幻想郷で神霊騒動が勃発し、冥界での一悶着を経てから数十分。八雲紫に促されるまま、早苗達は顕界の人里まで足を運んでいた。
霊騒動と言えば、真っ先に疑われるのが冥界の住民。当時早苗はまだ外の世界にいた為に詳しくは知らないが、どうやら以前にも似たような異変が起きた事もあるらしい。当時は神霊ではなく単なる幽霊が数多く発生してしまっていたらしく、その首謀者は冥界の管理者でもある西行寺幽々子だったそうだ。
そんな前科があるのなら、確かに疑われてしまっても仕方がないと言える。そもそも冥界に向かうべきだと最初に主張したのは早苗であるし、その提案を呑んだ霊夢達だって間違っていた訳ではないはずだ。
けれど。まさか
「あの、妖夢さん。大丈夫ですか……?」
「……何が?」
「いや、その……」
先にさっさと向かってしまった霊夢と魔理沙。そんな彼女達と合流すべく妖夢と行動を共にしていた早苗だったが、流石に居たたまれなくなって思わず声をかけてみる。
「さっき、霊夢さんと弾幕ごっこをしたじゃないですか。だから、えっと……怪我とか、してません?」
──いや、自分は何を言っているんだ。本当に聞きたいのは、そんな事じゃないだろうに。
「……大丈夫だよ。別に怪我なんてしてないし、体力だってまだ余裕があるから。流石に百パーセント万全って訳ではないかも知れないけど……」
「そ、そう、ですか……」
「……ごめんね。心配かけちゃって」
振り向きつつも、妖夢は薄く笑みを浮かべる。
まただ。また、この笑顔。何日か前に人里で彼女と会話をした際も、妖夢はこんな表情を浮かべていた。
まるで、何かを誤魔化すかのように。まるで、何かを抑え込むかのように。
(妖夢さん……)
けれどそれが分かった所で、早苗には何が出来る? 何かを誤魔化しているとは言っても、その“何か”とは一体何だ? それが分からぬ以上、早苗は何も言う事ができない。
分からない。この少女の身に、一体何が起きたというのだろうか。
「……そろそろ着くかな」
「え? あっ……」
そんな事を考えている内に、早苗は妖夢に先導されるような形で目的地に辿り着く。
何か心当たりがあるらしい妖夢についていく事にしたのは、先に行ってしまった霊夢達を追って人里に到着した直後の事だ。やはり普段から亡霊や幽霊達と関わっている故に、こういった感覚には敏感なのだろうか。そんなこんなで早苗達が辿り着いたのは、人里の外れに佇むとある大きな寺院であった。
当然ながら、見覚えがある。早苗だって、ここに来たのは初めての体験という訳ではない。
「……命蓮寺、ですか」
「うん」
命蓮寺。ここ最近、人里の住民からも急激に進行を集め始めている寺院。そういう意味では守矢神社の神様も危険視していたと思うのだが、まさか今回の異変の首謀者はこの寺院の修行僧だとでも言うのだろうか。
確かに、関係者全員が妖怪で構成された寺院である。誰が異変を引き起こそうとも、不思議ではないと思うのだが──。
「修行僧の誰かが黒幕だとはまだ決まった訳じゃないかな」
「え? そうなんですか?」
「神霊達を追いかけて、ある程度絞った上でここなんじゃないかって推測しただけだから……。全然見当違いだった、って可能性もあるかも」
「うーん……。確かに、神霊達はここに集まっているようにも見えますけど……」
神霊達の行動には、ある程度一貫性がある。そんな情報を八雲紫より提示された早苗達だったが、確かに彼女の言う通り神霊達は何かに引き寄せられるかの如く行動しているように思える。そんな神霊達を追いかけて辿り着いたのが、ここ命蓮寺の周辺という訳である。
怪しさ満点と言えばその通りだ。けれど住職である聖白蓮は、かなりの人格者であったと記憶している。そんな白蓮がこんな奇妙な異変を引き起こすとは思えないし、彼女の目が黒いうちは他の修行僧だっておいそれと勝手な事をするとも思えない。
けれどあくまでそれは表面上での印象から考えた話だ。実際もそうであるとは確信を持って言える訳ではない。
故に注意は必要であろう。今のところ特に何か危害を加えられたという話は聞いていないとは言え、用心するに越した事はない。
「……取り合えず行ってみよう」
「は、はい……」
いつまでもここで手を拱いていても仕方がない。何であれ、まずは寺院の関係者達から話を伺ってみるべきだ。
