桜花妖々録   作:秋風とも

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第54話「神霊」

 

 ふわりふわりと、それは漂っていた。

 ゆらりゆらりと、それは現れては消えていた。

 

 桜が花を咲かせる季節。薄紅色の花弁が風に吹かれて舞う季節。幻想郷が本来の美しさを取り戻す季節。

 桜吹雪が乱れ舞う。花柄から離れた花弁が、辺り一面を春色に彩ってゆく。けれど周囲を漂うのは、薄紅色の花弁だけではなかった。

 現れては消え、そしてまた現れては消える。儚げにゆらゆらと漂い続けるそれは、一見すると幽霊等と同じ類のもののようにも思えた。

 

「……これは」

 

 朝。暖かな空気が流れ込んでくる、春らしい気候の日和。けれど彼女――茨木華扇は、のんびりじっくり春を満喫する気分にはなれなかった。

 妖怪の山。その一角に設けられた、落ち着いた佇まいの屋敷。そこが華扇の住居であるが、周囲に植えられた桜の木は例に溺れず花を咲かせ始めている。それだけ見れば春の訪れを感じさせる和やかな風景で終わるのだけれど、生憎今はそれだけではない。

 

 桜の花弁に混じって周囲を漂う、あまりにも存在が希薄な霊魂。当然ながらただの幽霊などではない。

 幽霊とは即ち気質である。見た物や聞いた物、そして触れた物や味わった物を考え方に変換する感性変換器。しかしあの霊魂達から感じ取れる感情は、ただ一つしかない。

 欲。どんな人間にも必ず備わっている、単純で恣意的な感情。周囲を漂う霊魂は、言わばそれを具現化したかのような存在で。

 

「……帰って来たわね」

 

 風を切り、翼を羽ばたかせる音。山の麓――人里方面から華扇のもとへと飛んできたのは、一匹の年老いた大鷲。彼は流れるように滑空し、そして軒下の止まり木に着地する。

 

久米(くめ)。どうだった?」

 

 久米と呼ばれた大鷲に華扇がそう確認すると、彼は何やら意味深な様子でこくりと頷いてそれに答える。普段は華扇の代わりに買い物をしてきてくれるペットの一匹であるが、()()()()()()()にも存分に役立ってくれる。竿打(かんだ)もいい加減見習って欲しいと思うのだが――まぁ、今はそれは良いだろう。

 

 久米からの報告を聞き、華扇は難しそうな表情を浮かべて腕を組む。

 

「やっぱり、ここだけじゃなかったのね」

 

 いつもとは違う。何かが狂ってゆくような感覚。その兆候とも言えるのは、幻想郷のあちこちで現れ始めているあの霊魂達。

 神霊。人間の欲が具現化した存在であるそれらは、今のところ特に危害を加える様子はないけれど。

 

「『異変』、かしらね」

 

 そうであると決まった訳ではない。けれど限りなく高い確率だ。ただの幽霊ならば幻想郷では珍しくもないが、神霊が――それもここまで沢山現れたとなると話は別である。

 明らかな異常性。今はまだ緩やかだけれど、だからと言って軽視する訳にもいかない。

 

 嫌な予感がする。もしも華扇の読み通り、神霊の出現が『異変』の兆候なのだとすれば。

 

「……霊夢も動いていればいいんだけれど」

 

 異変解決は博麗の巫女が担う仕事だ。彼女の“勘”が華扇と同じ感覚を捉えているのだとすれば、霊夢も今頃穏やかではない心境に陥っているはずだ。用心するに越した事はない。

 

「一体……」

 

 何が起きようとしている?

 一抹の不安感がじわじわと広がってゆくような感覚を、茨木華扇は感じていた。

 

 

 *

 

 

「……桜、綺麗ねぇ」

「おう。そうだな」

「お花見でもしたくなっちゃうような心地よねぇ」

「春だからな。花見を楽しまない生き物なんて、幻想郷には存在しないぜ」

 

 他愛もないやり取りと、霧雨魔理沙と交わす。

 博麗神社の縁側。魔理沙と並んでそこに腰かけている博麗霊夢は、和やかな表情を浮かべつつも桜の木々を眺めていた。

 中々に壮観な光景である。流石に白玉楼等には負けるが、それでも十分に心奪われる光景なのである。しかもまだ五分咲き程度でこの光景なのだから、満開になったらどうなってしまうのか。今から楽しみである。

 

「……やっぱり、お花見したいわねぇ」

「それに関しては同感だな」

「でもやっぱり、アレよねぇ」

「そうだな。アレだな」

 

 昼間から贅沢に酒を呷りながらも、花を咲かせた桜の下でのんびり花見と洒落込む。できれば霊夢もそんな風に春を楽しみたい所だが、そう上手く考え通りにいかないのが幻想郷である。

 花見と言う名の宴会を開きたい気持ちはある。けれど()()()()の所為で、そんな霊夢の願望は打ち砕かれそうになってしまっている。このまま行けば藤の花まで花見はお預けだ。それはそれでオツかも知れないが、けれど今はそういう問題ではない。

 

「はぁ……」

 

 霊夢は思わず溜息をつく。別に()()()()()()に関しては幻想郷では珍しくもないが、それでもやはりいい加減にして欲しいものだ。

 

