私は一体何をやっているんだろう。
──と、霧雨魔理沙は一人そんな自問を繰り返していた。
パチュリーから(死ぬまで)借りた魔導書を持って、こうして人里まで足を運んで。そしてこの魔術式を用いて、何とか霍青娥の足取りを掴もうと。今日はそんな予定だったはずじゃなかったのか。思い返してみると、少なくとも自宅を出た直後は予定通りの行動を取っていたはず。予定通りに魔導書を持って、予定通りに人里を訪れて。あれ、思っていたより予定通りだ。それならどこで崩れてしまったのか。
──まぁ、そんな非建設的な振り返りなど無意味である。どこからおかしくなったのか、そんなのは難しい表情で推測するまでもない。
東風谷早苗。思えば彼女に声をかけた時点で、魔理沙の予定は大きく崩れ始めていたのかも知れない。
「まったく、何でこんな事に……」
「しっ……! ダメですよ魔理沙さん、気付かれちゃいます……!」
「…………」
この東風谷早苗とかいう現人神、ノリノリである。さっきまで割とどんよりとしていたような気がするのだが、そんな姿は一体どこにいったのだろう。まるで別人である。最早彼女のテンションについて行ける自信はない。
そんな彼女に半ば強引に引き摺られるような形で付き合わされる事となってしまった魔理沙だが、果たして自分はこんなにも押しに弱かっただろうか。──あの時の早苗の剣幕は凄かった。まさに梃子でも動かぬ堅い決意。魔理沙の言葉なんてまるで聞く耳も持たない。
「まさか私が押し切られるとはな……」
呟きつつも、魔理沙もまた早苗に倣って物陰から
「む、むむぅ……。す、凄い距離感です……! あ、あんなに、くっついて……!?」
「……」
興奮気味の早苗の横で、魔理沙もまた視線を向ける。
人里の大通り。それなりの賑わいを見せるそこで、
片方は見知らぬ青年だ。どことなく人間らしからぬ雰囲気を感じるような気もするが、気になるのはあの服装。明らかに人里の他の住民とは違う。幻想郷出身の魔理沙がこんな事を言うのも変かも知れないが、彼の服装はどちらかというと
現代的。もっと具体的に言ってしまえば、外の世界のような印象。幻想郷には稀に外の世界から人間が迷い込んでしまう事があるが、そんな人物達とあの青年は似た印象の服装をしているのである。──外来人と呼ばれる人物達。魔理沙もそこまで頻繁に会った事がある訳ではないけれど、印象としてはそれが一番しっくりくる。だとすれば、彼はやはり外来人なのだろうか。
(まぁ、それに関しても気になるっちゃなるが……)
何より気になるのは、そんな彼と共にいる小柄な少女。
白銀色の髪。黒いリボン。そして傍らに連れる大きな霊魂。たったそれだけの特徴でも、彼女が誰なのかなんて簡単に判別可能である。
──魂魄妖夢だ。間違いない。何だかいつもとは印象の違う服装をしているが、彼女が魂魄妖夢であるという事は疑いようのない事実なのだ。
そんな彼女が、確かに見知らぬ青年と一緒に歩いている。
仲睦まじく、身を寄せ合って──。
「どうですか魔理沙さん……! あんなお二人の様子を見ても尚、恋人同士だとは限らないなんて言い張るんですか……!?」
「……いや、まぁ……」
流石にあんな様子を見せられてしまったら魔理沙だって否定できない。と言うか、あの様子なら恋人同士じゃないと言われる方が逆に不自然である。
(ま、まさか妖夢に、な……)
少なくとも、一週間前にはそんな存在がいる等という素振りなんて全く見せていなかったはずなのに。しかし二人が醸し出す雰囲気から察するに、昨日今日出会ったばかりではないような気がするが──。
「……そうだな。ありゃ確かに、
「そうでしょうそうでしょう!?」
「……よし、それが分かっただけで十分だ。だったら私達はお役御免だぜ。二人の邪魔になる前に、さっさとこの場から退散して……」
「……え? 何を言っちゃってるんです?」
「……は?」
魔理沙が言葉を言い終わる前に、早苗が口を挟んでくる。
食い気味に、そして尚も興奮した様子で。まるで魔理沙の方が頓珍漢な事を言っているかのような形相で、東風谷早苗は主張する。
「重要なのはここからじゃないですか……! 確かに、妖夢さんが男の人と交際している事は分かりました……。でも! 相手の人がどういった人物像なのか……! そこまではまだ分かってませんよね!?」
「あ、ああ……。そう、かもしれないけど……」
「だったら私達はそこまで見極める必要があるんです! 果たしてお二人は健全なお付き合いをしているのかどうか……。妖夢さんが悪い男の人に引っかかってるんじゃないのか……! 妖夢さんのお友達として、その点が気になるのは当然の心理じゃないですか!!」
「いやそんなこと力説されても」
買い物用に持ってきていたらしいトートバックをぶんぶん振り回しつつも、早苗は力強くそう口にする。
危ない。まだ何も買ってなかったらしいので大惨事になる事はなさそうだが、もしも手からすっぽ抜けて通行人にでも当たったらどうするのだろう。色々な意味で興奮し過ぎて、そんな事にまで気を回せなくなっているようだけれども。
ともあれ、だ。
まぁ、確かに早苗の言っている事も間違ってはいないのかも知れない。けれどだからといって、こんな覗き見紛いな事をしても良い理由にはならないのではないだろうか。
確かに妖夢はどちらかと言えば大人しい性格だが、だからといってそこまで流されやすい少女という訳ではない。彼女に限って、悪い男に騙されている可能性なんて限りなく低いと思うのだが。
「妖夢が選んだ相手だったら心配ないだろ。だから私達に出来る事なんてもう何も……」
「あ、ああ~! う、腕組んでますよ……! しかも何ですか妖夢さんのあの顔!? ちょっと可愛すぎやしませんかねぇ!?」
「おい聞けよ覗き魔巫女……!」
コイツ絶対楽しんでいるだけだろう。
何だか頭が痛くなってきた。一人興奮しっ放しの早苗の傍らで、魔理沙は眉間を揉み解す。本当に、どうしてこんな事になってしまったのだろう。一体どこで選択を間違ってしまったのだろうか。
