桜花妖々録   作:秋風とも

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第81話「プリズムリバー」

 

 てっぺんまで昇った太陽が、西に傾き始める時間帯。

 午前中は半袖では少し肌寒いくらいの気候だったが、この時間帯でもそれは大して変わらない。朝と比べると幾分かマシではあるが、それでもこの上着を着て丁度良いと思える辺り、今日はいつにも増して気温があまり高くないのかも知れない。魔理沙からコートを借りて正解だった。

 

 魔理沙に連れられて香霖堂に立ち寄って、そこでこのコートを借りて。魔理沙達と別れ、再び進一と二人きりの時間を過ごすこと数刻。昼食を挟んだ後に、妖夢達は人里から少し離れたとある小さな山の中腹付近まで足を運んでいた。

 地理的には、香霖堂から人里を挟んで正反対の場所に位置する。幻想郷で山と言えば、やはり『妖怪の山』が有名なのだろうけれど、何も幻想郷でそこだけが山と定義されている訳ではない。例えば博麗神社が建っているあの場所だって山だと言えるだろうし、それ以外にも名前のない山だって幻想郷には幾つか存在する。

 

 名前のない。つまるところ、無名。

 丁度妖夢達が訪れたこの場所は、通称『無名の丘』と呼ばれている。春先のこの時期はちょうど鈴蘭が花を咲かせ始める頃で、丘一面は少しずつ真っ白に彩り始めていた。宛ら白い絨毯である。

 無名の丘は風通りが良く、日当たりは悪い。ぴゅうっと吹くそよ風が、妖夢の頬を冷たく撫でてゆく。魔理沙のコートを借りていなければ、今頃寒さに耐え忍ぶ事となっていただろう。彼女には感謝である。

 

「ここが会場か?」

「ええ。そのはずです」

 

 妖夢の隣を歩く進一が、周囲の風景を眺めながらも尋ねてくる。妖夢はそれに頷いて答えた。

 

「無名の丘の鈴蘭畑。今回のプリズムリバー楽団は、この場所をライブ会場に選んだみたいですね」

 

 本日のデートにおける本来の目的。永遠亭に訪れた際、八意永琳から偶々得る事の出来た情報。プリズムリバー楽団。騒霊の三姉妹が行う演奏会は、無名の丘で開催される手はずとなっていた。

 周囲を見ると、他の妖怪やら妖精やらの姿も何人か確認できる。流石に人間の姿は見当たらないが、それでもそれなりの数である。恐らく彼らも楽団のライブ鑑賞が目当てなのだろう。無名の丘に、ここまで妖怪が集まるのも珍しい。流石はプリズムリバー楽団、と言ったところか。

 

「無名の丘って、普段は人間も妖怪も殆ど近寄らないんですけどね」

「そうなのか?」

「ここは文字通り『無名』の丘なんです。幻想郷から忘れ去られた場所、なんて言われる事もあるくらいで……」

「鈴蘭の花も綺麗だし、観光スポットになりそうなのにな」

「まぁ、幻想郷には観光客なんて訪れませんからね……。それにここって、大昔は()()()の現場だったみたいなんです。だから皆、余計に近寄らなくなったみたいで……」

「間引き?」

「……()()()()()()です。まぁ、博麗大結界が張られるよりもずっと昔の話みたいですけど……」

「……成る程な」

 

 そういう時代もあった、という事なのだろう。

 それにしても、こんな人気のない所で態々演奏会を行うなんて、プリズムリバー楽団も中々に物好きだ。彼女達は基本的に依頼を受けて演奏会を行うのだが、時々こうして自ら突発的にライブを開催する事もある。それでもそれなりに観客が集まる事から察するに、少しばかり名の知れた楽団という評価は伊達ではないようだ。

 

 妖夢も彼女達の音楽に関しては、白玉楼で演奏会を依頼した時くらいでしか聴いた事がない。だから今日は楽しみだ。

 進一と二人きりのデートとは、少し違うのだけれども。それでもこうして一緒に音楽を聴けるだけでも、きっと良い想い出になると思うから。

 だから思い切り楽しもう。悔いなんて、欠片も残らないくらいに。

 

「えっと、まずはチケットを持って受付に行くんだよな?」

「そうですね。受付は……」

 

 ザッと周囲を確認すると、やや遠くに屋根だけのテントのような物が確認できる。何人かの人影も同時に確認できる事から、おそらくあそこが演奏会の受付と見て間違いないだろう。

 因みに、チケットは既に二人分入手済みだ。事前にしっかりと購入しておいた。抜かりはないのである。

 

 一先ず妖夢達はそこの前に出来ていた列に並ぶ。長蛇の列という程でもないが、やはり並び始めると時間の経過がゆっくりに感じてしまうものだ。どうやら自分は、思った以上にこの演奏会を楽しみにしているらしい。

 妖夢はチラリと進一を一瞥する。プリズムリバー楽団の音楽が楽しみというのもそうだけれど、やはり彼と一緒であるという点が大きいだろう。進一と一緒なら、きっとどんな事でも楽しいのではないんじゃないかと。そう思わずにはいられない。

 ああ。本当に、自分は進一の事が好きなんだなと。

 そう再認識すると何だか嬉しくなって、妖夢は自然に破顔した。

 

「妖夢。何だか凄く楽しそうだな」

「そう見えます?」

「ああ。心からの笑顔って感じだ」

「えへへ……。だとしたら、進一さんの、お陰です」

 

 そんな甘々なやり取りを進一と続ける事数分。程なくして、妖夢達の順番が回ってきた。

 前に並んでいた人達の受付が終わり、次は妖夢達が受付係の前まで進む。そしてチケットを渡せば会場へ誘導されるという流れである。

 妖夢と進一は揃ってチケットを手に持ち、受付のテントに足を踏み入れる。そこにいる少女の一人が声をかけてきた。

 

「いらっしゃいませー! プリズムリバー楽団の演奏会にようこそー!」

 

 元気に対応してくれたのは、全体的に薄いピンク色の衣服を身に包んだ少女である。

 身長は、十代の人間の少女における平均値くらいだろうか。明るい水色のふんわりとした髪に、少したれ目気味の瞳。一見するとおっとりとした少女のようにも思えるが、けれども妖夢達への態度は底抜けに明るい印象だ。活力抜群な彼女の姿を見ていると、何だかこちらも自然と元気になってくる。

 そんな彼女の隣には、似たような服装の少女の姿が二人確認できる。一人は黒っぽい衣服のちょっぴり暗い印象の少女。もう一人は赤い衣服の小柄な少女。三人並んだその様子は、さながら三姉妹とでも形容すべき様相で──。

 

(……んん?)

