桜花妖々録   作:秋風とも

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第63話「神霊廟」

 

 夢殿大祀廟と呼ばれる巨大な墓は、見れば見るほど壮観な佇まいをしていた。

 醸し出される物々しくも神聖な雰囲気。ピリピリと空気を伝う緊張感。そして墓とは思えぬ程に充満した生気。欲望の具現である小神霊達は相も変わらずこの妙な感覚に中てられて、墓へと集まり続けている。

 

 蘇我屠自古という亡霊の攻撃を潜り抜け、早苗と共にこうして墓まで接近できたのは良かった。急に立ち去ってしまった霊夢や、屠自古の足止めを買って出た魔理沙の事も気になるけれど。それでも妖夢達は、こうして異変の根本の一歩手前まで辿り着く事が出来たのだ。

 けれどここまで来て、妖夢達は足踏みを余儀なくされる事となる。

 巨大な洞窟内に鎮座する、ヘンテコな霊廟。けれどその入口が、どこにも見当たらなかったのである。

 

「ここまで来たのは良いけど……」

「……これ、どうやって中に入るんですかね?」

 

 妖夢に続くような形で、早苗もまたそう呟く。

 墓の周囲には幻想郷中から集まった大量の神霊達が漂っている。ぐるぐる、ぐるぐると。まるで何かを祝福するかのように、ゆっくりと墓の周囲を旋回している。

 奇妙な光景。けれどそれだけだ。神霊達は墓の周囲をぐるぐると旋回するだけで、中に入ろうとする素振りも見せない。淡い光をその身から放ち、洞窟の暗闇の中にその巨大な霊廟をぼんやりと浮かび上がらせて。しかしそれ以上の事は何もしない。

 

 静かだ。あまりにも粛然とし過ぎている。蘇我屠自古というあの亡霊は、一体何を守ろうとしていたのだろうか。

 

「……どうします?」

「取り合えず、もっとよくこのお墓を調べてみよう。見落としているだけで、どこかに入口があるかも……」

 

 ここまで来て引き下がるなんて出来る訳がない。魔理沙だって、今頃足止めをしてくれているのだ。彼女の頑張りを無駄には出来ないだろう。

 早苗との短いやり取りを経た後、妖夢は再び霊廟の調査を開始する。神霊達の動きに合わせるかのように、ゆっくりと旋回しつつも慎重に墓の様子を伺い始めた。

 

 不思議な墓だ。こんなものが命蓮寺の下に封印されていたなんて、にわかには信じられない。一体誰がどんな理由で、このような墓を建造したのだろうか。ただ単に死者を葬る為だけ、とは流石に思えないが──。

 

 と、そこまで考えた所で。

 

「……ん?」

 

 妖夢の視覚が不意に“何か”を捉え、彼女は反射的に飛翔を止めた。

 目を凝らし、よく見てみる。大量の神霊達がうじゃうじゃと漂う中、明らかに神霊ではない一人の人影が確認できるような気がする。ぼんやりと薄暗い為にはっきりとは認識できないが、お墓の近くで小さく丸まっているあれは──。

 

「……っ。妖夢さん、あそこ……!」

「……早苗にも見えてる?」

「ええ。多分……人、ですよね?」

 

 高揚気味の早苗に対し、妖夢は頷いてそれに答える。

 どうやら妖夢の見間違いなどではなさそうだ。神霊だらけの洞窟内で、あの人物は一人で佇んでいる。こんなにも奇妙な気味の悪い空間の中に、実体のある人物がポツンと──。

 

「あ、怪しさ満点ですよねぇ……」

「うん……」

 

 どう考えても普通じゃない人物であるが、だからと言ってここで手をこまねいている場合ではない。明らかにこの異変の関係者である。だったら情報を聞き出さねばなるまい。

 

「行ってみよう。取り合えず、話を聞いてみないと」

「……そうですね」

 

 蘇我屠自古のように好戦的な人物でなければいいが──。けれどこのような異変を起こす連中の一味なのだとすれば油断はできまい。あまり妙な期待を抱くべきではないだろう。

 

 警戒心を緩めずに、妖夢はその人物へと近づいてゆく。ある程度近づく事でようやく判別できたのだが、どうやらその人物は小柄な少女であるようだ。

 背丈は妖夢とほぼ同じくらいだろうか。銀色の髪に青い烏帽子。袖の部分がぶかぶかな白装束を身に纏っており、服装の雰囲気は屠自古のそれに近い。やはり彼女の仲間か何かなのだろうか。

 

 妖夢達の位置からでは後ろ姿しか見えない為、彼女の表情を伺う事は出来ない。息を呑み込み、より慎重に彼女の様子を伺う事にする。

 ──それから少し近づくと、ボソボソとした声が流れ込んできた。

 

「まったく、屠自古のヤツめ……。あんなに怒る事はないではないか……。我を何だと思っておるのだ……」

 

 少女の独り言、だろうか。その後ろ姿からは何とも言えぬ気まずさが滲み出ており、ともすれば拗ねているようにも見えなくもない。誰かと喧嘩でもしたのだろうか。

 けれどだからと言って油断はできない。罠である可能性だって十分に残されているだろう。敢えて油断してしまうような態度を見せておいて、隙を見て攻撃を仕掛ける算段を組んでいるかも知れない。

 

 剣士としても、そんな手に乗る訳にはいかない。ごくりと生唾を飲み下して、妖夢は彼女へと声をかける。

 

「……そもそも、あやつは少し沸点が低すぎるのだ。何でもかんでも斜に構えおって、あのひねくれものめが……。我はただ良かれと思って……」

「……あの、お取込み中の所すいません。少しお話を伺っても良いですか?」

「……うん?」

 

 尚もぶつくさと何やら不平を呟いていた少女だったが、こちらから声をかけるとピクリと反応を見せた。

 不思議そうにキョロキョロと周囲を見渡した後、少女はおもむろに振り返る。小柄な背丈相応、その少女の容貌は可憐な印象を受けた。

 

 蘇我屠自古という亡霊とは違う。少なくとも彼女のような敵意は感じられないし、何よりこの少女は亡霊ではない。奇妙な霊力を微かに感じ取る事が出来るものの、彼女には確かに肉体がある。

 妖怪や亡霊等と言った魑魅魍魎の類とは違う。けれど人間とも少し違う。この少女は、一体──。

 

「おぉ……おお!!」

「……え?」

 

 思わず口をつぐんで考えていると、不意に少女が感嘆の声を上げる。予想外の反応を前にして、妖夢の思考は強制的に打ち切られてしまった。

 突然目をキラキラとさせて、少女はずいずいっと近づいてくる。当然ながら妖夢の反応は困惑だが、そんな事はお構いなしだと言わんばかりに彼女は言葉を紡ぎ始めた。

 

「なんと! そこはかとなく漂うこの雰囲気……! おぬしも尸解仙なのだな!? そうなのだろう!?」

「は……? えっ? し、尸解仙……?」

「ああ、やはり我の予感は間違っていなかった……! 歓迎するぞ我が同胞よ! 共に太子様の復活を祝福しようではないかッ!!」

「……ええ、と」

 

 ──何だ、この反応は。

 妖夢はますます困惑する。この少女、何か勘違いをしているのではないだろうか。太子様だとか、祝福だとか。何の事だかサッパリである。というかそもそも妖夢は尸解仙などではない。

 そんな中、妖夢と同じく困惑気味に早苗が耳打ちしてきた。

 

「あの、妖夢さん。何だか思ってたとは違う印象の子が出てきちゃったんですけど……」

「うーん……」

 

 そう、その通りだ。つい先程まで蘇我屠自古という好戦的な亡霊に行く手を阻まれていた手前、ここまで歓迎的な態度を取られると反応に困る。

 というか、間違いなく何らかの食い違いが起きてしまっている。まずはその誤解を解かねばなるまい。

 

「あの、ええっと……」

「我の名は物部(もののべの)布都(ふと)だ。よろしく頼むぞ!」

「あ、はい。私は魂魄妖夢です。以後お見知りおきを……じゃなくて! あなたは多分、勘違いをしていますよ」

「む? 勘違い、とな?」

 

