桜花妖々録   作:秋風とも

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第7話「教授と助手」

 

「姉さん。何か言う事は?」

「もう少しで魔力の存在を実証できたかも知れないのに」

「ちゆりさん。パイプ椅子」

「合点だぜ」

「ちょ、待って! 待ちなさい! 暴力反対!」

 

 ちゆりがパイプ椅子を掲げた所で、流石の夢美も狼狽を露わにする。ぶんぶんと首を横に振りながらも夢美はちゆりを宥めようとするが、当の彼女は笑顔である。満面の笑みを浮かべてパイプ椅子を振り上げるその様は、最早狂人にしか見えない。

 

「はぁ……。ちょっとでも姉さんを信じた俺が馬鹿だったよ」

「し、進一! 溜息なんかついてないで、早くちゆりを止めなさい!」

「無理」

「二文字で即答!? 酷いわ進一! お姉ちゃん寂しい!」

 

 夢美のキャラがだいぶおかしな事になってきているが、そんな事は進一には関係ないのである。それより、頭痛がだいぶ酷くなってきた。頭痛薬を持ってこなかった事が、割と本気で悔やまれる。

 

「おいおい夢美様。無駄な抵抗は止めて、いい加減腹を括ったらどうだ?」

「ねぇ待ってちゆり! いい? 落ち着いてよく聞いて……。パイプ椅子はね、座る為の物であって人を殴る為の物ではないわ。それなのに既に私は背後からそれで殴られているのよ?」

「ああ。それで?」

「いや、それでって……! あ、あのね、ちゆり。それ、結構痛いのよ? それはもう意識が飛ぶくらいに」

「そうか。それじゃあ、痛みを感じる前に仕留めれば問題ないな」

「いや仕留めるって何!? 問題しかないわよ! 殺す気なの? 殺人予告なのちゆり!?」

 

 ギャーギャーと喚く姉を極力視界から外しながらも、進一は大きく溜息をつく。丁度メリーと目があった。

 

「……進一君。本当にお疲れ様」

「ああ……」

 

 大学の講義が一通り終わった後。進一はメリー達と合流して、夢美の研究室へと足を運んでいた。

 言わずもがな、博麗神社や幻想郷について意見を聞くのが目的である。昨日彼女が指定した時間通り、進一達は研究室を訪れた訳だが――。ドアを開けた途端、飛び込んできたのは凄まじい光景だった。

 

 なぜだか妖夢が進一達よりも先に研究室に来ていたり、ちゆりがパイプ椅子を担いでいたり。極めつけは部屋の片隅で完全に伸びている夢美である。そんな光景を目の当たりにした途端、進一は瞬時に状況を察した。察したと同時に、すぐさま帰りたくなった。

 流石にこのまま帰る訳にはいかないので、取り敢えず妖夢とちゆりに事情を聞いてみる。すると返ってきたのは案の定、進一の予感通りの答えだった。現実は非情である。

 そんな中でタイミング良く目を覚ました夢美を正座させ、彼女への尋問を開始する。そして今に至るという訳だ。

 

 ああ、なんだかメリーの優しさが逆に胸に滲みる。どうして研究室に来て早々、こんなにも疲れる羽目に――。

 

「いやー、教授は相変わらずねぇ……」

「ふ、普段からあんな感じなんですか……?」

 

 呑気な物言いをする蓮子と、思わず瞠目する妖夢。

 一応夢美の名誉の為に言っておくが、何も普段からこんな感じなのではない。普段はもうちょっと清楚で、年相応に落ち着いている女性なのだ。しかし、一度自分の専門分野やオカルト等が絡むと、こうして暴走してしまうのである。進一が彼女を変人と評価した所以はそこにある。

 せめてもう少し。もう少しだけでも自制をかけてくれれば、進一の心労も減るというものなのだが。

 

「姉さんの事は大丈夫だと言ったな。あれは嘘だ」

「し、進一君? ま、待って、目がヤバいわ! しっかりして! 帰って来て進一君ッ!?」

 

 メリーの声が遠のいてきた。ひょっとして、そんなに疲れていたのだろうか。おかしいな。姉の扱いには慣れていると思っていたのに。どうやら、それは思い上がりだったらしい。そう考えると、なんだか色々とどうでもよくなってきた。

