花妖々録   作:秋風とも

95 / 148
第84話「記憶の中の彼女」

 

 プリズムリバー楽団の演奏会から、数日が経過したある日。失われた記憶の手掛かりを見つける為、進一達は次なる行動を起こしていた。

 前に白玉楼で行われた話し合いの通りの対応である。プリズムリバー楽団による演奏の効力も受けていたとは言え、進一の記憶が激しく揺さぶられたのは古明地こいしと対面した瞬間だ。であるのなら、もう一度こいしに会いに行けば、更なる記憶を引っ張り出す事だって可能なのではないかと。実に単純明快だが、可能性としては最も高い()()であった。

 

 ──と、言う訳で。

 進一達が次に足を運んだのは、顕界の人里。その付近に建てられた寺院──命蓮寺であった。

 

「ここが……」

「ええ。命蓮寺です」

 

 丁度、地蔵が置かれた門を抜けた直後の事だ。石畳が敷かれた参道のその更に奥に、一際目立つ木造の建造物が確認できる。流石に白玉楼のような大豪邸ほどではないが、それでも人里の民家と比較すると十分過ぎる程に立派な建造物である。里の住民からも多くの支持を集めているらしいし、やはりそういった事も関係しているのだろうか。

 

「ここの修行僧はみんな妖怪なんだっけか。それでも普通の人間達からもかなりの信仰を集めてるんだな」

「ま、この寺院の本尊は毘沙門天とかいう七福神の一柱らしいし。みんなそのご利益にあやかりたいって事なんじゃないの?」

 

 そう説明してくれたのは、進一と妖夢を先導するように歩く博麗霊夢である。

 こちらに振り向いた彼女は、なぜだかどこか面白くなさそうな表情を浮かべていた。

 

「まったく、何なのよ。福を齎すなんていう分かりやすいご利益なんて引っ提げちゃってさ。私にも半分くらい分けて欲しいくらいだわっ」

「……何でいきなり不機嫌なんだ、お前は」

「だってしょうがないじゃない! この寺院が出来てから、博麗神社(ウチ)の客足はますます遠のくばかりなのよっ!? やってらんないわ!!」

「……そ、そうなのか」

 

 尋ねると、やたらと食い気味にそう説明された。いつも以上の圧に押されて、進一は思わずたじろいでしまう。

 確かに博麗神社は経営難であると以前にも耳にした事はある。それでも幻想郷の中核を成す神社である関係上、潰れるような事はないのだろうけれども。

 

「守矢神社といい命蓮寺といい、そんなにウチの営業を妨害して何が楽しいのよ……! はっ!? まさか裏で手を組んでウチを潰すつもりなんじゃ……!?」

「随分と飛躍した解釈だな……」

 

 博麗霊夢は、()()()()()()に関しては存外被害妄想が強い。

 そこで進一は、ふと気になった事を霊夢に聞いてみる事にする。

 

「そういえば、博麗神社はどんな神様を祀っている神社なんだ? 命蓮寺の所為で参拝客が減ってるって事は、七福神ほど知名度が高くない神様とか……?」

「え? 知らないわよそんなの」

「……は?」

「私、そういうのあんまりキョーミないのよねぇ」

「…………」

 

 中々にぶっとんだ問題発言を聞いてしまったような気がする。

 

「いや、お前、巫女なんじゃないのか……?」

「ん? なに言ってんのよ。どこからどう見ても巫女じゃない」

「……確かに、見た目はな」

「ふふん。どんな神様が祀られてるのだとか、どんなご利益を齎すのかだとか、そんなのは結局二の次よ。重要なのは参拝客! つまるところお賽銭! よく分からない神様なんかより、そっちの方が数十倍は大切だわ!」

「お、おう……」

 

 何だろう、この感じ。物凄くコメントしずらい。

 要するに、お賽銭が貰えれば自分の神社が祀っている神様なんて何でもいいという事なのだろうか。──何か、決定的な主軸がズレてしまっているような気がする。博麗神社の参拝客が減っている原因は、八割方この少女にあるのではないだろうか。

 

「……なぁ妖夢。まさかとは思うが、霊夢って……」

「……良いんです進一さん、皆まで言わないで下さい。言いたい事は分かります。だけど霊夢だって悪い子じゃないんです、悪い子じゃないんですよ……!」

 

 妖夢の必死のフォローが胸に染みる。

 まぁ、でも、博麗霊夢というこの少女が決して悪い人物ではないのだという事は、進一だって知っている。確かに割と図々しい一面もあるのかも知れないが、それでも適当で不誠実な人物という訳では決してないはずだ。

 それに。

 

(まぁ、霊夢も霊夢で色々と大変なんだろうな……)

 

 考えてもみれば、十代の少女が一人で神社の経営を行うのも中々にハードである。幾ら霊夢が博麗の巫女という特殊な立場に立っているとは言え、彼女にだって生活がある。だとすれば、ちょっとお金にがめつくなってしまっても、それは仕方のない事なのかも知れない。

 

「ほら二人とも! いつまでそんな所で突っ立ってるつもりなのよ! さっさとこいしの所に行くわよ!」

「あ、ああ。そうだな」

 

 ずいずいと奥へと進んでいく霊夢にそう促され、進一は妖夢と共に彼女の後に続く。

 

 石造りの灯篭が並べられた参道は静寂に包まれている。時間的にはまだ朝。ひょっとしたら僧の修行はもう始まっているのかも知れないが、参拝客の類はまだあまり訪れていないらしい。プリズムリバー楽団の演奏会の時のような賑やかさも悪くないが、こういった静寂も進一は嫌いではない。色々とあってざわついていた心も、自然と落ち着いてくるかのようだ。

