桜花妖々録   作:秋風とも

60 / 148
第52話「毘沙門天の代理人」

 

 古明地こいしというこの少女を見て妖夢が真っ先に抱く感情は、不安だった。

 二年前。妖夢が放り出された“あの世界”で対面した古明地こいしは、無邪気さの中にどこか影があったように思える。姿形は目の前にいる“この世界”の古明地こいしとそう変わらない。天真爛漫で好奇心が旺盛な様子だって、目に見えて違いがある訳でもない。

 だけれども。根本的な何かが、明らかに違う。

 

『……私はね。人を捜してるんだよ』

 

 あの時、こいしはそう口にしていた。幻想郷を後にして、外の世界へと足を運んで。博麗大結界を越えてまで成し遂げたかった目的が、そのとある人物の捜索。

 

『私がその人を捜している理由? その答えは単純だよ』

 

 なぜその人物を捜しているのか。その人物を見つけ出して、それからどうするつもりなのか。捜し人の行方を掴む事で、こいしに何のメリットがあるのか。

 その問いに対する彼女の答えは、至極単純なもの。

 

『助けたい人がいるんだ。その手掛かりを掴む為に、私は行動してるの』

 

 助けたい人。彼女にとって、とても大切な人。その人の為に、古明地こいしは行動していた。

 

『私の所為で、その人は……』

 

 その口振りはまるで贖罪の場を求めているように思えた。

 自分の所為で、その人は酷い目に遭った。自分の所為で、その人は傷ついてしまった。だから自分は、その人を助けなければならない。例え、どんな手を使う事になろうとも。例え、運命の奔流に飲み込まれそうになったとしても。その運命を打ち破り、未来を変える。それこそが、今の自分に出来る唯一の罪滅ぼしだと。

 

(そう……。あの時のこいしちゃんは、きっと必死だった)

 

 そんな古明地こいしと出会ったのが――今から約80年後の未来の世界。現代の古明地こいしからは、あの時感じた底知れぬ後悔のようなものは微塵も感じられない。

 それ故に覚える不安感。現時点で何も感じられないという事は、それは即ち近い未来に何かが起きるという事だ。こいしにとっての“大切な人”が傷つく事になり、それが原因でこいしの中に強い後悔が生まれる。そんな最悪の未来が、これから待ち受けているというのだろうか。

 

「……ん? どうしたの? 半分幽霊のお姉ちゃん?」

 

 香霖堂へと向かう道すがら、振り向いたこいしへとそう声をかけられる。慌てて妖夢は表情を綻ばせ、そして首を横に振った。

 

「ううん。何でもないよ」

「そう?」

 

 そう、何でもない。今のこいしに話せるような事は何もない。

 妖夢が直接その目で見たのは、後悔の念を抱いた古明地こいしの姿だけ。これから彼女の身に何が起きるのか、具体的には分からない。

 紫達に口止めもされている。釈然としない未来の事を無闇矢鱈に口走って、余計な不安を煽る必要もないはずだ。だから妖夢は、あくまで平穏を装る事しかできない。

 

 ()()()起きる事は分かっている。けれど()()起きるのかは分からない。何も出来ない今の状況に、もどかしさを覚えないと言えば嘘になる。

 

(お燐さんまでもが妖怪で、その上こいしちゃんとも知り合いだった事には驚いたけど……)

 

 未来で会った彼女もまた、何かを知っていたのだろうか。外の世界の人間に成りすまし、妖夢に力を貸してくれたあの世界の火焔猫燐もまた、こいしと同じ後悔の念を抱いていたのだろうか。

 今更それを確認する術はない。あの時彼女が抱いていた気持ちなんて、今の妖夢には想像する事すらできないのだけれども。

 

 それでも、何もせずにはいられない。最悪の結末へと向かう何かが起きるというのなら、その何かを回避する為に妖夢は抗うだけだ。

 その為にも、妖夢は強くならなければならない。未来の世界に触れてしまった彼女だからこそ、成さねばならない使命があるはずだ。きっと妖夢は、その為にあの世界へと放り出されたのだと思うから。

 

(だからこそ、私は……)

 

 託された想いを、裏切る訳にはいかない。

 

