『あなたのその剣……相当鍛え上げているようですね。かなりの業物であるとお見受けします』
そう。
あの時は、頭に血が昇っていた。
怒り狂っていた訳じゃない。仕草は到って冷静で、自分でもびっくりするくらいに落ち着いていて。けれどそれでも、胸中には怒りの念がじわじわと湧き上がっていた。
進一を誘拐した張本人。その一人である、三度笠の女性剣士。そんな人物を前にしても尚、何も感じない訳がない。
故に妖夢は剣を抜いた。あちらが戦う意思を見せているのならば、こちらだって容赦はしない。
『けれど、私の剣だって負けません』
そう。
あの時は、彼女の正体なんて皆目見当もついていなかった。
彼女もまた、剣を振るう。自分も愛用している、太刀という種類の剣を携えている。精々、その程度の認識。進一を助け出す事だけに、必死になってて。表面上では冷静でも、心の奥底──裏側では、切羽詰まってしまっていて。
だから妖夢は、理解し切れていなかった。
『妖怪が鍛えたこの楼観剣に――』
彼女が振るう、その剣は。
『斬れぬものなど――』
単なる業物という訳ではなく。
『あんまり無い!』
本来ならば聖人と呼ばれる人物が使っていたはずの、由緒正しき宝剣であったという事に。
*
「へぇ……。神子さんも剣を持ってたんですねぇ……」
妖夢と神子との決闘。まずはその小手調べとして仕掛けられた妖夢の一撃。それに対する神子の対応を目の当たりにして、早苗は思わず感嘆の声を漏らしていた。
神子が剣を持っていた事にも驚きだが、それよりも妖夢の刹那的な攻撃を防ぎ切った事の方が驚きだ。魂魄妖夢の瞬発力は、幻想郷でも最強クラスだと言っても過言ではない。その妖夢の攻撃について来られたという事は、神子も相当の実力者であるという事になる。
豊聡耳神子。彼女の真の実力は、ひょっとしたら早苗の想像を遥かに凌駕しているのかも知れない。
「ふふーん、どうだ? またもや太子様の実力の一端を味わう事になったのではないか?」
「そうですね……。神子さんって、剣術も得意なんですか?」
「うむ! まぁ、専門ではないのだがな。しかし太子様は、あらゆる武術にも精通しているのだ! 剣の扱いに関しても抜きん出ておる!」
共に観戦していた布都の話に耳を傾けながらも、早苗は思案する。
専門ではないが精通している。為政者でありながら、神子はそんな才能も有しているのだろうか。もしも彼女が早苗の想像通り聖徳王その人であるのなら、為政者として活躍していたのは飛鳥時代。聖徳王が存命の際に起きた大きな武力抗争と言えば、仏教を巡る崇拝派と廃仏派との宗教戦争か。政治と宗教が密接に絡むその時代の為政者ならば、宗教戦争に何らかの形で介入していてもおかしくはない。
それ故に、神子には武術を学ぶ機会もあったのだろう。その上彼女には才能があった。
「……天才、というヤツですか」
「ふっふっふ……その通りである! しかし太子様は未だ復活が不完全の身……。けれど逆に言えば、完全なる覚醒を迎えれば太子様は更なる力を行使する事も可能になるという事だ!」
「完全なる、覚醒……」
もしも彼女が完全復活を果たしたら、一体どれほどまでの存在に昇格するのだろう。現段階でも半ば神格化しているようなものなのだ。ひょっとしたら、守矢神社にとっても脅威となる存在になる可能性も──。
「というか、そもそも気になってたんですけど……。戦って目覚める事ができるのなら、もっと早くからそうすれば良かったんじゃないですか? 私達がここに辿り着くまで結構な時間があったと思いますし、それならその間に布都さんが相手をすれば……」
「うっ……そ、それは、そうなのだが……」
さっきまでの妙な自信は、どこに行ってしまったのだろう。突然布都の歯切れが悪くなる。
至極全うな疑問を投げかけてみただけだ。覚醒を助長する方法が誰かと手合わせをする事ならば、もっと早くそれを講じていてもおかしくはないはず。けれどこうして早苗達が辿り着くまで、神子は能力を定着させる事ができていなかった。
それはなぜか。
単純に考えれば、その手段を実行する事が出来ないような事情があったという事で──。
「そ、その……何というか……」
「はい」
「……確かに、太子様は目覚めたばかりなのだ。それ故に、覚醒は未だ不十分なのである。しかし、それは我もまた例外ではない、というか……」
「あー……。成る程、何となーく事情は察しました」
つまるところ、物部布都というこの少女もまた、尸解仙としての力の定着がまだ不十分であるという事か。そのような状態では神子の覚醒を促す事など出来ず、そもそも手合わせすらも難しい状況という事なのだろう。この様子だと、神子以上に能力の定着に手古摺っているのかも知れない。
身体を動かす事で尸解仙としての力の使い方に“慣れ”を生じさせ、半ば無理矢理に定着させる。そんなゴリ押しが通用するのも、神子の特権という事なのだろうか。あの女性、ますますとんでもない人物のように思えてくる。
「それじゃあ、えっと……屠自古さん、でしたっけ? あの人もあなた達の仲間なんですよね? 彼女なら適任なんじゃないですか? 結構戦えてたと思いますし」
「いや、屠自古はダメだ」
「どうして?」
「あやつは人の話を聞かぬからな」
「…………」
それをあなたが言うか、と突っ込んだら負けなのだろうか。
「ふん……。今の屠自古は少々頭に血が昇り過ぎておる! そんな状態ではとても太子様を任せられぬのだ!」
「……よく分かりませんけど、要するに喧嘩でもしたって事ですか?」
「喧嘩ではない! 意見の食い違いが生じただけだ!」
「いやそれ喧嘩じゃないですか……」
まぁ、確かに屠自古は少々冷静さが欠落していたようにも思える。問答無用で雷を落とし、話し合いの余地すら生じさせずに半ば一方的な開戦。あの時の屠自古は、周りが見えなくなる程に必死だったように見えた。
早苗達を神子に仇名す敵であると思い込み、排除する為に襲いかかってきた蘇我屠自古という亡霊少女。なぜ彼女は、あそこまで一方的な思い込みをしていたのだろうか。どうして彼女は、あそこまでムキになっていたのだろうか。
『ったく。まさか本当にアイツの言った通りになるとはな……』
そう。確かに彼女は、第一声にそんな事を口にしていた。何とも癪である様子で、それでも彼女は認めていたのだ。
(アイツって……?)
