「…………ッ!?」
奥義『西行春風斬』。魂魄妖夢が最後に選んだスペルカード。神子の『星降る神霊廟』を潜り抜け、一気に肉薄した妖夢がそれを宣言した所までは良かった。
けれども。
けれどもこれは、何だ?
神子の弾幕を凌ぎ切り、最後のスペルカードを宣言して。妖夢が放った『西行春風斬』は確かに決まった。そう、決まったはずなのだ。
それなのに。
なのに。
「う、くっ……?」
左腕に走る鋭い痛み。ピリピリと伝わる痺れ。拳から力が抜けて、握られていた白楼剣を落としそうになってしまう。
べっとりと、纏わりつくような生暖かい感覚。視線を落とすと、鮮血が滲み始める上着の袖が目に入る。肩から肘の辺りにかけて確認できるのは、軽い裂傷のような傷。それはまさしく、刃物で割かれた傷跡その物で。
「妖夢さん!?」
ポタリと滴り落ちる血液。それを目の当たりにした早苗が、悲痛とも聞こえる声を上げる。そんな彼女へと向けて、妖夢は宥めるような口調で言葉を投げかけた。
「だ、大丈夫……。このくらい……」
痛みはあるが、傷は浅い。この程度なら、今後剣を使う上でも然したる問題はないだろう。
しかし解せない。あのタイミングで、しかもあの体勢。あの状況からでは、幾ら神子でも斬撃のカウンターなど放てるはずがない。幾ら彼女に実力があるにしても、七星剣一本だけでは防御だけで精一杯なはずだ。
にも関わらず、妖夢はこうして反撃を受けてしまっている。刃物で斬られたかのような裂傷を、こうして左腕に負ってしまっている。一体全体、どんな芸当を使われてしまったのか。
「なっ……!?」
けれど。その答えは、今一度神子の様子を確認すれば簡単に理解する事が出来てしまった。
妖夢へと背を向けている豊聡耳神子。そんな彼女の右手には、当然ながら七星剣が握られている。けれど、今の彼女はそれだけではなかったのだ。
左手。そこに確認できるのは、
二本。
彼女の両手には、それぞれ別の剣が握られていて──。
(に、二刀流……?)
まさか、そんな。彼女が振るうのは七星剣だけではなかったのか。現に今この瞬間まで彼女は七星剣のみを振るい続け、七星剣のみで妖夢の剣撃と渡り合ってきた。
それなのに、このタイミングでの二刀流。温存していたのか? いや、しかしタイミングならこれまでに幾らでもあったはずだろう。ギリギリまで出し惜しみをする事にメリットはあまりなかったように思える。
だとすれば──。
「…………っ」
そこでふらりと、神子の身体が揺れる。
『星降る神霊廟』を潜り抜けての奥義『西行春風斬』。二本目の剣を用いた反撃により傷を負てしまったものの、それでも妖夢渾身のスペルカードは確かに神子を捉えていた。
神子は妖夢のスペルカードを完全には防ぎ切れていなかった。奥義『西行春風斬』をまともに受け、そして体力が底を尽きて。意識が揺らいでしまった彼女は、そのまま大きくバランスを崩す。
「た、太子様ッ!?」
けれど布都の反応は早かった。
神子の様子を察するや否や、なりふり構わずといった勢いで彼女は神子のもとへと駆け寄る。布都が慌てて肩を支えると、神子は手放しかけた意識を何とか持ちこたえたようだ。頭を振るい、ぐったりとした面持ちで背を向けていた妖夢の方と振り返る。
「お見事です……。どうやら私の負け、みたいですね……」
あっさりと、彼女は自らの敗北を認める。その表情からは多少の悔しさを感じとる事は出来るものの、それより何より大きいのが充足感だ。
神子は今回の決闘の結果に対して悔いなど微塵も感じていない。彼女は何も迷う事なく、この結果を受け入れている。
「た、太子様……。大丈夫なのですか……?」
「ええ……。少し、疲れてしまっただけです」
心配する布都へと向けて、微笑つつも神子がそう声をかけている。そんなやり取りを横目に、妖夢は改めて視線を落とした。
自らの左腕。裂傷。血。未だにジンジンと響き続ける痛み。血で赤く染まる袖。
そして、豊聡耳神子。彼女が手に持つ、二本目の剣。
「あなたは……」
思わず、妖夢は口にする。
「あなたは、最後の最後に一撃を与えたじゃないですか。だったら、負けだなんて……」
「いいえ。私の、負けですよ」
しかしきっぱりと、神子は言い放つ。
「『星降る神霊廟』は私のラストスペルでした。正真正銘、私の全力を籠めたスペルカードです。けれど君は、そんな私の弾幕を防ぎ切った。それだけでなく、君は最後のスペルカードを成功させた」
神子は微笑む。満足そうに、納得して。
「君は私のラストスペルを攻略した。けれど私は、君のラストスペルを攻略し切る事は出来なかった。だからこの勝負は、君の勝ちです」
「神子さん……」
彼女は。豊聡耳神子というこの女性は、どこまでも潔かった。
下手な言い訳などしない。未練がましい事もなく、変に頑固な訳でもなく。どんな結果でも素直に受け入れ、明日の為の糧にする。前向きで、清廉潔白で──立派だ。
この人には。
この人には、敵わない。
確かに、この決闘には勝てたのかも知れないけれど。でも、それでも。
(この人は……)
彼女は、今の妖夢にはない何かを持っている。輝きを胸に抱き、常に前を見据え続けている。
それが、何と言うか──。ちょっぴり羨ましい。
「……それに」
そこで神子もまた、チラリと視線を下へと落とす。