再び妖夢に先導されるような形で、早苗は命蓮寺の敷地へと足を踏み入れてゆく。正門を潜り抜け、石の灯篭が並べられた石畳の参道を進み。その先で真っ先に目に入ったのは、とある少女達だった。
「お? 何だよ、やっと追いついたのか?」
早苗達の存在に気付いて声をかけてきたのは、霧雨魔理沙である。その傍らには霊夢の姿も確認できる。どうやら彼女達もまた、命蓮寺が怪しいと睨んでここに向かっていたようだ。
霊夢がここにいるという事は、妖夢の推測も信憑性が高くなってくる。博麗の巫女が持つ“勘”は、外れる事を知らないのである。
「……え、えっと……」
けれど今はそんな事を気にしている場合ではない。魔理沙や霊夢の存在だとか、推測の信憑性だとか。それより何より気になる事が一つ。
霊夢達の足元。そこに仰向けで倒れ込み、ぐるぐると目を回している一人の見知らぬ少女。
「……その人は?」
「え? あぁ……。多分、
「と、取り合えずって……」
取り合えずぶっ飛ばされたのか。この少女も災難である。
目を回して仰向けに倒れている少女。早苗よりもやや暗めの緑色の髪に、キャラメル色のワンピース。そんな少女の頭には、動物か何かの耳のようなものも確認できる。確かに、まごう事なき妖怪である。
けれどここは既に命蓮寺の敷地内。この少女も命蓮寺の関係者である可能性が高い。であるのなら、話を伺うべきではないのだろうか。
「あ、あの~……。大丈夫ですか?」
「きゅう……」
屈んで声をかけてみるも、返ってくるのは呻き声。駄目だ、完全に伸びている。
「……霊夢さん。どれだけ思い切りぶっ飛ばしたんですか……」
「ふん。私はいつだって全力よ」
「霊夢は加減ってもんを知らないからな……」
霊夢の事だ。相手が妖怪だと知るや否や、一方的に弾幕ごっこをけしかけたに違いない。目に見えるように想像できる。
「この辺じゃあまり見かけない子だよね。新入り……?」
「多分な。まぁこの様子じゃ、どうやらこいつは白らしいが……」
妖夢の問いかけに対し、魔理沙がそう答える。
確かに、彼女の言う通りだ。幾ら霊夢が相手だとはいえ異変の黒幕がこうもあっさり敗れる訳がないし、そもそも神霊達は未だに収まっていない。
とは言え、このままこの少女をここに放置しておく訳にもいかないだろう。情報を集める為にも、彼女には起きてもらう必要がある。
「えっと……大丈夫ですかー? 生きてますよねー?」
「う、うぅん……」
「もしもーし? 私の声、聞こえますー?」
「…………っ。はっ!?」
早苗が何度か声をかけると、どうやら意識を取り戻したらしい。目を見開き、弾かれるように立ち上がって。そしてやたら慌てた様子で、彼女は背筋をピンと伸ばすと、
「は、はいっ! おはよーございま……あれ?」
夢でも見ていたのだろうか。なぜだか元気よく朝の挨拶を口にしかけた少女だったが、けれど言葉を詰まらせて困惑顔を浮かべる。自らが立たされている状況を、いまいち理解する事が出来ないのだろうか。キョロキョロと周囲を見渡し、早苗と妖夢の姿を確認して。すると少女は、何やらわなわなと震え始めると、
「ふ、増えてる……!? 何か二人増えてるぅ!?」
「うっさい」
「へぶっ!?」
声を張り上げた少女に対し、霊夢がチョップをお見舞いする。この少女、本当に妖怪が相手ではまるで容赦をしない。
当の少女は涙目になりつつも、当然霊夢へと抗議をした。
「いたーい! 何するの!」
「声がデカいのよあんた。もうちょっと静かに出来ないの?」
「だからって殴る事ないじゃん! 暴力反対!」
「いや、そもそも元を辿ればあんたの方から仕掛けてきたんでしょうが。ほら、これはあれよ。セイト―ボーエーって奴よ」
──弾幕ごっこはあの少女が先に仕掛けていたのか。霊夢は正当防衛などと口にしているが、けれどぶっちゃけ相手が妖怪なら防衛でなくとも攻撃を仕掛けていたと思う。
「うぅ……。私を退治しても何にもならないわよぅ……」
「ふふん、妖怪だしね。博麗の巫女として、ここは取り合えず退治しとかないと」
「ひ、酷い……」
確かに中々の鬼畜である。何だかこの少女が可愛そうに思えてきた。
「えーっと、それで? 何だっけあんたの名前……。えっと、確かナントカ……、ナントカ?」
「微塵も覚えてないじゃん! 響子だよ!
