桜花妖々録   作:秋風とも

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第55話「異変のハジマリ」

 

 西行寺幽々子は思案する。一体何が最善で、自分の取った行動は本当に正解だったのか。

 西行寺幽々子は苦悩する。一体何が正しくて、ならば自分はどうすべきだったのか。

 

 西行寺幽々子は想いを馳せる。

 自分を慕って仕えてくれている、たった一人の庭師へと向けて。

 

「妖夢……」

 

 白玉楼の大広間にて、幽々子は呟く。二つの霊力の衝突を感じ取りながらも、幽々子は俯き拳を握る。

 彼女は。妖夢は、今。一体何を思い、何を感じて行動しているのだろうか。一体どんな思念のもと、幽々子に仕えてくれているのだろうか。どうしてそこまで頑なになって、彼女は足掻き続けているのだろうか。

 分からない。主である幽々子にさえ、彼女の気持ちが分からない。主である幽々子でさえ、彼女の想いを読み解く事が出来ていない。

 

「どうして……」

 

 どうして、彼女は――。

 

 

 *

 

 

 初めに放たれたのは青白い閃光だった。

 それに続くような形で響き渡るのは、激しい炸裂音。無数の青い閃光が容赦なく降り注ぎ、少女を包み込んでゆく。一見すると防ぎ切れぬような攻撃にも思えたが、けれど霊夢は冷静だった。

 閃光が掠るか掠らないかギリギリ所で身を翻し、宙を蹴るようにして身体の向きを強引に変える。幕のように展開された、無数の光弾。けれどそこに存在する僅かな隙間を瞬時に見極め、縫うように突き進んでゆく。この程度の弾幕ならば、彼女にとって回避は朝飯前だった。

 

 右へ左へと移動しつつもスピードを緩めず突き進み、やがて弾幕の外へと辿り着く。そんな彼女を迎えるように佇んでいたのは、長剣を構えた銀髪の少女。

 

「ふん。この程度の弾幕で……!」

「……六道剣!」

 

 弾幕から抜け出した少女――博麗霊夢が反撃に転じるよりも先に、待ち構えていた魂魄妖夢がスペルカードを宣言する。

 動揺も躊躇いもない声調。端からそうなると予想していたかのようなタイミングで、彼女は剣を振り上げる。目にも止まらぬスピードで妖夢が楼観剣を振るうと、その剣筋が六芒星の形を描いて。

 

「『一念無量劫』!」

 

 剣閃から無数の光弾が放たれる。容赦なく展開された妖夢の新たな弾幕は、広がりつつも博麗霊夢へと襲い掛かった。

 スペルカードの先手を許してしまった霊夢だが、けれども慌てた様子を見せる事はない。瞬時に弾幕の構造を把握し、大きく後退して距離を取る。六芒星の剣閃から放たれる光弾は確かに高密度の弾幕を作り上げているのだが、けれども全くの不規則性という訳ではない。

 

 魂魄妖夢の生真面目さが仇となった。生真面目であるが故に、規則性のある弾幕の軌道は容易く読み解けてしまう。博麗霊夢が浮かべるのは、降り注ぐ光弾を物ともしない余裕綽々な表情。誇張でも何でもなく、彼女は本当に妖夢の弾幕を読んでしまっているようで。

 

「…………っ」

 

 一瞬、妖夢の表情が強張る。スペルカードの無駄打ちを危惧したのか、彼女は剣を振り上げて更なる霊力を放出しようと試みるが――。

 

「遅いわよッ!」

「な……!?」

 

 そう何度も攻撃を許してしまう程、霊夢も落ちぶれてはいない。

 身を捻りつつもすいすいと弾幕を潜り抜け、霊夢は妖夢へと接近してゆく。そんな彼女が懐から取り出したのは、一枚のスペルカード。今回ばかりは、霊夢の方が何テンポも速く宣言を口にしていた。

 

「夢境『二重大結界』!」

 

 妖夢が使った『一念無量劫』とは、大きく趣旨が異なるスペルカード。宣言と共に放出された霊夢の霊力は、光弾を形作るよりも先に半透明の“壁”を形成していた。それが霊夢の四方を取り囲むように一つ。更に妖夢を挟んで一回り大きな範囲を囲むようにもう一つ。

 文字通りの二重結界。つまり妖夢は結界と結界の間に挟まれてしまった事になる。

 

 袋の鼠だ。上下のどちらかに逃げようとも、些か幅が広すぎる。博麗霊夢の弾幕から完全に逃れられるような安全地帯など、今の妖夢には存在しない。

 

「さぁて、どう料理してやろうかしらね……!」

 

 そんな彼女らの弾幕ごっこを離れて見守っていた魔理沙達だったが、想像以上の激戦に思わず息を詰まらせていた。

 一見すると霊夢の方が優勢である。妖夢の弾幕を物ともせず、スペルカードさえも完璧に攻略して。今はこうして『二重大結界』を発動させ、妖夢の動きを封じる事に成功している。

 

 しかし――。

 

「す、凄い……。流石は霊夢さん……」

「ああ、そうだな……」

 

 早苗に対し、魔理沙は生返事を返す。

 霊夢の動きは相変わらず舌を巻くレベルだ。伊達にこれまで何度も異変を解決してきた少女ではない。事スペルカードルールに関しては、最早負ける事など有り得ないのではないかとさえ思えてくる。

 けれどそれは、あくまでこれまでの異変から考察した場合の実力だ。今回もいつもと同様であるとは限らない。

 

(霊夢……)

 

 先程から感じていた、彼女()()()()()感覚。それはあの弾幕ごっこを見ていてもひしひしと伝わってくる。

 

(何ムキになってるんだ……?)

 

 異変を察知し、魔理沙達が動き始めてから一時間弱。手掛かりすらも殆ど掴めていない状況なのにも関わらず、霊夢は全身全霊で妖夢に食らいついている。博麗霊夢は全力で、魂魄妖夢を下そうとしている。

 後の事なんて微塵も考えてはいない。今の彼女の目に映っているのは、魂魄妖夢という少女だけ。

 

『妖夢のヤツ……変わったよな』

 

 二週間程前に人里で起きた、連続殺人事件。妖夢の手によりその騒動に終止符が打たれた直後。霊夢と交わしたやり取りを、魔理沙は思い出す。

 

『……変わった?』

『だって、そうだろ?』

 

 あの時、魔理沙は妖夢に対してやきもきした思いを抱いていた。

 白楼剣で亡霊を斬り捨て、強制的に成仏させて。そんな汚れ仕事を熟しても尚、平気な様子で笑顔を見せる魂魄妖夢という少女に対し、えも言えぬ不安感を抱いていた。

 本当に、このままでいいのだろうか。自らの想いを押し殺し、自分自身に言い聞かせ続け。この行動こそが最善であると無理矢理にでも納得させる。それで妖夢は、満足なのだろうか。

 

『なんつーか、もっとこう、年相応の女の子らしかったはずだろ? それなのに、今のあいつは……』

 

 彼女は隠し通せているつもりだったのかも知れない。自分は大丈夫なのだと、そう周囲に振りまいているつもりだったのかも知れない。けれど、あまりにもバレバレだった。

 

(全然、大丈夫じゃないだろ……ッ!)

