桜花妖々録   作:秋風とも

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第41話「襲撃」

 

 けたたましい騒音を轟かせつつも、そのワゴン車は街中を突き進んでいた。

 宵の内。周囲に夜の帳が落ち、月が顔を見せ始めてから少し経つ時間帯だが、京都内のどこを見ても通行人の姿は見受けられない。

 光の灯っていない街頭。静まり返った建物の群れ。人の気配すらも感じられない京都の街並みを見ていると、ここが日本の首都であるという事実を忘れそうになってくる。車のヘッドライトが照らすのは無機質なアスファルトとコンクリートの壁ばかりであり、自分達だけ別の世界に隔離されてしまったかのような心地になる。

 

 もっとも、“人間の形をした化物”なら、さっきから何度も見かけているのだが。

 

「ふんっ!」

 

 滾るような夢美の声。力強くブレーキが踏まれると、走行していた車の勢いが急激に殺される。同時にハンドルを切る事によって車体が大きくカーブし、甲高いブレーキ音と共に急な角を強引に曲がる。

 

「ここでっ!」

 

 続いて勢いよくアクセルを踏む。今度は急激に走行速度が上昇し、一気に時速100キロ近くまで到達した。

 一般道を走行しているとは思えない程の荒々しさだが、しかし今はそんな事を気にしている場合ではない。幸いにも連中の移動速度は驚異的なものでもないが、急に建物の上から飛び掛かってくるなどいった予測不能な行動も目立つ。故に一瞬の油断も許されない状況なのであり、そうなると自然と運転も荒々しくなってしまうのである。

 

「ゆ、ゆゆゆゆ夢美!? ななな何だかさっきよりも強引な運転が目立ってるような気がするんだけどぉ!?」

「黙ってなさい! 舌を噛むわよ!」

 

 慌てた様子のお燐を制しつつも、夢美は運転に集中する。

 今の京都には、普通の人間など自分達を除いてどこにもいない。いるのはキョンシーと呼ばれる人の形をした化物ばかりであり、その全てが自分達に襲いかかってくるときた。

 相手は死体である。その上数が多い。真正面から立ち向かうなど文字通り自殺行為である。

 

 今は安全な場所まで向かわなければならない。ベストなのは街中を見渡せるような高台だ。

 

「お、おい姉さん! お燐の言う通りだ! 少し乱暴すぎるんじゃないのか……!?」

「今はそんな事を言ってる場合じゃないのよ! 早く安全な所まで辿り着かないと……!」

 

 構わず夢美はアクセルを踏む。立ちはだかるキョンシーを上手く回避し、時には強引にでも突破して。目指すはさっきお燐を拾った公園である。あそこなら周囲も開けているし、物陰から突然キョンシーに襲われる事も少ない。その上ある程度街中を見渡せるような高台でもある。

 実にベストな場所である。あそこまで辿り着く事ができれば――。

 

「もう少し、もう少しよ……!」

 

 夢美は更にアクセルを踏む。100キロを超える猛スピードで京都の街中を暴走し、次々とキョンシーの群れを突破してゆく。

 

 それから、実に30分にも及ぶキョンシーとの鬼ごっこを経た後。夢美達は遂に目的地まで辿り着く事に成功したのだった。

 

「やった! やったわ! 取り合えず到着よ!」

 

 周囲にキョンシーの姿はなし。相も変わらず人の気配はまるで感じられないが、ここまで開けていれば急にキョンシーに襲われるような事もないだろう。

 自分達はキョンシーとの鬼ごっこに制したのだ。それを認識した夢美は嬉々としてガッツポーズを取るが、そんな彼女の浮かれた心境に反して他のメンバーが浮かべる表情は実にどんよりとしたものだった。

 

「きょ、教授……。ヤバイ、吐きそう……」

「……え?」

「え、ええ……。お腹の中を思い切り振り回された気分だわ……」

「ちょ、ちょっと?」

「わ、私……。トラウマに、なりそうです……」

「み、みんなどうしちゃったの!?」

「この様子を見ても尚ピンと来てないとはある意味流石だな姉さん……」

 

 両手で口元を覆う蓮子。蹲りながらもお腹を摩るメリー。血の気の引いた表情でブルブルと震える妖夢。そして半分失神しているお燐の姿を認識して、夢美はようやく状況を飲み込む事ができた。

 

「あ、あれ……? ひょっとして、ちょっとやり過ぎた……?」

「……ちょっとどころの騒ぎじゃないがな」

 

 岡崎夢美。一つの事に集中すると周りが見えなくなる質の彼女だが、今回はそれが明白に悪影響を及ぼしてしまったのだった。

 

 

 ***

 

 

「もう嫌だ……。あたい、車嫌い……」

 

 夢美の車が目的の公園に到着してから数分。ようやく落ち着きを取り戻してきたお燐だが、最早完全に車に対する恐怖心を植え付けられてしまっていた。

 

 訳が分からない。何なんだ、今のは。まさか外の世界に、こんな危険な乗り物があったなんて。前時代的な乗り物――という事は、かつてはあれが街中の道という道を走っていたというのだろうか。考えただけで恐ろしい。

 

 先に断っておくが、別にお燐は普段からここまでビビりだという訳ではない。幻想郷では自分の力で空を飛び回る事だってあるし、今の位のスピードだって出そうと思えば出せる。というか、場合によっては高速で移動せざるを得ない状況にだって何度も遭遇してきたのだ。速さに対する苦手意識を元々持っていた訳ではない。

 