魔理沙は嘆息する。まだ午前中であるはずなのに、まるで一日分の体力を使ってしまったかのような感覚だ。何だかドッと疲れを感じる。
「よ、妖夢さんって結構大胆だったんですね……! 酷く奥手だとばかり思っていたのに、あんな……!」
「なぁ、もう帰っていいか?」
「ダメです! まだまだこれからなんですよ!?」
「何でだよ……」
訳が分らない。魔理沙まで付き合う必要はあるのだろうか。
──まぁ、でも。今の状態の早苗をこのまま放置するなんて、それはそれで心配である。このまま彼女の暴走を許せば、色々と収拾がつかない状況に陥る可能性もあるのではないか。今の早苗なら十分にあり得る。考えるだけでも、げに恐ろしい。
ならば歯止めをかける役が必要だ。このまま早苗が余計な事をしないよう、しっかりと手綱を握る誰かが──。
「……っ」
選択肢なんて存在しない。魔理沙がやるしかないじゃないか。
「……私がしっかりしなきゃダメなヤツだなこりゃ」
パチュリーに対して殆ど窃盗紛いな事をしちゃってる自分が言うのも何だが、今は棚の上に乗せておく事にする。
兎にも角にも、この状況は色々な意味で放っておけない。妖夢達の恋事情なんて気にならない──と言えば普通に嘘になるが、それより何より今は直面した問題に対処すべきだ。
帰りたいだなんて言っていられない。惨状の可能性を回避する為にも、今は早苗と共に行動──もとい、早苗の事を見張っていなければなるまい。
そして可能ならば早苗を止める。尾行紛いな行動なんて、それこそ真っ平御免蒙る。何とか早苗の気を変えさせるまでが今の魔理沙に課せられたミッションだ。是が非でも、達成しなければならない。
「お、追いかけましょう魔理沙さん……! お二人を見失ってしまう、その前に……!」
「ああ……」
けれどもはぁはぁと割とヤバめな興奮の形相を見せる早苗を横目に、魔理沙は一人思うのだった。
やっぱり私は何をやっているんだろう、と──。
*
よくよく考えるとやっぱり随分と大胆な事をしてしまっているな、と。妖夢は再びジワジワと頬の火照りを感じ始めていた。
今日は待ちに待ったデートの日。幽々子の提案もあって、久しぶりにあちらの世界で購入した衣服に袖を通したりして。そんなこんなで浮足立って顕界まで足を運んだのだけれども、けれど彼女達を待っていたのは想像以上に低い気温であった。
春は気温の変動が激しい。暖かくなったり、寒くなったり。それは別に珍しくもないのだろうけれど、妖夢と進一は揃いも揃ってそんな考慮を忘れてしまっていた。不覚である。
妖夢の着ているこの服はそれなりに薄着である。今日のこの気候ではちょっと寒いくらいだ。それでもその内慣れるだろうと高を括っていたのだが、中々どうして思い通りにいかなかった。
──やはり寒いものは寒い。やせ我慢なんて進一にはすぐにバレてしまった。
しかも妖夢を気遣った進一が、自らが着ていたジャケットを態々脱いで羽織らせてくれた。それはそれで物凄く嬉しい事なのだけれども、しかしそれだと進一の方が寒くなってしまうじゃないか。亡霊にはそんな皮膚感覚だって存在するのである。その点は殆ど人間と変わらない。
だから、妖夢は。
「…………っ」
いや。分かっている。
中々に唐突かつ軽率な行動なのではないかと、そんな事は自分でも分かっている。けれども、しょうがないじゃないか。二人とも温かくなるには、こうしてしまうのが一番手っ取り早い。寧ろこれはそんな効率性を最大限考慮した上での体勢である。最適解なのだ。だから何も間違った事なんてしちゃいない。
──何度もそう自分に言い聞かせて、妖夢は無理矢理にもで高ぶる気持ちを落ち着かせようと躍起になっている。
「上着か……。買うと言ったは良いものの、その服装に合う上着なんて
「ど、どうなんでしょうね……?」
進一が何かを問いかけるが、けれども妖夢は殆ど上の空気味になってしまっている。辛うじて受け答えするので精一杯の状態だ。
進一と共に上着を買う。つまる所、恋人になった彼との初めてのショッピングである。そんな事を考えて色々と浮足立っていた訳だが、しかしいつの間にやらこんな状態だ。鼓動がドキドキうるさくて、顔がポカポカ温かくて。図らずも寒さなんて気にならないような状態に陥ってしまっている。
(うぅ……。し、心臓が痛くなってきちゃった……)
けれど妖夢はこの体勢を止めるつもりはない。幾ら恥ずかしさのあまり頭の中が沸騰しそうになろうとも、それでも彼女は進一に密着し続ける。
これは
──そもそものきっかけは、つい先ほど行われていた進一と幽々子のやり取り。
『もぉ、進一さん! 幾ら妖夢が可愛いからって、そんなえっちぃ視線を向けちゃダメじゃない!』
『い、いや、そもそも見ろと言ったのはあんたで……。と言うか何だえっちぃ視線って。そんなの向けた覚えはない』
(…………)
そう。あの時進一は、きっぱりとそう言い切ったのだ。
えっちぃ視線なんて向けた覚えはない、と。
(ちょっとは、たじたじしてたようにも見えたけど……)
しかしそれは妖夢の方が先にたじたじしていた所為だ。彼はそんな妖夢に釣られてしまったに過ぎない。
実際に直面していた妖夢だからこそ分かる。幽々子のあの指摘は、完全にその場のノリと勢いによるものだ。進一は本当に、妖夢に対してえっちぃ視線を向けてはいなかったのである。
(……う、うん。そう、だったよね……?)
──いや。まぁ、確かに。彼のそんな態度は実に誠実だと思うし、紳士的だと捉える事も出来るだろう。浮ついてだらしなく軟化した態度ばかりを取るのではなく、彼はいつだって真剣に妖夢の事を見てくれている。そんな彼の一面だって、妖夢は大好きなのだけれども。
しかし。しかし、だ。
だからと言って、まるで
(進一さん、私じゃえっちな気分になってくれないのかな……)
──等と。そんな事も考えてしまう訳で。
(……って)
その度に。
(な、ななな何考えちゃってるの私っ!? まるで私の方がえっちな子みたいだよ……!?)
