桜花妖々録   作:秋風とも

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第61話「墓地の番人」

 

 白蓮から話を聞いた後、霊夢と魔理沙は妖夢達を追いかけて墓地の奥へと向かっていた。

 なぜ、白蓮達はこの地に寺院を立てたのか。この瞬間まで、彼女達は何を抱え続けていたのか。断片的ながらも、白蓮は説明してくれた。

 曰く。“危険な何か”を封じ込める為に、この地に命蓮寺を建てたらしい。どうにも些か物騒なようにも思えるが、けれど話を聞く限りではそれは実に不明瞭だ。危険な何か、つまり脅威。けれどその脅威が具体的には何なのか、はっきりとは断言できないらしい。

 

 気味が悪い事に変わりはないが、少し拍子抜けではある。脅威などと表現されても、それが具体的に何を示すのか分からなければ反応に困るというものだ。

 

「ったく。何なのよ、危険な何かって……」

「ナズーリンが察知したんだろ? あいつのダウジング能力なんて信用できんのかね」

 

 寅丸星の部下(という名目)であるナズーリンはダウジングが特技だと自称しているが、だからと言ってそれほど正確な能力なのかと言われると微妙な所である。

 確かに、探し物をする上での指針とは成り得るかも知れない。けれども見つける事が出来るものはあくまでキッカケであって、確実な証拠を発見するような手法ではない。故に今回の件だって彼女が察知したのは“危険な何か”という情報だけであり、具体的に何がどう危険なのかまでははっきりと判別出来ていないのである。

 

 しかしそれでもナズーリンを信じてここに命蓮寺を建ててしまう辺り、白蓮も人が良いと言うか素直と言うか。

 

「何を言っているのです。あの子は信用に足る人物ですよ。適当な事なんて言うはずがありません」

 

 肩を窄めた魔理沙に対し、背後からそんな意見が飛んでくる。二人揃って振り向くと、そこにいたのは膨れっ面を浮かべる一人の住職。

 

「……やっぱりついて来るのね、あんた」

「当然です。そもそもこれは、私達命蓮寺側の問題なのですよ? それなのに、住職である私が動かなくてどうするのです」

「ここまで大事になったからには、これは最早十分に『異変』だけどね。だったら私の出番でもあるわ。邪魔だけはしないでよね」

 

 一応、ついて来ている白蓮に釘をさしておく。

 彼女の性格と有している力から考えて、霊夢を妨害したり足を引っ張ったりなどはしないだろうが──。それでも念の為、である。

 

「あんたもよ、お燐。分かってんでしょうね?」

「わ、分かってるよ。依頼された仕事を熟し次第、あたいは退散するからさ」

 

 白蓮に続くような形で同じ目的地に向かっているのは、火焔猫燐も同じだ。そもそもキョンシーに対して白蓮が真っ先に講じた対策は、お燐による通訳。その役割はまだ果たされていない。

 因みに、こいしと水蜜に関してはこの場にいない。当然ながらこいしにもついて行きたいとせがまれたのだが、白蓮の説得により何とか水蜜との留守番を引き受けて貰っている。

 正直助かった。水蜜はともかく、こいしも一緒となると事態はさらに拗れそうな気がする。そもそも彼女は未だ『能力』を上手く使いこなせていない身。無闇矢鱈に首を突っ込むべきではない。

 そういう意味では、命蓮寺の連中にも感謝である。

 

「それで? もう一度確認しても良いか白蓮。ナズーリンが察知した危険な何かってのに関しては、お前も調査を進めてたんだよな?」

「……ええ。先程もお話した通り、この地には私達に仇なす何かが眠っている可能性が高いのです。このまま封印が解かれれば、幻想郷の妖怪達にも危害が及ぶかも知れません」

「でもその何かってのが何なのか、具体的にはまだはっきりしないって事か……」

 

 魔理沙の確認に対し、白蓮は頷いてそれに答える。

 白蓮の口振りには、一つ引っかかる事がある。幻想郷の妖怪達に危害が及ぶかも知れないという事は、封印されている何かとは妖怪の敵だという事なのだろうか。つまり逆に言えば、人間達の味方であるという捉え方も出来る。

 博麗霊夢は妖怪退治のエキスパート。相手が人間の味方であるのなら、退治する必要はないようにも思えるのだけれども。

 

(ま、そうは言ってもね……)