 だけれども。

 自分の力で移動するのと、他人に委ねて移動するのじゃ、勝手が違うという訳で。

 

「まったくもう……。お燐もお燐で、乗り物が苦手ならそう言ってくれればいいのに」

「話を聞いてくれなかったのは夢美の方だよね!?」

 

 このお姉さん、まるで反省していない。

 車を運転する夢美は、まるでいつもとは別人のような様子だった。いや、テンションの高さだけ見ればいつも通りなのだけれども、何というか。いつも以上に人の話を聞いてくれないというか。

 

「姉さんはあれだな。ハンドルを握ると周りが見えなくなるタイプ」

「うーん、噂には聞いた事があったけど……。まさか教授がそのタイプだったとは」

「い、いいでしょ今はそんな事! ちゃんと逃げ切れたんだから!」

 

 まぁ、確かに。あの量のキョンシーが相手なら、あれくらい強引な運転でなければ切り抜けられなかったのかも知れないけれど。それにしても、やっぱりちょっとやりすぎである。

 

「……まぁいい。それで? 説明してくれるんだろ、姉さん。一体何がどうなってるんだ?」

「え? あ、うん。そうね」

 

 取り合えず夢美の暴走の件についてはここまでにしておく事にする。

 今この場で成すべき事は、自分達が立たされている状況の整理だ。いつまたキョンシーに囲まれるかも分からない為、迅速に済ませる必要がある。

 とは言っても、進一達に関しては本当に訳が分からないといった心境なのだろう。さて、どこからどう説明すべきか。

 

「まず第一に、あなた達も薄々勘づいていると思うけど、今の京都に人間は誰一人といないわ。私達を除いてね」

 

 一歩前に出た夢美が、進一達への説明を開始する。

 

「他の人間はどうしたんだ? まさか皆キョンシーにされちまったのか?」

「いえ、それはないわ。恐らく人払いの結界だと思う。大勢の人々か一斉に京都から離れていく姿を見たのよ。キョンシーが現れ始めたのは、京都から人がいなくなった後だから……」

「そうか……。うん? ちょっと待てよ。じゃあどうして姉さんとお燐はその人払いの結界とやらの効力を受けてないんだ? 何か細工でもしたのか?」

「うーん……。それがちょっと分からないのよねぇ。どうやら私とお燐には、結界の効力が効かなかったみたいなのよ。原因は見当もつかないけど……」

「なに……?」

 

 そう。まず不明瞭な部分はそれだ。

 火車であるお燐はともかく、普通の人間であるはずの夢美にまで結界の効力が働かなかった原因はなんだ? 彼女は何の対策もしていなかったとの事だが――。

 

「あの、本当に何もしなかったんですか? 夢美さんは、沢山のオカルトグッズを持ってるじゃないですか。それらが加護のような効力を発揮したとか……」

「その可能性も考えたんだけどね。でもちょっと無理があると思うのよ」

 

 妖夢の確認に対し、夢美は首を横に振ってそれを否定する。それから、腕を組んで難しそうな表情を浮かべると、

 

「京都全土を覆いつくし、しかも住民全員にまで効力が及ぶ程の大きな結界なのよ。高々こっちの世界で手に入れられるオカルトグッズの効力程度じゃ、到底防ぎ切れないわ」

「そ、それじゃあ、どうして……」

 

 そこがどうしても分からない。

 そもそも敵の狙いは何だ? なぜキョンシーにお燐達を襲わせる? それで一体、何のメリットがあるというのだろうか。

 

「まぁとにかく、今の京都はかなり危険な状態って事よ。人がいないから交通機関も機能していないし、脱出するのも難しい。しかもこの静けさから考えて、京都の異常事態に気付いている人間も他にいないのかも知れないわ」

「認識の阻害、ですかね。それも結界の効力なのかな……」

 

 考えれば考える程、犯人の用意周到さが伺える。

 

「まったく……。まさかこんな事態に巻き込まれるとはな……」

「犯人は一体誰なんでしょう? ここまで大規模な事ができるという事は、きっとただの人間などでは……」

「あぁ……。犯人の目星ならついてるわよ」

「えっ?」

 

 妖夢が少し間の抜けた声を上げる。夢美が何気なく発した言葉。それが予想外だったのだろうか。

 目をぱちくりさせた後、彼女は再び確認する。

 

「あ、あの……。目星って……」

「まぁ、色々あってね。何とかこの騒動の犯人を推測する事が出来たのよ。それで、そいつの所に向かおうと思ってたんだけど……」

 

 夢美は短く嘆息して、

 

「でもやっぱりそう簡単にはいかないみたい。どうやら論理的な結界で守られてるみたいで、近づこうとしても近づけなくて……」

「ちょ、ちょっと待ってくれ姉さん」

 

 流石に困惑した様子で、進一が口を挟んでくる。

 

「勿体ぶらずに教えてくれよ。犯人は誰なんだ?」

 

 京都全土を結界で覆い、人を払い、そして大量のキョンシーを街に放つ。

 それだけではない。妖夢を過去から連れてきて、この世界に放り出しもした。四ヶ月前のあの日から始まった騒動。その全ての真犯人は――。

 

「『先生』、と言えば分かるかしら?」

「先生……? って、あの『先生』か……!?」

「ええ。本名は霍青娥。邪仙、らしいわ」

 

 息を呑んだ様子の進一。目を見開いた様子のメリー。流石に困惑が隠しきれない様子の蓮子。そんな中、妖夢は必死になって記憶を探る様子を見せた後、慌てた様子で一歩前に出て。

 