言うまでもなく、ますます羞恥で頭の中が爆発寸前に追い込まれていた。
しかし、そうだ。そうだった。確かに進一は、生前の時点でこういう事に対して割と淡白な青年だった。
元々女性の知り合いが多かったはずなのに、彼に関する色恋話はまるで耳に入ってきていない。蓮子達が満場一致で鈍感だと称するほどに、彼は異性に対する関心を殆ど抱いていなかったのだ。無関心とまでは言わないが、それでも関心は低かったと断言してしまっても良いだろう。
だが、しかし。幾らそんな彼の人となりを
妖夢はこんなにも勇気を振り絞って、こうして彼に密着しているというのに。
なぜだ。なぜ彼は、ここまで動揺を表面に表さない? まさか本当に微塵も動揺していないのだろうか。もしも彼が生者であったのなら脈なり体温なりでそれも探れたのだろうが、しかし今の進一は死者である。体温は常に一定で、脈なんてものも当然存在しない。
だけれども。それでも恐らく進一は、多少なりとも妖夢の事を意識はしてくれているだろう。彼の事なら何でも分かると妖夢は言ったが、それは伊達ではないのである。
脈や体温から察する事は出来ずとも、表情をみれば抱く気持ちは何となく伝わってくる。
(意識は、してくれてると思うけど……)
しかし、そこまでだ。
今の彼はあくまで平静を保ち続けており、クールで落ち着いた印象である。若干の動揺を見せてくれたのは、腕に抱きついたあの瞬間だけ。今やすっかり普段通りだ。
「……ん? どうした妖夢? 俺の顔に何かついてるか?」
「……い、いえ」
顔を覗き込んでみてもそんなリアクションで、やっぱり動揺なんて微塵も見られない。
妖夢は思わずムッと頬を膨らませた。
「な、なんだ? どうしてそこでむくれるんだ……?」
「……別に、むくれてませんけど?」
「い、いや、むくれているだろう……?」
実際はむくれている。乙女心は複雑なのだ。
けれど幾ら彼がそんな妖夢の心境を探ってきた所で、彼女はそれに答える訳にはいかない。──進一がえっちな気分になってくれないからちょっぴりイラっとした、なんて口が裂けても言えるはずがないじゃないか。こうして密着しているだけでも恥ずかしいというのに。
そんなにも恥ずかしいのなら無理に続けなければいい。確かにそんな選択肢だって存在するだろう。
けれどやっぱり、これは
(だ、大丈夫……。デートはまだまだ始まったばかりなんだから……!)
まだ焦る時間ではない。今はこの束の間のショッピングを楽しもうではないか。
「……時に妖夢。話は変わるんだが……」
妖夢がそんな事を内心考えていると、不意に進一がそう声をかけてきた。
視線を向けると、彼は何やら難しそうな表情を浮かべている。しかし彼の視線は妖夢の方は向いていない。怪訝そうに、周囲をぐるっと見渡している様子で。
「……何か、感じないか?」
「……へ? 感じる、とは……?」
「……いや、何て言うか」
そこで進一は、視線を妖夢に戻すと、
「……誰かに、見られていると言うか。そんな気がするんだが……」
「……、はい?」
少々自信なさげに、彼はそんな事を口にしていた。
妖夢も釣られて周囲を見渡す。まぁ、確かに今の自分達は、里の住民達の視線をそれなりに集めてしまっている。今は妖夢も含め、二人とも外の世界で購入した衣服を着ているのだ。それだけでも嫌に目立ってしまうだろうし、その上
それはそれで妖夢にとっては凄まじいレベルで恥ずかしい事なのだけれども、しかし進一が言っているのはこの事ではない。誰かに見られている気がするだなんて、今更そんな曖昧な表現をするのも不自然である。故に原因は他にあるはず。
(うーん……)
しかし、これといって特段彼が気にするようなものは見当たらない。やっぱり妖夢の気の所為で、彼は単に周囲から注目を集めてしまっている事を気にしているのだろうか。
──いけない。そう思うと、何だか妖夢の恥ずかしさまで右肩上がりで増加してきた。このままでは本当に頭の中が沸騰してしまう。
「た、確かに、周囲の視線は、集めちゃってますよね……」
「え? あー、いや。それもそうなんだが、俺が気になったのはそこじゃなくてだな……」
「そ、そうは言っても……。そ、それ以外に、特に変わった所なんて……」
「……どうした妖夢? 顔真っ赤だぞ? 熱でもあるんじゃないか?」
「ふえっ!? べ、べべ別に、そ、そんな事は……!」
少し心配そうな視線を向けてくる進一へと向けて、妖夢は慌てて首を横に振る。何ともベタな勘違いだ。まぁ、これも彼らしいといえばらしいのだけれども。
そんなやり取りもあり、結局進一の感じた違和感は分からず終いでうやむやになってしまった。妖夢だって気にはなったが、けれどもそんな感覚もこの羞恥心にあっという間に塗りつぶされてしまう。きっと進一の気の所為だろうと、いつの間にかそう自己完結してしまっていて。
(わ、私も早く慣れないと……!)
早々にこの羞恥心を何とかしなければと、妖夢の意識は完全にそちら側にシフトしてしまっていた。
*
(あ、危ねぇぇ……!!)
心臓が止まるかと思った。胸を抑えると、未だにドキドキ動悸が激しい事が窺える。緊迫感やら何やらで、下手をすれば酸欠状態に陥ってしまいそうだ。色々な意味で、身体に悪い。
自分がしっかりしなければダメなヤツだと、魔理沙は思った。だからこうして早苗のブレーキ役的ポジションに立たねばならないのだと、そう決意していた。彼女が何かをやらかす前に、自分が御さねばならないのだと。そんな義務感にも似た感覚を、自然と魔理沙は抱いていたのである。
──まさかこんなにも早く危なげな場面が訪れるとは、流石に思ってもいなかったけれど。
「ちょ、ちょっと魔理沙さん! いきなり引っ張って何するんですか! 痛いですぅ……!」
「バカ、お前、身を乗り出し過ぎなんだよ……! もうちょっとで気付かれる所だったんだぞ!?」
慌てて引っ張って早苗を物陰に隠れさせたから良かったものの、本当にギリギリだった。どうやらあの見知らぬ青年は、何となくだが魔理沙達の存在に勘づき始めているらしい。このままでは見つかってしまうのも時間の問題だ。
何か対策を練る必要がありそうだ。このままでは確実に失敗する。
「……いいか早苗。お前はもうちょっと慎重になれよな。覗き見る事ばかりに夢中になって、見つかるリスクの事を何も考えてないじゃないか。そんなんじゃすぐに見つかっちゃうぜ」
「えー? 私そんなに大胆な行動してましたー?」
「いや現在進行形で大胆な行動してるだろ……」
「へ?」
何も分かっていない顔だ。何だか説明するのも面倒になってきた。
仕方がない。ここはやはり、魔理沙の方から何かを働きかけるしかない。もっと、こう、早苗の大胆な行動を上手く妖夢達に気付かれないようにし、尚且つその動向を探れるような策。正直、何らかの魔法か何かを使ってしまった方が手っ取り早く思えてきた。生憎今持っているこの魔導書にはそれに適した魔術式は記載されていなかったはずだが、それでもどうにかこうにか上手い事切り抜けるしかない。
魔導書の力には頼らず、今の魔理沙だけでも実行できる事。それで何とか、妖夢達の意識をこちらから逸らしつつも尾行を続けて──。
(……って)
──いや。待て。
(な、何で私、マジで妖夢達の事尾行しようとしちゃってるんだ……!?)
