桜花妖々録   作:秋風とも

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第77話「精一杯を君に」

 

 顔を洗い、歯を磨き、髪をセットし、服装を整える。

 整える、と言っても特段変わった格好をする訳じゃない。髪型だって普段通りだし、服に関してはそもそも種類がない。居候のような身分故に、あるのは最初から着ていた服と数少ない男物の浴衣くらいだ。致し方ないとはいえ、選択肢が少ないのは少し寂しい気にもなる。

 まぁ、ぶっちゃけ自分はファッションセンスに関して全くと言っていいほど自信がないので、選択肢が多すぎるのも考え物だけれど。ともあれ、服に関しては生前から着ていたのであろう外の世界の物を選んだ。つまり()()()()()()()()()である。

 

 鏡を見る。そこに投影されているのは、いつも通りの自分の姿。

 普通だ。至って普通。ちょっぴり気合を入れて身支度をしたつもりだったのだが、しかしみてくれに関しては殆どいつもと大して変わらない。いや、全く変わっていないと言ってしまってもいい。──自分の疎さに若干引いた。

 

「……マジかよ」

 

 いや、まぁ。変に気取らなくてもいいんじゃないかと、小町に相談してみた時もそう言われた訳だし。これはこれで、やっぱりありなのかもしれない。

 思い出す。彼女に相談を持ち掛けたのは、つい昨日の事である。

 

『は? で、デートの相談? あ、あたいにかい?』

 

 聞いてみるなり、そんな困惑気味なリアクションが返ってきたのが印象に残っている。

 ここ最近の小町は映姫と共に定期的に進一の様子を見に来るのだが、その際に何気なく聞いてみたのだ。妖夢とデートするのだが、いまいち勝手が分からない。だからアドバイスをくれないか、と。

 

『い、いや、何であたいにそんな事を聞くんだい。あたい何かより、もっとこう……女の子らしい奴に聞いた方が良いんじゃないかい?』

 

 珍しく卑屈な小町である。てっきりノリノリで教えてくれると思っていた。

 本人曰く、ぶっちゃけ自分だってその手の事に関してはだいぶ疎い方らしい。はっきり言って、期待に添えるほど力になれるとは思えない、と小町本人も自分で自分にそんな評価を下していたのだけれども。

 

『ま、まぁ……。お前さんがそれでいいなら、あたいでよければ話くらいは聞くけど……』

 

 なんやかんや言ってても、そんなこんなで相談に乗ってくれるのが小町の良い所である。感謝しつつも、進一は彼女に色々と意見を聞いてみた。

 お陰でだいぶ心にゆとりが持てたと思う。ここの最近はどうにも落ち着かない日々が続き、色々な事への注意力が散漫になりかけていた所だ。話を聞いてくれるだけでも、今の進一にとって十分すぎる程ありがたい事だった。

 

 そして、今日。

 遂にやってきた、この日である。

 

「……よし」

 

 まぁ、大丈夫だろうと、そう自分に言い聞かせる。

 やれるだけの事はやった。その結果いつもと大して変わらない訳だが、寧ろ逆にこれで良かったんじゃないかと思う。変に着飾るより普段通りの方が断然良い。少なくとも、妙にあれこれ心配していたついこの間までの方が余程酷かったと思う。変に頑張って、空回りして、その結果大失敗なんて目も当てられない。

 

 だから、これでいい。

 今はこの精一杯で、十分だ。

 

「行くか」

 

 そんな小さな掛け声と共に、進一は部屋を後にする。

 妖夢と約束をした、幻想郷での初デート。今日こそが、その当日なのである。

 

 

 *

 

 

 一先ず待ち合わせの場所である白玉楼正門前までやってきた。

 同じ屋根の下で暮らしているのに、待ち合わせも何もあるのか──等と思う事なかれ。折角デートをするのだから、それっぽい事をやってみたいたらどうか──等と唐突に手案してきたのは、意外にも西行寺幽々子であった。