 

 ここまで騒動を大きくした時点で、その危険な何かとやらは立派な異変の首謀者だ。例え人間の味方であったとしても、一度お灸をすえなければならない。

 幻想郷は絶妙なバランスで成り立っている。そのバランスを崩そうものなら、相手が誰であろうと霊夢だって黙ってはいない。

 

 これは異変だ。

 それならば、博麗の巫女はその異変を解決しなければならない。

 

「ま、何だっていいけどな。いつも通りその黒幕とやらをぶっ飛ばして、この神霊騒動を解決する。そうだろ? 霊夢」

「ええ。トーゼンでしょ」

 

 やる事は決まった。

 まずは墓の奥地に現れたという人間の死体。その様子を見に行く事が先決だろう。話を聞いた限りではそのキョンシーが黒幕だとは思えないが、それでも手掛かりくらいは掴めるかもしれない。

 ──それに。

 

(まぁ……妖夢の事も、ちょっとは気になるしね)

 

 

 *

 

 

 それから暫く飛んで行く事数分。なぜだかトボトボと歩いていた唐傘お化けとすれ違った直後辺りで、霊夢達は霊力の衝突を感知した。

 そしてその直後の響くのは衝撃音。周囲の空気が小刻みに震動し、その騒動を霊夢達に伝えてくる。感知できるのは三つの霊力。一つは妖夢、一つは早苗。そしてもう一つは──見覚えのないもの。

 

「おい、霊夢! 今のは……!」

「……どうやら始まったみたいね」

 

 おそらく早苗が妖夢と合流し、その上でキョンシーと対面したのであろう。こうして騒動が伝わってくるという事は、弾幕ごっこに発展したという事か。

 予想通りの展開だ。今までの異変だって、大体はこんな感じだった。

 

「妖夢達が戦ってるって事……?」

「多分な。急いだ方が良さそうだぜ。妖夢の奴がキョンシーをバラバラにしちまう前にな」

「ば、バラバラですか? そんな事をするような方には見えなかったのですが……」

 

 まるで軽口を叩くかの様子で魔理沙はそう口にするが、確かにその可能性は否定できない。

 霊夢達は一度、妖夢が無慈悲にも亡霊を白楼剣で強制成仏させた現場を目撃している。今回もまた、あのような行動に移る可能性は十分にある。

 

 別に相手のキョンシーがどうなろうと霊夢には関係ないが、それでも一応手掛かりである。せめて話だけでも聞いておきたい。

 

「……さっさと行くわよ」

 

 それだけを言い残し、霊夢は飛行速度を少しだけ上げる。魔理沙達もスピードを上げてついて来ているようだが、霊夢は振り返りもせずに先に進んでゆく。

 そして辿り着いた。

 墓地の奥。妖夢達が戦っている、その場所へ。

 

「…………っ」

 

 誰とはなしに、息を呑む。

 弾幕ごっこは既に佳境だった。赤、青、白、緑。様々な色の弾幕が飛び交い、周囲を彩っている。霊力と霊力がぶつかり、弾け、そして空気を震わせて。傍観しているこちらさえも思わず息を止めてしまう程に、それは美しく──そして華やかだった。

 

 弾幕ごっことは本来こういうものだ。相手を倒す事ではなく、魅せる事に重点を置いた決闘方式。

 目の前で繰り広げられているそれは、間違いなく()()()()などではない。正真正銘の()()()()。スペルカードルールに則った、正真正銘のごっこ遊び。

 

 その最中に見えるのは、三人の少女の姿。

 

「むむむっ……! 中々やるなー! しかし私も負けていなぁーい!」

「それはこちらの台詞です……! 妖夢さん!」

「うん……! 分かってる!」

 

 奥にいるのが、話に聞いていたキョンシーだろうか。おそらく今は彼女の宣言したスペルカードが発動し、妖夢と早苗に襲いかかっている。

 けれど妖夢達だって決して劣勢ではない。スペルカードによる一方的な攻撃を許してしまっているものの、その弾幕を器用に掻い潜っている。受けているのは精々掠り傷。確実な被弾だけは、まだ一度も貰っていない。

 

 そんな攻撃、当たらない。

 そう言わんばかりの勢いで、妖夢と早苗は弾幕の中を一気に突き進んでゆく。そして彼女達もまた懐から一枚のカードを取り出して、その宣言を行った。

 

