桜花妖々録   作:秋風とも

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第60話「唐傘お化けと忠実な死体」

 

 多々良(たたら)小傘(こがさ)は唐傘お化けである。

 唐傘お化け。使用者のいなくなった傘が変貌した妖怪で、要するに付喪神である。神などと名のついているものの格式高い神様達とは異なり、人間を驚かせる事だけを生業としている弱小妖怪である。付喪神の行動原理は自分という存在を無視し続けてきた人間に対する腹いせという場合が殆どで、他の妖怪と比べても危険度はかなり低い部類に入る。実際に人間を襲ったり、喰らったりする事はしない。

 多々良小傘もその例に溺れず、人間を驚かせ続ける日々を常に送っている。唐傘お化けである彼女にとって人間の驚愕こそが糧であり、アイデンティティーを確立させるのに重要な要素なのだ。人を驚かせなければ腹も膨れないし、妖怪としての力も湧いてこない。

 

 しかし。しかし、だ。人間を驚かせるという事は、それはつまりそれ相応の恐怖心を人間に植え付ける必要があるという事である。要求されるのは強烈なインパクト。一目見ただけで恐怖の対象として人間に認識され、かつ精神的に強いショックを与えなければならない。それこそ、思わず踵を返して逃げ出してしまうような──そんな強い恐怖心。

 結論から先に言ってしまえば。

 多々良小傘はそんな行為が壊滅的に苦手なのである。

 

「はぁ……。何なのあいつ……」

 

 昼前。徐々に気温が上がり始めた命蓮寺の墓地にて、墓石の陰に隠れつつも小傘はそう独りごちる。

 墓地と言えば死んだ人間を埋葬する為の場所だ。それと同時に、()()()()()子供や若者達にとって最もポピュラーな肝試しスポットとも成り得る。故に常日頃から訪れる人間の数もそれなりで、その上人間を驚かせやすい環境なのである。人を驚かせる行為に対して苦手意識を持っている小傘にとって、そこはまさに絶好の()()だという事になる。

 

 多々良小傘が人を驚かせる行為を苦手としている理由。それは彼女の容姿と、根本的な性格に起因する。

 空色のボブヘアに、これまた空色の衣服。体格は小柄で、人間で言う所の十代前半くらいだろうか。容貌も幼く、お世辞でも厳格であるとは言い難い。そんな彼女の姿を目の当たりにしたとしても、恐怖よりも可憐という印象を強く受けてしまうだろう。

 加えて彼女の性格は、どちらかというと気さくで人懐っこい。誰に対しても比較的明るく振舞い、そして誰に対しても素直で人当りが良い。しかもここ最近は、里の子供達からも人気を博し始めている始末。これでは唐傘お化けとしての名誉も矜持も儚く霧散してしまう。

 

 ここ最近は、なぜ自分のような奴が唐傘お化けなのだろうと仄かに疑問に思い始めている程だ。けれど幾ら現実から逃避しようとも、自分が唐傘お化けであるという事実は覆らない。苦手でも何でも、空腹を満たすために彼女は人間を驚かせなければならないのだ。

 

 しかし。墓地という絶好の狩場でそれなりに空きっ腹を満たしつつあった小傘だったが、ここで図らずも深刻な問題が発生してしまった。

 端的に言えば、闖入者の出現である。

 

「もうっ、ここは私の方が先に見つけてたのに……!」

 

 などと悪態をついても小傘ではどうにもできないのだから、無駄な抵抗である。

 闖入者はキョンシーの少女だ。数日前から突如として墓地の奥地に出現し、何かを守護するかのようにそこに陣取り始めたのである。近づく者すべてに攻撃を仕掛け、妖怪だろうが人間だろうか等しく追い払おうとするのだから具合が悪い。しかもそれなりの実力者ときた。小傘では彼女に太刀打ちする事は不可能で、精々泣き寝入りを決め込む事くらいしか出来ない。

 

 酷い話もあったものだ。あのキョンシー所為で小傘はひもじい生活──別に今までが裕福だったという訳でもなかったが──に逆戻りであるし、人間達からしてみても危なっかしくて近づく事すらままならないだろう。傍迷惑極まりない。何とかならないものか。

 

「お腹空いたな……」

 

 それでも小傘は空腹を満たす為、命蓮寺の墓地に足繁く通い続ける。人里やその周辺で待ち伏せをして驚かせようとしたとしても、精々笑われるのがオチなのだ。キョンシーに怯えながらもひっそりと墓地で待ち伏せる方が、まだ成功率は高い。

 キョンシーが居ようが何だろうがやるしかない。このまま本当に泣き寝入りを決め込もうものなら、流石の小傘も妖怪としての名が廃る。

 

「……おっ?」

 

 と、その時。小傘の肌が、空気の流れの微妙な変化を敏感に察知する。墓石を陰にしたままでその先を除き込むと、どうやら誰かがこちらに向かってきているようだ。

 この感覚。妖怪ではなさそうだが、恐らくそれなりに強い霊力を持つ者であろう。一瞬博麗の巫女かとも思った小傘だったが、けれどどうにも違うような気がする。何せ彼女には一度手痛くやられているのだ。忘れたくても忘れられない。

 となると他の誰かであるという事になるのだが、相手が博麗の巫女でないのなら小傘が取るべき行動は一つしかない。久方ぶりの獲物である。この空きっ腹を少しでも満たす為、見ず知らずの誰かには驚いてもらう事にしよう。

 

(よしっ……)

 