 

 あんな笑顔を見せられても、納得なんかできる訳がない。心の底から笑えていない笑顔なんて、余計な不安感を煽るだけだ。

 だから魔理沙は苦言を漏らした。虚妄の笑顔を浮かべる妖夢を、否定せずはいられなかったのだ。

 

『……さあね。まぁ、でも』

 

 ――そうだ、あの時。

 あの時、霊夢は。

 

『確かに、ちょっと気に食わないわね』

 

 

(――まさか、霊夢のヤツ……!)

 

 

 直後、再び閃光が炸裂した。

 弾幕が展開された訳ではない。閃光と共に周囲に響き渡るのは、衝突音に似た激しい轟音。『二重大結界』を展開し、妖夢を結界内に閉じ込める事に成功した霊夢だったが、けれど当の妖夢が思いも寄らぬ行動に出たのだ。

 振り上げられた楼観剣。激しい霊力が籠められたそれを、展開された結界へと振り下ろしていて。

 

「……ッ! あんた……!」

 

 生半可な結界などではない。破る事など不可能だと踏んでいた霊夢だったが、けれど彼女は動揺を露わにする事となる。

 霊夢が張り巡らした物理的な結界には、妖夢の一振りによって明らかな“解れ”が生じる事となり――。

 

「はあッ!」

「…………っ!?」

 

 二振り目の剣撃で明確に霊力が四散。『二重大結界』は、妖夢の手によって文字通り破壊されてしまった。

 飛び散った結界。その破片が粒子となって消滅する中、霊夢の表情に初めて焦りの色が現れる。どうやら彼女にとっても、妖夢の取った行動は予想外だったようだ。

 

 それもそうだ。結界をぶった斬って破壊するなど、生半可な力では成し遂げられない暴挙である。けれど妖夢は、たった二振りの剣撃でそれをさらりとやってのけて。

 

「やばっ……」

「人神剣!」

 

 危険を察知した霊夢は距離を取るべく慌てて後退するが、流石に反応が遅すぎた。霊夢を遥かに凌ぐスピードで背後に回り込んだ妖夢は、楼観剣を大きく振るって再び剣閃を発生させる。

 今回は『一念無量劫』のような六芒星の形ではない。ただ単なる一直線。けれど込められた霊力は、それに負けずとも劣らない。

 

「『俗諦常住』!」

 

 霊夢の進行方向を拒むように、剣閃から無数の霊弾が発射された。

 相も変わらずの高密度。流石の霊夢もこのまま突っ込めば被弾の危険性は無視できない。仕方ないとでも言いたげに宙を蹴って逆方向へと飛び退くが、そう簡単に逃すほど妖夢は甘くなかった。

 二度目の高速移動。目にも止まらぬスピードで再び霊夢の眼前へと回り込んだ妖夢は、これまで以上の霊力を籠めた楼観剣を振り上げていて。

 

「逃がさない……!」

「チッ……」

 

 舌打ち混じりに急ブレーキをかけるが、既に霊夢の逃げ道は完全に塞がれていた。

 振り下ろされる楼観剣。放出された霊力が瞬間的に炸裂し、紅く激しい閃光を放つ。形勢逆転だ。魂魄妖夢の一方的な弾幕の連撃を前にして、流石の霊夢も回避の専念を余儀なくされる。

 前方と後方から挟み込むようにして迫る高密度の弾幕。これまで涼し気な様子で回避と攻撃を繰り返してきた霊夢でも、表情を顰めなければやってられない。身体を捻らせ、飛び退き、必要最低限の動きで霊弾を回避し続けるのだけれども。

 

 やがて、微かな逃げ道も次々と数を潰されてゆき。

 

「くっ……!」

 

 爆発。霊気特有の白煙が一気に立ち籠め、烈風が周囲の木々を揺らす。その余波は観戦していた魔理沙達のもとまで届き、不意に大きく吹っ飛ばされそうになってしまった。

 

「!?」

「きゃあ……!?」

 

 早苗の悲鳴が耳に届く。帽子を押さえた魔理沙は冷静に魔力を逆噴射させ、何とかその場に留まる事に成功する。激しい烈風に身を打たれて息が止まりそうにもなったが、幸いにもその余波が長く続く事はなかった。

 烈風の収まりを確認した後に、魔理沙はおずおずと顔を上げる。程なくして吹っ飛ばされた早苗がよろよろと元の位置に戻ってくるが、その頃になっても立ち籠める白煙は未だに収まっていなかった。

 

 愕然と目を見開いた早苗が、魔理沙へと声をかけてくる。

 

「な、何なんですか今の……!?」

「……妖夢の放った霊力の余波、だと思うが……」

 

 けれども、まさか。

 

「よ、妖夢さんって、こんなに強かったんですか……? あの霊夢さんを相手に、圧倒してますよ……!」

「いや……流石に、ここまでは……」

 

 思えば、妖夢がこうして弾幕ごっこに参加している姿は、随分と久しぶりに見たような気がする。ここ最近の彼女が何やらより一層鍛錬に力を入れているという情報に関しては魔理沙も小耳に挟んでいたのだけれど、それにしてもこれほどまでとは。

 一体、彼女はどうしてここまでの力を――。

 

(やっぱり、あの『眼』が原因なのか……?)

 

 ――いや。仮にそうだったとしても。

 

(どうしてあいつは、ここまで強さを求めるんだ……?)

 

 西行寺幽々子を守る為。恐らく妖夢は、そう口にする事だろう。けれど果たして、それが彼女の真意なのだろうか。

 妖夢は忠誠心が非常に強い少女だ。だから彼女が幽々子の為に何らかの行動を起こしたとしても、大抵の場合は納得できてしまう。西行寺幽々子の頼みならば、余程の事が無い限り彼女は聞き入れてしまうだろう。

 

 けれど流石に、今回ばかりは度が過ぎているのではないだろうか。

 本当に、それは幽々子の為なのだろうか? 本当に、幽々子はそんな事を望んでいるのだろうか?