自らの左手。そこに収められている、一本の剣を一瞥して。
「
「えっ……?」
自嘲気味に、神子は口にする。そんな彼女の様子を目の当たりにして、妖夢は思わず首を傾げてしまった。
この雰囲気、どうにも何かが引っかかる。神子が新たに取り出したあの剣は、七星剣とは根本的な何かが違うような気がする。七星剣と同様に、宝剣と称するべき程の業物である事は確かなのだが──。それでも、ただ単なる剣ではない事は確実だろう。
妖刀の類か? いや、それも違う。あの剣から感じ取る事の出来る
もっと別の何か。どうにも奇妙で、筆舌に尽くし難い
これは、一体──。
「あの、妖夢さん。本当に大丈夫なんですか……?」
考え込んでいると、いつの間にか近づいて来ていた早苗へと声をかけられる。思考を打ち切って視線を向けると、彼女は何やら不安気な表情を浮かべている。そんな早苗の視線の先は、妖夢の左腕。
「血、結構出ちゃってるみたいですけど……」
「う、うん……でも大丈夫。大した事ないから」
「……ちょっと見せて下さい」
「えっ? ……ッ」
早苗に袖を捲られる。途端にぴりぴりとした痛みが傷口に走り、妖夢は思わず顔を顰めてしまった。
慌てた様子で、早苗は顔を上げる。
「あっ、ご、ごめんなさい! 痛かった、ですよね……?」
「う、ううん。ちょっと染みただけだから……」
別に大した痛みじゃない。不意打ちだったが為に、ちょっぴり驚いてしまっただけだ。
申し訳なさげに、早苗は改めて視線を落とす。
「結構ばっさりいっちゃってますよね、これ……。応急処置だけでもした方が良いと思いますけど……」
「うーん……。でも、そうは言っても……」
「……応急処置、とな?」
薬類など持ち合わせていない。
そう口にしようとした妖夢だったが、それよりも先に割って入って口を挟んできた少女がいる。神子の肩を支えつつも、何やら自信気に声を上げたのは物部布都である。
彼女は得意気な表情を浮かべると、
「それなら我に任せるが良い!」
「……え? 布都さんに、ですか?」
妖夢が訊き返すと、やはり布都は自信満々な様子で大きく頷いてそれに答える。
──何だろう、この不安感。この感覚を強いて例えるならば、妖夢が普段からやり慣れている家事を慣れていない他の誰かに任せる時の感覚に似ている。下手をすれば、もっと酷い事になってしまいそうな──。
「……布都さん、応急処置なんて出来るんですか?」
「……む? 何を心配しているのだ? その程度の事など、我にかかれば朝飯前である!」
「あ、朝飯前って……」
ますます不安だ。その自信は一体どこから来るのだろうか。
「……ひょっとして、遠慮しているのですか?」
そんな中、今度は神子が口を挟んでくる。
人の好さそうな笑みを浮かべつつも、彼女は続けた。
「だとするのなら、その必要はありませんよ? 元はと言えば、私の方からお願いした決闘だった訳ですし……。それで負ってしまった怪我だというのなら、こちらが処置をするのが筋というものでしょう」
「そ、それは……」
ああ、神子の笑顔が眩しい。そんな表情を向けられてしまっては、無下になんか出来る訳がないじゃないか。
選択肢は潰された。
よもや覚悟を決めるしかあるまい。
「え、えっと……。分かり、ました……」
おずおずと、妖夢は布都へと向き直って。
「お、お願いします……」
「うむ! 任されたぞ!」
せめて。せめて、これ以上酷くなりませんように。
そんな儚き祈りを胸に、妖夢は布都の提案を受け入れるのだった。
*
それから数分後。
「これで良し、と。どうだ妖夢殿? まだ傷口は痛むか?」
「……え、ええっと」
夢殿大祀廟に設けられた門の先に広がっていた広大な空間。そんな空間の中央部分に、悠然と佇む中華風の建造物。その建物の一室へと通された妖夢は、物部布都による応急処置を受けていた。
結論から先に行ってしまえば、予想外である。
悪い意味ではない。本当に適切な処置など出来るのかだとか、もっと酷い事になるんじゃないかだとか。そんな心配事など儚く霧散する程に、布都の処置は到って常識的なものだった。
薬箱の中に常備されていた傷薬を塗布し、止血用の包帯を巻く。
手際も悪くない。血が滲むブラウスを脱いだ妖夢の傷口を確認し、こうしてテキパキと処置をしてしまった。あくまで応急処置という形なので流石に医者が行うような治療とは程遠いが、それでも十分過ぎるくらいである。
妖夢はぐるぐると肩を回し、傷口の具合を確認する。
「……少し、痛みます。でも血は既に止まりかけてますし、だいぶ楽になりました」
「ふむ、そうか。それは良かった」
ニッコリと、眩しい笑顔を布都は浮かべる。そんな彼女につられて、妖夢も思わずくすりと笑った。
何と言うか。物部布都というこの少女にも、色々と驚かされてばかりである。ちょっとばかり思い込みが激しい所があって、その上変な所で頑固で。けれど決して、憎めない。彼女と話していると、自然と元気が貰えるような──。そんな少女。
今回の異変、つくづく異例続きである。色々な意味で、らしくない。
「でも、驚きました。布都さん、応急処置くらいならできるんですね……」
「ふふーん、そうであろう? 我はこう見えて意外と器用なのである!」