「あ、あの……先生って、以前に倒れたメリーさんが搬送された病院の……?」

「そう。クリスマスイブにあなたの怪我を診て貰った、あの病院の『先生』よ」

 

 一同から共通して見て取れるのは、信じられないとでも言いたげな感情だった。

 然程多くの接点を持っている訳ではなかったが、それでも全く知らぬ人物という訳ではなかったのだろう。少なくとも妖夢に関しては一度世話になっている人物であるが故に、まさか彼女がこの騒動を引き起こした犯人なのだと考えもしなかったに違いない。

 

 というか、そもそもあちらから自ら接触してくる事すら皆無に等しかったのだ。盲点となっても仕方がないと言える。

 

「とにかく、犯人はあの『先生』。だから私達は病院に向かおうと思ったんだけど……」

「でも、近づけなかった。幾ら近づこうとしても、逆に遠くなっていくみたいな感じで……」

 

 あぁ、そうだ。あの時は、本当に大変だった。

 

「……夢美の運転が目に見えて荒くなったのは、ちょうどあの頃なんだよね……。無理矢理にでも結界を突破するとか何とか言って、それで……」

「し、しょうがないでしょっ。あの時は、他に手段なんて思いつかなかったんだからっ」

 

 思い出しただけでも身震いしてしまう。あれは、本当に怖かった。それこそ、生きた心地がしなくなるくらいに――。

 

「……どんな運転したんだよ」

「も、もういいでしょ! 蒸し返さないでっ!」

 

 とにもかくにも、お燐達はあの『先生』――霍青娥の所へ辿り着く事ができなかった。

 それからだ。明確な“異変”が広がり始めたのは。

 

「それから……。街の住民達が次々といなくなってる事に気づいたんだよね。みんな何かに取り憑かれているみたいに、京都の外へと移動し始めているみたいで……」

「そ、そうね……。明確な異常性に気付いた私達は、取り合えず病院に近づく事は諦めて、それで……」

 

 それが所謂人払いの結界の効力によるものだと推測したのは夢美だ。流石はオカルトに精通しているだけあって、常識に囚われない発想力を持っている。

 そんな街の住民達を目の当たりにして、嫌な予感がした。何かとんでもない事が行われ始めているのではないのかと、そんな推測が頭に過って。

 

「キョンシーが現れたのはその後よ。奴らは迷いなく私達に襲いかかってきたわ」

 

 街の住民が完全にいなくなり、ゴーストタウンと化した京都。そこに突如として現れたのが、あのキョンシーだった。

 キョンシーに迷いはなかった。まるで初めからそうするよう指示されていたかのように、お燐達に襲いかかってきたのである。このワゴン車のお陰で逃げる事はそれほど苦ではなかったが、だからと言って状況が好転する訳でもない。訳が分からぬままキョンシー達に追い回され、満足に状況を判断する事もかなわず。

 

「逃げ回っている内に、ふと思ったのよ。もしも進一達が、私達と同じように結界の効力を受けてなくて、かつこんな状態の京都に帰ってきてしまったら、ってね……。不安に思って西京都駅に向かってみたら、案の定よ」

「成る程……。そういう事だったのか」

 

 これがここまでのお燐達の経緯だ。情報を短く纏めてしまうと、霍青娥という犯人の居場所を掴む事はできたものの未だに到達する事は叶わず、その真の目的も一切不明。

 要するに、事態は殆ど好転していないと言う事だ。そんな中でもこうして秘封倶楽部と合流する事が出来たのは、不幸中の幸いと言える。

 

「夢美さんの話は分かったけど、でも……」

「ええ。どちらにせよ、状況は最悪だと言えるでしょう。あの数のキョンシー全員が私達の敵となるうと、流石に……」

 

 難しそうな表情を浮かべるメリーと妖夢。

 彼女らの懸念はもっともだ。こちらはたった六人であるのに対し、相手は数十体以上。しかも生半可な人間の力では太刀打ちできないときた。非戦闘員が多い――というかほぼ全員であるこのメンバーでは、奴らに押し切られてしまうのも時間の問題だ。

 

「せめて、もう少しでも味方がいれば……」

 

 そこで、何かを思い出したかのように進一は顔を上げる。

 

「そういえば、ちゆりさんはどうしたんだ? 一緒じゃないのか?」

「……ッ」

 

 息を詰まらせる夢美。聞かれたくない事を聞かれてしまったと、まさにそう言いたげな面持ちだ。一瞬の間だけ言葉を見失う夢美だったが、けれどもすぐに口を開いて。

 

「ちゆりは……」

「……ちゆりさんは?」

「……どこにも、いなかったわ。多分、人払いの結界の効力に捕まったのよ」

 

 ――まただ。また彼女は、何かを隠している。

 北白河ちゆりはどこに行ったのか。当然ながらお燐も真っ先にそれが気になって、つい先程も進一と同じような質問を夢美に投げかけたのだけれども。結果は今と同じだった。

 ちゆりとは合流できていない。おそらく結界の効力を受けてしまったのだろう、と。そんな答えが返ってきたのだけれど、流石のお燐だってはいそうですかとすぐに納得してしまうほど馬鹿じゃない。夢美の心境くらい、ちょっと目を見て話せば簡単に分かってしまう。

 

 彼女は隠し事をしている。ちゆり関係で何かがあったのにも関わらず、それを口外しないようにしているのだ。

 

「……そうか」

 

 腑に落ちない表情を浮かべながらも、しかしそれ以上の追求はしない進一。お燐だってすぐに察知できたのだ。実の弟である進一にとって、夢美の気持ちを察する事など朝飯前なのだろう。それでも深く聞き出そうとしないという事は――。

