桜花妖々録   作:秋風とも

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第4話「眼」

 

「ショッピングよ!」

 

 妖夢が生活する場所も決まり、改めて帰路に就こうとしたその時。蓮子が突然そんな事を言い出した。

 

「なんだ急に」

「ほら、幻想郷に帰れるまで妖夢ちゃんはこっちで生活する事になる訳じゃない? なら、色々と必要になる物とか出てくるでしょ。着替えとか」

「……確かに」

 

 進一は今一度妖夢の服装を確認する。緑のベストに、緑のスカート。これが彼女の普段着らしいが、正直言ってかなり浮いている。このご時世、態々こんな古臭い格好で街を出歩く者は余程の懐古主義者かコスプレイヤーくらいだ。このままでは目立って仕様がない。

 それに、妖夢の着替えも問題だ。姉の服は少し大き過ぎるようだし、あれを無理に着させるのは流石に悪い。だからと言って、同じ服を何日も着続けさせるのは言語道断。

 

「あの……やっぱり私の格好って、こっちの世界じゃ変なのでしょうか?」

「いや、変って言うか……。なんであれ、いつまでもその服を着続ける訳にもいかないだろ?」

 

 そうなると、やはり衣服の購入は避けられないだろう。それ以外にも、こちらで生活する上で必要となる日用品も色々と買い揃えねばなるまい。

 やはり蓮子の言う通り、一度買い物に出かける必要がありそうだ。

 

「そうだな……。なら明日……いや、もう今日か。ちょっと買い物に出かけるかなぁ……」

「よしっ。それじゃ、10時に大学最寄りの駅に集合って事で」

 

 進一がぼんやりと今後の予定を考えていると、蓮子が口を挟んでくる。

 

「なんだ? 蓮子も来るのか?」

「そりゃそうよ。だって進一君じゃ女の子の日用品とか買い揃えられないでしょ? 妖夢ちゃんもこっちの世界には慣れてないだろうし」

「そ、それは、まぁ……」

 

 確かに、正直に言って自信はない。と言うか、そもそも女の子ってどんな物を買うのだろうか。それすらもイマイチ分かってなかった。

 危なかった。このまま何も考えずに買い物に行っていたらどうなっていたか。蓮子が来てくれるというのなら心強い。

 

「メリーはどうする? 一緒に行く?」

「ん……そうね。丁度予定は空いてるし、私も付き合おうかしら」

「なら、今回もまたこのメンバーって事ね!」

 

 どうやらメリーも付き合ってくれるらしい。図らずも、再び秘封倶楽部のメンバーと行動を共にする事になりそうだ。

 ともあれ、これで安心である。男である進一だけよりも、同じ女の子である蓮子達が手伝ってくれる方が買い物も円滑に進められるだろう。寧ろ全面的に彼女達に任せた方が良いのではないだろうか。どうやら進一は鈍感であるようだし。不服だが。

 

「そうと決まれば、早いとこ帰りましょ。皆、遅刻しないでよ?」

 

 なぜだか得意気な表情を浮かべながらも、そんな事を口にする蓮子。

 取り敢えず「お前が言うな」と、進一はそれだけ言い残しておいた。

 

 

 ***

 

 

 一度各々帰宅して、夜が明けてから数時間。

 午前9時57分。大学最寄りの駅前で、メリーは愕然としていた。とんでもないものを前にして、完全に言葉を失っていた。

 あり得ない。まさか、こんな事が起きるなんて。いや、でも。やっぱり何かの間違いではないだろうか。そう思い、メリーは両目をよく擦ってから今一度刮目してみる。だけれども、やっぱり見間違いなんかじゃない。彼女の目の前には、にわかには信じ難い光景が広がっていた。

 

「……ん? どうしたのメリー? 私の顔に何かついてる?」

 

 蓮子が。あの遅刻の常習犯であるはずの宇佐見蓮子が、約束の時間通りに現れたのである。

 メリーは混乱していた。いつも通り約束の15分前には集合場所に辿り着き、ちょっぴり早すぎたかなと思いながらも他のメンバーを待つ。その後少ししてから進一と妖夢もやってきて、彼らと他愛ない話をして。また蓮子は遅刻かなと、そんな話を始めた時だった。件の彼女が現れたのは。

 

 9時57分。思わず時計を二度見したメリーの心に生まれたのは、底知れぬ不安感。蓮子の身に妙な事が起きてるんじゃないかと、胸騒ぎが起きた。

 メリーは反射的に、蓮子の額へと手を伸ばす。

 

「わっ……! な、なに……?」

「熱は……ないわね」

「ね、熱……?」

「蓮子、ひょっとして変な物でも食べた……? 道端に落ちてた得体の知れない何かとか……」

「ま、待って、本当にどうしたのよメリー……?」

「蓮子が約束の時間を守るなんて」

「えっ」

「これは異変だわ……!」

「ちょ、ちょっと!? ひょっとしてバカにしてる!?」

 