一体、誰の事を示しているのだろう。
考えられる候補と言えば──。
*
剣は基本的に消耗品である。
例えどんな業物だろうとも、いずれは使い道にならない程に破損してしまう事になる。どんなに手入れを徹底していても、どんなに大事に使っていても。それが形ある物である以上、いつかは壊れてなくなってしまう。
例えばそれは、この楼観剣だって例外ではない。
幽霊十匹分の殺傷力。とある妖怪が鍛え上げたと言われている剣。斬れぬものなどあんまりない妖刀。この剣だって、いつかは壊れてしまうだろう。やがて、剣として機能しなくなる時が訪れる事だろう。
それ故に、勝手に納得してしまっていた。
八十年後の未来。ひょっとしたらあの世界の自分は、既に楼観剣や白楼剣を失ってしまっているのではないかと。であるのならば、別の剣を振るっていてもおかしくはないのではないかと。そう、心のどこかで思い込んでいたのかも知れない。
でも。だからと言って、こんな展開など想像できる訳がないじゃないか。
あの世界の彼女が振るっていた剣。楼観剣でも白楼剣でもない直刀の業物。それがまさか、七星剣──本来ならば豊聡耳神子が持っているはずの剣だったなんて。
「……黙り込んでどうしたのです? そんなにこの剣が珍しいのですか?」
「……えっ?」
神子に声をかけられて、ようやく妖夢は現実へと戻ってくる。慌てて頭を振るって、妖夢は意識を引っ張り上げた。
いけない。幾ら衝撃を受けていたとは言え、手合わせの最中にぼんやりとしてしまうなんて。剣士としてあるまじき失態だ。いつまでも、こんな心持ちのままではいられない。
息を呑み込み、妖夢はざわつく胸中を無理矢理落ち着かせる。そして苦し紛れに、何とか言葉を絞り出して。
「……いえ。まさか剣を持っていたとは思わなかったので、びっくりしてしまいました」
決して嘘ではない。何せ直前まで持っていなかったはずの剣が、突然彼女の手元に
けれどこれもあくまで出任せに過ぎない。問題なのは剣がいきなり現れたという現象ではなく、彼女が振るうそれその物。七星剣というその剣が、未来の自分が持っていた剣と同一の物であるという可能性である。
無論、確実にそうであると言い切れる訳ではない。判断材料は妖夢が自らの目で見た記憶と、実際に剣を交えた時の感覚しかないのである。実は妖夢の勘違いだった──なんて事だってあり得なくもない。
そう、あり得なくもないのだけれども。
(でも、この感覚はやっぱり……)
未来の自分が使っていた剣に、間違いない。少なくとも妖夢はそう強く感じている。
しかし解せない。どうして未来の自分は、神子の剣であるはずの七星剣を持っていたのか。どうして未来の自分は、楼観剣も白楼剣も持っていなかったのか。今から八十年以内に、それらの剣を失ってしまうような状況に陥るというのだろうか。
そして、それより何より。彼女が七星剣を持っていたという事は。
本来の持ち主であるはずの豊聡耳神子は、一体どうなってしまったのだろうか。
「……まぁ、いいでしょう」
黙り込んでしまった妖夢を前にして、痺れを切らしたかのように神子が息をつく。一度七星剣を鞘へと戻した後に、彼女は肩を窄めた。
「確かに今の迎撃は、少し不意打ちじみていたかも知れませんね。癇に障ったのなら謝ります」
「え? あっ……い、いえ。別に、そんな事は……」
微妙に噛み合わない会話。まるで妖夢の外的な様子だけを見て、間違った解釈を下してしまったかのような様子。
けれど神子は、他人の欲を理解する事でその人物の本質さえも聴き取れる『能力』を持っていたはず。ひょっとしたら、妖夢の考えている事なんてお見通しなのかも知れない。その上でこんな反応を見せたという事ならば、彼女なりに解釈して納得してくれたという事なのだろうか。
妖夢は息を呑む。今の彼女にどこまで見破られてしまっているのかは分からないが、だからと言って妖夢の口から真実を語るつもりはない。そもそも現段階では妖夢の推測に過ぎず、あまりにも不確定な情報なのである。徒に混乱を招く必要はない。
