桜花妖々録   作:秋風とも

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第29話「読心を捨てた覚妖怪」

 

 それから、あっという間に時間が過ぎて空が茜色に染まり始めた頃。満足気に鼻歌を歌うこいしの後ろ姿を眺めながらも、妖夢は進一と並んで歩いていた。

 ふと時刻を確認すると、現在16時15分頃。結局午後は殆んどこいし達と過ごしてしまった。初めの内こそ強い警戒心を持ってこいしに接していた妖夢だったが、こうして半日過ごしてみてその印象は変化していた。

 

 得対の知れぬ存在に対する懐疑心。それを完全に払拭できた訳ではないのだけれども。

 

「……あの、進一さん。ちょっと良いですか?」

「……うん?」

 

 囁くように、妖夢は進一へと声をかける。

 

「その、私……。正直に言うと、始めはこいしちゃんの事を明確な敵だと認識していたんですが……」

 

 先を歩くこいしの姿をチラリと一瞥した後、妖夢は続ける。

 

「でも……。何だか思っていた印象と違うんです。上手く言葉にできないんですけど、何て言うか……」

「想像以上に容姿相応、か?」

「そ、そう! そうなんです……! まるで本当に小さな子供を相手にしているような、そんな気がするんです……」

 

 古明地こいしは人間ではない。覚妖怪と呼ばれる、明確な怪異の類である。

 生憎妖夢は覚妖怪の知識をそれほど多く持ち合わせている訳ではない。人の心を読み、そのトラウマを抉る事を生業としている妖怪であると、精々その程度の知識である。

 正直、印象はあまりよろしくない。心の中が筒抜けであるという状況はあまり気分がいいものではないし、それ以上に彼女が持つ『能力』が不気味さに拍車をかけている。

 

 『無意識を操る程度の能力』。あまりにも得体の知れない『能力』だ。他人が持つ無意識を、いとも簡単に操ってしまうなど。

 

「クリスマスイブの時は、まんまとその能力に嵌っちまったんだよな。どうやら俺は無意識の内に『能力』を使ってあいつらに協力してたらしいぞ」

「……そうです。無意識を操って、無理矢理進一さんに『能力』を使わせるなんて……。そんな非人道的な事を平気でやってのけたんです。だからあの子は、実はとんでもない悪人なのではないかと……」

 

 妖夢はそう思っていた。

 

「でも、今日のあの子は違う。今のこいしちゃんは紛れもなく小さな子供なんです。そんなあの子が、『能力』を使って進一さんを陥れたなんて……。ちょっと、信じられなくて……」

 

 ひょっとしたら、彼女には二面性があるのではないだろうか。その可能性も考えたのだが――。

 

「二面性ねぇ……。どうなんだろうな」

「えっ……?」

「二面性とはちょっと違う気がする。確証がある訳じゃないけど、多分あいつが持っている人格は一つだけなんだと思う。上手く言葉にはできないんだが、そうだな……。強いて言えば、二面性がある訳じゃなくて、ただ演じ分けているだけ……みたいな」

「演じ分けている……? それって……」

 

 妖夢がそこまで口にした直後。不意に立ち止まったこいしが、くるりとこちらに振り向いてくる。腰の後ろで手を組んで、彼女は笑みを浮かべていた。

 

「二人とも、今日はありがと。久しぶりに楽しかったよ」

 

 相変わらずの無邪気な表情。あまりにも幼気で、あまりにも潔白で。こちらが抱いていた警戒心など、自然と解けてしまいそうな。そんな面持ち。

 純粋無垢で、天真爛漫。紛れもなく、疑う余地もなく、紛う事なき幼い少女。

 

「それじゃ、私もそろそろ約束を果たそうかな」

 

 そんな彼女が、勿体付けるように突然そう口にする。妖夢は思わず首を傾げた。

 

「約束……?」

「……知りたいんでしょ? 私の目的」

「あっ……」

 

 そうだ。確かに、そういう約束だった。別の事ばかりが気になって、もう少しで完全に頭から抜け落ちる所だったけれど。

 どうやら彼女は、きちんと約束を守ってくれるらしい。

 意外と素直かつ律儀な少女だ。約束を守ってくれない事も覚悟していただけに、寧ろ拍子抜けである。けれども、約束を守ってくれるのならば好都合。彼女から感じるこの違和感の正体も、これで掴めるかも知れない。

 

 しかし。

 

「……私はね。人を捜してるんだよ」

「人?」

「そう、人。まぁ、正確に言えば人間じゃないんだけど」

 

 人間じゃない?