 気持ちの整理を行うのに丁度いい。もう一度こいしと対面する前に、不安定な心境は出来るだけ取り除きたいものだ。何せ彼女からして見れば、未来の住民である進一とはあの瞬間が初対面。妙な警戒心を抱かれてしまう事は避けたい。

 

 軽く深呼吸を挟みつつも、進一達は本堂を目指す。そうしてそのまま、参道を抜けてしまおうとして。

 

「あっ! おはよーございますっ!!」

「うっさいわ!」

「ぶべらっ!?」

 

 途中、いきなり大声で挨拶を投げかけてきた少女に対し、霊夢がチョップをお見舞いしていた。

 中々に勢いのある一撃である。そんなチョップをまともに受けた少女は涙目で蹲っている。やはり彼女も妖怪なのだろうか。頭の上には、何らかの動物の耳のようなものも確認できるが。

 そんな彼女は、当然ながら霊夢へと向けて抗議の声を上げていた。

 

「痛い! 痛いよ!? 何で毎回チョップしてくるの!?」

「あんたが朝っぱらから毎回デカい声で話しかけてくるからでしょうがっ! もう少し声のボリューム抑えられないの?」

「これくらい普通だよ!? 山彦舐めないでよね!!」

「なぁにが山彦よ! 近所迷惑とかも考えなさいよね……!」

 

 山彦、というのが彼女の妖怪としての種族名か何かなのだろうか。

 山彦と聞いて進一が真っ先に連想するのが、山や谷で大きな声を発した際に音が遅れて反響する現象である。恐らく彼女は、そんな現象が元となって生まれた妖怪なのだろう。響き渡る大声に返事をする事を生業としているのなら、大声が基本であるのも頷ける。

 

「ね、ねぇ霊夢。幾ら相手が妖怪だからって、そう誰彼構わず喧嘩を吹っ掛けるのもよくないと思うけど……」

「あんたはどこを見てたのよ妖夢! 私は別に吹っ掛けてないでしょ!? 寧ろ喧嘩を売られた側だわ……!」

「あっ! あなたは半分幽霊の剣を振り回している人! おはよーございます!!」

「え? あ、はい……。おはよう、ございます……?」

 

 霊夢のチョップを食らってもめげずに声のボリュームを落とさない山彦の少女。やはり彼女にも、妖怪としての矜持があるという事なのだろうか。

 ──その割にあちらから声をかけてしまっているし、そういう意味では山彦としてのアイデンティティーを自ら否定しているようにも見えなくもないが。

 

 そんな山彦少女の足元にふと視線を落としてみると、丁度彼女の背丈と同じくらいの藁箒が転がっている事に気が付いた。

 以前に魔理沙も持ち歩いていたアレである。けれども魔理沙の藁箒と決定的に違う点は、藁の部分に使い込んだ形跡が残っているという点だ。つまり彼女は、日常的にあの箒で掃除をしているという事になる。

 

「……お前は、毎朝ここの掃除をしてるのか?」

「うん、そうだよ! えっと、あなたは人間……じゃなくて亡霊さん?」

「ああ。よく分かったな」

「うん。何か、こう、びびっと来る感じの霊力だったから!」

 

 藁箒を拾い上げつつも、山彦少女は大声でそう答える。

 一体どんな霊力なのだろう、それは。ルナサも進一が亡霊だと一目見ただけで分かったと言っていたし、実はかなり分かりやすい特徴が表れているのだろうか。いや、それとも彼女もルナサ同様、こういった霊力に敏感だったりするのかも知れないが。

 

「……実はお前、凄い妖怪だったりするのか?」

「え? いやぁ、どうかなー? でもそう思ってくれると、私としても悪い気はしないかも?」

「別に大した妖怪じゃないわよその子。進一さんって割と霊力に特徴あるし、ちょっとでも霊力に精通してりゃ誰でも亡霊だって感知出来るんじゃない?」

「ちょ、水を差さないでよ……! 私だってこのお寺に入門してから色々と修行したんだからねっ。今じゃちょっとした妖怪だよ!」

「その割には前にボコった時と大して変わらないように見えるけどね」

 

 どうやら進一は割と特徴的な霊力を持っているらしい。その割に人里で行動しても妙な目を向けられなかったのは、やはり妖夢と行動を共にしていた為なのであろう。

 映姫の指示は的確だった。一人で勝手に顕界をうろちょろしようものなら、今頃余計なトラブルに巻き込まれていたかも知れない。

 

「ふふん、前の私と同じだなんて思ってると足元を掬われるかもよ……!?」

「はっ。私があんたなんかに後れを取るワケないじゃない。えぇっと……、きょう、きょう……。あんたの名前、なんだっけ?」

「まさかのまた忘れられてた!? というか何でそこまで出てるのに思い出せないの!? 響子! 私の名前は幽谷響子だって!」

「あー、何かそんな名前だったような気がしてきたかも……?」

「何かもう完全に覚える気ゼロでしょ……!?」

 

 幽谷響子と名乗った少女が必死に霊夢に食らいつく。けれども当の霊夢はどうにも微妙なリアクションである。

 博麗霊夢は興味が抱けない事に関しては悉く関心が薄い少女だ。響子の言う通り、完全に名前を覚える気ゼロなのではないだろうか。──流石にあの少女が不憫に思えて来た。

 

「あー……まぁ、その、何だ。強く生きろよ……」

「何かすっごい同情された!? 亡霊さんに強く生きろとか言われちゃったんだけど!?」

 

 相も変わらず声が大きい。そんなに大声を出し続けて、喉が潰れたりしないのだろうか。──その辺に関しては流石は山彦、という事か。

 

 そんな響子に再び霊夢は五月蠅いと告げる。けれども響子は聞く耳も持たず声のボリュームを下げないままで霊夢に何かを言い返している。山彦だから仕方がないだとか、声の大きさこそがアイデンティティーなのだとか、何とか。