それならここは、会話の流れに乗せてもらう事にしよう。妖夢は肩の力を抜き、強張っていた表情を幾分か解した。
「別に神子さんをどうこう言うつもりはありませんよ。武器を持っている可能性を想定できなかった私の未熟さが問題でしたので」
「……随分と厳粛なんですね。流石は剣術の専門家、という事でしょうか」
「……それはどうも」
さて。今は目の前の問題を解決する事が先決だ。
この手合わせの目的は、神子の
つまるところ、はっきり言って勝ち負け云々に拘る必要はない。妖夢が勝とうが負けようが、その後の結果に大きな影響を与える事はないのだろうけれど。
(まぁ、それでも……)
負けるつもりなど、毛頭ない。
妖夢はもっと強くならなければならない。鍛錬を重ねて、強くなって、力をつけて。そして幽々子を守り通さなければならないのだ。
故に負けられない。こんな所でつまずいていては、幽々子を守る事なんて出来やしない。結局また、中途半端に終わってしまう事になる。
それでは、駄目だ。
それでは──“約束”を、果たす事は出来ない。
「……すいません、時間を取らせてしまいましたね」
気を取り直して、妖夢は再び剣を構える。
「……続き、始めましょうか?」
「ええ。お願いします」
改めて、妖夢は神子と対面する。
先程の剣伎『桜花閃々』はあくまで小手調べ。ここからが正真正銘の決闘。呼吸を整え、集中力を高めて。剣を握る手に力を込め、徐々に霊力を高めてゆき。
次の瞬間。
──動いた。
「────ッ!」
先に霊力を爆発させたのは妖夢の方だ。剣を脇構えに持ち直した後、神子の死角へと回り込むように大きく迂回して飛翔する。欲を聞き取られて本質を見抜かれてしまう以上、真正面から戦っても勝機は薄い。せめて背後に回り込み、視覚的だけでも優位な位置に立たなければならない。
目にも止まらぬスピードで妖夢は背後へと回り込み、そして霊力を籠めた楼観剣を一振り。剣圧と共に一筋の剣閃が放たれ、それは鎌風の如く神子へと襲い掛かった。
「……成る程、そう来ますか」
結跏趺斬。死角より放たれた剣閃だったが、しかし神子を仕留めるにまでは到らない。
再び響く金切り音。直後、あっけなく霧散する剣閃。神子が再び七星剣を抜刀し、妖夢の結跏趺斬を相殺したのである。
ほぼノーモーションからの迎撃。その上危なげなく果たされる剣閃の相殺。死角からの攻撃であったはずなのに、まるで神子は妖夢の行動を先読みしていたかのような様子で。
(また弾かれた……!?)
この程度の仕掛けでは神子を攪乱する事など不可能、という事か。幾ら死角に回り込もうとも、その直前に欲を聞かれては全くの無意味。
アドバンテージがあるとすれば、半人半霊の妖夢は生の執着と死への羨望という二つの欲が薄いという点だ。それ故に神子でも妖夢の欲を正確に聞き取る事が難しく、本質を完全に見抜く事はほぼ不可能であるはず。だとするのならば、今のような先読みだって毎回完璧だという訳でもないはずだ。
それならば持久戦に持ち込むべきか?
いや、しかし──。
「ふっ……。次はこちらから行く!」
「ッ!」
そうこう考えている内に、神子が次なる動きを見せる。七星剣を鞘へと納め、霊力をますます昂らせて。そして剣の代わりに取り出したのは、一枚のスペルカード。
攻撃が、来る。
「スペルカード宣言!」
神子の声が響く。妖夢は思考を打ち切って、すぐさま防御態勢へと移行した。
もう一度結跏趺斬を放ったとしても、この距離からでは届かない。スペルカードも間に合わない。であるのなら、回避に専念するしかない。
妖夢はすぐさま判断を下す。一度神子から距離を取り、そして霊力を全身に纏った。
「名誉『十二階の色彩』!」
神子の霊力が放たれる。
発射されるのは白い光弾。神子の強大な霊力が込められたそれらは、弾速こそ速いものの数はそこまで多くない。弾道もほぼ一直線で、先読みはそこまで難しくない。
速度特化の弾幕なのだろうか。けれどこの程度の速度なら、余裕を持って回避できる。屠自古の電撃の方が余程速かった。故にこのくらい──。
(……っ。違う……!)