 妖夢はますます怪訝に思った。人間ではない何者かを捜しているという事は、それはつまりこちらの世界に人外が潜伏している事となる。

 この世界では、妖怪や妖精などの幻想が完全に否定されたのではなかったのか。と言う事は、こいし言う捜し人とは、一体――。

 

「貴方にも、多少なりとも因縁があるんだよね、その人」

「え……? わ、私……?」

「うん。だって……」

 

 そこでこいしは一息置く。

 その直後。彼女が口にしたのは、とんでもない内容だった。

 

「こっちの世界に貴方を連れてきたの、多分その人だもん」

「なっ……!?」

 

 妖夢は絶句した。しばらくの間、瞠目したまま言葉を発する事も出来なくなる。

 こっちの世界に妖夢を連れてきた? という事はつまり、その人物こそが事の発端。妖夢の周囲で起きていた数々の事件の黒幕だという事なのだろうか。

 いや。それ以前に、()()()()()()などと彼女が口にするという事は。

 

「そ、それじゃあ……。やっぱり、こいしちゃんは……」

「……そう。私は幻想郷の住民だよ」

 

 やはりそうだったのか。

 よく考えてみれば当然だ。覚妖怪などという明確な怪異が、こちらの世界に普通に存在している時点でおかしな話である。この世界の住民にとって、妖怪などは想像の産物。その存在を心の底から信じ込み、強く認識している人間などまずいない。

 そうなると、考えられる答えは一つだけ。こちらの世界ではなく、幻想郷という異世界にその存在を定義されている――という事だ。

 

「ちょ、ちょっと待って……」

 

 突きつけられた事実によって感情が高ぶった所為で、妖夢の頭の中が混乱する。それでも何とか情報を整理して、彼女は無理矢理言葉を発する。

 

「そ、それなら……、こいしちゃんは……。幻想郷に帰る方法を、知っているの……!?」

 

 幻想郷。この4ヶ月間、妖夢が探し続けていた幻想の楽園。そんな世界の住民が、目の前にいる。

 この上ない手掛かりである。これまでのような、抽象的で漠然とした噂話などとは違う。明確な糸口。渇望していた答え。目の前の少女が握っているのは、この袋小路から抜け出す為の鍵と成り得る情報だ。

 

 しかし。そう思っていたのだけれども。

 

「……ごめん。残念だけど、貴方が故郷に帰る方法は……知らない」

「そう、なの……」

 

 申し訳なさそうに目を逸らしつつも、こいしは首を横に振る。妖夢は思わずあからさまに肩を落としてしまったが、しかしその傍ら。間髪いれずに、進一が口を挟んだ。

 

「ちょっと待て。それじゃあ、お前も幻想郷には帰れない、って事か?」

「あー……。いや、そういう訳じゃないんだけど……」

 

 何とも歯切れの悪い返答。その口振りから察するに、自分自身は幻想郷へと自由に帰る事が出来るのに、妖夢が幻想郷へと帰る方法が分からないという事なのだろうか。

 確かに、博麗大結界は複雑な結界だ。ある特殊な手段を踏まなければ越えられないとして、しかしそれは妖夢に適用する事ができない、と言うのならば納得できない事もないが――。

 

「……それじゃあ質問を変えるね。こいしちゃんの捜し人なら、私が幻想郷に帰る方法を知ってるんだよね?」

「まぁ……多分ね。貴方を連れてきた張本人なら、きっと帰る方法も知っていると思う」

「その人は誰なの? 人間じゃないって言ってたけど……。私も知ってる人?」

「それは……」

 