 物部布都と名乗った少女は、ぽかんとした様子で首を傾げる。まぁ、予想通りの反応だ。

 妖夢は説明を続けた。

 

「……あなたの体からは死の匂いを感じます。という事は、あなたは尸解仙なんですよね?」

「うむ! おぬしと同じ存在である!」

「いや、そこが勘違いなんですよ。私、尸解仙じゃないですし」

「な、なんだと……?」

 

 勘違いを指摘すると、布都はやたらオーバーなリアクションを見せる。

 虚をつかれたかのように身を引いて、目を大きく見開いて。分かりやすい驚愕を表情に表した後、彼女は目を細めて妖夢の姿を観察する。頭のてっぺんから足のつま先。そして最後に再び視線を戻して。腕を組んで考え込む素振りを見せた後、けれど彼女はいきり立って。

 

「嘘をつくでない! どこからどうみても尸解仙ではないか!」

「いやどこからどうみても半人半霊だと思うんですけど……」

 

 ──成る程。この少女、()()()()()()()なのか。これはまた、蘇我屠自古とは違ったベクトルで面倒な少女に出会ってしまった。

 妖夢は思わず嘆息する。さて、一体どうやって誤解を解くべきか。

 

 尸解仙とは仙人の一種である。仙人と言えば超人的な能力を経た人間の事を示すが、それに到るのに必要最低限の条件は死を超越する事だ。

 死の超越。つまるところ不死の能力。厳密に言えば仙人達は不老不死ではないが、それでもそれに近い程に長寿の生命を得て初めて一人前の仙人足り得るのである。それ故に、仙人達は日々激しい修行を続ける事で肉体を保ち続けていると聞く。

 

 その中でも尸解仙は、輪廻転生の輪から外れる事で死を超越した仙人であると聞いている。自分自身に強い呪いをかける事で一度死を経験し、そこから文字通り()()事で輪廻転生を抜け出すのである。

 言葉に表すと簡単だが、実際にそれは限りなく高度な仙術であると言える。輪廻転生の輪から外れるという事は世界の理に背くという事であり、世界の理に背くという行為は並大抵の能力では到底成し遂げられない暴挙だという事である。狂乱とも言って良い。

 はっきり言って無謀だ。仮にそれで輪廻転生の輪から外れる事が出来たとしても、今度は死神達から優先的に命を狙われる事となる。それではどっちみち死と隣り合わせである事に変わりはなく、あまりにもリスキー過ぎるではないか。博打どころの騒ぎではない。

 

(まぁ、仙人達は変わった人が多いって聞くけど……)

 

 妖夢からしてみれば、そこまでして死を超越しようとする事に意味はないように思える。が、相手は仙人を志す()()()()である。妖夢の持つ常識なんて、彼女達にとっては意味のないものなのかもしれない。

 

 閑話休題。

 とにもかくにも、彼女から死の匂いが漂っているという事は、それはつまり一度死を経験した事があるという事だ。にも関わらず、今の彼女はどこからどう見ても死んではいない。しっかりとした肉体を持って、こうして妖夢達の前に現れている。

 尸解仙として、眠りから目覚める事に成功したのであろう。まだ死の匂いが色濃く残っているという事は、十中八九復活したばかりという事なのだろうけれど──それでも大したものである。早苗達とそう歳は変わらなさそうな少女に見えるのに、こうして仙人として復活する事が出来るなんて。

 

(この人が凄いのか、それとも……)

 

 まぁ、それは一旦置いておく事にしよう。

 今問題なのは、彼女がどういった経緯で尸解仙なったのかという事ではない。彼女が妖夢の事を尸解仙だと勘違いしている状況である。

 

「あの、布都さんはいつ頃目覚めたんですか? その様子だと、目覚めてからあまり時間は経っていないように見えますが……」

 

 このまま仙人ではないと否定をしても、この少女は聞く耳をもたないような気がする。その為、まずは違った観点から話を振ってみる事にした。

 すると布都は、なぜだか得意気な表情を浮かべてそれに答える。

 

「うむ! 何を隠そう、つい先程目覚めたばかりなのだ! 太子様より先に我が実験台となって魂を移植したのだが、どうやら上手くいったようであるな。首尾は上々である!」

「……魂を、移植した……?」

 

 それが尸解仙となる為に必要な呪いなのだろうか。知識の乏しい妖夢には、何が何だかちんぷんかんぷんである。

 ともあれ、他にも気になる事はある。それは先程も布都が口にしていた、太子様なる人物の事である。

 太子様。それは一体、誰の事を示しているのだろう。霍青娥か? それとも別の誰かか。聞いてみるのが手っ取り早い。

 

「あの、太子様というのは一体……?」

「む? 太子様は太子様に決まっておるだろう。何を言っておるのだ?」

「い、いや、それじゃ意味分かりませんし……」

 

 ──駄目だこの少女、さっきから微妙に話が噛み合わない。

 どうやら彼女の中では、妖夢は既に太子様なる人物の事を認知している事になっているらしい。ひょっとして、宗教の教祖か何かなのだろうか。いや、どちらにせよ全く心当たりはないのだけれど。

 

「ところで、妖夢殿はどうやって尸解仙になったのだ? やはり我らと同じように、苟且の体を用意して魂を移植させたのか? それとも何か別の方法が……!?」

「い、いえ、ですから私は尸解仙ではなく……」

 

 結局話はそこに行きつくのか。

 再び目をキラキラとさせつつも、ずいずいと妖夢に詰め寄ってくる物部布都。流石の妖夢もこれには少々参って来た。

 何と言うかこの少女、あまりにも思い込みが激し過ぎである。一度そうであると判断したら、意地でも考えを変えないつもりなのだろうか。いや、意地云々以前にそもそも勘違いに気付いていないようなのだけれど。

 

 何だか頭が痛くなってきた。どうしてこんな事に。

 

「妖夢さん妖夢さん」

「……えっ?」

 

 そんな中。これまで布都とのやり取り傍観しているだけだった東風谷早苗が、妖夢の肩を叩きつつも声をかけてくる。振り向くと、何やら彼女は不敵な表情を浮かべていた。

 この表情。早苗がこんな表情を見せるのは、決まって何かを思いついた時である。ひょっとして、この不毛なやり取りを打開する方法を思いついたのだろうか。だとするのならば助かった。妖夢の力ではにっちもさっちもいかなくなってきた所だ。

 

 お願い早苗、力を貸して。

 目線でそう訴えかけると、任せておけと言わんばかりに早苗は力強く頷く。何と心強いのだろう。困ったときに持つべきものはやはり友達である。

 ここは早苗に任せよう。今の彼女ならば、きっと華麗にこの誤解を解いてくれて──。

 

「ふっふっふ……。妖夢さん、そんなにご謙遜なさらなくても良いんじゃないですか?」

「…………っ。はい?」

 

 ──いきなり何を言い出すのだ、この少女は。

 

「むむむ……! おぬしは何者だ? 見た所、尸解仙ではないようだが……」

「ああ、すいません。申し遅れてしまいましたね。私の名前は東風谷早苗。幻想郷で神様をやってたりします」

「な、なに……!? 神様だと……! それは真か!?」

 

 困惑する妖夢の傍らで、早速早苗が布都へと自己紹介している。神様をやっているなどと早苗は言うが、厳密に言えば彼女は現人神であって殆ど人間である。そんな説明じゃまた誤解を生むような気がするのだが。

 

「成る程、そうか! 我を天界に迎え入れようというのだな? ふむふむ、これも一度死んでみた甲斐があったというものよ!」

「いえ、違いますけど」

「……。えっ……? ち、違うのか……?」

「ええ、違います。限りなく違います。掠ってすらいません」

「…………」

 

 この少女、真顔でばっさりと言い捨てやがった。中々どうして、情け容赦ない。

 呑気にもそんな事を考えていた妖夢だったが──。

 