 

 デートの事を考えると胸が躍り、楽しみで楽しみで仕方がなくて。それで約束の時間よりも早めに着いてしまって、相手がやってくるのをそわそわと一人で待つ事になる。そして待つこと十数分。約束の時間にやってきた相手が、こちらの姿を見つけるなり慌てて駆け寄って来てこういうのだ。「ごめん、待った?」と。そんな問いかけに対して、こちらは何ともないように。こう答えるのである。「ううん、こっちも今来たところだよ」と。

 そんなあまりにもベタな、ともすれば使い古された小恥ずかしいシチュエーションを、あの亡霊少女は提案してきたのである。しかもセッティングは自分に任せろと言い出す始末。思えば彼女は、なぜあんなにも自信満々だったのだろうか。

 

「……いや。というよりも、単純に楽しんでいるだけなのか……?」

 

 進一がこうして白玉楼に招き入れられてから、今日で約一週間である。初めこそどこか儚げと言うか、心配性な性質があるように思えた西行寺幽々子だったが、今となってはだいぶ印象が変わってしまった。

 

 天真爛漫というか、それでいて妙に飄々としているというか。

 ここ最近は、どうにも彼女の考えが掴めない事が多々ある。

 

「それにしても……」

 

 思考を打ち切り、進一は辺りを見渡す。

 白玉楼の正門。しかしそこには人の気配はなく、ただただ糸を張ったような静寂が漂うのみ。どうやら妖夢はまだ来ていないらしく、進一の方が早く到着してしまったようだ。

 これはあれか。進一の方が「ううん、こっちも今来たところだよ」と言う側の役割なのだろうか。というかそもそも根本的な話、こういう状況を意図的に作るのは如何なものか。ドッキリというかサプライズ的なイベントならまだしも、幽々子の方から堂々と宣言されてしまっている訳だし。

 

「ま、意外性はないかもしれないけど……」

 

 それでも、何と言うか。

 

 こうして妖夢の事を待っていると、やはりどうにもソワソワとした気持ちになる。ジッとしていられなくなるというか、細かな事が色々と気になると言うか。

 まぁ、有り体に言ってしまえば。

 どうやら自分は、自分でも想像していた以上に浮かれているらしい。

 

「……。こ、これは……」

 

 まだ何もしてないのに、心臓が五月蠅いくらいに高鳴っている──気がする。

 今の進一は亡霊なので、高鳴る以前に心臓なんて動いていないはずなのだけれど、それでも尚感じるこの感覚。相当だ。折角小町に話を聞いて貰って、ようやく普段通りに落ち着いてきたと思っていたのに。

 やはりそう簡単に余裕綽々に落ち着けてしまう程、自分はこういった事に慣れていないようだ。ひょっとしたら無意識のうちに表情が緩んでいるかも知れない。だとすれば傍から見れば不気味極まりないのではないだろうか。

 

 しかしここは白玉楼。周囲に人などいない。だから幾ら表情を綻ばせようとも、不気味に思う人物など誰もいないのである。

 

「……」

 

 ──いや。そうだ。そうだった。浮かれすぎて失念していた。

 確かに()はいない。それは間違っていない。間違って、いないのだけれども──。白玉楼、もとい冥界には()()が大量に漂っているのだった。

 進一の近くを漂っていた幽霊が、何やら小言を漏らしている。何だか気持ちが悪いだとか、なんとか。普通ならば幽霊の言葉など聞き取る事は出来ないのだが、しかし生憎進一にはそれが出来てしまう。お陰で無駄に傷ついた。気を引き締めよう。

 

 そんなこんなで待つこと五分。表面上は平静を保ちつつも内面ではソワソワしっ放しだった進一のもとに、満を持してようやく()()は現れたのだった。

 

「はいはーい! 進一さん、待ったぁ?」

「……………」

 