 

(やっぱり、聞かない方がいいのかな……)

 

 二人の間に何か問題があるのは確実だ。けれども、今はそれを蒸し返すべきではない。進一がそう判断したのなら、それに従うのが最善の選択なのだろう。

 ――いや。そもそも蒸し返そうとした所で、おそらく夢美は絶対に口にしない。彼女は何も話さない。どんなに明白だろうとも、彼女は意地でも隠し通そうとする。

 

 そういう女性なのだ。この人は。

 

「とにかく、今考えるべき事は犯人の狙いよ。どうして私達だけ結界の効力に捕まっていないのか。それが分かれば、何かが掴めるような気がするんだけど……」

「……そうだな」

 

 とにもかくにも、今はこの状況を打破する事が最優先だ。犯人――霍青娥に辿り着く事ができれば、或いは――。

 

(こいし様も……きっとそこにいる……)

 

 事は一刻を争う。一分一秒でも早く、お燐は霍青娥のもとへと辿り着かなければならない。お燐の到着が遅れて、もしもこいしの身に何かあったら――。

 そうだ。もう二週間近くも足取りを追い続けて、やっとこさ手掛かりを掴めたんじゃないか。進一達との情報共有も大切だが、それ以上に。

 

「あ、あのさ。取り合えずそろそろ動かない? どっちみち、青娥の所に辿り着かないと話は……」

 

 お燐がそこまで言いかけた所で。

 状況が、動いた。

 

「ね、ねぇ! あ、あれ、なに……?」

 

 怯えた様子で、メリーがどこかを指差す。彼女が示す先――公園の出入り口へと目をやると、そこにいたのはおどろおどろしくも蠢く奇妙な影だった。

 この距離からでははっきりと確認する事は出来ないが、十中八九またキョンシーだろう。早くもこの場所を嗅ぎつけてきたという事か。

 

「くそっ……。思ったより鼻が利くみたいだな」

「仕方ない……。一旦離れるわよ!」

 

 視界が開けているこの場所では、奴らお得意の奇襲もかけられまい。となれば、囲まれてしまう前にさっさと逃げてしまうのが吉というものだろう。流石にあの数を真正面から相手にするのはお燐だって御免だ。彼女が好きなのは動かなくなった死体であって、動く死体であるキョンシーは守備範囲外である。

 けれども、だからと言っていつまでも逃げ続ける訳にもいかない。早いところ打開策を考えなければならないのだが――。

 

「それにしても数が多すぎるだろ……。一体、どこからあそこまでの死体を……」

「ほら、前に墓荒らしの騒動があったでしょ? 多分、あの時に京都やその周辺にある土葬用の墓所から死体を回収してたのよ」

「あぁ……。そんな事もあったな」

 

 そう。つまりはあの騒動の犯人も青娥だったという事になる。

 あの時は大変だった。何せもう少しでお燐に濡れ衣を着せられる所だったのだから。本当に、いい迷惑である。

 

「で、でも、それにしてもちょっと多すぎるような……。土葬用の墓所だって、そう数がある訳じゃないだろうし……」

「うーん、まぁ、その事なんだけどね……」

 

 キョンシーの襲撃から逃れる為、再びワゴン車へと向かう一行。それと並行して、疑問を呈したメリーに対し夢美が説明する。

 

「被害に遭ったのは墓所だけじゃなかったのよ。民間には発表されてないみたいなんだけど、どうやら死体安置所に保管されていた身元不明の遺体の何体かが、ある日突然姿を消していたらしくてね」

「えっ……!?」

 

 そう。幾ら土葬用の墓所から死体を搔き集めたとは言え、あれは流石に数が多すぎる。霍青娥が秘密裏に襲撃していたのは、墓所だけではなかったのである。

 死体安置所。検死や埋葬などを待つ死体を、一時的に保管しておく施設。そこに保管されていた死体の何体かが、何者かの手により持ち逃げされたのだという。

 

「そ、そんな事が……」

「警察の方も解決の糸口すら掴めてないみたいね。混乱を避けるためだか何だか知らないけど、情報規制もかけられてるみたいだし……。お陰で調べるのに手古摺っちゃったわ」

 

 死体泥棒の騒動があったのは、今から約四ヶ月前。警察の目を盗んで人間の死体を強奪し、そしてキョンシーを量産する。成る程、あの邪仙ならそれくらい朝飯前なのだろう。

 

「……おい、ちょっと待て姉さん。民間には発表されてないって言ったな? なら、どうやってその情報を掴んだんだ?」

「……えっ?」

 

 そんな中。進一の鋭い指摘が夢美へと突き刺さる。思わず間の抜けた声を上げてしまった彼女は、あからさまに進一から目を逸らしながらも、

 

「さ、さぁ? どうしてでしょうね……?」

「姉さん……。まさかとは思うが……」

 

 けれどそんな事をしたくらいで、進一を誤魔化せる訳がない。

 彼はどちらかといえば頭の切れる青年だ。夢美の露骨な態度を認識して、何となく彼女の行為を察してしまったのだろう。

 

「クラッキング、とかしてないよな……?」

「ッ!?」

 

 ついでに言えば、夢美は隠し事があまり得意ではない女性である。

 

「……マジなのか?」

「……っ」

「おい」

「……っ!」

「……成る程。遂に犯罪に手を染めちまったって訳か」

「しっ……仕方ないでしょっ!? ここまで来たら手段なんて選んでらんないのよ!!」

 