 本気で頭を抱えるメリーを前にして、蓮子は頬を膨らませる。確かに、約束の時間を守ったくらいでこんな反応をされては、彼女からしてみれば不服かも知れない。

 だけれども、相手は遅刻の前科を幾つも持っているあの蓮子なのだ。ある意味、このような反応をされても致し方ないのである。

 

「どうしたんだよ蓮子……。らしくないじゃないか」

「し、進一君まで!?」

「お前のアイデンティティーが……!」

「私が遅刻しないのってそんなに変な事なの!?」

 

 進一もメリーと同じように、目を見開いて驚倒している。俄には信じがたい出来事を前にして、流石の彼も茫然自失とする事しかできないらしい。ふざけてる訳でもなんでもなく、口をあんぐり開けて戦慄する進一はまさに鬼気迫る様子だった。

 それもそうだ。蓮子が約束の時間を守るなど、それこそ奇跡に等しい事態なのだ。今日は異常気象でも起きるかも知れない。

 

「あ、あの、お二人とも落ち着いて下さい。蓮子さんだって、毎回毎回遅刻してくる訳ではないと思いますよ?」

 

 そう言いながらも割って入って来たのは、メリー達の反応にやや困惑気味の妖夢だった。愛想笑いを浮かべながらも、彼女は二人を宥めようとしている。

 因みに。今の妖夢が身に付けている物は、進一の姉が以前に着ていた服だ。昨日着ていた服は流石にあの時間から洗濯しても乾かなかったらしく、今は仕方なくこれを着てもらっているらしい。しかし、どうやらサイズが合っていないようだ。見るからにブカブカでヨレヨレだし、言ってしまえば不格好である。早いところ新しい服を購入した方が良いかもしれない。

 

「うぅ……私の味方は妖夢ちゃんだけよ……。二人とも酷いよね?」

「普段から遅刻ばかりする蓮子さんも悪いと思います」

「ぎゃふんっ!?」

 

 正論である。堪らず蓮子はノックダウンした。

 

 そもそも、蓮子は普段からもっと時間に注意すべきだと思う。時間が分かる能力を持っている癖に、常日頃から遅刻ばかりするのは如何なものか。まぁ、星が見えなければ能力は使えないのだが。

 つまるところ、日頃の行いが問題なのだ。遅刻するにしても何回に一回だとか、それくらいのペースならまだ別の反応も出来たかもしれないが。遅刻が基本である蓮子が突然時間通りにやって来たとなれば、そりゃあそんな反応もしたくなる。

 例えば、普段から大学の講義等にも真面目に毎回出席している人が突然遅刻や欠席をすると、周囲には心配されるだろう。その逆もまた然りなのである。

 

 けれども、確かに。少し反応が過剰だったかなぁとは思うけれども。

 

「そ、そうね……。たまには蓮子も遅刻せずに来るわよね……」

「め、メリー……! やっぱりメリーは分かって」

「でもだからと言ってこれまでの前科が消える訳じゃないわよ?」

「ぐはっ!?」

 

 蓮子、ノックアウト。

 

 そして、それから。

 ぴくぴくと痙攣する蓮子をなんとか蘇生させた後、妖夢の日用品を購入する為に一行は都心へと足を運んだ。

 複数種類の日用品を購入するのならば、やはり商業施設が集中している都心へと行ってしまうのが手っ取り早い。今やネット通販が主流とも言われているこのご時世だが、やはりメリーとしてはこうして直接買い物に行く方が性に合っていると思う。そんな彼女に言わせれば、「商業施設はもっと一箇所に集まっていれば良いのに」という感じである。

 なんでも、そんなメリーの理想系とも言える施設は東京には存在するらしい。超大型ショッピングモールなるものらしいが、やはり田舎ならではの施設なのだろうか。ひょっとしたら、メリーの思考は意外と前時代的なのかも知れない。

 

 それはさておき。日用品を買い揃えるよりも先に、まずは妖夢の格好をなんとかせねばなるまい。流石にこのブカブカでヨレヨレな服を身に付けたままじゃ可愛そうだ。

 と言う訳で、メリー達がまず向かったのはアパレルショップだった。

 

「ここは……?」

「衣料品店だな。ここでお前の服を買う」

 

 首を傾げる妖夢に対し、進一がそう説明していた。

 ここは都内でもそこそこ有名なアパレルショップで、衣服の豊富な種類も然る事ながらリーズナブルな値段設定もポイントだ。お財布にも優しい為、学生等の利用客も多いらしい。かく言うメリーもたまに利用してたりする。