「空観剣ッ!」

 

 先に宣言を口にしたのは妖夢だ。掲げたカードから手を離すと、妖夢は素早く二本の剣を抜き放つ。そして直後の放たれるのは、目にも止まらぬ程のスピードを誇る剣閃。キョンシーの弾幕を切り払いつつ、その上キョンシー本体にも斬撃を食らわせる攻防一体のスペルカード。

 

「『六根清浄斬』!」

 

 妖夢のスペルカードはキョンシーのスペルカードを完全に無力化していた。

 展開されていた弾幕が次々と斬り落とされてゆき、そして更なる斬撃がキョンシーにも襲い掛かってゆく。戦況の逆転。一方的な攻撃を続けていたはずのキョンシーは、いつの間にか防御の専念を余儀なくされてしまう。

 けれどそれでも決着が着いた訳ではない。行動を防御へとシフトしつつも、キョンシーには幾分か余裕がある様子で。

 

「まだまだー! この程度の攻撃で屈するかー!」

「それなら……、これはどうですかッ……!」

 

 単純な話だった。

 キョンシーと戦っているのは、何も妖夢一人ではない。妖夢のスペルカードだけで決着がつかないのなら、彼女も加勢すれば良いだけのこと。

 

「秘術……!」

「なにー!?」

 

 キョンシーの背後に回り込むような形で飛翔していた早苗は、そのタイミングでスペルカードの宣言を行う。溜めこんでいた霊力を一気に解放し、炸裂したそれは弾幕となって早苗から放出される。

 そんな霊力が形作るのは、緑色の星の形。妖夢の攻撃からの回避に専念していたあのキョンシーには、早苗のスペルカードまで捌き切れる程の余裕は残されていない。

 

「『グレイソーマタージ』!!」

 

 早苗のスペルカードが発動する。秘術『グレイソーマタージ』は空観剣『六根清浄斬』ほど広範囲をカバーするスペルカードではないが、それでも今のキョンシーが相手では十分な有効打となる。

 妖夢と早苗のスペルカード。それら二つが重なり、墓地を守護するキョンシーを包み込んでゆき。混じり合い、そして弾け飛ぶ。これほどまでの連携攻撃をまともに受ければ、あのキョンシーだってただでは済まないだろう。

 

 爆発。そして舞い上がる白煙。キラキラと霊力の粒子が舞い散る中、糸が切れたかのように“彼女”は落ちてくる。

 

「ぐわぁー! やーらーれーたー!!」

 

 ──断末魔、なのだろうか。

 浮遊能力を維持できなくなったキョンシーはそのまま落下。ぼとりと鈍い音を立てて、地面へと叩きつけられた。声だけを聞くとそこそこ元気なようにも思えたのだが、本人が白旗を上げているのなら弾幕ごっこは終幕という事になる。

 

 妖夢と早苗の勝利。

 霊夢達が手を出すまでもなく、彼女達はキョンシーを下してしまったようだ。

 

「……おい霊夢。どうやら先を越されちゃったみたいだぜ」

「……ええ。そうみたいね」

 

 まぁ、別に競争をしていた訳ではない。誰がどう異変を解決しようと、霊夢は特に気にしないのだけれども。

 それでも、意外だった。

 妖夢と早苗の連携は完璧だったように思える。それはつまり、妖夢が早苗と手を取り合う事を選択したのだという事になる。

 

 妖夢は別に、協調性を欠いていた訳ではなかったのだろうか。

 あんなにも、一人で突っ走っていた癖に。

 

「ふんっ……」

「……なんだ? どうした霊夢?」

「……何でもないわよ」

 

 なぜだか無性にムカついてきたが、取り合えず今は目的を達成する事が先決だ。

 プイッと魔理沙から視線を逸らしつつも、霊夢は白蓮達の方向へと振り返る。

 

「……さっさと行くわよ。あのキョンシーから話を聞くんでしょ?」

「そのつもりです。幸いにも魔理沙さんの心配は杞憂に終わったみたいですし、早いところ話を伺う事にしましょう」

「……それって、妖夢がキョンシーをバラバラにするかもってヤツ? だとしたらやっぱり取り越し苦労だったね」

 

