桜花妖々録   作:秋風とも

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第69話「歪んだ心と、折れない決意」

 

 小野塚小町の肩を借りて冥界を進む事数分。尚も頭痛と吐き気に苛まれ続けていた進一だったが、それでも何とか白玉楼まで戻って来ていた。

 周囲は既に薄暗い。ついさっきまで黄昏時だったはずなのに、時刻はいよいよ宵の内である。どうやら時間は意外と経過してしまっているらしい。一日なんて、本当にあっという間じゃないか。

 

(そうだ……。あっという間、なんだよな……)

 

 だからこそ、モタモタしてはいられない。いつまでもうだうだと考え込んでいたら、それこそ時間なんてあっという間に過ぎてしまうだろう。これ以上、のんびりなんてしていられない。

 進一にはやる事がある。それを完遂する為に、今は一刻も早くもう一度()()と会わなければならないのだ。

 

「……小町。俺ならもう、大丈夫だ」

「うん? 本当かい? 無理とかしてないだろうね?」

「……ああ」

 

 肩を借りていた小町に一声かけた後、進一は彼女から離れて自らの足だけで地に立つ。多少ふらつくような気もするが、それでも先程と比べるとだいぶマシである。無理を全くしていないと言えば嘘になるが、そうも言っていられないだろう。

 今は多少の無理も必要だ。進一のやるべき事は、生半可な想いでは達成する事など出来ないのだから。

 

(さて、と)

 

 そして進一は小町と共に、改めて白玉楼の門を潜る。

 今朝──小町と映姫に連れられて初めて白玉楼(ここ)を訪れた時とは、また違った感覚。藍の制止も聞かずに一方的に飛び出して行ってしまった手前、果たしてどんな顔をして戻れば良いものか。

 けれどここで憶する訳にはいかない。彼女の行方が知れぬ以上、今は僅かな心当たりを当たるしかないのだから。

 

「よしっ……」

 

 一人密かに意気込んで、進一は白玉楼へと足を踏み入れる。玄関を抜けて長い廊下を突き進み、取り合えず見慣れた居間に向かうとそこには折よく幽々子と藍が揃っていた。

 意を決し、進一はその居間へと足を踏み入れる。

 

「進一……?」

 

 真っ先に反応を示したのは藍である。座卓を挟んで幽々子と向かい合うように座っていた彼女だったが、進一の姿を認識した途端弾かれるように立ち上がった。

 

「進一……! 良かった、戻ってきたんだな……! まったく、お前は一人で勝手に突っ走るなんてどういうつもりだ……!?」

「……悪かった。あの時は、少し冷静さを事欠いてたんだ」

 

 感情を高ぶらせつつも歩み寄ってくる藍に向けて、進一は宥めるような口調でそう告げる。そんな進一の反応が意外だったのか、彼女は一恍けたような表情を浮かべた。

 あの時。藍の制止にもまるで聞く耳持たず、進一は心の赴くままに白玉楼を飛び出した。けれど今の進一は、その時と比べると幾分か落ち着いた様子である。それ故に、藍は思わずこんな反応を見せてしまったのだろう。

 

「ははっ。お前さん、確かあの胡散臭い妖怪賢者の式神だよね? 何て顔してんだい」

「なっ……! お、お前……なんでここにいる……!?」

 

 ニヤニヤと意地悪く笑いながらも茶々を入れる小町へと向けて、藍は半ばムキになってそう言い返す。何でここにいる、とはぶっちゃけお互い様であろう。藍も小町も、本来ならば冥界の住民などではないのだから。

 そんな彼女達の傍らで、未だ黙り込んだままの少女がいる。進一の帰還に多少なりとも反応は見せていたものの、けれどすぐに俯いてしまった亡霊少女──西行寺幽々子。そんな彼女へと向けて、進一は声をかけた。

 

「……幽々子さん。大丈夫か?」

「進一、さん……?」

 

 弱々しい反応。だいぶ憔悴してしまっているようだ。

 その原因は、明白である。

 

「進一さんこそ、何だか顔色が悪いみたい……。大丈夫……?」

「……俺の事は良い。今はあんたの方が心配だ」

 

 真っ直ぐな瞳。それを幽々子に向けたままで、進一は単刀直入に言う。

 

「妖夢の事、だよな?」

「…………っ」

「……すまなかった。俺が、余計な行動を取ったばかりに……」

「っ! そ、そんな事……!」

 