「な、なら、何用でここに……?」

「私は妖夢さんの付き添いですよ。何せ妖夢さんは崇高で高貴なお方ですからね。彼女くらいの地位になると、例え神様だろうとも側近として傍に置く事ができるのです!」

「……は? ちょ、ええ!? さ、早苗、一体何を言って……!?」

「な、何と! そこまで高名なお方だったとは……! こ、これはとんだご無礼を……!」

「あっ、い、いえ、わ、私は、その……!」

 

 いやいやいやいや、待て待て待て。

 早苗は一体、何を言っている? 訳が分からな過ぎるではないか。彼女は布都の誤解を解こうとしているのではなかったのか? それなのにますます誤解を広げてどうする。しかもあまりにも無茶苦茶で、その上しっちゃかめっちゃかな──。

 

「ちょ、ちょっと早苗! どういうつもり……!?」

「妖夢さんは黙っててください。私にドーンと任せておけば、すぐにバッチリ解決しますから!」

「い、いや、任せておけばって……」

 

 耳打ちすると、やたら自信満々な様子で早苗が言い返してくる。

 何がドーンだ。いや、確かに、ドーンと吹き飛ぶ程に衝撃的な話だったけれども。

 

「いいですか? とにかく妖夢さんは、聡明で格式高い高潔な仙人様なのです。言わば仙人の中の王女様……。そう! クイーン・オブ・仙人とは、妖夢さんの事なのですよ!」

「おお……! 意味は全く分からぬが、何やら凄そうな響きであるな!」

「そうでしょうそうでしょう? そりゃもう物凄いんですから!」

 

 いや、本当に意味が分からない。何だ、クイーン・オブ・仙人とは。思った事を適当に口にしているだけではないだろうか。

 というか、最早完全に妖夢が仙人である体で話を進めてしまっているではないか。誤解を解く気なんて微塵も感じられない。この会話の着地点は、一体──。

 

「そしてその妖夢さんが、えっと……太子、様? の復活をご祝福なさろうというのです! この意味……あなたなら分かりますよね?」

「う、うむ……! 流石にそれなら心得ているつもりである!」

 

 やたら緊張した面持ちで、布都は再び妖夢へと向き直る。その様子は、早苗の言葉全てを完全に鵜呑みにしているかのような印象を受ける。

 ──いや、比喩でも何でもない、本当に鵜呑みにしてしまっているのだろう。あまりにも素直過ぎるというか穢れを知らな過ぎるというか。この少女、色々な意味で大丈夫なのだろうか。

 

「これまでのご無礼、謹んでお詫び申し上げる。おぬしのような者に祝福されれば、御同慶の至りである」

「あー……。はい、そうですか……」

「では、太子様のもとまで案内いたそう。どうぞこちらに……」

 

 くるりと踵を返しつつも、布都は妖夢達の先導を始めようとする。まるで疑う素振りも見せず、真っ直ぐに早苗の言葉を信じ切って。ここまで清々しい程に受け入れらると、幾ら何でも妖夢の良心が痛んでしまう。罪悪感が凄まじい。

 思わず妖夢は早苗へと耳打ちする。

 

「さ、早苗……。これって……」

「ええ。誤解を解くのも面倒なので、このまま勘違いしてもらう事にしました」

「…………」

 

 やっぱりそういう事だった。

 

「私達には時間がないんです。話を聞く限りでは、太子様って人が異変と密接に関わっている可能性が高いじゃないですか。だったらその人から話を伺うのが先決です」

「そ、それは、そうかも知れないけど……」

「それにほら、あちらから招き入れてくれるみたいじゃないですか。妖夢さんが高名な仙人だという事にしておけば、こちらとしても都合が良くないですか? 無駄な戦いも避けられそうですし」

 

 確かに、早苗の言う事も一理ある。

 時間だってあまり残されていない。それなのに誤解を解く事に時間を費やしてしまうなど、まさに本末転倒である。妖夢達の目的はあくまで異変を解決する事であって、自分達を相手に認識して貰う事じゃない。

 それは分かっている。分かってはいるのだけれども。

 

「で、でも、私……」

「大丈夫ですよ。妖夢さんなら仙人っぽく振舞えますって絶対」

「い、いや、だからそういう問題じゃ……」

 

 ウインクをしつつも早苗は励ましてくれるが、けれど彼女は妖夢の心配事を履き違えているような気がする。確かに仙人を演じる事に対する不安感は残されているものの、それよりなにより心配なのは物部布都に対する事である。

 あんなにも素直で純粋無垢な少女を、このまま騙し続けても良いものなのか。しかし早苗は、その点をあまり気にしていない様子で。

 

「さ、早苗って、たまに結構えげつない事するよね……」

「……え? 何か言いました?」

「……ううん。何でもない」

 

 彼女も大概、大胆不敵な少女である。秘封倶楽部のリーダーを彷彿とさせる豪胆さだ。

 

 まぁ、何にせよ。

 ここまで来てしまったら、最早後戻りはできまい。今は早苗の策に乗り、物部布都に太子様とやらのもとまで案内して貰う事にしよう。

 

 

 *

 

 

 夢殿大祀廟の内部へ続く入口は、意外にもそれなりに目立つ位置に備えられていた。

 その形状を強いて形容するならば、巨大な門だろうか。霊廟の周囲をぐるりと旋回しつつも観察した時は、こんな門などどこにも見当たらなかったはずなのに。けれど布都に案内されると、あっさりとその目の前に辿り着く事が出来た。

 まるで、そこに存在するのが当然であるかのように。その壮観な門は、静かに佇んでいた。

 

「これは……」

 

 妖夢は思わず呟く。

 おそらく、これも結界か何かの効力なのだろう。徒に侵入されぬよう、視覚を惑わす論理的な結界でも張っていたのかも知れない。幾ら探しても見つからない訳である。

 

「太子様はこの先の神霊廟におられるのだ! 長き眠りから目覚め、遂に人間を超えて復活されたのだぞ!」

「……神霊廟、ですか」

 

 それは、夢殿大祀廟とは何か違うのだろうか。或いは、墓の内部を便宜上そう呼称しているだけなのかも知れないが。

 ともあれ、これで道は開けた。後はこの門を抜け、太子様なる人物と対面するだけである。話が通じる相手なのかどうかは今のところ定かではないが、布都や屠自古の事を思い出すとあまり期待は出来ないかも知れない。二人とも、ベクトルは違えどあまり話が通じないタイプの少女である。

 

「遂にお相手のリーダー格とご対面ですね。さてさて、鬼が出るか蛇が出るか……。霊夢さんの言葉を借りるのならば、あまり面倒な相手じゃなきゃいいんですけどね」

「……既にかなり面倒な事になっちゃってるような気がするけど」

 

 盛大な勘違いをされてしまっている、という意味で。

 

 まぁ、それはそれとして。

 先導する布都に続くような形で、妖夢と早苗も巨大な門を潜ってゆく。木製だがやたら頑丈な扉がおもむろに開き始め、その隙間からこれまた不思議な霊力が漏れ出していた。

 やはり、墓地とは思えぬ程に生気に満ちた霊力である。例え相手が尸解仙であろうとも、これ程までの生気は生半可な仙人が放出できる代物ではない。

 

 妖夢は思わず身震いする。

 一体、相手はどれほどまでの存在なのだろう。命蓮寺の住職か、それとも守矢神社に祀られている二柱の神か。或いはそれ以上なのだろうか。

 警戒心と集中力を高めつつも、妖夢は早苗と共に神霊廟へと足を踏み入れる。

 

 瞬間。

 二人の少女は、それぞれ驚倒する事となる。

 

「…………っ!」

「こ、これは……!」

 

 思わず言葉を見失ってしまう妖夢と、同じく思わず声を漏らしてしまう早苗。門を潜り終えた途端、二人の目に飛び込んできたのはあまりにも壮観な光景だった。

 夢殿大祀廟の外観からは想像できない程に、あまりにも広大で生気に満ちた空間。そこには外の比ではない程に大量の神霊が、所狭しと集まっていたのである。ぼんやりと瞬く神霊の群れを敢えて形容するならば、まるで星空のようだ。淡い光を放つ神霊達が集まり過ぎて、既に巨大な光源として機能しつつある。