 一度ぶっとばされたらしい少女を相手にあそこまで食らいつける辺り、実は響子は中々の大物なのかも知れない。進一と妖夢も口を挟めなくなるほどである。

 

 ──そんなやり取りが、少しの間続いて。

 

「なんじゃ、朝っぱらから早々しいと思ったら」

 

 不意に見知らぬ少女の声が流れ込んできたのは、流石の霊夢も響子の熱意に押され始めたタイミングだった。

 

「どうやら客人が来ておるようじゃの」

 

 進一達は揃って視線を向ける。命蓮寺の本堂。その方面の参道から、一人の少女がこちらに歩み寄ってきている。身長は、霊夢より少し高いくらいだろうか。服装は白い長袖のシャツの上にダークブラウンのベストを羽織っており、船か何かの模様が描かれた臙脂色のスカートを穿いている。頭は茶髪のセミログヘアで、顔にはシンプルなデザインの眼鏡という、一見すると人間の少女としか思えない容姿をしているが──。

 けれども彼女は人間ではない。背中の後ろで揺れ動く大きな()()と、頭の上にある()がそれを如実に物語っている。

 

 妖怪だ。それもおそらく、藍のような妖獣の類だと見受けられる。

 

「ふむ、やはり山彦の娘も一緒じゃったか。お前さんの声は本当に良く通るのう」

「あっ! あなたは……!」

 

 どうやら響子の知り合いらしい。やはり彼女も命蓮寺の修行僧なのだろうか。確かに、どことなく只者ではない雰囲気が漂っているが。

 しかしそんな少女に対する、博麗霊夢のリアクションはと言うと。

 

「あん? 誰よあんた」

 

 ──実に相変わらずなご様子だった。

 

「おい霊夢……。お前幾らなんでも人のこと忘れすぎだろ……。もうちょっと、こう、覚える努力をだな……」

「ちょ、待ってよ! 本当に知らないんだって! 初対面っ!」

 

 堪らず進一がぼやきを口にするが、けれど霊夢は慌てた様子で口を挟んでくる。

 実に不服そうな表情だ。響子の名前をまるで覚える気がなかった様子だったから、てっきり今回もまた同じパターンだと思ったのだが──。

 

「霊夢は嘘をついてないと思いますよ。私も初めて見る方ですね……」

「マジか……。すまん、霊夢。俺はてっきり、霊夢の無関心っぷりがまた発揮されたのかと……」

「失礼ねっ! 一言余計よ!」

 

 今回は進一も流石に先走り過ぎた。次からは気を付ける事にしよう。

 

「ほっほっほ。愉快な者たちじゃのう。儂の名は二ッ岩(ふたついわ)マミゾウじゃ。よろしく頼むぞ」

「あ、はい。私の名前は魂魄妖夢です。こちらこそ、よろしくお願いします」

「俺は岡崎進一だ。で、こっちの若干不貞腐れてる様子の紅白巫女が博麗霊夢」

「……ねぇ、進一さん。今日のあなた何だかナチュラルに辛辣じゃない? 喧嘩売ってるの?」

 

 マミゾウと名乗った少女を相手に、妖夢と進一が揃って自己紹介をする。流れで霊夢の事も紹介しておいた。

 それにしても、随分と古風な喋り方をする少女だ。人間で言えば大学生くらいの容姿をしているのに、なぜそんな喋り方をするのだろう。ひょっとして、妖怪特有の方言か何かなのだろうか。

 

「あんたは何の妖怪なんだ?」

「む? 儂か? 見て分からんかの?」

「……妖獣の類って事は分かるが」

「まぁ、広域的にはその通りじゃの。儂はその中でも化け狸に分類される妖怪じゃ。お主も名前くらいは聞いた事あるじゃろ?」

「ああ……。化け狐の狸版か」

「……狐と一緒にされるのはあまり良い気分ではないの」

 

 何やらちょっぴりムッとしている。どうやら彼女は、化け狐の類とはあまり仲がよろしくないらしい。妖獣と聞いて真っ先に連想したのが九尾の狐である藍の事だったが、この様子だと彼女の事を話題に出すのも避けた方が良さそうだ。触らぬ神に祟りなし、というヤツである。

 

「マミゾウさんはすっごい妖怪なんだよ! 何て言うか、こう、圧倒的な威圧感みたいなのを感じるでしょ?」

「確かに、只者ではなさそうですね。化け狸と言えば、妖怪の中でもトップクラスの妖力を有する種族として有名ですし……」

「ほっほっほ。なに、儂はそこまで大層な妖怪ではないぞ。幻想郷の妖怪の中じゃ、新参者も良い所じゃしの」

「……成る程ね。やっぱりあんた、つい最近幻想郷に来たばかりなのね」

 

 肩を窄めて謙遜気味な態度を取るマミゾウに対し、霊夢がそう口を挟む。

 つい最近、幻想郷に来たばかり。つまる所、彼女は元々外の世界で生活していたという事になるだろう。生前の進一が暮らしていた八十年後の未来ではどうなのか判らないが、少なくともこの時代では外の世界でも少量ながら妖怪は残存していると聞く。マミゾウはその一人だったという事か。

 

「それにしてもこの寺、どんどん妖怪が増えていくわね。山彦に覚妖怪の次は化け狸ときたか……」

「まぁ、儂は命蓮寺に入門したつもりはないがの。成り行きじゃ」

「成り行きって……」

 

 と、そこまで霊夢が口にしかけた所で。

 ぱたぱたと、誰かが駆け寄ってくるような音が響いてきた。

 

「マミゾウー? 一体、誰が来て……、げっ」

 