身を翻して光弾を回避した直後、妖夢は直感する。
これは油断だ。確かに一見すると大した事のない攻撃のように思えるが、あの神子がそれだけで終わらせる訳がない。張り合いがないだとか、拍子抜けだとか。そんな感情を一瞬でも抱いた時点で、負ける。
「くっ……!」
結論から先に言えば、妖夢の予感は的中した。
先に放たれた光弾は、あくまで下準備に過ぎなかった。発射されたそれらは、ほぼ一直線の弾道を描いた後に炸裂。激しい閃光と共に、拡散して更なる弾幕を展開し始めたのである。
色鮮やかな霊弾の数々。展開された弾幕は神霊廟を鮮やかに彩り、魂魄妖夢へと襲い掛かる。
想像以上に高密度の弾幕だ。これでは神子へと接近する事すらままならないではないか。剣気を放って牽制しつつも、何とかやり過ごすしかない。
霊弾の回避を続けつつも、そう考えていた妖夢だったが。
「弾幕に気を取られ過ぎですよッ!」
「なっ……!?」
不意に現れる気配。鮮やかな弾幕の中から突如として現れたのは、先程スペルカード宣言を行っていた豊聡耳神子。弾幕ばかりに意識を傾けていた妖夢は、この瞬間まで神子の接近に気付く事が出来なかった。
まさか自ら展開した弾幕の中に自らが飛び込んで来るとは。霊弾の閃光に紛れてここまで接近したのだろうか? いや、今はそんな手段を考察している場合ではない。
あちらから接近してきたという事は、何らかの攻撃を仕掛けようとしているという事だ。妖夢は身を翻し、反射的に剣を振るう。このまま一方的にやられる訳にはいかなかった。
「はあっ!」
そして響くのは金属音。腕に反響するこの感覚。ぎりぎりと、痺れるように伝わる衝撃。接近してきた豊聡耳神子は、再び剣を抜刀して妖夢へと斬りかかってきたのである。
鍔迫り合い。刃と刃が擦れ合い、摩擦音が鳴り響く。渾身の一撃を防がれてしまった豊聡耳神子だったが、けれど彼女の表情は柔らかかった。
まるで、この状況を楽しんでいるかのように。
「……弾幕ごっこじゃなかったんですか?」
「気が変わった。もっと君の剣術を見てみたい」
未だ鍔迫り合いを続けた状態で神子に問いかけると、即返答が返ってくる。
妖夢は冷や汗を流す。この人、思った以上に好戦的だ。──いや、探求心が旺盛なのだろうか? 妖夢の剣士としての実力を、もっと見てみたい。もっと真正面から、妖夢とぶつかってみたい。彼女が振るう剣からは、そんな感情がひしひしと伝わってくる。
「けれど心配はいらない。スペルカードルールには則るつもりだ。その上で、私は君に剣を振るう……!」
「……口調、崩れてますよッ!」
均衡状態を打ち破ったのは妖夢だ。神子の剣を押し返し、自らもまた大きく後退する。
一度呼吸を整えつつも、妖夢は神子の姿を見据える。スペルカードを使い、そして妖夢との鍔迫り合いを経たのにも関わらず、神子の表情は涼し気なものだ。体力にもそれなりに自信があると見える。
持久戦に持ち込もうかとも考えたが、その作戦はあまり効果がなさそうだ。勝負が長引けば最悪泥沼化し、こちらが押し負ける危険性もある。
狙うべきは早期決着。温存などと悠長な事は考えていられない。
(……やるしかない)
無論、スペルカードルールに則った上で──だが。
「……人符」
そして妖夢は、宣言する。
神子が妖夢の剣術を見たいというのなら、出来る限りそれに違いスペルカードで答えるまでだ。手加減はしない。遠慮もいらない。全身全霊を持って、妖夢は神子を斬り崩す。
「『現世斬』!」
肉薄。そして剣撃。全身に霊力を纏ったままで妖夢は白楼剣も抜刀し、そして神子へと斬撃を叩きこむ。
青白い閃光。放出された霊力が光を放ち、周囲を照らす。その光を反射して煌びやかに輝く二本の剣は、豊聡耳神子へと食らいついていた。
「この程度……!」
しかし剣撃は弾かれる。七星剣を振るう神子の手によって、『現世斬』の斬撃は直前で防がれてしまう。
予想通りの展開だ。剣伎『桜花閃々』を防いだ彼女が、それに類似したこのスペルカードを躱せない訳がない。故にこれは、あくまで陽動。
本命は、別にある。
「人鬼ッ!」
「なっ……!?」
懐から取り出した二枚目のスペルカード。それを立て続けに宣言し、妖夢は更なる攻撃へと移行する。
接近出来ればそれでよかった。人符『現世斬』の役割は、それで十分果たされる。
この距離ならば、届く。
「『未来永劫斬』!!」
宙を蹴り、肉薄して、連撃を叩きこむ。楼観剣と白楼剣による斬撃だけでなく、結跏趺斬のような剣閃も織り交ぜて。身を捻り、剣を振るって、素早くかつ確実に神子へと斬撃をお見舞いする。
けれど当然、神子だってそう易々とスペルカードの成功は許さない。二刀流の剣撃を相手に、神子は七星剣たった一本のみでそれに応えている。妖夢の激しい斬撃速度に、やや押されながらもついて来て。剣を振るい、そして次々と攻撃を往なしてゆく。
「私は、まだ……! 負けない!!」
「くっ……!」
思わず妖夢は表情を顰める。
剣術の単純な実力ならば、恐らく妖夢の方が勝っている。けれどこれはスペルカードルールに則った決闘。幾ら剣術で勝っていようとも、それで勝利が決する訳ではない。
届かない。あと一歩が、どうしても届かない。
(もう少し、なのに……!)