そう、そうだ。そもそも魔理沙は、早苗を止めるつもりだったのではないのか。このまま早苗が妙な行動を起こさぬよう見張って、可能ならば考えを改めさせて。そして妖夢達に気付かれる前に、ひっそりと退散するつもりではなかったのか。
それなのに。
何だ、これは。
これじゃあ、まるで。
(わ、私の方から積極的に協力しようとしてるみたいじゃないか……!)
いつの間にやら目的を履き違えていた。本末転倒とはこの事か。
一体全体、何をしてしまっているんだ、自分は。阿呆なのか。
「……魔理沙さん? どうしたんですか、急に黙り込んじゃって?」
「……何でもない。ただ、猛烈な自己嫌悪に陥っていただけだぜ……」
「はい?」
またもや早苗が浮かべるのは、何も分かっていないような表情である。いや、今回ばかりは分からなくても良い。というか寧ろ蒸し返さないで欲しい。
「ちくしょう……。違うんだ……。別に、私に出歯亀趣味なんてものはないんだ……」
「何をぶつぶつ言ってるんです? ……と言うか、あー! ちょっと魔理沙さん! いつの間にか妖夢さん達見失っちゃったんですけど!? ねぇ魔理沙さんってば!」
「うおっ……おま、耳元でいきなり大声出すなよな!? キーンっとするだろ……!?」
魔理沙と違ってテンションが高い。まったく、相変わらず何なんだ一体。
「で・す・か・ら! 妖夢さん達を見失っちゃったんですって!」
「……は? 見失った?」
そう言われ、改めて魔理沙は物陰から大通りを見てみる。
すると成る程、確かにいつの間にやら妖夢達の姿が消えている。何分、人通りの多い通りである。その上露店も多い。どこか店に入ってしまったか、それとも人波に遮られてしまったか。兎にも角にも、どうやら早苗の言う通り、魔理沙達は妖夢達の事を見失ってしまったらしい。
「……いないな」
「でしょう!?」
「そうか。だったら仕方ないな。よし、私達はもう帰ろうぜ」
「いや帰りませんからね!?」
「……そう言うと思ったぜ」
勢いに任せて言ってみたが、やっぱり駄目だった。どうやら早苗は考えを改める気なんて微塵も持っていないらしい。まぁ、ある程度は予想出来ていた反応だ。
「魔理沙さん! ここは手分けをしましょう!」
「て、手分け……?」
「そうです! 二人で手分けをして妖夢さん達を見つけるんです! そっちの方がきっと効率的でしょう!?」
「いや、ちょっと待て。お前、それじゃ……」
「そうと決まれば善は急げです! 一刻も早く、妖夢さん達を見つけないと……! 早速実行に移しましょう!」
「だから、お前な……」
「よーし、行きますよー!」
「頼むからいい加減人の話聞いてくれないか!?」
そんな叫び声も空しく、早苗は魔理沙を置いて大通りの先へ走って行ってしまった。
ずどどどど、と。物凄い勢いとスピードである。一体どこにそんな元気があるのだろう。魔理沙も手を伸ばして早苗を止めようと試みるが、それも結局無意味に終わる。あっと言う間に早苗の姿も見えなくなり、魔理沙は一人ポツンとその場に取り残されてしまった。
──ぴゅうっと、冷たい風が悲しく頬を撫でる。完全に早苗の凄みに押し切られてしまった魔理沙は、空しく空を掴んだ右手からだらんと力を抜きつつも、ぼそりと。
「……いや、見つけたとしてもどうやって連絡取るんだよ……」
魔理沙は離れた人物と連絡が取りあえるような魔法なんて使えない。知り合いの人形使いなら似たような事も可能なのだろうが、生憎魔理沙には出来ない芸当だ。当然、早苗だってそんな連絡手段は持ってないだろうし、一体どうするつもりなのだろうか。
「…………」
いや。さっきの様子じゃ、恐らく何も考えていないのだろう。ノリと勢いで行動に移した感が満々である。
どうしようもない。どうしようもないじゃないか。やはり魔理沙では力不足。東風谷早苗は止められない。そう思うと、何だか色々とどうでも良くなってきてしまって。
「……よし、帰るか」
腕を組み、うんうんと頷きつつも魔理沙はそう口にする。
そうだ。魔理沙は十分、頑張ったじゃないか。全力だって最善だって尽くしに尽くした。その結果がこれだというのなら、それはもう仕方がない事だ。甘んじて受け入れるしかない。時には諦めも肝心なのである。
そんな現実逃避気味な思考を抱きつつも、魔理沙は箒を肩に担ぎ直して通りを歩きだす。向かう先は魔法の森方面。魔理沙の自宅はそこにあるのだ。意識せずとも、彼女の足取りは自然とそちらの方向へと向かっていた。
「……っ」
──そう。
向かっていた、はずだったのだが。
「ど、どうでしょう? 進一さんっ」
「うーん、悪くはないと思うが……。でもやっぱり、その服とは合わないよな……」
「で、ですよね……」
「!?」
バッと、魔理沙は慌てて反射的に身を引いてしまった。
急に声が流れ込んで来た。色々と諦めかけた魔理沙が、その足を自宅へと向けた直後の事だ。その声の主が、さっきまで自分達が尾行していた少女──魂魄妖夢のものであると、よく反射的に気付けたものだなと自分でも少し関心する。それほどまでに、彼女との付き合いも長くなってきたという事か。
──いや。今はそんな思いに耽っている場合ではない。
声が聞こえてきたのは、近くの衣服店からである。店の軒先からこっそりと中を覗き見ると、そこにはやっぱり妖夢とあの青年の姿が。
(ちょ、まだこんな所にいたのかよコイツら……!? 早苗なんて素っ頓狂な方向に飛んで行ったぞ……!)
いや、まぁ。よく考えてみれば妖夢達を見失ったのはちょっと魔理沙が目を離していた直後の事であるし、それならばそう遠くへ行ってないだろうと考える方が妥当だったか。だとすれば、ちょうど近くの人波と重なって姿が見えなくなったか、或いはどこか建物内に入ったか。候補はその二つに絞り込む事ができたはず。またもや早苗の勢いに押されて、そんな簡単な推測さえも出来ていなかった。
(あ、あいつら、服でも買いにきたのか……?)