 

 *

 

 

 森近(もりちか)霖之助(りんのすけ)は頭を痛めていた。

 人里の外れ――魔法の森の入り口付近に建てられた古風な佇まいの古道具屋。人里の建物と比べると異国風な外装に、大量の物品が無造作に並べられた内装。倉庫か何かと勘違いされても仕方がない程の乱雑ぶりだが、これでも『香霖堂』という名前と共にそれなりに広く認知されている道具屋である。誰も使い道が分からないような道具――つまるところ外の世界の道具を主に取り扱っている事が有名で、そんな道具を目当てに足を運ぶ常連客もそれなりにいたりする。

 まぁ、店主である霖之助がおおよそ商売人向きな性格ではない為、外装や内装を見た時に感じる「道具屋らしくない」という印象は、強ち間違ってはないのだけれども――それはまた別の話だ。

 

 常連客もそれなりにいるとは先に述べた通りであるが、だからと言って年がら年中繁盛している訳ではない。霖之助の性格故か、それともこの立地条件が原因か。寧ろ客が訪れない事の方が殆どであり、大抵の場合は閑古鳥が鳴いているのである。

 別に、客足が芳しくない事に関しては特に気にしていない。道具屋だって商売というよりも趣味のような側面の方がどちらかというと強く、それほど必死になって売り上げを伸ばす気だって殆どない。商売する気が全くない、という訳でもないけれど。

 

 今日も今日とて香霖堂はいつもと変わらぬ様子だった。特に客足が増える事もなく、何か特別な事が起こる訳でもない。いつも通りの平凡な一日。今日もそれが確約された――かと思っていた。

 そう、この少女が店に押しかけてくるまでは。

 

「そ、そんな……! お金ですか……? お金なんですか!? それなら払います! 払いますから本当の事を話してください!!」

「いや、別に僕は嘘なんかついてないんだけどね……」

 

 さっきからずっと似たような会話の連続である。流石の霖之助もこれには参ってきた。

 

 やたらヒステリックに喚き散らすこの少女。名を、寅丸星という。

 命蓮寺に属する尼僧の一人で、何を隠そう七福神の一柱である毘沙門天の代理人を勤めているらしい。元々は虎の姿をした妖獣だったらしいのだが、今の姿は人間の少女とそう変わらない。黒が混じった金髪は短めに揃えられており、その頭の上には花を模した髪飾りを乗せている。顔立ちはやや幼さを残しつつもそれでいて凛々しさも感じさせられる不思議な風貌で、確かに毘沙門天の代理人を勤めるだけあって他の妖怪とはまた違った印象である。まぁ、今は涙目やら何やらで些か残念な事になっているけれど。

 

 さて。なぜ命蓮寺の尼僧である彼女が香霖堂へと押しかけ、そしてなぜ()()()()()になってしまっているのか。その理由は到って単純。

 霖之助からしてみれば、ぶっちゃけただのとばっちりである。

 

「ナズから聞いてるんです! 以前はこの古道具屋に流れ着いていて、買い戻す際にかなりふっかけられてしまったと……! ええ、そうです、そうですよ! 今回も私の不注意が原因なんです! きっと貴方も呆れてるんですよね……? コイツまたやらかしたのかぁ、とか思ってるんですよね!?」

「……そうだね。確かに、呆れてるね」

「そして貴方はこうも思っているはずです! もう一度ふんだくる事ができる、しかも弱みを握れてる分、今度は以前よりも多い額を要求する事ができる、と……! そういう事なんですよね!?」

「そもそもどうしてウチにその探し物が流れ着いている事が前提になってるんだい?」

 

 因みにそんな事などこれっぽっちも思っちゃいない。というかそれ以前に彼女の探し物なんて香霖堂には流れ着いていない。以前にも似たような事があったからとは言え、流石に早とちり過ぎである。

 

 宝塔。それが彼女の探し物である。元々は毘沙門天が所有していた神器の一つだったようなのだが、今は訳あって代理人である星が管理しているらしい。毘沙門天の象徴とも言えるその宝塔とやらを、代理人とはいえなぜ彼女が所持しているのか。その点について霖之助は詳しくないが、今の時点で重要――というか問題なのはそこじゃない。