「ねぇ、魔理沙」

「ん? 何だ?」

「何だか私、嫌な予感がするんだけど」

「へぇ、奇遇だな。実は私もだ」

 

 そりゃそうだ。こんな光景を目の当たりにすれば、誰でもそんな異常性に気付く。

 

「桜の花弁に紛れて、何だかふわふわーっとした奴らがゆらゆらと漂っているからな。確かに、ありゃ異常な光景だ。……まぁ、霊夢の妙な客引きって訳じゃないんならって話だけどな」

「……殴るわよ?」

 

 失礼な奴だ。魔理沙はいつも一言多い。

 言うまでもないが、アレは客引きでも何でもない。と言うか、あんなものが境内に漂っていると知られれば、参拝客はますます遠のいてしまうのではないだろうか。完全に営業妨害である。

 

 桜の花弁と共にゆらゆらと漂っているのは、正体不明の霊魂達である。

 当然ながらただの幽霊だとか、二年程前の騒動で現れた地霊等ではない。そんな物よりももっと神聖で、もっと儚げなもの。命を散らした死者の魂というよりも、どちらかと言えば神に近い存在。

 神霊。それは、神になるはずだった霊。或いは神として崇められている亡霊の類。

 

「ったく、何だって急にあんな連中が現れるのよ。いい迷惑だわ」

「そうだな。全くと言って良いほど信仰がないこの神社に神霊が現れるなんて、まさに異常現象だよな」

「……ねぇ魔理沙。あんたひょっとして私に喧嘩売ってんの?」

 

 神霊は大きく分けて二種類に分類できる。信仰を集めた亡霊が神として崇められ、神格化した存在。そして人の欲や強い想いから発生した不安定な存在。今こうして博麗神社に発生している神霊達は、間違いなく後者であろう。

 

 亡霊が神格化したのであれば話は簡単だ。人が神を求めた上で生まれた存在――つまるところ、それは()()()()()()()()()()()と呼べるのだから。その存在に不規則性はない。

 けれど今回の場合、誰かが神を求めた為に神霊達が発生した訳ではない。いわば彼らは、()()()()()()()()()()()()()()。あそこまで頻繁に発生と消滅を繰り返す程に、存在が希薄な様子が良い証拠である。

 

 これは『異変』だ。ここまで大量の神霊が発生してしまうような『異変』。今のところ大きな被害に遭った者が出た訳でもなさそうだが、それでも用心するに越した事はない。

 異変解決は巫女の義務。これ以上勝手な事を続けるというのなら、博麗霊夢は黙っていない。

 

「あっ……。おーい! 霊夢さーん!」

 

 と、そんな中。魔理沙と共に桜と神霊をぼんやり眺めていると、ふと誰かが声をかけてくる。神社の西側に設けられた鳥居。声が聞こえた方向へと視線を向けると、そこにいたのは見覚えのある一人の少女。

 

「あれ? 魔理沙さんもいたんですか」

「……何だその言い草は。お前は失礼な奴だな、早苗」

「あっ……い、いえ! 別に、そんなつもりは……」

 

 東風谷早苗。守矢神社の風祝にして、人間ながら神格化した現人神。霊夢よりも巫女らしいという、こちらとしては大変遺憾な評価を度々耳にする事もある一人の少女。

 なぜ彼女が博麗神社なんかに――とは、最早聞くまでもあるまい。十中八九、彼女もこの異常事態を察知して守矢神社を飛び出してきたのだろう。ここ最近、どうにも彼女は『異変』に首を突っ込もうとする。楽に解決できるようになるのなら霊夢としてもありがたいが、足を引っ張る事だけは止めて欲しいものである。

 

「……やっぱり、博麗神社にも現れてたんですね」

「その口振りだと、どうやらあんたの所も似たような状況に陥っているみたいね」

「ええ。そりゃもう、急にぶわーっと」

 

 大袈裟なジェスチャーをしつつも、早苗はそう口にする。兎にも角にも守矢神社――というよりも、妖怪の山にも神霊達は大量発生しているという事なのだろう。

 霊夢は思案する。神霊そのものにそれほど大きな害はないだろうけれど、それでも気味が悪い事に変わりはない。博麗の巫女として、この現象を見過ごす訳にはいかないだろう。

 

「それで? どうするんですか?」

「何がよ」

「『異変』、ですよ。これ、間違いなく異変ですよね? それなら解決しませんと!」

「まぁ、そうね」

 

 この少女、なぜこんなにもやる気満々なのだろうか。まぁ、それは置いておく事にして。

 急激な神霊の増加。それには何か原因があるはず。けれどその原因が皆目見当もつかないのだがら、ますます不信感が募ってくる。

 神霊達が偶発的に生まれてしまう例として、何者かの強すぎる欲や想いに刺激されるという場合がある。けれど今回の場合、その例に当てはめるには些か度が過ぎているようにも思える。

 

 ここまで大量の神霊を一度に発生させてしまう程の欲など、あまりにも現実的ではない。幾ら幻想郷とはいえ、流石に限度がある。

 だとするのならば、他に原因があるという事になるが――。

 