「あぁ、そうそうそれそれ。で? 一応聞くけど、あんたはこの神霊騒動の首謀者について何か心当たりある?」
「えっ……、し、神霊? 神霊って何? 食べられるの?」
幽谷響子と名乗った少女が、首を傾げつつも尋ね返してくる。この反応、白どころかそもそも異変事態を察知していなかったと見える。というかそれ以前に、神霊が何なのかすらも理解していないらしい。
霊夢は深々と溜息をつき、そして大袈裟に空を仰いだ。
「うっわ、使えないわねぇ」
「……ねぇあなた、さっきから失礼じゃない? 私があんまり強くないからって、ひょっとして馬鹿にしているの?」
「え、えっと……。すいません、響子さん。霊夢さんって、誰が相手でも大体こんな感じでして……」
このまま霊夢に任せておくと、話はますますややこしくなりそうだ。割り込むような形で、早苗は響子へと声をかける。
「今ちょっと、幻想郷の各地でおかしな事が起きてるんです。私達はその調査を行ってまして……。そこで、このお寺の住職さんにも話を伺いたいんですが」
「へぇ……。よく分かんないけど、あなた達も大変そうだねぇ……。そういう事なら、多分この先の本殿に行けば会えると思うよ」
ここからでも見える大きな建物を示しながらも、響子はそう教えてくれた。
存外素直な反応である。そんな彼女がなぜ霊夢達に弾幕ごっこをふっかけたのか甚だ疑問ではあるが、そこはやはり妖怪としての性だったのだろうか。いや、或いは霊夢達を不審な侵入者と勘違いして防衛の為に攻撃を仕掛けたのかも知れない。いずれにせよ、あまりにも相手が悪かったと言える。
相手は霊夢だ。“殺し合い”ならともかく、“遊び”である弾幕ごっこなら彼女に敵う者などそう多くはない。
「ま、あんたが何も知らないんならこの際それでも良いわ。流石に白蓮辺りなら何か知ってるでしょ」
「……そうだな。何せここまで神霊が集まって来てるんだ。何らかの行動を起こしているとみて間違いないぜ」
「急ごう。今はまだそれほど大事にはなってないみたいだけど……。でも」
口にしつつも、妖夢は一歩前に出る。幽谷響子が示した建物──命蓮寺の本殿。それを見据えて息を呑むと、彼女はますます表情を曇らせた。
「……嫌な予感がする」
嫌な、予感。漠然とした感覚。根拠なんてどこにもない。
けれど魂魄妖夢の面持ちは真剣だ。早苗からしてみれば漠然とした感覚。けれど妖夢からしてみれば、そうではないのかも知れない。彼女にしか分からない、“何か”を感じ取っているのかも知れない。
妖夢は何かを知っている。知っているからこそ、彼女は不安感を覚えている。
(妖夢さんは、一体……)
何を知っている?