 

 宝塔は本来、毘沙門天の所有物。つまるところ寅丸星というこの少女は、その毘沙門天から宝塔を()()()()という事になる。にも関わらず、寅丸星は大事な大事な宝塔をうっかり紛失してしまったらしい。毘沙門天からの信頼の体現とも言えるその宝塔を、だ。

 だとすれば彼女が慌てるのも頷ける。毘沙門天が彼女を信じて宝塔を渡してくれたのにも関わらず、その宝塔を紛失してしまうなど。それは即ち、毘沙門天から寄せられた信頼を裏切るのと同義である。しかも宝塔の紛失がこれが初めてではないとなれば、それはもう毘沙門天への冒涜と言っても過言ではないのかも知れない。

 

 故に彼女はここまで狼狽してしまっている。大事な宝塔をなくす程におっちょこちょいな一面があるとはいえ、それでも彼女は心の底から毘沙門天を慕っているのであろう。――良くも悪くも。

 今回の場合、その敬慕が霖之助にとって悪い方向へと進んでしまっているのだけれど。

 

「あ、あくまで貴方は私を貶めようというのですか……!? はっ!? も、ももももしや貴方が求めているのはお金ではなく……!?」

「どうしてそこまで突拍子もない解釈ができるんだ君は。宝塔なんて流れ着いてないと、さっきから何度も言っているだろう」

 

 この少女、本当に毘沙門天の代理人なのだろうか。というかそれ以前に、本当に命蓮寺に属する尼僧なのだろうか。何だか色々と不安に思えてくるのは霖之助だけか。

 霖之助は遂に頭を抱える。まったく、どうして自分の周りにいる少女達はこう、癖の強い子達ばかりなのだろうか。この寅丸星という少女だって、さっきからやたら疑り深いというか被害妄想が酷いというか。確かに以前この店に宝塔が流れ着いていた事は嘘ではないし、買い戻しにきたナズーリンを相手に相当な額をふんだくったのも事実だ。

 殆ど趣味の範疇だとは言え、霖之助だって商売人。売り上げを伸ばす積極性は低いとは言っても、流石に収入がゼロではやってられない。それ故に、あの時はそれなりの額を要求してしまったのだけれど。

 

(こんな事になるのなら、無闇に足元を見るべきではなかったのかも知れないね……)

 

 これが因果応報というヤツなのだろうか。いや、霖之助は商売人として当然の事をしただけじゃないか。それなのにこの仕打ちというのなら、あまりにも割に合わない。

 因果応報もへったくれもない。これではただの理不尽である。

 

 さて、どうしたものか。あと何回このやり取りを繰り返せば、この少女は諦めてくれるのだろう。幾ら霖之助が首を横に振っても彼女は食い下がらないし、それどころかますます疑り深くなってきているようにさえ思えてくる。やたらと頑固なのか何なのかは分からないが、これではいつまで経っても話は収束しない。せめて少しでも話題を逸らす事が出来れば、或いは。

 

 と、霖之助が今日何度目かも分からない溜息を零そうとした、その次の瞬間。

 カランコロンと、店のドアベルが軽快な音を鳴り響かせた。

 

「うん?」

 

 どうやら来客らしい。西洋風の開き戸を開け、誰かが入店してくる様子がここからでも見て取れる。流石にどんな人物なのかまでは判別できなかったが、それでもこれは都合がいい。

 未だに涙目の星へと向けて、霖之助は声をかける。

 

「ほら、お客さんが来てしまったよ。いい加減、君も諦めてくれないかい? 関係のない人達にも迷惑がかかるだろう?」

「なっ!? う、うぐぅ……! た、確かに……関係のないお客さんにまでご迷惑をかけてしまうのはいけませんね……!」

 

 存外素直だった。やはりこの少女、根は真面目で人の良い性格をしているのだろう。――少々拗らせているだけで。

 

「ごめんくださーい!」

 

 入店してきたのは二人の少女だった。その片方――鴉羽色の帽子を被る幼い少女が、天真爛漫な様子でそう口にしている。見覚えのない少女だが、里の子供か何かだろうか。それにしてはやや変わった服装をしているが。