そして相変わらずのドヤ顔である。自分でそんな事を言っちゃう辺り、最早清々しさすらも覚えてしまうというか何というか。確かに器用なのは強ち間違っていないのかも知れないが、普段の一挙手一投足の所為で誤解されがちになってしまうのが残念な所である。
中々に不憫な少女だ。妖夢は思わずドヤ顔を浮かべる布都の頭を撫でた。
「わっ……! い、いきなり何をするのだ……?」
「いえ、その……何と言うか、これからも頑張って下さいね。私、応援してますから」
「う、うむ……? 何だかよく分からぬが、取り合えず承知した!」
布都は何を言われているのかいまいち分かっていない様子。いや、今はそれで良い。純粋無垢で健気な彼女は、是非これからもその意思を継続して欲しい所だ。
閑話休題。
布都からの応急処置を終えた妖夢は、改めて着ていたブラウスへと袖を通す。そんな一連の動作を眺めていた神子が、不意に口を挟んできた。
「その服で良いんですか? だいぶ汚れてしまっているようだが……」
「まぁ、そうですね……。でも下着姿でいるよりマシですので」
確かに血やら煤やらでだいぶ汚れてしまっているので些か気持ちが悪いが、それも致し方ないだろう。白玉楼に戻った後に、風呂でも入って着替えれば良い。今は我慢だ。
「ごめんなさい。あの時私がムキにならなければ、君は余計な傷を負わずに済んだものを……」
「い、いえ、謝らないでください。スペルカードルールとはいえ、怪我をする時はするんですから……」
魅せる事に特化した決闘方式とはいえ、被弾すれば普通に痛いし怪我だってする。要求を受け入れる方だって、それを承知の上で決闘に臨んでいるのである。
だから謝罪なんて必要ない。この怪我だって、どちらかと言えば妖夢の未熟が招いた結果なのだ。妖夢は神子の所為だなんて思ってないし、彼女に対して憤りを感じている訳でもない。寧ろ感謝しているくらいだ。
「神子さんとの決闘は、私にとっても良い経験となりました。だから良いんです」
「……私の方こそ、君にお礼が言いたい。君のお陰で、私もようやく能力を定着させる事が出来ました。程なくすれば、神霊達は落ち着きを取り戻す事でしょう」
「そう言えば、神霊達の数が減ってるような気がしますねぇ……」
早苗を言葉を聞き、妖夢は改めて思い出す。
確かに、先程と比べると神霊達はその数をだいぶ減らしてきているように思える。神子が自らの霊力に栓をして、漏れ出す事を防いでいるのだろう。妖夢との決闘を経て、彼女はようやくそこまでコントロールする事が出来るようになったのである。
つまるところ、妖夢達の目的は達成された訳だ。これで神霊騒動は、一旦の収束に向かう事になるであろう。
(でも……)
そう。
まだまだ解せない要素が幾つか残されている。
中でも最も気になる問題は、夢殿大祀廟を番人の如く守っていたあのキョンシー。そして、彼女の主人と思われる人物の存在。
「あの、神子さん。ひとつ、あなたに聞きたい事が……」
「……いや、その前に」
しかし妖夢の質問は、当の本人である神子に遮られてしまう。
妖夢を制した神子は、何やら思案顔を浮かべつつも視線を逸らす。彼女が見据えるのは、部屋の出入り口でもある襖。そこで彼女は、嘆息すると。
「どうやら、戻って来たようですね」
「……戻って来た?」
何の事だろう。
しかしオウム返しした妖夢が神子へと訊き直すよりも先に、部屋の襖が乱暴に開け放たれた。
がらんっと、襖が歪みそうな程に大きな音。息を切らして、汗を拭う事さえも忘れて。鬼気迫る表情で部屋へと飛び込んできたのは、妖夢にも見覚えがある人物。
「た、太子様ッ!!」
薄緑色のボブヘア。頭に被る黒い烏帽子。深藍色のワンピースタイプの衣服。そして霊体化してしまっている下半身。
「あなたは……」
霧雨魔理沙と交戦していたはずの少女。ボロボロになりながらも飛び込んできた彼女──蘇我屠自古は、酷く狼狽した様子だった。
「なっ……!?」
キョロキョロと部屋の様子を確認した後、彼女は息を呑む。まるで状況が呑み込めぬとでも言いたげな面持ちだが、それでも彼女が見据えるのは一点──否、二点。
魂魄妖夢と、東風谷早苗。二人の少女の姿を目の当たりにした蘇我屠自古は、動揺と驚愕を隠し切れぬ様子で大きく身を乗り出して。
「何だよ、これはッ……!」
「……屠自古。予め釘を刺しておきましょう」
けれど再び屠自古の暴走が始まるよりも先に、神子の一声によって彼女の動きは制される。吐き出しかけた言葉を呑み込んで、一歩身を引いて。そして屠自古は、反射的に神子へと視線を向ける。
「……妖夢も早苗も、私達に危害を加えるような人物ではありません。だから君はこれ以上、無理に戦う必要はない」
「太子、様……?」
未だ状況を呑み込む事が出来ずにいる屠自古。そして対照的に、至極落ち着いた様子の神子。けれど屠自古はますます混乱を募らせて、頬に冷や汗を滴らせて。再び身を乗り出して、彼女は言葉を発する。
「そんな……! だって、
しかしそこまで口にした所で、屠自古の声色から自信が消える。
さっきまで頭に血が昇った様子で、今にも飛び掛かってきそうな凄みを発していたのに。不意に、何かを思い出したのだろうか。彼女の語尾は徐々に小さくなる。
「
気に食わない。癇に障る。
そんな雰囲気をひしひしと醸し出しながらも、蘇我屠自古は視線を逸らす。
「
「……白黒?」
妖夢は一瞬首を傾げるが、すぐにピンときた。