 現れたのは、黒ずくめの少女だった。

 ショートボブの黒髪に、黒いワンピース。そして黒いニーソックスと、徹底的に黒である。背中には奇妙な形をした翼のようなものが生えており、中々に特徴的な容姿の少女であると言える。

 そんな彼女は霊夢の姿を認識した途端、露骨に嫌そうな顔をした。「げっ」と思わず声を漏らした表情からは、会いたくない奴に会ってしまったとでも言いたげな感情がひしひしと伝わってくる。

 

 そんな彼女の反応を見て、霊夢は面白くなさそうに肩を窄めていた。

 

「何よその反応。まるで厄介者でも目の当たりにしたような顔しちゃってさ」

「じ、実際厄介者でしょお!? 何しに来たのよアンタ!」

 

 ビシッと、真っ黒な少女は霊夢を指差しつつもがなり声を上げる。響子の大声にも負けず劣らずな声量である。

 そんな彼女が醸し出す雰囲気は、露骨な嫌悪感である。どうやら彼女は、霊夢に対して苦手意識を持っているらしい。

 

「いや、何しにって……。そんなのあんたには関係ないでしょ? やかましいからすっこんでなさいよ」

「なっ、何よその態度!? 喧嘩売ってんの!?」

「はぁ? どっちかって言うと喧嘩売ってるのはそっちでしょ? ん? 何? やろうっての? ボコボコにされる覚悟があるってんなら相手になるけど?」

「こ、の……! これだから博麗の暴力巫女はぁ!」

「まぁ待て落ち着くのじゃ、ぬえ。そう熱くなるでない」

 

 ヒートアップしそうになった二人のやり取りに割って入るかのように、マミゾウは少女をぬえと呼びつつも宥めようとする。当然ながらぬえは不服気な様子だったが、それでもマミゾウの言葉を受け入れたようで素直に一歩身を引いた。──相も変わらず霊夢の事をぎろりと睨みつけたままだったが。

 

「なぁ、妖夢。あの黒い奴は一体何者なんだ? 霊夢と仲が悪いのか?」

「うーん……。すいません、私もあの子とは今回が初対面でして……。何の妖怪なんでしょう……?」

 

 どうやら妖夢も彼女に関してはよく分からないらしい。命蓮寺の修行僧ではないのだろうか。

 背中の翼から察するに妖怪の類である事は間違いないのだろうが、けれどもマミゾウのような妖獣とも違う気がする。見れば見るほど、よく分からないという印象が強くなってくる姿である。根拠もなくちょっぴり不安に思えてくると言うか、何と言うか。

 

「あの子の名前は封獣ぬえ。妖怪としての種族は、名前のまんま鵺よ。何だか知らないけど、いつもツンツンしてるのよねぇ」

「……鵺?」

「そう、鵺。正体不明の妖怪。()()()()()()()という認識こそがアイデンティティーの変わり者よ」

 

 首を傾げる進一達に、霊夢がそう説明してくれる。横で響子が「何でぬえさんの事は覚えてて私の事は忘れてるの……!?」と軽くショックを受けていた。

 

 鵺。正体不明の妖怪。よく分からないという認識こそがアイデンティティーの変わり者。

 進一の中には鵺と言う妖怪の知識は存在しない。そんな妖怪もいるなんて知らなかった。幻想郷に住む魑魅魍魎は、本当に多種多様である。

 

「すまんの、ぬえが迷惑をかけておるようで。しかし、こやつとて悪気はないんじゃ。許してやってくれんかの?」

 

 ぬえを宥めたマミゾウが、そんな事を霊夢に向けて口にしている。当の霊夢は、怪訝そうにピクリと眉を動かすと、

 

「なに? あんたってぬえとどういった関係なのよ?」

「ふむ? まぁ平たく言えば……友達、じゃの」

「と、友達……!?」

 

 途端に霊夢の表情が驚愕に塗りつぶされる。まるで信じ難い真実を目の当たりにしてしまったような、そんな表情である。ぷるぷると小刻みに身体を震わせ、両手で口元を押えて。

 

「嘘……!? あんたって友達いたの……!? 万年ぼっちかと思ってたのに……!」

「ちょ、バカにしてるでしょ!? やっぱり喧嘩売ってるでしょアンタ!? 友達くらい私にもいるわっ!」

 

 ぬえが透かさず抗議の念を上げる。──今のは間違いなく霊夢の方が悪い。

 というか、そこまで驚愕するほどの真実なのだろうか。いつもツンツンしている、と霊夢は言っていたけれど。

 

「むぅ……。やはりお主、相変わらずつっけんどんとしておるようじゃの……」

「ぐ……。し、仕方ないでしょっ。こういう性格なのよ、私は……」

「……と、まぁ、このようにちょっとばかし人見知りが激しいヤツなのじゃ。お主達が良ければ、仲良くしてやってくれんかの?」

「ちょ、余計な事言わないでよマミゾウ……!」

 

 世話を焼くマミゾウ。それを慌てて否定するぬえ。何だか友達というより、保護者とその保護対象とでも形容すべき様子である。マミゾウの口調と態度的にもますますそう思えてきてしまう。

 

「まぁ、冗談はさておき……。何となく読めたわ。大方、神霊騒動を深刻に捉えたぬえが、あんたを助っ人として外の世界から呼び寄せたって事ね。白蓮も当初は妖怪に仇なす何かが復活したとかナントカって言ってたし、それに対抗する為に強力な妖怪の力を借りようとした、って所かしら?」

「ほう? 正解じゃ。よく分かったの」

「ふふん。この私の勘を舐めんじゃないわよ」

 

 いつの間にか気を取り直していた霊夢が、得意気な顔でそう告げる。

 神霊騒動、といえば丁度進一が幻想入りした時期と重なって起きた『異変』の事だったか。霍青娥の足取りは未だに掴めていないが、神霊に関するトラブルについては今や完全に鳴りを潜めている。主に妖夢達が解決してしまったようだし、マミゾウは完全に骨折り損のくたびれ儲けとなってしまったのではないだろうか。

