桜花妖々録   作:秋風とも

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幕間5「正体不明の強情心」

 

 鵺、という妖怪をご存知だろうか。

 今から約千年前。平安時代の後期に世を騒がせたとされる妖怪で、猿の頭に狸の胴体、更には虎の手足を持ち、尻尾は蛇となっているという。文面だけ見ると中々に奇怪な姿をしている妖怪だが、けれどもそれはあくまで伝承の中での話である。どこかの誰かが鵺の姿を勝手にそう解釈し、そして勝手に伝え広げただけに過ぎない。

 だとするとその話は偽りなのかと聞かれると実はそうでもなく、その“誰か”が下した解釈が必ずしも的を外しているという訳でもない。

 

 鵺とは、()()()()妖怪だ。

 猿の頭、狸の胴体、虎の手足、蛇の尾。そんな()()()()()()()姿も鵺という妖怪の一面であると言えるが、けれども同時にそれは一面ではないとも言える。鵺という妖怪がどんな姿で現れ、そして何を目的に行動していたのか。その真意を掴む事など、人間には到底成し得ない。

 

 正体不明。それこそが、鵺という妖怪のアイデンティティー。

 

 それは封獣ぬえというこの少女もまた例外ではない。

 『正体を判らなくする程度の能力』により、彼女本来の姿を識別するのは難しい。()()()()()が彼女を前にしたとしても、その人物には別の何かとして認識されてしまうはずだ。その正体が可憐な少女の姿であると、その真実を知っているのはごく限られた人間のみに絞られる。

 

 そんな彼女の性格を一言で言い表すとすれば、強情である。

 悪戯好きかつ自己中心的。以前は人を脅かす事を遊びの一種のように捉えており、自らの『能力』を遺憾なく発揮して人々の恐怖心を煽っていた。

 今現在は流石にそこまで酷くはないが、それでも彼女の性格が多少なりとも捻くれている事に変わりはない。一応、命蓮寺に属している体にはなっているものの、他の僧侶達と比較しても彼女が浮いているという事は一目瞭然である。

 

 それはぬえ本人も自覚している。自らが立たされている状況くらい、自分でも理解しているつもりだ。

 面白くない状況。けれどだからと言って、彼女はこの状況を打開する事などできない。今更皆と真正面から慣れ合うなんて、出来る訳がないじゃないか。

 

 だから彼女は意地になる。この価値観を今更改めるつもりなど毛頭ない。

 今回の『異変』だってそうだ。命蓮寺の他のメンバーは自分達の事よりも人里の連中を第一に考えているようだが、そんな悠長な事をしている場合ではないはずだろう。

 先手必勝。油断大敵。妖怪にとって脅威である“何か”が復活するのなら、こちらも相応の準備をしてそれに応えなければなるまい。ならばぬえが取るべき行動は一つだ。

 

「ふぅ……」

 

 時刻は夕暮れ。一仕事終えたとでも言わんばかりの面持ちで、ぬえは命蓮寺へと帰ってくる。

 命蓮寺の他の連中が里の様子を確認しに行っている中、彼女だけは全く別の行動を取っていた。態々他の連中の行動を真似るつもりはないし、そもそも人間なんかを気に掛けるなど以ての外だ。

 しかしそうは言っても、相手は強力な力を持っているだろう得体の知れぬ存在。流石にぬえ一人だけでは不安が大きく残る。

 

 だから。

 応援を呼ぶ事にした。

 

「ふふん。これで何とかなりそう……」

 

 満足気に頷きつつも、ぬえは独りごちる。

 あまり知人が多くないぬえであるが、けれど親しい存在が皆無であるという訳ではない。彼女にだって友人はいるし、常に一人ぼっちという訳ではないのである。その数少ない友人というのが、今回応援としてぬえが頼った人物なのだが──けれど一つだけ大きな問題があった。

 その問題とは、ぬえの友人である()()が正真正銘の妖怪であるのにも関わらず、幻想郷の住民ではないという点に集約される。つまり、彼女は。

 

「未だに外の世界でよろしくやってるなんて、あいつもあいつで物好きよねぇ」

 