 半身である茄子色の傘を抱きしめつつも、小傘は息をひそめる。正直かなり緊張するが、最早四の五の言ってはいられないだろう。またあのキョンシーに妨害される可能性もある。そうなる前に、少しでも腹を満たしておかなければ。

 

「大丈夫、大丈夫……」

 

 そう自分に言い聞かせつつも、小傘は慎重にタイミングを計る。人を驚かすにはあまりにも向いていない容姿故、飛び出すタイミングが非常に重要なのである。こちらの容姿をしっかりと認識されてしまうよりも先に恐怖心を与え、そしてそそくさと退散する。我ながら完璧な作戦だ。

 近づいてくる霊力。早くなる小傘の呼吸。無理矢理にでも息を呑み込み、高鳴る心臓を落ち着かせて。

 

 意を決して、多々良小傘は陰から飛び出す。

 

「ばあ! おどろ……」

「ッ! そこォ!!」

「けぅおわぁ!?」

 

 ズガンと、轟音が響いた。

 本能的に危機感を察知した小傘は反射的に身を引いて、訳も分からぬままに尻餅をついてしまう。強打した尾てい骨辺りに鈍い痛みが走るが、そんな事を気にする余裕は小傘にはない。

 何が起きたのか、その一瞬ではまるで理解出来なかった。向かってきた人物を驚かせるべく、傘を広げて墓石の陰から飛び出して。けれどそんな小傘へと返って来たのは驚愕の悲鳴ではなく、銀色の一閃。

 

「……っ、ひっ……!?」

 

 パラパラと石片が崩れるような音が鳴る。そしてその直後に響くのは、ずしゃりと何かが崩れ落ちるような音。恐る恐る振り返ると、その音の正体はすぐに掴む事が出来た。

 今の今まで小傘が隠れていた墓石。それが無残にも破壊され、崩れ落ちる音だったのだ。豆腐みたいにすっぱりと真ん中から斬り落とされ、その重みと衝撃に耐えられず墓石は倒壊。もう少し尻餅をつくのが遅かったら、あんな風に斬り裂かれたのは小傘の方だったのかも知れない。

 

 そう思うと、ワンテンポ程遅れて得も言われぬ恐怖感が小傘の胸中へと走った。

 

「ひ、ひぃぃぃぃい!?」

 

 驚かそうと思ったら、まさかのカウンターである。しかも刃物を使った殺傷力抜群の迎撃である。流石の小傘もこんな反撃など予想していない。

 一体誰だ? こんな物騒な事をするような奴は。

 

「……おや? あなたは普通の妖怪ですか?」

 

 声の主──つまり小傘を斬りつけようとした張本人は、小柄な一人の少女だった。

 白銀色の髪。白い肌。緑を基調とした衣服。そして傍らに連れる大きな霊魂。どうやらただの人間などではなさそうだが、今はそんな事などどうでもいい。

 彼女が手に持つあの長い剣。あれこそが、たった今墓石をぶっ壊した凶器であるという事になり──。

 

「いっ、いいい……!」

 

 ようやく状況を理解した小傘は、溜まらず声を荒げてしまった。

 

「い、いきなり何すんの!? こんな所でそんな刃物を振り回すなんて……! 非常識だよ!? 罰当たりだよ!? 正気の沙汰とは思えないよ!!」

「すいません、敵だと思って」

「敵!?」

「急に飛び出してきましたし……。というか、あなたこそこんな所で何をしてたんですか? まるで何かを待ち構えていたかのような様子でしたが……」

「へっ!? え、えっと……! そ、それは、その……」

 

 少女にそう問いただされ、小傘は思わず口籠ってしまう。

 確かに、一方的にこの少女が悪いような物言いをしてしまったが、よく考えたら先に仕掛けたのはこちら側ではないか。非常識だとか罰当たりだとか、完全にブーメランである。

 反撃の可能性も完全に失念していた。けれどそれにしても、まさかあんな剣を持った少女がこの墓地にやってくるなんて。

 

「あちゃー、壊しちゃった……。後で白蓮さんに弁償しないと……。ん? いや、弁償するならお墓の持ち主にした方が……」

 

 壊れた墓に目を向けつつも、何やら少女はぶつぶつと呟いている。そんな中、小傘は何となく少女の持つ剣へと視線を向けてみていた。

 それなりの長剣だ。形状は日本刀と酷似しており、黒い柄から銀色の刀身が伸びている。くすみのない銀色の、しなやかな剣である。よく鍛えられている。この位置から刀身を眺めているだけでも、職人の手腕がありありと伝わってくるようだ。まさに一級品の業物と称しても差し支えないような──。

 

(……ん? あれ?)

 

 と、その時。小傘の脳裏に、()()が引っかかる事となる。

 まるで小さなでっぱりに僅かに引っかかるかのような、そんな微かな感覚。記憶の片隅にある何かが突然刺激され、小傘の胸中を揺らし始めているようにも思える。何だろう、この感じ。上手く言葉には出来ないのだけれども、これは──。

 

「……あの、ごめんなさい。実は私、かなり急いでいるんです。何やら奇妙な事が起きているみたいですし、あなたもここから離れた方が良さそうですよ? それでは」

「あっ……! ちょっと……!」

 

 小傘は思わず手を伸ばすが、そのタイミングではもう遅い。それだけを言い残した少女は慌てた様子で踵を返し、どこかへと飛び去って行ってしまった。

 へたり込んだままの体勢で、小傘はぽかんと口を開く。一体何だったんだ、あの少女は。いきなり反撃をしてきたり、墓石をぶっ壊したり、かと思ったら慌てた様子で飛び去ってしまったり。まるで嵐のような印象を受ける少女だったのだけれども。