 ──妖夢ではなく幽々子だったが。

 進一は思わずジト目を向ける。散々期待を膨らませて、けれどそんな状態でも平静を保とうとじっと待つこと五分弱。ようやくパタパタと足音が聞こえて、弾かれるように振り返ったらこれである。

 小柄な妖夢よりも高めな身長。桜色の髪。薄水色を基調とした衣服。

 やたら眩しい満面の笑みを浮かべた西行寺幽々子が、さも待ち合わせの約束をした張本人であるかのように進一の前に現れて。

 

「……っ」

「……あれ? どうしたの進一さん? ひょっとして台詞忘れちゃった?」

「……」

「もう、駄目よぉ。ここはちゃんと、『いや、俺も丁度今来たところなんだ』って言わないと」

「……なんで」

 

 一方的に喋り続ける幽々子。そんな中で十分すぎる沈黙を経た後、進一はようやく口を開く。

 

「何であんたが、現れる?」

「うわぁ……。そこまで露骨にがっかりされると流石にちょっぴり傷ついちゃうわねー……」

「いや、だって、な……」

 

 それについては悪いとは思っている。悪いとは思っているのだけれども。

 

「セッティングすると言ってきたのはあんただろう。だから俺はそのつもりでここに来た。完全に、妖夢と待ち合わせているつもりだったのに……」

「うーん、まぁそうよねぇ。それなのに全然違う子がさも当然に現れても肩透かしって感じよねぇ」

 

 そんな事をまるで他人事みたいに幽々子は口にしている。しかもこの少女、やけに楽し気な様子である。やっぱり進一をからかって遊んでいるのだろうか。

 

「何よぉ、その顔。私じゃ不満だっていうの? ほら、進一さんも男の子なんだし、ちょっとくらいは疚しい気分にならない?」

「何でだよ。取り合えずそのくねくねした動きを止めろ」

「もうっ。ノリが悪いわね~」

 

 何やら不満気な様子だが、ようやく幽々子はからかうのを止めてくれるらしい。

 まったく、一体何なんだ。出会った当初のような儚げな印象はどこにいったんだ。今の彼女は、ちょっぴり悪戯好きで何故か常に飄々としている掴みどころのない少女という印象。八雲紫より余程“得体の知れない感”は出ているのではないだろうか。

 

「ほら、進一さんだって紫を茶化したりしてるでしょー? 今の私の心理は、あれよ。そんな進一さんと似たような感じ?」

「くっ……。それを言われると妙に納得しちまう俺がいるっ……」

 

 成る程、あんな感覚か──等と短絡的に考えてしまう辺り、実は自分もこの状況を無意識のうちに楽しんでしまっているのかも知れない。本当に、幻想郷という世界は退屈しない要素で満ちている。

 と、まぁ、そんな阿呆なやり取りをいつまでも続けている場合じゃない。真面目な話、そろそろ納得のいく答えを幽々子には提示して貰わねばなるまい。

 

「……それで? 何でいきなりあんたが現れたんだ? まさか本当に俺をからかう為だけに出てきたんじゃないんだろう?」

「ま、そうなんだけどねぇ」

 

 そこで幽々子は、チラリと背後を一瞥する。それに釣られて進一も思わず視線を向けると、ふと白玉路の玄関口が目に入った。

 半分ほど開けられた引き戸。そこからちらちらと、何かが見えている。

 

「本当は、当初の予定通り待ち合わせイベント的な事をやりたかったんだけどね。でも妖夢ったら、急に恥ずかしくなっちゃったみたいで」

「……成る程な」

 

 最早言うまでもないだろう。

 玄関口でちらちらとこちらの様子を窺っているあの人影。彼女こそ今回のデートにおける主役の一人、魂魄妖夢その人なのである。雪のように白い肌に、白銀色のセミロングヘア。そして傍らに連れる大きな半霊等と言う身体的特徴を目の当たりにすれば、彼女が誰であるかなんて一目瞭然だ。

 物陰に隠れているようで、あの大きな霊魂までは隠れられていない。頭隠して半霊隠さず、とでも表現できようか。

 