 

 当然ながら異様な光景である。欲の具現である小神霊が、この一か所にここまで集まってしまうなんて。

 

「既に内部には神霊で一杯だったって事ですか……!? でも、それにしたって……!」

「うん……あまりにも数が多すぎる。禍々しい感じはしないけど、それでも流石にこれは度が過ぎてるかも……」

 

 これが、太子様なる人物の力の一端なのだろうか。意図せずに、これ程までの神霊を集めてしまうなど──。

 

「太子様ー!」

 

 布都の元気な声が響く。自らが仕えるその者の名を、彼女が声高に口にする。

 

 神霊廟の中央部。数多くの神霊達に囲まれて、“彼女”はそこにいた。

 特徴的なのは髪だ。幻想郷にはお燐などのように頭の上に耳がある妖怪も多数存在するが、彼女はそれを彷彿とさせるような髪型をしている。衣服はノースリーブの上着にスカートを着用しており、手には杓、耳元にはヘッドホンのような耳当ても確認できる。まるで外界の音をシャットアウトしているかのような印象を受けるが、けれどそれと同時に底知れぬ奇妙な“感覚”もひしひしと伝わってくる女性だった。

 その“感覚”を強いて言葉に表すならば、まるで全てを見透かされているかのような──。いや、厳密に言えば()()()()()()訳ではない。彼女には、()()()()()()()()()()のだ。声として発してすらいない、心の内の言葉さえも──。

 

「こ、これは……?」

「……妖夢さんも、感じましたか……?」

 

 早苗にそう問いかけられ、妖夢は頷いてそれに答える。

 女性に近づけば近づく程、何かを聞かれてしまっているような感覚がますます強くなってくる。相手は耳当てをしている上に、目を瞑って他の何かに集中し切ってしまっている様子なのに。いや、だからこそ神経が研ぎ澄まされているかのような印象を受けるのだろうか。

 

 この感覚。気味は良くないが、それでもやはり邪悪な雰囲気ではない。目の前にいる彼女は少なくとも悪人とは思えず、神霊達を使って何か良からぬ事を企てているような様子もない。

 

 物部布都が太子様と呼んで慕い、蘇我屠自古が全身全霊で守り抜こうとする人物。

 彼女は、一体──。

 

「……君達の行動、全て見させて頂きました」

「えっ……?」

 

 不意に彼女が、言葉を発する。妖夢は思わず間の抜けた反応を見せてしまった。

 ゆっくりと、女性は瞑っていた目を開ける。薄い黄金色の彼女の瞳が、妖夢達の姿を捉えていた。

 芯のある瞳。真っ直ぐで、確固たる意志をその胸に秘めた者の眼だ。邪な考えだとか、不純な企みだとか。そんな物は一切感じられない。彼女が抱くのは紛れもない正義そのもので、妖夢がイメージする黒幕の姿と対極であるように思える。

 

 聖人。

 覚えた第一印象のみで彼女を称するならば、まさにその言葉がピッタリだ。

 

「布都。彼女達の先導、ありがとうございます。とても良い働きでした」

 

 すると女性は、物部布都へと視線を移しつつもそう口にする。当の布都は、ふふんと鼻を鳴らしながらも自信満々に胸を張って。

 

「いえいえ、当然の事をしたまでです! 彼女ほどの高名な仙人が太子様の復活を祝福なさりたいと言うのならば、通さぬ理由はありませんので!」

「……ええ。確かに、そうかも知れませんね。しかし君は一つ重大な勘違いをしている」

「……へ?」

 

 途端にポカンとした表情を浮かべた布都から視線を外し、女性は再び妖夢達へと向き直る。今一度妖夢の姿を確認した後に、彼女は薄い笑みを浮かべて口を開いた。

 

「……妖夢、と言いましたね。君は尸解仙でも、そもそも仙人ですらないのでしょう?」

「…………っ!」

 

 どくんと、心臓が跳ね上がる感覚。背筋に悪寒が走り抜け、不意に息を詰まらせてしまって。それはまるで、喉元に刃物でも突き付けられたかのような。そんな感覚。

 今、目の前にいるこの女性は何と言った? まだ名乗っていないはずの、妖夢の名前を口にして。そもそも仙人ですらないのだろうと、彼女は言い切ったではないか。今、彼女とはこの瞬間に対面したばかりであるはずなのに。まるで、先程の布都とのやり取りから、本当に()()()()()()かのような──。

 

「ど、どうして……」

「言ったでしょう? 君達の行動は見させて貰った、と……」

 

 さも当然の事であるかのように、女性は言う。

 まさか、そんな馬鹿な。彼女は本当に、見ていたとでもいうのだろうか。妖夢達はどのように行動し、そしてどのような手段を使ってここまで辿り着いたのか。その一部始終を──。

 

「た、太子様! 太子様までそんな事をおっしゃられるのですか!?」

 

 すると布都が、何やら実に不満気な面持ちで太子様なる女性へと声をかける。

 流石に妖夢達にもやったようにぐいぐいと身を乗り出す事はない。けれどそれでも精一杯に感情を高めて、彼女は相も変わらず頑固な意地を貫き通す。

 

「よく見て下さい! 妖夢殿の身体からは、我らと同様に死の匂いが漂っているではありませんか! これぞまさしく、彼女が尸解仙であるという証拠……! それに早苗殿だって、妖夢殿の事を高潔な仙人だと……」

「……布都。君のその思い込みが激し過ぎる癖、いい加減直した方がいい」

 

 呆れ気味に嘆息しつつも、女性は布都へとそう告げる。けれども布都はイマイチ状況を理解できていないようで、再びポカンとした表情を浮かべてしまった。

 そんな彼女へと向けて、女性は説明を開始する。

 

「確かに、妖夢からも死の匂いを感じ取る事は出来ます。しかしそれは彼女が尸解仙だから、という訳ではない。それは彼女本人も何度か否定していたはず」

「し、しかし……! それは単に妖夢殿のご謙遜というだけでは……?」

「……人間には十の欲望があります。けれど彼女からはその内の二つ……生の執着と死への羨望を上手く感じ取る事ができない。それが意味する事は、即ち」

 

 そこで女性は、妖夢へと視線を戻して。

 

「妖夢。君は単なる人間ではないという事です。けれど仙人という訳でもない。恐らく、生と死の特性を同時に併せ持つ存在……。傍らに連れる霊魂から察するに、君は幽霊と人間のハーフなのでしょう?」

「……っ。え、ええ、そうです。私は半人半霊……。既に半分死んでいる身です」

 

 しどろもどろになりながらも、妖夢は何とかそれに答えた。

 何だろう、この感覚。妖夢の正体なんて、半霊という特徴を認識すればすぐに見抜ける事だ。無論、半人半霊という種族の事を知識として知っておく必要はあるが、だからと言って正体を暴かれるという事に関しては然程驚く要素ではない。

 

 けれども。それでも、何かがおかしい。

 彼女は欲望を上手く感じ取れないと言った。生の執着と、死への羨望。半人半霊の妖夢にとって、確かにその欲望は普通の人間とは違った在り様しているのかも知れない。未来で出会ったあの青年が妖夢の“生命”を上手く視認できなかったのと同じ原因だ。

 しかし。だとするのならば、彼女には視えているのだろうか。

 人間や妖怪達が普遍的に持っている、欲望という感覚が──。

 

「そ、そんな……。で、では、妖夢殿は……尸解仙ではない、のか……?」

 

 そんな中。ようやく自らの誤解に気付いてくれた布都が、まるで虚をつかれたかのように衝撃的な表情を浮かべている。目を見開き、ぷるぷると身体を震わせ、そして大きく身を引いて。暫しの間パクパクと口を開閉させていたが、程なくして何とか言葉を絞り出す。

 

「し、しかし……早苗殿だって……」

「あっ……あー……。ええと、それはですねぇ……」

 