 

「……確かに、拍子抜けではあったの。ぬえの鬼気迫る様子から、どんな奴が復活したのかと思ったら……。儂が来た頃にはすっかり解決。復活した聖徳王殿は妖怪と敵対する気など更々なく、しかも白蓮殿とすっかり良好な関係を築き始めてしまっておる。そういう意味では、儂は完全に徒労という事になるの」

「そ、それは……。災難でしたね……」

「まぁ、元々幻想郷という場所には興味があったからの。折角足を運んだんじゃ。今はそれなりに満喫させて貰っておるよ」

 

 気前よく笑いつつも、マミゾウはそう口にしている。

 中々にポジティブかつ素直な少女だ。強大な力を有した妖怪であるのにも関わらず、性格は温厚。もしもその聖徳王なる人物が本当に妖怪に対して危害を加えるような人物だったらどうなるか判らないが、少なくともマミゾウの方から手を出すつもりはないらしい。無駄な争いはしない主義のようである。

 

「ところで、お主らは何か用かあって命蓮寺まで来たんじゃろ? 声をかけた儂が言うのも何じゃが、こんな所でお喋りを続けてても良いのかの?」

「あっ、そうだったわ。私達はこいしに用があるのよ。白蓮には事前に話をつけてたと思うけど」

「こいしって……。あの覚妖怪の子だよね?」

「ええ。今日も来てるんでしょ?」

 

 霊夢の問いかけに対し、響子は「多分……」と曖昧気味に答える。こいしは『無意識を操る程度の能力』という異能を持っているようだし、響子が気づかぬ間に白蓮のもとに辿り着いているのかも知れない。まぁ、彼女の気紛れで今日は来ていなかった可能性もなくはないが──。

 いずれにせよ、今は白蓮の所に行ってみるしかない。

 

「ま、取り合えず行くわよ二人とも。大分時間を食っちゃったような気もするけど……」

「……そうだな。あんまり待たせるのも悪い」

「ですね」

 

 一先ず、あれこれ考えるのは後回しにしてしまう事にする。

 

「それでは、私達は当初の予定通り白蓮さんの所に行きます。お邪魔させて頂きますね」

「うむ。殆ど居候のような身分の儂が言うのもあれじゃが、ゆっくりしていくと良いぞ」

「……予め言っておくけど、妙な騒ぎとか起こさないでよね。特にそこの紅白巫女!」

「何であんたは一々私に突っかかってくんのよ……。と言うか、どっちかって言うとあんたの方がトラブルメーカーでしょうがっ」

「私はいつも通りのおつとめを続けるよ! 今度会ったら、大きな声で挨拶を返してきてね!」

「……ああ。出来る限り精進するとしよう」

 

 そんな風に賑やか且つ色々な意味で個性豊かな少女達に見送られながらも、進一達は命蓮寺の本堂へと向かうのだった。

 

 

 *

 

 

 正面の玄関から命蓮寺の本堂に入ると、外観の印象通りの大きな空間がそこに広がっていた。

 床一面に畳が敷かれた広大な一室。その奥に鎮座するのが、これまた大きな仏壇である。命蓮寺の本尊は、霊夢も言っていた通り七福神の一柱でもある毘沙門天。故にあの仏壇は、そんな神様を祀っているという事なのだろうか。目に入るのは、中々に煌びやか且つ一際豪勢な装飾品の数々。成る程、確かに福神の名に相応しい仏壇と言えよう。

 

 命蓮寺は星蓮船と呼ばれる舟を改装して造られた寺院だと聞いたが、中は意外と普通である。確かに言われてみれば所々小さな違和感はあるものの、何も知らなければ全く気付かないレベルではないだろうか。

 まさに中々の魔改造。やはり幻想郷は、建築技術的な側面でも色々と“非常識”な要素が含まれているのかも知れない。

 

 そんな本堂に足を踏み入れるや否や、真っ先に話しかけてきたのは特徴的な髪色をした一人の女性だった。

 

「ようこそお越しくださいました。お待ちしておりましたよ」

 

 背丈は、長身の部類に入るだろう。白と黒のゴシック風味な服装に、何より目を引くのは腰まで届く程の長髪。紫と金のグラデーションという、何とも特徴的な髪色である。一瞬染めているのかとも思ったが、しかし髪の質感から察するにどうやら地毛であるようだ。彼女の体質か何かなのだろうか。

 

 そんな彼女は、淑やかな雰囲気で進一達のもとへと歩み寄ってきている。落ち着いた大人の女性といった印象だ。容姿に関しても、パッと見て普通の人間と大差ないように思える。

 

「……あんたがこの寺の住職か?」

「ええ。貴方とは初めましてですね。私がこの命蓮寺の住職、聖白蓮です。よろしくお願いしますね」

 

 ペコリと小さくお辞儀をしつつも、彼女は聖白蓮と名乗った。釣られて反射的に進一もお辞儀をし返す。

 

「あ、ああ。俺は岡崎進一だ。こちらこそ、よろしく頼む」

 

 そう名乗ると、白蓮はニコリと笑顔を返してくれた。

 何と言うか、幻想郷で出会った少女達はみんな一癖も二癖もある人物ばかりだったからだろうか。こういった丁寧な対応をされると、逆に少し困惑してしまう。思わず動作がぎこちなくなってしまった。

 そんな様子を横で見ていた霊夢が、進一の事をジト目で睨みつけている。

 

「ちょっと進一さん、なに鼻の下伸ばしちゃってんのよ」

「……別に伸ばしたつもりはないが」

「ふぅん……」

 

 ──何だか霊夢に妙な疑いをかけられているような気がするのだが。

 