 

 彼女は、一体。

 どうしてそんなにも頑なになって、剣を振るい続けているのだろうか。

 

(くそっ……)

 

 分からない。今の魔理沙には、妖夢の気持ちを想像する事さえできない。

 だから彼女は何も言えない。だから彼女は手出しができない。

 

 だから彼女は、こうして傍観する事しかできない。

 

「…………」

 

 白煙の中。静かに階下を見下ろしている妖夢が、微かに肩の力を抜く。流石の彼女も疲労感を覚え始めた、という事だろう。幾ら体力のある妖夢とは言え、流石にあそこまで高密度の弾幕はごっそり霊力を持っていかれる。

 完全なる人外ならともかく、妖夢は半分人間なのだ。体力や霊力に関しては、そこまで圧倒的という訳ではないはず。故に彼女は静寂の中、足りなくなった酸素を補充すべく息を整え始めている。

 

 ――それが仇となった。

 

「ッ!?」

 

 瞬間、白煙の中から素早く“何か”が飛び出してくる。気を緩めかけていたタイミングの妖夢は完全に反応が遅れ、その存在を認識するのに大幅な時間を要してしまった。

 

 ――原則として、攻略不可能なスペルカードの作成は禁止とされている。人神剣『俗諦常住』は確かに高難易度のスペルカードであったが、それでも攻略が不可能な弾幕という訳ではなかった。あの弾幕の中には、確かに僅かな()()()が存在していたのだ。

 だとするのならば、彼女がそれを見逃す訳がない。決闘が始まってから数分。彼女の体力が底を尽きるには、些か時間が早すぎる。

 

「うっ……!?」

「油断大敵よッ!」

 

 博麗霊夢。白煙の中から飛び出してきた彼女は、煤を被ってはいるものの被弾の痕跡はどこにも見当たらなくて。

 

「神技ッ!」

 

 彼女が取り出したのは複数の御札。それらは手を離れた途端に込められた霊力を放出し、次々と()()を繰り返してゆく。そうして連なった御札達が形作った弾幕の形状は、さながら()()()とでも形容すべきか。

 四方八方に投げ飛ばされた御札。展開されたその弾幕は、ワインダーに巻き取られるかのように妖夢の周囲を旋回する。夢境『二重大結界』のように回りくどい真似はしない。確実に相手を攪乱させ、反撃に転じるよりも先にこちらの攻撃を決める。

 

「今度こそ一気に決めるわ!」

 

 霊夢の声に呼応するかのように、更なる霊力が放出される。

 連なった御札だけでは終わらない。放出された霊力により展開されたのは、妖夢の『一念無量劫』以上に高密度で攻撃的な弾幕。

 

「『八方龍殺陣』!!」

 

 連なった御札により逃げ道を狭められた妖夢には、余裕を持ってあの弾幕を回避する術はない。

 再び爆発。今度は霊夢のスペルカードが華麗に決まり、霊力の粒子を辺りに散らしてゆく。更に舞い上がった白煙の中、息を切らした霊夢が不敵な笑みを浮かべていた。

 

 人神剣『俗諦常住』による弾幕を抜け出した直後の神技『八方龍殺陣』。流石に多くの体力を必要とする。幾ら霊夢でも涼し気な表情を保つ事が出来ない。

 乱れた息を整えようと深呼吸を繰り返しているが、けれど霊夢は折れていない。彼女は確かに、そこに存在している。

 

「れ、霊夢さんの勝ち、ですか……?」

 

 おずおずといった様子で、早苗がそう問うてくる。

 けれど魔理沙は、それに対して首を縦に振る事はない。

 

「いや……」

 

 霊夢が放ったスペルカードの余波が収まる。白煙が晴れると、魔理沙が覚えた一つの予感が正しかったと証明される事となる。

 煤を被った身体。乱れた息。けれど彼女は、そこにいる。

 

 魂魄妖夢も、折れていない。

 

「……っ!」

「う、嘘……!?」

 

 魔理沙と早苗は揃って息を呑む。その反応も無理はない。

 あのタイミングで放たれた。霊夢渾身のスペルカード。それを彼女は、攻略したのだ。

 

 魂魄妖夢は、逃れ切ったのである。

 

「アイツ……あれを躱しやがった……!」

 

 息は乱れている。けれどそれは霊夢も同様だ。

 五分五分。実力は拮抗しているといっても過言ではない。単純な戦闘能力も、弾幕の美しさも。そして、思念も。

 けれどもまだだ。まだ、一歩届いていない。

 

「ふん……」

 

 鼻を鳴らしたのは霊夢だ。不敵な笑みを浮かべたままで、彼女は妖夢を挑発する。

 

「まぁ、結構やるみたいだけど……。でも、流石にもう限界なんじゃないの? 息、だいぶ乱れているみたいだけど?」

 

 霊夢だって似たようなものだが、彼女は完全にそれを棚に上げているようだ。

 当の妖夢は、身体の煤を軽くはたき落としつつも、

 

「……まだいける。今の弾幕だって、ちょっと掠っただけ。被弾はしていない」

「……あっそ」

 

 どうやら妖夢も、あくまで降参するつもりはないらしい。

 こうなってしまったら、どちらが確実に被弾するか最後のスペルカードを攻略するまで決闘は終わらない。彼女達の思念は絶対だ。例えここで魔理沙達が横槍を入れた所で、彼女達は絶対に止まらないだろう。

 

 まったく。本当に、彼女達は。

 どうしようもなく、不器用だ。

 

「そう言えば、思い出すわね。前にも似たような事があったっけ」

 

 再び霊夢が声を上げる。彼女もまた煤をはたいて、乱れた息を整えて。そして階上から見下ろす妖夢へと視線を向けた。

 

「春雪異変。あの時も確か、あんたとここでやり合ったのよね。丁度あの時も、あんたってば幽々子を守るとか何とか言って頑なに立ち塞がっちゃってさ」

「……あったね。そんな事も」

 

 そう。あの時も確かに、今回と似たようなシチュエーションだった。

 春を集めた事により幻想郷に春が訪れなくなり、その解決の為にこうして冥界まで足を運んで。そこで初めて、霊夢達は妖夢と対面したのだ。

 あの時も霊夢が弾幕ごっこを行った。そしてあまりにも未熟だった妖夢を相手に、霊夢は勝利を収めた。

 

 懐かしい。今となっては懐かしい思い出話だ。

 

「……でも」

 

 けれど妖夢は。

 

「あの時とは、決定的に違うことが一つある」

「……何よ?」

 

 妖夢の瞳が霊夢を見据える。真っ直ぐに、頑なに、揺らぐ事なく。

 

「それは――」

 

 魂魄妖夢は、宣言する。

 

「勝つのは私だってこと」

 

 まるで躊躇う事なくそんな事を口にした妖夢に対し、霊夢は瞳を細めて鋭く彼女を睨みつけていた。

 妖夢の言葉が癪だったのか、それとも別の理由か。妖夢から視線を逸らした霊夢は、難しそうな表情を浮かべて歯軋りをする。

 