 こんな状態に陥ってしまった場合の、対処法と言えば。

 

 そうだ。現実逃避しよう。

 

 

 ***

 

 

「誠に申し訳ありませんでした」

 

 頭に大きなたんこぶを携えた夢美が、頭を垂れて謝罪した。

 正座をさせられた彼女の向かい側に立つのは、進一と妖夢である。現実からの逃亡を決め込んでいた進一だったが、瞬時に繰り出された蓮子のチョップにより強制的に引き戻されていた。結構痛い。せめてもう少し加減して欲しかった。図らずも、姉弟揃って頭にダメージを負う事に――。

 

「本当に反省してんのかね」

「し、してるわよっ! 確かに、ちょっと調子に乗りすぎたかなー、とは思っているし……」

 

 パイプ椅子に逆座りしたちゆりがジト目を向けると、夢美が必死になって弁明する。流石の彼女も、これ以上パイプ椅子で殴られるのは勘弁願いたいようだ。

 しかし、それにしても。助手かつ歳下であるはずのちゆりにここまで萎縮する夢美の姿は中々シュールである。しかもちゆりは基本的に敬語を使わないし、これでは上下関係が分からなくなってきた。まぁ、ちゆりくらいの勢いで制する人が傍にいなければ、夢美は何をしでかすか分かったもんじゃないのだが。そう考えると、これくらいの関係で丁度良いのかも知れない。

 

「……妖夢、本当にごめんなさい。流石にあれは、やり過ぎだったわよね……」

「い、いや。あの、頭を上げてください……!」

 

 心底反省している様子で夢美が頭を下げると、妖夢がわたわたと慌て始める。居た堪れない様子で、夢美に頭を上げさせると、

 

「確かに、ちょっとびっくりしましたけど……。でも、夢美さんは自分の研究を進めたかっただけなんですよね?」

「え、ええ。そう、だけど……」

「なら、この件についてはもう気にしません。悪気があったようではなさそうですし……。それに、約束しましたよね。夢美さんの研究に協力するって。ですので、ある意味あれは同意の上だったと言うか……」

「よ、妖夢……」

 

 うるうると、妖夢に心打たれた夢美は涙で瞳を潤わせる。ぷるぷると震えつつも、感激した彼女はガバっと立ち上がった。素早く妖夢の手を握る。

 

「あ、ありがとうっ! なんて良い子なの……! そんなあなたに非人道的な事をしようとしていたなんて……。私、自分が恥ずかしいわ……」

「い、いえっ、そんな……」

 

 “非人道的”の部分をつっこむのは野暮だろうか。

 しかし、まぁ。妖夢の純粋なお人好しっぷりに夢美も心打たれ、流石に深く反省したようなので。今はこれで良いかと、進一は心の中で丸く収める事にするのだった。

 

「妖夢……。お前、絶対損する性格してるぜ……」

「……へ? 今なんて……?」

 

 呆れ顔で目を逸らしながらもちゆりがぼそりと呟くが、妖夢の耳には届いていなかった様子。聞こえなかったのならそれで良いといった様子で、ちゆりは肩を窄めた。

 生真面目な上にお人好し、しかも純粋無垢で表裏がない。そんな性格では、貧乏くじを引かされる事も多い事だろう。確かに、妖夢の今後が少し心配ではある。

 

「うーん、でも私はそのままでも別に良いとは思うけどなぁ。そこが妖夢ちゃんの良い所だし」

「ええ。私も蓮子の意見には賛成ね」

「そ、そうですか……?」

 

 妖夢はイマイチ理解できぬ様子で首を傾げている。

 蓮子達の言う通り、そこが妖夢の長所であり、魅力である事は確かだ。それならば、無理に矯正する必要はない。危なっかしい所はあるが、今は今のままで良い。少なくとも、進一はそう思う。

 

「まったく……。それじゃ、そんなお人好しの為にも、是が非でも幻想郷を見つけてやらなきゃな。夢美様?」

「……そうね。ちゆりの言う通りだわ」

 

 涙を拭った夢美は、その心境を改める。踵を返し、デスク前に置かれた椅子に腰掛けて。

 短く息を漏らしながらも、進一達に向き直った。

 

「さて。色々と話が拗れちゃったけど……」

「誰の所為だと思ってんだ?」

「……こ、拗れちゃったけどっ!」

 