 肩を窄めつつも、お燐はそんな軽口を叩く。

 そう。確かに、取り越し苦労に終わった。今の妖夢は亡霊を成仏させた時のような冷徹さも、今朝のような非常さもあまり感じられない。あくまで普通の少女のように振舞っているように見える。

 だけれども。

 本当に、彼女は立ち直ったのだろうか。以前のように、戻ったのだろうか。

 

「…………っ」

 

 ──まぁ、別に。

 

(……どうでもいいけどね、そんな事)

 

 半ば無理矢理思考を打ち切って、霊夢は再び歩を進める。

 向かう先は墓地の奥。妖夢達との弾幕ごっこに敗北し、ドサリと落下したキョンシーが倒れている場所。

 

 先に霊夢達の存在に気付いたのは早苗だ。乱れた息はそのままに、彼女は汗を拭いつつも空から降りてくる。

 

「あっ……皆さん! 来てくださったんですね!」

「ああ、当然だぜ。この私が異変を前にして引き下がる訳がないだろ?」

 

 魔理沙がそれに受け答える。早苗の巫女服はそれなりに煤で汚れてしまっているようだが、それでもやはり被弾の跡は見受けられない。決して楽な戦いではなかったようだが、危なげなく勝利を収める事が出来たようだ。

 

「結構楽勝みたいだったよね? 良い所も持って行っちゃったみたいだし」

「いえいえ、そんな……! 妖夢さんと協力したからこそですよ!」

 

 今日の東風谷早苗は実に謙遜だ。確かに彼女の言う通り、あの勝利は妖夢の力もあってこそなのだろうけど。

 そんな妖夢も少し遅れて空から降りてくる。けれど勝利の余韻に浸って高揚気味の早苗とは対照的に、彼女の表情はどうにも腑に落ちない様子だった。

 

「お疲れ様です、妖夢さん。あの子を止めて下さったんですよね?」

「……えっ? あ、はい……。一応、そうなんですが……」

「……? どうかなさいましたか?」

 

 白蓮の登場に対して少し驚いた様子を見せた妖夢だったが、けれどそれも一瞬だ。すぐにまた、腑に落ちないような表情に戻ってしまって。

 

「少し、弱すぎるような……」

「……はい? 今、何て?」

「い、いえ……。何でもありません」

 

 首をふるふると振るいつつも、妖夢は何かを誤魔化す。

 よく分からない。よく分からないが──何だろう、この感じ。あのキョンシーとの弾幕ごっこは、こちらの勝利に終わった。けれどそのはずなのに、胸中の不安感を拭い去る事が出来ない。

 いつもとは違う、漠然とした感覚。

 勘が鈍ったのだろうか? いや、それとも──。

 

「さて、と。それじゃあ、早速話を聞いてみようかな」

 

 霊夢が考え込んでいると、そんな事を口にしつつもお燐がキョンシーへと歩み寄ってゆく。思考を打ち切り、霊夢は彼女の()()を見届ける事にした。

 さっきからしつこく覚え続けているこの“予感”が、何なのかは分からない。けれどあれこれ考え込むのは、あのキョンシーの正体を掴んだ後でも遅くはないはずだ。

 

 仰向けに倒れ込んだままのキョンシー。彼女の傍まで歩み寄ると、屈みこみながらもお燐はキョンシーの様子を伺い始める。

 

「ぬわー! しーぬぅー!」

「はいはい、あんたはもう死んでるでしょ? どれどれ……」

 

 弾幕ごっこに敗れたばかりなのに、あのキョンシーはやたら元気である。やはり既に死体であるが故に、疲労とは無縁なのだろうか。

 

 それはさておき。適当に受け答えした後に、お燐はおもむろに手を伸ばしてキョンシーの腕へと触れる。慎重に息を吐き、肩の力をゆっくりと抜いて。神経を研ぎ澄まし、お燐は死体の声を聞く事だけに集中し始めた。

 お燐が死体と会話する様子は初めて見たが、まさか本当に持ち去る以外の事も出来るとは。流石は死体のエキスパートを自称するだけの事はある、という事なのだろうか。

 

「ふんふん、成る程ね……」

 

 程なくして、何かを掴んだらしいお燐は頷きつつもキョンシーから手を離した。

 少しだけ何かを考えるような仕草をみせた彼女だったが、それでもすぐに振り返って霊夢達へと向き直る。そして未だに倒れたままのキョンシーを示しつつも、彼女は説明を開始した。

 