「あのっ、白蓮さん。早速なのですが……」

 

 そんな中、一歩前に出た妖夢が白蓮に対して早速本題を切り出そうとしている。当の白蓮はこちらの要件を既に熟知しているようで、頷きつつも妖夢の言葉に答えてくれていた。

 

「ええ。こいしちゃんですよね? 今日もこちらに来ていますよ」

 

 その言葉を白蓮から聞いて、進一は思わず固唾を呑み込んだ。

 自分でも知らず知らずの内に、緊張しているのだろうか。不安に思っているのだろうか。記憶を取り戻すチャンスかも知れないのに、胸中を駆け抜けるこの()()()()は、必ずしも心地良いものだとは断言できない。

 思い出すのは、()()()の内容。

 記憶の中の、彼女の姿。

 

『……泣いているの?』

 

 彼女は、進一にそう問いかけてきた。

 深く、あまりにも深い絶望の渦に飲み込まれて、幼い身でありながらも半ば自暴自棄になりかけていた進一へと向けて。彼女は、まるで寄り添うみたいに優し気に声をかけてきてくれた。

 

 ──でも。違う。そうじゃない。

 

『……どうして、泣いているの?』

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……進一さん?」

 

 ぼんやりとしていた。妖夢に声をかけられて、進一は我に返る。

 不安気な妖夢の表情が目に入る。どうやら進一の不安定な心境は、露骨な程に表面に出てしまっていたらしい。慌てて表情を取り繕いつつも、進一は首を横に振った。

 

「いや……。すまない、何でもないんだ」

「そう、ですか……?」

「ああ……」

 

 不安定な心境は出来るだけ取り除くべきなのだと、さっきも思ったばかりじゃないか。それなのに、今からあれこれと考えて自ら不安感を煽ってどうする。

 ()()()の真意は、現時点ではまだ不明瞭なのだ。そんな曖昧な情報だけで推察を続けるのも非建設的である。妖夢に心配をかけてしまうくらいなら、一度頭の中をクリアーにしてしまう方が余程良い。

 

(ああ、そうだよな……)

 

 こんな所で怖気づいている暇はない。足踏みを続ける訳にはいかないのだ。

 だから進一は、一歩踏み出す。

 

「白蓮さん。こいしは……」

「私はここだよ!」

「っ!?」

 

 こいしはどこにいるんだと、そう進一が白蓮に問い掛けようとした直後の事だった。

 あまりにも唐突。不意打ちが過ぎる少女の声。白蓮と言葉を交わしていた進一達の真後ろで、あどけなさを残すそんな声は突如として進一達のもとへと響いてきた。

 進一達は揃って反射的に振り返る。いつの間にか、そこには一人の小さな少女がにこやかな表情で佇んでいた。

 

「呼ばれて飛び出て無意識の中から大登場ー! どう? びっくりした?」

「お、お前……」

 

 一体いつからそんな所に──。

 そんな疑問が進一の口から出てくる前に、目の前の少女は進一達のもとへとてとてと駆け寄って来た。

 

「えへへー! この前はなぜだか見つかっちゃったけど、今回は私の方から声をかけるまで気付かれなかったね! 私もそれなりに上手く『能力』を制御出来るようになってきたって事かな? まだまだ捨てたもんじゃないよね!」

「あ、ああ……」

「ふっふっふ……。これでリベンジ成功だね!」

 

 困惑気味に進一達とは対照的に、少女はやたらと楽し気な様子である。想像とは別のテンションを前にして、思わずちょっぴり面食らってしまった。

 ニコニコと微笑み顔を浮かべる様子は、まるで悪戯の成功を楽しんでいるかのようだ。やった、上手くった、と。言葉を聞かずとも、その表情を見るだけでそんな感情がありありと伝わってきて。

 

「こいし……。あ・ん・た・ねぇ……!」

「……ん?」

 

 けれどもそんな中。少女の楽し気な様子とは裏腹に、流れこんで来たのはドスの効いた怒り声。

 

「『能力』使っていきなり話しかけんなって言ってんでしょうが! この無意識お馬鹿!」

「いたっ!? ちょ、痛い痛い!? 頭ぐりぐりするの痛い!? や、止めてよ霊夢ー!」

 

 少女──古明地こいしは、いつの間にか背後に回り込んでいた霊夢の手によって、ぐりぐりの制裁を受けていた。

 中々に容赦ないぐりぐりである。バタバタとこいしは暴れるが、それでも霊夢は手を止めない。制裁を受けている当人であるこいしは当然ながら堪らないようで、涙目を浮かべて悶えていた。状況的には悪戯をけしかけたこいし方に非はあるのだろうが、流石に可哀そうに思えてきた。

 どうやらそれは、妖夢も同じ認識だったらしく。

 

「ね、ねぇ霊夢。流石に、そのくらいにしてあげた方が……」

「あんたは黙ってなさい妖夢! この子には一度しっかりと説教してやらなきゃならないのよ……!」

「痛い痛い痛い! もうっ! 酷いよ霊夢! 幾ら何でも、そんなムキになるなんて横暴だよぉ……! あっ! ひょっとして霊夢、悔しいの? 私にびっくりさせられて屈辱的なの?」

「あぁん!?」

「いたぁ!? 何で強くなるのぉ!?」

 

 霊夢のぐりぐりが強くなった。──なぜ態々霊夢を煽るような事を言うのだろう、この少女は。流石に今のは自業自得である。

 

「はいはい、そこまでです。霊夢さん、こいしちゃんの事を離してくれませんか?」

「む……?」

 

 半ば事態の収拾がつかなくなりつつあったが、白蓮が間に入って霊夢のぐりぐりを止めさせる。

 興奮気味な霊夢とは対照的に、白蓮はやたらと落ち着いた様子である。その温度差の所為か、霊夢は反射的にこいしから手を離してしまった。その隙に、白蓮がこいしを引き剥がすような形となる。