 流石の早苗もこれ以上のゴリ押しは不可能だと判断したらしい。けれどどうやらその先の事は全く考えていなかったようで、彼女もしどろもどろになってしまっているようだ。目を泳がせて気の利いた言い訳でも探しているのだろうが、生憎言葉が全く出てこない様子。詰めの甘さが完全に露呈してしまっている。

 

 ぷるぷると震える布都に、おろおろと言葉を詰まらせる早苗。状況は完全に硬直し、やがて声すらも出てこなくなって。

 あまりにも気まずい雰囲気が漂い始め、居たたまれない静寂が続く事十秒。

 やがて。

 

「……っ。ふえっ……」

 

 物部布都の瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。

 

「ふえっ、ふぇぇぇぇ……!」

「ちょっ……ええっ!? 何でそこで泣いちゃうんですかっ!?」

「だ、だって……だって早苗殿だってぇ……! 妖夢殿の事を、仙人様だってぇ……!」

「い、言いましたけど……! 確かに言いましたけど! そ、それは、その……えっと……」

 

 マジ泣きである。正真正銘、まごう事なきマジ泣きなのである。最早完全に早苗の方が悪者のような構図だ。

 いや、まぁ確かに丸め込もうとしたのは事実であるし、そういう意味では早苗にも非はあるのだけれども。

 

「ひっく、ううっ……。わ、我は、ただ太子様の復活を祝福したくてぇ……! それなのに、なのにぃ……!」

「ああっ、えっと……な、泣かないで、泣かないで下さい……。私は別に、あなたを騙そうだとか、そういうつもりじゃなくて……。その……」

「ふぇぇぇぇん……!!」

「ご、ごめんなさい! 私が悪かったですから……! だ、だから……! だから……」

 

 宥める早苗。それに対し、泣き崩れる布都。この少女、幼児退行してしまっているのではないだろうか。ここまで本気で泣かれてしまうと、胸の奥が締め付けられて仕方がない。

 どうやら、流石の早苗もそろそろ罪悪感が凄まじい事になってきたようだ。宥めつつも、彼女もまた泣き出しそうな表情を浮かべている。

 

「……良いんですよ、早苗。君だけが責任を感じる必要はない。我々にだって非はあります」

 

 そろそろ事態の収拾がつかなくなってきた辺りで。太子様と呼ばれる女性が、慈悲深い表情を浮かべて二人の間に割って入る。未だ泣きじゃくる布都の肩にそっと手を添えた後、彼女は至極優し気に。

 

「君達にはウチの布都……それに、屠自古もですか。二人が迷惑をかけました。この子達には共通して、少々思い込みが激しい所があるのです。けれど決して悪気がある訳ではありません。その点は理解して欲しい」

「い、いえ、そんな……! 私達だって、その……騙してた部分も、ある訳ですし……」

 

 ──何なのだろう、この展開は。

 これまでの異変の黒幕は、どこか排他的というか、利己的な目的を持つ者が殆どだったはずだ。赤い霧で日光を遮断したレミリア然り、月を太古のものとすり替えた永琳然り。幽々子だって、突発的な思いつきによりあのような異変を引き起こした。

 

 それなのに、どうだろう。太子様と呼ばれるこの女性は、今までの黒幕とは違う。少なくとも、意図的に異変を引き起こした訳ではないように思える。自己中心的だとか、悪行に対する無自覚さだとか。そんな物は一切感じられない。

 困惑するなという方が無理な話だ。異変を解決する為に、妖夢達はこんな所まで飛んできたと言うのに。

 

「よ、妖夢さーん……? ど、どうしましょう……? この人達、何だか普通に良い人みたいなんですけど……! 私達の方が変な思い込みをしてたみたいなんですけど……!!」

「う、うん……。ど、どうしようか……?」

 

 耳打ちする早苗に対し、妖夢はただ困惑した表情を浮かべる事しかできなかった。

 

 

 *

 

 

「自己紹介が遅れましたね。私は豊聡耳(とよさとみみの)神子(みこ)です。どうぞよろしくお願いします」

 

 程なくしてようやく布都が泣き止んでくれた頃。太子様と呼ばれていた女性が、思い出したかのように自己紹介をしてきた。

 

 豊聡耳神子。物部布都と同様、彼女もまた尸解仙として最近復活したばかりらしい。元々は国の未来を見据える為政者のような事をしていたらしいのだが、とある理由で不老長寿を齎す道術の研究を開始。政治と並行として研究に研究を重ね、遂に尸解仙となる為に秘術を使って眠りについた。

 それが千年以上も前の出来事だというのだから更に驚きである。魑魅魍魎の類が国中でも活発的に活動し、ひょっとしたら生前の西行寺幽々子すら生まれていなかった時代。長寿な妖怪から見ても途方もない時を経て、豊聡耳神子というこの女性は現代に蘇ったのだ。

 正真正銘、人間を超越した“聖人”として──。

 

「私は為政者として国を導く立場に居る一方で、人間の持つ運命に不満を抱いていました。海も大地も空も、神々の時代から何一つとして変わっていない。それなのに我々人間には、死という終着が待ち受けている。本質的には世界は何も変わっていないのに、なぜ人間はそんな運命を受け入れなければならないのか」

 

 豊聡耳神子は天才であった。けれど天才である故に、彼女はそんな葛藤を抱いてしまった。

 幼少より尋常ならざる才能を発揮し、国を導ける程の力を得る事が出来たはずなのに。それでも彼女は、強い疑問と不安を抱いてしまったのである。

 

「そんな中、私に道教を勧めてくれる()()が現れました。自然を崇拝し、自然と一体になる事で不老不死を得る教えです。それ故に、その教えならば……私が求める真理へと、辿り着く事が出来るのではないか、と。私はそう考えました」

 

 一言一句を噛み締めつつも、神子は語る。それはまるで、つい最近の出来事であるかのように。

 ──いや。千年以上の眠りから覚めたばかりの彼女にとって、それは本当につい最近の出来事であると感じているのかも知れない。人間の運命に不満を抱き、それ故に不老不死を求めて。その最中に突如として提示された、道教という宗教。

 それは当然、神子の心を躍らせた。

 

「しかし、道教では何時まで経っても国を纏め上げる事は出来ません。当然です。自然と一体になると言えば聞こえは良いですが、けれどそれはつまり自然を我が物にする事と同義なのです。そのような宗教が蔓延すれば、世は混乱を極める事になるとは想像に容易い。そこで私は道教を勧めた()()()の助言も加味して、表向きには仏教を信仰する事にしました」

 

 仏教は一切の苦しみからの解放を目指す宗教である。平和と秩序を目指す政治の世界では、確かにそれは打ってつけの宗教だ。

 それ故の虚像の信仰。彼女は政治には仏教を利用しつつも、裏では道教を信仰して不老不死の研究を進めた。

 

「その結果、私は超人的な力を得る事が出来ました。表向きには仏教を信仰して国を導き、そして裏向きには道教を信仰して不老不死を求める。私は着実に、私の思い描く理想へと歩を進めてゆきました」

 

 けれど当然、いつまで経っても順風満帆とはいかない。

 不老不死。それは輪廻転生の輪から外れ、世界の理に背く暴挙。貪欲にそれを求めれば、当然しっぺ返しを食らう。

 

「不老不死の研究を続けていたある日、私は身体を壊してしまいました。道教による不老不死……つまり錬丹術です。その主な原材料である辰砂等の有害物質が、私の身体を蝕んだのでしょう。不老不死を求めた末に、皮肉にも私は死へと大きく近づいてしまった訳です」

 

 神子の口調はどこか自嘲気味だ。

 不老不死を求め続けた末の死。冷たいようだが、それは自業自得であると言わざるを得ない。不老不死とは、それほどまでに非合理な禁術なのだ。徒に求めるべきではない。

 

 豊聡耳神子の場合、仏教を篤く信仰していると()()()()()おきながら、実際は道教を信仰していた。彼女はあくまで、政治の為に仏教を()()()()()()にすぎないのだ。