 正面の自動ドアを潜り、一行は揃って店内へと足を踏み入れる。どうやら客数は多いらしく、店内は意外と賑わっている様子だった。やはり休日となれば自然と客足は増えるようだ。

 

「よーし、まずは下着類ね。ついて来て妖夢ちゃん!」

「わわっ……、ちょ、ちょっと待って下さい……!」

 

 グイグイと手を引いていく蓮子。随分とやる気満々である。さっきまでノックダウンしてたのが嘘のようだ。相変わらず立ち直りが早い。

 そんな彼女に戸惑いながらも、妖夢は成す術なく引っ張られていく。

 

「蓮子の奴、随分と張り切ってるな」

「あら、知らなかったの? 蓮子は意外とファッションにも気を遣ってるのよ」

「へぇ、そうなのか」

 

 意外と図太い所がある蓮子だが、実はファッションには結構拘りがあるのである。彼女にコーディネートを任せておけば、ひとまず安心だろう。少なくとも今のあの服よりおかしくなるような事はないはずだ。そこはメリーが保証する。

 

「少なくとも進一君よりはセンスあると思うわよ。あんなブカブカな服を着せてるようじゃ駄目ねぇ……」

「い、いや、だからあれは丁度いいサイズがなくて仕方なく、だな……」

「ふふっ。冗談よ」

 

 目を泳がせながらも弁解を始める進一を見て、メリーは思わず苦笑する。本当に冗談で言ったつもりだったのだが、どうやら真に受けてしまったらしい。

 なんと言うか。進一は意外と意地っ張りと言うか負けず嫌いな所がある。素直じゃない訳でもないのだが、ギリギリの所でプライドが邪魔をするらしい。まぁ、お陰でからかい甲斐があるのだが。

 

「とにかく……今は蓮子に任せる。どっちみち、男の俺が女物の下着売り場に行く訳にはいかないからな」

 

 そっぽを向きながらもそんな事を口にする進一。意外と子供っぽい反応を見せる彼を微笑ましく思いながらも、メリーは女性物の下着売り場の方へと視線を向ける。相変わらず蓮子に引っ張られっぱなしの妖夢の姿が、目に入った。

 

(妖夢ちゃん、ね……)

 

 そこで、ふとメリーは思い出す。それは一昨日電話で話を聞いてから、ずっと気にかかっていた事。

 確実にそうだと言い切れる訳ではない。あくまでメリーの推測だ。進一をとりまく状況から考えて、辿り着ける結論。

 

(進一君……)

 

 だけれども、それを進一に確認する事は躊躇われた。本当に聞いても良いのか、そこまで踏み込んで良いのだろうか。そんな事ばかりが気になって、どうしても前に踏み出せない。だからどうしても、少し距離を置いてしまう。

 

 でも。進一だって友達だ。いつまでもこんな距離感を保ちたくない。気にかけているのに、そうでない振りをし続けるなんて。出来る訳がないじゃないか。

 だから。メリーは。

 

「……ねぇ、進一君。貴方に聞きたい事があるのだけれど……」

「……ん?」

 

 意を決して、確認してみる事にした。

 

「妖夢ちゃん……半分幽霊なのよね? 普通の人間じゃなくて……」

「ああ。そうらしいな」

「半分生きてて、半分死んでるって事……?」

「まぁ……本人もそのようなものだって言ってたぞ。人間と幽霊のハーフらしい」

「ハーフ……」

 

 人間と幽霊のハーフ、半人半霊。

 

 この現代社会において、一般に人間の想像の産物とされる『妖怪』などの存在を本気で信じている者は殆んどいない。それは『幽霊』なども例外ではなく、例えそれらしきものを見かけたとしても、単なる見間違いだとか脳による錯覚だとか。そう言った最もな理屈を並べ、否定しようとする。

 

(それが、普通の反応だけれど……)

 

 長年学者の頭を悩ませ続けた重力が他の力と統一され、統一理論が完成したのはつい最近の事。最小構成物質の観測にも成功したこのご時世、既に物理学は終焉を迎えている。世界の構造の殆んどが事実上紐解かれ、数多くの学者達が虚無感を覚える中。彼らは有り余った探究心を、空想の産物――俗に言うオカルトへと向けた。例えば超統一物理学を専攻している宇佐見蓮子がそうであるように、特に物理学者は皆、探究心の塊のようなものなのである。プランクエネルギーによる限界の観測が成功した後も、その次の段階の理論を組み立てようとする哲学的な思考の学者もいるくらいだ。

 

 そんな学者達の探求により、つい半世紀前まで空想上の浪漫かと思われていたオカルトの数々は、次々と証明されてしまっている。オカルトが浪漫だという常識は最早昔の話で、今や摂理の一つとして人々に浸透しつつあった。