剣術では妖夢が勝っている。けれど霊力に関しては、あらゆる面で負けてしまっているのである。
尸解仙となった事による影響か、それとも元々才能があったのか。いや、そのどちらもという可能性だってあるだろう。兎にも角にも、神子から放たれる霊力はまさに脅威的なのである。幾ら剣閃を放とうともギリギリの所で防がれ、幾ら剣を振るおうとも神子はそれについて来る。
霊力による補助。それによる肉体的な強化。その影響も合わさって、神子の剣術は極限まで磨き上げられている。剣術の専門家という訳ではないのにも関わらず。
「この……!」
甲高い金属音が鳴り響く。遂には妖夢の連撃にピリオドが打たれ、二人の間に距離が開かれる事っとなった。
後退し、妖夢は肩で息をする。対する神子も息を切らし始めているようで、流石に余裕綽々という訳ではなくなってきている様子。
けれどそれはこちらとて同じこと。強引に息を整えつつも、妖夢は下唇を噛み締める。
(どう、して……!)
どうして届かない? どうして押し切れない? この二年間、妖夢は今まで以上に鍛錬に力を入れて来たはずだ。剣術も、そして狂気の瞳も。極限まで自分を追い込んで、極限まで鍛え上げて。それこそ死に物狂いで、尽力してきたはずなのに。
それでも。
(足りない……)
足りない。
力が、足りない。
「ふふっ……。君の力は本当に想像以上だ。これほどまでの実力を持つ剣士と会えたのは、少なくとも私の記憶では初めての体験です」
「……それは、光栄です」
神子は実にご満悦な様子だが、それでも妖夢の心は晴れない。
確かに神子の中では、妖夢は相当の実力者として認識されているのかも知れない。豊聡耳神子というこの女性は、既に妖夢の実力を認め切っているのかも知れない。
けれど、まだだ。こんなのじゃ、駄目だ。
この程度では、駄目なのだ。
(もっと……)
もっとだ。
(もっと、力を……)
幽々子を確実に守り切れるだけの、力を──。
「さて、と。次はこちらの番ですね……!」
スペルカードを取り出す神子の姿が見て取れる。次なる攻撃を仕掛ける為、彼女は逆巻く霊力を一点に集中し始めている様子だった。
スペルカード宣言。名誉『十二階の色彩』に続く、豊聡耳神子の次なる弾幕。
「仙符!」
一際鋭い閃光が放たれる。
びりびりと伝わってくる霊力。それはこの距離からでも肌で感じられる程に強大で、ともすれば戦意を失ってしまうような神聖さも感じられる。あまりにも驚異的で、そしてあまりにも脅威的。あれほどまでの霊力の塊をまともに受ければ、流石にひとたまりもないだろう。
だけれども。
幾ら相手の霊力が凄まじかろうと、今の妖夢には関係なかった。
(私は……!)
負けられない。負ける訳にはいかない。
だから立ち向かう。だから前を向く。逃げるなんて、そんな選択肢はありえない。神子の放つスペルカードに真正面から立ち向かい、そして──勝つ。
「『日出ずる処の道士』!!」
豊聡耳神子は宣言する。
収束する霊力。放たれる光。金色の光が周囲を激しく照らし出し、妖夢の視界を染め上げてゆく。そして発射されるのは金色の光弾。先程の名誉『十二階の色彩』に匹敵──いや、それ以上の霊力。そんなあまりにも強大な霊力の塊は、複数個の光弾として連なりつつも迫ってくる。
当然ながら、直撃を許せば一巻の終わり。見た感じでは名誉『十二階の色彩』のような小細工は仕組まれていないようだが、それ故に単純ながらも効果的な弾幕が形成されている様子。
相も変わらずビリビリと空気を震わせる霊力。気を抜けば本能的に身を引いてしまいそうになる程の圧倒的な威圧感。豊聡耳神子のスペルカード、仙符『日出ずる処の道士』。
けれど。
だから何だっていうんだ。
霊力だとか、威圧感だとか。そんなものには屈しない。尻込みなんかしない。
どんなに強大だろうとも。どんなに圧倒的だろうとも。
魂魄妖夢は、立ち向かう。
(この程度の逆境なんて……!)
この程度の壁なんて。
「乗り越えてみせるッ……!!」
決死の覚悟。湧き溢れる想い。膨れ上がる狂気の魔力。
狂気の瞳。二年前、妖夢が再び手にする事となった異端の力。抱く想いに比例して、『眼』の魔力は加速度的に高まってゆく。
現時点で出せる範囲での最大出力。白楼剣を鞘へと収め、そして両手で握り締めた楼観剣へと魔力が流れ込んでゆく。
剣の芯まで魔力を伝えて、そしてその剣を振り上げて。
魂魄妖夢は、前に出る。
「これで……!」
神子から放たれた金色の光弾。それに向かって、妖夢は突っ込んでゆく。
霊力を纏った身体。魔力が注ぎ込まれた楼観剣。二つの力が混在し、剣の一点へと集中して。
霊力と魔力の塊を、叩きつける。
「いっけええええ!!」
閃光。轟音。突風。衝撃。
神子の弾幕と妖夢の剣が真正面から衝突し、激しく火花を散らし始める。ぶった斬る勢いで振り下ろされた楼観剣は、確かに神子の弾幕を受け止めていて。
「く、くう、うううう……!」
まだだ。まだ負けてない。
このまま弾き返してやる。この程度、狂気の瞳の力があれば朝飯前のはずだ。
もっと力を高めるのだ。もっともっと、狂気を引き摺り出すのだ。
もっと、もっともっともっと──。
「はああああああ!!」
声を張り上げる。そしてそのまま、剣を振り下ろす。
その、直後。
(……っ。えっ……?)