 

 それより何より、小傘が気になるのは。

 

「あの剣……」

 

 どこかで──。

 

「……あれ? 小傘さんじゃないですか」

 

 そこまで考え込んだ所で。不意に見知った声が流れ込んできて、小傘は反射的に振り返る。視線を向けると、そこにいたのは若草色の髪を持つ巫女服に身を包んだ一人の少女。

 

「さ、早苗? どうしてあなたまで……」

 

 東風谷早苗。守矢神社の風祝にして、人の身でありながら神格化してしまった存在──現人神とも呼ばれている人間の少女である。

 奥にキョンシーが現れてから、墓地に訪れる人の数もめっきり減ってしまっていたのに。先程の少女と言い、今日は妙に来客が多い。確か守矢神社はここ最近信仰を急激に集めている命蓮寺を危険視しているらしいし、ひょっとして偵察にでも来たのだろうか。

 

 そんな事を考えていた小傘だったが、当の早苗は何やら怪訝そうな表情で小傘を見つめている。何だ? 何を考えているのだと小傘が首を傾げるのと同時に、早苗は口を開いた。

 

「あの……小傘さん。何をしているんですか?」

「え? 何って……?」

「いや……。その体勢、ぱんつ丸見えですけど」

「ひゃうっ!?」

 

 早苗にそう指摘され、小傘は慌ててスカートの裾を抑える。

 失念していた。唖然としていた所為で、自分が尻餅をついた体勢のままだという事を忘れていたのだ。確かに、正面に立てばスカートの中が見えてしまう体勢である。

 ひょっとして、さっきの少女にも見られてしまったのだろうか。そう思うと羞恥心がますます膨れ上がってくる。チラリと早苗へと目を向けると、何やら彼女は苦笑いを浮かべていて。

 

「いやー、まさか短いスカートでそんな体勢を取るなんて。ひょっとしてあれですか? 小傘さんって、そういう性癖が……」

「ち、違うよ! さっき通りかかった人を驚かせようとして、でも逆にこっちがびっくりしちゃって……! それで、転んじゃったっていうか……」

「はあ……。いえ、いいんですよ小傘さん。ほら、感性なんてものは人それぞれですから……」

「だーかーらー!?」

 

 何なんだこの少女は。小傘の話を聞く気がないのだろうか。

 嘆息しつつも、早苗の視線が今度は小傘の背後へと向けられる。そこにあるのは、無残にも破壊された墓石。それを目の当たりにした途端、彼女は大きく息を呑んだ。

 

「ちょ……小傘さん、これもあなたがやったんですか? まさか露出癖の他に破壊衝動までも……?」

「いやこれ“も”って何!? やってないからね!? 変な疑いかけるの止めてくれる!? というかいい加減私の話を聞いてよー!!」

「じゃあ誰がやったと言うんですか?」

「それは! さっき通りかかった剣を振り回している人が……!」

「……剣?」

 

 そこで早苗の表情が変わる。小傘へと向けられていた憐れみの表情から、何かを気にかけているかのような憂慮の表情へ。再び墓石へと視線を向けて何かを考え込んだ後、彼女は小傘へと視線を戻す。

 

「あの……その剣を振り回してる人って、ひょっとしてこれくらいの背丈の女の子ですか? 白銀色の髪で、頭に黒いリボンをつけていて……」

 

 自らの肩辺りを示しながらも、早苗がそう尋ねる。丁度小傘と同じくらいかやや高い身長である。

 小傘は記憶を探る。確かに、それくらいの背丈だったような気がする。少女という点も一致するし、白銀色の髪と黒いリボンという特徴もその通りだ。

 小傘は頷いて答えた。

 

「う、うん。あと、緑色っぽい服も着てたよ。それと、振り回してた剣は刀身が長めの日本刀で……」

「そうですか。成る程……」

 

 早苗は人差し指の背を自らの顎に添える。

 浮かべるのは思案顔。その表情は、いつにも増して真剣そのものである。小傘を見て、墓石を見て、そしてまた小傘へと視線を戻して。一人何かに納得したかのように、うんうんと頷くと。

 

「つまり小傘さんはその人を驚かせようとして、でも手痛い反撃を食らっちゃった訳ですか。慌てて避けたから良かったものの、代わりにお墓が壊されてしまったと……」

「だ、だからさっきからそう言ってるじゃん……!」

 

 この少女、どうやらようやく小傘の言い分を分かってくれたらしい。まったく、無駄に時間がかかった心地だ。巫女服を着ている奴は基本的に人の話を聞かないのだろうか。

 

「……早苗、あの人と知り合いなの?」

「ええ。冥界に住む半人半霊の女の子で、妖夢さんって言うんです。顕界にもよく来ていますよ」

「半人半霊……?」

 

 半人半霊。つまり半分は幽霊で、半分は人間の少女だったという事になる。

 小傘は改めて嘆息する。空腹を満たすために飛び出したのに、結局はこの体たらく。これでは明らかに驚かせ損だ。今更ながらどっぷりと疲労感が伸し掛かって来たような気がする。

 あの少女の言われた通り、今日の所はもう帰ってしまった方が──。

 

(……ん?)

 

 ──と、その時。小傘は妙な感覚に気付く事になる。

 

(あ、あれ!? 何だろうこの充足感……!)