 そしてそんな少女に付き添うような形で入店してきたのは、白銀色の髪を持つ小柄な少女。こちらは霖之助も見覚えがあった。

 

「おや、君は……」

「お久しぶりです。霖之助さん」

 

 傍らに連れる半霊。腰に携える二本の剣。彼女が魂魄妖夢という少女であると、思い出すのは容易であった。

 確か、冥界に住む亡霊である西行寺幽々子の従者に当たる人物だったか。香霖堂まで足を運ぶ事は滅多にないが、それでもこうして霖之助の記憶に残っている理由は、ひとえに彼女が知り合いの中でも数少ない常識人である事に起因するだろう。確かに彼女は西行寺幽々子に忠誠を誓っているが、それでも寅丸星のように色々と拗らせてしまっている訳ではないはず。端的に言ってしまえば、話が分かる少女なのだ。

 

 霖之助は肩の力を抜く。

 

「珍しいね。今日はどういったご用命かな」

「あっ……すいません。今日は買い物に来た訳ではなくて……」

 

 すると妖夢は、ちらりと星へと視線を向ける。そして何やら考え込むような素振りを見せた後に、

 

「あの……。ひょっとして、あなたが寅丸星さんですか?」

「えっ……? は、はい。そうですけど……貴方は?」

 

 星の名前を確認すると、途端に妖夢はホッとしたような表情を浮かべる。表情を綻ばせつつも、ペコリと小さくお辞儀をした。

 

「初めまして。私は魂魄妖夢と申します。ナズーリンさんに頼まれて、あなたの様子を見に来ました」

「あっ、これはこれはご丁寧に。私は寅丸星で……ってちょっと待ってください。ナズーリン? 貴方はナズの知り合いなのですか?」

 

 星が何やら驚いたような表情を見せている。

 ナズーリンは普段、無縁塚の掘立小屋で部下の鼠達と共にひっそりと暮らしている少女である。外部との関りもそれほど積極的ではないし、命蓮寺に属する僧侶や妖怪以外に知り合いらしい知り合いなんて殆どいないのではないだろうか。

 当然ながら、妖夢は命蓮寺の信者などではない。そんな彼女の口からナズーリンの名前が出てくるとは、確かに意外ではある。

 

「えっと、知り合いと言ってもさっき知り合ったばかりなんです。人里で何やら困っていた所を私達が見かけまして……」

「それで私が声をかけて、探し物のお手伝いをする事になったんだよ!」

 

 ぴょこぴょこと跳ねながらも、妖夢の傍らにいる幼い少女がそう補足する。成る程、事情は大方把握した。

 つまるところ彼女達は、ナズーリンから寅丸星のおっちょこちょいっぷりを聞かされて、心配になって様子を見に来たという事なのだろう。ナズーリンは元々毘沙門天の使いで、代理人である寅丸星の監視兼サポートを勤めているらしいのだが――当の星が()()()()()()、彼女も色々と大変そうである。

 

「えっ……な、ナズから? き、聞いてしまったのですか? 私のこと……」

「うん。そりゃあもう、物凄くどんくさい人だって!」

「へ、へぇ……。そうなんですか……」

 

 ピクピクと星の表情が引きつっている様子が見て取れる。小さな少女の情け容赦のない報告を前にして、彼女も色々と思う所があるようだ。

 ふらふらと覚束ない足取りで後退りする事数歩。やたら深刻そうな表情を浮かべた彼女はそのままふらりとバランスを崩し、柱に手を添え身体を支えるような体勢となる。俯き、口をつぐみ、そして身体をぷるぷると震わせて。暫しの沈黙を挟んだ後に、星は妖夢達に背を向けると。

 

「うわーん!? どうして会ったばかりの人達にも話しちゃうんですかナズのバカァ!!」

 

 急に泣き出した。随分と感情表現が激しい少女である。

 それにしてもこの反応。彼女にもプライドというか、羞恥心が存在したという事か。宝塔の紛失は代理人である彼女にとって大失態であり、そして恥ずべき行為だ。そんな事実が広がれば、彼女はたちまち笑い者。そのような状況を避ける為に、彼女はなるべく隠密に宝塔を見つけ出したかったのだろう。