一瞬、妖夢の注意が逸れる。
振り下ろされた楼観剣により霊弾の軌道を逸らす事には成功したが、けれど弾き返すまでには至らない。斜め方向へと大きく逸れた金色の霊弾は、そのまま他の霊弾へと直撃。爆発が巻き起こり、更にその爆発が他の霊弾を巻き込んで次の爆発へと連鎖してゆく。
「っ!」
炸裂する霊力が襲いかかってくる。妖夢はとっさに身を引いて、その爆発から逃れた。
直撃はしていない。けれど体力がごっそりと持っていかれた感覚。びりびりと両腕に痺れが走り、無意識の内に剣を握る拳が震えているのが分かる。
息を切らしつつも、妖夢は両手へと視線を落とす。握られているのは、当然ながら楼観剣。いつも通りの見慣れた姿で、剣はそこに存在している。どこにもおかしな点は見受けられない。
だけれども。
(なに、今の……?)
楼観剣により一層力を込めた瞬間、どうにも妙な抵抗が伝わってきたような気がする。
上手く言葉に出来ないが、強いて例えるならば──波紋、だろうか。柄を通して腕全体に微かな衝撃が伝わり、反響した衝撃は違和感として妖夢に認識されている。それはまるで、剣が何かを訴えかけているかのような──。
「驚きましたね……。今の攻撃に真正面から立ち向かい、まさか打ち勝ってしまうなんて」
神子の感嘆の声が耳に届く。
視線を向けると、彼女は頬に一筋の冷や汗を滴らせている様子で。
「手を抜いたつもりはなかったんだが……。そんな形で防がれてしまうと、流石にちょっぴり自信をなくしそうになりますね……」
「……中々どうして、ギリギリでしたけどね」
息がつまる。それでも妖夢は、何とか言葉を繋いで神子に答える。
「今のは、流石にちょっと……無茶苦茶でした」
そう、無茶無茶だ。冷静さを事欠いていたと言っても良い。
底の知れない不安感が、妖夢の胸中へと広がってゆく。踏み込むべきではない領域に、片足を突っ込んでしまったかのような。そんな感覚。
一体、何だったんだ?
狂気の瞳。霊力と魔力が混ざり合って、それが楼観剣へと一気に流れ込んで。
その後。
(私、は……)
一体、何をした?
何をしようとしていたのだ?
「…………っ」
そこで妖夢は、ぶんぶんと頭を振るう。奇妙な不安感を無理矢理にでも払拭させて、慎重に深呼吸をして胸のざわめきを抑え込んで。
そして彼女は顔を上げる。改めて楼観剣を握り直し、豊聡耳神子へと向き直る。
(そうだよ、今は……)
今は、目の前の事に集中すべきだ。不安感などに惑わされている場合ではない。
この決闘は終わっていない。勝敗が決するまで、気を抜いてはいけないのである。不安感で上の空など以ての外だ。
あくまでちょっぴり違和感を覚えただけじゃないか。
だからまだ戦える。だからまだ、終われない。
「お互い、次が最後のスペルカードといったところか……。この決闘もいよいよ佳境ですね」
「……そう、ですね」
神子の言葉に頷いて答えつつも、妖夢は改めて気を引き締める。
最初の『桜花閃々』は、あくまで小手調べだ。それを除くと、互いに宣言したスペルカードは現時点で二枚ずつ。次の宣言がラストスペルという事になる。
スペルカードルールは“魅せる”事に特化した決闘方式。妖夢は神子の実力に何度も意表を突かれ、そして神子は妖夢の剣術を嬉々として認めている。そういう意味では、互いの実力は拮抗しているとも言えるかも知れないけれども。
(でも……)
それでも。
「……負けませんよ。私は」
「ええ。私だってそのつもりです」
それはこちらの台詞だと、そう言わんばかりに神子は返してくる。
体力的にも余裕があるとは言い難い。派手なスペルカードを宣言すればそれ以上は戦えなくなるけれど、それは神子だって同じ事。
次の一撃で決まる。つまり次の一撃こそが、運命の分かれ道。
勝利か。それとも、敗北か。
「スペルカード!」
声が響く。先に宣言を口にしたのは、豊聡耳神子だ。
高く飛翔して高度を上げ、神子はスペルカードを掲げる。再び膨れ上がる霊力。荒れ狂い、大気を揺らし、そして烈風を逆巻かせて。放出された霊力は、複数の光となって神子の周囲で明滅する。
その様子はさながら星の光だ。神霊達とはまた異なった、星空のような無数の光。
「『星降る神霊廟』!!」
明滅していた霊力が実体となって出現し、神子の宣言と共に射出された。
流星。そう形容すべき程の鮮やかさと凄みが、あのスペルカードには込められている。その名の通り、まさしく星が降り注いでいるかのようだ。美しく、華やかで──そしてそれは、他のスペルカードと比べても群を抜いて凶悪だ。
まさに切札。ラストスペルに相応しい。
「…………ッ!!」
咄嗟の判断。妖夢は回避に専念する。
この感覚。おそらくこのスペルカードは、『十二階の色彩』のような技巧と『日出ずる処の道士』のような火力を同時に併せ持つ弾幕だ。当然被弾は許されず、その上単なる回避だけでは攻略は不十分。妖夢は再び白楼剣も抜き放ち、二刀流で攻撃に備える。
「そこッ!」
回避したはずの霊弾が突如として軌道を変え、再び妖夢へと襲い掛かってくる。けれど身を翻して剣を振るい、彼女はその霊弾を弾き落とした。
腕に強い衝撃が走る。けれど『日出ずる処の道士』ほどではない。この程度なら──。
(捌き切れる……!)