 

 ──いや。待て。

 

「あっ! あなたは白玉楼の庭師さん! 演奏会、聴きにきてくれたんだね!」

「庭師……? 半人半霊の……?」

「わ、ホントだ。こういう所に来るのって、何だか珍しいねー」

 

 水色の髪に薄ピンク色の服装の少女。金色の髪に黒い服装の少女。そして亜麻色の髪に赤い服装の少女。

 見覚えがある──どころの騒ぎじゃない。三姉妹とでも形容すべき様相──なんてとんでもない。形容どころか、彼女達は正真正銘の三姉妹だ。騒霊に分類される、幻想郷でもちょっとばかり名の知れた三姉妹なのである。

 

「い、いや、なんで……」

 

 そう。

 何を隠そう、彼女達こそ。

 

「なんで今から演奏会を行うプリズムリバー楽団本人が、受付なんてやってるんですか……?」

 

 それである。

 さも当然の事であるかのように受付の対応をしているこの三人こそ、プリズムリバー楽団その人なのである。これから演奏会を行うはずなのに、なぜ彼女達が受付の対応などしているのだろう。普通は人を雇って対応して貰うものじゃないのか。彼女達には演奏会の準備もあるだろうに──。

 そんな至極全うな疑問を抱く妖夢の様子を察してか、真ん中にいる薄ピンク色の服装の少女──次女であるメルラン・プリズムリバーが、受付の机から食い気味に身を乗り出すと、

 

「これはほら、あれだよ、ファンサービスって奴だよ! やっぱりファンとの交流を大切にしたいって常々思ってるんだよねー、私達は! だからこうして、受付の時点で寄り添って交流していこうかと……」

「……まぁ、単に人を雇えなかっただけなんだけど」

「ちょ、姉さんそんなストレートにぶっちゃけちゃう普通!?」

 

 やたらと高いテンションで説明をするメルランだったが、突然横から口を挟まれて出鼻を折られる。

 口を挟んできたのは黒い服装の少女だ。やたら明るく活発的なメルランとは対照的に、見るからに生真面目でクールかつ暗い印象を受ける。三姉妹の長女であるそんな彼女──ルナサ・プリズムリバーは、呆れ気味に嘆息を一つ挟むと、

 

「単に私は事実を述べただけでしょ。建前も、度が過ぎると嘘と何ら変わらなくなる訳だし……」

「でもでも! ファンの気持ちを考えると、やっぱり建前だって必要だよ! もうっ、姉さんは相変わらず態度も考え方も暗すぎるんだから!」

「……メルランが五月蠅すぎるだけ。私は別に暗くない」

「暗いよ! ダメダメだよ! ダメダメすぎるよ姉さん! そんなんじゃファンの皆も逃げてっちゃうよ!? さぁほら、もっと笑って笑ってー!」

「いや……ほんと、そういうのいいから……」

 

 まさに正反対の二人である。底抜けに明るいメルランとクールで暗いルナサとでは、まさに水と油。メルランはそのハイテンションっぷりでルナサの士気を高めようとしているようだが、当のルナサは若干ウザがってしまっている始末。それでも妖夢達の前でこうして言い合いを初めてしまう辺り、二人ともマイペースというか何と言うか。

 

「あはは、ごめんねー。ルナサ姉さんは暗すぎるし、でもメルラン姉さんはテンション高すぎるよね」

 

 妖夢が苦笑いを浮かべていると、苦笑しつつも赤い服装の少女が声をかけてくる。

 三人の中で最も小柄。三姉妹の三女でもある少女──リリカ・プリズムリバーは、気を取り直してといった様子で妖夢達に愛想の良い笑顔を見せてくれた。

 

「改めまして、演奏会にようこそ! 庭師さん、今日は彼氏さんとデート?」

「え、ええ……。まぁ、そうですね……」

 

 ストレートにそう聞かれると、やっぱり何だか小恥ずかしい。顔を赤らめて小さく頷くと、リリカは「成る程ね……」と得心した様子だった。──あまり接点が多くない彼女達にとっても、妖夢に恋人がいるという状況は意外に思う事なのだろうか。まさかそこまで堅物キャラだと思われているのだとしたら、流石にちょっぴり傷つきそうだ。

 

「……なぁ、ここって受付で合ってるんだよな?」

「そうだよ。あ、チケット受け取るねー」

「ああ……。でもお前らが楽団員本人なんだろ? 人が雇えなかったと聞こえたが……。ひょっとして、そんなに逼迫しているのか? 金銭面とか……」

「あー、いや、それはね……」

 

 チケットを渡しつつも進一がそう尋ねると、リリカは何とも困ったような表情を浮かべる。──いや、どちからかと言うと、呆れた苦笑いとでも言った方が正しいか。そんな彼女が事情を説明するよりも先に、タイミング良くルナサとメルランのやり取りが耳に入ってきた。

 

「だいたい、私は反対したじゃない。今回のライブは、あまりにも突発的だって。お陰で受付やってくれる人も雇えなかったし、それなのにメルランったらごり押しして……」

「でもチケットはちゃんと売れたし、ファンの皆も集まってくれたよ! 結果オーライじゃない!?」

「いや、だからそういう問題じゃなくて……」

 

「…………」

「え、えっと、つまりそういう事っ」

 

 成る程。開催が急すぎて、スタッフもまともに揃えられなかったという事か。にも関わらず予定通りライブを開催しようとする辺り、確かに少々ごり押しが過ぎるかも知れない。

 