 慌てた様子で何かを言い返しかけた幽々子だったが、けれども途中で言葉が途切れて口籠ってしまう。

 ぎゅっと、彼女は自らのスカートを握り締めている。俯き、そして震える彼女から伝わってくるのは、底知れぬ憂慮ばかりである。

 

 妖夢の事が、心配なのだろう。無理もない。何せこの中で彼女との付き合いが最も長いのは、間違いなく幽々子なのだから。

 幽々子が抱く感情は、恐らく進一の抱くそれの比ではない。生前の記憶がない今の進一の想いでは、彼女の気持ちと比較する事すら出来ないだろう。

 

 でも。

 だからこそ。

 

「……俺が助ける」

「えっ……?」

「俺が妖夢を助ける。絶対に、だ」

 

 そう。

 進一の決意は、もう二度と折れる事はない。魂魄妖夢を助けたいというこの想いは、例えどんな横槍が入ろうとも変えるつもりはない。

 諦観なんてしない。自らの意思で行動し、そして彼女を救い出す。必ず、絶対に。

 

「だから教えて欲しい。妖夢が行きそうな場所とか、何か心当たりはないのか?」

「妖夢……。実は、ついさっきまでここにいたんだけど……」

「なに……?」

 

 弱々し気な口調で、幽々子はそう答える。それに対して進一は、思わず息を詰まらせつつも疑問を呈してしまった。

 

「どういう意味だ? 妖夢はここに戻って来ていたのか?」

「……その様子だと、どうやら入れ違いになってしまったようだな」

 

 答えたのは藍である。今の今まで小町にからかわれていた彼女だったが、進一が見せた反応を敏感に感じ取って気を取り直してくれたようだ。

 コホンと咳払いを一つ挟むと、藍は続ける。

 

「お前が飛び出してから暫くして、妖夢は一人で私達の前に戻って来たんだ。……かなり憔悴した様子でな」

「そう、か……。妖夢は、何か言ってたか?」

「……いや。お前の事、頑なに話そうとしない様子だった。今回の『異変』に関する報告を一方的に済ませた後、まだやる事があると言って再び飛び出して行ってしまったんだ」

「……異変?」

 

 異変。それについては既に幽々子達から説明を聞いている。

 簡単に言えば事件だ。幻想郷では時折、強い力を持つ妖怪や神が大きな騒動を引き起こし、広い範囲に多大な影響を及ぼす事もあるという。それらを一括りにして『異変』と通称しているらしく、毎回博麗の巫女と呼ばれる人間がその解決に尽力しているらしい。

 

 先程幽々子から聞いた話では、今回の異変に関しては魂魄妖夢も解決の為に動いているとの事だった。彼女がこれまで白玉楼を留守にしていたのもその為で、そういう意味では間が悪かったとも言えるかも知れない。

 

「やる事がある、ねぇ……。その話だけ聞くと、まだ異変を解決する事は出来ていないっていう風に捉える事も出来るけど……」

「……ああ。どうやら少し厄介な事になっているらしいな。神霊騒動は収束に向かっているみたいだが、それでもまだ不穏は残されているようだ」

「ふぅん……。実際、まだ完全な解決って訳じゃないって事か。でも……」

 

 そこで小町は、何やら含みのあるような表情を浮かべる。それ以上の言葉を繋げる事はなかったが、それでも彼女が何を思っているのか進一にも何となく伝わってくる。

 

 確かに異変の解決は、幻想郷の住民にとって重要なファクターなのかも知れない。けれど今の妖夢は、あくまでそれを口実にしてしまっているように思える。

 今の妖夢には考えたくない事がある。だから異変解決に向かう事で、少しでも気を紛らわそうとしているのではないかと。恐らく小町も、そう勘ぐっているに違いない。

 

「……すまない。私じゃ妖夢を、引き留める事は出来なかったんだ……」

「藍が謝る事じゃないだろ。……妖夢を傷つけたのは俺だ。お前は何も悪くない」

「……いや。何も出来なかった時点で、私にも十分非がある。だから進一ひとりだけが、責任を感じる必要なんて……」

 

 しょんぼりと、八雲藍はそう主張する。まったく、生真面目が過ぎると言うか何と言うか。本当に、彼女が責任を感じる場面なんてなかったはずだろう。

 そうだ。藍は何も悪くない。

 これは進一と妖夢の問題だ。だから進一が解決しなければならない。

 