 為政者として、平和と秩序を目指していたはずなのに。不老不死を求めるあまり、いつの間にか彼女はその秩序を冒涜し続けていたのである。

 それ故に、彼女は罰が当たったとでも感じているのかも知れない。政治の為だけに仏教を冒涜し、不老不死の為だけにその身を禁術に染める。これは、そんな自分自身に対する報いなのだと。彼女はそう思っているのかも知れない。

 

「それでも、私は死を受け入れる事はできなかった。だから私は、未成熟ながらも尸解仙となる事を選択しました。国が仏教に限界を感じ、聖人と称えられた私を求める日が何時しか訪れるはずであると。そんなもっともらしい御託を並べて、私は眠りについたのです」

 

 それが、今から千年以上も前の出来事。

 豊聡耳神子という女性が、尸解仙となったキッカケのお話。

 

「……あとは君達も知っての通りです。結局国は私を求めるような事などなく、それどころか仏教徒達はこの霊廟を封印し続けました。私の企みはバレバレだった訳ですね。……そして、私という存在が空想上の伝説だという“常識”が浸透し始めた今日。私はこの幻想の世界で復活を果たしたという訳です」

 

 豊聡耳神子の物語は、そこで一旦の区切りを迎える。

 

 ──その話を聞いて、妖夢は一つの確信を胸中に抱き始めていた。

 やはり彼女は、意図的に傍迷惑な異変を引き起こすような人物ではない。ひょっとしたら昔はそうだったのかも知れないが、少なくとも今現在は違う。

 彼女は罪を認識し、それを受け入れる事が出来る人物だ。物事を客観的に分析し、その善し悪しを判断する事の出来る人物なのだ。それ故に、純粋な黒幕とは成り得ない。

 

 そう。この人は、違う。

 この人は、妖夢が抱く()()の原因ではない。

 

 この人は、二年前の()()()()()とは直接的な関係はない。

 

 

「……あなたの事情は、分かりました」

 

 そこで妖夢は、ようやく言葉を口にする。

 ふぅっと息を吐き出し、強張っていた肩の力をゆっくりと抜いて。警戒心は、いつしか抜け落ちていた。

 

「要するに、神霊達は復活したあなたに中てられて活発化したという事ですね。聖人と呼ばれる程のあなたの力が、神霊達を引き寄せているという事ですか」

「……ええ、その通りです。私は生前、十人の話を同時に聞き続けてきました。そして尸解仙として復活した今、私は十人の欲望を理解する事でその本質さえも聞き取る事ができるようになっています。この低俗霊は、そんな私の『能力』に引き寄せられてしまっているのでしょう」

 

 神子が第一声に口にした「行動を全て見せて頂いた」という言葉は、その『能力』を利用したという事なのだろう。神霊達の欲望と本質を理解する事で、神霊達が()()()()光景を神子は共有したのである。あちこちで神霊が溢れかえっている今なら、ひょっとしたら彼女は幻想郷の全てを見通す事だって可能なのかも知れない。

 

 ──いや。或いは、既に妖夢の本質さえも、彼女には見抜かれてしまっているのかも知れない。

 欲を聞き取り、本質を見抜かれ。自分が辿った軌跡の全てが、彼女には筒抜けなのだとしたら。どうしても、彼女の前では委縮してしまう。

 

「ふっふっふ……。どうだ! 太子様の力は本物であろう? 何せこれほどまでの低俗霊に影響を与える事が出来るのだからな!」

「……まぁ、その所為で『異変』として認識されてしまっているんですけど……」

 

 なぜだか自慢気な布都の事は、取り合えず置いておく事にして。

 

「神子さん。それでしたら、何とかして神霊達を抑える事はできませんか? 人間達に危害を加える危険性は低いとは言え、それでも幻想郷はちょっとした騒ぎになっちゃってるんです。このまま放置しておくわけにもいきません」

「……そ、そうですね。実は、その件についてなんですが……」

 

 そこで不意に、神子の歯切れが悪くなる。

 バツが悪そうに頬を掻いて、一瞬だけ妖夢達からも視線を逸らして。けれどそれでも意を決したように、彼女は再び向き直る。

 

「……既に存じ上げていると思いますが、私はつい先程尸解仙として目覚めたばかりなのです。生前にも持っていた超人的な能力に加え、今は尸解仙としての力もこの身に宿りつつあります」

「……欲望を理解する事で、その者が持つ本質さえも聞き取る事が出来る『能力』ですか」

「ええ。ですが……。恥ずかしながら、私の覚醒はまだ不十分なのです」

「……不十分?」

 

 頷きつつも、神子は説明を続けた。

 

「私は『十人の話を同時に聞くことが出来る能力』を持っています。尸解仙になった事によりその『能力』が拡張され、君が言ったような芸当も出来るようになりました」

 

 そこで彼女は、「しかし……」と口にする。

 

「今の私は、拡張された『能力』を使い熟せていないのです。確かに、欲望を聞き取る事は出来ている。けれどそれ以前に、漏れ出すこの霊力を上手く制御できていない。いや、自分でも抑えきれてないと言った方が正しいか……」

「えっと……つまり、こういう事ですか?」

 

 口を挟んだのは早苗だ。

 控え目に手を上げた後、彼女は神子へと一歩近づいてから再び口を開く。

 

「今のあなたの能力は、寝起きの所為で軽い暴走状態にある。だから意図せず神霊達が集まってしまう、と」

「……ええ。そういう認識で結構です」

 

 成る程、そういう事だったのか。

 千年以上の眠りから目覚めたばかりである故に、彼女はまだ尸解仙としての能力に馴染めていないのだろう。膨れ上がる霊力を上手く調節する事ができず、放出したままの状態になってしまっている。

 しかも神子は聖人と称えられる程の人物。その復活を本能で感じて、集まってきてしまった神霊達も少なからずいるはずだ。

 

 それらの要因が重なった結果、このような異質な状況が生み出されてしまっている。幻想郷では無尽蔵に神霊達が生まれ続け、そして豊聡耳神子のもとへと一挙に集まってゆく。

 それでは流石に具合が悪い。幾ら低俗霊とはいえ、これ以上数が集まるとそれこそ収拾がつかなくなってしまう。大量の欲望が一か所に集まり続けた結果、二次的な『異変』が引き起こされる危険性だってあるだろう。

 

(このままじゃ、何か起きるか分からないし……)

 

 だとするのならば見過ごす訳にはいかない。何らかの策を講じなければ──。

 

「神子さん、何とかなりませんか? せめて霊力を抑え込むだけでも……」

「……少しずつ、馴染んできてはいます。けれど完全に抑え込む為には、もう少し時間が……」

「そんな……」

 

 豊聡耳神子の霊力は、思った以上に強力なものらしい。寝起きとは言え、馴染むまでにこれ程までの時間を要するくらいだ。並みの妖怪など一捻りだろう。

 けれど今回はその強力な霊力の所為で、『異変』は泥沼化してしまっている。神子の溢れる霊力の影響を受けて、神霊達はますます活性化してゆく。

 

 既に『異変』は幻想郷中へと広がってしまっている。このまま悠長に神子の能力が馴染むのを待ってはいられない。

 しかし、だとすれば──。

 

「……一つ、方法があります」

「……えっ?」

 

 いよいよ八方塞がりなのかと思い始めていた妖夢だったが、神子の思いがけない言葉を前に一瞬だけ間が抜けてしまう。

 すぐさま気を取り直して、妖夢は神子へと聞き直す。

 

「それは……神霊達を抑え込む方法がある、という事ですか?」

「ええ。……厳密に言えば、私の完全なる覚醒を早める方法……ですが」

 

 完全なる覚醒。つまるところ、能力がその身に馴染む事を示しているのだろう。確かに霊力を制御できるようになれば無意味に放出してまう事もなくなり、徒に神霊達を引き寄せてしまう事もなくなるだろう。やがて神霊達の興奮状態も収まってゆき、騒動は収束に向かう事となる。これで『異変』は解決だ。

 

 まさかそんな方法があったのとは。なぜもっと早く言ってくれなかったのだろう。

 ともあれ、異変を解決する貴重なチャンスである。話を聞く以外に選択肢はない。

 