この角度からではあまり良く見えないが、どうやら妖夢は上着のような物を青年に見せているらしい。先程聞こえた会話の内容から察するに、妖夢の方が購入を考えているのだろうか。確かに、今日は少し寒い。油断して薄着で出てきてしまったから、一先ず上着を購入して寒さを凌ごうという事なのだろう。成る程、それなら納得である。
(って、今はそんな事よりもだな……)
どうする。早苗はどこかに行ってしまったし、連絡手段もない為に彼女にこの状況を伝える事は出来ない。というか、伝える必要なんてあるのだろうか。寧ろ伝えない方が正解なのではないだろうか。妖夢達の事を考えると、そっとしておいた方が良いに違いない。
──いや。というか、そもそも根本的な話。
(……私、隠れる必要あったか……?)
そう、それだ。
慌ててこうして身を潜めてしまったものの、しかし別に隠れる必要なんてなかったのではないだろうか。仮に妖夢と目があったとしても、普通に会釈をして普通に接する事も出来ただろうに。何も隠れてこそこそ彼女達の動向を探る必要もない。にも関わらず、反射的にこんな行動を取ってしまうなんて。
(く、くそう……! 何やってんだ私……!)
これではますます出て行きずらくなったじゃないか。まさかの自分で自分の首を絞めるかのような立ち振る舞いである。不覚。
(い、いや、待て……。落ち着け、私……。まだやれるはずだ……!)
こうなったら妖夢達に気づかれぬ内に退散するしかない。幸いにもここは軒先。店の中に入ってしまった訳ではない。このまま踵を返せば、気づかれずに逃げ果せる事だって十分に可能なはず。
(よしっ……)
行ける。行けるぞ。
何たって魔理沙は、あのパチュリーの追跡を掻い潜って何度も魔導書を持ち逃げした実績がある。そんな彼女ならこの程度、まさに朝飯前というものだ。
そう、何の問題もない。造作もない事だ。彼女ならやれる。妖夢達が服選びに気を取られているこの隙に、そろりと踵を返してそそくさと──。
「……あっ」
──成功のビジョンしか、見えていなかった。失敗なんてありえないと、そう
踵を返す。そこまでは良かった。けれどもその直後、肩に担いだ愛用の箒に、
この場から立ち去る事ばかりに集中し過ぎて、担いだ箒のリーチについて完全に失念していた。魔理沙が踵を返した拍子に、箒の先の藁の部分が近くに積まれていた荷物に
その結果。
「…………ッ!?」
──いや。ヤバイ。これは、流石にヤバイ。
店の軒先に積まれていた箱の中には、何着かの服が入っていたようだ。恐らくどこかから仕入れてきた代物で、まだ店頭には並べていなかったのだろう。ここは衣服店である。別におかしな所はない。
そう。箱の中身が何だったのかなんて、そんな事など些末な問題である。
一番の問題は、最早言うまでもないだろう。
割と大きな音を図らずも立ててしまった事だ。これに尽きる。
「……何だ? 今の音は?」
「な、なんでしょう……? 確か、この辺から……。あっ」
「……っ」
まぁ、当然こうなるだろう。
音を目敏く聞きつけたらしい妖夢達が、真っ直ぐに店の軒先にまで出てきたのである。自らの失態を飲み込み切れない魔理沙は直ぐには動けず、その結果、まるでなす術もなく妖夢にその姿を見つけられてしまって。
妖夢と目があった。「あっ……」の口のまま固まってしまっている彼女を見て、今更ながら冷や汗が噴き出してきた。
心臓がばくばくと鳴り響く。何か言葉を口にしなければと思うのだけれども、なぜだかまるで声が出ない。口をぱくぱくと開閉させるだけで、全く音になってくれない。きっと今の魔理沙は、酷く間の抜けた表情になっている事だろう。──今はそんな事などに気を回す余裕なんてないけれど。
それから、少しの間無言の一時が続いた後に。
声を荒げたのは、二人同時だった。
「ま、ままま魔理沙!? ど、どうして魔理沙が……!?」
「ち、違うんだ妖夢! 誤解なんだぁ!?」
声を張り上げる二人。ちょっぴり肌寒い午前中の人里に、少女達の声が響き渡る。当然ながら通行人やら衣服店の店員やらの視線を一斉に集めてしまうが、最早そんな事すらも気にならない。
ここまで動揺を極めてしまったのも、ひょっとしたら生まれて初めてだったかもしれない。狼狽のあまり思考が殆ど回らなくなってしまった魔理沙は、深く考えずに弁明の言葉を口にしてしまう。
「い、いや、違うっ、私は別に、覗き見るつもりなんてなくてだな!? そ、その……!」
「えっ……。の、覗いてたの!? 私達の事を……!?」
「あっ、い、いやだから違う! わ、私は何も見ていないぜ! 偶然だ! 偶然、妖夢の事を見かけて、それで……!」
支離滅裂である。何も見ていないのか、偶然見かけたのか、どっちなんだろう。ああ、自分でも訳が分からなくなってきた。
「な、何だかちょっぴり変だなって思ったら……! ずっと私達の事追いかけてきてたの、魔理沙だったんだね!?」
「なっ!? い、いや、ちが……ち、ちちち違うぜ!? 別に、何か疚しい事を考えてた訳じゃないんだ! た、ただ、結果としてそうなってしまっただけというか……!?」
「な、何それ……。やっぱり結局追いかけてきてるじゃん……!」
「だ、だから、図らずもそういう形になってしまったという事を私は言ってる訳で、その……!」
ああ。何だろう、この感じ。
もっとこう、ずばっと出任せを言えないものなのだろうか、自分は。──いや、普段の魔理沙ならば、割と抵抗もなく誤魔化しや適当な事くらい簡単に口に出来るはずなのだ。
だけれども。どうやら自分は、恋愛事が絡むと途端に奥手になってしまう性質らしい。こそこそと隠れ見ていたという罪悪感から、適当な嘘をつく事に対して凄まじい抵抗を感じる。
まさか自分にこんな一面があるなんて。生まれてこのかた十数年、ここに来てまさかの新発見である。
「う、うう……。そ、それじゃあ、私の
涙目で頭を抑えつつも悶え始める妖夢。
まぁ、確かに。つい先ほどまでの妖夢は、普段の彼女からは考えられない程に大胆な様子だった。けれどもやはり、根本的には彼女は彼女のままである。あんな姿を知人に見られるなど、それこそ顔から火を噴く程に恥ずかしい事なのだろう。その気持ちは魔理沙にだって何となく分かる。
そう考えると、自分は何て事をしてしまったんだとますます罪悪感が凄くなってきた。パチュリーから本を借りる時は別に何とも思わないのに。
「……何をそんなに騒いでるんだ?」
何だか魔理沙も泣きたくなってきた辺りで、不意にそんな声が流れ込んで来た。
妖夢ばかりに気を取られてしまって、意識から抜け落ちかけていたけれど。そうだ、確かに重要な人物が
それはある意味、魔理沙がこのような状況に陥るきっかけとなった人物。妖夢と共に仲睦まじく、人里の通りを歩いていた
騒ぎ始めた二人の少女を前にして、彼は少し困惑気味の表情を浮かべていて。
「……お前は、妖夢の友達か何かか?」
「え……!? わ、私かっ!?」
声をかけられた。思わず魔理沙は上擦った声を上げてしまう。
未だに動揺を抑え込む事が出来ていない。頭の中がぐちゃぐちゃになってしまっている所為で、青年の問いかけに対してまともに思考を割く事すらままならない。別に、そこまで変な質問ではなかったはずなのに。
「わ、私は、そ、その……! あ、あれだ! あれだぜ!!」
「何だよあれって……」
ぶっちゃけ自分でも訳が分からない。最早会話を成立させる気がゼロである。これでは恥の上塗りじゃないか。これ以上墓穴を掘る前に、何とかこの場を切り抜けなければならないが──。
(ああ、もうっ……! 何なんだよ……、何なんだよ私は……!)