 そうなると。客観的観点から知識を得るしかない専門外の人々は、どんな思考を抱くのか。その答えは至極単純。空想の産物に浪漫を抱かなくなるのである。

 

 人間が妖怪や幽霊等を恐れ、慄く理由は相手が得体の知れない存在であるからだ。深層心理では人間は皆理論主義で、統一的に説明出来ない正体不明の何かを前にすると、胸中に強い違和感を抱く事となる。しかし一度その正体が解明され、得心できる説明が成されると。最早そのような違和感を抱く事など不要となるだろう。

 故に科学的、そして物理学的な証明が成された今。客観的観点に立つ人々の多くは、妖怪、または幽霊などの存在を最早信じてはいないのである。

 

 つまり。オカルトに興味のないような者にいきなり半人半霊などと説明した所で、そう簡単に信じる訳がない。況してや妖夢はその特徴であるらしい半霊なるものを紛失している身。決定的な証拠が欠けているこの状態で、どうして彼女が人外なのだと信じられよう。どこからどう見ても、普通の女の子にしか見えないのに。

 だけれども。進一はすんなりと受け入れてしまっている。半人半霊の存在を、こんなにも簡単に信じてしまっている。彼もまた、どちらかと言えば客観的観点に立つ青年であったはずなのに。

 

 そんな彼が、なぜこうも簡単に受け入れたのか。

 考えられる理由と言えば――。

 

「進一君。ひょっとして……」

 

 緊迫した面持ちで、しっかりと進一を見据えて。

 

「……能力を、使ったの?」

 

 しつこく邪魔をする迷いを振り切って、メリーは遂に口にした。

 言ってしまった。やっぱりまずかったかなと、そんな思いは胸中にあるけれども。これで間違ってなかったのだと、そう自分に言い聞かせて若干の後悔を払拭する。

 そうだ。間違ってなんかない。ここで聞いておかなければ、後でもっと後悔する。表面上の気持ちだけで接し続けるなんて、そんなものは本当の友達とは言えない。偽り。それだけは嫌だ。

 

 四苦八苦しながらも、そう判断をしたメリー。彼女の気持ちは至って真面目で真剣だ。

 そんなメリーを目の当たりにした、進一の反応は。

 

「……ふふっ」

 

 失笑だった。

 

「……へっ? な、なんで笑うのよ……?」

「い、いや、すまん。何を言い出すかと思えば、まさかそんな事だったなんてな」

「そ、そんな事って……!」

 

 流石にちょっぴりムッとした。

 これまでずっと躊躇って、迷い続けていたのに。いざこうして踏み出してみると、返ってきたのはなんとも呑気な返事。これでは真剣になって意を決したメリーが馬鹿みたいじゃないか。

 

「だ、だって! 貴方は能力を使うのが好きじゃないって……!」

「いや、まぁ……確かにあれを見るのは好きじゃないけど……。でも、だからと言ってそこまで大袈裟じゃないっていうか」

 

 メリーが少しムキになって追及しても、進一の様子は呑気なまま。まるで、本当に何も気にしていないような。

 

「多分、お前の考えている事は当たっていると思うぞ。確かに俺は、妖夢に能力を使った。ま、正確に言えば勝手に見えてしまっただけなんだがな。不可抗力だ」

「それじゃあ……」

「ああ。あいつは普通の人間じゃない。少なくとも、俺の『眼』にはそう映った」

 

 進一の答えは、肯定。確かに“半分死んでいる”妖夢が相手なら、きっと進一の『眼』には妙なものが映る。それを見てしまったからこそ、彼はすんなりと納得できたのだ。妖夢が本当に人外である、と。

 でも。それなら、彼は尚更――。

 

「いや、なんだよその顔。何をそんなに心配しているんだ? ……ひょっとして、俺が自分の能力に振り回されているとでも?」

 

 それなのに。どうして、そこまで軽い様子でいられるのだろう。

 

「そう言えば、蓮子にも似たような反応をされたよ。一昨日、電話をかけて妖夢の事を話した時だ。妙に釈然としないというか躊躇っているというか。いつもは素直で呑気な癖に、無理に遠慮してるって感じでな」

 

 いや、違う。

 

「別に、俺は何も気にしてないぞ。だからそんな顔するなって。ほら、悲劇の主人公みたいなキャラなんて、俺には似合わないだろ?」

 

 今の、進一は。

 

(無理……しているの……?)