 

 何とも子供っぽい意地ではあるが、それでも泣く程なのだろうか。と言うか、霖之助の前で散々痴態を晒している時点で今更なような気もするのだけれど。

 妖夢も対応に困った様子でオロオロとしている。霖之助だって、こんな所で泣かれるのは正直困る。

 

「どうでもいいけど、泣くなら余所に行ってくれないかい? 営業妨害だ」

「し、辛辣ッ!?」

 

 霖之助もいよいよ疲れを覚えてきた。深々と椅子に座って天井を仰ぎながらも、彼は嘆息する。

 なぜだ。どうしてこうなった。ひょっとして今日は厄日なのだろうか。例えば霊夢や魔理沙なども随分と癖の強い少女であるが、寅丸星の場合は彼女達とはまた違ったベクトルでの癖の強さである。どうにも対処法が掴めない。一体何をどうしろというのだ。

 

「あはは! このお姉ちゃんおもしろーい!」

「わ、笑われた! やっぱり笑われたましたぁ! ふぇぇぇん! どうせ私なんて、何をやってもダメダメな女なんですよぉ!!」

 

 ああ、何だかますます面倒くさい事になってきたような。というかあの少女は何なんだ。妖夢の知り合いか何かなのだろうか。

 

「ところで妖夢君。その子は……?」

「えっと、古明地こいしちゃんです。ちょっと訳あって、今は一緒に行動してるんですが……」

 

 そう言うと妖夢は、鴉羽色の帽子を被った少女――古明地こいしを一瞥した後に、未だに打ちひしがれる寅丸星へと視線を向ける。毘沙門天の代理人などという肩書とのギャップに少々困惑しているようだが、それでも彼女は宥めるように言葉を投げかけた。

 

「あの、星さん。大丈夫ですよ。私達はあなたを笑いに来た訳じゃなくて、あなたを助けに来たんです。宝塔、まだ見つかってないんですよね?」

「ぐすっ……。ふえ……?」

 

 ようやく少し落ち着いた様子で、星が妖夢へと振り返る。それを確認した妖夢は、尚も優し気な口調で続けた。

 

「失敗は誰にでもあります。なくしてしまったのなら、それはもう仕方のない事です。ですから今は、これからの事を考えましょう? 宝塔探し、私達もご一緒しますから」

「よ、妖夢ざん゛……!」

 

 うるうると、再び星の瞳が潤い始める。そしてガシッと妖夢の手を掴み、ぎゅっと握り締めると、

 

「あ、ありがとうございまず……! ありがとうございまずぅ……! わ、わ゛だじ、本当にどうしたらいいのか分からなぐてえ゛……!」

「だ、大丈夫です! 私達が協力すれば、きっとすぐに見つかりますから!」

 

 今度は感激の涙か。涙声の所為で何を言っているのか微妙に聞き取りにくい事になっているが、兎にも角にも彼女は今まさに救われた心地なのだろう。相も変わらず、感情表現が激しい少女である。

 何はともあれ、これで事態が収まってくれるのなら霖之助としてもありがたい。

 

「まずは詳しい話を聞かせてくれませんか? 一体、どういった経緯で宝塔を無くしてしまったか。今一度それを整理すれば、何か心当たりも見つかるかも知れません」

「うぅ……。そ、そうですね、確かに……」

 

 涙を拭いつつも頷いて同意する星。このまま妖夢に任せておけば、この騒動もようやく収まりそうである。

 霖之助はホッと一息つく。何だかドッと疲れてしまったような気がする。妖夢が来なかったら今頃どうなっていたのだろう。想像するだけで余計に疲れてくるので、これ以上は止めておこう。

 

(まったく……)

 

 命蓮寺の今後にそこはかとない不安感を覚え始めた霖之助だったが、それはともかくとして。先程までのやたら疑り深い星の態度から察するに、霖之助はこれ以上余計な事を口走らない方が良さそうだ。当然宝塔なんて持ってない事は嘘ではないし、何か疚しい事を考えている訳ではないのだけれども。これ以上、理不尽な疑いをかけられるのも実に不本意である。