「……大丈夫なのか? 演奏の準備とかもあるだろうし、それなのに受付に三人全員が集まっちまってるなんて……」

「んー、多分大丈夫。今回のライブは規模があまり大きくないし、会場の設営はほぼ終わってるからね」

「……そうなのか?」

「うん。それに、ファンとの交流を大切にしたいっていうメルラン姉さんの意見には私も大賛成だから。それならこうして三人一緒に対応した方が華やかで良いでしょ?」

 

 まぁ、確かに誰か一人が対応するよりも、全員で対応した方がそれぞれのファンは喜ぶだろう。

 プリズムリバー三姉妹は、外の世界でいう所のアイドルに似た扱いを受ける事がある。特に次女であるメルラン・プリズムリバーは、その明るく陽気な性格から最もファンが多いと聞く。

 確かに彼女は魅力的な少女だ。少しばかりテンションが高すぎる印象があるとは言え、そのどこまでもポジティブで何事にも積極的な性格は間違いなく美点である。演奏会ではセンターを任される場合が多い事もあり、必然的に彼女の人気が高くなるのも頷ける。

 

「メルランというのがあのテンションが高い奴の事だよな? あいつがリーダーなのか?」

「ううん、違うよ。あ、ひょっとして彼氏さん、私達の演奏会はこれが初めて? それなら勘違いしちゃうのも無理ないかなー」

 

 プリズムリバー三姉妹の中で、最も目立っているのはメルランだ。それ故に、彼女こそが楽団のリーダーであると勘違いしている人も多いらしい。けれども事実はそうじゃない。

 

「リーダーはルナサ姉さんだよ。ちょっぴり意外でしょ?」

「……メルランとは対照的な感じの奴か」

「そうそう。暗いけど、でもああ見えてすっごく頼りになる姉さんだから。だからメルラン姉さんもあそこまでのびのびと出来るんじゃないかな?」

 

 ルナサ・プリズムリバーは確かにクールで暗い印象だが、それ以上に生真面目で責任感が強い。三姉妹の長女なだけあって、二人の妹を引っ張っていく能力に関しても長けているのである。そんな彼女に深い信頼を寄せているからこそ、メルランもリリカも安心して全力を出し尽くす事が出来るのであろう。

 要は適材適所なのである。ルナサが二人を引っ張っていくリーダーならば、メルランはムードメーカーなのだ。

 

「要するに、ナントカとハサミは使いようって事だね!」

「そ、その言い方はちょっと乱暴なような……」

「あははっ、冗談だってー」

 

 そしてリリカは人当たりが良く、話しやすい。極端な姉二人のフォロー役といった所だろう。演奏面以外でも、三人の役割はそれぞれ綺麗に分かれている。

 互いの長所が互いの短所を補い合う。プリズムリバー楽団は、楽団という以前に三姉妹としても相性は抜群なのである。──いや、三姉妹だからこそ、というべきか。

 

「と・に・か・く! 私達は何時だって誰だって大歓迎だよ庭師さん! 彼氏さんと一緒に、思う存分演奏会を楽しんでくれたら嬉しいなっ!」

「何がとにかくなの……。私の話をぶった切らないで」

「彼氏さんも! 観客席からどんどん盛り上げてねっ! 私も演奏者としてバリバリに盛り上げちゃうよ~!」

「あー……。遂に無視を決め込み始めたわこの子……」

 

 ──ルナサが完全にメルランに呑まれてしまっている。彼女のパワーは色々と凄まじい。長女として、ルナサは色々と気苦労が絶えないに違いない。

 

「えっと、それじゃあ二名様ご案内という事で~。多分二人が最後だから、なるべく早めに席についてね」

「あっ、はい。今日はよろしくお願いします」

「こちらこそ、今日はよろしくね~」

 

 色々と両極端なルナサとメルラン。そんな二人の間に割って入ったリリカに促されて、妖夢達はテントを後にする事になる。

 

 プリズムリバー楽団。騒霊の三姉妹。

 賑やかな三人の少女達に見送られつつも、妖夢は進一と共に会場へと足を運ぶのだった。

 

 

 *

 

 

 進一達が到着する頃には既に会場は満員だった。

 満員、と言っても例えば席に椅子が並べられている訳ではない。観客席は基本的に立ち見である。規模があまり大きくないというリリカの言葉通り、観客全員分の椅子を用意する事ができなかったのかも知れない。まぁ、オールスタンディングという言葉もあるくらいだ。別に珍しくもないだろう。

 

 会場の広さ的にはそこそこ、といった所だろうか。周囲を頑丈そうな柵で囲った観客席に、奥にはステージのような物も確認できる。単純かつシンプルな構造の会場だが、そもそも無名の丘は演奏会を行うような場所ではない。今回のライブに合わせて一時的に組み立てた、という事なのだろう。

 

「わぁ、結構沢山いますね……!」

「ああ……」

 

 進一はぐるりと周囲を見渡す。

 鈴蘭畑の真ん中に設けられたそこには、多くの人影が見て取れる。ぱっと見でも人間ではないと分かるような人物もチラホラと見受けられるが、やはり人間は参加していないのだろうか。

 

「やっぱり妖怪だとかの参加者が多いのか?」

「だと思いますよ。この場所、人間の足だとちょっと来づらいですし……。それでも足を運ぶ熱狂的なファンの方もいるみたいですけど」

「……妖怪に襲われたりしないのか?」

「プリズムリバー楽団の演奏会中に、そういうのはご法度だそうですよ」

 

 プリズムリバー楽団の音楽は、精神に直接響き渡ると聞く。彼女達が奏でる音楽は一般的な“音”の定義からは外れてしまっているらしく、言うなれば音の幽霊とでも称すべきものらしい。──正直そんな説明をされても進一にはさっぱりだが、要するに実体のない音という事なのだろうか。

 

 精神に直接影響を及ぼすなどと聞くと人間にとって有害ともなり得そうな印象だが、その点は問題ないそうだ。

 三姉妹の三女であるリリカ・プリズムリバー。彼女の奏でる幻想の音には、ルナサの奏でる鬱の音とメルランの奏でる躁の音を中和する効力がある。彼女の音が二人の姉の音を纏め上げ、その結果プリズムリバー楽団の音楽は完成する。人間が聴いても強い影響を受けぬような、そんな音楽へと昇華するのである。

 