(ああ、そうだ。俺がやらなきゃならないんだ)

 

 何よりも、進一自身がそれを強く望んでいる。

 妖夢を助けたい。彼女の心を晴らしてやりたい。これ以上、涙なんて流して欲しくない。

 だから進一は諦める訳にはいかない。例えどんなに困難な道のりになろうとも、後戻りという選択肢など今の進一には有り得ない。

 

 この決意は絶対だ。

 決して、折れる事などない。

 

「──まったく」

 

 と、その時。不意に、進一の背後からそんな声が流れ込んでくる。

 小町ではない。けれども聞き覚えのある。凛と、そして透き通るような少女の声。それに反応しておもむろに振り返ると、そこにいたのはやはり見覚えのある少女だった。

 深碧色の髪。全体的に青を基調とした衣服。少女らしいあどけなさを残しつつも、同時に凛々しさも併せ持っている容貌。

 

「気になって様子を見に来てみれば、少々厄介な事態に陥っているみたいですね」

 

 ある程度、このような状況も想定していたかのような面持ちで。

 彼女──四季映姫・ヤマザナドゥは、そこに佇んでいた。

 

「閻魔様……?」

「げっ……!?」

 

 思わず進一はボソリと呟く。そしてそんな彼の傍らで、小町が露骨に青ざめた表情を浮かべている。

 なぜ彼女がこんな所に──などと一瞬思った進一だったが、そう言えば妖夢が帰還した後辺りに伺うような事を言っていた事を思い出す。けれどそれでも、些か早すぎる再登場である。何かあったのだろうか。

 

「し、四季様!? ど、どうしてこんな所に……?」

「……何ですかその反応は。仕事がひと段落ついたので、少し様子を見に来ただけなのですが」

 

 そして映姫の話を全く聞いていなかったらしい小町が、慌てた様子で反応を見せる。そんな彼女に対してやれやれとでも言いたげな面持ちで映姫は説明するのだが、けれどすぐにジト目になって。

 

「……それで? 貴方の方こそ、どうしてこんな所にいるのですか小町? 今日は今までサボり続けた分の()()を清算して貰う手筈だったはずでは?」

「え、えぇと、そのぉ……。じ、実はあたいも、仕事がひと段落つきましてね……? そ、それで進一達の様子を見てみようかなぁと……」

「ほう……?」

「い、いやぁ、でもまさか四季様も似たような事を考えていたとは! こりゃ奇遇ですね! はっはっは!」

 

 ワザとらしく笑う小町に対し、映姫が向けるのはやたら冷めた眼差しである。というか、やっぱりサボりだったのかこの死神は。案の定、と言ってしまえばそれまでなのだけれども。

 

「はぁ……」

 

 嘆息。映姫はそれを一つ零した後に、今度は八雲藍へと視線を向ける。びくりと身を縮こまらせる藍に対し、映姫は再び呆れ顔を浮かべて。

 

「八雲紫の式神までいるじゃないですか。全く、死者でもない者がこぞって冥界にぞろぞろと……。貴方達は秩序を守るつもりはないんですか?」

「も、申し訳ございません……。ですが閻魔様……! 妖夢が不在の今、幾ら幽々子様と言えどもたったひとりで彼の面倒を見るのは些か負担が大きすぎるかと……! でしたら、この私が……!」

「言い訳は結構ですよ。まぁ、八雲紫の事です。何らかの形で、再び幽々子や進一との接触を図るだろうとは思ってましたし……」

 

 そこで映姫はチラリと幽々子を一瞥した後、今度は進一へと視線を向ける。視線がぶつかり、何かを察したらしい彼女は難しそうな表情を浮かべつつも言葉を続ける。

 

「……小町達への説教は後にしましょう。今は目の前の問題解決を優先すべきです」

「問題、か……」

 

 ボソリと、映姫に続くような形で進一は呟く。「け、結局説教なんですか……!?」などと嘆く小町の傍らで、進一は考え込んでしまう。

 問題。それは言わずもがな、進一と妖夢に関する事であろう。元はといえば妖夢と対面する事で記憶の手掛かりを見つける事が出来るのではないかという事を期待していた訳だが、結局事態はまるで好転していない。それどころか悪化してしまっている。

 

「大方の事情はお察しします。正直、私の考えも浅薄でした。どうやら今の妖夢の心境は、そう単純なものではなさそうですね」

「……浅薄だったのは、私よ」

 