 開き直った。完全にやけくそである。

 進一が深々と溜息をついている。警察のお世話になる事だけは極力避けていたあの夢美が、ついにやってしまったのである。八方塞がりとなった状況を打開する為の苦肉の策だったとはいえ、弟としてはあまりいい気分ではないのだろう。

 あのお兄さんも大変なんだなぁと、お燐はちょっぴり同情した。

 

「ったく、姉さんってヤツは……」

「ちょ、ちょっと教授! 進一君! お喋りしている場合じゃないみたいよ!!」

「……えっ?」

 

 声を張り上げる蓮子。首を傾げる進一。

 直後。()()()から、何かが勢いよく飛び込んできた。

 響く鈍い轟音。巻き上がる砂埃。ゆらりと立ち上がる人影。お燐達の目の前に突如として現れたのは、当然ながら新たなキョンシーだった。

 固まった関節。腐って変色した肌。焦点もまるで合っていない瞳を、ギロリとこちらに向けてきて。

 

「なっ……」

「ちょ、ちょっと……!」

 

 空から降ってきた事にも驚きだが、問題なのはそのキョンシーの着地点だ。夢美が運転していた真っ赤なワゴン車。その上に悠々と着地したのである。

 特殊コーティングが施されているだけあって車体に大きな外傷はつけられていないようだが、あんな所に立たれたらこちらとしても都合が悪い。これでは迂闊に車へと近づく事もできないじゃないか。

 

「このっ……!」

 

 すぐさま動いたのは妖夢だった。竹刀袋から楼観剣と白楼剣を抜き放ち、一気にキョンシーへと肉薄してそれらを素早く振り下ろす。

 目にも止まらぬ程の超早業。先程までのキョンシーが相手なら、これで十分に対処できていたらしいのだが――。

 

「ッ!?」

 

 再び響くのは鈍い音。けれど妖夢が振り下ろした楼観剣は、そのキョンシーの皮膚と肉を斬り裂く事はできなかった。

 伸ばされた両腕。死後硬直により間接部分が完全に固まってしまっているように見えるそれらを上手く使い、キョンシーは振り下ろした妖夢の楼観剣を受け止めたのである。しかし楼観剣は斬れぬものなど殆ど無いとまで言われている持つ妖刀だ。幾らキョンシーとは言え、素手でそれを受け止める事など不可能なはず。

 だとすれば――。

 

「くっ……!」

 

 その理由を考えるよりも先に妖夢は楼観剣ごと投げ飛ばされ、成す術もなく宙を舞った。

 妖夢の身を案じた進一達が、揃って彼女の名前を叫ぶ。当の妖夢は空中で無理矢理体勢を立て直し、何とか上手く受け身を取ろうとするが。

 

「何ッ……!?」

 

 キョンシーがそれを許さない。

 ワゴン車の上から勢いよく飛びあがったキョンシーが、間髪入れずに妖夢へと追撃を加えたのである。しかも今度はその鋭い爪で切り裂いてくるような物理的な攻撃ではない。飛び上がったキョンシーが身体を大きく逸らせると、青白い光がその周囲に漂い始める。四散したその光は次々と収束すると、やがて鋭利な刃物のような形へと変貌を遂げたのだ。

 一つ、また一つと光の刃物が形成されてゆく。みるみる内に青い光が膨れ上がってゆき、瞬く間にキョンシーを包み込む程の数へと増大した。

 

 幕のように展開されたその大量の光を、あえて呼称するとすれば。

 

「弾幕ッ!?」

 

 それは紛れもなく、霊力によって形作られた弾幕そのものだった。

 キョンシーが展開したその青い弾幕が、妖夢へと襲い掛かる。霊力の刃物一つ一つの大きさは大した事ないが、如何せん密度が濃すぎる。細かな間をすり抜けてやり過ごすのはリスクが高い。

 それならば。大きくその場から離れて、霊力の塊ごと回避するしかない。体勢を立て直す事を諦めた妖夢は敢えて地面へと叩きつけられ、その勢いで地を転がる。些か不格好だが、それ以外の選択肢なんて妖夢には残されていなった。

 

 結果として、彼女の判断は功を奏する事となる。妖夢が離れた直後に弾幕が地面へと着弾し、激しい爆発音が轟いたのである。余波により飛び散ったアスファルトの破片が妖夢の頬を掠るが、幸いにも弾幕の直撃を免れる事だけは成功したようだ。

 

 お燐はホッと胸を撫で下ろす。今回ばかりは、本気で背筋に悪寒が走った。あまりにも不測の事態過ぎて、頭の処理が追い付かなくなる所だったが――。

 

「と、飛んでる……?」

 

 蓮子の呟き。彼女につられて見上げると、成る程、確かにあのキョンシーは完全に浮遊しているようだ。しかし攻撃の失敗を未だに認識できていないようで、キョンシーは不思議そうに首を傾げている。あまり頭はよくないのだろうか。

 

「な、何なのよ、今のは……!?」

 

 次に声を発したのはメリーだ。

 楼観剣の斬撃を受け止めたキョンシー。さも当然の事であるかのように披露してきた飛行能力。そして展開された青い刃の弾幕。そんなものを一度に見せつけられて、混乱するなと言う方が無理な話だ。

 

 だけれども。火焔猫燐は、知っている。

 

「ま、まさか……」

 

 実際に戦っている所を見た事はない。けれども一度だけ()()と話した事はある。

 藤色の髪。血色の悪い肌。紺色のハンチング帽。赤を基調とした上着。そして黒いスカート。楼観剣の攻撃を受け止め、弾幕を展開する事が出来るほどの霊力を持つ、そのキョンシーは。