例え何を聞いたとしても、きっとはぐらかされる。何でもないと、またあの乾いた笑顔を浮かべるに決まっている。
何も話したくない。そんな気持ちは何となく伝わってくる。伝わってくるのだけれども──。
やはり、それでも。
(少しくらい、頼ってくれても……)
*
命蓮寺の参道で霊夢が幽谷響子とかいう山彦を下してから数分。遅れてやってきた妖夢や早苗と合流した後に、魔理沙達は命蓮寺の本殿へと足を向けていた。
冥界での一件から、妖夢と霊夢の間には険悪なムードが漂っている。紫の手により無理矢理仲介させられたとは言え、本人達は未だどこかで納得していないのだろう。
完全に和解した訳ではない。今はただ、異変の解決を優先しているだけだ。
「……なぁ、霊夢。妖夢の事なんだが……」
「……何よ。あんたも紫みたいに説教を始めるつもり?」
──いや、どちらかと言えば霊夢が一方的にツンツンしているだけであるが。
少なくとも妖夢は、あれから霊夢に敵意を向けてはいないように思える。先程のように暴走をするような事もなく、それ以前に霊夢に対して嫌悪感を抱いているような様子もない。ちらりと振り向いて妖夢の様子を伺ってみてもその印象に変化はなく、調子だけは普段通りの彼女であるように見える。
そう、あくまでそう
「多分、私もお前と同じ気持ちなんだ。妖夢の奴を、何とかしてやりたいって思ってる。だから……」
「……今はどうでもいいでしょそんな話」
遮るように、霊夢は口を開く。
「今はこのふざけた異変を解決する事が先決。余計な事は考えないわよ」
「……余計な事、ねぇ」
真っ先に妖夢を挑発した彼女がよく言う。
などと言う感想は心の奥に仕舞っておく事にする。異変の解決が先決であると霊夢が言っているのなら、その言葉通り異変を解決するまで霊夢は意思を曲げようとしないだろう。
まったく、何と言うか。
どうしようもないくらいに頑固で、どうしようもないくらいに素直じゃない。
(……ま、それが霊夢ってヤツなんだけどな)
そんな事を密かに思いつつも、魔理沙は霊夢の後に続く。
揚げ足を取る必要なんてない。今は霊夢の言う通り、異変の解決を第一に考える事にしよう。
「……ん?」
石畳が敷き詰められた参道を進み、魔理沙達は本殿の前まで辿り着く。──が、そこで意外な人物を目撃する事となり、魔理沙は思わず首を傾げてしまった。
本殿。丁度その正面で、折よく誰かが話し合っている様子が見て取れる。人影は三つ。一人は命蓮寺の住職である聖白蓮、そしてもう一人は命蓮寺の関係者の一人である舟幽霊の少女。そこまでは良い。けれど意外だったのは、そんな彼女達と言葉を交わしているもう一人の少女だった。
妖怪である。それは間違いない。けれど呪術的な印象を受ける黒のゴスロリ服に、深い赤髪を三つ編みとして纏めたヘアスタイル。そして頭の上にある猫の耳という強烈な特徴を目の当たりにすれば、彼女が誰であるのかは一目瞭然である。
命蓮寺の信者や修行僧という訳ではない。そもそも彼女は地上の妖怪ですらない。
「あいつ、確か……」
「お燐さん?」
魔理沙の呟きに続くような形で、妖夢がその名を口にする。
火焔猫燐。人間の死体を持ち去る事を生業としている火車と呼ばれる妖怪にして、地底に住居を構える覚妖怪──古明地さとりのペットにあたる人物。
「……何であの子がこんな所にいるのよ。命蓮寺の信者にでもなった訳?」
「それは違うと思うけど……。前に入門を断られたって言ってたし」
「志願した事あるんですね……」
さとりのペットであるはずなのに、命蓮寺の入門を志願するのは如何なものなのか。
それはさておき。そこに白蓮がいるのならこちらとしても都合がいい。取り込み中の所は悪いが、こちらも火急の用だ。話を聞かせて貰う事にしよう。
「……おや? これはこれは皆さんお揃いで」
こちらの存在に気付いた白蓮が、そう声をかけてくる。一歩前に出た魔理沙がそれに答えた。
「よう、白蓮。取り込み中っぽいところ悪いが、邪魔するぜ」