「そういえば、前にもこんな幽霊だらけの春があったよなー」

「え? そうなんですか?」

 

 霊夢が考え込んでいる横で、思い出したかのように魔理沙がそう口にする。

 

「まぁな。あの時は確か、冥界の奴らが原因だったんだよな。春を集めるとか何とかって言ってさ、お陰で幻想郷(こっち)は五月だってのに猛吹雪だぜ? 酷い話だよな」

「へぇ……。そんな事があったんですか」

「冥界、冥界ねぇ……」

 

 確かに、そんな事もあった。気まぐれな幽々子の命を受けた妖夢が幻想郷にて春を回収し、その影響で五月になっても一向に気温が上がらなかったのだ。確かにあの時も幽霊が大量に出現したが、けれど今回のように桜の花弁に混じって――という訳ではない。

 春が回収された事により、幻想郷にはそもそも春が訪れなかったのである。それなら桜も花を咲かせる事ができない。

 

 今回はあの時とは状況が違う。こうして桜が花を咲かせ始めている以上、少なくとも春が回収された訳ではないのだろうけれど。

 

「ま、今回も幽霊絡みの事件だし、こういう場合は冥界の奴らの所為にしておけば問題ないんじゃないの?」

「こ、こういう場合って……。そりゃ流石に短絡的過ぎるんじゃないか?」

「うーん、でも……」

 

 呆れ気味に反論する魔理沙の横で、難しそうな表情を浮かべた早苗が口を挟んできた。

 

「黒幕かどうかは別として、やっぱり冥界の方々に話を伺った方が良いんじゃないでしょうか? 確か、幽々子さんは普段から幽霊の管理をしているんですよね? 妖夢さんもそのお手伝いをしているそうですし、何か心当たりがあるかも知れませんよ」

「むぅ……。確かに、早苗の言う事も一理あるな」

 

 得心した様子で魔理沙が頷いている。

 早苗の言う通りだ。確かに霊夢は妖怪退治の専門家とも言える立場にいるけれど、幽霊という一括りに関するならば幽々子達の右に出る者はいない。ここであれこれ推測するよりも、冥界に行って直接話を聞いてしまう方が手っ取り早いし確実だろう。

 

 ――それに。

 

(うーん……。何かしら、この感じ……)

 

 さっきから感じている、この何とも形容できぬ予感。しつこく纏わりついてくるような、気味の悪い感覚。いつもの勘とは何かが違う。確かに冥界へ行くべきだという事は明確なのだろうけれど、でも――。

 

「うん? どうした霊夢? 浮かない顔して」

「……いや」

 

 魔理沙に表情を伺われて、霊夢は首を横に振る。

 考え込んでも仕方がないだろう。今この場で霊夢が何を思おうとも、彼女がすべき事に何も変わりはない。

 黒幕を退治して異変を解決する。いつも通りのプロセスだ。

 

「ま、とりあえず冥界に行ってみるわよ。ここであれこれ推察しても埒が明かないだろうし」

「……そうだな」

 

 取り合えず注意だけは払っておく。何はともあれ、ここで動かなければ事態はまるで進展しないだろう。嫌な予感を覚えるからと言って手をこまねくなど、そんなのは霊夢らしくない。

 

 意を決した霊夢は縁側から立ち上がり、魔理沙達と共に冥界へと向かうのだった。

 

 

 *

 

 

 いつも通りの朝日。いつも通りの空気。いつも通りの風景。けれど()()だけは、いつも通りではない。

 目に見えて分かる、明らかな異常性。本来ならばあるはずのないものが、そこには存在している。儚げに、ゆらゆらと。それは漂い続けている。

 

 神霊。あまりにも唐突な、神に近い霊魂達の出現。それはここ、白玉楼でも例外ではなかった。

 

「…………っ」

 

 白玉楼の一角。枯山水の庭園が一望できる大広間にて、魂魄妖夢は難しそうな表情を浮かべている。

 庭の方へと目を向けると、真っ先に目に入ってくるのは神霊達。当然ながら、彼らは幽々子が管理している幽霊達とは違う。

 ある日突然、現れたのだ。本来ならば閻魔の判決を経た幽霊達が集まる世界であるはずの、この冥界に。三途の河を渡った訳でもなく、かといって幻想郷から結界を越えてやってきた訳でもない。強いていうなら、彼らは()()()()のだ。冥界本来の住民である幽霊達から、まるで生まれ出てくるかのように。

 

「どうして……」

 

 ――いや。そのような疑問など、抱く必要はないだろう。

 前兆が無かった訳ではない。数日前に幽々子より命じられた、突然の休暇。それを利用して人里まで足を運んだ際、確かに妖夢は奇妙な感覚を覚えていた。あの時は結局、ただの勘違いで済ませてしまったのだけれども。

 けれど思い返してみれば、あの時覚えた感覚は気の所為でも何でもなかったのかも知れない。

 

「神霊は……」

 

 ふと自らの半霊へと視線を向けると、見覚えのない靄のようなものが纏わりついている事に気付く。そこから僅かに感じ取れるのは、意思のような感覚。

 神霊は幽霊達から生まれ出ては消滅している。それはどうやら、半分幽霊である妖夢も例外ではなかったらしい。

 