 そんな事もあり、プリズムリバー楽団には普通の人間のファンも多いそうだ。メンバー個別のファンクラブも存在するらしい。

 

「……因みになんだが、誰が人間で誰が妖怪なのかって分かるものなのか? 身体的特徴以外に」

「えっと、一応、霊力の質だとか、妖力が探れれば分からない事もないですね。でも私、その手の作業が苦手で……」

「……成る程な」

「人外特有の何かが、必ずしも身体的特徴に表れるとは限りませんからね。ぱっと見じゃ分からない事だって多々あります」

 

 霊力の質だとか、妖力を探る。亡霊である癖に空を飛ぶ以外で全くと言っていいほど霊力を扱えない進一では、かなりハードルの高そうな技術である。試しに近くの人間っぽい見た目の人物から霊力を探ろうと試みたが、結局よく分からないまま早々に諦めた。

 妖夢も苦手との事だが、けれども全く出来ないという訳ではなさそうだ。好奇心から、試しにちょっと聞いてみる事にする。

 

「……例えば、あの子達が人間なのかどうかって分かるか?」

 

 パッと目に入った人間っぽい見た目の少女を示しつつも、妖夢にそう聞いてみる。彼女は律儀にも、進一が視線を示す方向へと目を向けつつも。

 

「えっと、あの人、達……は……」

 

 次の瞬間。不意に妖夢は口籠った。

 不思議に思って視線を向ける。魂魄妖夢が浮かべるのは、ちょっとした困惑顔である。まるで、想定できなかった何かを目の当たりにしてしまったかのような。そんな印象。

 進一は改めて視線を戻す。彼が偶々目にした二人組の少女は、何やら話題に花を咲かせている様子で。

 

「いやー、話には聞いてたけど結構な人……。流石はプリズムリバー楽団の演奏会、って言った所かな?」

「う、うむ……! 大衆の熱気が我らにまで伝わってくるようだ! その、ぷりずむりばー? というのは、ここまで多くの民衆の心を掌握できる程の人望を持っているのだな……!」

「……まぁ、強ち間違ってないのかも」

 

 そんなやり取りを交わす二人の少女の服装は、どちらも白い印象である。

 片方はセーラー服姿の船乗りのような恰好をした少女。そしてもう片方は時代錯誤を感じさせる和風の白装束に身を包んだ少女だ。時代や世界観やらがまるで噛み合っていない印象の二人組だが、ぶっちゃけ幻想郷ではその程度で一々驚いてはいられない。ここはこういう世界なのだと、早々に受け入れてしまうのが上手く馴染むコツなのである。

 そんな二人組の少女を見て、妖夢は困惑顔を浮かべている。どうリアクションすれば良いのか分からないと、まるでそう言いたげな面持ちだ。事態を上手く呑み込めていない、とも捉えられる。

 

「……何だその顔は」

「へっ!? あ、あの、ちょっと意外な光景を目の当たりにしてしまったというか、何というか……」

「……まさかとは思うが、妖夢の知り合いだったのか?」

「え、ええ……。まぁ、一応……。あっ、因みにお二人とも人間ではなくて……」

 

 何となく歯切れの悪い妖夢。そんな彼女から視線を外して再びあの少女達を一瞥すると、片方の少女と目が合った。──いや、厳密に言えば、少女と目が合ったのは妖夢の方である。タイミングばっちりでこちらに振り返った白い和風の装飾を身に纏った少女は、妖夢の姿を認識した途端に目をキラキラと輝かせ始めた。

 

「おっ、おお……! これはこれは、妖夢殿ではないかっ! まさかこんな所で出会えるとは、奇遇であるな!」

「え? 妖夢、さん……?」

 

 和風な白装飾の少女が駆け寄ってくる。そんな彼女の後に続くように、白いセーラー服の少女も歩み寄って来た。

 当の妖夢はちょっぴり困ったような表情を浮かべている。和風な白装飾の少女の圧に押されているのだろうか。確かに、早苗やメルランとはまた違った意味で勢いが強そうな少女である。元気いっぱいだ。

 そんな少女の後ろについてきたセーラー服の少女へと、妖夢は視線を向けると。

 

「布都さんと……えっと、水蜜さんですよね?」

「あ、はい。村紗水蜜です。ちゃんとお話しするのって、意外と初めてですよね? 私達」

「そうかもです……。でもまさか布都さんと一緒だとは思いませんでした。お二人って、いつの間に仲良くなったんですか?」

「んー……。まぁ、色々あって」

 

 和風な白装飾の少女は、布都という名前らしい。そしてセーラー服の少女は、自らを村紗水蜜と名乗っていた。どうやら彼女達の口振りから察するに、妖夢は水蜜とはそれほど深い接点がある訳ではなさそうだ。それでも互いに顔を認知している辺り、妖夢の顔の広さが窺える。

 

「実は布都さんに、幻想郷の事をもっと色々と知りたいって頼まれて。それで、私も丁度プリズムリバー楽団のライブに行くつもりだったんで、折角だから誘ってみたんです」

「うむ! これから幻想郷で過ごす事になる以上、もっと見解を広げねばと思ってな! しかし我は太子様と違って、他人の欲を聞き取れるような才は持ち合わせていない……。そこでムラサ殿に協力を仰いだのである!」

「……お二人がその様子だと、どうやら白蓮さんと神子さんの関係性は良好のようですね」

「うん、まぁ……。でも正直びっくりしましたよ。ナズーリンが危険な何かなんて言うもんだから、一体何が封印されてるんだって思ったら……。普通に無害な感じの人でしたし、身構えて損したと言うか」

 

 水蜜は肩を窄めつつもそう口にする。

 話の内容がいまいち掴めないが、それでもこの水蜜というセーラー服の少女と布都という白装飾の少女の仲が良好であるという事だけは分かる。二人とも、気さくで人当たりの良さそうな少女である。気が合うのだろう。

 

「あの、ところで。ひょっとして、なんですけど……」

 

 そんな中、水蜜が進一の方へと視線を向ける。

 何やらキラキラとした瞳。何となく、何を言われるのか察してしまえたような気がする。

 

「お兄さんって、妖夢さんの恋人さんですか?」

 