 消え入るような声。映姫の言葉に反応を示したのは、これまで黙り込んでいた西行寺幽々子である。

 俯き、そして唇を震わせて。昼食の時のような天真爛漫な様子が嘘であったかのように、彼女は酷く弱気な様子で。

 

「何も、分かってなかったのよ……。こうすれば何とかなるんじゃないかって、そんな自分勝手で浅はかな思い違いをして……。私は、妖夢を……」

「……らしくありませんね。まさか貴方が、そこまで自分を卑下するとは」

「そうだったかしら……。もう、忘れちゃったわ……」

 

 弱々しい様子。進一は思わず歯軋りをする。

 幽々子とは今朝に始めた会ったばかりだ。当然、普段の彼女の様子なんてはっきりと分かる訳がない。けれどそれでも、彼女が必要以上に自分を責めてしまっている事は明白である。

 

(くっ……)

 

 自分の所為だ。

 自分が記憶を失った所為で、こんな所にまで影響を及ぼしてしまうなんて。

 

「……全部自分が悪い。まるでそう言いたげな顔をしていますね」

「……えっ?」

 

 考え込んでいると、不意に声をかけられる。

 チラリと進一を一瞥しつつも、そんな言葉を投げかけてきたのは映姫である。否定する素振りも、誤魔化す素振りも見せなかった進一の様子を確認して、彼女は再び嘆息していた。

 まったく。本当に、手のかかる。

 強いて台詞をつけるなら、そんな感じだったと思う。彼女は呆れた様子を醸し出しながらも、けれど決して嫌な表情などこれっぽっちも浮かべてはいなくて。

 

「小町。貴方に一つ、仕事を命じます」

「え? あ、はい……。な、何でしょう……?」

 

 説教の事を考えていたのか、やたらとソワソワとした様子の小野塚小町。そんな彼女へと向けて、映姫は言葉を投げかける。

 もう一度、幽々子や進一へと視線を流した後に。

 

「進一と共に、妖夢の後を追いかけて下さい。恐らくあの子は顕界に向かったはずですからね」

「……はい? し、進一と一緒に、ですか?」

「ええ。妖夢のような半人半霊ならともかく、進一のような死者が冥界と顕界を行き来するなど、本来ならば許される事ではないのですが……。今はそうも言ってられないでしょう。ですので、貴方が引率という形で進一と同行する……という形で、今回は特別に許可します」

「し、四季様……。そ、それって……」

 

 意外な提案。虚をつかれたかのような表情を浮かべる小町と、同じく驚いて言葉を見失ってしまった進一。そんな二人へと向けて、映姫は続けた。

 

「今のあの子には進一が必要です。だから早く追いかけて、手を差し伸べてあげなさい」

「閻魔様……」

 

 映姫の言葉が、じんわりと進一の心に響く。

 まさか、進一達の為にそこまでしてくれるというのだろうか。幻想郷の閻魔などという、色々と複雑な立場にいる少女であるはずなのに。それでも彼女は、こうして無理を通そうと言うのだろうか。

 生真面目で、堅苦しくて、おまけに説教好きで。そんな一面があるからこそ、映姫に対して苦手意識を持っている人も多いらしいのだけれども。

 けれど進一は、今この瞬間確信した。四季映姫は筋金入りの()()()()だ。困っている誰かを放っておく事など出来ないような、心優しい少女なのだ。ただ、少々真面目が過ぎるだけで。

 

「……何から何まで、すまないな。俺なんかの為に……」

「かっ、勘違いしないで下さいっ。べ、別に貴方の為にこんな事をやっている訳ではありません。ただ、このままですと今後色々と支障をきたす恐れがありそうですし……」

「……それでも、俺は感謝してるんだ」

 

 映姫はやたらと自らの厚意を否定しているようだが、それでも進一は構わない。

 彼女には本当に迷惑をかけてしまっている。だからこそ、進一には言わなければならない事がある。

 

「あんたが白玉楼まで連れてきてくれたからこそ、俺はやるべき事を見つける事が出来たんだ。そして今も、あんたは俺や妖夢の為にこうして駆けつけて来てくれている。だから……」

 

 進一には、伝えなければならない言葉がある。

 

「……ありがとうございます。閻魔様」

「…………っ」

 

 困ったような──けれども満更でもないような表情を、映姫は浮かべている。しかしすぐにプイッと視線を逸らすと、何やら彼女はボソボソと、

 