「……ええ。大方事情はお察しします。神霊の件についてですよね?」
「お? 何だよ、話が早いな」
どうやら幽谷響子とは違い、白蓮は『異変』について既に察知していたらしい。
説明する手間が省けて助かる。今の白蓮の様子からでは、彼女がどう異変に関わっているのかは分からないが──。まぁ、その辺は追々説明して貰う事にしよう。
──と、早速白蓮から話を聞こうとした魔理沙だったが、
「あの。予め言っておきますけど、聖は異変の首謀者などではありませんからね」
やや食い気味にそう口を挟んできたのは、白蓮の傍らにいた舟幽霊の少女である。
セーラー服に身を包んだ少女だ。頭の上にちょこんと乗せたキャップから、舟の船長か何かを連想させる。舟幽霊といえば念縛霊──いわゆる地縛霊の亜種で、霊の一種でありながら極めて妖怪に近い性質を持っている。彼女もその例に溺れず、幽霊のように存在が希薄という訳ではなく完全な肉体を持っているようだ。
霊夢が呆れ気味に嘆息をした。
「まだ何も言ってないじゃない。別に白蓮を疑ってる訳じゃないわよ」
「そ、そうですか? なら良いんだけど……」
「というかどちらかと言うと、怪しいのはあんたの方なんじゃないのー? ほら、あんたも一応幽霊の一種じゃない。だったらこう、何とかすれば神霊を集める事くらい……」
「ち、違いますよ! 私が出来るのは精々舟を沈める事くらいで、逆に言えばそれくらいしかできないし……」
「舟を沈めるのも大概迷惑だけどな……」
水蜜の言う通り、舟幽霊は舟を沈める事に特化した能力を持つ怪異である。水難事故で命を落とした人間の霊体が妖怪化した存在なのだから、当然といえば当然であろう。
彼女の場合、白蓮と出会った事により形振り構わず水難事故を引き起こすような事は止めたらしいが。
「ムラサは犯人ではありませんよ。それは私が保証しましょう」
「まぁ、確かに……。命蓮寺の関係者がこんな異変を引き起こしたとしたら、白蓮さんが黙ってなさそうですよねー」
「ええ。……もしも仮に私に隠れてこんな事をしていたのだとすれば……ふふふっ……」
「あ、あの、聖? 何だかすごーく笑顔が怖いんですけど……」
早苗に同調するような形で答えた白蓮だったが、確かに水蜜の言う通り浮かべるのはやたら冷たい笑顔である。この住職、実は怒らせると相当にヤバいのかも知れない。
ともあれ、この様子では白蓮も水蜜も白と見て間違いなさそうだ。そうなると、残った少女はあと一人。
「さてと。それじゃあ、何であんたはこんな所にいるのかしら? お燐?」
「や、やっぱりそうなるよね……」
不審感を隠す素振りも見せずにそう尋ねる霊夢を見て、お燐──火焔猫燐も若干気圧され気味である。一方的に不審がられて彼女も気の毒ではあるが、そもそもお燐は命蓮寺の関係者ではなく地底の妖怪なのだ。しかも彼女は一度入門を断られている身。こんな所にいる事の方がおかしい。
まぁ、再び入門を志願しに来たのであれば不自然ではないが──。
「えっと、実はこの住職さんにちょっとした頼まれ事をされちゃってね」
「頼まれ事? 何よそれ?」
「それは──」
「それは私が説明するよ!!」
「ッ!?」
突如として響き渡る全く予想だにしなかった声。鈴を転がすような楽し気な声が突然流れ込んできて、魔理沙達は思わず飛び退いてしまった。
一体、いつからそこにいたのだろうか。丁度妖夢と早苗の間。挟まれるような立ち位置でひょっこりと顔を上げているのは、年端もいかない幼い少女。
あの霊夢ですら彼女の存在にはまるで気が付いていなかった。それもそうだ。なぜなら彼女の『能力』は、それほどまでに強力なものなのだから。人の持つ意識を外れ、無意識の領域に干渉する事の出来る異能。
そんな『能力』を持つ少女と言えば、幻想郷には一人しかいない。
「わ、わわっ!? こ、こいしさん……!? いつからそんな所に……!」
「え? 最初からいたけど?」
「さ、最初からですか……!?」
古明地こいし。古明地さとりの妹にして、読心能力を放棄した覚妖怪。