「まったくもう、妖夢ったら……。直前になって、急に恥ずかしがるんだもん。折角私がお膳立てしたのに……」

「お膳立てと言っても、単に俺達をここに召集しただけだろう」

「ちっちっち……。分かってないわね~、進一さんは。単にそれだけじゃないのよ?」

 

 そう口にすると、未だ隠れたままの妖夢へとトコトコと歩み寄っていく。そして未だに妖夢が隠れている玄関口へと足を踏み入れると、何やらドタバタと騒ぎ始めた。

 

「ほら妖夢! いつまでウジウジしているつもり? 早い所腹を決めちゃいなさい!」

「ひゃわ!? ま、待って下さい幽々子様……! わ、私には、その、私のペースというものがありましてね……!?」

「もうっ、何を今更恥ずかしがっているの? 進一さん待ってるのよ? いつまでも待たせちゃっていいの?」

「そ、それは、良い訳、ないです、けどぉ……!」

「でしょー? だったらほら、ここはもう恥ずかしさなんて勢いで吹き飛ばして……」

「ひゃ……!? お、押さないで下さい……! わ、分かりました、分かりましたからぁ……!」

 

 バタバタ、バタバタ。

 どうやら中々に強引なやり取りが行われているらしい。妖夢が控え目かつ大人しい性格をしているという事は最早言うまでもない事実ではあるのだが、それにしてもここまで恥ずかしがるとは。やはり彼女にとっても、デートというこのイベントは多大なる覚悟と気合が必要だという事なのだろう。

 大袈裟にも聞こえるかも知れないが、実際その通りなのだから仕方がない。まぁ、その点においては進一もとやかく言える立場ではないのだが──。

 

「さてさて、満を持していよいよ主役のご登場ー!」

「うう……」

 

 そんなこんなで待つこと約一分。幽々子に引っ張られるような形で遂に姿を現した魂魄妖夢は、普段とは少し印象の違う服装をしていた。

 控え目な彼女らしい、落ち着いた雰囲気の服装だ。その点で言えば普段通り。進一が少し違うという印象を抱いた要因は、雰囲気ではなく服装そのものにある。

 

 白いブラウスに、緑色のプリーツスカート。そして黒のニーソックスにスニーカー。

 何と言うか、()()()()()()()()服装なのである。幻想郷はどちらかと言うと和風というか、古き良き時代の文化を未だ保ち続けている印象が強い世界。前にチラリと見たことがあるが、そこに住む人間の基本的な衣服は和服や浴衣である。

 けれど今の妖夢が身に纏うこの衣服は、どちらかと言えば──等という曖昧な表現ではなく、限りなく現代寄りなのである。幻想郷では寧ろ浮いてしまいそうな、ともすれば外の世界でも普通に売ってそうな服。そういう意味では、今まさに進一が着ているような衣服に近いとも言える。

 

 何だか不思議な感じだ。幻想郷の住民であるはずの彼女がこのような服を着ている事に関してもそうだが、それ以上に──。

 

 と、そんな風にまじまじと見ていると、もじもじと小恥ずかし気な様子で妖夢が口を開いてきた。

 

「あ、あの……。進一、さん……」

 

 顔を上げると、当然ながら視線がぶつかる。

 うるうるとした瞳。そんなものを向けられると、何だかこちらまで恥ずかしくなってきた。思わず言葉を失ってしまう。

 

「す、すいません……。その、お待たせしてしまって……」

「え? あ……い、いや。問題ない。俺も丁度、今さっき来た所だったしな」

 

 図らずも、幽々子が期待していた通りのやり取りをしてしまう。何やら満足気な様子の彼女の表情がチラチラと目に入ってくる。

 それを極力視線の外に追いやりつつも、進一は改めて妖夢へと向き直った。

 

「え、えっと……どう、ですか……?」

「……どう、とは?」

「この服……」

「あ、ああ……」

 