 

「ちょ、白蓮! 邪魔しないでよ!」

「そうはいきません。貴方の気持ちも分かりますが、どうか今は堪えてくれませんか? 今回の目的は、この子をぐりぐりする事ではないはずでしょう?」

「それは、そうだけど……」

 

 不満気な霊夢。けれどもここまで大人びた様子で宥められてしまったら、流石の霊夢でもこれ以上手を出す事に躊躇いを感じるらしい。「ぐぬぬ……」と唸り声を上げてはいるが、それ以降は大人しくなってくれた。

 あの霊夢を御するとは流石である。やはり先程進一が覚えた安定感は気の所為などではなかった。聖白蓮というこの女性は、人外を含め幻想郷の他の住民と比較してある意味一線を画しているのかも知れない。

 

「……というか白蓮。あんたいつの間にこいしの事をちゃん付けで呼ぶようになったのよ」

「え? そうですね……。こいしちゃんがここで修行するようになってから自然と、って感じですね。……在家とは言えこうしてウチに入門してくれた以上、私はこいしちゃんの事を家族同然のように思っています。だからこれは、その表れの一つなんです」

「……家族同然、ね。まぁ、あんたらしいと言えばあんたらしいけど」

 

 肩を窄める霊夢。ちょっぴり皮肉っぽい言い回しだけれど、それでも白蓮は笑顔を崩さない。

 ポンっ、と。こいしの両肩に、白蓮は優しく手を添えて。

 

「……ええ、そうです。私は古明地さとりさんから、こうして妹さんであるこいしちゃんをお預かりしている身。ですからさとりさんの信頼に答える為にも、しっかりと責任を持ってこの子と向き合わなければならないのです」

「白蓮さん……」

 

 白蓮の言葉を聞いて、ジーンとした様子でこいしが彼女の名前を呟く。

 何という包容力。聖白蓮から溢れ出すこの母性は、西行寺幽々子が時折り見せるそれを凌駕しているのではないだろうか。彼女の人となりについては事前に話には聞いていたが、まさかここまで温厚な女性だったとは。

 

「……まぁ、今回の悪戯については後で私がしっかりとお灸をすえるつもりですが」

「うんっ……。え?」

「ふふふっ……」

「…………」

 

 ──何やら笑顔の裏に黒いオーラが見えたような気もしたが。

 

「さて、無駄話はここまでです。本題に入りましょうか」

 

 

 *

 

 

 純粋無垢で無邪気な様子。悪戯好きな小さな子供。古明地こいしを前にして抱いた第一印象が、それであった。

 あまりにも容姿相応で、そしてあまりにも()()()()()()。確かに彼女は強力な『能力』を持つ妖怪なのかも知れないが、それ以前に小さな子供なのである。好奇心が旺盛で、楽しい事がまず一番で。明るく、清らかで、そして元気いっぱい。まるで太陽の光みたいに、彼女の表情はキラキラと輝いているのだ。

 

 ──そう。それこそが、()()()

 

 記憶の中の彼女との、絶対的な相違点。

 

(古明地、こいし……)

 

 目の前にいるこの少女は、こんなにも純粋無垢で楽し気な様子なのに。

 

(どうして……)

 

 夢に出てきた()()()()()()は、あんなにも──。

 

「……成る程。事情は分かりました」

 

 白蓮に声が耳に届く。得心したかのような言葉とは裏腹に、彼女の表情は難しそうな様子である。理屈は分かった。けれどもそれは、実に受け入れがたい。そんな真実に直面してしまったかのような表情。

 

「亡霊でありながら記憶喪失。そんな貴方は、八十年後の未来の世界からこの時代に迷い込んでしまったのだと……。そういう事なのですね?」

「ああ……」

 

 岡崎進一の記憶喪失。そして八十年のタイムスリップ。その状況を、進一達は聖白蓮にも提供していた。

 タイムトラベル等という不明瞭な情報を、無闇にばら撒くべきではない。無論、そんな映姫達の言いつけは未だ継続中である。しかし今回は状況が状況だ。事情を話さず、一方的にこちらの要求を呑めだなんて、そんなのはあまりにも虫が良すぎる。

 

 それに、聖白蓮は非常に聡明な人物であると聞く。魔法にも広く精通している彼女ならば、この不可解なタイムトラベルに関しても何らかのアプローチをかける事ができる知れない。

 故に、そういう意味でもこの情報交換は有益である。無闇矢鱈に情報を規制すれば良いというものじゃない。──勿論、だからといって不用意に広めてしまうのは問題だけれども。

 

「タイムトラベルですか……。その話が本当なら、少なくとも八十年後には時間に干渉する術が存在するという事になりますね」

「そうみたいね。……二年前は妖夢で、そして今回が進一さん。相も変わらず原理は全く分からないけど、二人の存在がタイムトラベルを実証しちゃってる訳だし」

 

 霊夢も白蓮と同様に、難しそうな表情を浮かべている。

 タイムトラベルの存在についてすんなりと受け入れてくれた霊夢だが、そんな彼女でも完全に得心したという訳ではないらしい。あまりにも不明瞭な部分が多すぎる故に、気持ちが悪いという事なのだろう。彼女の気持ちは分かる。当事者である進一だって、はっきり言って気味が悪い。

 

「ぶっちゃけ、タイムトラベルに関しちゃ殆ど手詰まりみたいなもんね。妖夢の場合は気付かない内に巻き込まれてたみたいだし、残された手掛かりは進一さんの記憶くらいなんだけど……」

 