「……敬語、喋れるんじゃないですか」

「……うん? 何か言ったか?」

「何も言ってませんー!」

 

 急に子供っぽい態度になった。相も変わらず、良く分からない一面がある閻魔様である。

 ともあれ、方針は決まった。小町と共に顕界へと赴き、そしてどこかへと立ち去ってしまった魂魄妖夢を見つけ出す。はっきり言って手掛かりすらも殆どないが、それでも指をくわえて待ちぼうけなんて耐えられる訳がない。

 今は行動に移すべきだ。何か行動を起こさなければ、変われるものも変われなくなってしまう。

 

 そんな中。不安気な表情を浮かべたままで、今度は藍が声をかけてきた。

 

「進一……今から、行くつもりなのか?」

「……ああ。確かに既に日暮れだが、だからと言ってモタモタしてはいられない」

「そうか……」

 

 何やら含みのある表情。それを一瞬だけ浮かべて視線を逸らした藍だったが、けれどすぐに進一へと向き直る。

 不安感は拭いされていない。けれどそれでも、背中を押してやりたいのだと。そんな彼女の複雑な心境が、その表情には表れていて。

 

「……くれぐれも、気を付けて行ってくるんだぞ」

「……っ。ああ……」

 

 俺は子供か、などと恍ける気にはなれなかった。それ程までに、藍の表情は真剣そのものだったからだ。彼女はきっと、心の底から進一の身を案じてくれているのだろう。

 ──考えてみればおかしな話だ。人間を脅かす妖怪であるはずの八雲藍が、既に亡霊とは言え元人間である進一の事をここまで心配してくれるなど。魑魅魍魎へのイメージが、儚く崩れ落ちてしまいそうである。

 

(まったく……。本当に……)

 

 そう。

 本当に、良い奴ばかりではないか。

 生前の記憶がない進一なんかの為に、彼女達はこうして力を貸してくれている。進一が抱いたこの想いを、彼女達は尊重してくれている。

 そして、進一だけじゃない。

 魂魄妖夢の事だって、彼女達は気に掛けてくれている。魂魄妖夢の事だって、彼女達は案じてくれているじゃないか。

 

(……だったら)

 

 だったら進一は、躊躇なんてしない。

 自分一人だけじゃない。彼女達が抱いてくれた、この想いだって無駄にしない為に。

 

「行こう、小町。あいつを……妖夢を見つけて、助けるんだ」

「……ああ。もうここまで来たら、とことんまで付き合うさ」

 

 そして進一は、小町と共に歩き出す。

 想いを無駄にしない為に。彼が抱くこの願いを、叶える為に。

 そして──。

 

「……待って、進一さん」

 

 そこで不意に、進一は呼び止められる。おもむろに振り返ると、その声の主──西行寺幽々子が、しっかりと進一の姿を見据えていた。

 不安感が残る表情。けれど先程までのように、彼女は俯いてはいない。

 進一達のやり取りを見て、彼女も多少は鼓舞されたという事なのだろうか。彼女は何か、言葉を選ぶような仕草を見せた後。

 

「進一、さん……。その……あの子の、事を……」

 

 一瞬幽々子の表情が沈みかけるが、けれどもすぐに毅然とした表情を浮かべて。

 

「妖夢の、事を……」

 

 そして彼女は、口にする。

 

「……妖夢の事を、よろしくお願いします」

 

 

  *

 

 

 まさか、自分がここまで後手に回らざるを得ない時が来るなんて。博麗霊夢は悶々としていた。

 時刻は既に宵の内。場所は魔法の森の上空。太陽は既に地平線まで沈み切り、そろそろ妖怪どもが活発的に活動し始める時間帯である。別にそこいらの雑魚妖怪など霊夢にとって眼中にもない存在だが、流石に数が増えてくると鬱陶しく思えてくる。今は妖怪退治が目的という訳ではないのだから尚の事だ。

 

「ったく……。何なのよ……」

 

 思わずそう独りごちてしまう程、彼女は鬱憤を溜めてしまっている。ここまで誰かに翻弄されたのは、いつ以来だろうか。

 霍青娥。かんざしのような鑿を使って境内の地面に穴を開けた彼女は、そのまま忽然と霊夢達の前から姿を消した。文字通り、痕跡すらも跡形も残さずに彼女は霊夢達から逃げ果せたのである。並大抵の奴では果たす事などまずできない暴挙じゃないか。