 そうだ。ここは真っ先に感想を述べるべき場面だった。

 しかし残念な事に、咄嗟に気の利いた感想を述べられるほど進一のボキャブラリーは富んでいない。女の子が喜びそうな言い回しだとか、何をどう伝えれば正解なのかも分からない。言葉を探そうとすればするほど、逆にどんどん頭の中が真っ白になってゆくような感覚さえも覚えてしまう。

 だからあれこれ考えるのは早々に諦めた。変に気取った台詞なんて、今の自分には似合わない。思った事を、そのまま素直に言葉として伝えよう。

 

「似合ってる。可愛いと思うぞ」

「……っ」

 

 息を呑んだように、妖夢は一瞬目を見開く。

 驚いているように見える。ひょっとして、今の受け答えは失敗だったのだろうか。妖夢を嫌な思いにさせてしまったのだろうか。そんな()()()が微かに脳裏に過り、進一もまた息を呑み込みそうになってしまう。

 けれど、一瞬だ。

 妖夢が驚いたように目を見開いたのは一瞬だけ。その次の瞬間には、彼女はどこか嬉しそうに表情を綻ばせると、

 

「……その感想を聞いたのは、これで二回目です」

「え?」

「でも、()()()とはだいぶ印象が違いますけど」

 

 そう口にする妖夢の表情は、やはりどこか嬉しそうな様子。少なくとも進一が口にした感想について嫌な思いをした訳ではなさそうだけれども、それでも違和感は拭い去れない。

 どうにも何かが引っかかる。妖夢の言動に関してもそうだが、何より彼女のこの恰好。

 似合っているし、可愛いと思う。その気持ちに嘘はない。けれど、何だろう、この感じ。いつもとは印象が違う恰好であるはずなのに、似合っている云々とは別の意味で妙に()()()()()()()()というか──。

 

「むぅ……。進一さん、やっぱり思い出せないのかしら?」

「……なに?」

 

 ポンっと、幽々子が妖夢の背後から彼女の両肩へと手をのせる。

 微妙にムッとしているかのような表情。それを進一へと向けつつも、彼女は続けた。

 

「妖夢のこの服はね、二年前……この子が外の世界にいた時に着てた服なのよ。つまり進一さんにとっては、今の妖夢の普段着以上にある意味()()()()()()()()はずだと思うんだけど……。それでも、何も思い出せない?」

「二年前……? 外の、世界……だと?」

「そうそう。ほら、よく見て」

 

 そう言われ、進一は改めて妖夢の服装を確認する。

 確かに、幽々子の言う通りだ。妖夢のこの姿を見ていると、どうにも記憶の奥底がムズムズと疼き出しているようにも感じる。見覚えがある──と表現してしまっても良いのかすらも微妙な所なのだけれども、兎にも角にも何かを感じるという事だけは確かだ。

 

 二年前。外の世界。

 外の世界とはつまり、進一がいた未来の世界という事だろう。そこで彼女は進一と出逢い、四ヵ月もの間同じ時を過ごした。

 その際に着ていた服がこれ、という事らしい。成る程、幽々子が()()()()()()()()と言っていたのはこの為か。進一の記憶を刺激するような服装を妖夢にさせる事で、回復を少しでも促進させようと。そんな計らいだったのだろう。この少女、やっぱり意外と抜け目ない。

 

「え、えっと……。し、進一、さん……」

「うん?」

 

 そんな事を考えつつもマジマジと妖夢を見ていると、不意に当の本人から声をかけられた。

 改めて彼女の顔を覗き込むと、どうやら恥ずかしそうに頬を赤らめているらしく。

 

「そ、そんなに見られちゃうと……。さ、流石に、恥ずかしいです……」

「あ、ああ……。そうだよな、すまん」

 

 流石にジロジロ見過ぎたか。慌てて進一は謝罪を口にする。

 まじまじと進一に見られていた事を気にしているのか、何やら妖夢はスカートの丈を気にしている様子。頻りに下方向へと引っ張ろうとしている事から、短すぎたとでも思っているのだろうか。