 ちゆりに痛い所をつっこまれて、夢美は冷や汗を流す。コホンと咳払いをしつつも、強引に話を進めた。

 

「……早速お話を始めましょうか。色々と、ね」

 

 

 ***

 

 

 まず問題なのは、メリーの能力が上手く作用しなかった事だ。

 そもそも結界は、普通の人間にはまず見る事の出来ない物である。例外的に視覚出来る物も存在するらしいが、その数は非常に少ない。そもそも、そんな結界があるのならとっくの昔に暴かれているだろう。

 つまり。メリーの能力が使えなければ、結界の存在を確認する事が出来ない。これでは“暴く”という段階でも手探り状態のままであり、あまりにも非効率的だ。博麗大結界の本質が不明瞭な以上、事態が好転しなくても仕方がないと言える。

 

「博麗大結界がどんな結界なのか……。妖夢は詳しくないんだよな?」

「……ええ。すいません……。外の世界との接触を制限する役割を持っているという事と、精神を持つ者に作用する、という事くらいしか……」

 

 進一の確認に対し、妖夢は弱々しく首を横に振る。せめて妖夢がもっと多くの情報を持っていれば良かったのだが、それは致し方ないだろう。専門外なのだから、詳細を知らなくても仕方ない。

 

「しかもメリーの目にも映らないとなると、探しようもないよな……」

「……そこなのよね」

 

 進一が嘆息混じりにそう漏らすと、口を挟んできたのは夢美である。彼女は顎に人差し指の背を沿えながらも、

 

「進一から聞いた話だと、何らかの存在を感知出来るけどそれを視覚する事はできない、って印象を受けたのだけど。どうなのかしら?」

「……大体そんな感じです。私自身、よく分かっていないんですが……。とにかく、凄く漠然としてて……」

「漠然としている、ね……」

 

 難しい表情を浮かべながらもそう語るメリーに対し、夢美が浮かべるのは澄まし顔。まるでメリーの言葉から、確信を得る何かを見つけたかのような。

 

「蓮子。あなたの意見を聞こうかしら?」

 

 勿体付けるような表情のまま、夢美は蓮子にそう投げかける。珍しく静かに思案していた蓮子だったが、突然話題を振られても臆する事なく、

 

「博麗大結界は、論理的な結界なんだと思います。それもかなり複雑な……」

 

 夢美は愉悦そうに笑みを浮かべた。

 

「ふふっ……。やっぱり、そこまで分かっていたのね」

「……論理的? どういう事だ?」

 

 腕を組んで首を傾げ、進一が疑問を呈する。それに答えたのはちゆりだった。

 

「結界は大きく二種類に分類できる。物理的な結界と、論理的な結界だ」

 

 物理的な結界は、言わばバリアのような物である。目には見えない特殊な“壁”を精製し、それによって内側と外側の接触を防ぐ。物理的であるが故にほぼ確実に壁としての役割を果たす事が出来るが、それは同時に欠点とも成り得る。物理的であると言う事は存在が明確であると言う事であり、存在が明確であると言う事はそれだけ破られやすいと言う事である。結界の存在を明確に認識してしまえば、突破する難易度もグッと低くなってしまう。単純な結界が相手なら尚更だ。

 つまるところ物理的な結界は、一度限りのその場凌ぎなら非常に有効であるのだが、長期に渡って守護し続けるとなるとあまり適しているとは言えないのである。

 

 それに対するのが、論理的な結界。

 

「論理的な結界の効力は“防ぐ”と言うよりも“逸らす”と言った方が正しいな。物理的な壁を作って侵入を拒むのではなく、心理的に介入して感覚を惑わす。例えば、真っ直ぐ進んでいるはずなのに同じ場所をぐるぐると回ってた、なんて経験はないか? あれに似た感覚を意図的に引き起こして、意識を別の方向へと逸らす……、なんてのも論理的な結界の一種だな」

「……つまり物体ではなく意識を拒む、と言う事か」

「ま、そんな感じだぜ」

 

 そこは理解出来た。しかし、未だに分からないのはメリーの能力が上手く発揮できなかった原因だ。

 物理的でも論理的でも、結界である事には変わりない。それならば、メリーの眼にはその境界が映るはずである。しかし、あの雑木林ではそれが出来なかった。

 その原因は、どこにあるのか。

 