 

 墓石の陰から飛び出して、でも反撃をされてしまって。『人間を驚かす程度の能力』を申告している癖に、逆に驚かされてしまうというこの仕打ち。そんな屈辱と尾を引く恐怖心の所為で、すっかり気が付かなかったけれど。

 ついさっきまで感じていたはずの、ぐったりとした空腹感。それが解消されているどころか、程よい満腹感までも覚えている。この墓地に通い始めてから早数週間。比較的人を驚かせやすいと言っても、精々空きっ腹に小さな握り飯一つ放り込む程度の満足感しか得られなかったはずなのに。

 例えるならばこの感覚は、それなりの量の定食を完食した程度の充足感。ついついデザートが欲しくなるくらいの腹の具合。

 

 かつてない感覚だ。いつの間に、自分はこれ程までの驚きの感情を──。

 

「あの、それで小傘さん。その妖夢さんがどこに行ったのか教えてくれませんか? 私、妖夢さんを追いかけてるんですけど……」

「え? あ、あー、うん。ついさっき、あっちの方向に行ったみたいだけど……」

「そうですか、分かりました。ありがとうございます」

 

 不意に早苗に尋ねられて、どもりつつも小傘は答える。

 ぶっちゃけ意味が分からないが、それでも小傘が充足感を得られた事に変わりはない。キョンシーなどにびくびくせず、足繁く通ってみるものだ。唐傘お化けとしての人生も捨てた物ではないのかも知れない。

 まぁ、それはそれとして。

 

「それでは、私は行きますね。今度こそ見失ってしまうかも知れないので……」

「あっ……! え、えっと! ちょっと待って早苗!」

「……何です?」

 

 慌てて引き留めると、怪訝そうな表情で早苗が振り向いてくる。彼女が急いでいる事は重々承知の上だが、それでも立ち去らせる訳にはいかない。

 そう。今の小傘には、少しばかり問題がある。

 

「あ、あの……ね? 私、その妖夢って人を驚かせようとして、でも逆に迎撃されちゃって……。あんまりにも突然の事だったから、びっくりしちゃったの」

「……ええ、それはさっきも聞きましたけど」

「う、うん。それで、重要なのはここからなんだけど……」

 

 もじもじと両手の人差し指を合わせる小傘。はっきり言ってかなりの羞恥心を覚えているが、そうは言っていられない。

 そう。このままでは、色々とまずいのである。

 

「え、えっと……。あんまりにもびっくりしちゃって、私……」

「はい」

「こ、腰が、抜けちゃったみたいで……」

「腰……」

「だ、だから、その……。手、貸してくれないかな……?」

「…………」

 

 物凄い呆れ顔をされた。

 まぁ、確かに。人を驚かす事を生業としているはずの小傘が、逆に驚いて腰を抜かしてしまったのだ。最早笑えない。一周回って呆れてしまうのも無理はないだろう。

 

 結局その後は早苗に手を貸して貰って、小傘は何とか立ち上がる事ができた。

 はっきり言って凄まじく気まずい時間を過ごす事になった小傘だったが、空腹感を満たせたのは不幸中の幸いであった。

 

 

 *

 

 

 魂魄妖夢はただ一人、墓地の奥へと進んでゆく。神霊達を払いのけ、悪戯好きな妖精達を退けて。魂魄妖夢はただ一人、直向きに()()を探し続ける。

 聖白蓮が話してくれた、命蓮寺の墓地に突如として現れた動く死体。それがキョンシーの少女であるという情報を掴んだ途端、妖夢の胸中に電撃が走った。それに触発されて彼女の脳裏に映ったのは、一人の少女の姿。

 

 共通点は“キョンシーの少女”という情報しかない。けれどそれでも、どうしても連想せずにはいられない。

 八十年後の未来で出会った、あのキョンシーを。

 

「…………っ」

 

 無言で妖夢は飛翔を続ける。

 墓の奥地で近づく者を追い払っていると言っていたが、一体どこにいるのだろう。先程いきなり飛び出してきた、あの唐傘お化けの少女にも話を聞いておくべきだったのかも知れない。

 

「…………」

 

 そう、唐傘お化けだ。

 妖夢が真っ直ぐに墓の奥へと向かっていた矢先、彼女は急に飛び出してきた。まさかあのタイミングであんな所から誰かが飛び出してこようとは、流石の妖夢も予想外である。うっかり反射的に剣を抜刀して斬りつけてしまったが、上手い具合に避けてくれて助かった。異変とは関係のない少女を斬り捨ててしまうなど、幾ら何でも夢見が悪い。まぁ、代わりに墓石を一つ壊してしまったが。

 

「……」

 

 そう、思い出すだけでも背筋が冷える。

 全くの予想外。あんな場面で、いきなり人影が視界に飛び込んでくるなんて。

 

(…………び、)

 

 そんなの。

 

(びっくりしたぁぁ……!!)

 

 心臓が止まるかと思った。

 魂魄妖夢は、予てより怖いものが苦手である。怖いものという表現は些か抽象的過ぎるが、もっと具体的に言えばホラーやビックリ系等の類が特に苦手なのである。別に妖怪や亡霊を見るだけでは全然平気なのに、一度おどろおどろしい演出が加わればそれは恐怖の対象と成り得る。

 急に何かが飛び出してくるタイプの演出も苦手だ。予め何がどのタイミングで来るのか分かっているのならまだしも、先程のように全くの予想外のタイミングで予想外のナニカが飛び出してくるような場合は最悪である。一気に血が凍る。

 

 まぁ、ある程度表面上は平静を装えるようになった辺り、少なくとも以前よりは多少成長しているのかも知れないが。

 

(な、何!? 何なのあの人!? 何で墓石の陰に隠れてたの!? しかも何であのタイミングで飛び出してきたの!?)