 ──やっぱり想像通りの反応だった。何だかさっきから行く先々で同じような事を聞かれている気がする。妖夢が恋人を連れているというこの状況は、そんなにも珍しい事なのだろうか。

 まぁ、確かに妖夢は奥手な少女である。男と歩いているだけでも珍しいのかも知れない。当の妖夢は、水蜜からそんな質問を投げかけられてやっぱりもじもじと赤くなっていた。

 

 取り合えず、進一が頷いて答えてしまう事にする。

 

「ああ。そうだが」

「やっぱり……!」

 

 進一が答えると、水蜜はますます瞳を輝かせ始めた。

 ──やはり彼女もこの手の話が好きなお年頃なのだろうか。興奮気味なその様子を目の当たりにすると、こちらまでその勢いに飲み込まれそうだ。

 チラリと水蜜の隣にいる少女を一瞥してみる。布都と呼ばれた白装飾の少女は、何やら興奮気味の水蜜を見てポカンとした表情を浮かべていた。ハテナマークでも浮かべているかのような様子で首を傾げている。どうやら状況を飲み込めていないらしい。

 

「ああ、すいません! ひょっとしなくても私達お邪魔ですよね、そうですよね? でも大丈夫です。すぐに退散しちゃいますから!」

「え? いや、別に気を遣わんでも……」

「いえいえ、お気になさらず! さっ、行こ布都さん! ここは私達の出る幕じゃないよ」

「ぬお……! ど、どうしたのだムラサ殿!? なぜ急に引っ張るのだ……!?」

「良いから良いからっ」

 

 そう口にしつつも布都を引っ張り始める水蜜。

 未だ状況を理解できていない布都は完全にされるがままである。

 

「それでは、頑張って下さいね妖夢さんっ!」

「へっ!? い、いや、私……!」

「う、うむ……? よ、よく分からぬが……我も応援しているぞ、妖夢殿!」

「あ、あのっ、だから……!?」

 

 一方的にそう言い残して、水蜜達はそそくさと立ち去っていってしまった。妖夢が何かを口にするよりも先に他の観客の隙間を縫うようにして奥へと進み、あっという間に姿が見えなくなってしまう。進一はそんな彼女達を惚けたように見送る事しかできなかった。

 ──今のは、一体何だったのだろう。状況の変化が目まぐるし過ぎて、流石の進一でも対応できない。まるで一過性の嵐でも駆け抜けたような心地である。

 

「……何だったんだ、今のは」

「え、えっと……。や、やっぱり、気を遣われちゃったんでしょうか……?」

 

 確かに流れ的にはそんな感じだったが、けれど水蜜は至極楽し気な様子だった。ひょっとしたら、からかい半分な部分もあったのかも知れない。

 

「が、頑張ってって……。ど、どういう意味なのかな……?」

「……何だ? 何をボソボソと言っている?」

「い、いや! な、何でもないです! 何でも……!」

 

 閑話休題。

 それから十分弱ほど経過した頃に、いよいよプリズムリバー楽団の演奏会が幕を開ける事となった。

 つい先ほどまで受け付けで対応していたあの三姉妹が、揃ってステージの上に現れる。会場の設営はほぼ終わっていると言っていた割にステージの上には楽器類が見当たらなかったが、進一はその理由を今になって理解する事になる。

 

 ステージの上へと現れるプリズムリバー三姉妹。そんな彼女達の後に続くように、複数の楽器類が()()()()()()()()()()()()()()()()のである。まるで、それそのものが意思でも持っているかのように。弦楽器と、管楽器と、鍵盤楽器の三つの楽器が、それぞれの担当者の傍らへと文字通り近寄ってきていて。

 

「……浮いてるな、楽器」

騒霊(ポルターガイスト)ですからね」

 

 そういえば、ポルターガイストとはそういう現象の事も示すのだった。彼女達の場合、そういった怪現象というよりも超能力か何かを使っているかのような印象を受けるが。

 

「みんなー! 今日は集まってくれてありがとー!」

 

 準備が整うと、センターのメルランが観客達に元気よく声をかけ始める。鈴を転がすような彼女の声は、会場全体によく響く。ドッと、直後にファンの歓声が響き渡った。

 流石は楽団一の人気者と言われているだけはあって、ファンの数もかなり多いようだ。そんなファンの声援に答えるかのように、メルランは満面の笑みを浮かべつつも手を振っている。宛らアイドルか何かである。

 

「さてさて! それじゃ、早速一曲目いっちゃうよー!」

 

 そんなメルランの掛け声を合図に、ルナサとリリカも自らの楽器を操作する。そしてプリズムリバー楽団の演奏が始まった──。

 

「…………っ」

 

 メインはメルランの管楽器だ。彼女の人となりを体現するかのようなアップテンポなメロディが、その楽器で奏でられる。聴いてるだけでも気分が高揚しそうな旋律である。躁の音が、自然と気持ちを高ぶらせてくれる。どちらかというと無頓着な性格である進一でも、思わず彼女のメロディに乗ってしまいそうになる。

 そんな旋律をまるで煽るように音を奏でるのは、ルナサの弦楽器である。メルランとは実に対照的。落ち着いた印象の淑やかなメロディが、会場全体に響き渡っている。鬱の音が、観客の心へと静かに染み渡っていく。

 

 あまりにも対極に位置する二人の音楽。普通ならば互いが互いの魅力を殺し合い、不協和音にもなり得る危なげな演奏のように思える。けれども実際は、響き渡るそのメロディに不快感など一切ない。寧ろ心地よいとも思える程の美麗な旋律として、進一のもとへと届いている。

 ──リリカの奏でる幻想の音だ。一見すると彼女は鍵盤楽器を演奏しているだけのようにも思えるが、実際はそれだけではない。リリカがルナサとメルランの音楽を“調整”し、纏め上げているのだ。

 二人の持つ強烈な“癖”を中和し、尚且つそのメロディに深みを持たせている。普通の楽団では決して真似する事の出来ない、騒霊ならではの音楽として彼女達の演奏は完結しているのである。実に不思議な感覚だ。

 