「よく考えてみて進一君。多分、博麗大結界の効力は、今ちゆりさんが例えてくれたのと同じものよ」

「真っ直ぐ進んでいるはずなのに同じ場所をぐるぐると回っていた、ってヤツか?」

「そう。それで、メリーの能力は?」

「結界の境界が見える程度の能力……、ッ! そうか……!」

 

 稲妻に打たれたような衝撃が走った。

 蓮子にヒントを与えられ、バラバラだったピースが次々と組み立てられてゆく。頭の中のモヤモヤも一気に吹き飛ばされ、鮮明に、かつ迅速に一つの結論へと収束する。

 解き放たれたかのような気分だった。

 

「し、進一さん……? 今ので、何か分かったんですか?」

「ああ。メリーの能力は、結界の境界が見える程度の能力……。つまり見えているのはあくまで“結界の境界”であって、“結界その物”じゃないんだ。そうだよな?」

「え、ええ。まぁ確かに、そうだけれど……。あぁ、成る程……そう言う事ね」

 

 未だに首を傾げる妖夢と、どうやら何かに気づいたらしいメリー。妖夢だけはいまいちピンと来ていない様子。

 若干の優越感を覚えつつも、進一は蓮子と共に説明を続けた。

 

「あの雑木林は、幾ら歩いても周囲の景色が殆んど変わらなかったでしょ? 多分、あの時点で私達は結界の効力に捕まっちゃってたのね」

「方向感覚が惑わされ、同じ場所をぐるぐると回る。それでもあの社まで辿り着けたが、流石にあれ以上はどうあがいても進めなかった」

「つまり……」

 

 進一達に続き、夢美も口を挟んでくる。椅子からおもむろに立ち上がり、人差し指を立てて。ニヤリと笑った。

 

「あなた達は、そもそも境界まで辿り着けていなかったって事ね。だからメリーの眼には何も映らなかったのよ。まぁ、結界の効力を受けていた訳だから、中途半端に能力が作用しちゃってたみたいだけど」

 

 そう言う事だ。

 博麗大結界が論理的な結界で、その効力が方向感覚の喪失であると仮定すれば。メリーの能力が上手く発揮できなかったのも説明がつく。メリーの能力は、あくまで結界の()()を視覚するものであり、結界その物を視覚する能力ではない。つまり境界が見えなければ結界を上手く認識する事ができず、釈然としない漠然とした感覚だけが残ってしまう。それがメリーが覚えていた違和感の正体である。

 

「そ、そう言う事ですか……。それなら納得ですね……!」

「だが蓮子。お前はいつから気づいてたんだ? その様子じゃ、だいぶ前から気づいてたんだろ?」

「うーん……厳密に言えば最初から、かな? あの日、釈然としないメリーの様子を見て、その可能性も考えてはいたし」

 

 さらりととんでもない事を口にする。まさかその時点で気づいていたと言うのか。進一の話を聞いただけで博麗大結界の性質を推測した夢美もそうだが、初期の段階でその可能性を考えついた蓮子も流石である。

 

「そ、そんなに早く気づいていたの? もうっ、それならそうと教えてくれれば良かったのに」

「ごめんごめん。あくまで可能性の一つとして考えてただけだから。これまで秘封倶楽部が暴いてきた結界も論理的なものが多かったし、今回もそうなのかなーと思って。でも正直自信はなかったし、無闇に言うべきじゃないって思ったのよ。教授の話を聞いて、初めて確証が持てたって感じだし」

 

 不服そうな表情をメリーは浮かべるが、飄々とした様子で蓮子はそう語る。不確定な推測を不用意に口にして、混乱を招いてしまうような事を危惧していたらしい。

 普段は呑気で落ち着きがないように見える蓮子だが、意外にも周囲への気配りはしているし、洞察力も確かなものだ。冷静沈着を自称する彼女であるが、それは強ち間違っていないかも知れない。

 

「いや、メリー。そもそもお前の能力だろ? 今まで気づかなかったのか?」

「そ、それは……。ぐうの音も出ません……」

 