帰りたい。今すぐ逃げ帰ってしまいたい。
だが、しかし。
ここで逃げたら、それこそ今後妖夢に合わせる顔がなくなる。中途半端で逃げ去って、それで有耶無耶にしようだなんて。そんなの絶対、後々になって悔やむ事になるに違いない。
最早逃げ道なんてない。だから魔理沙はやるしかないのである。
何とかして妖夢達に納得してもらう。今の彼女に残された道は、それしかないのだから。
*
「……成る程」
突如として現れた金髪の少女──霧雨魔理沙を前にした時の第一印象は、“何だか賑やかな奴”だった。
寒そうな妖夢の為に上着の購入を提案して、こうして近くの衣服店に足を踏み入れて。やはり今の妖夢の恰好では里で販売している服とは合わないなと思い始めた辺りで、彼女は進一達の前に現れた。
──いや。厳密に言えば、その表現は少しばかり語弊がある。彼女はあのタイミングで、突如として進一達の前に現れた訳ではない。
曰く。少し前から、進一と妖夢の様子を物陰から窺っていたらしい。確かに、少し前から視線のようなものを感じていた気がする。その正体は彼女だったのだろうか。
「つまりお前は、ずっと俺達の様子を見てたって訳か」
「ああ、そうだ……。あ、いや、そう、です……」
「でもお前は、あくまでその友達ってのに付き合っていただけなんだよな?」
「うっ……。え、えっと、そういう表現もできる、かも……? あ、で、でき、ます……?」
この少女、なぜさっきから態々敬語で言い直しているのだろう。見たところ、凄まじく慣れていないようだが。
「……魔理沙、なんで敬語なの? ちょっと気持ち悪いかも……」
「う、うるせー! これは、ほら、あれだ! 私なりの誠意の見せ方なんだよ!」
「無理してる感が凄いけど……」
「ほ、ほっとけ! 仕方ないだろ慣れてないんだから!」
ジト目の妖夢に対し、魔理沙はギャーギャーとそう言い返す。どうやら二人ともようやく調子が戻ってきてくれたらしい。
いや、魔理沙に関しては普段の彼女がどうなのかは正直分からないが、少なくとも先程の狼狽よりはだいぶマシだろう。きちんと受け答え出来てる分、調子を取り戻せてると言えるかも知れない。──慣れない敬語を使ったりして、少々言葉遣いが怪し気な事になっているが。
「別に無理して敬語なんて使わなくても良い。俺達は怒ってる訳じゃないからな」
「そうだよ。やっぱり魔理沙は自然体が一番だと思うな」
「うっ……そ、そうか? なら、無理をするのはやめるぜ……」
どうやら彼女もようやく肩の力を抜いてくれるらしい。
それでいい。誠意を見せるだとか、別に進一はそんな細かい事など気にしてないのだ。彼女が妙に気に病む必要なんてない。寧ろ自然体で居てくれた方が、こちらとしても気が楽である。
「……でも、ちょっぴり意外だったかも」
「な、何だよ……。私が誠意を見せるとか言い出した事か?」
「ううん、そうじゃなくて……。いや、それも含むのかな……? 私達の関係を知って、魔理沙ってば絶対茶化してくるタイプかと思ってた。でも全然そんな事なかったし……」
妖夢が魔理沙にそんな事を言っている。
まぁ、確かに。霧雨魔理沙というこの少女は、どちらかと言うと悪戯だとかが好きそうな容姿をしている。それこそ色恋沙汰にも敏感で、
「は、はぁ? そ、そんな事する訳ないだろ……。私を何だと思ってるんだよ」
このリアクションである。意外と控え目というか何と言うか。根は真面目な少女なのかもしれない。
「……まぁ、私もちょっと意外だったな。まさか妖夢に恋人がいるなんて思ってもみなかったぜ」
チラリと進一を一瞥しつつも、魔理沙はそんな事を口にする。当の妖夢は、頬を赤らめつつももじもじとしていた。
「う、うん……。魔理沙には話しておけばよかったかな……? こ、こんな事になるのなら……」
「お、おい、またモジモジするなって……。こっちまで恥ずかしくなってくるだろ……」
ぷいっと、バツが悪そうに魔理沙は妖夢から顔を背ける。二人揃って、随分と初心な反応である。
──まぁ、正直なところ進一だって人の事は言えない。何とか平静を
今日の妖夢は、確かにちょっぴり大胆だ。心臓なんて動いていないはずなのに、ドキドキしているかのような感覚が進一の中を駆け抜けている。今までにない高揚感だ。
まったく。自分はどれだけ妖夢に惚れているのだろう。自分でもちょっぴり呆れ気味になってしまうレベルである。
「……ところで、魔理沙って言ったな? お前に確認したい事があるんだが」
「……は? わ、私にか?」
おもむろに声をかけてみると、妙に慌てた様子の反応が返ってきた。
やはりまだ進一に対して負い目を感じているのだろうか。先程も彼女に話したが、別に進一は怒って等いない。彼女のとった行動に関しては、進一の中では既に水に流してしまったつもりなのである。だから変に気を遣う必要なんてない。
──とは言っても、やはりすぐに慣れろという方が難しい話であろう。少しずつ、心を開いていってもらうしかない。
閑話休題。
進一が魔理沙に声をかけた理由は、何も心を開いて貰うという為だけじゃない。本当の目的は、別にある。
「友達に付き添って俺達の様子を見てたって言ってたよな。その友達ってのは、一体どこにいるんだ? 今は一緒じゃないのか?」
「あ、あー……。それか。それは、なぁ……」
困ったような表情を浮かべる魔理沙。ぽりぽりと、人差し指で自らの頬を掻くような仕草を取りつつも。
「正直、私の方が聞きたいくらいだぜ」
「……は? どういう意味だ?」
「いや、何て言うか……。どこまで話していいものか……」
──曰く。確かに魔理沙はつい先ほどまでその友達と行動を共にしていたらしいのだが、ちょっと目を離した隙にどうやら二人は進一達の姿を見失ってしまったらしい。それに焦った魔理沙の友達は、完全に乗りと勢いに身を任せて一人飛び出して行ってしまったらしいのだ。
自分達は、一刻も早く妖夢達を見つけなければならない。二人で手分けをした方が効率的だと、そんな言葉だけを残して──。
「そういう事か」