 まさに奇跡の旋律、とでも表現できようか。

 プリズムリバー三姉妹。騒霊である以前に、この音楽は彼女達でなければ完成しない。彼女達でなければ、この旋律はここまでピタリと噛み合わないのだ。

 音楽に関しては酷く疎い進一でも、それくらいなら何となく分かる。それほどまでの強い想いが、この音楽には込められている。だからここまで、精神に──心に、強く、強く響き渡る。

 

「凄い……」

 

 進一の傍らで、妖夢も思わずそう零している。

 精神に直接響き渡る音の幽霊。それは確かに進一達の心を刺激している。暗闇に乗りつぶされた、生前の記憶がない進一の心でさえも。プリズムリバー楽団の音楽は、静かに、けれども確実に包み込んでゆく。

 

 ──未だ記憶は戻らない。幾ら彼女達の音楽が精神に直接響き渡るのだとは言え、そう簡単に思い出せるのでは進一はここまで苦労してない。

 けれど。けれど、それでも。

 何かが、燻る。そんな感覚だけは、何となくだが感じとる事が出来る。この感覚が、失った記憶を取り戻す為の手掛かりと成り得るのか。それは、現時点では定かではないのだけれども。

 

 それでも。プリズムリバー楽団の、壮大な演奏を妖夢と共に間近で聴く事が出来たのだ。

 例えそれだけだったとしても、今日のこのデートには異議があるのだと。進一は、自然とそんな感情を抱き始めていた。

 

 

 *

 

 

 それから約二時間半ほど経過した頃、演奏会は幕を閉じる事となった。

 あっという間の時間だった。演奏会に熱中し過ぎて、終わった頃にはもうそんなに時間が経ったのかと驚いたくらいだ。それほどまでに有意義な時間だったという事だろう。正直、思っていたよりもずっと聴き応えのある演奏会だった。ひょっとしたら知らず知らずの内に侮っていたのかも知れない。

 

「……凄かったな。さっきのライブ」

「はいっ。流石はプリズムリバー楽団、と言った所でしょうか?」

 

 妖夢も実に楽し気な様子で答えてくれる。そんな笑顔を向けられると、何だかこちらまで嬉しくなってきそうだ。本当に、今日は来て良かった。

 そんな中。やや躊躇いがちに、妖夢が声をかけてくる。

 

「あ、あの……。ところで、進一さん。一つ、確認したい事があって……」

「うん? 確認したい事?」

「え、ええ。進一さんの記憶、について何ですが……」

「あー……」

 

 まぁ、やはりこの質問は飛んでくるだろう。十分に予想の範囲内だった。

 

「どうですか? プリズムリバー楽団の音楽を聴いて、何か変化は……?」

「……結論から先に言うと、未だ記憶は何も戻っていないな。確かに、楽団の音楽を聴いている最中は精神に“音”が響くような感覚を掴めてたんだが……。でも、やっぱり駄目だった。それ以上先には、どうしたって辿り着けない」

「そう、ですか……」

 

 プリズムリバー楽団の音楽は精神に直接響く。故に亡霊──精神の集合体とも言える霊体を持つ進一ならば、更に強い刺激を経て記憶も復活するのではないかと期待していたが──。結果はこの通りである。

 残念ながら、記憶を取り戻すという観点から見れば、事態はあまり進展していない。演奏中に覚えた感覚から察するに、流石にゼロという訳ではなさそうだが、それでも微々たるものである事に変わりはないだろう。

 

「でも、お前とこうしてデートが出来たんだ。それだけで、俺は満足だぞ」

「へっ!? あ、ぅ……。は、はい……」

 

 ぼふっと、妖夢の顔が赤くなる。彼女は未だに、こう言った不意打ちの類に弱いらしい。そんな彼女の様子を見て、進一は思わず微笑してしまった。

 ──そう。今日はこれで満足だ。例え期待していた最高の結果が得られなかったのだとしても、こうして妖夢との時間を過ごせただけでも意味がある。それ以上の事を望むなんて、それこそあまりにも貪欲で、あまりにも傲慢である。

 故に、こそ。

 焦燥感なんて、覚えてはいけない。いつまで経っても記憶が戻らないこの状況。けれども幾ら焦ったとしても、それで事態が好転するような事はない。そんなの、妖夢や幽々子達に余計な心配をかけるだけだ。

 

 だから強引にでも飲み込むしかない。焦りなんておくびにも出さない。

 それこそが、記憶のない進一でも出来る精一杯の一つなのだから。

 

「……ねぇ」

「うん?」

 

 そんな帰り道。人影もまばらになった無名の丘の外れ。そこで進一達は、不意に誰かに声をかけられた。

 妖夢と揃って振り返ると、そこにいたのは一人の少女。金色のショートヘアに、黒を基調とした衣服。漂わせる雰囲気は、ちょっぴり暗い印象。

 あまりにも意外な人物。まさかこんなタイミングで声をかけられるなんて、どうして想像できよう。

 だって、彼女は。

 

「お前は、長女の……」

「……ルナサ。ルナサ・プリズムリバー」

 

 プリズムリバー楽団。そのリーダーにして、三姉妹の長女である人物。ルナサ・プリズムリバーその人だった。

 進一は思わず眉を顰める。なぜ彼女が、こんな所にいるのだろう。確か今頃、プリズムリバー楽団はライブ終わりのファンサービスと称してファンとの簡単な握手会を開催していたはずである。今日初めて演奏会に観客として参加した進一達が押し寄せるのも悪いので、それには参加せず真っ直ぐに帰路に就いていたのだが──。

 

「あ、あれ? ルナサさん? どうして……。あの、握手会は……?」

「……そんなの、別にどうでもいい。あれはメルランが勝手に言い出しただけだし。ああいうのは、私の柄じゃない」

 

 妖夢の呈した疑問に対して、ルナサは素っ気なくそう答える。

 彼女一人と面と向かうと、確かに暗い印象がダイレクトに伝わってくる。だいぶクールな印象の少女である。

 

「……俺達に何か用なのか?」

「そう。用があるのは、あなた」

「……俺?」

 

 こくりと、ルナサは無言で頷く。そして進一のもとに歩み寄ると、何やらジッとこちらの表情を窺い始めて。

 