 ちゆりにそんな指摘をされて、流石のメリーもしょんぼりとする。

 しかし、そうは言っても。自分の能力だからこそ、気づかない事もあるだろう。客観的な視点の方が、意外と細かな所まで目が届く場合もある。今回がそのパターンだ。

 

「でも、これで博麗大結界の効力を推測できましたよね。暴く事は可能なんですか?」

「そう。問題はそこ、よね」

 

 妖夢がそう尋ねるが、それに答えた蓮子は表情を曇らせていた。彼女は腕を組みながらも、

 

「前にも話したと思うけど、私達が今まで暴いてきた結界はどこかが解れていたり、不安定だったりする“不完全”な物ばかりだったのよ。でも博麗大結界は違う。幻想郷という世界一つを覆い隠す程に巨大で、強力かつ複雑な結界……。はっきり言って、今までのような感覚じゃあ到底暴く事なんて出来ないと思う」

 

 そう。幾ら結界の効力が推測できたとは言え、まだ根本的な解決策が見つかっていない。

 今の秘封倶楽部の目的は、幻想郷への道を妖夢に示す事だ。幻想郷をただ見つけるだけでは意味がない。博麗大結界を越え、足を踏み入れる必要がある。

 

 無論、方法が全く思いつかない訳ではない。例えば、博麗大結界とは別に幻想郷の全域を覆っているもう一つの結界――『幻と実体の境界』の効力を逆手に取り、幻想郷へと侵入する手段もあるにはある。しかし、それを行うにはこちらの世界で存在を否定される必要があり、あまりにも現実的ではない。そもそも“存在の否定”がどう定義されているのかが不明瞭である以上、試しようもないのだ。この方法で幻想郷へと足を踏み入れるのは難しい。

 となると、やはり博麗大結界を暴く必要がありそうだが――。

 

「一つ言わせてもらうけど……博麗大結界を暴くなんて事、正直容認できないわね」

「えっ……?」

 

 そんな時。夢美の口から飛び出したのは、意外すぎる言葉だった。

 博麗大結界を暴く。正直、夢美なら真っ先に飛び付いて賛成しそうなものだが、彼女が口にしたのはまるで正反対の言葉。これには思わず、進一も間の抜けた声を漏らしてしまう。

 

「……姉さんなら、自分から暴きにいきそうなものなんだが」

「まぁ、確かに幻想郷へ行ってみたいとは思っているけど……。でも、それ以前の問題よ。いい? 今回は今まで以上に大きなリスクを伴う事になるのよ。幻想郷は、こっちの世界で存在を否定された者達が住まう地……。つまり、こっちの世界にはいるはずのない存在達が集まっているのでしょ? そんな世界を隔離する為の博麗大結界に穴が開き、常識と非常識……現実と幻想の境界がうやむやになってしまったら……」

「……均衡が大きく崩れる、って事か」

「そう。もしそんな事になってしまったら、それこそ世界の終わりよ」

 

 流石にそれは言い過ぎかも知れないが、悪影響を及ぼす事は確かだ。所詮一学生でしかない進一達が無闇に触れて、結界に大きな傷を付ける事になってしまったら。取り返しのつかない事になる可能性もあり得る。

 

「そう言えば、前に妖夢ちゃんも言ってたわよね? 結界を傷つけるような事は大問題だって」

「は、はいっ……。博麗大結界は、幻想郷の存亡に関わる役割を担っていると言っても過言ではありません。もしもそれが再生不能な程に破壊されてしまったら、最悪幻想郷の存在が喪失してしまう可能性も……」

「マジかよ……」

 

 思い出したようにメリーが確認するが、妖夢が口にした回答はとんでもない内容だった。

 進一は息を呑む。世界の終わりなどというのは言い過ぎだと思っていたが――、どうやら強ち的外れでもないらしい。博麗大結界を力技で強引に暴くと言う事は、それは即ち幻想郷への攻撃を意味する。もし、本当に博麗大結界を破壊してしまうような結果になってしまったら――。

 

「で、でもっ、それはめちゃくちゃに破壊してしまった場合の事です! 傷つけずに通り抜けられれば、それが一番良いのですが……。ほんのちょっと傷つけちゃったくらいなら、なんとかなるかも……」

「流石に曖昧過ぎるわね。確信が持てていないこの状態で、結界を暴くのはやっぱり危険よ。あなた達にそんな事をさせる訳にはいかないわ」

「す、すいません……」

 