 

 まさか霊夢がここまで苦労する事になろうとは。

 今はこうして勘だけを頼りに幻想郷を飛び回っている訳だが、これが中々どうして上手くいかない。今日はどうにも、いつものような()()がないような気がする。勘が鈍ったというか、何と言うか。

 

(……いや。鈍った、とは少し違うわね)

 

 無論、今回の相手がいつも以上に難敵であるという要素も起因しているだろう。けれどそれより何より、霊夢の気を散らしているのはあの半人半霊の少女である。

 さっきから、脳裏にチラついて仕方がない。今日はどうにも彼女の事ばかり気にしているような気がしている。このタイミングで霊夢が何を思おうとも、結局は非生産的に過ぎないのにも関わらず。

 

 本当に、今日の自分はらしくない。

 

(ホント、何なのかしらね……)

 

 判らない。こんな感情は初めてだ。

 一体、何がそんなに気に食わないのだろう。一体、なぜ自分はここまでイライラしているのだろう。どうして自分は、こんなにも──。

 

「……霊夢?」

 

 ──不意に、声をかけられた。

 今の今まで自分は一人だったはずだ。それなのに、突然流れ込んでくるのは別の少女の声。反射的に飛翔を止めて、霊夢は振り返る。

 

 何て絶妙なタイミングなのだろう。

 振り返った先にいたのは、丁度霊夢が脳裏に思い浮かべていた人物。

 

「やっぱり霊夢だ。良かった、合流できて」

「……妖夢? あんた、どうして……」

 

 魂魄妖夢。何やら安堵したかのような様子で声をかけてきた彼女を見て、霊夢が真っ先に抱いたのは底知れぬ不安感だった。

 ──何だ、これは。

 妖夢の姿を認識した途端、強烈な違和感が霊夢の胸中に走る。今の彼女は何かが変だと、霊夢の直感が煩いくらいに告げている。けれど()()変なのか、そこまでは判断する事が出来ない。

 

(なっ……)

 

 息がつまる。苦しくなる。訳が分からない。一体全体、何なんだ。

 

「魔理沙や華扇さんから聞いたよ。神霊騒動は陽動だって、霊夢は真っ先に気付いてたんでしょ?」

「……ええ。そうね……」

「もう、水臭いよ。それならそうと、ちゃんと説明してくれても良かったのに」

「……時間が、無かったのよ。それに、魔理沙にはそれとなく伝えてたでしょ」

「それは、そうだけど……。まぁでも、本当に合流できて良かったよ。ここを通りかかったの、本当に偶々だったし」

 

 上の空気味に、霊夢は受け答えを続ける。けれどそれでも尚、この不安感は膨張を続けている。

 ──鬱陶しい。

 無理矢理にでも会話を続ける事で、霊夢は不安感を払拭しようと試みる。

 

「……あんたこそ、何で一人なのよ。魔理沙達とは別行動なの?」

「……うん。ちょっと、色々あってね」

「何よ、色々って……。と言うか、あんたよく見たらボロボロじゃない。服も汚れてるし……。一旦白玉楼に戻って、お風呂入るなり着替えるなりして来た方がいいんじゃないの?」

「…………っ」

 

 白玉楼。

 その名前を聞いた途端、一瞬だけ妖夢の表情が曇ったような気がした。ほんの少しの間だけ俯きかけた妖夢だが、けれども直ぐに表情を戻して。

 

「……時間、ないんでしょ? だったら今は一刻も早く、青娥さんを見つけなくっちゃ」

 

 何事もなかったかのように、彼女はそう口にしている。何かを抑え込むかのように、彼女は笑顔を浮かべている。

 “何か”を思い出したくないから、彼女はその“何か”から必死になって目を背けようとしている。

 その一瞬を見逃す霊夢ではない。

 

「……何よ、それ」

 

 ──まただ。また、この感情だ。

 イライラする。ムカムカする。悶々とする。苛立ちが自制できなくなって、自分でも訳が分からないくらいにむしゃくしゃして。

 

「何なのよさっきから……。あんた、一体何を隠してるっていうの?」

 

 突っかからずにはいられない。

 否定せずには、いられない。

 

「な、何の事を言ってるの……? 私は別に、何も隠してなんて……」

「いい加減にしなさいよあんたッ!!」

 