 

 

「メリー! この下着どう思う? 妖夢ちゃんに似合うかなぁ」

「れ、蓮子さん……! そんな事を大声で……!」

 

 名前を呼ばれて、メリーは顔を上げる。下着売り場の方へと目を向けると、ぶんぶんと手を振っている蓮子の姿が目に入った。その横で、顔を真っ赤にした妖夢がわたわたしている。

 まったく。相変わらず彼女は人目を全く気にしない。大声で言う事じゃないだろうに。

 

「ほら、蓮子が呼んでるぞ。この話は終わりだ。いいな? それより、早く行ってあいつを宥めた方が良いんじゃないか? 見てるこっちまで恥かしくなってくるし」

「そ、そうね……」

 

 進一の言う通り、彼女をこのまま放っておくのは色々とまずい。もっと節度を守らせねばなるまい。これ以上変な注目を集めない為にも、早急に彼女を宥める必要があるだろう。顔を真っ赤にした妖夢がぶっ倒れる前に。

 

「……それじゃ、行ってくるわね」

「ああ。任せる」

 

 それだけを言い残し、メリーは進一に背を向ける。世話のかかる相棒に少々呆れつつも、彼女は下着売り場へと向かう。

 

 胸の奥に引っかかる後ろめたさ。それを感じながらも、メリーは足取りを早めるのだった。

 

 

 ***

 

 

 着せ替え人形になった気分だった。

 あれから。店内を蓮子に連れ回され、色々な服を渡されて。あれも駄目、これも違うと取っ替え引っ替え着替えさせられる事数十分。ようやく落ち着いた頃には、妖夢はもうクタクタだった。

 冥界や幻想郷にいた頃にも身だしなみにはかなり気を遣っていたのだが、流石にこの短時間で何度も着替えた経験はない。しかも渡されるのは着慣れないような形状やデザインの服ばかりときた。一度着替えるだけでも一苦労なのに、それを何度も繰り返さなければならないのだ。それでは疲れて当然である。

 

「うんうん。良いんじゃない? ねぇ、メリーはどう思う?」

「ええ。ばっちりだと思うわよ」

 

 疲れ果てる妖夢の前で、蓮子とメリーがそんなやり取りをする。どうやら二人とも納得のようだ。

 しかし、まさかメリーもここまでノリノリになるとは。いや、初めの内は突っ走る蓮子を宥めてくれていたのだ。しかし、どういう訳か徐々に彼女も乗ってきてしまい――。結果、宥める事を放棄してメリーまでも妖夢の着せ替えに勤しむようになってしまった。これは流石に想定外である。

 

 疲れた。肉体的にも、精神的にも。

 

「よしっ! それじゃ、そろそろ進一君を呼んできましょ」

「そうね。ふふっ、進一君がどんな反応をするか楽しみだわ」

「私が呼んでくるわ。メリーと妖夢ちゃんはここで待っててね」

 

 そう言い残すと、蓮子は踵を返して歩き出す。随分と待たせてしまったもう一人の同伴者を、連れてくるつもりなのだ。

 そう言えば。今日こうして共に買い物に来ているメンバーの中で、進一は唯一の男である。つまりこれから、その唯一の男の人に自分の格好を見せる事になる訳で。

 そう思うと、だんだん緊張してきた。見せる相手が同性である蓮子やメリーならともかく、異性である進一なら訳が違う。やはりいつもと違う格好を見せるとなると、どうにも色々と気になってしまうのである。

 

(だ、大丈夫かな……?)

 

 無論、蓮子達のコーディネートを疑っている訳ではない。ただ、こっちの勝手がわからない妖夢からしてみれば、この服装が本当に合っているのかどうかの判断が出来ない。蓮子達は良いと言っていたが、果たして進一はどう思うのだろうか。

 

「どうしたの妖夢ちゃん? ひょっとして緊張してるの?」

「……へっ? ま、まぁ……」

「大丈夫よ。凄く似合ってるから」

「そ、そうですか……?」

 

 メリーはそう言ってくれるが、どうにも緊張が解れない。寧ろ時間が経つにつれて心臓が更に高鳴ってきているような気がする。

 こういう事は大抵、待っている間が一番緊張するものである。早く進一に来て欲しい。でないと、そろそろ息苦しくなってきて――。

 

「ほら進一君、早く早く」

「待て待て。そんなに急ぐ必要ないだろ?」

 

 程なくして、進一を連れて蓮子が帰ってきた。

 先導して手招きする蓮子と、少し遅れてついてくる進一。どうやら蓮子は妖夢の姿を早く進一に見せたいようだが、肝心な彼はマイペースな歩幅である。蓮子が急かすと、渋々と言った様子で進一は歩調を早める。

 

 さて。いよいよだ。

 

「さぁ、刮目しなさい進一君っ!」

 

 バッと手を広げて妖夢を示す蓮子。遂に進一は、新たな服に身を包んだ妖夢の姿を目の当たりにする事となる。

 

「ほう……?」

「ふふーん、どうよ?」

 