 魂魄妖夢のその言葉は、最早負け惜しみでも何でもない。今の彼女なら本当に、霊夢を下してしまうかも知れない。霊夢を相手に、その思念を貫き通す事が出来てしまうかも知れない。

 だけれども。果たして妖夢は、それで本当に満足なのだろうか。

 

 自己欺瞞。

 本当に、それが彼女の真意なのだろうか。

 

「ふん」

 

 黙り込んでいた霊夢が、声を漏らしつつも顔を上げる。冷たく見下ろす妖夢へと視線を向け、そして最後のスペルカードを取り出して。魂魄妖夢を睥睨しつつも、苛立ちを隠す素振りも見せずに彼女はそれを掲げると、

 

「まぁいいわ。互いに残されたスペルカードはそれぞれ一枚ずつ。どっちが本当に勝つかなんて、次の一撃で嫌でも決まる」

「……そうだね」

 

 そして妖夢もまた、最後のスペルカードを掲げる。

 そう。霊夢の言う通りだ。どちらが勝つのかだとか、どちらが思念を貫くのかだとか。そんな事をつべこべと考えるなんて意味はない。どっちみち、彼女らの弾幕ごっこは既に佳境だ。

 次の一撃で、全てが決まる。

 

「ま、魔理沙さん……。この勝負……」

「ああ……。どっちが勝ってもおかしくないぜ」

 

 けれど。

 

(でも、一体……()()()()()()()()なんだ……?)

 

 束の間の静寂。けれどそれも長くは続かない。

 新たな御札を取り出した霊夢と、楼観剣を掲げた妖夢。互いに互いを睥睨し、そして互いに霊力を籠める。渦巻く霊力。吹き荒れる烈風。それに巻き込まれた桜並木が大きく木の枝を揺らし、その花弁を散らしてゆく。

 二人の少女が鎬を削る冥界の石段は、吹き荒れる桜吹雪によって淡紅色に彩られていた。ぶつかり合うのは苛立ちと自己欺瞞。そして彼女らに残されているのは、正真正銘の最後の弾幕(ラストスペル)

 

「神霊!」

「人鬼ッ!」

 

 動き始めは二人同時。目一杯の霊力を御札に込めた博麗霊夢と、楼観剣を振りかぶった魂魄妖夢。階下と階上から一気に霊力を爆発させて、ロケットの如く勢いで互いに一気に肉薄して。

 

「『夢想封印 瞬』!!」

「『未来永劫斬』!!」

 

 二人の少女のラストスペルが、真正面からぶつかり合って。そしてこの不毛な弾幕ごっこに、遂に終止符が打たれる――。

 

 ――かと思われていた。

 

 その刹那。

 

 

「そこまでよッ!」

 

 

 少女達のラストスペルが真正面から衝突する、その寸前。二人の衝突を拒むかのように、突然間の空間が()()

 何もないそのその空間が突然()()()。そしてぎょろりとした気味の悪い目玉と共に“スキマ”が出現して。突如として現れたのは、紫色のドレスに身を包む一人の少女。

 

「なっ……!」

「……ッ!」

 

 霊夢達のラストスペルは強制的に中断させられる。行き場を失った二人の霊力はあえなく霧散して、振り上げられた攻撃の手は寸前になって止められていて。

 そんな彼女らを仲裁すべく割り込んできたのは、魔理沙もよく知るスキマ妖怪。

 

「あ、あの人って……!」

「ッ! ああ、あいつは……!」

 

 反射的に攻撃を止めた二人の少女を見比べて、スキマ妖怪は深々と嘆息する。眉間に指を抑え、そして心底呆れた表情を浮かべて。思わずといった様子で、少女は苦言を漏らす。

 

「まったく、貴方達は……」

 

 愕然とした様子の霊夢達。けれど彼女は、お構いなしだ。

 

「一体、何をやっているのッ!」

 

 八雲紫。

 不毛な決闘を強引に中断させた幻想郷の管理者は、酷くご立腹な様子だった。

 

 

 *

 

 

 まさかこんな事になっているなんて、流石の紫も予想外だった。

 幻想郷の各地にて、突如として出現した神霊と呼ばれる存在。神に成り得る霊、或いは人間の欲に触発されて現れた霊の一種。そんな存在の大量発生。

 あんな様子を目の当たりにすれば、誰でも瞬時に察する事が出来るはずだ。これは『異変』、或るいはその兆候であると。そうであるのなら、博麗の巫女である霊夢が行動を開始するはずであると。当然ながら、紫だってすぐさま想像する事が出来る。

 

 原因不明の神霊大量発生。言わば霊騒動である。ならば冥界が怪しいと、そんな推測に到るのも特段おかしくはない。故に冥界の様子を見に行こうと、そんな行動を起こすのだって別に不自然な流れでもないだろう。

 

 しかし。しかし、だ。

 だからと言って、これは流石に酷いのではないだろうか。

 

「本当に、どうしてこうなっちゃったのかしらね……?」

 

 深々と溜息をつく紫の左右にいるのは、不貞腐れた様子の霊夢とバツの悪そうな表情を浮かべた妖夢である。まだ異変が始まって初期の段階だと言うのに、二人の衣服は煤で汚れてしまっている。

 異変の調査をする為に冥界まで足を運んだ霊夢と、そして異変の調査を行うために冥界を後にしようとした妖夢。利害が一致しているはずの彼女達が、どうして弾幕ごっこで争う羽目になったのか。流石の紫も理解に苦しむ所である。

 

「ふん。何よ、邪魔してくれちゃってさ。一体どういうつもりなのよ」

「それはこっちの台詞よ! 貴方こそ、一体どういうつもりなの……!?」

 

 プイッと視線を逸らす霊夢。まるで反抗期の子供のようだ。確かに彼女も難しいお年頃なのかも知れないが、今はそういう問題ではない。

 

「……別に」

 

 そっぽを向いたままの霊夢。呆れ果てた様子の紫へと向けて、彼女は呟くように返答する。

 

「妖夢が気に食わなかったから喧嘩を売った。それだけよ」

「き、気に食わなかったって……」

 

 納得できるような返答ではない。本当にそんな理由で妖夢を挑発したのだとすれば、あの争いは全くの不毛な弾幕ごっこだという事になる。だとすればあんまりじゃないか。

 頭痛を覚え始める中、今度は妖夢に事情を聞いてみる事にする。

 

「妖夢も妖夢よ。どうして、貴方まで……」

 

 少なくとも妖夢は話の分かる少女だと思っていた。仮に霊夢が見当違いな言葉で煽ってきたとしても、状況を冷静に分析して最善の行動を取る事が出来る少女なのだと。紫もそんな信頼を彼女に寄せていたのにも関わらず。