「えっと……このお姉さん、積極的に人間を襲おうだとか、そんな事は別に考えてないみたいだね。近づく者を追い払うために、ちょっぴり手荒な事をしちゃってるみたいだけど……。でも、それ以上の事はしない。このお姉さんは、あくまで墓地の守護を機械的に熟しているだけみたい」

「機械的……?」

 

 首を傾げつつも、白蓮はそう聞き返す。それに答えるような形で、お燐は補足した。

 

「この感じ……生前の強迫観念が不意に呼び覚まされているのかな……? このお姉さん、何となくここを守らなければならないって気になっただけみたい。宮古芳香っていう自分の名前以外、よく覚えてないみたいだし」

「宮古、芳香……?」

 

 次にオウム返ししたのは妖夢だ。噛み締めるように、彼女はキョンシー──宮古芳香の名前を口にする。その表情には、どことなく含みがあるように感じられた。

 宮古芳香。少女のキョンシー。彼女は一体、何を思っているのだろうか。彼女は一体、どんな心当たりを感じているのだろうか。

 

「あの……それじゃあ、例えば誰かがこの人を使役している訳じゃないって事ですか……?」

 

 これまで黙って話を聞いていた東風谷早苗が、そこでお燐へと質問を投げかける。お燐は困ったような表情で腕を組んだ。

 

「うーん、それなんだけど……。ちょっと待ってて……」

 

 お燐は再び芳香へと手を伸ばす。肌に触れ、神経を研ぎ澄まし、集中力を高め。“会話”という形で、芳香から情報を引き出そうと尽力する。

 そして、程なくして顔を上げる。けれどその表情は、どこか腑に落ちないような様子だった。

 

「何だろ、これ……。何も覚えてないってのは嘘じゃないと思うけど、でも……」

「……何だ? もっとはっきり説明してくれ」

 

 魔理沙に促され、お燐はポツリポツリと説明する。

 

「どうにも、何かが引っかかるような気がする……。確かに、このお姉さんは何も覚えていないのかも知れない。でもそれは脳の腐敗が原因って訳じゃなくて、()()()()()()()お姉さんの記憶を封印しているみたいな……」

「……何よそれ。どうしてそんな事が言い切れる訳?」

「えっと……。あたいは死体と会話する事だけじゃなくて、ある程度死体を操る事だって出来るんだよ。だから今回、このお姉さんに命令して守護する範囲を狭めようとしてみたんだけど……」

 

 相も変わらずお燐の表情は腑に落ちないものだ。結果の意味は分かるのだけれど、その原因がはっきりとしてないかのような──。

 

「あたいの命令では強迫観念を上書きする事が出来ないみたいなんだよ。まるで、強力な何かに妨害されているみたい……。あたいには、このお姉さんに命令する権限がないのかな……?」

「……妨害? 権限?」

 

 よく分からない。もっと分かりやすく言って欲しいものだ。

 

「要するに、このお姉さんは誰かに命令されてここを守護している可能性が高いって事。あたいには、強迫観念っていう情報しか読み取れなかったけど……。でもそれは、あくまでこのお姉さんにも()()()()()()()()()()だけなのかも知れない。あたいの力が効かない事もそうだし、これも情報漏洩を避ける為の措置なのだとすれば……」

「相手は相当用意周到な術者、という事になりますね」

 

 お燐に続くような形で、今度は妖夢が口にする。

 

「そして少なくとも、相手はお燐さんの力を超えた術者、と……。そうですよね?」

「う、うん……。あたいの命令が効かないって事は、それだけ強力な術がかかっているという事になる……。多分、相手はかなりの手練れだよ。あたいなんかよりも、ずっと……」

 

 お燐はバツの悪そうな表情を浮かべている。死体のエキスパートを自称していたのにも関わらず、宮古芳香を使役する人物はそんなお燐以上に死体を上手く操っている可能性が出てきたのだ。死体愛好家として、そこはプライドが痛むのだろうか。

 

「……話を纏めましょう。つまりこの子……宮古芳香さんは、何者かの命を受けてこの墓地を守り続けていた。しかも情報漏洩を避ける為にその方は芳香さんに何重もの術をかけており、それはお燐さんでも解析できない。故に結局この子の主人は分からず終い……という事ですよね?」

「……うん。そういう事になるのかな……」

 