 

「芳香……!?」

「えっ……?」

 

 お燐の呟きに反応した夢美が、すぐさま声をかけてきた。

 

「知り合いなの……?」

「え? い、いや、まぁ……。知り合い、って程じゃないんだけど……」

 

 宮古(みやこ)芳香(よしか)。霍青娥が最も長く愛用するキョンシーである。楼観剣を受け止めた事も、あそこまで高密度の弾幕を展開する事ができたのも。あのキョンシーが芳香であると考えれば、全て納得できる。

 芳香はただのキョンシーではない。既に屍尢の域へと到達している彼女の能力は、量産されている他のキョンシー達とは文字通り次元が違う。弱体化した今の妖夢では太刀打ちできるかどうか。

 

 しかし、それにしても。

 

(でも、確かあの死体のお姉さんって……)

 

 あの時――。

 

「セ、セイ……セイ、ガ……」

 

 呻くように、芳香は何かを呟く。主の名を口にしているようにも聞こえるが、何の意味も持たない音をただ並べているだけのようにも聞こえる。

 彼女の自我は残されていない。何も考える事ができず、何も感じる事ができず。ただ、主の命令を機械的に実行する事しかできない。幾ら強力なキョンシーと言えど、意思の疎通は不可能だ。

 

「く、そう……!」

 

 頬の血を拭って妖夢は立ち上がる。そして二本の構え直し、再び芳香へと飛び掛かった。

 彼女はまだ諦めていない。戦闘能力を持たない進一達を守り抜く為に、必死になって剣を振るおうとしている。

 だけれども。

 

「だ、駄目だよ妖夢! 今の妖夢じゃそいつには……!」

 

 敵わない。けれどお燐の静止など、まるで届いていない様子で。

 

「現世、斬……!!」

 

 飛べない妖夢の決死の跳躍。彼女渾身の『現世斬』が芳香へと襲い掛かるが、やはり妖夢の攻撃は届かなかった。

 先程と同じ要領で受け止められ、今度は剣ごと勢いよく引っ張られて。

 

「うっ……!?」

 

 頭突き。硬直した芳香の額が妖夢のこめかみへと直撃し、鈍い音と共に彼女の身体がいとも簡単に弾き飛ばされる。体重の軽い妖夢の身体は、先程以上に大きく宙を舞って、それから。

 

「――――ッ!!」

 

 時に、この公園は高台に位置している。キョンシーによる奇襲の危険性を回避する為に周囲が開けた見晴らしの良い場所を夢美が選んだのだが、今回ばかりはそれが裏目に出てしまった。

 身を投げ出された妖夢は背の高い柵を大きく飛び越え、そのままコンクリートで舗装された崖の下へと――。

 

「……っ!」

「う、嘘っ……!?」

「妖夢ッ!?」

 

 思わず息を呑むメリー。驚倒する蓮子。そして声を張り上げる進一。かつてない程に狼狽した様子の彼が慌てて駆け出そうとするが、今更向かった所でどうこうできる訳じゃないだろう。

 お燐は進一の腕を掴み、そして彼を制する。

 

「ちょ、ちょっとお兄さん! 駄目だよ!」

「何が駄目なんだ!? 妖夢が……!!」

「分かってる……! 分かってるけど……、でもキョンシーが……!」

 

 そう。キョンシーは芳香だけじゃない。いつの間にかわらわらと集まってきたいてた他のキョンシー達が、再びお燐達を完全に包囲していたのである。

 気味の悪い呻き声を上げ、ぎこちない足取りで周囲を取り囲んで。けれども数に物を言わせた奴らの人海戦術は、確実にこちらを追い込んでいて。

 

「これは、まずいわね……」

「ど、どうしましょう、教授?」

「どうする、って言っても……」

 

 流石の夢美もこれでは八方塞がりだろう。先程と同じキョンシーの群れならワゴン車を使って強引に突破する事もできたのだろうけれど、生憎あちらには芳香がいる。彼女が相手ではその戦術は恐らく通用しない。あっという間に追いつかれて、弾幕でワゴン車が破壊されてしまうのがオチだ。

 しかし、だからと言って夢美達に他の攻撃手段があるのかと問われると、それはそれでぐうの音も出なくなってしまう。彼女達はあくまで民間人だ。妖怪相手に自衛できる程の攻撃手段なんて、そもそも持っている方がおかしいのだ。

 

 やはりどうしようもない。このままではキョンシー達に嬲り殺しにされて終わりだ。

 

「くそっ……! 何なんだよ……!?」

「お、お兄さん、落ち着いて……!」

「落ち着いていられるかよ! 妖夢が落ちたんだぞ!? それなのに……!」

「そ、それは……!」

 

 らしくない。ここまで冷静さを失っている進一の姿なんて初めて見た。

 それほどまでに、彼にとって魂魄妖夢という少女は特別な存在なのだろう。目の前で消息が不明になって、それでも自分は助けに行く事すらもできなくて。ストレスやフラストレーションが極限まで高まり、冷静さを事欠く。

 

 彼の気持ちは分かる。だって、お燐だってそうなのだから。本当は今すぐにだってこいしを助け出しに行きたい。けれどそれが出来なくて、不安感が膨れ上がってきて。ちょっとでも気を緩めれば、自制が効かなくなりそうになってくる。

 

(あぁ、もう……!)