 なるべくシンプルで動きやすいようにと、妖夢のそんな要求に答えた服装だった。頭のリボンはそのままに、上は白いブラウス。下は黒と緑を基調としたシンプルなデザインのプリーツと、黒のニーソックスにスニーカーである。

 

 コーディネートをした蓮子が胸を張る横で、進一が妖夢の服装をまじまじと眺めている。

 分かっていた事だが、やはりこうしてジロジロ見られると恥ずかしい。なんと言うか、身体中がくすぐったくなるような気がする。別に変な目つきで見られている訳ではないのだが、どうにも意識してしまうのだ。と言うか、意識するなというのが無理な話である。

 思わず身を縮こませながらも、妖夢は進一から目を逸らす。

 

「あ、あの……どうでしょうか……?」

 

 恐る恐る、妖夢は進一に感想を促した。果たして、彼はどんな事を口にするか。

 しかし、進一の事だ。「悪くない」だとか「良いんじゃないか?」だとか、そんな無難な感想が返ってくるに違いない。良くも悪くも、彼は一定の距離感を保とうとする事が多い。

 そう思っていたからこそ。

 

「似合ってる。可愛いと思うぞ」

「!?」

 

 おもむろに進一が口にした予想外の言葉を前に、妖夢はあたふたする事しかできなかった。

 

「かっ、かわ、かわわ……!?」

「……かわわ?」

 

 可愛い。男の人に面と向かってそんな事を言われたのは、ひょっとしたら初めてだったかもしれない。いや、厳密には彼が言ったのは妖夢の格好に向けてであって別に妖夢自身が可愛いなどとは一言も言ってない訳であるからきっと深い意味はないはずでつまるところこれは妖夢の勝手な解釈で進一は別になんとも、

 

「いや、本当に可愛いと思ったんだが……。駄目だったか?」

「はっ、い、いえ! 別に駄目とかそんなんじゃ……! なんて言うか、その……!」

「ふふっ……。妖夢ちゃん照れちゃって可愛いー」

 

 困惑する進一に、ニヤニヤと笑っている蓮子。きっと今の妖夢の顔は、茹で蛸みたいに真っ赤になっているに違いない。

 

 それにしても、なんの恥じらいもなく直球でそんな事が言える進一も流石である。昨日の嫁さん云々もそうだったが、よくさらりとそのような事を口に出来るものだ。無論深い意味がない場合が殆んどだが、尚更タチが悪い。妖夢の心臓的に。

 

「ま、取り敢えず普段着はこれで問題ないな。あと必要なものは……」

「寝巻きとかも必要なんじゃない? お姉さんのじゃブカブカなんでしょ?」

「あぁ、そうか」

 

 妖夢が顔を真っ赤にしている間、早くも気を取り直した進一がメリーとそんなやり取りをしている。なんと言うか、温度差が凄い。妖夢一人だけが慌てていて、進一は普段通りの調子なのだ。

 しかし、そうは言ってもそう簡単に落ち着ける訳がない。心臓は未だにバクバクで、顔の温度も熱いまま。すぐさま冷静になれる程、妖夢の心に余裕はない。彼女はストレートな物言いに弱いのである。顔を真っ赤にしつつも、彼女は俯く。

 

「それじゃ、次は寝巻きね。ふふふ……また私が選んであげるわ」

「……へ?」

 

 しかし不意に蓮子の声が耳に流れ込んできて、彼女は反射的に顔を上げる。あれ? なんだか嫌な予感が。

 

「あの、また試着したりするんでしょうか……?」

「当たり前じゃない。ちゃんと着てみないと、似合ってるかどうか分からないでしょ?」

 

 当たり前なのか。これには妖夢も引きつった苦笑いを浮かべるしかない。

 つまり、妖夢はまた取っ替え引っ替え着替えさせられると言う事だ。ようやく落ち着いたと思ったのに、あの作業が再び繰り返されるのである。

 これはまずい。またあれが始まるとなると、流石に体力が――。

 

「し、進一さん……!」

 

 思わず妖夢は助け舟を求めてしまう。唐突に名前を呼ばれた進一は少し面食らった表情をしていたが、どうやら妖夢の心境を察してくれたらしく、

 

「なぁ蓮子。寝巻きなんて適当で良いんじゃないか? どうせ家の中でしか着ないんだし」

「甘いわ進一君! 女の子は常日頃から身だしなみに気を遣ってなきゃいけないのよ? 適当なんてとんでもない!」

 

 駄目だった。

 身を乗り出して熱弁する蓮子。こうなってしまったら、おそらく進一では彼女を止める事はできない。となると、残された希望は。

 

「あ、あの、メリー」

「そうよ、蓮子の言う通りだわ。まったく、進一君は本当に女の子の気持ちが分かってないわね」

「さ、ん……?」

 

 こっちも駄目だった。

 呆れた表情を浮かべながらも、メリーは肩を窄めて溜息をつく。気がついたら進一がとばっちりを受ける形になってしまった。まさに散々である。

 そんな反応を向けられた進一は、ムッとした表情を浮かべて、

 

「あー、はいはい。どうせ俺は鈍感ですよ」

 

 流石の彼も傷ついたらしい。完全にヘソを曲げてしまった。

 

(し、進一さん……! 違う、違うんです……!)