早苗が驚くのも無理はない。最初からそこにいたと言っても、彼女は今の今まで『能力』を作用させて無意識の領域に隠れていたのである。そんな状態での突然の発言。寧ろ
魔理沙は思わず嘆息した。
「お前なぁ……。いい加減、急に話しかけるの止めろよな。心臓に悪いぜ……」
「あれ? そんなにびっくりしたの? えへへー、魔理沙って意外と怖がりなんだねー?」
「よぅーし、分かった喧嘩を売ってるんだな? 上等だぜかかってこいオラぁ!」
「うわー怒った! 助けて半分幽霊のお姉ちゃん!」
「わっ、こ、こいしちゃん……!」
そそくさと妖夢の背後へと隠れるこいし。そっちから煽っておいてすぐさま妖夢に助けを求めるとは、中々どうして矮小な奴だ。いや、単にからかっているだけなのだろうけれど。
しかしそんな悪戯っ子を黙って見逃す程、霧雨魔理沙は甘くない。
「おまっ……妖夢を盾にするなんて卑怯だぜ! さっさと出てこい!」
「何ムキになってんのよ魔理沙。あんな安っぽい挑発に乗るなんて、あんたもまだまだ……」
「でも霊夢だってビクッとしてたよね? 小さく悲鳴上げてたよね? 結構びっくりしたんでしょ? ねぇ?」
「よしっ、私も協力するわ魔理沙! さっさとこいつをぶっ飛ばすわよ!」
「ちょっ……二人とも落ち着ていて下さい!? 相手は小さな子供ですよ!?」
慌てて早苗が間に割って入ってくる。こんな小さな子供相手に本気になるなと彼女は言いたいのだろうが、その認識は間違っている。
子供だからこそ、教えなければならない。やって良い事と悪い事の違いというヤツを。
「あっ、こいし様! そんな所にいたんですね! どこに行っちゃったのかと思ってましたよ!」
「むぅ、大丈夫だよ。お燐はちょっと心配し過ぎなんじゃないかな?」
声を上げるお燐に対し、膨れっ面でこいしはそれに答える。
お燐もお燐で大変そうである。放浪癖のある彼女を日々連れ戻そうと奔走しているらしいし、普段から気苦労が絶えないのではないだろうか。
「そういえば、こいしちゃんは結局どうなったの? 入門の件、さとりさんは認めてくれたの?」
「え? あー、うーん……。一応、認めてはくれたんだけど……」
「……なに? お前、命蓮寺の修行僧になったってのか!?」
こいしと妖夢のやり取りが流れ込んできて、思わず魔理沙は身を乗り出す。
意外──ではないのかも知れない。何せこいしは好奇心が旺盛な上に気まぐれな少女だ。ふと仏教に興味を持っても不思議ではないだろう。
けれどそうだとしても、よくあのさとりが許したものだ。中々に過保護な少女だったような気がするのだが。
「入門、といっても出家ではありませんよ?」
そんな中。白蓮が補足を入れてきた。
「定期的にこちらに通って修行をする事となります。殆ど在家のような形となりますね」
「だとしてもまさか入門するとはな……。どういう風の吹き回しだよ?」
「え、えっと……。まぁ、色々あったんだよね……」
こいしに答えを濁された。何とも含みのある言い方である。
実は魔理沙が想像するような楽観的な要因がきっかけではないのだろうか。多少気になる所であるが、今はそんな話を長々と続けている場合ではない。
何だか話があらぬ方向に脱線してしまっているが、そろそろ本題に戻るべきであろう。
「まぁいい。それで? お前はともかく、どうしてお燐が命蓮寺にいるんだ? 白蓮に何か頼まれ事をされたんだろ?」
「そうそう。本当は、今日が記念すべき私の修行一日目! ……だったんだけど、何だか命蓮寺のお墓に変なお化けが出てきたらしくてねー。それで、お燐はその通訳を頼まれちゃったみたいなんだよね」
「……はぁ? お化け? 通訳だって?」
何の事だかさっぱり分からない。お燐はあくまで火車と呼ばれる妖怪で、人間の死体を持ち去る事くらいしか出来なかったはずだろう。それなのに、お化けの通訳? ひょっとして隠語か何かなのだろうか。
「ねぇお燐。この子が何の事を言ってるのか全然分かんないんだけど」