 

 口をつぐんでぷるぷると震えながらも、頭の中はうるさいくらいに言葉が反響している。あの唐傘お化けの前では澄まし顔を貫く事が出来たものの、流石にそろそろ限界である。ああ、心臓が痛くなってきた。

 

(うぅ、こんな調子じゃいけないのに……)

 

 深呼吸を繰り返し、妖夢は何とか心臓を落ち着かせようとする。

 そうだ。これから妖夢の感じた予感を確かめにいくのではないか。こんな調子ではいけない。もしもそのキョンシーが妖夢の想像通りの人物であった場合、気を抜いたまま挑むのはあまりにも危険である。

 

(……い、一旦降りよう)

 

 再び集中力を高める為、妖夢は一度飛翔を止めて呼吸を整える事にする。

 大きく息を吸って、吐いて。また吸って、吐いて。そうして呼吸を整えている内に、高揚していた感情も徐々に落ち着きを取り戻してきた。

 最後に大きく息を吐き出して、妖夢は神霊達が漂う空を仰ぐ。春先にしてはひんやりとした微風が、妖夢の火照った肌を撫でてゆく。そんな中、彼女の脳裏にふと浮かぶのは霊夢達の事。

 

(……勝手に飛び出して来ちゃったけど)

 

 呼吸を整え、気分を落ち着かせ、比較的冷静になった今なら改めて自分の取った行動を客観的に分析する事が出来る。一方的に白蓮から話を聞き出して、何も言わずに一人で勝手に飛び出して。果たしてその行動は、本当に正しかったのだろうか。

 ──否。

 

(……何やってんだろ、私……)

 

 事情も何も説明せずに一人で勝手に背負い込んで、そして一人で勝手に行動に移す。そんな事をした所で、余計な心配をかけるのがオチだ。

 無論、事情はある。未来の世界で経た出来事の口外は、紫にも控えるように言われている。故にあの場では詳細な説明をする事は出来なかったのだ。

 

 けれども。だとしても、だ。

 

(あんなの……)

 

 あまりにも、一方的じゃないか。

 

(霊夢達、どうしてるかな……)

 

 彼女達は今、何をしているのだろう。勝手に飛び出してしまった妖夢の姿を見て、一体何を思っているのだろうか。

 思い出すのは、何日か前の魔理沙の言葉。

 

『妖夢はただの庭師で、しかも半分は人間だろ。それなのに、こんな』

 

 思い返せば、ずっと前から魔理沙は妖夢の事を気にかけてくれていた。無茶な戦い方をする妖夢に対して苦言を漏らし、踏み外しかけた道を正そうとしてくれていた。

 無論、妖夢は道を踏み外しているなどとは思っていない。けれど少なくとも、魔理沙の目にはそう映っていたのだろう。故に彼女は、納得なんてしなかった。

 

 ──そして。

 

(霊夢だって……)

 

 妖夢を挑発し、弾幕ごっこを仕向けたのは霊夢の方だ。けれど彼女にも、彼女なりに思う事があったのだろう。

 

『妖夢が気に食わなかったから喧嘩を売った。それだけよ』

 

 それは仲介に入った紫に対して霊夢が口にした言い分だ。妖夢が気に食わなかったから、弾幕ごっこを嗾けた。

 博麗霊夢は基本的には淡泊な少女だ。他人に対する興味関心は他と比べて極端に低く、人間関係に関してもあまり深く考えない。信じ抜くのは自らの信条。誰に対しても等しく興味を示さない。

 

 だけれども。彼女は興味を示さないだけで、全くの無関心という訳ではない。

 

(素直じゃないなぁ……)

 

 魂魄妖夢は頬を緩める。けれどそれは霊夢への嘲りという訳ではない。

 自分自身への皮肉を込めた、精一杯の自嘲。一人で勝手に突っ走って、今もこうして一人で勝手に背負い込んで。これでは霊夢の方がしっかりと周りを見ているに違いない。

 

(魔理沙も、霊夢も……。私の事、心配してくれてたんだよね……)

 

 にも関わらず、自分はどうだ? 彼女達の好意を受け止めず、結局は自分の事しか考えていない。結局は自分の事しか信じ切れてない。

 

(それじゃあ、まるで……)

 

 “彼女”と──。

 

「おーい! 妖夢さーん!!」

 

 その時。不意に名前を呼ぶ声が流れ込んできて、妖夢は思わず思考を打ち切る。

 視線を向けると、誰かがこちらに向かって飛んでくる様子が見て取れる。若草色の髪。青と白の巫女服。妖夢もよく知る、一人の少女。

 東風谷早苗だ。

 

「早苗……?」

 

 ボソリと妖夢は呟く。そんな妖夢の姿を見つけるなり、早苗は飛行速度を上げたようだ。

 それなりの勢いで飛翔し、それなりの勢いで着地して。そしてそのままの勢いを殆ど緩めず、彼女はこちらにずいずいと歩み寄ってくる。

 

「やっと追いつきましたよ……!」

 

 そんな早苗の口振りは、いつもと違ってやや感情的だ。ずいずいと歩み寄り、そしてグイッと身を乗り出して。そんな彼女が浮かべるのは、不機嫌そうな膨れっ面。

 

「え、えっと……早苗?」

 

 面食らった様子で、妖夢は再び早苗の名前を口にする。当の彼女は、それに答えるような形でようやく口を開いてくれた。

 

「あの、妖夢さん。私、今すっごく怒ってるんですけど。なぜだか分かりますか?」

「…………っ」

 