 そこで皆の視線が一斉に進一へと向けられる。

 心配そうな妖夢の視線。未だちょっぴり困惑気味な白蓮の視線。そして何かを言いたげな様子でジト目を向ける霊夢の視線。そんな風に見られると、流石の進一も気圧されそうになる。何だかとっても申し訳ない気持ちが溢れてくるというか、何と言うか。

 

「……で? そんな手掛かりを求めてこうしてこいしに会いに来た訳だけど。進一さん、結局記憶は?」

「ああ……。すまない、これっぽっちも戻ってないな……」

「はぁ……」

 

 あからさまに肩を落としつつも、霊夢は溜息をついていた。

 そう。古明地こいしとの対面により進一の記憶を引き上げる試みでこうして命蓮寺まで足を運んだ訳だが、結果はこの体たらくである。

 未だに記憶は戻らない。それどころか、演奏会の帰り道に覚えたような衝撃すらもまるで感じられない。こうしてこいしと会ってみたものの、やはりあの夢以上の記憶は戻ってこなかった。

 

 まぁ、要するに。

 今の所、殆ど徒労に終わってしまっているのである。

 

「ったく。本当に使えないロリコンね」

「……何が何でも俺をロリコンにしたいのか、お前は」

 

 ──いつまでそのネタを引っ張るつもりなのだろう、この少女は。

 

「ね、ねぇ。お兄ちゃん……」

「ん?」

 

 そんな中、進一に話しかけてきたのは話題の中心でもある覚妖怪の少女である。

 古明地こいし。先程までの様子とは打って変わって、今はちょっぴりしおらしげな印象だ。遠慮気味に、進一の袖口をぐいぐいと引っ張ると、

 

「お兄ちゃん、具合悪いの……?」

「……具合が悪いと言うか。まぁ、記憶喪失ではあるが……」

「……やっぱり、前に倒れちゃったのって、私の所為……?」

「……なに?」

 

 俯きつつも、こいしはそんな事を聞いてくる。そう問いかける彼女の表情は、まさに真剣そのものだった。

 先ほどまでの天真爛漫な様子からは気付かなかったが、心の隅ではやはり彼女も気にしていたという事なのだろうか。確かに、いきなり目の前で倒れられたのだ。気にならない方が不自然である。

 

 そんな彼女に対し、進一はポンッと頭を撫でながら答える。

 

「……別に、こいしの所為じゃないさ。お前は何も気にしなくていい」

「……ほんとう?」

「ああ、本当だ。今はすっかり元気だしな」

 

 嘘をついている訳ではない。実際、今の進一の体調はどちらかと言えば好調なのである。頭痛も眩暈も感じないし、どこか身体に違和感がある訳でもない。

 前に倒れた時だって、別に進一はこいしの所為だとはこれっぽっちも思ってないのである。確かにこいしを前にして記憶が揺さぶられたのは事実だが、それはあくまで進一側の問題だ。こいしに非がある訳では決してない。

 

「……本当に、もう元気いっぱい?」

「ああ。寧ろ有り余ってて困ってるくらいさ」

 

 少し大袈裟気味にそう告げると、そこでようやくこいしの表情にも笑顔が戻ってきてくれた。

 俯いていた顔を上げ、表情を綻ばせて。そしてにこりと、笑顔を浮かべると。

 

「……それなら、良かった!」

 

 ホッとした様子で、

 

「タイムトラベルとか、タイムスリップとか、私にはよく分かんないけど……」

 

 どこか嬉しそうな様子で、

 

「それでも、お兄ちゃんが元気なら良かった!」

 

 彼女は、そう口にした。 

 

 ──天真爛漫な様子。感じ取れるのは、無垢なる想い。どこまでも純潔で、どこまでも潔白で。そしてどこまでも、眩しい。

 ああ。やっぱり。

 ()()()()

 

 古明地こいしというこの少女は。

 本当に──。

 

「……何かが違うって、そう思ってますか?」

「……え?」

 

 不意に問い掛けられる。

 声をかけてきたのは妖夢だ。視線を向けると、目に入ったのは息を詰まらせたかのような彼女の表情。思う所はあるけれど、それを言葉にする事は出来ない。感じている事はあるのだけれども、それを伝える訳にはいかない。妖夢から感じ取れるのは、そんな感情──。

 

「……私も、ですよ」

「妖夢……?」

「多分、私も進一さんと同じ想いです……」

 

 ああ。そうだ、そうだった。

 魂魄妖夢もまた、八十年後の未来の世界で古明地こいしと出逢っている。この時代とは、決定的な()()が変わってしまった未来の世界。そこで生きる古明地こいしと、彼女は言葉を交わしている。

 それ故に感じる違和感。未来との相違点。それが意味する事は即ち、()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事だ。けれども、具体的に何が起きるのかまでは皆目見当もつかない。だから不安感が徒に煽られる。だから胸の奥が掻きむしられる。

 

 進一が思い出したのは夢で見たあの断片的な思い出だけだ。けれどそれでも、ここまでの違和感を感じるという事は。

 果たして、これから一体──。

 

(何が起きる……?)

 

 難しそうな表情を浮かべる妖夢と進一を見て、こいしは不思議そうに首を傾げている。どこか不安そうな表情を浮かべている。

 そんな彼女の様子を目の当たりにして、進一と妖夢は揃って表情を取り繕う。不明瞭な未来の不安を彼女に感じさせる必要はないのだと、多分妖夢も同じ思いだったのだろう。胸の奥の感情を押し殺し、誤魔化すように進一はこいしの頭を撫でる。

 

 判らない。

 

 これから何が起きるかなんて、記憶のない今の進一には判るはずもないのだけれども。

 それでも、だ。

 

(もしも……これから待ち受けている結末が、最低最悪のバッドエンドだと言うのなら)

 

 是が非でも、抗って見せるのだと。

 そう、進一は密かに決意するのだった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。