「あはは……お化けと言うとちょっと語弊があるかも……。正確には死体だね。どうにも妙な死体がちょっとした騒ぎを起こしてるらしくてね……」
「……死体?」
死体。霊夢の質問に対してお燐の口から語られたのは、やはりいまいちピンと来ない情報。
妙な死体がちょっとした騒ぎを起こしている。お燐の口振りから察するに、それはつまり──。
「……死体が動き出したって事か?」
「ええ、そうなんです。実は数日前から変な出来事が起きてましてね……。お墓の奥に見知らぬ死体が現れて、近づく者を追い払っているそうなんです。私達の話も全く通じませんし、その目的も分かりません。そこで、死体のエキスパートであるお燐さんに協力を仰ぐ事にしたのです」
答えたのは白蓮だった。困り顔のまま彼女は説明を続ける。
「お燐さんは火車として単に死体を持ち去るだけでなく、死体を操ったり、死体と
「……彼女? 女の死体なのか?」
「ええ。恐らく、人間の少女の死体です」
人間の少女の死体。既に死んでいるはずの肉体が再び動き出し、番人気取りで墓地の奥に佇んでいるらしい。確かに奇妙な事態ではあるが、動く死体なんて別に珍しいものではない。
要するにゾンビの類だ。妖怪どころか幽霊や亡霊までもが普通に存在する幻想郷で、今更ゾンビが出てきた所でだから何だという話である。
「まぁ、あたいとしてもこいし様が心配だったからね。こいし様の様子を見に行くついでに、調査の協力をする事にしたの」
「……そんなこと言って、本当はお墓に埋葬されている死体が目的だったんじゃないんですか?」
「ち、違うよ! ……は、半分は」
「半分ー?」
お燐も水蜜も、表面に映すのは楽観的な表情。
そう、それは特段珍しい存在という訳ではない。
死して尚死に切れず、顕界に留まる異形の存在。そんなもの、広域的には幽霊や亡霊などと大差ない。そもそも水蜜だって幽霊の一種じゃないか。
だから別に驚かない。だから特段気にする事もない。
気になる要素なんて、どこにも見当たらなかったはずなのに。
「人間の、女の子の……動く、死体……?」
流れ込んでくる震えた声。反射的に振り向くと、その声の主は魂魄妖夢である。半ば軽い気持ちで白蓮の話を聞いていた魔理沙とは対照的に、彼女が浮かべるのは深刻な程に鬼気迫る表情。
見開かれた瞳。頬を滴る冷や汗。喉に詰まる息。発する言葉を忘れてしまったかのような面持ちで、彼女は──魂魄妖夢は、愕然とする。
「……妖夢?」
首を傾げた古明地こいしが、真っ先に彼女の名前を呼ぶ。それに答える事はなく、妖夢は一歩前に出た。
そして聖白蓮へと、食い入るように尋ね直す。
「あの、白蓮さん! 今の話、もう少し詳しく聞かせてくれませんか!?」
「今の話、ですか?」
「ええ。……動く死体の、もっと具体的な特徴を」
「特徴、と言われましても……」
妖夢の気迫に押され気味の白蓮。それでも彼女は、律儀に答えてくれる。
「そうですね……。恐らくあの子は、死体妖怪の中でもキョンシーと呼ばれる種類でしょう。額に貼り付けられた御札と、何らかの使命を遂行するかのように佇み続ける様子から察するに、ですが……」
「キョン、シー……」
息を呑む妖夢の様子が見て取れる。キョンシーという妖怪の名を小声で口にした彼女は、一歩後退った後に俯いて何かを考え込んでしまった。
この反応。まさか彼女には、何か心当たりでもあるというのだろうか。命蓮寺の墓地で何かを守っているらしい、その死体妖怪――キョンシーに。
「妖夢さん? 一体、何が……?」
「まさか……」
「……えっ?」
早苗の言葉。それは妖夢には届いていない。再び消え入るような呟きを残したと思うと、彼女は弾かれるように顔を上げて。
「まさかっ……!」
「……っ! お、おい妖夢ッ!」
予感。それを感じ取った魔理沙が手を伸ばしかけるが、そのタイミングでは既に遅い。