 妖夢は息を呑む。この雰囲気。表情や声調だけはそれほど荒らげている訳ではないのだけれども、それでもこうして対面するとひしひしと伝わってくる。

 本気だ。彼女は間違いなく、本気で怒っている。普段はどちらかと言うと温厚で、あまりを他人に対して怒りを露わにするタイプの少女ではないのだけれども。けれど今回ばかりは違う。

 別に声を荒げたり、暴れ回ったりした訳でもない。けれども肌に突き刺さるようなこの鋭い感情は、少なくとも穏便な雰囲気ではないだろう。

 

 ──彼女の怒りは最もだ。それほどまでに勝手な行動を、妖夢は取ってしまったのだから。

 俯きがちに、妖夢は返答する。

 

「うん……。ごめんね、勝手な事ばかりして……」

 

 申し訳なさそうに、妖夢は謝罪を口にした。

 その言葉に嘘偽りはない。妖夢の事を心配し、妖夢の事を思ってくれる人達がいる。妖夢の為に、こんな所まで追いかけてくれる人がいる。それなのに妖夢は、そんな人達の気持ちを無下にしてしまったのだ。

 冷静に考えれば、自分が取った行動を見て周囲が何を思うかなんてすぐに分かるはずなのに。

 愚かだ。自分はなんて、愚かだったのだろう。

 

「……本当に、そう思ってます?」

「……っ。うん……」

 

 妖夢はただただ頷く。言い訳なんて、出来る訳がない。

 今更こうして頭を下げた所で、早苗達に迷惑をかけてしまった事に変わりはない。それは分かっている。けれどそれでも、こうして誠意を示さずにはいられなかった。

 少しの間、二人の間に沈黙が訪れる。申し訳なさそうに視線を逸らす妖夢に対し、早苗が浮かべるのは相も変わらず膨れっ面だ。妖夢はますます委縮して、思わず縮こまってしまう。やっぱり、相当怒っているのだろうか。まぁ、それは致し方ないのだろうけれど。

 

 そんな中、やがて早苗は口を開く。何を言われるのだろうと妖夢はピクリと肩を震わせるが、けれど返って来たのは予想外に穏やかな声調だった。

 

「……分かってくれたのなら、それで良いんです」

「……え?」

 

 妖夢は顔を上げる。そして早苗へと視線を向けると、彼女は既に膨れっ面ではなくなっていた。

 その代わりに浮かべるのは、穏やかな微笑顔。妖夢が口にする言葉を聞き、妖夢が示す態度を見て。その上でホッと安堵したかのような、そんな表情。

 面食らった様子の妖夢に対し、早苗は続けた。

 

「ちょっぴり安心しました。さっきの妖夢さん、本当に怖い表情を浮かべていましたから……。でも今は、こうしてちゃんと私の話を聞いてくれています。私の言葉を、ちゃんと受け止めてくれています」

「う、うん……」

「……何か、理由があるんですよね?」

 

 ドクンと、妖夢の心臓が揺れる。それでも早苗は、一歩前に踏み出してきた。

 

「あんなにも慌てざるを得ないような理由が……。何か、あるんですよね?」

「そ、それは……」

「……だったら私は何も言いません」

「えっ……?」

「……話せない事、なんですよね?」

「…………っ」

 

 驚いた。早苗には、そこまでお見通しだったのか。いや、それとも単に妖夢が分かりやすかっただけなのだろうか。

 けれど。それでも尚、早苗は何も言わないと言ってくれた。

 

「一から十まで、全部説明しろとは言いません。話せない事を、無理に聞き出すつもりもありません。でも……」

 

 そこで一瞬、早苗の表情が陰った。

 

「それでも……。少しくらい、私達の事を頼って欲しいです……」

「早苗……」

 

 妖夢は早苗の名を口にする。けれどそれ以上、何も言葉が出てこない。

 だって。何も、言い返せる訳がないじゃないか。彼女はこんなにも妖夢の事を心配してくれて、こんな所まで妖夢を追いかけてきてくれて。それなのに、妖夢は自分の事ばかりを考えていた。

 知らず知らずの内に、早苗の好意を踏み躙っていたのだ。

 仲間なのに。大切な、友達なのに。それなのに、妖夢は──。

 

「……それだけです! あとでちゃんと霊夢さん達にも謝って下さいよ? 分かりましたか?」

「……っ。うん……」

「返事は“はい”ですよ!」

「は、はい……!」

 

 早苗は明るく振舞ってくれている。多少なりとも、無理をしているのだろうか。

 だったらこれ以上、早苗に負担を掛ける訳にはいかない。気を遣わせる訳にはいかない。今までだって、別に早苗達の事を信用していなかった訳じゃない。けれど、それでも。

 

(早苗達の事……。もっと、信じなきゃ……)

 

 だって妖夢は、“彼女”に託されたのだ。妖夢を信じ、“彼女”は託してくれたのだ。

 八十年後の未来で出会った、妖夢と同じ剣術を使う“彼女”に──。

 

「さて! それじゃ、行きますか」

「……え?」

 

 そんな中。不意に早苗が、明るくそんな提案をする。きょとんとした様子で妖夢が首を傾げると、早苗は微笑みながらも声をかけてきてくれた。

 

「キョンシー、この辺にいるんですよね?」

「そ、そうだと思うけど……」

「だったら探しに行きましょう。神霊達もこの墓地に集まっているようですし、少なくとも全くの無関係という訳ではないはずです。きっと異変解決にも繋がるはず……」

 

 早苗はくるりと身を翻して、そして歩き出す。

 まるで、妖夢を先導するかのように。まるで、深い谷底に落ちてしまった妖夢へと手を差し伸べてくれているかのように。歩きつつも、ちらりとこちらに振り向いて。

 