「先程も説明した通り、私の覚醒はまだ不十分です。能力が軽い暴走状態にあるという早苗の認識も、間違っていません。少しずつ霊力を抑える事で身体に馴染ませる事は可能ですが、それだとどうしても時間がかかってしまいます」

 

 「そこで……」と、神子は続ける。

 

「妖夢、そして早苗。どうか君達の力を貸して欲しい」

「……私達の、ですか?」

 

 神子は頷いてそれに答えてくれるが、当の妖夢は困惑顔を浮かべてしまっていた。思わず早苗と顔を合わせると、彼女もまた状況が呑み込めぬような表情を浮かべている。

 イマイチ話が見えてこない。はっきり言って、妖夢だって霊力の扱いはそれほど得意な方ではない。スペルカードルールに則った弾幕を展開する事なら出来るものの、相手に何かを働きかけるなどとてもじゃないが難易度が高すぎる。寧ろ不可能だと言ってしまっても良い。

 だとしたら早苗か? 彼女の持つ『奇跡を起こす程度の能力』に期待しているのだろうか? いや、それとも──。

 

「……どうやら少し誤解を与えてしまったようですね。君達の力で私の霊力を抑えて欲しい、という訳ではありませんよ?」

「えっ……? そ、そうなんですか?」

 

 ──少し履き違えた解釈をしてしまったようだ。

 改めて、神子は説明を開始する。

 

「簡単な話です。尸解仙となった今の力を馴染ませる為には、敢えてこの身を行使する事が効果的なのです。正直、今の私はまだ自らの力量すらも完全に測り切れていない状態です。だったら尚更、ここで燻り続ける訳にもいかない」

「え、ええと……つまり?」

「つまり、こういう事です」

 

 首を傾げる早苗。すると神子は、仰々しくも手に持つ杓を持ち上げる。それを妖夢達に突き付けるようにビシッと掲げ、そして凛々し気な表情を浮かべて。どこまでも真っ直ぐな瞳で、妖夢達の姿を見据える。

 物々しい雰囲気。立ちどころに走る緊張感。一体、何を言われるのだろう。そんな目で見られたら、どうしても身構えてしまうじゃないか。豊聡耳神子という、この女性の真意は一体──。

 

「尸解仙としての、この身を馴染ませる為に……」

 

 ──と。一人全身を強張らせていた妖夢だったが。

 

「妖夢、早苗。私は君達どちらかとの手合わせを所望します」

「……っ。えっ?」

 

 思わず揃って首を傾げてしまった。

 一体何を言っているのだろう、この人は。それではまるで、身体を動かす事で強引に馴染ませようとしているみたいではないか。いや、まぁ確かに効果的なのかも知れないけれど。それにしたって些か力技が過ぎると言うか何と言うか。

 仮にも為政者であったはずの彼女が、そんなにも大雑把で良いのだろうか。いや、ひょっとしたら妖夢がまだ気づいていないだけで、実は何か秘策が?

 

「……えっと、神子さん。それって……」

「ええ。実力のある君達と一戦を交える事で、尸解仙としての力を完全に定着させるのです。寝起きである今の私では正直持て余し気味ですが、けれど身体を動かせば文字通り()()も吹き飛ぶはず……。まずは力に慣れる事が必要なのですよ」

「で、ですよね……」

 

 やっぱりそういう事だった。

 この人、実は意外と体育会系なのだろうか。為政者などと言っていたからてっきりインドア派なのかと思っていたが、ひょっとしたら盛大な勘違いをしていたのかも知れない。妙な先入観だけで人を判断するのは軽率だったか。

 

「おお……! 流石は太子様! 何とご聡明なお考え……!!」

「……まぁ、殆どゴリ押しなんですけどね」

 

 やたらと持ち上げる布都に対し、神子は軽い様子でそう返す。先程までの畏れ多くも物々しい雰囲気はどこへやら。今の神子の様子は、意外とおちゃらけた印象である。

 為政者とは言っても、彼女の素は厳格な性格という訳ではないのだろうか。何とも掴み所がないような印象だ。

 

 仙人には変わった者が多い。

 どうやら豊聡耳神子も、その例に漏れないらしい。

 

「あの、私と妖夢さんのどちらかと言いましたよね? それってつまり、一騎打ちをしたいという事ですか?」

「そうです。一対一という対等な条件の方が、私もこの慣れない力を行使しやすいので。まぁ、これは完全に私側の事情となってしまうが……」

 

 早苗の問いかけに対し、申し訳さなそうに神子はそう答える。

 確かに。慣れない力を馴染ませるのが目的ならば、単純で分かりやすい一騎打ちが適しているように思える。下手に変則的なルールを設ける必要もないだろう。

 それなら。

 

「……妖夢さん、どうするんです? 神子さんのお願い、引き受けるんですか?」

 

 困惑気味に、早苗がそう訊いてくる。

 言いたい事は分かる。豊聡耳神子という女性の意外な一面を目の当たりにして、彼女も少し面食らっているのだろう。確かに、予想外な提案ではあったけれども。

 少しだけ考え込んだ後に、妖夢は早苗へと向き直った。

 

「……この神霊騒動を抑えるには、やっぱり神子さんに本調子になって貰うのが一番手っ取り早いと思う。他に方法もないし、私は引き受けても良いと思うけど……」

 

 そこれで妖夢は、チラリと神子を一瞥して。

 

「……どうする? 何なら、早苗が戦う?」

「うーん……。それはそれで魅力的なお話ですけど……」

 

 ──魅力的なのか。

 

「でも、今回は妖夢さんに譲ります。一騎打ちなら剣士である妖夢さんの方が適していると思いますし、実力も申し分ないですしね。それにほら、妖夢さんって幽々子さんの剣術指南役なんですよね? だったら尚更、()()()()()に関しても適任なんじゃないですか?」

「そ、それは、どうだろ……」

 

 適任かどうかは、取り合えず置いておく事にする。

 早苗もそう言ってくれるのならば、変に遠慮などする必要はない。これまでの異変と比較すると中々にイレギュラーな事が起きてしまっているような気もするが、それでも結局行きつく先は()()()()展開である。分かりやすくて良いじゃないか。

 

 意を決して、妖夢は一歩前に出る。

 

「……分かりました」

 

 正直、気になる部分も解せない部分もまだまだ沢山ある。

 妖夢の記憶の中とは異なる、宮古芳香の強さ。ムキになって襲い掛かってきた、蘇我屠自古の真意。突然踵を返して立ち去ってしまった、博麗霊夢の行方。

 

 そして。

 未だ存在を仄めかす程度に留まっている、霍青娥という名の人物。

 

 不穏の種は、いくつも残されているのだけれども。

 

(……それでも)

 

 今はやるべき事を全うすべきだ。

 豊聡耳神子の完全な覚醒を促し、この神霊騒動を収束させる。妖夢の力で、それを成し遂げる事が出来るというのなら。

 妖夢が選ぶべき行動は、一つだった。

 

「神子さんの要求を受け入れます」

 

 

 *

 

 

 取り合えず、スペルカードルールに則った決闘方式で手合わせをする事にした。

 神子は千年を超える眠りから目覚めたばかりであり、当然幻想郷についても把握し切れていない部分も多い。にも関わらずスペルカードルールの存在を認知していたのは、おそらく彼女の持つ『能力』に起因している。

 

 欲を理解する事で、その者が持つ本質さえも聴き取る事の出来てしまう『能力』。幻想郷の各地から集まって来た神霊達の本質を聞き取る事で、彼女はこの世界のルールの一端に既に触れているのだろう。故に幻想郷における“常識”も、ある程度なら伝わってくれる。

 

「えっと……。それじゃあ、改めて確認します。スペルカードは互いに三枚、という事でよろしいでしょうか?」

「ええ。しかしその前に、まずは君が持つ“実力”を見せてくれませんか?」

「……実力?」

 

 対面した神子へと向けて妖夢は確認するが、彼女の意外な返答を前にして思わず首を傾げてしまう。

 実力。それは、弾幕ごっこを始めれば自ずと分かる物なのではないのだろうか。それなのに、態々見せろと言われても少し反応に困ってしまう。手の内を晒せ、という訳でもないだろうが──。