 白蓮に確認に対し、お燐は頷いてそれに答える。

 つまる所、結局は大した情報は得られなかったという事か。宮古芳香の主人の存在が判明した事に関しては収穫とも言えるが、それでも異変解決に繋がらない事には変わりない。

 キョンシーを使役する奴がいるなんて、端から予想できていた情報だ。そんな事が今更はっきりした所で──。

 

「……霍青娥」

「……えっ?」

 

 そんな中。霊夢の耳に、そんな言葉が不意に流れ込んでくる。

 声の主は妖夢である。含みのある表情のまま、更に言葉を発し始める。

 

「芳香さんを使役している術者……。多分、そんな名前の人だと思う……」

「なっ……」

 

 真っ先に息を呑んだのは魔理沙だ。妖夢が口にした言葉があまりにも予想外だったらしく、彼女は目を見開いて驚愕を露わにする。一体何を言っているのだと、そう言いたげな面持ちである。

 霍青娥。聞き覚えのない名前。けれど妖夢は、まるで彼女の事をよく知っているかのような様子で。

 

「なぜ、そう言い切れるのですか……?」

 

 おずおずと聞き返したのは聖白蓮だ。やや躊躇い気味に、妖夢は答える。

 

「……私、このキョンシー……芳香さんと、以前にも会った事があるんです。その際に芳香さんを使役していたのが、青娥さんという名前の女性らしくて……」

「ま、待ってくれ。会った事がある? このキョンシーと? そりゃいつの話だ?」

 

 困惑気味に、魔理沙が尋ねる。けれど妖夢が浮かべるのは、困ったような表情だった。

 霊夢は直感する。こんな表情を浮かべるという事は、それは即ち負い目を感じているという事だ。彼女の性格から考えれば、その原因はある程度絞り込む事が出来る。

 

「……ごめん。詳しくは、話せない……。でも、私……」

 

 妖夢は詰まりながらも言葉を並べている。何かを誤魔化そうとしている事は明白であるが、霊夢はその“何か”についてある程度見当をつける事が出来ていた。

 確かあれは、二年程前。秋から翌年の春にかけて、妖夢の姿をめっきり見かけなかった期間があった。あの期間、妖夢は何をやっていたのか。それは霊夢も聞いていないし、妖夢だって話そうともしなかったのだけれども。

 

 けれど、霊夢の勘が告げている。

 魂魄妖夢の隠し事は、あの数ヶ月に集約される。そして霍青娥なる人物の件もまた、あの数ヶ月に秘密が隠されているのだと。

 

 魂魄妖夢。

 彼女は一体、何を思って──。

 

(……って。なに妙な分析してんのよ、私……)

 

 そこで霊夢は頭を振るい、妙な感覚を払拭する。

 自覚できるほどにらしくない思考だ。これほどまでに、他人の内情まで推測しようとしてしまうなんて。そんなにも、妖夢の事が気になるのだろうか。

 ──いや。

 

(……あぁ、もうっ。止めた止めた)

 

 らしくない。今日の自分は、本当にらしくない。

 妖夢の事なんてどうでもいい。それで良いじゃないか。何を心配する必要がある? もしも本当に霍青娥なる人物が黒幕なのだとすれば、そいつをぶっ飛ばせば全部解決だ。分かりやすくて良い。

 そう。

 今の霊夢に必要な情報は、誰が異変の首謀者であるか。その程度で十分なはずじゃないか。

 

「……まぁ良いわ。要するに、その青娥ってヤツが黒幕である可能性が高いんでしょ? それなら話は簡単じゃない」

 

 霊夢はそう切り出して、強引に話を終わらせる。これ以上このまま進めれば、余計な事を考えてしまいそうだ。

 ここであれこれと考える必要はない。倒すべき敵がはっきりしたのなら、後はいつも通り突き進むだけだ。

 

「話は簡単って……。どうするつもりですか?」

「決まってるじゃない。いつも通りぶっ飛ばすのよ」

 

 早苗の確認に対し、迷わず霊夢はそう答える。早苗は「ですよね……」などと言って苦笑いを浮かべていたが、別に霊夢の短絡的な判断を咎めるつもりはないようだ。

 考えるのが嫌いという訳ではない。霊夢は単に、余計な気の迷いが嫌いなのである。

 それならさっさと身体を動かしてしまった方が良い。妙な思考に陥る前に、目の前の問題を一心不乱に解決すべきだ。

 