 またもや歯切れが悪くなる。難しい表情を浮かべたこいしは、その答えを言い淀んでいる様子だった。

 この反応。妖夢に話すと都合の悪い事でもあるのだろうか。その捜し人とやらに弱みでも握られているのか、或いは別の理由か。まぁ、この様子だと何も話してはくれなさそうだが。

 しかし。束の間の沈黙の末、妖夢の予感とは裏腹にこいしは口を開いてくれた。――難しい表情のまま、だが。

 

「……多分、貴方は知らない。会った事もないと思う」

「……会った事もない? それって……」

 

 どういう事だ? 会った事もない妖夢を誘拐し、こちらの世界に放置したとでもいうのだろうか。

 一体、何が目的なのだろう。見ず知らずの妖夢を誘拐するだけでも理解不能なのに、こちらの世界に放り出してそのまま放置するなど。全くもって、訳が分からない。それで犯人に何のメリットがあるというのだろうか。

 

「……思ったんだが、そう簡単にこっちの世界に人を放り込めるものなのか? 確か妖夢は白玉楼……冥界にいたんだったよな。冥界と顕界の間には強固な結界があるんじゃなかったのか?」

「そうです。そう易々と超えられる結界じゃありません。それこそ、同等の結界が張れる程の力量を持つ術者でもない限り……」

「うん。相手は本当に只者じゃないからね。私も、もうかなり長い期間足取りを追ってるんだけど、未だに尻尾を出してくれないし」

 

 只者じゃない――どころの騒ぎではないだろう。まさか、そこまで強大な存在が関わっているのだろうか。

 いや、そうなるとますます訳が分からなくなってくる。そこまで強大な存在であるのにも関わらず、相手は妖夢が知らない人物? 顕界と冥界を隔てる結界にすらも干渉できる程の力量を持っているのなら、噂ぐらいは耳に入ってきていてもおかしくないと思うのだが。

 

「実はお兄ちゃんに声をかけたのも、元々はその人の尻尾を掴むだったんだよ」

「何だと……?」

「おかしいと思ったんだ。半分幽霊のお姉ちゃんをこっちの世界に放り出しておいて、そのまま放置するなんて。あまりにも意味がなさすぎるでしょ? だから……」

「俺達にも気づかれないような何らかの方法で妖夢の動向を把握している、と?」

「そうそう! いやー、話が早くて助かるよー」

「何となく分かってきたぞ……。と言う事は、クリスマスイブのあれも同じ目的だったって事か。俺の『能力』を使って、その犯人を見つけ出そうとしていたんだな」

「おー! 凄い凄い! お兄ちゃんって頭いいんだねー!」

 

 持ち前の鋭い洞察力と理解力。それを遺憾なく発揮して、進一は曖昧な部分も幾つか補完してしまったらしい。しかし未だに頭の整理が追いつかぬ妖夢は、戸惑いつつも割って入った。

 

「あ、あの……。どういう事ですか……?」

「簡単な話だ。多分、犯人は妖夢をこっちの世界に放り出して、そのまま放置している訳じゃない。何らかの方法を使って、妖夢の動向を監視しているんだと思う。まぁ、少し乱暴に言ってしまえば、放し飼い……みたいな感じだな」

「は、放し飼い、ですか……!?」

 

 それはつまり、今の妖夢はその犯人の掌の上で踊らされているという事なのだろうか。おそらく、犯人は何らかの目的があって妖夢をこちらの世界に連れてきたのだろう。にも関わらず、未だにこれといったアクションを直接妖夢に起こしていないと言う事は。

 

「この4ヶ月間の私の行動は、全て犯人の想定内だった……という事なのでしょうか……?」

「そうだな。でも多分妖夢だけじゃない。俺達秘封倶楽部のメンバーや、姉さんとちゆりさん。妖夢に力を貸している協力者全員の行動が犯人には筒抜けで、かつ想定内なんだと思う」

「そ、そんな……」

 

 言葉に出来ぬような不気味さを肌で感じて、妖夢は思わず身震いした。

 妖夢の行動が犯人には筒抜け? しかもその全てが想定内だって? 冗談じゃない。そこまで用意周到な計画を練り込み、妖夢を態々こちらの世界に連れてくるなんて。

 そもそもどうして妖夢なのだろう。一体、何を狙って妖夢を選択したのだろうか。半人半霊で半人前。こんなにも中途半端で未熟な少女を。

 