「……いや。幽霊、というよりも」

 

 正確に言えば魂、だろうか。生物における人格的な本質。人そのものの根本とも言える存在。そこから神霊達は発生している。

 百パーセント有り得ない現象という訳ではない。けれどあまりにも現実的ではない。一体や二体程度ならともかく、ここまで大量の神霊達が一斉に現れるなど。

 

「……やっぱり」

 

 ――異変だ。

 

「……妖夢?」

 

 踵を返し、大広間を後にしようとした直後の事だ。不意にそう声をかけられて、妖夢は反射的に足を止める。

 振り向くと、そこにいたのは彼女が仕える主の姿で。

 

「……行くの?」

 

 彼女――西行寺幽々子が、そう問うてくる。

 西行寺幽々子の仕事と言えば、冥界に留まる幽霊達の管理である。閻魔の裁判により、基本的に無罪を判決された死者の魂。幽霊の統制を取る事が出来る能力を買い、死者の管理を彼女に命じたのは他でもない閻魔だ。幽々子は冥界の管理者として白玉楼に永住し、日々その役割を全うしている。

 そんな彼女だからこそ、この異常性を誰よりも早く察知していたはずだ。その上で、彼女は妖夢にそんな質問を投げかけてきている。

 

 迷いなんてない。妖夢の答えは、とっくの昔に決まっている。

 

「ええ。今のところ、特に大きな問題は起きてないようですが……。けれどだからと言って、悠長に構える訳にもいきませんよ。何かあってからでは遅いので」

「……そう」

 

 幽々子が浮かべるのは不安気な表情だ。息苦しささえも伝わってくる、そんな悲痛な表情。

 何をそんなに心配しているのだろう。幽々子の制御下であるのにも関わらず幽霊から神霊が発生して、その件に関して困惑しているのだろうか。

 しかしどうであれ、妖夢のすべき事に変わりはない。彼女は白玉楼専属の庭師であり、幽々子の剣術指南役でもあり、そして彼女に仕える従者なのだ。

 

「ご安心ください、幽々子様」

「えっ……?」

「幽々子様は、私が必ずお守りします。例えどんな状況に陥ろうとも、幽々子様だけは私が守り抜いてみせます。幽々子様をお守りする為なら、私は……この身を犠牲にする事だって厭いません」

「…………っ!」

「ですから、幽々子様は……」

 

 不安に思う必要は、ありません。

 そう、妖夢が口にする前に。

 

「……ねぇ、妖夢」

 

 いつになく真剣な表情。真っ直ぐに妖夢の瞳を見据えて、西行寺幽々子は口を開く。

 

「何か、悩み事でもあるの?」

「……はい?」

 

 妖夢は思わず、きょとんとした表情を浮かべて首を傾げる。

 何を言い出すかと思えば。一体彼女は、何の事を言っているのだろう。何を思い出して、妖夢にそんな言葉を投げかけているのだろう。悩みだとか、不安だとか。そんな感情、おくびにも出さなかったはずなのに。

 

「妖夢。私は貴方の事をとても信用しているわ。貴方が妖忌の跡を継いでから、ずっと私の傍にいてくれて……。ずっと私を助けてくれて。こう見えて、感謝してるのよ?」

「そ、そんな……。私には、勿体ないお言葉で……」

 

 けれど「でも……」と、幽々子は続ける。

 

「最近の貴方……どこか変よ」

 

 幽々子の視線が妖夢から逸れる。俯いて、肩を震わせて。それでも何とか、言葉を繋ぐ。

 

「今も昔も、私の為に剣を振るってくれている事は分かるわ。でも、それでも何か……決定的な何かが、昔とは違う気がするの……。太刀筋に迷いがある訳じゃないけど……。でも……」

 

 でも。何かが、違う。

 西行寺幽々子の震えた声から伝わってくるのは、底知れぬ不安感。ずっと妖夢の傍にいて、ずっと妖夢の姿を見てきて。そんな彼女だからこそ、感じるものがあるのだろう。

 妖夢は幽々子に心配をかけてしまっている。こんなにも、不安を煽ってしまっている。

 

「だから私は、紫に相談して……。少しでも気を紛らわせればと思って、貴方に休暇を命じて……。でも、それでも貴方は、ますます気を張るようになっちゃって……」

 

 ――でも。

 

「ひょっとして、やっぱりその『眼』が変な影響を与えてるんじゃないの……? だったら……!」

「大丈夫ですよ。幽々子様」

 

 遮るように、魂魄妖夢は口を挟んだ。

 

「悩み事なんてありませんし、私は何も変わってません。幽々子様の為に剣を振るう……。その誓いだって、そのままです」

 

 出来る限り、精一杯に表情を綻ばせる。

 

「狂気の瞳についても心配ありません。お薬だってちゃんと呑んでますし、定期診断の結果も良好です。悪影響なんて、これっぽっちもありませんよ」

 

 そう、何も心配ない。何も不安に思う事はないはずだ。

 その為に、妖夢は鍛錬を続けてきたのだから。

 

「休暇については感謝しています。お陰様で良い息抜きにもなりましたし、それに……」

 