 そう。

 幻想が排斥されつつある外の世界で、彼女は未だに妖怪としての生活を続けている。それもただの妖怪ではない。所謂化け狸に分類される彼女は、その中でも三本の指に入るほどの実力を兼ね備えた強力な妖獣なのである。

 レアものどころの騒ぎではない。絶滅危惧種と表現してしまっても強ち間違っていない程に、貴重かつ希覯な存在。

 

 ──まぁ、今回は彼女のそんな特異性が仇となった訳だが。

 

「本当、こういう場合には厄介なのよねぇ……。博麗大結界って」

 

 ここは幻想郷。幾ら相手が魑魅魍魎の類とは言え、外の世界にいる奴とコンタクトを取るには少しばかり手間がかかる。手段が全くない訳ではないが、それでも面倒である事に変わりはない。

 お陰で気が付いたらこんな時間になってしまった。──それでも何とか協力を要請する事が出来たので、今は万々歳ではあるが。もしもこれで何の収穫も得られていなかったら、今頃ぬえは不貞腐れていたに違いない。

 

「ま、そんな困難でも私にかかればちょろいものよね。でも、これでようやく……」

 

 そう。

 ようやく、多少なりとも()()()の役に立つ事が出来る。時に優しく、時に厳しく、人だろうと妖怪だろうと等しく手を差し伸べる寛大な彼女。あの人にだけは逆らえないと認識する一方で、それと同時にあの人の力になりたいと思うようになっていた。

 理由は自分の中でもはっきりしていない。復活の邪魔をしたのにも関わらず快く受け入れてくれたからなのか、それとも何か別の理由があるのか。──まぁ、今更そんな事を深く考えても仕方がない。彼女が妖怪の味方であるのなら、手を貸す事でぬえにも少なからず益がある。

 

「……そう。根本的には、全部自分の為なんだから」

 

 そう、そうだとも。別に自分は、善意で動いている訳ではない。だからこの件についてだって、他の連中にあれこれ相談するつもりもない。あくまでぬえは自分の信条だけを頼りにし、そして自分なりにこの状況を打開する。

 今更あいつらと協力するなんて、そんな事──。

 

「馬鹿馬鹿しい。私は私で勝手に……」

「……ぬえ?」

「ふわっ!?」

 

 突然誰かに声をかけられて、ぬえは思わず飛び退いてしまった。

 考え事をしていた所為で、完全に上の空だった。ここは既に命蓮寺の敷地内。当然ながら、他の修行僧と鉢合わせしてしまっても何らおかしくはないだろう。

 弾かれるように振り返ると、そこにいたのは白いセーラー服姿の一人の少女。

 

「な、何よあんた! 急に話しかけないでくれる!?」

「別に急に話しかけたつもりはなかったんだけど……。ボーっとしてたのはそっちじゃないの。というか、今までどこほっつき歩いてたの?」

 

 村紗水蜜。命蓮寺の前身、星蓮船の船長を勤めていた少女である。──もっとも、星蓮船は基本的に自動操縦機能が搭載されているので、殆ど形だけの船長であったが。

 ともあれ、彼女も今は命蓮寺に属する修行僧の一人。一応、ぬえとも似た立場にあたる。まぁ彼女の場合、ぬえと違って初めからあの人を本気で復活させようとしていた訳だが。その点、ぬえとは決定的な違いがあるとも言えるだろう。

 

 そんな彼女がぬえへと向ける表情は、やれやれとでも言いたげな呆れ顔である。まぁ、当然と言えば当然の反応であろう。彼女達からしてみれば、ぬえは一方的に勝手な行動を取っているようにしか見えないのだから。

 この程度ならば予想の範疇だ。

 

「ふん。別に私がどこで何をしようとも、あんたには関係ないでしょ?」

「またそんなツンツンした態度取って……。少なくとも、無関係という訳ではないでしょう? だって、私達は……」

 

 また始まった。

 形だけとはいえ元々船長という立場だった所為か、彼女はやたらと世話を焼こうとしてくる傾向にある。正直ぬえからして見れば、そんなお節介など鬱陶しい事この上ない。余計なお世話というヤツだ。

 

「はぁ……。ああ、もう、分かったわよ。私が悪いんでしょ私が」

「それ全然分かってない時のリアクションじゃ……。まったく、もう……」

 