「うーん、100%筒抜けって言っちゃうとちょっと語弊があるかも。あくまで私の推測だけど、お兄ちゃん達の行動は定期的にあっちに伝わっているんだと思うよ。だからここまで尻尾を掴めてないんだと思う」

「……確かに、それは一理あるな。四六時中、常に監視を続けていたら、それだけ気づかれるリスクも高まる、か」

「……何にせよ、凄く不気味ですよ。あまりにも得体が知れなすぎです……」

 

 そう。本当に、不気味だ。筆舌に尽くしがたい程に。

 

「話を戻すよ。とにかく私の目的は、その犯人の居場所を突き止める事。でもあんまりにも尻尾を出してくれないから、ちょっと大胆な行動を取ってみる事にしたの」

「だから俺に近づいたんだな」

「うん。半分幽霊のお姉ちゃんに最も深く関わっているのは貴方……進一だからね。きっと犯人も注意深くマークしているって、そう思ったんだよねー」

「俺にちょっかいを出せば、犯人も何らかのアクションを起こしてくるんじゃないかと。そう思った訳だ」

「そうそう。まぁ、先に半分幽霊のお姉ちゃんが声をかけてきたのは予想外だったけど。でも好都合だったから、一緒に遊んでもらう事にしたの」

「そ、そういう事、ですか……」

 

 魂魄妖夢と岡崎進一。犯人が注意深くマークしているだろう二人の間に、古明地こいしという異物が紛れ込んだのだ。この状況、犯人からしてみれば不都合な組み合わせなのではないだろうか。

 

「……それで、首尾は?」

「見ての通りだよ。結局何も進展なし。でもよく考えてみれば、クリスマスイブの時の方が余程大胆な行動しちゃってるのに、それでも接触してこなかったからねー。やっぱりこの程度じゃ動かないみたい」

「……そうか」

 

 どうやら、こいしの目論みは失敗に終わってしまったようだ。約半日間、こうして妖夢達と行動を共にしたのにも関わらず、結局犯人への手掛かりはこれといって掴めなかったらしい。

 やはりそう上手くはいかないと言う事か。

 

「え、えっと……。それじゃあ、クリスマスイブの時も、犯人を誘き出す為に進一さんを餌にでもしようとしたの……?」

「ううん。それは違うよ。あの時はこっちから犯人を見つけ出してやろうと思ってたんだ。お兄ちゃんの『眼』を使えば、多少なりとも居場所の目星くらいはつけられると思ったんだけど……」

「……何にせよ、あの時に取ったこいしちゃんの行動は許される事じゃないと思う。事情を知らない進一さんを、無理矢理引き込もうとするなんて……」

「……それについては、本当にごめんなさい。でもっ、仕方なかったんだよ。あの時は、まさかここまで上手くいかないとは思ってなかったから……。直ぐにアイツ……犯人を見つけ出して、あまり騒ぎが広がる前に事態を収束させるつもりだったんだけど……」

 

 こいしにはこいしなりの考えがあったのだろう。殆んど選り好みも出来ないような状況で、それでも必死になって絞り出した苦肉の策があれだった。

 だけれども。どんな事情があるにせよ、やはり妖夢にはあの行いを容認する事など出来ない。だって進一はこちらの世界の住民で、妖怪にも太刀打ちできるような力を持った存在などではなくて。彼は、紛れもなくただの人間なのだ。

 そんな彼を、了承も得ずにあのような危険に巻き込むなんて。理由を説明された所で、そう易々と納得できる訳がなかった。

 

「……こいし。幾つか確認してもいいか?」

「……ん? 別にいいけど」

 

 そんな中。妖夢とこいしのやり取りを静かに眺めていた進一が、おもむろに口を開く。

 

「お前はどうして、その犯人とやらを捜しているんだ? そいつを見つける事で、一体お前に何のメリットがある?」

「私がその人を捜している理由? その答えは単純だよ」

 