「さて、と。白蓮、このキョンシーの相手を頼める? また暴れ出す前に、縛り付けるなりなんなりして見張ってて欲しいのよ」

「……私が、ですか?」

 

 頷いてそれに答えると、なぜだか白蓮は不服そうな表情を浮かべる。

 何となく、理由は察する。彼女のように責任感の強い人物が、この状況を前にしてどんな感情を抱くのか。流石の霊夢でも少しくらいは理解しているつもりだ。

 

「それは構いませんが……。ですが、私は……」

「あとでついて来る、なんて言わないでよ? ここから先は私達に任せなさい」

 

 白蓮が意見を述べる前に、霊夢は口を挟む。どうやら霊夢が察していた予感は当たっていたようで、白蓮は言葉を飲み込んでしまった。

 分かりやすい動揺。けれど言葉を失ったのは一瞬だけ。一歩前に踏み出すと、彼女は苦言を呈する。

 

「なぜです? 先程も申し上げた通り、これは私達の問題なのです。貴方達だけに任せるなんて……」

「私もさっき言ったでしょ? これは『異変』だって。だからその解決は私達の仕事。あんたの手を借りる必要はないわ」

「ですが……」

「あぁ、もうっ……。あんたも大概頑固な奴ね……!」

 

 やや声調を強めながらも、霊夢は続ける。

 

「あんたはさっき、この地に眠っているのは自分達に仇なす何かだと言ったわ。その何かってのが何なのかは分かんないけど、少なくともあんたは敵だとでも思ってるんでしょ?」

「……ええ。その可能性も視野に入れています」

「だったらもし、話し合いの通じない相手だったらどうするつもり? あんたが直接戦おうとでも考えてるワケ?」

「…………っ」

 

 白蓮は何も答えられない。その沈黙は、暗に肯定を表しているようにも思えた。

 聖白蓮というこの女性は、人間と妖怪の共存を目指している。つまり彼女は人間の味方であると同時に、妖怪の味方でもあるのである。仮に相手が妖怪に危害を加える存在だった場合、白蓮はその阻止に尽力しようとするだろう。

 何とも難儀な思想である。それ故に、彼女をこのまま連れて行く訳にはいかない。

 

「……あんたは命蓮寺の住職なんでしょ? それ相応の『力』だって持ってる。そんなあんたと今回の異変の黒幕が正面からぶつかった場合、確実に面倒な事が起きるじゃない。下手をすれば、命蓮寺の連中がこぞって攻め込もうとするかも知れない」

「そ、それは……。しかし、命蓮寺では殺生を禁止しております。持戒……それは私達が行っている六波羅蜜の一つです。確かにまだまだ完遂出来ていない部分もあるのかも知れませんが……。それでも、あの子達は……!」

「殺す殺さないの問題じゃないわ。私はね、この異変をさっさと解決しちゃいたいのよ。余計な種は増やしたくないの」

「………ッ!」

 

 住職という立場上、白蓮が直接乗り込むのは色々と問題が発生する事になる。相手の規模がどれほどのものなのかはまだはっきりしないが、霊夢も言った通り下手をすれば更に複雑で面倒な事態に陥る可能性も捨てきれない。そうなれば、異変の解決も難しくなる。

 故に今は、命蓮寺とは直接関係のない少数で挑むべきなのである。

 これまでの異変だってこんな感じで解決する事ができたのだ。今回だって抜かりない。

 

「だからまずは私達に任せなさい。今のあんたがやるべき事は、異変の黒幕に直接手を下す事じゃない。あくまで命蓮寺を守る事。そうでしょ?」

「……っ。分かり、ました」

 

 それでようやく、聖白蓮は折れてくれた。

 霊夢は肩の力を抜く。まったく、相も変わらず生真面目で頑なな女性である。裏を返せば責任感が強いとも捉える事が出来るが、それでもやはりあまりにも真っ直ぐすぎるというのも考え物だ。彼女のようなタイプは、もう少し誰かに頼るという事を覚えるべきではないだろうか。

 

「え、えっと……。それじゃあ、あたいは……」

「ああ、あんたもついて来なくていいわよ? 足手まといになりそうだし」

「ま、まだ何も言ってないのに酷くない!?」

 