「ああ。そういう事だぜ」
「……お前も大変だな」
「……そうかもな」
ご愁傷様としか言いようがない。どうやらその友達とやらは、中々にファンキーな性格をしているらしい。
「え、えぇっと……ま、魔理沙? その友達って、もしかして……」
「おっと、そこまでだ妖夢。世の中には、知らない方が幸せな事だって沢山あるんだぜ」
「は、ははは……。そ、そう、かな……?」
妖夢の表情が引きつっている。この反応、どうやら魔理沙の言う友達とやらに心当たりがあるようだ。
当然と言えば当然か。妖夢の姿を認識して追いかけてきたという事は、少なくとも妖夢と面識がある人物という事になる。それもかなり親しい関係性の人物である可能性が高いときた。そうなると、自然と候補は絞られる事となるだろう。
一体、その友達とやらはどんな人物なのだろう。何だかやけに気になってきてしまったじゃないか。
(だが……)
そう。
確かに霧雨魔理沙というこの少女は、進一達の後をつけていたのかも知れない。友達に付き添って、不本意ながらも結果として進一達の様子を陰から窺う形になってしまったのかも知れない。
だけれども。
(本当に……)
本当に、進一が感じた
「……進一さん?」
思わず難しい表情を浮かべて考え込んでいると、不意に妖夢から声をかけられた。
顔を上げると、視線に入るのは小首を傾げた妖夢の姿である。急に黙り込んでしまった進一の様子を目の当たりにして、彼女がどこか不安気な表情を浮かべてしまっている。
「あの、どうかしましたか? 何か、気になる事でも……?」
──いけない。こんなにも曖昧ではっきりしない感覚に振り回されて、妖夢に余計な心配をかけてしまうなど。そんな事、あってはならない事である。
それ故に。だから、こそ。
「……いや」
進一は表情を綻ばせる。
「敬語じゃない妖夢も新鮮だなって、そう思ってただけだ」
「……へ?」
そして、
進一の返答が予想外だったのだろう。心ここにあらずといった様子で、妖夢はぽかんとした表情を浮かべている。そんな彼女の様子が何だか可笑しくて、進一は再び笑った。
「ふふっ……」
「な、何で笑うんですか!」
「いや。俺の彼女は可愛いなって思って」
「か、かわっ……!? も、もうっ、からかわないで下さいよっ」
「別にからかってないぞ。本心だ」
顔を真っ赤にして、妖夢はわたわたと慌てふためく。こちらだって、今日はドキドキしっ放しだったのだ。だからこれは、そのちょっとしたお返しのつもりである。
──そうだ。今はデートを存分に楽しむべき時じゃないか。確かにこのデートの目的は進一の記憶を取り戻す事だけれども、だからといって常に気を張り続ける必要なんてないはずだ。それ故に、こんな根拠もない感覚に気を取られている場合ではない。
そう自分に言い聞かせ、進一は無理矢理納得してしまう事にした。
「お、お前ら……。そ、そういうのは二人っきりの時にやれよな……」
そんな進一達の様子を、魔理沙は呆れ気味のジト目で見届けている。
確かに彼女の言う通りである。少しばかり調子に乗り過ぎたかも知れない。改めて指摘されると、何だか小恥ずかしくなってきてしまった。
コホンと咳払いを一つ挟んで、進一は話を変える事にした。
「そうだ。魔理沙、もう一つ聞いても良いか?」
「……何だよ?」
相変わらずのジト目である。何だか彼女の中で、進一は妙な評価を下されてしまっているような気がする。まさか白昼堂々妖夢を口説き始める嫌味な奴だとでも思われているんじゃなかろうか。
だとすれば心の底から心外だが、下手に突っつくと話が余計に拗れてしまいそうな気がする。──不本意だが、ここはあまり突っ込まないでおこう。
「……実は俺達は、上に羽織る上着か何かの購入を考えてるんだ。春だから暖かいと思って薄着で来ちまったんだが、どうやら見込みが甘かったらしくてな」
「まぁ、そうだな。今日は意外と気温が低いし、お前らのそれじゃちょっとばかり薄着過ぎるぜ」
それから魔理沙はチラリと衣服店の店内を一瞥する。すると何かに得心したかのように「成る程な……」と呟くと。
「上着を買おうとしたのはいいけど、今のお前らの服装に合う物が見つからないって所か?」
「……まぁ、そんな所だ」
話が早くて助かる。
進一は続けた。
「それで、何て言うか……。和服とかじゃなくて、洋服だとかの類が売っている店は知らないか? 見たところ、お前の服装は里の住民達とは違うようだし……。そういった服、どこで買ってるんだ?」
霧雨魔理沙の服装は、里の住民達のそれとは趣がだいぶ違う。白と黒を基調としたドレスにも似た衣服に、黒い三角帽。さらに右手には分厚い本を抱え、そして左手には藁箒を持っている。その姿を形容するならば魔女だ。里の住民達と比べると、進一達とはまた違った意味で浮いている。
そんな服装をしている魔理沙ならば、和服以外を取り扱っている衣服店の事も何か知っているかも知れない。当然ながら進一は里の地理を把握しきれてないし、妖夢だってこういったファッション等には疎い方らしい。それ故に、彼女に頼ってみたのだが──。
「悪いな、この服は特注品なんだ。人里の衣服店で購入した訳じゃない」
「そうなのか?」
「ああ。多分、
「やはり、そうなのか……」
どうやら里では和のテイストが強い服しか売ってなさそうだ。
進一は思案する。やはりこのまま妥協するしか道はなさそうである。幾ら合わないとは言え、薄着のまま無理をして本当に風邪でも引いてしまったら目も当てられない。
妖夢には納得して貰うしかない。
そんな諦め気味の思考にシフトし始めた進一だったが。
「まぁ、でも。ちょっとした
「え?」
不意な魔理沙の言葉を前に、進一と妖夢は揃って目を丸くする。考え込むような素振りを見せつつも、魔理沙は続けた。
「私が前に着ていた服がある。あれなら多分、妖夢には合うと思うぜ。サイズ的にもぴったりくらいだろ」
「え? 魔理沙の服? 確かに、体格的には私にもぴったりだろうけど……」
「だろ? それで良ければ貸してやってもけど……。どうだ?」