「……なんだ?」

「…………」

「……おい」

「…………」

「聞いているのか?」

「…………」

「何か喋ってくれないと、こちらとしても反応に困るんだが……」

 

 それでも尚、無言である。彼女はただ何の言葉も発さずに、じっと進一の表情を窺い始めている。

 ──いや。()()、ではない。彼女が窺っているのは、おそらく別の()()。こうしてジッと何かに集中する事で、進一の何かを感じ取ろうとしているようにも見える。

 何だかちょっぴり、気味が悪い。無表情であるが故に感情が読み取れず、無言であるが故に何を考えているのかも分からない。思わず生唾を飲み込んで、進一は状況の変化を待つ事しかできなくなってしまう。

 

 それから、十数秒ほど経過した頃だろうか。不意に、ルナサの視線がプイッと進一から逸れて。

 

「…………」

「ルナサ……?」

「……やっぱり、何でもない」

「……は?」

「だから、何でもないって言ったの」

 

 唐突に、ルナサは素っ気なくそう言い捨てる。あまりにも脈絡がなさ過ぎて、正直意味が全くの不明だ。委細の説明を求めたい。このままでは、ポカンとした間の抜けた表情のまま会話がそこで終わってしまう。

 

「引き留めて悪かったわね。それじゃ」

「お、おいっ。ちょっと待て」

「……なに?」

「いや、流石に何でもないって事はないだろ。引き留めた理由くらい教えてくれても良いんじゃないか?」

「…………」

 

 踵を返したルナサを、今度は進一が引き留める形となる。けれども彼女はやっぱり無表情のままで、進一の問いかけに答えてくれる事はなかった。

 ──困った。これは、困った。無口だという印象は最初からあったが、まさかこれほどまでとは。

 

「あの、ルナサさん。ひょっとして、どうしても言えない事情でもあるんですか?」

「…………」

「進一さんの何かが、気になったとか……?」

「…………」

 

 妖夢の問いかけ。けれどやっぱり、彼女は何も答えない。進一の時と違ってちょっぴり困ったような表情を浮かべていたが、けれどもそこまでだ。結局その真意が、彼女の口から語られる事はない。

 

(むぅ……)

 

 唸る事しかできない。本当に、どうしたものか。

 

「……あなたは」

「えっ?」

 

 そんな中。またもや不意に、ルナサが声をかけてきた。

 反射的に視線を戻す。その身長差ゆえに進一を見上げるような体勢のルサナ。そんな彼女の黄金色の瞳が、進一の姿を捉えている。ジッと、何かを見定めるかのように。意を決した様子で、彼女は──。

 

「あなたって──」

 

 ルナサが唐突に取った行動。不意に進一を引き留めた理由。躊躇いがちに、彼女はそれを話そうとしてくれている。

 

 けれど。

 だけれども。

 

 彼女が答えを口にしてくれる、その前に。

 不意に。

 進一の背筋に、()()のようなものが駆け抜けた。

 

「ッ!?」

 

 弾かれるように顔を上げる。ルナサの答えを待っていたはずなのに、その瞬間には()()()()に意識を持っていかれてしまっている。

 唐突に感じた違和感。微かな、けれども鋭すぎる感覚。あまりにも強烈な刺激。

 

「っ……!?」

「し、進一さん……?」

 

 あまりにも唐突な進一の変化を前にして、ルナサも思わず目を見開いている。心配そうに名前を呼んだのは妖夢だ。彼女も状況が呑み込めていない様子だが、それでも進一を気遣って表情を覗き込んでくれていて。

 

「あ、あの、どうしたんですか?」

「……()()だ」

「え?」

「さっきも言っただろ。誰かに見られているような気がするって。これは、あの時と同じ感覚なんだ」

「み、見られてる? それに、さっきって……」

 

 覚えた違和感をそのまま妖夢に伝えると、当然困惑の反応が返ってくる。

 

「ちょ、ちょっと待って下さいっ。あの、さっきって、人里での事ですよね? でもあれは魔理沙と早苗の視線だったんじゃ……」

「多分、違う。俺達を見ていたのは、魔理沙と東風谷だけじゃなかったんだ。上手く説明はできないが、だがこの感覚は……」

 

 そう。つい先ほど、人里でも感じた違和感。あの時はあまりにも漠然としていて、進一の勘違いだった可能性も拭いきれなくて。だから思わず、妖夢にも誤魔化してしまったのだけれども──。しかし、今は違う。

 ()()だ。

 この視線は魔理沙のものでも、早苗のものでもない。

 

「な、なに? なんなの……?」

「……すまない、ルナサ。お前の話は後でもいいか?」

「う、うん……。それは、構わないけれど……」

「こっちから問い詰めておいて、悪いな」

 

 ルナサに謝罪しつつも、進一は慎重に周囲を見渡した。感覚を研ぎ澄ませて、先ほど感じたこの違和感の正体を探り始める事とする。

 はっきりとはしない。だけれども、決して気のせいなのではないのだと。そんな確信めいたものが、進一の中で渦巻いている。根拠なんてない癖に、なぜだか自然と納得する。納得ができてしまう。

 

 あまりにも奇妙な感覚。()()は一体なんだ? どうして自分は、自然と受け入れる事が出来てしまったのだろう。どうして自分だけが、この感覚を敏感に察知する事ができたのだろう。

 どうして。

 こんなにも、()()()()感覚が溢れてくるのだろうか。

 

「あっ……」

 

 程なくして、進一の目に()()が入る。

 近くの木。その陰に隠れるように、何者かの人影が確認できる。薄暗い場所である故に目を凝らさなければ見逃してしまいそうだが、間違いない。進一の目には、()()の姿がはっきりと映っている。

 

「……あそこか」

「え? ど、どこですか……?」

「ほら、あそこだ」

 

 指差して妖夢にも示してやる。彼女は目を細めつつも、その場所を凝視すると。

 

「え、えっと……。誰も、いないようですが……?」

「いや、いるだろ。はっきりと」

「そ、そうは言いましても……。私の目には、何も……」

 

 しかしそこまで口にして、妖夢は唐突に息を呑む。

 

「いや……。この感覚、もしかして……」

 