 膨れ上がる感情は、怒号となって吐き出される。霊夢は声を張り上げて、妖夢を怒鳴りつけていた。

 自分でも少し驚いた。まさか声を張り上げずにはいられなくなってしまうなんて。

 けれどただそれだけで霊夢の気が収まる訳がない。それどころか、感情はますます膨れ上がってしまっている。

 

 胸の奥が締め付けられて、息苦しくなって。

 

「いつまでそんな事を続けるつもり!? そんな表情浮かべて、私が納得するとでも思ってんの!?」

「ちょ、ちょっと霊夢落ち着いて……。どうしちゃったの……?」

「とぼけんじゃないわよ! ああ、もうっ……! 一体全体、何なのよこれは……!」

 

 鬱陶しい。

 何なんだ、この感情は。訳が分からない。

 

「判ってんのよ……。あんたが、何かを隠している事くらい……。その所為であんたが、一人で勝手に苦しんでるって事くらい……。でも、あんたが()()抱えてんのか、そこまでは全然判んないのよ……!」

 

 そう、だからこそ。

 

「何があったのか説明しなさい! ちゃんと言葉にしてくれないと、判るものも判らなくなるじゃない!!」

 

 何となく、この苛立ちの原因が分かってきたような気がする。

 肝心な事は何も話さない。一人で勝手に苦悩して、一人で勝手に壊れてゆく。そんな魂魄妖夢の姿が、たまらなく気に食わないのだ。たまらなく納得できないのだ。

 ──いや。その表現だと語弊がある。多分霊夢は、妖夢の事が──。

 

「……今日の霊夢、やっぱり全然らしくないよ」

 

 消え入るような声。呟くように、魂魄妖夢は口にする。

 

「ひょっとして……私の事、心配してくれてるの……?」

「心、配……?」

 

 心配。その二文字が、不思議と霊夢の中で響く。

 すとんと、納得できたような気がした。

 

「……ええ。そうね」

 

 そうだ。多分、これは。

 

「……あんたの事が心配なのよ。だから私は、こんなにも苛立ってるんでしょうね」

 

 息を呑む妖夢の様子が見て取れた。

 霊夢のそんな言葉に対して、妖夢は何を思ったのだろうか。驚いたのだろうか。失望したのだろうか。少なくとも、歓喜のような類ではない事は確実だろうけれど。

 でもやっぱり、判らない。博麗霊夢では、今の妖夢が抱く感情を理解する事は出来ない。

 

「……そっか。そう、なんだ」

 

 ただ妖夢は、気味が悪いくらいにすっきりとした声調で言葉を発していて。

 

「あはは……何やってんだろ、私……。霊夢にまで、そんな……心配、かけちゃうなんて……」

 

 けれどそんな声調とは裏腹に。

 

「本当に……もう、私……」

「妖夢……」

 

 ぽろぽろと、妖夢の瞳から大粒の涙が零れ落ちている。彼女はそれを拭う事さえも忘れてしまっているようだった。

 泣いている。痛くて、苦しくて、辛くて、哀しくて。だから妖夢は、泣いている。止めどなく、涙を流し続けている。膨れ上がる激情を、抑え込む事が出来ずにいる。

 

 そんな妖夢の悲痛な表情を見ていると。

 こちらまで、無性に苦しくなってきてしまって。

 

「……ごめんね。霊夢」

 

 彼女は最後に、それだけを言い残す。

 霊夢の目の前で、妖夢は踵を返して飛び去って行ってしまう。そんな彼女を、霊夢は引き留める事が出来なかった。

 遠くなってゆく妖夢の背中。一瞬だけ手を伸ばしかける霊夢だったが、けれどそこまでだ。

 伸ばしたその手は空を掴み、喉まで溢れかけた言葉も結局呑み込んでしまう。何らかの行動に移るべきだと考えていたはずなのに、具体的に何をどうすれば良いのかが判らない。

 

 ああ。本当に、イライラする。

 何も出来ないという状況が、こんなにももどかしいものだったなんて。

 

「…………ッ」

 

 ギリッと、霊夢は思わず歯軋りをする。

 

「訳分かんないわよ……」

 

 そして彼女は、苦し紛れに言葉を絞り出す。

 

「一体、何をどうすれば正解だっていうのよ……!」

 

 日が沈み、夜空に星が瞬き始めた幻想郷。

 そんな暗闇の中で、霊夢はひとり苛立ちを募らせていた。


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