 

 どうする? どっちみち、このままでは全滅だ。キョンシー達を蹴散らし、宮古芳香を振り払い。そして妖夢と合流して、この騒動の犯人のもとへと向かう。それらを達成する為に残された最後の手段は。

 

(このままじゃ……)

 

 お燐の正体だとか、自分がどういった立場に立っているのかだとか。今更それらを夢美達に隠す必要なんてないじゃないか。というかそもそも、夢美には既に正体がバレてしまっているに違いない。それでも彼女が今この瞬間まで人間を演じ続けていたのは、夢美達に対する遠慮が大きな原因なのだろう。

 ずっと嘘をつき続け、ずっと騙し続けてきたから。だから今更正体を明かせないだなんて、そんな躊躇いが心の奥につっかえていたのだけれど。

 

 でも。今はその躊躇いの所為で、妖夢は芳香にやられてしまった。お燐も一緒に戦えば、多少なりとも勝機はあったのかも知れないのに。

 そしてその躊躇いの所為で、更なる危機が進一達に迫っている。お燐の勝手な躊躇いの所為で、今度こそ誰かの命が失われてしまうかも知れない。

 

 にも関わらず、自分は未だに嘘をつき続けるのか? 自分は未だに、躊躇い続けるのだと言うのだろか。

 ――いや。違う。

 

「……お兄さん、下がって」

「お燐……?」

 

 無理矢理進一を下がらせて、お燐は前に出る。今の今まで陰に隠れて迷い続けていた彼女が、今度はそれを断ち切って自分の意思をしっかりと定める。

 真っ直ぐな光を、その瞳に灯して。お燐はキョンシー達の前に立ち塞がった。

 

「お、お燐ちゃん? 何をするつもり……!?」

 

 背後から困惑の声が流れ込んでくるが、それでもお燐は揺らがない。ちらりと後ろを振り返って、蓮子達へと視線を向けて。ふっと、表情を綻ばせると、

 

「みんな……。ずっと騙してて、ごめん」

「えっ……?」

 

 お燐は力を解放させる。“人間への変身”に割いていた大半の妖力を、今度は全身へと一気に巡らせる。当然ながら完全な人間の姿を維持できなくなり、お燐の姿は変貌を遂げた。

 人間のような面影。けれども人間なんかじゃない。頭の上の大きな耳と、そして二股に分かれた黒い尻尾。火車としての特徴を大きく残したその姿こそ、火焔猫燐の基本形態。

 

 膨れ上がる妖力。湧き上がる妖怪としての本能。やっぱりこの姿が一番しっくりくる。

 そんなお燐の姿を確認した蓮子達は、少なからず驚愕の表情を浮かべていて。

 

「お燐ちゃん……。その、格好……」

「……うん」

 

 お燐は頷き、そして答える。

 

「あたいは人間じゃない。妖怪、なんだ」

 

 当然ながら、それだけで納得して貰えるとは思っていない。やっぱり、怒られるだろうか。それとも軽蔑されるだろうか。

 けれども、それは今考えるべき事じゃない。あれこれと気にするのは後回しだ。

 

 今はこのキョンシーの群れを突破する。それが最優先だ。

 

「さあ来なよ! 言っとくけど、あたいは火車だからね! 死体の扱いに関しては誰にも負けないよ!」

 

 お燐はキョンシーを挑発する。言語が伝わっているかどうかは微妙な所だが、どうやらお燐の思惑通り上手くヘイトを集める事ができたらしい。

 視線が一斉に向けられるのを感じる。今やキョンシーの標的は、お燐一点に集中している。

 

 そうだ。これでいい。

 

「よし……」

 

 お燐は懐から一枚のカードを取り出す。本来は幻想郷独自の決闘に使う物ではあるが、このような場面でも十分に有効な攻撃手段とも成り得る。

 スペルカード。“殺し合い”を避ける為に制定された“遊び”をこんな形で利用するのは些か気が引けるが、それでも手段を選んではいられない。

 

「恨霊――!」

 

 膨れ上がる妖力の奔流が、お燐の周囲に烈風を巻き起こす。外の世界に来てから抑え込んでいた本能が血を沸かせ、肉を躍らせるような感覚を感じる。

 遠慮なんていらない。自分が持ち得る全ての力を解放し、群がるキョンシーを蹴散らし尽くせ。

 

「『スプリーンイーター』!!」

 

 展開された妖力による弾幕が、キョンシーの群れへと襲い掛かった。

 

 

 ***

 

 

「あぐ、ぅ……」

 

 全身を打ちのめされるような激しい痛み。朦朧とする意識。それでも彼女は生きている。これまで無駄に鍛錬を続けてきた訳じゃない。

 頭を振るい、意識を無理矢理覚醒させて。魂魄妖夢は立ち上がった。

 

 足元がふらつく。受けたダメージは決して少なくはないようだ。最も痛むこめかみを手で摩ると、どろりとした赤い液体が指に絡み付いてきた。

 

「血……」

 

 あのキョンシー、石頭にも程がある。いや、死後硬直を経たキョンシーだからこそのあの強度なのだろうか。まるで鋼鉄か何かで頭を思い切りぶたれたような感覚である。もう少しで完全に意識を失う所だった。

 血を拭い、妖夢は上を見上げる。どうやらコンクリートで舗装された急斜を転がり落ちてしまったようで、ここから上に登るは不可能に近い。空が飛べれば話は別だが――。

 

「まずい……」

 

 急がなければ進一達が危ない。こんな所で足踏みをしている場合じゃないはずだ。

 

「急がないと……」

 

 震える身体に鞭を打って、妖夢は駆け出そうとする。

 その時だった。

 