 

 困っていると、何かに気付いたらしい神子がくすりと破顔した。

 

「ああ、ごめんなさい。また言葉足らずでしたね。私が見たいのは弾幕ごっこの実力ではなく、()()の実力です」

「それ……?」

 

 指を指しつつも、神子はそう口にする。

 彼女が示しているのは、妖夢の腰元。そこに携えている、二本の剣。

 

「君は剣士なのでしょう? それなら最も得意とするのは、弾幕ではなく剣術なのではないでしょうか?」

「……そういう事でしたか」

 

 成る程、ようやく理解した。つまり彼女は、剣士としての妖夢の実力が見たいと言っているのか。

 妖夢のスペルカードは何らかの形で剣を利用した弾幕が殆どであるが、それでも()()である事に変わりはない。剣術はその中に含まれる要素の一つにすぎず、あくまでメインは視覚的に華やかな霊弾の方だ。それでは剣士としての実力を測り切る事は出来ない。

 

 確かにそういう意味では、通常の弾幕ごっこだけでは足りないのかも知れない。剣の実力が見たいのなら、直接剣を使って戦ってくれた方が好都合なのだろうけれども。

 

「でも、実力を見たいとは言っても……。私は一体、何をすれば?」

「ふふっ……何も難しい事を要求するつもりはない。取り合えず、私に斬りかかって来てくれませんか?」

「……え?」

 

 ──それは、何と言うか。

 

「い、いや、それは流石に……」

「別に遠慮なんてする必要はありませんよ? 全力でぶった斬ってしまっても結構」

「ぜ、全力って……」

 

 いやいや。それは流石に、まずいのではないだろうか。

 そこまで言うからには何らかの秘策か何かを持っているのだろうが、けれど相手は目覚めたばかりの尸解仙。つまるところ、寝起きなのだ。そんな彼女を相手に全力でぶった斬ってしまうなど、下手をすれば大怪我どころじゃ済まないような気がする。

 

 けれどそれでも、神子はやたら自信気な表情を浮かべている。いつでもどこからでもかかってこいと、そう煽っているかのように。

 

「さぁ、どうぞ」

「うっ……」

 

 この空気。どうにも断るに断り切れない。

 

「わ、分かりましたよ……」

 

 腹を決め、妖夢は剣に手をかける。

 楼観剣を抜き放ち、両手で構えて腰を落として。強張っていた肩を解し、全身の力を一旦抜く。

 

「……どうなっても知りませんよ?」

「ええ。お構いなく」

 

 ここまで来たら、やるしかない。

 豊聡耳神子は実力者だ。それは言葉の端からも、ひしひしと伝わってくる。故に一撃を加えた程度でどうこうなってしまう程、ヤワな存在ではないと思うのだけれども。

 それでも若干の抵抗はある。寝起きで未だ『能力』も馴染み切っていない相手へと、剣で斬りかかってしまうなど。

 

「…………っ」

 

 けれどだからと言って、中途半端に手を抜くとそれはそれで失礼にあたる。実力を見せて欲しいと、そう要求してきたのは他でもない神子なのだ。

 だったら妖夢は、それに答えなければならない。余計な手加減なんて、考えてはいけない。

 

(よしっ……)

 

 意を決する。

 抜けていた全身の力。緩んでいた筋肉。それを瞬時に緊張させ、楼観剣を強く握り締める。

 瞬間的に高まる霊力。更に深く身を落として、妖夢は空気を蹴り上げる。目指す先には豊聡耳神子。その一点だけをしっかりと見据えて、高めた霊力を爆発させて。

 一気に飛び出し、瞬間的に最高速度へと達した妖夢は、そのまま神子へと肉薄する。

 剣伎『桜花閃々』。剣を振り上げ、加速の勢いをそのまま剣へと上乗せして。擦れ違いざまに、神子を斬りつけようと──。

 

「……ッ!?」

 

 予想外の手ごたえが、妖夢の腕を走り抜けた。

 攻撃が防がれた。それは分かる。なにせこの攻撃は、神子の方から要求してきた小手調べのようなもの。防ぐ算段はあるのだと、それは最初から分かっていた事だ。

 故にこの展開は想定内。問題なのは、この手ごたえ。

 

 攻撃が往なされたのではない。攻撃が()()()()のだ。

 鋭い金切り音と共に。

 

(なっ……)

 

 何なんだ、この手ごたえは。

 妖夢と対面していた神子は、特に武器のような物など持っていなかったはずだ。故に今の攻撃を防ぐには、体術で組み伏せるか霊力で往なすしかなかったはず。

 それなのに、にも関わらず。この、感覚は──。

 

「剣……?」

 

 弾かれるように振り返る。

 妖夢が擦れ違いざまに斬りつけたはずの、豊聡耳神子。その右手には、銀色に輝く何かが握られていて。

 

「……驚きました」

 

 ひゅんっと、彼女はそれで宙を斬る。

 

「妖夢。君の剣撃は想像以上です」

 

 振り向く神子。彼女の右手には、紛れもなく一本の剣が握られていた。

 妖夢は思わず息を呑む。何かがおかしい。この人、直前まで剣なんてどこにも持っていなかったはずだろう? 仙術で隠していたのか? いや、或いは別の場所に保管されていた剣を、手元に引き寄せたのだろうか。仙術でそのような事が出来るのかどうかは定かではないが、別に珍しい芸当という訳ではない。直前まで武器を隠し持っておく事だって、立派な戦略の一つであろう。その件についてとやかく言うつもりはない。

 そう、どうでもいい。そんな事など、この際どうでもいい事だ。

 だって。

 

(えっ──?)

 

 だって妖夢の眼前には、もっと衝撃的な事実が突き付けられているのだから。

 

「やはり君に頼んで正解だった。君ほどの実力者と戦えば、私の覚醒は確実に早まる事でしょう」

 

 神子が何かを言っているが、その言葉はどれも妖夢には届かない。頭の中でかみ砕いて、処理をする事が出来ない。妖夢はただその一点から、目を離す事すら出来ない。

 豊聡耳神子。

 彼女が持つ、その剣から。

 

(う、嘘……)

 

 自然と目が見開く。自然と瞳が揺れ動く。胸中に走るのは動揺。そして底知れぬ不安感。

 神子の持つ剣の形状は太刀。つまり日本刀だ。妖夢が振るう剣と、一応同じ種類に当たる。けれど神子が持っている剣は、反りのある楼観剣と違って反りのない直刀である。古い形状の剣ではあるが相当な業物である事は確かなようで、妖夢の一撃を弾いても尚刃こぼれ一つ起こしていない。正真正銘の、一級品。

 

「……おや? 気になりますか? この七星剣が」

「七、星剣……?」

 

 七星剣というか、あの剣は。

 いや。今の妖夢にとって、名前なんて然程重要な要素じゃない。

 

(あの形状……、この手ごたえ……。やっぱり、勘違いなんかじゃない……)

 

 ──見覚えが、ある。妖夢は二度、あの剣を振るう者と戦った事がある。

 

 忘れる事なんて出来やしない。今でも鮮明に思い出せる程の、衝撃的で強烈な出来事。

 二年前。タイムスリップ。八十年後の、未来の世界。そこで出会った、一人の女性。

 

(どう、して……)

 

 三度笠を被った女性剣士。彼女が振るっていたのは、確かに楼観剣や白楼剣とは別の剣だった。あの時は切羽詰まってて、戦う事ばかりに必死になって。その程度の情報しか、認識できていなかったのだけれども。

 それでも、思い出す事は出来る。剣を交えたあの感覚は、しっかりとこの身に刻まれている。

 

 剣術に精通しているからこそ、分かるのだ。

 あの剣は。

 

(どうして、()()()()……!)

 

 紛れもなく、疑いようもなく、確実に。

 

(未来の、()()……!)

 

 あの世界でぶつかり合った、八十年後の()()()()

 彼女が振るっていた剣もまた、間違いなく七星剣そのものだった。


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