 正直、夢美の言っている事は正論である。幻想郷の存亡に関わる程の大問題に発展してしまうのなら、妖夢は主人の下へと帰るどころではなくなってしまう。夢美の言う通り、あまりにもリスクが大きすぎだ。

 ここは()()の助言として、素直に受け取っておくべきであろう。今までの秘封倶楽部のように、結界を暴こうとするのは避けた方がいい。

 

「ま、ついさっきまで妖夢に襲いかかろうとしてた奴が言っても、説得力ないけどな」

「ちーゆーりー? あなたは何度茶々を入れれば気が済むのかしらぁ?」

「事実を述べたまでだぜ」

 

 ――大人の助言として。

 

「と、とにかく……! 博麗大結界の事は、私達に任せなさい」

「……夢美さんと、ちゆりさんに?」

 

 突然の提案に対し、メリーが首を傾げる。夢美は頷きながらも、

 

「確かに博麗大結界を傷つけずに越える事は難しいかも知れないけど、その方法が皆無だとはまだ言い切れないでしょ? 私達の方でも、それを探してみるわ」

「そう言う事だ。でも、まぁ……。態々幻想郷を経由せずとも、冥界に行く方法があるかも知れないからな。お前達秘封倶楽部は、その方法を探してみたらどうだ? 役割を分担して、手分けした方が効率的だぜ」

 

 つまり。夢美とちゆりは幻想郷へ足を踏み入れる方法を探し、秘封倶楽部はそれ以外に冥界へと行ける方法を探す――と言う事か。確かに、こうして役割を分担した方が効率的であると言える。

 それに。蓮台野は空振りに終わってしまったが、冥界への入り口らしき場所はあそこだけではないだろう。似たような噂話も、探せば出てくるはずである。それらを虱つぶしに調べていけば、或いは。

 

「蓮子。お前はどう思う?」

「うーん……。私としては、多少強引にでも博麗大結界を暴いてみたいって気持ちが少しあるけど……」

 

 随分と物騒な事を言う。

 

「でも、流石に危険すぎるし……。教授達の意見に賛成かな。それに、冥界との結界を探して暴くっていうのは、本来の秘封倶楽部らしい活動内容だしね」

「……そうか」

 

 正直、進一も夢美の提案には賛成である。態々そんな危険を冒してまで、無理に博麗大結界を暴く必要もないはずだ。そもそも、力技が通用するかどうかも怪しい所だが。いや、それ以前に境界にまで辿り着けるのかどうかも微妙な所だったか。

 何であれ。蓮子がその気なら、話は決まったようなものだ。

 

「私も賛成よ。正直、博麗大結界の方は夢美さん達に任せた方が進展しそうだし……」

「……妖夢はどうだ?」

「はい。私も、夢美さんの提案を呑むべきだと思います」

「なら決まりね」

 

 夢美はおもむろに椅子に座り直し、そして足を組む。腕も組んで表情を綻ばせながらも、彼女は口を開いた。

 

「私とちゆりは幻想郷への道を探し、秘封倶楽部は冥界への道を探す。今後はそういう方針で行きましょ。でも……私達も結構忙しいから、早々に事態を進展させるのは難しいかも知れないけど……」

「いえ、協力して頂けるだけでもありがたいですよ。すいません、お時間を割いて貰っちゃって……」

「お前は本当に真面目だなぁ、妖夢。別に謝る必要なんてないぜ。ぶっちゃけ私達も好きでやってるんだからな」

 

 「私達と言うか主に夢美様だけどな……」と付け加えるちゆりの表情からは、日々の気苦労が見え隠れする。やはり助手として夢美に振り回される毎日は、心身共に疲れ果てるものなのだろう。まぁ、時にはパイプ椅子を振り上げて、ちゆりが“振り回す側”となる事もあるようだが。心労を抱えるだけの進一とは大違いである。

 そう考えると、二人はある意味とても釣り合っているコンビであると言えるかも知れない。

 

「……あ。そう言えば、姉さん」

 

 ちゆりがどんよりとし始めた所で。ふとある事を思い出した進一は、夢美へと声をかける。

 話が多少進展してすっかり忘れていたが、一応これも確認しておかねばなるまい。

 