 取り合えず今は、妖夢を信じて任せてみるしかないだろう。

 

 

 *

 

 

 香霖堂で寅丸星と無事に合流する事が出来た妖夢達だったが、取り合えず彼女から話を聞いて大体の事情は把握した。

 曰く、宝塔の紛失に気が付いたのは昨晩遅く。こっそり命蓮寺中を探し回ったが結局見つからず、泣きつくような形でナズーリンに助けを求めたらしい。命蓮寺にないのなら、外出をした際にどこかで落としたのではないか。そう睨んだナズーリンが寺の外の捜索を提案したそうなのだが、結果はこの有様である。

 

 二人とも宝塔の手掛かりすら見つける事が出来ず、星に到っては涙目で霖之助にやたらと疑いをかけ出す始末。どうしてこうなった。

 

「ねぇ、本当にどこかで落としたの? 宝塔を持ち歩いて外出をしたってこと?」

「え、えっと……。確かに、外出はしたと思いますけど……。でも、宝塔を持っていたかまではちょっと……」

「えー! 覚えてないの?」

 

 こいしの確認に対し、何とも頼りない口調でそう説明する星。この様子では、彼女の心辺りに関してはあまり期待できなさそうだ。

 妖夢は思案する。ナズーリンが人里を探し回っても駄目。かといって香霖堂に流れ着いている訳でもない。となると考えられるのは、里の外で落としてしまったという可能性だが――。

 

「星さん。宝塔って、外出する前まではちゃんと持ってたんですよね?」

「え、ええ! それは自信を持って肯定できます! 昨日の朝までは、確かに目の届く所に置いておいたのですから」

「それじゃあ、外出をした際にどこまで行ったか教えてくれますか? 例えば……魔法の森、とか」

「魔法の森……? いえ、人里までしか行ってませんよ。昨日は何軒か法事のご予約が入っていましたので」

「法事、ですか」

 

 当然ながら、法事の為に訪ねた家に関しては既にナズーリンが調査済みであろう。にも関わらず、宝塔の手掛かりは掴めていない。しかも星の記憶が正しければ、昨日は命蓮寺と人里以外の場所には行っていないらしい。

 だとすると、やはり宝塔は里か命蓮寺のどこかにある可能性が高い事になるが――。

 

「でもどこを探しても全然見つからなくて……。そんな中、ナズにこの店の事を聞いたのです! 以前はここの店主が、宝塔を商品として陳列させていたと……! それならもう、ここしかないと思いまして……!」

「それであれかい? まったく、いい迷惑だよ……」

 

 嘆息しつつも、霖之助がそう口にする。話を聞けば、確かに以前は商品として宝塔を取り扱った事もあったらしいが、今回ばかりは本当に無関係のようだ。仮に換金されてしまったのだとしても、少なくとも香霖堂に持ち込まれた訳ではない。

 

「星さん早とちりだねー」

「め、面目ないです……。早く宝塔を見つけ出さねばと思うと、つい焦りが大きくなってしまって……」

 

 星はますますしおらしくなる。先程のように慌てふためくよりも余程マシではあるが、それでも宝塔の行方が知れぬこの状況が改善された訳ではない。

 さて、どうしたものか。星と合流する事は出来たものの、これと言って手掛かりは掴めていない。里か命蓮寺のどこかにある可能性が高いとはいえ、それでもかなりの捜索範囲である。砂漠で針を捜すようなもの――とまでは言わないが、困難である事に変わりはないだろう。

 

「うぅ、どうしてこんな事に……。昨日の朝に起きた時は絶対にあったはずなんです……。それから朝食を経て、お部屋のお掃除をして、外出をして……。帰ってきたらなくなってたんです……! きっとどこかで落としまったんですよぅ……」

「宝塔って、結構な大きさだったはずだろう? どうして落とした事に気が付かないんだい」

「そ、それは……! わ、私にも、分かりません……」

「まったく……。名前でも書いておいた方が良いんじゃないかい?」

「そ、そんな恥ずかしい事出来る訳ないじゃないですか!」

 