霧雨魔理沙。恐らく、彼女の事であろう。魔理沙はギリギリまで屠自古と交戦を続け、こうして時間を作ってくれた。そして神霊達の様子が落ち着いて来たのを確認して、彼女は妖夢達の成功を確信したのだろう。故に屠自古を解放し、こうして神子達のもとへと向かわせた。
妖夢達は、お前の主に危害を加えたりなんかしない。おそらく、そんな一言を伝えた上で──。
(魔理沙……)
彼女は損な役回りを買って出てくれた。彼女のお陰で、妖夢はこうして騒動の解決まで漕ぎ着ける事が出来たのだ。
──今日は彼女に負担をかけてばかりだ。後で改めて礼をしなければなるまい。
「ようやく帰って来たか屠自古よ。まったく、おぬしはどこで油を売っておったのだ?」
「……うるせぇ。お前には関係ねーだろ」
「なっ……!? おぬしというヤツは……! 関係あるに決まっているだろう!? そもそも我らは……!」
「ちょ、ちょっと……! 開口一番に喧嘩は止めて下さい……!」
いきなり険悪なムードが漂い始め、慌てた早苗が割って入って二人を仲介する。仲が悪いのか、それとも今日がたまたまこんな感じだったのか。それについては定かではないが、けれども一つはっきりしている事がある。
蘇我屠自古というこの少女もまた、布都と同様に神子を尊敬している。神子の為に、自分が出来る事を全うしようとしている。
彼女は神子を信じている。何か神子の力になりたいと、彼女は求め続けている。
だからこそ、訊かなければならない。
「……屠自古さん。どうしてあなたがあそこまでムキになって私達の前に立ち塞がったのか、少し分かったような気がします。あなたは偏に、神子さんを助けたかっただけなんですよね?」
「……はっ。だったら何だよ?」
「いえ……別にあなたのそんな思いを侮辱する気など微塵もありません。しかし、一つ教えてくれませんか?」
そこで妖夢は、ようやく大きな一歩を踏み出す。
先程までは、とても話を聞けるような状態ではないかった。けれど、今は違う。今の蘇我屠自古なら、妖夢の言葉にだって耳を傾けてくれるはずだ。
これは、妖夢にとっても重要な問答だ。今回のこの神霊騒動だけじゃない。ひょっとしたら、二年前のあの出来事にも繋がる可能性がある手掛かり。
「あなたは言っていました。アイツの言った通りになった、と。そしてあなたは、あの時の霊夢の問いかけを否定はしなかった」
「…………っ」
「……教えて下さい、屠自古さん」
口を閉ざしたままの屠自古。けれどそれでも構わずに、妖夢は続ける。
真実へと、辿り着く為に。
「青娥さんは、どこにいるんですか?」
「……ふんっ」
屠自古は鼻を鳴らす。つまらなさそうな様子で。辟易とした様子で。そしてバツが悪そうに視線を逸らし、彼女は口を開く。
「……知らねぇ」
「……えっ?」
「だから、知らねぇって言ってんだよ。今日、この時間に太子様に危害を加えようとする奴が現れる。アイツはそれだけを言い残して、私達の前から姿を消したんだ」
「姿を、消した……?」
やんわりと、けれども鋭い悪寒が妖夢の背筋を駆け抜ける。屠自古の言葉を聞いて彼女が真っ先に覚えたのは、嫌な予感だった。
具体的な根拠がある訳ではない。霍青娥という女性に関しては妖夢だって数える程度しか会った事はなく、しかもその本性には一端すらも触れていない。彼女がどういった人物で、そして何を考えているのか。それは皆目見当もつかないのだけれども。
(いや……)
皆目見当もつかないからこそ、自分はこんな予感を覚えているのだろうか。
八十年後の未来の世界で、『先生』として外の世界に潜伏していた謎多き女性。果たしてこの時代における彼女は、一体何が目的で屠自古を唆したのだろうか。
「……やはり、君は青娥の事を知っているのですね」
そんな中、神子が口を挟んでくる。けれど彼女が浮かべるのは、屠自古と違って穏やかな表情だ。
まるで、昔を懐かしむかのように──。
「そういう神子さんも、青娥さんとは顔見知りみたいですね」
「ええ。彼女とは、もう古い付き合いとなります。なにせ……」
そこで神子は、一呼吸置く。
そんな彼女が浮かべる表情は、今まで妖夢達に見せて来たどの表情とも違う。布都や屠自古に向けるような、安心した表情とも違う。
そう。それは、まるで。
何かを悟っているかのような──そんな表情。
「……なにせ、私に道教を勧めてくれた人物とは……他でもない、青娥なのですから」
「えっ……!?」
妖夢の脳裏に、衝撃が走る。それは妖夢の傍らで話を早苗も同様だったらしく、彼女もまた瞠目して言葉を失っている様子だった。
豊聡耳神子。為政者として国を導く立場に居る一方で、自らの葛藤を解決する為に道教へと身を染めてしまった人物。不老不死の禁忌へと手を出したが故に、為政者としての志半ばに人を完全に捨てる事になってしまった聖人。そんな彼女へと道教を勧めた人物こそ、他でもない霍青娥なのだという。
それが事実なら何という因果なのだろう。青娥という存在が、神子の運命を大きく変えた。青娥が神子と接触したからこそ、聖徳王は尸解仙として現代に蘇る事となったのだ。
霍青娥。彼女の真の目的が、ますます分からなくなってくる。
なぜ彼女は、神子に道教を勧めたのか。どうして彼女は、神子を導こうなどと思い立ったのか。それで一体、彼女に何のメリットがある?