 因みにそこまで短くはなんじゃないかと進一は思う。正直、鈴仙の方が短かった。だからという訳ではないが、あまり気にし過ぎるのも良くないのではないだろうか。

 

「もぉ、進一さん! 幾ら妖夢が可愛いからって、そんなえっちぃ視線を向けちゃダメじゃない!」

「い、いや、そもそも見ろと言ったのはあんたで……。と言うか何だえっちぃ視線って。そんなの向けた覚えはない」

 

 まぁ、えっちぃかどうかは別として、マジマジと見てしまった事は事実なのだ。その点に関しては気を付ける事にしよう。

 

「まったく、妖夢も妖夢よー。結局進一さんは何も思い出さなかったのに、どうしてちょっぴり嬉しそうなの?」

「へ? あ、い、いえ……。その、確かに、思い出しては欲しかったんですけど……」

 

 確かに妖夢はさっきから何故だかちょっぴり嬉しそうな様子である。それを幽々子が指摘すると、妖夢は恥ずかしそうに視線を逸らした。

 

「な、何て言うか……。進一さんが、私の事を意識してくれてるみたいな反応をしてくれて……。それが、その……嬉しかった、と言いますか……」

「……ふぅん。へぇ?」

 

 幽々子がジト目を向けている。デレデレとする妖夢を前にして、彼女はちょっぴり呆れ顔である。

 流石の彼女も妖夢のこんな反応は予想外だった、という事なのだろうか。「ふぅ……」と息を吐きだして、幽々子は肩を窄めると。

 

「ちょっと前まであんなに気を張りっぱなしだったのに、いつの間にかこんなにもユルユルなんだもん。やっぱり妖夢も女の子ねぇ」

「ど、どういう意味ですかそれ……」

 

 不平を述べているようにも聞こえるが、けれど口調は決して嫌味な感じはしない。言葉とは裏腹に、幽々子の気持ちも多少なりとも浮ついているようにも思えた。

 ちょっと前まであんなに気を張りっぱなしだったのに。

 その言葉には、今まで幽々子が抱き続けてきた不安や憂慮が滲んでいるようにも感じられる。外の世界で進一と別れ、幻想郷に帰還してから二年間。妖夢はずっと、意固地になって剣士足り得ようとしていたらしいから。自己犠牲とも捉えられるような日々を送る妖夢の姿を前にして、幽々子が強い不安感を抱いてしまうのも無理はない。

 

 けれど今の妖夢は違う。

 自分の気持ちに素直になって、心の底からの笑顔も見せるようになって。そして、いつの間にかこんなにもユルユルだ。

 だから安心した、という事なのだろう。

 クスリと笑う幽々子の横顔からは、妖夢に対する慈愛にも似た安堵感が感じられるような気がした。

 

「それにしても、まさか二年前の服が普通に着られちゃうなんてね。着せた私が言うのも何だけど、妖夢ったら()()()全然成長しなかったって事なのね……。悲しい事に……」

「せ、せめて体型維持って言ってくれません!? というか、私だってちゃんと成長しています! 二年前と比べて、ほら……。む、胸の辺りとか、ちょっぴりきつくなってきたような気が……び、微粒子レベルで、存在する、はずで……」

「どんどん自信なくなっちゃってるじゃない」

「ほ、放っておいて下さいよそこは!」

 

 そんなやり取りを続ける二人の傍らで、進一は何げなく自分の掌へと視線を落とす。

 幻想郷に迷い込んでから一週間。未だ記憶は戻らず、どうして亡霊となってしまったのかも分からないまま。妖夢や他の皆だって協力してくれているのに、どうしたって大きなきっかけとは成り得ない。

 忘却した記憶は暗闇の底に沈んだ。今の自分に残されているのは妖夢への想いと、そしてこの奇妙な『能力』だけだ。

 