 

 心の中ではそう思いながらも、声には出来ずに妖夢はわたわたとする。

 とにかく、蓮子達の誤解を解かねば。彼女達だって、妖夢が直接説明すれば分かってくれるはずだ。

 

「あの、本当にそこまで拘らなくても私は……」

「うーん、どんな寝巻きが似合うかなぁ……。メリーはどう思う?」

「えっと、だから……」

「そうね……。まずは売り場まで行ってみない? 考えるのはその後にしましょ」

「話を聞いてくれませんか!?」

 

 これすらも駄目だった。

 蓮子とメリーは完全の自分たちの世界に入ってしまっていて、妖夢の声が届いていない。しかも勝手にどんどんと話が進んでしまっている始末。

 何故だ、何故こんな事に。蓮子は無理でも、メリーは分かってくれると思っていたのに。妖夢一人じゃつっこみが追いつかない。

 

 結局。必死の説得も虚しく空振りに終わり、妖夢は再び着せ替え人形にされるのであった。

 

 

 ***

 

 

 妖夢の衣料品を買い揃え、一度昼食を挟んでからその他の日用品も揃える。全ての買い物を終える頃には、既に午後3時を回っていた。

 結構な量があったのでかなり時間がかかってしまったが、中々有意義な買い物だった。こっちに生活する上で妖夢の日用品はやはり必要となってくるだろうし、進一の家に元々ある物だけではおそらく足りなかっただろう。多少無理をしてでも、今日一日で買い揃えたのは妥当な判断だったと蓮子は思う。

 

 そう。多少無理をしてでも、これで良かったのだ。全ての代金を支払った進一が顔面蒼白していたとしても、それは致し方なかったのだ。

 

「尊い犠牲だったわね……」

「おい待てこら。なんで他人事なんだよお前は」

 

 進一と下手な漫才よろしくやり取りをしつつも、蓮子達は帰路に就く。流石にこのまま寄り道などしていたら進一の財布が冗談抜きでヤバい事になるので、真っ直ぐ帰る事となった。

 因みに、代金についてだが。何も進一に支払いを強制した訳ではないのだ。男の意地と言うかなんと言うか。そういったプライドがあったのか、彼は進んで代金を支払っていた。しかし全ての買い物を終えた今になって、自らが受けたダメージの大きさを強く実感し始めたらしい。

 

「あ、あの……すいません進一さん。やっぱり、私の所為で……」

「いや、妖夢が気にする事はない。進んで払ったのは俺だからな、ははは……」

 

 乾いた笑い声を上げる進一。軽くなった財布とは対照的に、彼の心境はずっしりと重たくなっている事だろう。

 ――あとでフォローしておこう。

 

 それはさておき。

 人混みで溢れかえる都心を抜け、比較的閑静な地区まで歩を進めた頃だった。

 

「蓮子。それに、メリー。ちょっと聞きたい事があるんだが」

「……ん? なに?」

「どうしたの進一君?」

 

 蓮子が疲れた身体を伸ばしていると、声をかけてきたのは丁度後ろを歩いていた進一。メリーと共に振り向くと、何やら神妙な表情を浮かべている彼と目が合う事となる。まるで、何かに迷っているかのような面持ちだった。

 いつになく真面目な様子である。何かあったのだろうか。

 

「秘封倶楽部は、まだ俺を勧誘したいと思っているのか?」

「……えっ?」

 

 彼が口にした意外な言葉を前にして、蓮子は思わず首を傾げる。

 進一を勧誘したいと思っているのか、否か。なぜ突然そんな事を聞くのだろう。確かに、彼を引き込もうとアタックしたのは蓮子達の方ではあるが。

 取り敢えず、ここは正直に答えておこう。秘封倶楽部の総意は決まっている。

 

「勿論そう思ってるわ。進一君が秘封倶楽部の魅力に気づくまで、私達は諦めないわよ?」

「そうか……」

 

 進一が鹿爪らしい顔つきになる。顎に指を沿え、一人何かを思案しているようだ。

 本当に何があったんだろうと蓮子が思っていると、彼はふと顔を上げる。そして意を決した様子で、おもむろに開口。

 

「期間限定で入部……って、できるのか?」

 