 何かを言いかけたお燐に対し、霊夢は口を挟んで彼女を制する。別に彼女だって弱い妖怪という訳ではないのだが、その性格上少々頼りないという点も事実である。

 そもそも相手は白蓮曰く、妖怪に対して危害を加える可能性がある存在。それなのに妖怪であるお燐が態々出向くなど、自殺行為も良い所だ。そういう意味でも、やはり彼女はついて来ない方が良い。

 

「ま、まぁ確かに? あたいだって、キョンシーの通訳が終わったらそのまま帰るつもりだったし……」

「じゃあ、それでいいでしょ? ああ、でも帰る前に、一度こいしに釘を刺しておいてくれると助かるわ。あの子に首を突っ込まれると、それこそ面倒な事になりそうだし」

「……うん。あたいもこいし様には危ない事をして欲しくないし、それは喜んで引き受けるよ。というか寧ろ、あたいの方でもそうしようと考えてたところだったからね」

「そう? なら、決まりね」

 

 話は固まった。あとはキョンシーが守護していた墓地の最深部へと突入し、そこにいるであろう異変の黒幕を退治する。神霊を使って何を企んでいるのかは知らないが、それは退治した後にじっくりと事情を聞けば分かる事だ。今はただ、異変の進行を止める事だけを考えていれば良い。

 やはりいつもと変わらない。

 何も、不穏に思う事はない。

 

「よしっ、そうと決まればさっさと行こうぜ。あんまり長引かせる訳にもいかないだろ」

「そうですね。里の皆さんも不安がっているでしょうし、早く解決する事に越した事はないですよね」

 

 魔理沙と早苗のそんなやり取りが目に入る。別に霊夢一人でも異変は解決できるのだろうが、彼女達に関してはそんな事を言っても聞かないだろう。だったら勝手に協力させておけばいい。

 それに。彼女達の力量については、信用していない訳でもない。彼女達の力が異変解決に繋がるのなら、霊夢にはそれを拒む理由はない。

 

「……ねぇ、霊夢」

 

 と、その時。おずおずといった様子で、霊夢へと声をかけてくる少女がいる。

 振り向くと、その声の主は妖夢である。彼女は実に申し訳なさそうに、霊夢の顔を見上げている。霊夢より身長が低いが故に普段からこんな構図になりがちなのだが、それでも今回の妖夢は特に縮こまっているかのように思えた。

 まるで、今朝の剣幕など嘘であったかのように。妖夢は真摯に、霊夢と向き合おうとしていて。

 

「さっきは、その……ごめん。私、色々あって……ちょっと、熱くなっちゃってて……」

「…………っ」

 

 謝罪。“さっき”というのは、今朝の弾幕ごっこを示しているのか。それとも勝手に飛び出していった事を示しているのだろうか。──おそらく、どちらもだろう。

 霊夢はすぐに言葉で返答する事が出来なかった。まるで予期していなかったタイミングであった為、少し面食らってしまったのだ。

 

 霊夢は息を呑む。

 まさか、彼女の方から謝ってくるなんて。

 

「えっと、魔理沙も……。ごめんね、余計な心配かけちゃって……」

「……へ? あっ……お、おう! 分かってくれたんなら、それでいい。別に私は、全然気にしてなかったからな」

 

 魔理沙もまた面食らった様子だったが、それでもそんな受け答えをしていた。

 この少女は無遠慮で豪胆な所があるが、協調性だって高い。今のように人の言葉を素直に受け止める事だって出来るし、人の良い笑顔だって自然と浮かべる事が出来る。

 

 大違いだ。

 博麗霊夢とは、正反対。

 

「……はぁ」

 

 そこで霊夢は、嘆息する。

 魔理沙や妖夢の言動に呆れた訳ではない。それでも何故だか、自然と漏れてしまった嘆息。その意味は──。

 

「……そういうの、後でもいいでしょ」

「……霊夢?」

 

 首を傾げた妖夢の声。それに反応を見せる事もなく、霊夢はずいずいと歩き出してしまう。

 そう、後でもいい。今の霊夢達が優先すべきは、異変の解決。私情なんてその後に回すべきじゃないか。だから、今じゃなくても良い。

 

 博麗霊夢は、そう自分に()()()()()

 

「ったく。霊夢って本当に素直じゃないよな」

 

 魔理沙のそんな言葉が聞こえたような気もしたけれど。

 霊夢は無視する事にした。


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