無数の霊弾はどれも急激に軌道を変える。まるで確実に妖夢を仕留めようとする意思を持っているかのような弾幕だが、それでも妖夢は被弾を許さない。
視える。流星の如く降り注ぐ霊弾の軌道が、妖夢には視えている。
幾ら軌道が変わろうとも、この程度の不意打ちなら慣れている。この『眼』で視える弾幕ならば、今の妖夢にはどうとでも対処できるのだ。
それは、鈴仙と経た鍛錬の成果。
妖夢なりの、狂気の瞳の使い方。その一つ。
「な、何だと……!?」
舞踊のように剣を振るう魂魄妖夢によって、次々と霊弾は落とされてゆく。そんな様子を目の当たりにして、流石の神子も動揺を隠し切れないようだ。
妖夢は大きく剣を振るう。一振りの剣閃で、まとめて神子の弾幕を打ち落とす。
視線を上げると、薄くなった弾幕の隙間から神子の姿が見て取れる。余裕を失った彼女は更なる霊力を放出しようとしているようだが、流石にこれ以上の攻撃を許すつもりはない。霊力を爆発させ、妖夢は一気に飛翔する。
「くっ……!」
「遅いです……!」
神子は咄嗟に剣を振るおうとしているが、既にタイミングはあまりにも遅い。中途半端な剣撃では、妖夢には到底届かない。
「奥義!」
スペルカード宣言。
楼観剣と白楼剣。二本の剣に等しく霊力を籠め、妖夢は飛ぶ。息を止め、肉薄し、そして剣を振り上げて。
魂魄妖夢は、斬撃を放つ。
「『西行春風斬』!!」
剣閃が、豊聡耳神子を──。
*
焦げ臭い。
爆煙が未だに立ち込めている。力任せのスペルカード。弾幕と弾幕のぶつかり合い。拮抗していたのは途中までで、いつしか防戦一方になっていた。
何なんだ。訳が分からない。弾幕ごっこは“魅せる”決闘ではなかったのか。それなのにあまりにも無茶苦茶じゃないか。あまりにも暴力的で、あまりにも力技。確かに派手な事には派手だが、それにしたってこれは──。
「何なんだよ、クソっ……」
蘇我屠自古は、激しく息を切らしつつも吐き捨てるように不平を口にしていた。
目の前には白黒の魔法使い。霧雨魔理沙と名乗った少女は、尚も余裕綽々な様子でそこに佇んでいる。憎たらしくなるくらい、彼女の様子は先程と比べてもあまり変化はない。
それに対して、自分はどうだ? 既に霊力は底を尽きかけ、身体には被弾の跡が残っている。
疲労困憊、満身創痍。誰が見ても疑いようがなく、勝負の結果は明らかだ。
あの人を守る。
そんな強い意志のもと、屠自古はこうして彼女へと向かい打ったのに。
「どうした? まだ続けるのか?」
「…………っ」
魔理沙の確認。けれど屠自古は、咄嗟に答えられない。首を縦に振る事も、横に振る事も躊躇してしまう自分がいる。それが底知れぬ程、腹立たしい。
魔理沙が嘆息した。
「弾幕ごっこは私の勝ちだろ? 流石にそろそろ見苦しいぜ」
「言ってろ……。それでも私は、まだ諦めるつもりなんてねーよ……」
虚勢だ。それは自分でも分かっている。
しかし屠自古にだって、負けられない理由がある。こんな所で、簡単に諦める訳にはいかない。
白黒魔法使いを蹴散らし、先に行ってしまったあの二人の跡を追わなければならない。今頃あの人の傍には布都がついているのだろうが、けれど彼女だけでは護衛は不十分である。
『なぜすぐにそうやって暴力を行使しようとするのだ!? まだ相手がどのような人物なのかも分からぬではないか!』
分からない。どうして彼女は、非情にならない? どうして彼女は、そこまで人情を保っていられる?