 こいしはくるりと身を翻して、妖夢達に背を向ける。そのまま彼女はこちらに顔を向けずに、口を開いた。

 

「助けたい人がいるんだ。その手掛かりを掴む為に、私は行動してるの」

「助けたい、人……?」

「……うん。私にとって、本当に大切な人。私の所為で、その人は……」

 

 そこでこいしは口籠もる。自分の気持ちは、はっきりしているのに。それを上手く言葉に言い表せないような、そんな印象を受ける。

 今の今まで飄々としていて、何を考えているのか分かり難い少女だったはずなのに。小刻みに震える背を向ける、今のこいしからひしひしと感じるこの感情は。

 

「こいしちゃん……」

 

 どうしようもないくらいの後悔。何もできなかった自分自信への憤り。彼女が抱くその気持ちは、言葉では言い表せぬ程の遣る瀬無さである。

 もしもあの時、ああしていれば。自分がもっとしっかりしていたら。そんな憶測や可能性が頭の中で渦巻いて、胸の奥が締め付けられる。妖夢もそんな思いを経験した事のある身の上であるが故、彼女の気持ちは何となく伝わってきていた。

 

 彼女は。古明地こいしというこの少女は。

 自責の念に従って、歩みを続けている。

 

「……二つ目の質問だ。三度笠を被ったあの女は誰だ? 今日は一緒じゃないみたいだが……お前の仲間じゃなかったのか?」

 

 何か思う事がありそうな様子だったが、それ以上は追求せずに進一は次の質問に移る。そこでこいしはようやくこちらに顔を向けてくれた。

 

「あの人は私の協力者だよ。でも訳あって今は別行動してる」

「あいつも幻想郷の住民なのか?」

「そうだよ。でもたまたま利害が一致したから、一時的に協力関係にあるってだけ。それ以上の関係でも、それ以下の関係でもない」

 

 三度笠を被ったあの女性剣士。そう言えば、確かにクリスマスイブのあの時はこいしと共に行動していたようだが、今日は姿が見当たらない。常に共に行動しているという訳ではないのだろうか。

 

「あの人……。半人半霊、何だよね?」

「うん。だからあの人も“半分幽霊のお姉ちゃん”って事になるねー」

「……あの人は一体何者なの? どうして、私と同じ剣術を……」

「……さぁね。幻想郷は意外と広んだし、ちょっとくらい太刀筋が似た剣士がいてもおかしくないんじゃないかな?」

「ちょっとどころの騒ぎじゃない……。だってあの人の太刀筋は、紛れもなく……」

「そう言われてもなぁ……。言ったでしょ? あの人とは一時的な協力関係に過ぎないんだって。私もそこまで深い事情を知ってる訳じゃないんだよ」

「……そう、だよね」

 

 結局彼女の正体は分からず終い、か。けれどもこいしの言葉を信じるのならば、彼女もまたその犯人とやらを捜している事となる。ともすれば、妖夢も今後再び接触できる機会が訪れる事もあるかも知れない。彼女については、その時にでも本人から直接聞き出すしかないだろう。

 取り敢えず、彼女に対する考察については今は諦める事にしよう。

 

「それじゃあ最後の質問だ、こいし」

「うん。なになに?」

「お前はどうして俺の『能力』を知っていたんだ?」

 

 毅然とした面持ちで進一が投げかけた最後の質問は、妖夢の関心を一気に傾けるのに十分過ぎる内容だった。

 そう。確かに、それはあまりにも奇妙である。幻想郷の住民であるはずの古明地こいしが、こちらの世界の住民であるはずの岡崎進一が持つ『能力』を予め把握し、それを利用する為に近づいてきている。冷静になって考えてみればおかしな話だ。初対面であるはずの相手の隠し事を、事細かに把握しているなど。

 

「あれ? 前にも言わなかったっけ?」

「……企業秘密、だろ? でも俺が求めているのはそんなふざけた答えなんかじゃない。もっと具体的な手段だ」

「……ふぅ。やっぱりそうくるよね」

 

 溜息を零しつつも、こいしは肩を窄める。どうやらこいしからしてみれば、あまり聞かれたくない内容らしい。

 