 それに。多少なりとも、異変の兆候を感じ取る事が出来た。

 あの休暇は決して無駄にはなっていない。顕界であんな違和感を覚えたという事は、少なくともこの不可解な現象は冥界特有のものという訳ではないはずだ。

 神霊の出現はおそらく偶発的。けれど何者かの暗躍による副次的な現象である可能性が高い。

 

 だとすれば話は簡単だ。犯人を見つけて話を聞き、説得が不可能ならば弾幕ごっこで制する。それだけである。

 

(……それに)

 

 二年前、妖夢を80年後の未来の世界に放り出した張本人。もしも今回の異変に、“彼女”が関わっているならば――。

 

「あら……」

 

 不意に幽々子が声を上げる。視線を向けると、幽々子が見据えるのは妖夢とは別の方向。

 白玉楼の正門。その先にある石段。

 

「どうかしました?」

「……ええ。誰かがこっちに向かってきてるみたい」

 

 西行寺幽々子は冥界の管理者である。それ故に、冥界に漂う気配に関しては敏感だ。そんな彼女がこんな反応を見せているという事は、その気配の主はおそらく幽霊等の類ではない。十中八九、冥界の外からの来訪者。更に絞り込むとするのなら、幻想郷の住民。

 

「これは……霊夢達かしら?」

「……やはり、そうでしたか」

 

 予想通りの展開だ。霊夢達が白玉楼へと向かってきているという事は、やはり顕界も冥界と似た状況に陥っているという事だろう。

 異変解決は巫女の義務。神霊騒動が幻想郷でも勃発しているのならば、まずは冥界の様子を見に来る。至極当然の発想だ。何も不思議に思う事はない。

 

「私も行きます。霊絡みの騒動というのなら、動かない訳にはいきませんので」

 

 兎にも角にも、まずは霊夢達から話を聞いてみるべきだ。幻想郷の状況を確認して、黒幕の目星をある程度推測して。――いや、勘の鋭い霊夢の事だ。既にある程度の見当は付けているのかも知れない。

 楼観剣と白楼剣を腰に携えて、魂魄妖夢は踵を返す。向かう先は正門前の石段。霊夢達と合流する為に、まずはそこに――。

 

「……妖夢」

 

 足を踏み出そうとした、その時。不意に幽々子に声をかけられる。

 いつになく沈んだ表情。いつになく真剣な眼差し。いつものような飄々とした様子はどこへやら。西行寺幽々子は、尚も不安気な表情のままで。

 

「無茶だけは、しないでね……」

 

 彼女は。西行寺幽々子というこの少女は、本気で妖夢の身を案じてくれている。本気で今の妖夢を心配し、そして気にかけてくれている。主であるはずなのに、従者である妖夢に対してここまで強い思いを寄せてくれている。

 ――従者であるはずなのに、主にここまで心配をかけてしまうなど。

 

(私は……)

 

 従者として――。

 

(……いや)

 

 だとするのなら、これ以上更に不安を煽る訳にはいかない。

 そう。魂魄妖夢の役割は、西行寺幽々子を守る事だ。ならばその使命を全うしなければならない。その使命を第一に考えなければならない。

 例え、どんな手を使おうとも。

 

「分かってますよ、幽々子様」

 

 だから、妖夢は。

 

「行ってきます」

 

 こんな所で、立ち止まる訳にはいかない。

 

 

 *

 

 

 久しぶりに訪れた冥界は、やはり予想通りの状況に陥っているようだった。

 白玉楼へと続く石段。長く高く伸びるその上を飛びつつも周囲の様子を伺うと、いつもの幽霊とはまた違った霊魂が漂っている様子が確認できる。

 博麗神社に現れた霊と同じだ。人間の欲や想いに触発されて現れた存在。

 神霊。それらはどうやら、他の幽霊達から生まれ出ている様子で。

 

「やっぱりここも神霊が溢れているみたいだな」

「そうですね……。幽霊達に混じってふわふわと漂っているみたいですけれど……」

 

 魔理沙の呟きに反応する形で、早苗もまた口を開く。

 

「でも、思っていた程ではないような……」

「え?」

「あっ……えっと、てっきりもっと沢山現れてるんじゃないかと思ってたんですけど、でも意外と少ないような気がするんですよ。冥界ですのでやっぱり幽霊達はいっぱいいるみたいですけど、だけど神霊に関してはそうでもないような気がして……」

 

 早苗にそんな事を言われて、魔理沙も周囲を確認してみる。

 確かに、彼女の言う通りだ。冥界と言えば、閻魔の裁判を経た幽霊達が集まる場所。それ故に当然、主な住民は死者の魂達である。そんな霊魂達は周囲を見渡せば幾らでも目に入る。

 しかし、どうだろう。神霊に関しては、それほど数が多い訳でもないように思えてくる。確かにはっきりとは存在している。存在はしているのだけれども、けれどもその数は博麗神社と同程度。つまり目に見えて数が多い訳ではない。

 

(となると、つまり……。神霊発生の原因は冥界にある訳じゃないって事か……?)