 中々に鼻につく反応である。彼女はぬえの姉か何かにでもなったつもりなのだろうか。

 やはりどうにも落ち着かない。命蓮寺の連中に余計な世話を焼かれる度に、何だか背中がムズムズとするのだ。だからどうしても居心地が悪くなって、結局ぬえは孤立しがちになってしまう。

 

(……いや。居心地が悪いというよりも、これは……)

 

 瞬間。何だか途轍もなく()()()()を考えそうになってしまって、ぬえは慌てて頭を振るう。何とか()()を振り払う事は出来たものの、途端に余計に気まずくなってしまった。

 我ながら訳が分からない。絆されでもしたのか? そんな馬鹿な。

 

「あ、有り得ない……。有り得ないわ……!」

「……何ぶつぶつ言ってるの?」

「う、うっさい! あんたは黙っててバカ!」

「ば、バカって……。本当どうしたのよ急に……」

 

 思わずぬえは声を張り上げる。けれど対する水蜜は至極落ち着いた反応であり、それがぬえの()()()()()()()を際立たせているようにも思える。

 イライラする。やっぱりこいつらと一緒にいると、奇妙な気持ちに囚われそうになってしまう。あまり認めたくはない感情だ。

 

「そもそも……! 何であんたはそんなにも落ち着いてる訳!? 何か、こう……ヤバそうな奴らが復活したんでしょ!?」

「え? ああ……。その事なんだけど……」

 

 水蜜に訊ねると、彼女は何やら複雑そうな表情を浮かべる。自分達にも害をなす何かが復活したというのに、彼女の反応はぬえのそれとはまるで別のベクトルだった。

 困惑、という表現が適切だろうか。どうやら彼女自身、今の状況をいまいち理解出来ていないかのような様子で。

 

「えぇっと……。実はさっき、異変解決の為に霊夢さん達が駆けつけてきてたんだけど……」

「え? あの紅白巫女が? 何でよ。復活したヤツが妖怪の敵って言うんなら、博麗の巫女が退治するのはおかしいような気もするんだけど」

「まぁ、『異変』を起こしてしまった時点で、妖怪だろうが人間だろうが霊夢さんは平等にぶっ飛ばしちゃうみたいだけどね……。というか、そもそも今回は退治された、って訳ではないみたいで……。うーん、何て言ったら良いのかな……」

 

 何とも歯切れの悪い返答だ。実際にその危険な奴とやらはどうなったのだろうか。

 というか、もしも既に問題が解決してしまっているのだとすれば、ぬえの取った行動は全くの無駄だったという事になるじゃないか。それはそれで具合が悪い。このままでは、応援として駆けつけて来てくれるであろう()()までもが徒労に帰してしまうではないか。

 ある意味でヤバい。いや、事前に相談も何もしなかったぬえにも非はあるのだろうけれど。

 

「な、何なのよ。はっきりと言いなさいよね」

「何と言うか……。この地に封印されていた方は、どうやら私達が想像していた人物像とは少し異なるみたいなの。確かにナズーリンが行ったダウジングの結果通り、私達妖怪とは対極に位置する力を持っているみたいだけど……。でも……」

 

 ──水蜜曰く。

 この地の地下に封印されていたらしい連中は、命蓮寺と敵対する意思を見せてはいないらしい。確かにそれ相応に強力な“力”は持っているものの、それを徒に行使するつもりもない様子だとの事。それどころか、相手は友好的な関係作りを望んでいるらしい。

 確かに奇妙な状況である。妖怪を退ける力を持っているのにも関わらず、それを行使しない所か友好的な関係を結びたい? そんな人物が本当に存在するのだろうか。

 

(……いや)

 

 ──似たような人物が、いた。

 圧倒的な力を持ち、ともすれば人々を掌握できるような立場にいながら、私利私欲の為に力を振るう事など決してしないような人物。妖怪と人間を等しく愛し、その二種族の共存を心の底から渇望する変わり者。驚く程にお人好しで、驚く程に心が広くて。そして驚く程に優しすぎる──命蓮寺の住職。

 

 聖白蓮という人物だって──。

 

「はぁ……」

 