「行きましょう、妖夢さん。今度は、一緒に」

 

 ──まったく。何と言うか。

 本当に、自分が情けない。ここまでして貰えないと、何も気づく事が出来ないなんて。こんな所で、()()立ち止まろうとしてしまっていただなんて。本当に、何をやっているのだろう。

 けれど。今の妖夢には、早苗がいる。いや、早苗だけじゃない。霊夢と魔理沙達だっている。それに、他の皆だって──。

 

「……うん。行こう」

 

 だから妖夢は、早苗と共に歩き出す。

 今度こそ、見失わないように。

 

 

 *

 

 

 そして()()は、確かに墓の奥地にいた。

 

「…………っ」

 

 息を呑む早苗の様子が見て取れる。二人で物陰に隠れつつも、妖夢達は慎重にその様子を伺った。

 確かに、キョンシーである。あまりにも血色が悪すぎる肌に、固まって殆ど動いていない両手足の関節。そして額に貼り付けられた大きな御札。分かりやす過ぎる特徴だ。

 そして。

 

(やっぱり……!)

 

 藤色の髪。紺色のハンチング帽。赤を基調とした上着。黒いスカート。

 見間違える訳なんてない。忘れる訳なんてない。妖夢の記憶の中の彼女と、あのキョンシーの特徴はピタリと一致する。

 あの時。八十年後の未来の世界で、妖夢達に襲いかかってきたキョンシー。

 

「くっ……!」

「よ、妖夢さん……?」

 

 不安気な声。視線を向けると、早苗はやはり不安気な表情を浮かべている。キョンシーなどという存在を初めて目の当たりにした所為なのか、それとも。

 

「あの、大丈夫ですか……? 何だか顔色悪いみたいですけど……」

「……う、ううん。大丈夫……」

 

 やはり、そちらだったか。

 大丈夫、などと口にしてみたものの、やはりどうしても表情に出てきてしまう。何せ妖夢は、あのキョンシーに一度手痛くやられてしまっているのだ。無意識の内に、あの時の事を思い出してしまう。

 なぜ、あのキョンシーが今になって現れたのか。なぜ、こうしてこの墓地に近づく者を追い払っているのか。はっきりとは分からない。

 

 けれど一つだけ分かる事がある。

 あのキョンシーはあの時に襲撃してきたキョンシーと同一の個体で、二年前のあの件にも関わっている可能性が高い。

 魂魄妖夢が未来の世界に放り出されてしまった、あの事件と──。

 

(……とにかく)

 

 あの事件の真犯人が霍青娥という名の人物であるという事は知っている。そしてあのキョンシーは、青娥が操る駒であるという事も。

 だったら尚更放っておく訳にはいかない。また、あの時のように妖夢の大切な人達を傷つけようとするのならば──。

 

(私は……!)

 

 ここで、彼女を止めなければならない。

 

「……早苗」

「妖夢さん……?」

「……早苗は、ここで隠れてて」

「えっ……?」

 

 当然、早苗は困惑を露わにする。いきなりこんな事を言われれば、当然の反応であろう。

 けれどここで早苗を巻き込む訳にはいかない。あのキョンシーの危険性は、既に妖夢が身をもって体験しているのだ。幾ら現人神であるとはいえ、早苗は元々外の世界の人間。幾ら何でも分が悪すぎる。

 

「あのキョンシーは今までの奴らとは違う。普段通りの弾幕ごっこだけで、大人しくなるとは思えない。だから……」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。ここは幻想郷ですよ? 揉め事は、スペルカードルールに則って解決する。それが幻想郷のルールで……」

「そう。あくまでルール。だから破る事だってできる……」

 

 スペルカードルール。それは博麗の巫女が制定した、“殺し合い”を“遊び”に変える決闘方式。力の弱い人間が妖怪と対等に渡り合う場合や、力の強すぎる妖怪同士がその力をセーブしてぶつかり合う際に用いられるルール。

 そう、あくまでルールだ。物理的に制限されている訳じゃない。それ故に、破ろうと思えば破る事だって可能なのである。

 

 おそらく、あのキョンシーに対してはスペルカードルールなんて意味を成さない。少なくともあの時は、意思の疎通すら不可能という状態だったのだ。だから、今回だって──。

 

「……本気で、殺しに来るかもしれない」

「……ッ!?」

 

 だから早苗を戦わせる訳にはいかない。本当に、殺されてしまうかも知れないのだ。

 そんな危険性を早苗が態々負う必要はない。早苗はあくまで守矢神社の風祝であり、妖怪退治の専門家などではないのだ。こんな所で、命を賭ける必要なんてないだろう。

 

「だから私一人で戦う。早苗を、危険な目に遭わせる訳には……」

「あの、妖夢さん。もう忘れたんですか?」

「……え?」

 

 そこで早苗は、ずいっと身を乗り出して口を挟んでくる。

 緊張か、はたまた恐怖心か。彼女の表情はいつにも増して強張っている。けれどそれでも、早苗は主張を貫き通す。

 

「さっき言ったばかりじゃないですか。少しくらい、私達の事を頼って欲しいって……」

「で、でも……! あのキョンシーは、危険だから……!」

「だったら尚更ですよ……!」

 

 早苗の語調が強くなる。妖夢は思わず、言葉を飲み込んでしまった。

 

「そんなにも危険な奴を相手に、妖夢さんは一人で戦うんですか? その様子を、私は物陰から見てろとでも言うんですか……? そんなの、容認出来る訳ないじゃないですか……!」