 

 無論、あくまで推測だ。確証がある訳ではない。陽動である可能性も十分に有り得るだろう。

 西行寺幽々子は実に気まぐれな少女だ。飄々とした態度を見せる事が多く、考えを読み取りにくい。今回の異変もまた、彼女の気まぐれが原因である可能性も有り得るとは思うのだが――。

 

「霊夢はどう思う?」

 

 どうにも何かが突っかかるような感覚。たまらず霊夢にも声をかけてみるが、けれども返って来たのは沈黙である。魔理沙の声が届いていないのか、それとも彼女にも迷いが生じているのか。

 

「……霊夢?」

 

 再び名前を呼んでみる。けれどもやはり、返答はない。

 不意に霊夢は立ち止まる。そんな彼女が見据えるのは――長く伸びる石段の頂。霊夢の視線が示す先へと魔理沙も目を向けてみると、そこには一人の少女の姿が確認できた。

 白銀の髪。黒いリボン。緑を基調とした衣服。腰に携えた二本の剣。そして、傍らに連れる白い霊魂。

 白玉楼専属の庭師。そして西行寺幽々子に仕える従者でもある少女。

 

「妖夢……?」

 

 霊夢が見据えるその少女――魂魄妖夢は、まるで魔理沙達を迎えるようにそこに佇んでいた。

 

「やっぱり、皆も来てたんだ」

 

 ふわりと、妖夢は飛翔する。そして傍らに連れる半霊と共に、緩やかに石段を下りつつも、

 

「神霊騒動を追って来たんでしょ?」

「……まぁね。霊と言えばあんたらの管轄でしょ? だから真っ先に様子を見に来たって訳」

 

 今まで黙り込んでいた霊夢が、そこでようやく口を開く。

 霊夢の態度はいつもと変わらぬ様子だ。どこか気だるげな声調も、そしてどこか達観している様子も。ついさっきまでのだんまりなんて、まるで嘘であったかのように。

 

「それで? あんた達の言い分を聞かせて貰おうかしら?」

「言い分って……。今回の異変、私達は何も関わってないよ。幽霊と今回の神霊は、根本的には全く別の存在だから……。幽々子様も管轄外みたいだし」

「ふぅん……」

 

 腕を組み、霊夢は鼻を鳴らす。

 今の話を聞いた限りでは、少なくとも妖夢は白とみて間違いないだろう。そもそもこんな事態を引き起こす動機が見当たらないではないか。疑う余地はない。

 

「ひょっとして、妖夢さんもこの騒動の調査に?」

「うん。ちょうど今から出かけようとしていた所。そこに早苗達が現れたから……」

 

 根本的には違うとは言え、神霊もまた霊の一種だ。これ以上そんな霊関係の騒動が広がってしまうと、霊を管理する立場である幽々子の面目が立たないのだろう。故に彼女も動く必要がある。

 そうでなくとも正義感の強い妖夢の事だ。幻想郷で大きな異変が起きていると聞けば、少なからず首を突っ込もうとしそうなものだけれど。

 

 何にせよ。

 

「ったく。それじゃあ、冥界は見当違いだったって事か?」

「あはは……。私達には前科もあるし、疑われちゃうのも無理はないかも知れないけど……」

「まぁ……どっかの傍迷惑な神じゃあるまいし、流石にそう何度も異変の元凶になるとは思えないけどな」

「あ、あの、魔理沙さん? 参考までに聞いておきたいのですが、その傍迷惑な神様とは一体……?」

 

 早苗の事はスルーしておいた。

 ともあれ、妖夢達が関与していないというのなら、これ以上こんな所に長居は無用だろう。早い所お花見と洒落込む為にも、魔理沙達はこの異変をさっさと解決しなければならない。

 どこの誰だか知らないが、これ以上好き勝手にはさせない。

 

「ま、冥界(こっち)に入ってから薄々勘づいてはいたけどな。それなら他に手掛かりを探すしかないって事か」

 

 冥界でないのなら、一体どこに原因があるのだろう。彼岸か? それとも何時ぞやの年末のように地底だろうか。

 兎にも角にも、今は情報を集めるしかない。

 

「行こうぜ霊夢。取り合えずは顕界だ」

 

 霊夢の肩をポンと叩き、魔理沙はそう提案する。そしてそれから踵を返し、愛用の箒に跨って。冥界の外へと向かおうと、

 

「……本当に、そうなのかしら?」

 

 飛翔しようとした、その時だった。

 込めていた魔力を思わず四散させ、魔理沙は振り返る。その声の主は霊夢。腕を組み、睨みつけ、歯に衣着せぬ物言いで。彼女はただ、口にする。

 

「本当に、何も関わってないのかしら?」

 

 霊夢の態度は高圧的だ。まるで意図して、妖夢の神経を逆撫でしているかのように。彼女が発した言葉は、魂魄妖夢への疑い。

 当然ながら、妖夢は不服そうな表情を浮かべる。

 

「……どういう意味?」

「いや……別にあんたを疑っている訳じゃないわ。あんたはいつも生真面目で、平気で嘘をつけるほど器用でもなくて。……でも、だからこそ考えもしない“可能性”だってあるんじゃないの?」

 

 魔理沙は思わず息を呑む。

 何だ。一体霊夢は、何の事を言っている? どうして彼女は、今日に限って――。

 