 

「……すいません。つい、カッとなってしまいました」

 

 妖夢もまた紫から視線を逸らす。何だかいよいよ疲労感を覚えてきてしまった。

 なぜだ。どうしてこんな事に。つまり彼女らは、本当に全くの私情で争っていたというのだろうか。

 

「いやー、助かったぜ紫。私らじゃどうにもならなかったからな」

 

 霊夢と共に行動していた魔理沙が声をかけてくる。口調自体は呑気なものだが、彼女の表情からも疲れの色を見て取る事が出来る。霊夢達の仲裁を試みたものの、結局は力が及ばなかったのだろう。

 この中で冷静だったのは魔理沙――そして未だ困惑気味の早苗だけだったのか。特に魔理沙は意外と常識人なのかも知れない。

 

「はぁ……。まぁとにかく、これ以上この無意味な争いは禁止よ。貴方達にはやるべき事があるでしょう?」

「はん。あんたは私らのお母さんかお姉ちゃんにでもなったつもり?」

「ふざけている場合じゃないでしょう! 幻想郷が大変な事になっているのよ? 博麗の巫女として、貴方はその解決の為に……!」

「あんたに言われるまでもないわ」

 

 紫の言葉を遮るように、霊夢が口を挟んでくる。

 

「そもそも私は、この異変の原因を探る為に冥界まで来たのよ? あんな騒動が起きてるんだから、真っ先に冥界の連中を疑って当然でしょ?」

「それは、そうかも知れないけど……」

 

 そうだとしても、幾らなんでもあれは些か横暴だ。弾幕ごっこに発展する前に、話し合いだけで決着をつける事はできなかったのだろうか。

 ――妖怪である紫がそんな事を考えてしまうのも、おかしな話ではあるけれど。

 

(まったく……)

 

 このままでは埒が明かない。紫の立場上、本来ならばこのタイミングでの介入は些か“問題”があるのだけれど、そうは言っていられないだろう。

 ふるふると頭を振るって頭痛を振り払いつつも、紫は口を開く。

 

「……神霊達の出現に規則性はないわ。けれど()()()に関しては、全くの不規則性という訳ではなさそうね」

 

 意味ありげな紫の物言い。真っ先に反応したのは意外にも早苗だった。

 

「……どういう意味です?」

「神霊達だって無作為に行動している訳ではないという意味よ。生まれ出ると同時に、彼らはある“力”に触発されて行動を開始している。……いや、引き寄せられている、とでも言うべきかしら?」

 

 何かに引き寄せられるように行動しているものの、恐らく犯人の目的は神霊達を一か所に集める事ではないのだろう。神霊の()()自体は全くの不規則なのである。収集に関してはあまりにも効率が悪いし、確実性に欠ける。

 神霊の大量発生は副次的なものだ。犯人の目的は別にある。

 

「神霊達が、引き寄せられている……?」

 

 ボソリと呟いたのは妖夢だ。紫の言葉を聞いた彼女は、何やら心当たりがあるかの様子で思案顔を浮かべている。

 半分幽霊の彼女だからこそ、神霊の挙動には早苗達よりも敏感なのだろう。ぐるりと周囲を見渡して、神霊達の様子を確認して。程なくしてその視線を紫へと戻すと、

 

「……人里、ですか?」

「正解、と言いたい所だけれど惜しいわね。でもかなり良い線いってるわ」

 

 厳密に言えば人里よりももっと限定した範囲。その一角に神霊達は引き寄せられているようなのだが――。

 

「さて、私が協力できるのはここまで。幻想郷の管理者としての立場上、これ以上の介入はバランスが崩れる危険性があるわ。後は貴方達の仕事よ」

「はあ!? おいおい、何だよケチ臭いな! 勿体ぶらずに教えてくれてもいいじゃないか」

「ダメなものはダーメ」

 

 不満を述べた魔理沙をあしらうべく、紫は腕を組んでそっぽを向く。紫だって中々に厄介な立場に立っているのだ。行動は慎重にならねばなるまい。

 それに、これだけの情報を提示すれば十全であろう。これ以上紫が手を貸さずとも、彼女達ならば異変の原因に辿り着く事だって可能なはず。

 

「えっと、取り合えずやっぱり冥界は関係ないって事ですよね?」

「……ええ。そういう事ね」

「…………っ」

 

 早苗の最終確認に対し、紫は頷いてそれに答える。その傍ら。不貞腐れた表情を浮かべたままだった霊夢が、踵を返して紫へと背を向けていた。

 何も言わずに立ち去ろうとする霊夢に対し、紫は思わず彼女を呼び止める。

 

「待ちなさい霊夢」

「……何よ。異変の原因は人里にあるんでしょ?」

 

 一応は異変解決に乗り出すつもりらしい。

 何だかんだで最終的には自分の役割を全うしようとするその様子は、彼女らしいと言えば彼女らしい。けれど今回ばかりは、流石の紫も釘を刺さずにはいられない。

 

「異変を解決するつもりならそれで良いわ。でもこれ以上、異変とは関係のない争いごとは禁止よ。いい?」

「…………」

 

 博麗霊夢は答えない。口を開く事はおろか、振り返る素振りすら見せないまま。何も言わずに飛び立って、石段の下へと去って行ってしまった。

 紫は再び嘆息する。本当に、大丈夫なのだろうか。普段通りの彼女ならば、今回の異変だって特に問題はないのだろうけれど、でも――。

 

「……ま、霊夢の事なら私に任せておけ」

「……えっ?」

 

 考え込んでいると、不意に魔理沙が声をかけてきた。

 紫の気持ちを、察してくれたのだろうか。帽子の鍔を掴んだ彼女は、何やら含みのある表情を浮かべていて。

 

「霊夢の気持ち、私には分からなくもないからな」

「……っ。魔理沙、貴方……」

 

 気が付くと魔理沙もまた、霊夢を追って石段の下へと飛び去ってしまった。

 霧雨魔理沙。普通の魔法使いにして、博麗霊夢の幼馴染。紫とはまた違った立場で霊夢と長く接してきた彼女だからこそ、分かるものがあるのだろう。

 妖怪である紫よりも、幼馴染である魔理沙の方が霊夢を支える事が出来るのかも知れない。やはりこれ以上の介入は不要、という事か。

 

「……私も行きます。この異変、このまま見過ごす訳にはいきませんので」

「あ、あのっ! 私も……!」

 

 触発されるかのように、妖夢も魔理沙達の後を追う。そんな彼女に流されるような形で、早苗もまた紫の前を後にするのだった。

 