だって。
『……仏教に罪がある訳ではない。罪があるとすれば、それは勝手に振り回された我らの方ではないか。それに……今の仏教徒達は、あの戦争とは最早無関係である。確かに、太子様の封印に多少なりとも関与していたのかも知れぬが……。それでも』
それでも、自分達にだって非はある。だから一方的に嫌悪感を抱くなんて間違っている。
それが、物部布都という少女の主張──。
(ああ、くそっ……。イライラする……)
やはり駄目だ。そんな甘い考えでは、いずれは自分で自分の首を絞める事となる。どんな誰が相手でもすぐに信用してしまうなんて、それはあまりにも浅はかな思考回路だ。
そう。
物部布都だけでなく、あの人だって──。
「……そんなに気になるのか?」
不意に魔理沙が、屠自古にそう訊いてくる。
脈絡のない言葉。意図が掴めない台詞。思わずそっけなく「……は?」と屠自古は返すが、律儀にも魔理沙はより踏み込んだ言葉を提示してくれる。
「お前の言う“あの人”ってヤツの事が、気がかりなんだろ? だからさっきから妙にソワソワしてたって事か」
「……気がかり、だと? そんなの……」
そんなの。
当たり前じゃないか。
「私はいつまでもこんな所で遊んでいる場合じゃねーんだよ! 私はあの人を守らなきゃならない……! あの人を守り通さなきゃならねーのに……!! それなのに、もう二人も侵入を許しちまって……」
そう、二人だ。
巫女服を着た少女と、そして屠自古の電撃を容易く刀で弾いた少女。みてくれは人の好さそうな印象だったが、けれど騙されてはいけない。奴らもあの妖怪僧侶達の仲間であるのなら、必ずあの人に危害を加える。仏教を少しでも信仰しているのなら、必ずあの人を排除しようとするはずだ。
仏教を冒涜し、道教に身を染めたあの人を仏教徒達が放っておく訳がない。なぜなら、これまでだってそうだったのだから。だから信用なんて出来る訳がない。
自分は布都達とは違う。
甘さなんて、持ち合わせていない。
「だから、私は……!」
「……そんなに心配なら、様子を見に行ってみたらどうだ?」
「…………っ。は?」
──え?
何を言ってるんだ、こいつは。
「ま、そろそろ潮時だしな。これ以上、お前を足止めしなくても問題なさそうだし」
「な、何を……」
「……まぁ、要するに」
そこで魔理沙は、チラリと周囲を見渡して。
「何を言っても通じなさそうなお前をここで足止めして、異変解決の為の時間を少しでも稼ぐ。そんな私の役割はこれで終わりって事だぜ。神霊達の様子を見た感じではな」
「神霊……?」
言われて屠自古も周囲を見渡す。当然ながら、そこにはあの人の霊力に中てられた神霊達の姿が確認できる。あの人の復活を感じ取った神霊達が、夢殿大祀廟へと集まってきている。
けれど妙だ。何かが、先程までとは違う。
「……っ。これは……」
そう、これは。
「神霊達の数が、減っている……だと……!?」
夢殿大祀廟へと無尽蔵に集まって来ていた神霊達。けれど今の状況は、とても
明らかに数が減っている。人の欲が具現化した存在であるはずの小神霊達が、夢殿大祀廟──神霊廟へと目指す事を次々と止めてきているのである。まるで、その必要はなくなったと言わんばかりに。
それが意味する事は、即ち。
漏れ出していたあの人の霊力が、今は収まっているという事。
「妖夢と早苗のヤツ、どうやら上手くやったみたいだな。これにて神霊騒動は一件落着、って所か?」
「……ッ」
魔理沙の独り言は、屠自古の耳には届かない。
どういう事だ? なぜこのタイミングで霊力が収まった? 能力を定着させるには、もっと時間が必要だったはずだ。それなのに。
(まさか……)
あの人の身に、何かが──。
「ああ、先に行っておくけど……。お前の考えている事、多分杞憂に終わると思うぜ」
「何だと……?」
「どうせあの人の身に何かが起きたー、とか何とかって考えてるんだろ? いや、まぁ間違っちゃいないとは思うが……。でも多分、
霧雨魔理沙は肩を窄める。
馬鹿馬鹿しい勘違いを払拭するかのように、彼女は続ける。
「今の妖夢なら大丈夫だ。早苗だってついてる。余程の事がない限り、あいつらはお前が考えているような事はしない」
「そんなの……」
「信じられないってか? だから様子を見に行ってみたらどうだって言ってるんだ」
そこで魔理沙は破顔する。ニッと、人の良さそうな微笑を浮かべて。
「私はあいつらを信じてる。だから絶対に大丈夫だ」
「…………」
何だ。
さっきから、一体何なんだ。
こいつの考えている事が分からない。一体何が目的で、どうしてこんな役割を自ら買って出たのか。
判らない。判りたくもない。
──でも。
(でも……)
本当に、こいつの言っている事が正しいのならば。
「太子様っ……!」
蘇我屠自古は、飛翔する。今の今まで立ち塞がっていた。霧雨魔理沙の側面を通り抜けて。
迷わずに、彼女は飛ぶ。一心不乱に、彼女は向かう。
夢殿大祀廟。そして、神霊廟。尸解仙として復活したばかりの、あの人の所。
「……まったく。ほんと、損な役回りだよな」
霧雨魔理沙が、何かを呟く。けれどそんな呟きなど、今の屠自古には聞こえない。
行かなければならない。
向かわなければならない。
一刻も早く、あの人のもとへ──。