「一度異変を引き起こした奴が、後になってまた別の異変を引き起こす。有り得ない話じゃないわ。一度退治されたくらいじゃ、まるで反省してないって事ね」

「……回りくどい。はっきり言ったらどうなの?」

 

 糸を張ったような緊張感。早苗もそれを感じ取ったようで、固唾を呑んで霊夢達の成り行きを見守っている。

 ――異常な雰囲気だ。あまりにも頑なで、あまりにも理性的。

 らしくない。今日の霊夢は、何だか霊夢らしくない。

 

「そうね。それじゃあ、はっきり言わせて貰うわ」

 

 鋭い眼光。

 

「……もしも」

 

 突き放すかのように冷たい声調で、博麗霊夢は言い放つ。

 

「もしも幽々子が、あんたの知らない所で何か企てているのだとすれば?」

「……っ。お、おい霊夢……!」

 

 ドクンと、心臓が大きく波打つ。魔理沙はたまらず割って入った。

 

「お前……! そりゃ、流石に……!」

「流石に、何? 十分に有り得る話でしょ?」

 

 霊夢の声色は至極冷たいものだ。感情だとか、情けだとか。それら全てをどこかに置いて来てしまったかのように。

 割って入った魔理沙を押しのけて、霊夢は続ける。

 

「ねぇ妖夢。あんたも言ってたわよね? 自分達には前科があるって。だったら、分かるでしょ?」

「……霊夢は、幽々子様を疑っているの?」

「当然でしょ」

 

 ぴしゃりと霊夢は肯定する。

 

「怪しさ満点じゃない。こんな騒動が起きているのに、妖夢だけを調査に行かせて自分は屋敷に引き籠り? 霊の管理が仕事だってんなら、真っ先に自分の能力を使って少しでもこの騒動を収めようとするもんじゃないの?」

「……言ったでしょ。幽々子様が操れるのは幽霊だけ。神霊は管轄外だって」

「どうだか」

 

 霊夢は肩を窄める。どうやら彼女は、妖夢の言葉を聞き入れる気は微塵もないらしい。

 

「『能力』は基本的に自己申告制よ。幽々子が勝手にそう申告しているだけで、実際はもっと広い範囲にまで適用させる事だって可能なのかも知れない」

「それは……」

「ま、あんたの性格から考えて、今までまるで疑いもしなかったんでしょうけど。兎にも角にも、今は異変の解決が最優先よ。疑わしい所は片っ端から潰していく。それが私のポリシーなの」

 

 博麗霊夢の物言いは、酷く短絡的なものだ。加えて、あまりにも利己的。

 確かに霊夢は、他人に対する興味関心が薄い時がある。自由奔放で、単純明快。けれど裏表が存在せず、常に周囲に振りまくのはありのままの自分だけ。素朴で、飾り気なく。そして誰よりも真っ直ぐで。

 

 だけれども、今日の霊夢は。

 

「分かったんならそこを退きなさい妖夢」

 

 それでも尚、あまりにも――。

 

「私は幽々子と話がしたいの」

 

 ――意固地だ。

 

「…………っ」

 

 妖夢は俯き、そして黙り込んでしまった。

 図星を突かれてぐうの音も出ないのか、それとも単に状況を飲み込めていないのか。いずれにせよ、霊夢の言葉が彼女の心に伸し掛かっている事は確実だ。

 

 不毛だ。こんな事をして、一体何になる?

 霊夢が口にした言葉は、その殆どがこじつけのようにも思える。無理矢理にでも湾曲した解釈を下し、そして異変の黒幕を幽々子に結び付けようとしている。物的証拠も何もない。あくまで推測の段階で、それでもまるで確信を持てているかのように。霊夢は妖夢を丸め込もうとしている。

 ――いや。挑発している、のだろうか。

 

「……ねぇ、霊夢」

 

 抑揚のない声。顔を俯かせたままの状態で、魂魄妖夢は確認する。

 

「もしも異変の首謀者が、本当に幽々子様だったら……。霊夢はどうするの?」

「愚問ね」

 

 そう、愚問である。

 

「ぶっ飛ばす」

 

 それが、博麗の巫女である彼女の義務なのだから。

 

「例え相手が誰であれ、私は異変を解決するだけよ」

 

 

 金属が擦れ合うような鋭い音が、辺りに響いた。

 直後に目に入るのは、銀。淡い日光に照らされて、それは青白く光を放つ。春風によって柄尻の飾りを棚引かせ、しなやかな刀身には鋭く霊力が纏わりついていて。“それ”を掲げた彼女からは、今にも喉笛へと飛び掛かってきそうな程の圧倒的な威圧感が放たれ始める。

 

「お、おい……!?」

「よ、妖夢さん!?」

 

 魔理沙と早苗は揃って声を上げる。けれど彼女は、()()を抑える素振りすら見せなくて。

 

「……幽々子様に危害を加えると言うのなら」

 

 楼観剣。幽霊10匹分の殺傷力を持つその剣を掲げた、魂魄妖夢は。

 

「例え霊夢でも斬り捨てる」

 