 飛び去って行く少女達を、紫はただ何も言わずに見守る。

 普段とは何かが違う感覚。込み上げてくる不安感。それは霊夢と妖夢と不毛な弾幕ごっこの所為でもあるのだろうけれども。

 分からない。漠然とした感覚が、紫の胸中を支配する。『異変』自体は珍しくもない。けれど底の知れぬ想定外の“何か”が、人知れず渦巻いているかのような。

 

「……まったく。私ったら、こんなに心配性だったかしら?」

 

 八雲紫は自嘲する。釈然としないただの予感を、馬鹿らしいと嘲りながらも。

 彼女は確かに、えも言えぬ不安感を覚え始めていた。

 

 

 *

 

 

 湯呑に並々と注がれた緑茶。揺らめく水面に映る自分の顔。そんな不安気な表情を覗き込みながらも、西行寺幽々子は息を詰まらせている。

 妖夢が異変を解決する為に白玉楼を後にしてから十数分。冥界の管理者であるが故に、当然ながら石段で起きた喧騒についても彼女は把握していた。

 

 妖夢と霊夢が弾幕ごっこでぶつかっている。それも単なる“遊び”ではなく、正真正銘本気の“決闘”として。

 どうしてあんな事になっているのか。なぜ妖夢と霊夢が戦わなければならないのか。分からない。

 どうして妖夢は剣を振るうのか。なぜ妖夢は霊夢へと剣を向けなければならないのか。分からない。

 

 西行寺幽々子には分からない。何も分からないから、何をする事も出来ない。

 彼女はただ、こうして待ち続ける事しかできない。

 

「ふぅ……」

 

 突如としてスキマが開き、馴染みの深い一人の少女が幽々子の前へと現れる。慌てて湯呑を机に置いて、弾かれるよう立ち上がって。居ても立ってもいられないと言わんばかりに、幽々子は彼女へと駆け寄ると、

 

「紫! どうだった……?」

「……ええ。一応、妖夢達の喧嘩は止めたわ。取り合えずは異変の調査に向かったみたいだから、安心しても大丈夫だと思うわよ」

「そう……」

 

 ホッとすべきなのか、それともまだ気を緩めるべきではないのか。そんな不安定な心境のまま、幽々子は何とか呼応する。妖夢達を止めに行ってくれた紫は涼しい表情を浮かべているようだが、それが幽々子に気を負わせまいという彼女の心遣いだという事くらい、嫌でも分かってしまう。

 幽々子は俯く。その途端に罪悪感がひしひしと膨れ上がってきてしまって、幽々子は居たたまれなくなってきてしまう。

 

「……ごめんなさい」

「……どうして貴方が謝るのよ」

「だって、私……」

 

 胸を締め付けられるような思いに駆られながらも、それでも幽々子は言葉を繋ぐ。

 

「紫に、こんな役割を押し付けてしまって……。私はただ、こうして待っているだけで……」

「そんな事を気にしているの? 止めてよ、貴方らしくない」

「で、でも……」

「いいのよ、別に」

 

 紫が浮かべるのは飄々とした表情である。これではまるで、いつもと立場が反対だ。

 とても楽観的な思考にはなれそうにない幽々子とは対照的に、紫は実に達観している様子だ。文字通り年下の少女達を諭してきただけのような面持ちで、こうして幽々子の前に現れている。当然の義務を果たしただけであると、そう言いたげな表情を幽々子へと向けている。

 

「こういうのって、私の方が適任でしょ? 『能力』的にも、性格的にも。きっと幽々子じゃ、喧嘩の仲裁なんて向いてないと思うのよね」

「それでも……。紫が無理に請け負う必要なんて……」

「別に無理なんてしてないわよ。私がそうしたかったら勝手に行動しただけ。だから貴方が責任を負う必要なんてないわ」

 

 彼女は。八雲紫は、諦観しているのだろうか。

 ――いや、違う。これは彼女の気遣いだ。紫は幽々子の事を思って、こんな態度を見せてくれている。達観した面持ちだとか、やれやれとでも言いたげな表情だとか。幽々子の不安を少しでも和らげる為に、あえてそんな雰囲気を醸し出してくれている。

 

 そんな親友の優しさに、自分はつけこんでいるのではないだろうか。たった一人の親友を、自分は利用しているのではないだろうか。そう考えるとますます胸が締め付けられる。

 けれども。だからと言って。

 

「……ねぇ、紫」

「うん? なに?」

 

 西行寺幽々子は、何もできない。

 

「私、もう……」

 

 西行寺幽々子には、手を伸ばす権利さえも残されていない。

 

「妖夢の事が、分からないの……」

 

 幽々子はスカートを握り締める。くしゃりと布が擦れる音が、少女達の耳へと届く。息苦しさも覚える中、幽々子は無意識の内に身体を震わせていて。

 それでも彼女は、絞り出すように言葉を吐き出す。

 

「どうしてあの子は、あそこまで必死になって力を求めようとするの……? どうしてあの子は、あそこまで頑なになって私を守ろうとしてくれているの……? 私は、ただ……」

 

 ただ、幽々子は。

 

「あの子が、傍にいてくれるだけで満足なのに……」

 

 それでも妖夢は必死になる。必死になって、自らの役割を是が非でも全うしようと足掻いている。

 でも。

 

「私はこれ以上、あの子に気持ちを押し殺して欲しくない……」

 

 これ以上、()()()()()()で妖夢が苦しむ事になるなんて。 

 

「そんな事、私は望んでなんかないのに……!」

 

 耐えられる訳が、ないじゃないか。

 込み上げる思いを抑えきれずに、幽々子は思わず声を荒げてしまっていた。膨れ上がる不安感を、言葉として吐き出さずにはいられなかったのだ。

 らしくないだとか、自分が勝手にやっただけだから気にする必要はないだとか。紫のそんな言葉だけで、幽々子の気持ちが変わる訳もない。胸中の不安感。その原因は魂魄妖夢だ。彼女の事を考えると、胸が苦しくて仕方がない。

 

 分からないのだ。何も分からないが故に、西行寺幽々子は苦悩している。

 長い間ずっと一緒にいた、一人の従者であるはずなのに。

 

「……以前」

 

 そんな中。呟くような口調で、紫が言葉を紡ぎ出す。

 

「以前、あの子は妖忌の言葉を真に受けていた事があったわよね? それも極端に。真実は斬って知る。だから何も考えずに、まずは相手を斬るべきだって」

「……そう、だったわね」

 

 もうだいぶ前の話だ。妖忌の座を受け継いで、白玉楼で働き始めるようになった頃。彼女は至極頑なになって、妖忌の言葉を信じ切っていた。妖忌の教えを、意地でも貫き通そうとしていた。

 湾曲した解釈。なりふり構わず斬りつけるという半ば辻斬り魔のような横暴を、春雪異変の時も、その次の百鬼夜行の時も彼女は貫き通そうとしてた。意固地になって、彼女は剣を振るい続けていた。