「…………っ」

「確かに、妖夢さんと比べたら私なんて全然弱っちいのかも知れません……。でも……! それでも私は、ただ守られるだけの存在なんかじゃないんです……!」

 

 早苗は本気だった。彼女は必死だった。普段の穏やかな様子など、どこにも見当たらなかった。

 生半可な気持ちなどではない。彼女の覚悟は、本物だ。

 

「私だって妖夢さんを助けたいんです! 私だって、妖夢さんを危険な目に遭わせたくない……!」

「早苗……」

「だから私も戦います……。妖夢さんを、一人になんて絶対にさせません……!」

 

 最早妖夢には、彼女を止める権利なんてない。こんなにも必死になっている早苗の思いを、踏み躙る事なんて許されない。

 だから妖夢は息を呑む。高ぶる不安感を必死になって払い除け、再び早苗に向き直って。迷いを払拭し、そして首を縦に振る。

 

「……分かった。一緒に、行こう」

「……っ。妖夢さん……!」

「一緒に、戦おう」

 

 早苗の意思を決めるは早苗自身だ。早苗の心がそうしたいと決定したのならば、妖夢にそれを否定する権利はない。

 魂魄妖夢は一人ではない。だから一人で突っ走るなんて、そんな狼藉はこれ以上許されない。

 今は早苗と共に戦う。早苗と共に、立ち塞がる脅威を振り払う。

 

「はいっ!」

 

 早苗の呼応を最後に、妖夢達は物陰から飛び出す事にした。

 向かう先は墓地の最深部。そこに立ち塞がるキョンシーの前に立つと、当然彼女は反応を見せる。関節が固まって動きずらそうな身体を無理矢理動かし、妖夢達の姿を認識すると。

 

「なんだお前らはー!」

 

 声を張り上げ、開口一番にそんな事を言ってきた。

 見た目通り、少女の声である。けれどどうにも語尾が伸びたその口調は、聞いてるこっちが思わず脱力しそうになってしまう。やはり関節部分と同様に、舌も上手く動かないのだろうか。

 そんな彼女の言葉を聞き、早苗は感心したように声を上げていた。

 

「へぇ……。一応、喋れるんですねぇ」

 

 白蓮が言うには、まるで話が通じないとの事だった。てっきり意思の疎通が不可能なのかと思っていたのだが、けれどどうやら言葉を発する事くらいは出来るらしい。現にこうして、彼女は警戒心を露わにして──。

 

(あれ……?)

 

 ──ちょっと、待って。

 

(何か、違和感が……)

 

 喋れる。そう、喋れるのだ。

 彼女は。このキョンシーは、はっきりと言葉を口にする事が出来ている。何だお前らは、と。疑問を呈する事が出来ている。

 それこそが、違和感。

 

「ちーかーよーるーなー! ここから先は立ち入り禁止だー!」

 

 再び彼女は口にする。まるで通せんぼするかのように、妖夢達の前に立ち塞がって。

 近寄るな。立ち入り禁止だ、と。彼女ははっきり口にする。

 

「我々は然る御方に生み出された戦士(キョンシー)である! 崇高なる霊廟守る為、やんごとなき霊魂に命を吹き込まれたのだー!」

「……然る御方? やっぱり黒幕がいるって事ですかね?」

「……で? お前達は何だ? 墓参りに来た人間か?」

 

 妖夢が考え込む傍らで、早苗はキョンシーへと受け答えする。肩を窄めつつも、彼女は答えた。

 

「お墓参りに来た訳ではありませんよ。人間というのもちょっと違いますね。私は一応人間ですけど、妖夢さんは半人半霊ですから」

「なんだとぅ! そんな事などどうでもいい! さっさとここから立ち去るか、我々の仲間になるがいい!」

「……聞いてきたのそっちじゃないですか」

 

 何とも会話が支離滅裂だ。話が通じないとは、この事だったのだろうか。

 

「どうします妖夢さん? 我々とか言っている割に一人ですし、そもそも何だか何の事を言ってるのかよく分かりませんし……。やっぱり相手にするだけ無意味なタイプなんでしょうか……?」

「う、うん……。そうだね……」

 

 上の空気味に、妖夢は答える。

 おかしい。あのキョンシーは、想像以上に饒舌だ。未来の世界で出会った時は、言葉などまともに発していなかったはずなのに。ただ純粋に、一方的に妖夢達へと襲い掛かってきていたはずなのに。

 

 少なくとも、このキョンシーには。

 意思のようなものが、残されているかのような──。

 

「……とにかく、邪魔をしてくるのなら突破しよう。神霊騒動の手掛かりは、きっとこの先にある……」

「……そうですね。分かりました」

 

 ここで深く考え込んでも仕方がない。言葉を発する事が出来ようが出来まいが、あのキョンシーがこちらに敵対している事は明白なのだ。

 だったら戦わなければならない。多少強引にでも、そこを退いてもらわなければならないのだ。

 

(それに……)

 

 彼女なら、知っているかも知れない。

 霍青娥という名の、人物の事を。

 

「なにおう! 我々とやりあおうと言うのかー!」

「ええ。邪魔をするのなら倒しますよ。あまり時間もないので、妖夢さんと二人で行かせてもらいます!」

「ふっふっふ……いいだろう! 二人まとめて相手してやる! そしてお前達もキョンシーになるのだー!」

 

 漠然とした違和感と、釈然としない不安感。

 それらを胸中で密かに覚えつつも、妖夢は早苗と共に一人のキョンシーに立ち向かうのであった。




本作も遂に100万文字を突破です!
それに加え、総合評価が1000ptを超えました!
ありがとうございます!

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