そして、何より。
霍青娥という人物は今、どこで何をしているのだろう。この時代における彼女は、一体何が目的で行動しているのだろう。
まさか、とは思うが──。その真の目的が、千年以上も前から変わっていないのだとすれば。
それは最早──。
「……聞いても、いいですか?」
おずおずと、妖夢は神子へと訊ねる。
知りたかった。霍青娥という人物の事を。そして、辿り着きたかった。二年前の事件──その真実へと。
「青娥の事、ですよね?」
「……はい」
「…………っ」
神子は一瞬、迷ったような表情を浮かべる。
当然だろう。この場に居ない誰かの事を勝手に話してしまうなど、躊躇いを覚えても不思議ではない行為だ。ましてや相手が親しい人物であるのなら尚更である。
だけれども、それでも豊聡耳神子は。
「……いいでしょう」
意を決した様子で、承諾してくれた。
思い出を噛み締めるかのように彼女は目を閉じると、ゆっくりと深呼吸をする。漂う静寂。郷愁にも似た雰囲気。懐かしさと、そしてどこか哀しさを含んだ面持ちで、神子はおもむろに目を開ける。
「霍青娥。彼女は……」
そして豊聡耳神子は、語り出す。
ここにはいない、もう一人。邪仙とも称される、得体の知れない彼女の事を──。
「青娥は……。救済を求めている」
*
この人は、危険だ。
胸の中で煩いくらいに警鐘が鳴り響いている。焦燥感が煽られて、自然と動悸が激しくなって。この底知れぬ不安感と、そして体力の消耗。ここまで激しく息を切らす事になったのは、いつ以来だろうか。
無意識の内に息を呑む。気が付くと背筋に悪寒が走っている。徒に体力を消耗し、長引けば長引くほど着実に追い込まれていく。精神的にも、肉体的にも。
この人は。
「うふふ……。良い、良いですよ。中々やるじゃないですか」
この人は、一体──。
「でも残念。もう一歩、届きませんね」
──何なんだ。
「貴方の実力は、本当にこの程度なの? ねぇ、茨華仙さん?」
「…………ッ」
どす黒い霊力の塊をぶつけられる。けれど華扇は既の所で身を翻し、何とかそれを回避した。
後退しつつも、反撃だと言わんばかりに霊弾をお見舞いするが、それも容易く弾かれてしまう。未だ余裕綽々な薄ら笑いを浮かべる彼女とは対照的に、華扇の表情には殆ど余裕が残されていなかった。
生暖かい嫌な汗が、華扇の頬を撫でる。
あまりにも想定外。今回の異変に対してそこはかとなく違和感を覚えていた華扇だったが、まさかこれ程までの奴が出てくるなんて。
強大で凶悪な力。けれどそんな実力以上に、彼女の内情に対して華扇は気味の悪さを覚えていた。
歪な霊力。彼女が持つ物々しくも禍々しいこの霊力は、邪な道に堕ちた者が持つそれと同種のものだ。
この女性は仙人ではない。人としても、仙人としても道を踏み外した存在。邪仙、とも称される異端者とみて間違いない。
だけれども。
これ程までに禍々しい霊力を有しているのにも関わらず、彼女からは“悪意”と呼ばれるものが殆ど感じられない。邪な道に堕ちてしまっているのにも関わらず、彼女はそれを道徳に反した悪であると認識していないのだ。
無自覚。
それはまるで、幼い子供が持つ純心のようなもの。
彼女はただ純粋に、目的達成の為に邪仙としての道を歩み続けている。
そこに悪への自覚は、一切介入していない。
「……竿打。大丈夫?」
傍らでホバリングを続ける大鷲へと向けて、華扇はそう問いかける。華扇と共にあの女性と戦い続けてくれていた竿打だったが、流石の彼もそろそろ体力の限界が訪れる頃合いだ。
幾ら若い大鷲とは言え、あのどす黒い霊力を受け続けるのは精神的にもキツイだろう。現に竿打の様子は目に見えて分かる程に憔悴してしまっているが、それでも彼は「問題ない」と言わんばかりに力強く頷いてくれた。
まったく。こういう時に関しては、彼は本当に心強い。これで普段からもっとシャキッとしてくれれば文句はないのだが──。
「おやおや、本当に大丈夫? そちらの大鷲さん、随分と辛そうですけど」
女性がそんな言葉を投げかけてくる。竿打から視線を外し、華扇は再び彼女へと向き直った。
相も変わらず、こちらを煽っているかのような口調。それでも華扇は、毅然とした表情で言葉を投げ返す。
「ご心配なく。この子はそこまでヤワな大鷲ではありませんから」
「あらあら、随分と厚い信頼を寄せているんですね。感服いたします」
何が感服だ。慇懃無礼も甚だしい。
「貴方は一体、何なんです? 一体何が目的で、こんな……」
「目的? 私の目的ですか? そうねぇ……」
問いかけると、女性は大袈裟に何かを考えるような素振りを見せる。
程なくして、彼女は再び視線を戻すと。
「強い“力”を求める事、ですかね」
「……強い、力……?」
「そう、“力”です。私はただ、“力”を求めているだけなのよ。別にこの幻想郷をどうこうしようだとか、貴方を甚振って悦に入ろうだとか、そんな事は考えていない。寧ろどうでもいい。私はただ、個人的な目的を達成できればそれで満足なのです」
訳が分からない。一体彼女は、何の事を言っている?
何か意味があるのか? それとも煙に巻こうとして適当な事を言っているのだけなのか?