 ぬえは思わず嘆息する。自分でもよく分からない奇妙な感情に囚われて、彼女は思わず呆けたような表情を浮かべてしまった。

 水蜜の話が本当ならば、拍子抜けも良い所である。危険な奴が復活したと聞いて、どんな事態に陥るかと思ったらこの結末。つまり、最初から応援なんて必要なかったという事になるじゃないか。

 

 結局のところ、無駄足である事に変わりはない。そう考えると、何だか無性に残念であるかのような気持ちが溢れてきてしまって。

 

「ふふっ……」

「……なに?」

 

 そんなぬえの様子を見て、なぜだか水蜜は微笑している。怪訝そうに様子を窺うと、やっぱり彼女はどこかおかしそうな表情を浮かべていて。

 

「ご、ごめん……。でも、何だかぬえの反応がおかしくって」

「は、はぁ?」

「問題が解決しちゃったって気付いた途端、何だかちょっぴり残念そうな表情を浮かべたでしょう? もう自分の役割はないのかーって言いたげな感じで」

「なっ……」

 

 馬鹿な。そんなにも分かりやすい程に、感情が表情に表れてしまっていたのだろうか。しかもよりによって、水蜜(こいつ)の目の前で。

 迂闊だった。こいつに感情を悟られたら、間違いなく面倒な事になるのに。

 

「ぬえがどこで何をしていたのか、それを断定する事はできないけど……。でも本当は、聖の役に立ちたかったんでしょう? 私達に隠れて、一人で頑張って……」

「…………っ」

「ぬえはぬえなりに、この状況を何とかしようとしてくれたんだよね? 確かに相談して欲しかったって気持ちはあるけど……。でもやっぱり嬉しいよ」

 

 二の句を紡げなくなったぬえに対し、水蜜はおもむろに歩み寄ってくる。そして優し気にぬえの頭を撫でると、

 

「……ありがとね。ぬえ」

「~~~~っ!!」

 

 ──ああ。やっぱり、こうなる。

 反射的に、ぬえはその場から大きく飛び退く。今更何を言ったって、見苦しい言い訳にしかならない。恥を上乗せする結果にしかならないのかも知れない。けれどそれでも、この状況に流される訳にはいかない。これ以上、翻弄される訳にはいかないのである。

 

「な、何よっ! 勘違いしないでくれる!? 別に私は、あんた達の為に何かをしようとした訳じゃないんだからね!? これは全部、自分自身の利益の為で……!」

「はいはい。ふふっ……」

「な、なんなのよ! 何笑ってんのよさっきから!? あんたちょっと失礼じゃないの!?」

 

 分かっていた事だけれど、この状況は色々とまずい。恐らく水蜜には、ぬえの心境など殆ど見抜かれてしまっているのだろう。これ以上の言い訳など、彼女の前では全くの無意味である。流石に苦しい。下手をすれば、このままでは本当に懐柔されてしまう危険性もある。

 

(くっ……!)

 

 この手段だけはあまり取りたくはなかったが──。かくなる上は、やるしかない。

 

「ふ、ふんっ! もう付き合ってらんないわ!!」

 

 プイッと視線を逸らしつつも、ぬえは強引に歩き出す。そして未だにくすくすと笑う水蜜の横を通り抜けて、

 

「そんなに面白いんなら、あんたはそこで一人で笑ってなさい! じゃあね!」

 

 そんな言葉だけを言い残し、ぬえはそのまま背を向ける。笑う水蜜を一人残して、足早に。

 そう。つまるところこれは、逃亡である。このまま窮地に立たされるくらいなら、これ以上無駄な言い訳を続ける必要はない。自分で自分の首を絞めるなど、ぬえはそんな愚かな行為には及ばないのである。

 そう、これは戦略的撤退。決して負けを認めた訳ではない。いつか必ず、吠え面をかかせてやる。

 

「まったく……。本当、素直じゃないんだから」

 

 水蜜のそんな呟きが聞こえたような気がしたけれど。

 そんな事などお構いなしに、ぬえはずいずいと立ち去るのであった。




すいません。実は次回の更新もかなり遅れてしまうと思います……。
楽しみにして下さっている方々には申し訳ございませんが、少しだけお時間を頂けると幸いです。

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