 

 そう。今の妖夢は、まるで。

 

「まるで、あの時と似たような状況に陥っているみたいね。妖忌の言葉を湾曲して解釈し、それに囚われていた時と同じように……。今のあの子は、何らかの義務感に囚われてしまっているように見えるわ」

「義務感……?」

「そう。“幽々子を守らなければならない”という、そんな強すぎる義務感……」

 

 確かに、そうだ。

 妖夢は昔から感受性が強く、そして思い込みが激しい少女だった。これだという一つの答えに辿り着けば、それを強く信じ切って頑なに考えを変えなくなっていまう。流されやすそうな普段の印象とは裏腹に、妖夢はあまりにも頑固な一面を持っているのである。彼女の悪い癖だ。

 

 だけども、だとしてもだ。

 どうして彼女は、そこまで強い義務感に囚われてしまったのだろう。どうしてそこまでして、幽々子を守る事に拘っているのだろう。

 一体、何が彼女をそこまで頑なにしているのだろうか。

 

「考えられる原因と言えば……」

「……二年前の、事件」

 

 紫に続くような形で、幽々子はポツリと呟いた。

 そう、それだ。原因があるとするならば、それ以外に考えられない。

 

「八十年後の未来の世界に、あの子は放り出された。そして四ヶ月もの間、あの子はあっちの世界で生活をしていたのよね」

「……ええ。そうね」

 

 未だ原因の分からないある種の『異変』。あまりにも不明瞭な要素が強すぎる為に、博麗の巫女である霊夢にさえも黙秘している事件なのだけれども。

 もしも――あっちの世界で経験した“何か”が、妖夢を頑なにしている原因となっているのだとすれば。

 

「未来の世界に放り出された妖夢は、一人の男の子に助けられた。そしてその子の知り合い達の協力も経て、妖夢はこの時代に帰って来る事ができた」

 

 言葉にしつつも、幽々子は思う。

 あの世界でのどんな経験が、妖夢を変えてしまったのか。それは幽々子には分からない。彼女が押し殺しているだろうその想いの真意だって、幽々子には分からない。

 でも。

 

「その男の子なら……」

 

 もしかしたら――。

 

「妖夢の事を、助ける事ができるのかしら……?」

 

 

 希望的観測。実現なんて有り得ない愚行を夢想したその直後。西行寺幽々子の直感が、再び新たな気配を捉えていた。

 思わず思考が打ち切られる。顔を上げて意識を傾けると、感じ取れるのは石段を登る誰かの気配。それが二つ――いや、三つ。ピリピリと肌を突っつくこの感覚は、間違いなく()()によるもの。

 

「あっ……」

「……幽々子? どうかしたの?」

「いえ、ちょっと……」

 

 首を傾げる紫に対し、幽々子は感じたままの感覚を伝える。

 

「……どうやら来客みたいね」

「来客? 霊夢達が戻って来たのかしら……?」

「……ううん、違うわね。これは……」

 

 そう、この気配は。

 

「……閻魔様、かしら?」

「……。え゛?」

 

 露骨に紫の表情が引き攣る様子が見て取れた。

 閻魔様。その単語が耳に入った途端、思わずといった様子で紫は大きく身を引いてしまう。ピクピクと頬を痙攣させ、その頬に冷や汗を滴らせて。それでも何とか思考を続けて、幽々子へと確認するのだけれども。

 

「閻魔様って……あの、白黒はっきりつける方の?」

「そう。白黒はっきりつける方」

「……本当に?」

「ええ。間違いないわ」

「……あぁ。うん、成る程ねぇ……」

 

 紫の表情がみるみる内に沈んでゆく。あまりにも分かりやす過ぎる反応である。

 現在進行形で白玉楼へと向かってきている閻魔様。四季(しき)映姫(えいき)・ヤマザナドゥという名の少女に対して、八雲紫は苦手意識を持っているようだった。

 その最も大きな要因は、十中八九映姫の性格であろう。幻想郷にも度々足を運ぶ事もあるあの閻魔様は、無類の説教好きとして顕界でも有名人であった。

 

 曰く、人々の生前における罪を少しでも軽くする為、らしい。それだけ聞けば殊勝な心掛けのようにも思えるかも知れないが、はっきり言ってそんな生易しいものではない。

 彼女の説教はあまりにも横暴だ。にも関わらずあまりにも筋が通っている為、まるで反論する事ができないである。故に彼女に捕まったが最後、酷い時は数時間に及ぶ説教コースに突入してしまう事もある。

 

 それは妖怪の賢者でもある八雲紫だって例外ではない。しかも今現在、顕界の住民であるはずの彼女が、こうして冥界であるはずの白玉楼を訪れているのである。

 顕界の住民による冥界への接触。説教のタネとしては申し分ない要素だ。このままでは紫は映姫の餌食になってしまう。

 

「いいわよ、紫。映姫さんに見つかる前に帰っちゃっても」

「え? で、でも……」

「大丈夫よ。私の事は気にしないで。……丁度良い気分転換になりそうだしね」

 

 そう。いつまでもこんな所で思考を続けた所で、結局は堂々巡りだ。何をどう想像しても答えに辿り着く事が出来ず、最終的には希望的観測に帰結する。その繰り返し。

 それならば幾ら思考を働かせても非生産的だ。きっかけがあるのなら、一度頭を冷やすべきである。

 

 幽々子の言葉を聞いて、紫は何やら躊躇うように思案顔を浮かべる。けれど程なくして、映姫への苦手意識が彼女の中では勝ったらしい。

 

「……分かったわ。取り合えず、今日の所は退散させてもらうわね」

「ええ。またいつでも来てね」

 

 踵を返し、そして紫はスキマを開ける。そのまま足を踏み入れて、映姫に見つかるよりも先に白玉楼を後にしようとする紫だったが、

 

「……幽々子」

 

 幽々子へと背を向けて、スキマに足を踏み入れようとするその直前。不意に幽々子の名を呼ぶと、紫はおもむろに振り向いて。

 

「また何かあったら、私に相談しなさいね」

 

 浮かべるのは柔らかい笑顔だった。

 

「いつだって、私は貴方の味方だから」

 

 それだけを言い残し、紫は今度こそスキマの中へと消えていった。

 ――まったく。本当に自分は、紫の世話になりっぱなしだ。今も昔も、彼女は親友という対等の立場で幽々子に接してくれていて。いつだって、彼女はこうして幽々子を気にかけてくれていて。

 胡散臭い大妖怪だとか、得体の知れない存在だとか。幻想郷ではそんな印象が根強い少女なのだけれど。

 

 それでも。

 西行寺幽々子にとって、八雲紫は掛け替えのない心の拠り所だった。

 