判らない。彼女の真意を、まるで掴む事が出来ない。
「どうにも解せませんね……。そこまで禍々しい霊力を行使しているのにも関わらず、貴方は悪意を持って行動している訳ではない。邪な道に堕ちている事を自覚しているのにも関わらず、貴方はそれでも正当性を抱き続けている」
頬を滴る汗を拭いながらも、華扇は続ける。
「貴方の価値観は破綻しています。矛盾もいいところですよ」
「……矛盾。矛盾、ねぇ」
やれやれとでも言わんばかりに、女性は肩を窄める。滑稽だとでも言わんばかりに、彼女はくすくすと笑う。
何だ、この反応は。彼女は一体、何を思って──。
「……何が可笑しいのですか?」
「いえ、大した事じゃないわ。ただ、まさか貴方の口から矛盾などという言葉が出てくるとは思わなかったので」
そして彼女は、口にする。
「貴方は私を邪仙だと称しました。ええ、それは間違っていないでしょう。現に天はこの私を仙人とは認めませんでしたからね。俗世を捨てて超人的な力を得る事が出来たのにも関わらず、私は結局仙道からも外れる事となりました」
まるで、全てを見透かしているかのように。
「仙人とは、いわば超人的な能力を得た人間の事です。気が遠くなる程の修行を経て、道教の高みまで上り詰め、そして様々な仙術を身につけて。不老不死の肉体を得た、妖怪にも匹敵する力を持った
そこで女性の目線が鋭くなる。華扇を見下すような形で、彼女は続けた。
「そう、私達は元々人間なのですよ。妖怪や妖獣等といった魑魅魍魎と比べると、あまりにも無力で脆弱な生物。それ故に力に惹かれ、そして力を求める強欲な存在」
「……戯言は沢山です。結局貴方は、何が言いたいのです?」
「あら? 分かりませんか? それとも単に誤魔化しているだけなのかしら?」
女性は首を傾げる。そんな彼女の一連の行為を前にして、華扇は底知れぬ不安感を覚えていた。
彼女は。この女性は──。
「それでは、単刀直入にお聞きしましょう」
女性はおもむろに腕を上げる。そしてその人差し指で華扇を示すと。
彼女は、訊ねた。
「貴方はそもそも、
「えっ……?」
華扇は思わず息を呑んだ。
何だ。何なんだ、その問いかけは。
まるで華扇の正体を知っているかのような口振り。まるで華扇の真意を、既に見抜いてしまっているかのような態度。
「あぁ……。
彼女はただ一方的に、つらつらと言葉を並べ続ける。
「破綻だとか、矛盾だとか。随分と偉そうな御託を並べてましたけど」
冷酷な視線。それが華扇を貫いている。
非情な言葉。それが華扇へと襲い掛かる。
「貴方にだけは言われたくないわ。ねぇ、片腕有角の似非仙人さん?」
「…………ッ!?」
息をするのも忘れそうになる程の衝撃が、華扇の中を走り抜けた。
目を見開く。瞳が揺れる。頭の中がぐちゃぐちゃになって、言葉が喉の奥に詰まって。愕然とする事しか出来なくなり、華扇は大きく身を引いてしまう。
これは恐怖か、それとも狼狽か。一体何を突き付けられて、自分はどんな状況に陥ってしまっているのか。それすらも、分からなくなってきてしまって。
「うふ……」
そんな華扇の様子を見て、女性は笑う。
「随分と露骨な反応ねぇ。まさか私が何も知らないとでも思っていたのかしら?」
「あ、貴方、は……」
それでも華扇は、混乱の渦に飲み込まれながらも何とか言葉を引き摺り出す。
動揺は隠し切れない。それでもこの人のペースに呑まれてはいけない。無理矢理にでも平常心を取り戻し、冷静な心持ちを保たなければならない。
それが出来なければ──。華扇は、負ける。
「貴方は……どこまで、知っているのですか……?」
「さぁて、どこまででしょうね?」
相も変わらず、女性はくすくすと笑っている。動揺が膨れ上がる華扇とは対照的に、彼女はこの状況を楽しむ余裕すら持ち合わせている。
翻弄されている。
華扇は既に、彼女のペースに呑まれてしまっている。
「まぁ、そうですね……。一つ貴方に言いたい事があるとすれば」
女性は微笑む。
あまりにも胡散臭い笑みを、彼女は浮かべる。
「ねぇ、茨華仙さん。同じ異端者同士、仲良くしましょう?」
「…………っ」
ぎゅっと、華扇は思わず下唇を噛み締める。この状況に対して、華扇はふつふつと憤りを覚え始めていた。
情けない。普段から霊夢に対して偉そうな説教を垂れている癖に、結局はこの体たらくなのか? ペースに呑まれて、翻弄されて。そしてここまで追い詰められてしまっている。我ながら無様なものだ。
「あらあら、随分と怖い表情になってますよ。そんなにも癪に障りましたか?」
「……そうですね」
この憤りは、目の前にいる女性に対するものではない。自らに対する、苛立ちだ。
(このままでは……)
そう、このままではどっちみちジリ貧だ。
何とかこの状況を打開しなければならない。けれど、どうやって? 完全に翻弄されてしまっている今の自分では、有効な策を講じるのは難しい。このままあの女性に食らいついたとしても、自分も竿打も無駄に体力を消耗するだけだ。他のペットの力を借りるという手もあるが、それだって有効打になる保証はない。
やはり、どう考えても袋小路に追い詰められてしまっているように思える。
このままでは、本当に──。
「さて、と。良い時間ですし、そろそろ終わりにしましょうか。私も暇ではないですので」
「くっ……」
思考を休まず動かし続ける。けれど何度シミュレートしても、結局は悪い結果に収束してしまう。ここでどんな策を講じた所で、この女性には届かない。
打つ手なし。万事休す、なのだろうか。
そんな言葉が、華扇の脳裏を一瞬だけ横切ってゆく──。
──その次の瞬間の事だった。
「霊符ッ!」
突如として響き渡る第三者の声。空気を通じてピリピリと伝わってくる霊力。反射的に華扇が顔を上げた直後、