 進一は拳を握る。

 自分が一体何者で、そして何が原因で八十年もの時を超える事になってしまったのか。どうして、このような『能力』を開花させる事になってしまったのか。

 

 岡崎進一と西行寺幽々子は本質が似ている。

 

 以前、紫に指摘された内容。亡霊なのにも関わらず生前の記憶を失い、そして死後自らの『能力』を変異させた存在。その共通点を紫はやけに気にしていた。

 この不穏の答えもまた、記憶を取り戻せば得られるのだろうか。未だにはっきりとしない不明瞭な謎の数々に関しても、生前の自分は何らかの手掛かりを得ていたのだろうか。

 

 分からない。やっぱり何も言い切れないのだけれども。

 

(……それでも、俺のやるべき事は変わらない)

 

 例えどんな事実が待ち受けていようとも、進一は必ず生前の記憶を取り戻す。

 その決意だけは、何があっても揺らがない。

 

「し、進一さん」

 

 妖夢に声をかけられる。

 おずおずといった様子。いつの間にやら幽々子から解放されていたらしい彼女は、うるうるとしたその瞳を進一へと向けている。

 緊張だとか、恥ずかしさだとか。でもそれ以上に、その瞳には期待だとか、憧れだとかが強く宿っているような気がして。

 

「私、私は……。こんな、私ですが、でも、それでも……」

 

 彼女の心にもまた、進一と同様に揺らがぬ確固たる想いが確かに存在しているようで。

 

「たった少しだけでもいい。あなたの力に、なれたら良いなって……。そう、祈っています」

 

 ああ。

 ()()()()()

 彼女が抱く想いもまた、岡崎進一のそれと同じもの。大切な誰かの為に、大切な何かを掴みたいと。そう祈っている。

 思うところは同じ。願いの形だって同一だ。だったらそんな二人が揃えば、()()()だってきっと高くなる。希望だって、きっともっと近くなる。

 

 心強い。

 彼女がいてくれるだけで、進一は、きっと──。

 

「さてさて。このまま他愛もないお話を延々と続けるのも……まぁ、悪くはないかも知れないけれど」

 

 幽々子がそう切り出す。

 心の底からの満面の笑みを、彼女は惜しむ事なく浮かべていて。

 

「それもこの辺にして、そろそろ出かけるのでしょう? ……幻想郷の『異変』だとか、今は色々と気になる事もあるんだろうけど……。でも、だからといっていつまでも気を張り続ける必要はないわ。貴方達は貴方達なりに、貴方達が満足できる結末に向かって歩いていけばいい」

 

 ポンッと、彼女は妖夢の背中を軽く押す。わわっと声を漏らしながらも、数歩足を前に出す妖夢。

 振り向いた妖夢と共に、進一は改めて幽々子へと向き直る。

 

「いってらっしゃい、ふたりとも。今日は楽しんできてね」

 

 幽々子の言葉が、想いが、進一の中にもしっかりと響く。飄々としていて、食べ物の事ばかり考えていて。幽霊を統括する冥界の管理者とは思えない程に、マイペースな印象が強い普段の彼女だけれども。

 けれど、進一だって知っている。

 『死を操る程度の能力』等という、ともすればどんな『生命』さえも簡単に踏み躙る事が出来るような、そんな物騒な印象を抱く名称の『能力』とは裏腹に。彼女の心は、慈愛に満ちている。彼女の想いは、進一達を優しく包み込んでくれる。

 

 だから──という訳だけでもないけれど。

 

「ああ……」

 

 頷き、そして口にする。

 

「ありがとう。行ってくる」

「行ってきます、幽々子様!」

 

 見送ってくれる幽々子へと、二人揃って挨拶をして。

 進一達は、白玉楼から出発するのだった。




大変お待たせしてしまい、申し訳ございませんでした。
ようやくリアルのバタバタもひと段落ついたので、今後は更新ペースを……上げて、行きたいなぁ……。

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