(……しっかり、しなきゃね)

 

 自分なりに気持ちを入れ替えて、西行寺幽々子は踵を返す。そしてその足で向かう先は白玉楼の玄関口。魂魄妖夢が不在の今、幽々子が自ら閻魔を迎える必要がある。

 幽々子は閻魔に幽霊の管理を任されている身。つまり閻魔は彼女の上司にあたる。いつも通りの平静を保ち、いつも通りの心持ちで彼女と対面しなければならない。

 

 やがて幽々子は玄関前まで辿り着く。引き戸を開けると、丁度()()()は正門を潜り終えたタイミングだった。

 

「おや? 貴方自らの出迎えですか」

 

 真っ先にそう口にするのは、他の二人を先導していた一人の少女。

 深碧(しんぺき)色の髪を持つその少女の服装は、他の二人と比べるとやたら豪勢な物である。その面持ちは少女らしいあどけなさよりも凛々しさが強く現れている様子で、一目見ただけでも神聖さがひしひしと伝わってくる。

 明らかに他とは一線を画す物々しい雰囲気。何を隠そうこの少女こそが四季映姫・ヤマザナドゥであり、幻想郷を担当とする閻魔様なのである。

 

 普段は飄々としている幽々子も、流石に彼女の前では気を引き締める。緩々な雰囲気のまま彼女の前に出ようものなら、即お説教が始まってしまうだろう。幾ら幽々子もそれは避けたい所である。

 

「うん? そう言えば今日はお前さん一人なのかい? あの半人半霊の庭師は?」

 

 そんな中。映姫の後に続くような形で幽々子へとそんな疑問をぶつけてきたのは、巨大な鎌を肩に担ぐ長身の少女である。

 映姫の付き添いのような形で幽々子の前に現れたその少女は、端的に言えば死神である。閻魔直属の部下である死神は様々な役割を担っていたと思うのだが、その中でも彼女――小野塚(おのづか)小町(こまち)が担当するのは三途の河の船頭と呼ばれる仕事だったはず。このような形での白玉楼への訪問は些か珍しい事であるが、それより何より気になったのは彼女の隣で周囲を見渡す見知らぬ人物。

 

 青年の亡霊である。その姿は幻想郷ではあまり見かけない服装で、恐らく外来人であろう。十中八九幻想入りした直後に無縁塚にて妖怪にでも喰われてしまったのだろうが、けれどだとすると些か――いや、かなり奇妙な点が見受けられる。

 

(……誰?)

 

 色々と気になる幽々子だったが、まずは映姫達の要件を聞く事が先決だろう。小町の疑問に対し、幽々子は頷いてそれに答える。

 

「ええ。妖夢は今ちょっと留守にしててね」

「……成る程。そういう事ですか」

 

 答えたのは映姫だ。幽々子の言葉、そして冥界の状況をその目で確認しただけで、映姫はおおよその状況を把握してしまったらしい。

 

「冥界にも何やらおかしな()が混じっているようですが……。まぁ、その件についての言及はまたの機会にしましょう。幽々子、実は貴方に折り入ってお願いがあるのです」

「……お願い?」

 

 そう、それだ。

 このタイミングで映姫が直々に白玉楼まで足を運ぶなど、火急の用件があると見てまず間違いないだろう。神霊の出現という不測の事態すら後回しにせざるを得ない程の緊急事態。幽々子は思わず息を呑み、そして映姫に確認する。

 

「……是非曲直庁に、何かあったって事?」

「ああ、いえ……そうではありません。ですが少し……いや、かなり奇妙な事態に陥っていると見て間違いないでしょう。どうやら色々と面倒な事になっているようでして……」

「面倒?」

 

 珍しく映姫の歯切れが悪い。『白黒はっきりつける程度の能力』を持っているはずの彼女が、ここまで困惑を露わにするなんて。

 

「取り合えず、まずは彼の紹介をさせて下さい」

 

 そう言うと映姫は小町の隣に立つ青年の亡霊を示す。話題の中心となった彼は、そこで初めて幽々子と視線を合わせた。

 幽々子へと向けられる青年の瞳。けれどぼんやりとしており、どこか不安定な印象を受ける。状況が飲み込めていないのか、それとも冥界という世界そのものに圧倒されているのか。まぁ、彼が本当に外来人であるのだとすれば、その気持ちも分からなくはないのだけれど。

 

 とにかく、ここは幽々子から声をかけるべきだろう。冥界の管理者である自分は、下手をすれば彼以上に彼の立たされた状況に詳しいのかも知れないのだから。

 

「初めまして。私は西行寺幽々子。貴方の名前、教えてくれるかしら?」

 

 幽々子は青年へと呼びかける。名前、名前と小さく呟いた青年は、ようやく幽々子へと向けて言葉を発してくれるのだった。

 

 四季映姫の言う奇妙な事態。それに関わっているのは、おそらくこの青年。確かに一目見ただけでも色々と解せない点が見受けられるのだけれど、でも。

 

「俺の、名前は……」

 

 直後、西行寺幽々子は驚愕する事となる。

 突き付けられた事実。それはあまりにも衝撃的で、そしてあまりにも突拍子もない。奇妙な事態だとか、面倒な事態だとか。そんな言葉で表現できるほど、生易しい状況ではない。

 

 この神霊騒動すら霞んでしまう程の、型破りで常識を逸した事態。

 

 幽々子の前に現れた、青年の亡霊が口にしたのは。

 

 

「――進一」

 

 

 それは、とある少女を助け出した一人の青年の名前。

 

「岡崎、進一」

 

 この世界――否、()()()()には存在しうるはずがない人物の名前。

 

(えっ……?)

 

 偶然? 同姓同名? それとも幽々子の聞き間違えか?

 ぐるぐると思考が働く。頭の中がぐちゃぐちゃになる。確かに、ありふれた名前ではある。でも本当にただの偶然なのか? 本当に、何の関係もないのだろうか。妖夢を助けた彼とは別人の可能性だって十分にあるのだけれど、でも――。

 

「……幽々子?」

 

 映姫の声が聞こえる。けれど頭の中で処理する事ができない。

 

 分からない。判らない。解らない。一体全体、これはどういう事なのか。一体全体、何が起こっているのだろうか。

 

 混乱に囚われた西行寺幽々子は、最早動揺を表情に出さずにはいられなくなっていた。

 本当に、訳が分からなくて。本当に、理解の範疇を超えてしまっていて。それでも何か言わなければならないと、必死になって言葉を引き摺り出そうとするのだけれど。

 

「こ、これは……」

 

 やっとの思いで、西行寺幽々子が紡いだ言葉は。

 

「一体、どういう事なの……!?」

 

 胸中を強く支配する、一つの疑問だけだった。


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