光だ。鮮やかで煌びやかな、強大な光。それはグングンと膨れ上がり、神社の境内を眩く照らして。そして気付いた頃には、
「『夢想封印』!!」
「ッ!」
形成された弾幕が、一気に発射された。
標的は華扇と向かい合っていた女性。全くの死角、そして殆ど不意打ちに近いタイミングで攻撃だったが、けれど女性の反応は早かった。身を翻しつつも霊力を放出し、瞬時に弾幕を形成。それらを攻撃にぶつける事で、既の所で相殺したのである。
炸裂音が鳴り響き、霊力の粒子が周囲に舞い散る。華扇にとっても全くの予想外の展開だったが、けれど闖入者の正体に彼女は心当たりがあった。
あの声。そしてこの弾幕。この特徴に合致するのは、彼女しかない。
風圧から腕で顔を守りながらも、華扇は目を凝らして視線を向ける。神社の鳥居。丁度その真下辺りに確認できるのは、一人の少女の姿。
「……まったく。嫌な予感がして戻って来てみれば」
嘆息混じりに、彼女は歩み寄ってくる。
艶のある黒い髪。その頭につけるのは赤いリボン。そして赤と白を基調とした巫女服。言わずとも知れた、博麗神社の巫女である少女。
お祓い棒を肩で担ぎ、余った片手を腰に添えたその少女は、やれやれとでも言いたげな表情を浮かべていて。
「なに人の神社で勝手にやりあってんのよ」
博麗霊夢。
異変解決に向かっていたはずの博麗の巫女は、酷くご立腹な様子だった。
「霊夢……!?」
華扇は思わず彼女の名前を口にする。
まさか、そんな。だって霊夢は、神霊騒動を解決する為に人里へと出向いていたはずだ。それは華扇だって確認している。故にこのタイミングで、神社へと戻ってくるなんて有り得ないはずだ。──異変解決を途中でほっぽらかしにでもしない限り。
「い、いや、まさか……」
──まさか、投げ出したのだろうか。
彼女は嫌な予感がしたから戻って来たと言っていた。という事は、神霊騒動の解決よりもこちらを優先したという事に他ならない。
霊夢の勘は怖いくらいによく当たる。彼女がこちらを優先したという事は、それはつまり──。
「おやおや……。これはこれは、博麗の巫女さんではありませんか」
びゅうっと、一際強い風が吹く。霊力の粒子が振り払われ、『夢想封印』を防いだ女性がけろりとした面持ちで博麗霊夢へと向き直った。
今の一撃により、彼女が着ていた厚着のフードは風で飛ばされてしまっている。女性の素顔が、そこでようやく華扇の前にも晒される事となった。
群青色の髪。群青色の瞳。少女のようなあどけなさを残しつつも、同時にどこか妖艶な雰囲気も併せ持っているかのような容貌。
彼女は尚も、にこやかな笑顔を浮かべている。あまりにも胡散臭く、そしてあまりにも信用できない虚妄の笑みであるが。
「成る程ねぇ……」
何かに気が付いたかの様子で、霊夢は眉を寄せる。
女性の胡散臭い笑みなど、気にも留めない様子で。彼女はお祓い棒を突き出して、そして一つの問いを投げかけた。
「あんたが霍青娥ってヤツ?」
「あら……?」
霊夢の口から、不意にそんな名前が飛び出す。
霍青娥。華扇には聞き覚えのない名前。けれど目の前にいるこの女性は、明らかにその名に対して反応を見せていた。
それはどこか意外そうな表情。まるで意表を突かれたかのような表情を、彼女は浮かべていて。
「知っているのですか? 私の名前を……」
「その反応……ビンゴって訳ね。まったく、やっと見つけたわ。探してたのよねぇ……あんたの事」
「おやおや……」
そこで再び、彼女の表情に笑顔が戻る。そして実に愉快適悦な様子で、彼女は声を上げた。
「これはちょっぴり予想外。けれど悪くない展開ね。その名前……豊郷耳様か、それとも布都さんから聞いたのですか?」
「あん? 誰よそれ? 知らない名前ね」
「……ふふっ、まぁ良いでしょう。貴方の言う通りですよ、博麗霊夢さん。私の名前は霍青娥。よろしくお願いしますね」
女性──霍青娥が自ら名乗ると、霊夢はつまらなさそうに鼻を鳴らす。その様は、楽し気な様子の青娥とはまさに対照的である。
霊夢は普段から大体こんな感じだが、それにしても今日はいつも以上にぶっきら棒であるような気がする。単に苛立っているのか、それともまた妙な勘を感じ取っているのか。いずれにせよ、穏便な雰囲気ではない。
「で? もうメンド―だから単刀直入に聞いちゃうけど……。あんた、なに?」
「あらあら、うふふ……。それでは単刀直入どころか、大雑把が過ぎて意味が分かりませんよ?」
「無駄話なら間に合ってるわ。あんた、見るからに何か企んでますって感じじゃない。それに、この境内を覆う程の気味の悪い霊力……。はっきり言って普通じゃない」
鬱陶しそうに周囲を見渡した後、霊夢は続ける。
「神霊騒動は陽動でしょ? だから本当の目的は何だって聞いてんのよ」
「ほう……?」
霍青娥は、本気で関心したかのような表情を浮かべている。霊夢の言葉に意表を突かれながらも、それと同時に愉悦のようなものを感じているようにも思える。
まるで──そう。
この程度なら
「成る程、成る程。いやはや、まさか貴方の勘がこれ程までとは思いませんでした。流石は博麗の巫女、とった所かしら?」
「ふん。大体、露骨すぎんのよね。特にあのキョンシー。ここから先を調べてくれって言ってるようなもんじゃない」
「あらら……そこまでですか? あの子はあまり器用じゃないから、ちょっぴり無理させちゃったかしら……?」
誰かを案じるような素振りを見せる青娥。霊夢のいうキョンシーとやらが誰を示しているのかは分からないが、反応から察するにこの女性の使い魔か何かだろうか。
何かを考え込んでいた様子の青娥だったが、程なくして霊夢へと視線を戻す。仕方がないと言いたげな面持ちで、彼女は肩を窄めると。
「まぁ、今日はこの辺で手を引いておけって事かしらね。本当は貴方の実力も、もっと良く見ておきたかったのですけど……。残念です」