 そんな事を呟く妖夢を横目に、進一は足を踏み出す。そして何の迷いもなく、真っ直ぐにその木陰へと歩み寄った。

 その間、隠れているらしいその彼女は逃げ出す素振りも全く見せない。絶対に見つからない自信でもあるのだろうか。けれども生憎、進一の目は既に彼女の姿をしっかりと捉えてしまっている。かくれんぼは、こちらの勝ちだ。

 

「ようやく見つけたぞ」

 

 ぐるりと木の陰へと回り込む。声をかけると、少女はぴくりと微かに身体を震わせた。

 思ったよりも小さな少女だ。小学生くらいだろうか。頭に被る鴉羽色の大きな帽子が特徴的である。一瞬里の子供かと思ったが、どうにもそれは違う気がする。服装の雰囲気が、里の人間とは違うのだ。和の印象が強い里のそれとはことなり、彼女の場合はどちらと言えば洋風である。

 そんな少女はちらりと進一を一瞥する。が、目が合った途端に逸らされてしまった。──何とも気まずい空気が、二人の間に漂い始める。

 

「……」

「……」

「……え、えっと」

「なんだ?」

「……私の事、認識できてる?」

「ああ。そりゃばっちりと」

「だ、だよね……」

 

 一瞬の沈黙。けれどの彼女が、すぐさまそれを打ち破った。

 がばっと、少女は勢いよく頭を下げると。

 

「ご、ごめんなさい! べ、別に、覗き見るつもりなんてなくて……」

「あ、ああ……」

「で、でも! 半分幽霊のお姉ちゃんが、見知らぬ男の人と一緒に歩いてたから……! それで、心配になったというか……」

「……そういう事か」

 

 やはりというか、どうやらこの少女も妖夢の知り合いらしい。彼女は本当に顔が広い。こんなに小さな少女の知り合いまでもいるなんて──。

 

(……っ、ん……?)

 

 ──と。進一がそんな事を考え始めた、その時だった。

 

「…………ッ!?」

 

 ズドン、と。強いて擬音をつけるのならば、そんな感じだったと思う。

 あまりにも唐突。あまりにも突然。ぼんやりと考え事を始めたはずの進一の頭の中に、凄まじい()()が突如として駆け抜けた。まるで鈍器で頭部を強打されたかのよう──などと形容してしまうと些か乱暴だが、感覚的にはそれに近かったかもしれない。

 思わず進一は片手で自らの頭部を押えた。

 

「でもでも! どうやって私に気が付いたの!? 私から声でもかけない限り、誰にも気づかれないはずだったのに……!」

 

 何やら少女が興奮気味にそう問い掛けてくるが、それに答える余裕など今の進一にはない。

 頭の中の()()が、()()によって強い衝撃を与えられているかのような感覚。がくがくと、脳を激しく揺さぶられているかのような鈍痛。

 かき混ぜられている。

 何が?

 ──いや。そうだ。これは、()()だ。

 

(なっ……!?)

 

 進一は激しく動揺する。

 何だ。一体何なのだ、この感覚は。似ている。覚えがある。以前にも、進一はこれと似た感覚を体験した事がある。

 白玉楼での、妖夢との再会。

 あの時と、同じ。

 

「……あ、あれ? お兄ちゃん? どうしたの?」

 

 流石に不審に思ったらしい少女が、小首を傾げている。そこで初めて、進一は少女の容貌をはっきりと認識する事ができた。

 幼い顔立ち。無垢なる表情。それら全てに──()()()()()()。黒く塗りつぶされた記憶の中から、何かが激しく訴えている。

 

 強く、強く。

 

 何かが、記憶の奥底から──。

 

「進一さんっ。そこに隠れてたのって……、進一さん?」

 

 程なくして、妖夢が進一に追いついてくる。そして彼女は、すぐさま進一の異常に気が付いた。

 歩き足だったのが、慌てた様子の駆け足へ。進一のもとへと、駆け寄ってくる。

 

「し、進一さん!? ど、どうしたんですかっ?」

「…………っ」

 

 進一は何も言わない。──否、何も言えない。

 そのまま成す術なく、進一は膝から崩れ落ちてしまった。

 

「えっ……、えっ……!?」

「進一さん!? しっかりして下さい、進一さん!」

「えっ……な、何? どうしたの、その人……」

 

 目の前の少女も慌てている。妖夢が頻りに進一へと声をかけてくれている。どうやらルナサも追いかけてきていたようで、蹲る進一を見て息を呑んでいる様子だった。

 

 だけれども。岡崎進一は、彼女達に気を回す事が出来ない。

 

 頭が痛い。割れるように痛い。頭の中がうずうずとする。それを何十倍にも強めたかのような感覚だ。

 痛い。この頭痛から解放される為に今は頭の中を真っ白にしたかったのだけれども、そんな意思とは無関係に進一の思考は回転する。ぐるぐる、ぐるぐると。何かが、ずっと進一に訴え続けている。頻りに、何かを伝えようとし続けている。

 

 頭を押さえ、激しい頭痛に耐え忍びつつも。進一は、慎重に顔を上げる。

 当然ながら、目の前にいる幼い少女が視界に入る。怯えたような、けれども心配もしてくれているような様子で、彼女は進一の事を見つめている。けれど、自分が何をすべきなのか分からなくて。結局は、ただただ立ち竦む事しかできない。

 そんな彼女を見ていると、進一はますます頭痛に苛まされる。頭の中が、痛くて痛くてたまらない。

 

 だけれども。

 ふと、何かが進一の中に浮かび上がる。

 

 何が起きたのかは分からない。分からないが──それでも。

 頭痛の所為で、意識が朦朧とし始めていたからだろうか。ぼんやりと、頭の中に浮かび上がった()()を進一は享受する。そして進一は、殆ど無意識の内に()()を言葉として口にしていた。

 

「お前、は……」

 

 鴉羽色の帽子。襟と袖にフリルがあしらわれた上着。花の柄が描かれたスカート。そして管のようなもので繋がれた、群青色の第三の眼(サードアイ)

 自然と、進一は、無意識のうちに。

 ()()()()()()()()()()

 

「こいし、なのか……?」

 

 そこまで口にした、その次の瞬間。

 進一は意識を手放した。


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