「昨日渡した御札。あれはどうなったんだ? 調べたのか?」

「……あぁ。その事ね」

 

 あの雑木林を捜索した際、秘封倶楽部が持ち帰った唯一の戦利品。あれも幻想郷への重要な手がかりに成り得るはずだ。進一達ではどうにもならなかったが、夢美達が調べれば何か分かるかも知れない。それに期待し、彼女に御札を渡した訳だが。

 

「勿論調べたわ。その結果、ちょっと気になる事が分かったのよ」

「……気になる事?」

 

 流石、仕事が早い。しかし、また気になる事とは。

 夢美は頷きつつも、説明を続ける。

 

「なんて言うか、どうにもきな臭い感じなのよねー……。魔除けの類である事には間違いないと思うんだけど、今まで私が見てきた物とは趣向が違うような……」

「えっ……、それって……!」

 

 真っ先に食いついたのは蓮子だった。

 

「あの……教授って、そういった類の物品は、今まで数多く見てきたんですよね? それでもそんな違和感を覚えるという事は……」

「ええ。私でも見た事のないタイプ、と言う事ね」

「おお……!」

 

 どうやら、オカルト好きな蓮子の心が強く惹きつけられたらしい。目をキラキラと輝かせる彼女のその様は、まるで純粋無垢な子供のようである。

 夢美がオカルト好きを通り越してオカルトオタクと言っても過言ではない程にオカルトに執着している事は、当然進一も知っていた。そんな彼女でさえも見た事のないタイプの御札、と言う事は。

 

「成る程。つまり激レアという事か」

「うん。まぁ、そうなんだけど……」

 

 しかし、どうにも夢美の反応は薄い。そんなにも貴重な御札ならば、彼女はもっと有頂天外になりそうな気がするのだが。どこか、少し様子がおかしいような。

 

「……とにかく、まだ分からないだらけだって事よ。もっとよく調べてみないと」

「そ、そうなのか?」

「ええ、そうよ。それに……あなた達が訪れた雑木林に幻想郷がある体で話を進めてきた訳だけど、実際はまだ確実にあるとは言い切れないでしょ? 方向感覚の喪失感も、結界の効力によるものだったとは断言出来ないし……。その辺もキチンと調べなきゃね」

「それは、まぁ……」

 

 彼女の言う通りだ。確かに、あの時は方向感覚の喪失感を覚えてはいたが、それが結界の効力によるものだったのかどうかはまだ不明瞭である。ひょっとしたら、ただ単にあの雑木林が迷いやすかっただけで、実際には結界の効力なんて受けていなかったのかも知れない。

 はっきりと言ってしまえば。あの雑木林に幻想郷があるのだと、“勘違い”をしていた可能性も否定できない訳で。

 

「つまり、道はまだまだ長いって事だぜ」

 

 一言で言えば、そう言う事である。

 

「よしっ! それじゃ、今日の所はこの辺で解散ね。さっきも話した通り、博麗大結界は私達の方で調べておくわ。あなた達秘封倶楽部も、引き続き調査を続行して頂戴」

「はいっ! 了解です教授!」

 

 立ち上がった夢美と、随分とノリノリな蓮子とのやり取りを最後に、一先ず今回は解散という事になった。

 

 夢美の研究室を後にして、秘封倶楽部の面々と歩を進める廊下で。進一は一人、思案する。

 少し変な夢美の様子。あのような彼女を見たのは、これが初めてという訳ではない。以前にも、何度か目の当たりにした事がある。

 あんな様子を見せる時。夢美は決まって、

 

(何かを隠してる、のか……)

 

 恐らく、あの御札に関する事だろう。彼女はきな臭い魔除けの御札だと言っていたが――、多分それだけではない。夢美は何かに感づいている。だけれども、それを隠しているという事は。

 

「……進一さん? どうかしましたか?」

「……いや」

 

 止めよう。ここで思案しても答えが見つかる訳がないし、例え夢美に直接聞いても恐らく教えてはくれない。隠してるという事は、今は言うべきではないと彼女が判断したのだろう。それならば、あまり詮索しない方が良い。

 

 腑に落ちない所はあるものの。

 とにかく今は自分の出来る事に全力を尽くすべきだと、進一は改めて意気込むのだった。


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