踵を返した魂魄妖夢。目に見える程に狼狽を露わにした彼女は、魔理沙が制止するよりも先に飛び出していた。地を蹴り、霊力を籠め、そして一気に飛翔して。爆発した霊力の余波で魔理沙が顔を背けている内に、妖夢の姿は見えなくなってしまった。
「なっ……!?」
「え……!? なになに!?」
慌てた様子で右往左往するこいしの様子が見て取れる。帽子を被り直しつつも、魔理沙も慌てて顔を上げた。
「あ、あいつ……! どうしたんだ急に!?」
「キョンシーって聞いた途端、急に血相を変えたよね!?」
オロオロとするこいしに対し、魔理沙は頷いてそれに答える。
そうだ。あの反応、明らかに普通じゃない。心当たりがあるとか、何か知っているとか。最早そんなレベルの問題ではないだろう。
彼女は。魂魄妖夢は、何かに
「あ、あの子って半人半霊ですよね? 前に星の宝塔を見つけてくれたっていう……」
「ええ、魂魄妖夢さんです。ですが……」
「妖夢……」
「…………っ」
状況が飲み込めぬ様子の白蓮と水蜜。愕然としたまま名前を呟く事しかできないお燐。息を呑み込みつつも、珍しく動揺を露わにしている霊夢。
そんな中、真っ先に動いたのは早苗だった。
「わ、私、妖夢さんの後を追いかけます!」
「あっ……おいっ!」
彼女もまた、踵を返して走り出す。勢いよく助走をつけた彼女はそのまま飛翔。妖夢ほどではないにせよ、出来る限りのスピードで彼女も墓地へと飛び去って行ってしまう。
「な、何だよ……」
取り残されてしまった魔理沙は、思わずといった面持ちで呟く。
「一体、何がどうなって……」
分からない。この底知れぬ不安感は何だ? いつもの異変とは何かが違う、この漠然とした不安感。この神霊騒動も、命蓮寺の墓地に突如とした現れた死体も。全てあくまで何らかの前触れで、これから更にとんでもない事が起きるのではないか──と。柄にもなくそんな事も思ってしまう。
それ程までの不安感。この異変、これまでと同じ感覚でいると足元を掬われる。
「……白蓮。それにムラサ。いくつか質問いいかしら?」
普段通りの声調。すぐさま動揺を払拭した霊夢が、そんな言葉を投げかける。
「命蓮寺の他の連中は? どこに行ったの?」
「……星と一輪、そして雲山には里の様子を見に行って貰っています。神霊騒動の件で、里の住民達の間にも不安感が走っている可能性がありますからね。ぬえは……」
「そう言えばぬえ、星達が出掛ける前にどこかに出て行ってしまったみたいですよ。確か、助っ人がどうとかって言っていたような……。まったく、一体どこで何してるんだか」
「……成る程ね」
ともあれ、恐らく彼女も神霊騒動や動く死体の件については白と見ても問題ないだろう。ああ見えて白蓮の事を慕っているようだし、こんな異変を引き起こすような動機がない。当然ながら他の命蓮寺メンバーもそれについては同様で、やはり異変の黒幕になるとは考えにくい。
だとすれば。
「……白蓮。あんた、何か心当たりがあるんじゃないの?」
「……心当たり、と申しますと?」
「異変についてよ。神霊騒動も、キョンシーとかいうヤツの件についても全部ひっくるめて」
鋭い視線を突き付けながらも、霊夢は白蓮へと質問する。
白蓮は黙り込み、そして難しそうな表情を浮かべる。そして彼女の傍らにいる水蜜もまた、困ったような表情を浮かべていた。
その沈黙こそが、何よりも明確な答えであろう。彼女達は、未だに何か隠し事をしている。そしてその隠し事こそが、今回の異変とも根本的に直結している。
「聖……」
「……ええ。やはり、そろそろお話しなければなりませんね」
頷きつつも水蜜へと返答し、そして白蓮は魔理沙達に向き直る。向けられるその瞳に迷いなどはない。
意を決し、覚悟を決めて。
「分かりました。ご説明します」
聖白蓮は逃げも隠れもしない。
「命蓮寺を建設するにあたって、私達がなぜこの地を選択したのか。その理由を」
そして白蓮は説明する。
この二年間、彼女達が封じ込めていたもの。その断片的な情報を。
活動報告にて今後の更新ペースについて掲載させていただきました。
興味のある方はご確認下さい。