 あまりにも想定外過ぎる言葉だった。

 稲妻にでも貫かれたかのような強い衝撃に襲われ、蓮子は戦慄で身体を震わせた。狐につままれたような感覚を覚え、ポカンと口を開いたまま彼女は目をパチクリさせる。

 期間限定で入部できるのかどうか。そんな事を聞いてきたと言う事はつまり――。

 

 そこまで考えると、蓮子は途端に愉悦を覚える事となる。

 

「ほう? ほほーう?」

「……なんだ、その反応は」

「いやー? べっつにー?」

 

 進一が半目でこちらを睨んでくるが、そんな事は気にならない。蓮子は一人悦に入って、隠す素振りもせずにあどけない笑みを浮かべた。

 

「そう、そうなのね……、遂にその気になってくれたのね進一君ッ!」

「いや、まぁ……、蓮子の考えている()()()とは少し違うかもしれない。これには訳があるんだ」

「……訳?」

 

 それに反応したのはメリーだった。進一は小さく頷いて、

 

「俺は幻想郷への手がかりを見つけたい。その為にも、今後もお前たちの力を借りる事になると思う。だが、部外者である俺がサークル活動に参加し続けるのも変な話だろ? だったらこの際、俺も秘封倶楽部に属してしまえば都合が良いと思ってな。調査も円滑に進められるだろうし」

「……つまり、幻想郷を見つけるまで秘封倶楽部に入部したいって事?」

「ああ。無理を言っているのは重々承知しているが……」

 

 彼は申し訳無さそうに視線を逸らす。

 確かに。期間限定で一時的に所属するなど、前例がない事態ではある。進一の言う通り、傍から見れば無理を言っているように聞こえるのかもしれない。

 だけれども。

 

「その前に、私からも一つ聞いていい?」

「……なんだ?」

「進一君は、どうして幻想郷を見つけたいの?」

 

 蓮子はそんな質問を、進一に投げかけた。予想外の言葉だったのか、彼は一瞬だけきょとんとした表情を浮かべる。しかしすぐさま毅然とした視線を蓮子へと向けて、一言。

 

「妖夢と約束したからだ」

 

 ただ真っ直ぐに、凛として。

 

「できる限り力を貸すって」

 

 彼の気持ちは揺るがない。

 

「俺は約束を破りたくない」

 

 嘘偽りのない、進一の言葉。何も言わずにそれを聞いた蓮子は、自然と笑みを零していた。

 遂にその気になってくれたのかとか、秘封倶楽部の魅力に気づいてくれたのかとか。さっきまで感じていたそんな愉悦とは違う。似ているけれども、全く別種の喜悦。どこか清々しい、早鐘のような胸の高鳴りを彼女は感じていた。

 

「進一さん……」

 

 そんな高揚感を蓮子が覚える中。進一と同じように何かを決心した妖夢が、今度は言葉を紡ぎだす。

 

「あの……。幻想郷を見つけるまで、私も秘封倶楽部に参加させて頂けないでしょうか?」

「……妖夢ちゃんも?」

「はい。私一人の都合を、皆さんに任せっきりにする訳にもいきませんし……。それに……」

 

 そこでひと呼吸置いて、

 

「皆さんに、何かお返しがしたいんです。秘封倶楽部に参加して、何ができるのかは分かりませんが……。でも、きっと何かの役に立って見せます!」

「……そう」

 

 そこで一度、蓮子は進一達に背を向ける。そして短く息を漏らしながらも、彼女は空を仰ぐ。

 

「……二人はこう言ってるけれど、どうするの蓮子?」

「そんなの、決まっているわ」

 

 柔らかく頬を緩ませて、莞爾として笑って。蓮子は再び振り返る。

 

「二人を拒む理由なんてないでしょ?」

「……そうね。私もそう思ってたわ」

 

 二人の意見は合致する。それならば、やるべき事は一つだった。

 蓮子は進一達へと手を差し伸べる。

 

「ようこそ、秘封倶楽部へ。歓迎するわ」

 

 分かっていた事だけれど。進一の気持ちを、彼から直接聞けて良かった。不純な私情がある訳ではなく、彼は誰かの為に自ら踏み出そうとしている。一度決めた信念を曲げず、真っ直ぐに前を見ている。そして、妖夢も。彼女もまた、毅然たる意思を持っている。

 その気持ちがあれば十分だ。彼らを拒む理由なんて、今の秘封倶楽部にはない。

 

「……、ありがとう。二人とも」

「改めて、よろしくお願いします!」

「こちらこそ。よろしくね」

「ふふっ……。新生秘封倶楽部、ここに結成ね!」

 

 期間限定だけれども、秘封倶楽部は新たな境地へ。

 今日一番の高揚感と強い胸の高鳴りを、蓮子は覚えるのだった。


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