「……はぁ? 何? 逃げる気?」
「……ええ。その通りです」
すると彼女は、自らの髪に添えられたかんざしへと手を伸ばす。そしておもむろにするりとそれを髪から引き抜きつつも、
「ここで貴方と戦っても、私にはデメリットの方が大きそうなので」
「逃がすと思う? 質問には答えて貰うわよ」
当然ながら、霊夢が青娥の狼藉を許す訳がない。懐から数枚の御札を取り出して、彼女は臨戦状態となった。
対する青娥は、かんざしを弄ぶだけで特に何かを仕掛けるような気配はない。それが却って、不気味である。
そんな様子を目の当たりにして、透かさず華扇も声を上げた。
「……霊夢の言う通りです。私だって、みすみす貴方を逃がすつもりはありません」
「ふふっ。貴方も大概、諦めが悪い。そういうの、いい加減止めたらどうです?」
「それはこちらの台詞です。大体、この状況で逃げ果せるとでも思っているのですか? 私と霊夢に挟み込まれて、貴方の退路は断たれている。今が不利な状況であると、貴方にその自覚はありますか?」
「あらあら、怖い怖い。……まぁ、でも」
そこで青娥は、口角を吊り上げる。
それは不気味な笑み。今まで幾度となく向けられてきた、胡散臭くて信用ならない笑顔である。このような状況に立たされても尚、彼女は笑顔を崩さない。自らの現状を理解した上で、彼女は余裕綽々な態度を未だに続けている。
それが意味する事は、即ち。
「算段は、既に組み立てているんですけどね」
「なに……?」
するりと、彼女の手から何かが滑り落ちる。
それはつい先程まで、彼女が弄んでいたかんざし──否、あれは鑿だ。かんざし代わりに彼女の髪に挿されていたのは、一本の鑿だったのだ。
重力に引っ張られて、鑿は落ちる。一定の加速度で、鑿は地面へと吸い込まれてゆく。
──嫌な、予感がした。
けれどそのタイミングでは、あまりにも遅すぎた。
「さようなら、お二人さん。またどこかでお会いしましょう」
青娥の不意の発言に、華扇と霊夢は言葉の処理に一種だけ遅れてしまう。
その、次の事だった。
「なっ……!?」
「ッ!!」
思わず驚愕の声を上げる霊夢。息を呑む華扇。
青娥の手からするりと滑り落ちた鑿。それが大地へと触れた瞬間、そこにぽっかりと巨大な穴が
穴に吸い込まれてゆく鑿。同じくその穴へとゆっくり降下してゆく青娥。彼女の言う算段とは、あの鑿の事だったのだと。気づいた頃にはもう遅い。
「待ちなさい!」
声を張り上げて華扇は手を伸ばすが、それも青娥には届かない。
鑿によって開けられた大穴は、青娥を呑み込むとそのまま閉口。まるで穴なんて開いていなかったかのように、瞬時に元通りになってしまったのである。
青娥が最後に浮かべていたしたり顔が、残光のように脳裏に残る。伸ばしたその手は虚しく空を掴むだけで、何も得る事は出来なかった。
華扇は思わず顔を顰める。
「くっ……!」
こんな中途半端な終わり方、あってなるものか。これではこちらが一方的に翻弄されただけじゃないか。このままあの邪仙の思うツボなんて──。
「あっ……」
しかし一歩足を踏み出した途端、華扇は急激な目眩に襲われる。
思ったより体力を消耗していたのか、それとも精神を擦り減らし過ぎたか。いずれにせよ、このままではバランスが取れずに──。
「ちょっとあんた、大丈夫?」
──倒れそうになった矢先、華扇は身体を支えられる。既の所で踏みとどまった華扇の視線に入って来たのは、紅と白の巫女服だった。
顔を上げると、華扇の表情を窺っていた霊夢と視線がぶつかる。
「まさかあんたがここまで手酷くやられるとはね。やっぱりアイツ、相当ヤバいヤツなのかしら?」
「霊夢……?」
霊夢の表情は幾分か柔らかいものだ。少なくとも、青娥に向けていたそれとは違う。
華扇は思わず視線を泳がせて、周囲の様子を窺ってみる。やはり先程の大穴は綺麗さっぱりなくなっており、痕跡すらも全く残されていない。つまり霍青娥というあの女性の足取りは途切れてしまったという事であり、華扇達はあの状況から青娥の逃亡を許してしまったという事になる。
にも関わらず、霊夢は青娥の追跡よりも華扇の介抱を選んだ。
それがちょっぴり、意外だった。
「……なに? 何なのよ、その表情」
「い、いえ……。霊夢、私なんかに構っている場合ではないでしょう? 貴方は早く、霍青娥の追跡を……」
「……何カッコつけてんのよ。そんなフラフラな状態で指図されても、全く従ってやる気にならないわ。せめてもっとシャキッとしてから言いなさいよね」
すると霊夢は、華扇の腕を自らの肩に回す。華扇の体重を支えるような形で、彼女は神社の本殿へと歩き出すと、
「ま、取り合えずあんたは
「霊夢、貴方……」
口調自体は相も変わらずぶっきら棒なものだ。けれど霊夢が取った行動は、幾分か人情味が感じられるものである。
博麗霊夢は誰に対しても等しく興味を抱かない。けれど全くの無関心という訳でもない。
彼女は意外と、優し気な一面も持っている。
中々どうして、素直じゃないのだけれども。
「まったく、手がかかるわね……」
「え? 何? 何か言った?」
「何でもありませんよ」
半ば霊夢に引き摺られるような形で、華扇は歩く。
残された不穏による不安感は、彼女の胸中に重くのしかかってしまっているのだけれども。それでも華扇には、一時の休息が必要だった。
「ほら、あんたもついて来なさい。えーっと……鷲! そう、鷲!」
「霊夢……。その子には竿打というれっきとした名前が……」
「ああ、もうっ……覚えにくいのよ! しかもあんたの鷲って二匹いるじゃない? だからもうどっちがどっちだか……」
「いや若い方が竿打、ですよ! 一目瞭然でしょう……!」
「動物にはキョーミないのよねぇ……。皆同じ顔に見えるわ……」
──不穏の種は、残されている。
『異変』はまだ、終わっていない。