 紅く鋭い眼光で、博麗霊夢を睥睨していた。

 一触即発。剣を構えた魂魄妖夢は、ふざけている訳でも何でもない。例え霊夢が相手だろうと、このままでは彼女は言葉通りの行動を実行する。

 もしも幽々子に、危害が及ぶような事があるのなら。

 手に持ったあの長刀で、彼女は霊夢を――。

 

「ちょ、ちょっと待てよ!」

 

 冗談じゃない。

 魔理沙は再び、二人の間に割って入る。

 

「落ち着けって妖夢! 霊夢もだ! 何いきなり訳分かんねー事を……!」

「あんたは引っ込んでなさい、魔理沙」

「な……!?」

 

 霊夢の反応は先程と似たようなものだ。冷たい眼光を妖夢へと向けたまま、あしらうように魔理沙を退けようとする。

 けれど流石の魔理沙も、今回ばかりは黙っていられない。いきなりあんなやり取りを見せつけられて、はいそうですかと納得できる訳がないじゃないか。

 魔理沙は負けじと食らいつく。

 

「ふざけんな! 今日のお前、何か変だぞ……! お前だって薄々勘づいているんだろ!? 今回の異変は……!」

「幽々子達は白、とでも?」

 

 頭に血が昇っているのは魔理沙だけだ。博麗霊夢の表情は、異常な程に落ち着いた様子で。

 

「それを決めるのは私よ」

「な、に……?」

 

 何だ。一体、何なんだ。訳が分からない。

 あまりにも落ち着いた霊夢の反応を前にして、魔理沙は愕然としてしまう。浮かんでいたはずの言葉が綺麗さっぱり払拭されて、頭の中が真っ白になって。

 何も言えなくなった魔理沙を横目に、霊夢は一歩前に出る。

 

「それで? どうするの妖夢? あんたは結局そっち側って訳?」

「…………」

 

 ぎゅっと、妖夢は楼観剣を握り締める。そして迷いを生じさせる事もなく、きっぱりと。

 

「私が仕えるのは幽々子様だけ。だから私は、あくまで幽々子様をお守りする」

「……あっそ」

 

 やれやれとでも言いたげに、博麗霊夢は嘆息する。

 幾ら他人への興味関心が薄い霊夢でも、分かっていたはずだ。妖夢の人となり、そして彼女の心情を。分かっていた上で、霊夢は妖夢を挑発した。

 妖夢は実に生真面目で、そして誰よりも幽々子に忠実だ。幽々子に危害が及ぼうものなら、彼女は必ず剣を抜く。幽々子を守る為ならば、彼女はどんな事だってやってのける。

 

 そういう少女なのだ。()()()()()

 

「ま、あんたがその気なら相手になってやってもいいけど。でも幻想郷のルールには従って貰うわよ?」

 

 言うが早いか、霊夢は懐から三枚のカードを取り出す。

 

弾幕ごっこ(スペルカードルール)。“殺し合い”を“遊び”に変える決闘方式。ああ、分かっていると思うけど、ここは冥界だから厳密に言えば幻想郷じゃない、なんて屁理屈は却下ね」

「……分かってるよ」

 

 楼観剣を右手に持ち直し、妖夢もまた懐から三枚のカードを取り出す。

 決闘の受託。本当に、彼女達はやりあうつもりなのだろうか。

 

(おいおい……! マジかよこいつら……!?)

 

 分からない。霊夢の考えている事も、妖夢の考えている事も。魔理沙にはまるで理解できない。

 どうしてこんな事になる? 何のためにこんな事をする? 魔理沙達は神霊騒動を解決する為に来たのではなかったのか? それなのに、こんな。

 こんな、不毛な内輪喧嘩など――。

 

「ま、魔理沙さん……! い、一体何が、どうなって……!?」

「私が知るかよ! ああ、くそっ! 一体何考えてんだあのバカ……!」

 

 魔理沙はガシガシと乱暴に頭を掻きむしる。困惑した早苗と苛立ちを覚えた魔理沙には、最早あの二人を止める術はない。

 

 緊迫した空気。スペルカードを手にした二人の少女が、互いに互いを睥睨し合う。ピリピリとした緊張感を魔理沙でも肌で感じ取る事ができるが、そんな事で怖気づいている場合ではない。

 弾幕ごっこを止める事は出来ないが、だからと言って二人を放って自分だけ帰る訳にはいかない。流石にルールを超えた殺し合いにまで発展する事はないだろうが、それでも。

 

(今の、妖夢は……!)

 

 危険だ。

 

「スペルカードは三枚。先に全ての弾幕を攻略された方の負け。いいわね?」

「……うん。いいよ、それで」

 

 互いに最後の確認を交わす。

 構えられた楼観剣と、突き出されたお祓い棒。そして手に持つ三枚のスペルカード。張り詰めた緊張感が周囲の空気を重くして、少女達の息を詰まらせる。重くのしかかる空気がますます彼女らを緊迫させて、少女達の胸を締め付ける。

 固唾を呑んだ魔理沙と早苗。五分咲きの桜と、漂う神霊達。白玉楼へと続く、長く伸びる石段の上で。

 

 少女達の弾幕ごっこが、始まろうとしていた。




ところで、今年の人気投票でも妖夢は四位だったそうですね。
何かもう、最高ですね。

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