「随分と無様な格好ですね」

「ッ!?」

 

 妖夢の神経を逆撫でするような声。反射的に振り返ると、そこにいたのは一人の女性だった。

 大人の女性にしてはやや小柄な体格。この現代には少々似つかわしくない緑を基調とした和装。そして――頭に被る三度笠。

 間違いない。クリスマスイブに妖夢を下した、あの女性剣士だ。

 

「ど、どうして、あなたがここに……!?」

 

 まさかまた何かを企んでいるのだろうか。

 ――いや。確か彼女は、古明地こいしの協力者であるはずだ。それならば。

 

「こいしちゃんはどうしたんです? 一緒じゃないんですか?」

「…………」

 

 女性は何も答えない。三度笠を深く被り直し、妖夢から視線を逸らして。それからはだんまりだ。

 何なんだ、この人は。今度は一体何のために接触してきた?

 

「……今はあなたに構っている場合ではありません。急がないと……」」

「何か勘違いをしていませんか?」

「……えっ?」

 

 鋭い声調。三度笠を被っていても、鋭い視線をギロリと向けられている事が分かる。

 妖夢は息を呑んだ。

 

「な、何を……」

「どうして私がこんな所にいるのか。それが分かりますか?」

 

 訳が分からない。この人は、一体何を言っている?

 妖夢が言葉を見失っていると、女性は忌々し気に歯軋りをする。それから深々と溜息をついた後、いつになく低いトーンの声で。

 

「私なんですよ」

 

 まるで妖夢を煽るかのように。

 

「貴方達にキョンシーを仕向けたのは、この私です」

「なっ……!?」

 

 妖夢は思わず目を見開く。

 キョンシーを仕向けた? まさか彼女は、この騒動の犯人が自分だとでも言いたいのだろうか。という事は、霍青娥なる人物というのは――。

 

(いや、違う……)

 

 あの時、こいしは言っていた。助けたい人がいる。だからとある人物を捜している、と。

 推測の域を出ないが、おそらくその捜し人とやらこそが霍青娥なのだろう。けれどもこいしは、あの時こうも言っていた。

 

(あの人は協力者、だったはず……)

 

 常識的に考えて、目の前にいるこの女性と霍青娥はイコールで結びつくとは思えない。だとすれば、彼女は一体――。

 

「何を戸惑っているのです?」

 

 相も変わらず女性は煽る。口角を吊り上げ、両腕を大きく広げて。さも妖夢を小馬鹿にするかのように。

 

「こんな所で立ち止まっている場合ではないのでしょう?」

「な、何、を……」

「簡単な話ですよ」

 

 女性剣士は、嘲笑する。

 

「岡崎進一さん、でしたっけ?」

「えっ……?」

「それと宇佐見蓮子さんと、マエリベリー・ハーンさん。進一さんのお姉さんもいましたっけ。戦闘能力、持ってないんですよね?」

「ッ!?」

 

 女性剣士は、ニヤリと笑って。

 

「このままじゃ、大変な事になりますよねぇ……。急がないとキョンシー達に殺されて……」

「ふざけないで下さい!!」

 

 幾ら温厚な妖夢でも、流石に黙っていられない。楼観剣の柄を手に取って、女性剣士を睥睨して。警戒心を、一気に高めながらも。

 

「あなたは、何を企んでいる……?」

「……ふふっ」

 

 彼女は実に愉快そうだった。愉快そうに鼻で笑って、自らも剣を手に取って。その剣先を妖夢へと向けると、

 

「何、貴方にとっては特段複雑な話ではありませんよ」

 

 人の感情など、どこかに捨て置いて来てしまったかのような声調で。彼女は口を開く。

 

「キョンシーを使役しているのはこの私です。つまり私を倒せば、あのキョンシー達は止まります」

 

 無機質。まさにその言葉が相応しい程の様相だった。

 彼女はあくまで淡々と、かいつまんだ情報だけを並べて。

 

「ね? 簡単でしょう?」

「…………っ!」

 

 分からない。彼女が何を考えているのか、それが皆目見当もつかない。

 彼女がキョンシーを使役していて、彼女を倒せばキョンシーは止まる。どこまでが真で、どこまでが嘘なのか。それすらも分からないのだけれども。

 それでも、はっきりしている事が一つある。

 

 この人は味方なんかじゃない。味方なんかには成り得ない。

 この人はあのキョンシー達を同じだ。いや、それ以上に質が悪い。何の躊躇いもなく人を襲い、いとも簡単に人を殺して。それでも尚、何とも思わない女性なのだ。

 買い被っていた。こいしが信頼を寄せる女性だから、少なからず善良な心を持っているのではないかと。そう認識し始めていたのに。

 

 まさか、こいしも彼女に騙されているのではないだろうか。誰かを助けたいという、あの子の尊い気持ちを利用して、踏み躙って。それでも尚、この女性は――。

 

「……もういい」

 

 妖夢は剣を抜き放つ。

 そっちがその気なら、こっちだっで容赦はしない。これ以上、コイツをのさばらせておく訳にはいかない。

 

「あなたはここで斬り捨てる」

 

 剣を構える。女性剣士を睨みつけ、剣の柄を握り締めて。

 

 クリスマスイブの時とは違う。あの頃の弱い自分とは、とっくの昔に決別した。

 

 だから、今度こそ。

 殺してやる。




諸事情により、次回の更新はいつもより遅めの三週間後とさせていただきます。
読者の皆様方には申し訳ありませんが、何卒ご了承下さい。

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