 星と霖之助のそんなやり取りを横目に、妖夢は再び思案する。

 ナズーリン曰く、宝塔は掌に乗るくらいのサイズらしい。一口に掌と言っても人によって違うだろうが、星と霖之助の会話から察するにそれなりに大きい物のようだ。百歩譲って星のうっかりは仕方がないとしても、それほどの大きさなら誰かが拾っていてもおかしくはないと思うのだが――。

 

(昨日の朝にはちゃんとあって……。でも外出をして、帰ってきたらなくなっていて……。うん? ちょっと待って)

 

 と、その時。

 妖夢の脳裏に、何かが引っかかる事となる。

 

「あの、星さん。今……」

「はい?」

「……お掃除をした、と言いましたよね?」

「え? え、ええ。外出の前に身支度を整えようとした際、窓の縁に埃が積もっていた事に気づきまして……。時間にも少し余裕がありましたし、それでお掃除を……」

「……な、成る程」

 

 何だろう。なぜだか物凄く嫌な予感がする。

 先程聞いた話から、外出前に宝塔の存在を確認したとばかり思っていたのだが――。けれど詳しく話を聞いてみると、宝塔の確認と外出までの間に、彼女は朝食と部屋の掃除を経ていたらしい。

 朝食は良いとして、問題は掃除だ。身支度を整える際に部屋の汚れに気がついて、それ故に掃除に取り掛かる。その流れに関しては特におかしな点は見受けられない。けれどこの少女は、部下であるナズーリンさえもうっかりが過ぎるポンコツだと称する程の人物。掃除の際、どこかに宝塔を避難させて、そして()()()()その行為を忘れてしまったのだとすれば――。

 

「星さん。今すぐ命蓮寺に行きましょう。宝塔はそこにある可能性が高いです」

「え、ええ!? ど、どうしてそう言い切れるのですか……?」

「灯台下暗しというヤツですよ。星さんは、外出中に宝塔を紛失したのだという固定観念に囚われ過ぎです。そもそも外出をする前に宝塔の行方を見失っていたのだとすれば……」

「え? あ、あの……。どういう意味でしょう?」

 

 星はいまいちピンと来ていないようだが、兎にも角にも行ってみれば分かる事である。得意のダウジングが使えないとは言え、普段から宝探しをしているナズーリンが里を探し回っても見つからなかったのだ。もう一度命蓮寺で探してみる価値はあるだろう。

 

 妖夢の予想が正しければ、星が外出前に掃除をしたらしい部屋のどこかに置き忘れている可能性が高い。掃除の事ばかりに気を取られて、無意識の内に宝塔を避難させてしまったのだとすれば、一応は納得できなくもない。一度命蓮寺中を探し回ったとは言っていたものの、彼女のうっかり具合から察するにそれでも見落としている可能性は高い。

 ――そもそももっと良く部屋を確認していればすぐに解決できたんじゃないのかとか、それ以前になぜそんな大事な事を忘れてしまっているのかとか。色々とつっこみ所はあるのだけれども。

 

 そんな妖夢達のやり取りを見ていた霖之助が、得心した様子の表情を浮かべていた。

 

「ふぅむ、成る程。確かに星君なら有り得るかも知れないね」

「えっ……な、何ですか!? 分かってないの私だけですか!?」

「命蓮寺に行くの? 命蓮寺ってお寺だよね? やった! 楽しみー!」

 

 再び混乱し始めた星とやたら呑気な様子のこいしの所為で中々にカオスな事になってきたような気もするが、ともあれ方針は決まった。

 里の捜索はお燐とナズーリンに任せ、自分達は命蓮寺だ。一体どういったお寺なのかそこまで詳しくはないけれど、里の評判から鑑みるに少なくとも妙な施設ではなさそうだ。修行僧は妖怪ばかりだという話も耳にした事があるのだが、果たして。

 

「では、早速命蓮寺に行ってみましょう。お騒がせしました、霖之助さん」

「いや、君は別に気にしなくてもいいよ。騒いでいたのは殆ど星君だけだったしね」

「うっ……。ご、ごめんなさい……」

「よーし! 命蓮寺に向けてレッツゴー!」

 

 そんな会釈を霖之助と交わした後に。香霖堂を後にして、妖夢達は命蓮寺に向かうのだった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。