「そ、それは、願ってもない提案だけど……」
何だか妖夢は申し訳なさそうな様子である。そして彼女は遠慮がちに、
「でも、良いの? 私なんかに貸しちゃって……」
「別に私は構わないぞ。……あ、いや、まぁそれだとお前らのデートの邪魔をする事になっちゃうか……? 二人きりのショッピング、だとか……。それが嫌なら、別に強要なんてしないけど……」
ぼそぼそと、魔理沙はそんな事を口にする。
やたらと気を遣ってくる少女である。本当に、見た目にそぐわず真面目なヤツだ。
まぁ、確かに二人きりのショッピングのようなシチュエーションではなくなってしまうかも知れない。しかしそもそも、進一達が顕界に来た本来の目的は買い物ではない。プリズムリバー楽団の演奏会を観賞する事である。上着を買う事にそこまで多くの時間を費やす事はできない。
であるのなら。
「……そうだな。お言葉に甘えたらどうだ、妖夢。風邪を引く前に、温かい恰好になってしまった方がいい」
「そ、そうですね。進一さんが、そう言うのなら……」
「決まりだな。という訳だ、魔理沙。悪いが力を貸して貰えるか?」
「おう、そうか。お前らが良ければそれで良い。困った時はお互い様だぜ」
二ッと、魔理沙は屈託のない笑顔を浮かべた。
人懐っこそうな眩しい笑顔だ。見ているこっちまで元気になってくる。進一の表情も自然と綻んだ。
「よし。それなら早速ついてきてくれ。ちょっとばかり里の外れまでいく事になるけど……。良いよな?」
「ああ。問題ない」
踵を返した魔理沙の後ろに、進一達も続く。
──その時である。
「──────ッ!?」
誰かが息を呑むかのような気配。その直後、どさりと何かが落っこちるような音が響いた。
反射的に振り返る。そこにいたのは、一人の見知らぬ少女。
中々に特徴的な服装の少女である。肩と脇が露出している、独特な形状の
身長は恐らく霊夢よりも少し高いくらいだろうか。若草色のロングヘアに、カエルだとかヘビだとかの髪飾りも確認できる。そしてそんな彼女が浮かべるのは、愕然とした表情である。
彼女の足元に落ちているあれは、トートバックか何かだろうか。幻想郷にしてはいやに現代的なデザインに目を引かれるが、重要なのはそこじゃない。
愕然とした表情。彼女のそれは、間違いなく進一達に向けられたもので。
「……あっ」
妖夢が声を上げる。それは先程魔理沙を見つけた時とほぼ同じ反応である。
だとすると。まさか、彼女は──。
「な、なななな……!」
巫女服の少女がわなわなと震えている。落としてしまったトートバックを、拾う事さえ忘れてしまった様子で。
「な、何ちゃっかり混じっちゃってんですか魔理沙さんー!?」
「ふんっ!」
「ぎゃふん!?」
──一瞬だった。
驚愕のあまり声を張り上げた少女に向かって、彼女が──霧雨魔理沙が、突如として突貫したのである。
何やら愕然としていた少女の様子など、まるでお構いなしだ。地を蹴り上げた魔理沙は、そのままの勢いで少女へと突撃。次の瞬間には、ラグビー選手の如きタックルを巫女服の少女へとお見舞いしていた。
うめき声を上げつつも、勢いのまま仰向けに倒れ込む少女。そんな彼女へと馬乗りになり、マウントを取った魔理沙はにっこりと笑顔を浮かべて。
「よう、早苗。会いたかったぜー? お前今までどこ行ってたんだ? んー?」
「痛い!? ち、ちょっと魔理沙さんそこから退いてください!?」
「堅い事言うなよなー? ほら、さっさと私の質問に答えてくれよぉ?」
笑顔である。──が、その声色は上機嫌のそれじゃない。
凄まじいまでの威圧感。それが進一の方にもピリピリと伝わってくる。
「え、えっと、わ、私は、ほら、手分けして妖夢さんを捜そうと思いましてね? で、でも全然見つからなくて……。だから一端、元居た場所に戻ってみようかなぁと……」
「ああ。それで?」
「あ、あの、魔理沙さん? 何だか笑顔が凄ーく怖いんですけど……」
「それで?」
「も、もー、ダメですよ魔理沙さん。幾ら魔理沙さんが軽いからと言って、こんな風に人に馬乗りになるなんて……」
「そ・れ・で?」
「……い、いや、それだけ、ですけど……」
「そうか。よし、シメる」
「なんで!?」
霧雨魔理沙、マジギレである。まごう事なき、寸分違わず、疑う余地なんて米粒ほどもないくらいにマジギレなのである。どうやら早苗と呼ばれたあの少女は、魔理沙の逆鱗に触れてしまったらしい。最早取り返しもつかないレベルだ。
「テメェよくも好き勝手な事してくれたなこの野郎……。私がどれだけ苦労したと思ってんだコラァ!」
「ぐえぇ!? ちょ、魔理沙さん絞まってます! 本当に絞まってますから! ギブ、ギブですぅ!」
「問答無用だぜ……! この私の底力、今ここで見せてやるよ!!」
「いや、ちょ、そ、そこはダメです! 関節技キメながら変なところ触らないで下さいよぉ!?」
「は? なに変な声出してんだお前。この期に及んでまだふざけてんのか? あぁん?」
「ひっ……!? ま、魔理沙さんの形相が、まるで幽鬼の如く……!?」
──収拾がつかない。
霧雨魔理沙の見たこともない威圧感に完全に押されてしまい、言葉を挟む事すら出来ない。完全に蚊帳の外に追いやられてしまった進一達が出来る事は、ただ成り行きを見守る事くらいである。
ああ。何だろう、この気持ち。
いきなり見知らぬ少女が現れたと思ったら、急に変貌した魔理沙がそんな少女のマウントを取っている。そしてそんな二人の様子を進一と共に眺める妖夢の反応は、何とも微妙なものだった。
どう反応すれば良いのか分からない、とでも言おうか。
兎にも角にも、何となくだかあの少女の正体が察してしまえる訳で。
「……なぁ、妖夢」
「な、何でしょう……?」
「お前の友達は随分と元気だな」
「そ、そう、ですね……」
先程から魔理沙がちょくちょく口にしていた“友達”。その正体が、東風谷早苗というこの少女であると。そうはっきりと断定できるようになるのは、魔理沙の報復が完了する数分後のお話である。