「それ言わなきゃ駄目?」

「……そうだな。正直言って、はっきりしておかないとこちらとしても気分が悪い」

「……そりゃそうだよね」

 

 納得したかのような口振りだが、こいしの表情は相変わらず渋い。そこまで話したくない内容なのだろうか。ここまで口籠もるという事は、何かそれなりの理由があるはず。

 それから少しの間だけ沈黙が訪れるが、程なくして。露骨に進一から目を逸らしつつも、ポツリポツリとこいしは語り出す。

 

「……私は人間じゃない。覚妖怪なんだよ」

「ああ。それはさっき聞いた」

「覚妖怪は、第三の眼を用いる事によって他者の心を覗き見る事ができる。だから私達の前では隠し事なんて無意味なんだ。常に心の隅々まで筒抜けだからね」

「……何が言いたい?」

「分かるでしょ?」

 

 そこで彼女は一息置いて、

 

「私がその気になれば、貴方が考えている事なんて全部お見通しだって事」

「……つまりお前はこう言いたいのか。その第三の眼とやらを使って俺の心を読み、『能力』を把握したと」

「……そうだよ」

 

 成る程。確かに、それなら辻褄が合う。読心は覚妖怪の専売特許。彼女達の持つ本来の『能力』である。第三の眼を用いて一方的に心の中を覗き見たのであれば、口にした事すらなかった進一の『能力』を知っていたとしてもおかしくはない。

 そう。確かにそうなのだけれども。

 

「本当にそうなのか?」

「だから……そうだって言ってるじゃん。お兄ちゃんの心を読んだから……」

「お前は自分で言っていたよな。読心能力は捨てたって」

「…………っ」

 

 こいしは露骨に言葉が詰まった様子だった。

 

「本当に俺の心を読んだのなら、今ここで再現して見せてくれ。さぁ、俺は今何を考えている? 第三の眼を使えば簡単に分かるんだろ?」

「うっ……。そ、それは……」

「……どうした? 分からないのか?」

「わ、分かる……! 分かるよ! ちょ、ちょっと待ってね……」

 

 無気になって言い返えしてきたこいしだったが、直ぐにまた弱腰になってしまう。それから「うーん……」と唸り声を上げながらも、必死になって考え込み始めた。

 しかし、どうにも苦し紛れに無駄な抵抗をしているようにしか見えない。本当に第三の眼を使って進一の心を読もうとしているのだろうか。

 しばらく考え込んだ後、彼女はおもむろに顔を上げて、

 

「え、えっと……」

 

 傍から見ても明らかな程、半ば無理矢理絞り出した彼女の答えは。

 

「こ、こいしちゃんは最高に可愛い! ……かな?」

「…………」

 

 進一の冷ややかな視線がこいしに突き刺さった。

 

「……そうか、成る程な。よーく分かったよ」

「な、なに……?」

「いや、てっきりお前は見た目にそぐわず狡猾な奴だと思ってたんだけどな。どうやら俺の買い被りだったらしい」

「それ……貶してるんだよね?」

「……いや」

 

 そこで進一は、バツが悪そうにこいしから目を逸らす。

 

「そういう事にしておいてやる」

「……えっ?」

「俺の心を読んで『能力』を把握したんだろ? それで納得してやると言っているんだ」

「そ、それって……」

 

 頭を掻きつつも、進一は溜息を一つ零した。やれやれと言わんばかりの面持ちで、彼はそのまま続ける。

 

「理由は分からんけど、話したくないんだろ? だったら今は無理矢理聞き出そうとはしない」

「い、いいの……?」

()()、だ。その内話して貰うからな」

 

 腕を組みつつも進一はこいしに釘を指す。その様子は宛ら、妹に言い聞かせる兄のようである。一見すると強く当たっているようにも思えるが、彼はそれなりに心を許してしまっている。

 見た目にそぐわず飄々としていて何か考えているのか分かり難い古明地こいしであるが、その実意外と見た目通りの一面も持ち合わせている。そんな彼女を把握して、進一は進一なりに理解しようとしているのだろうか。

 

 全く、迂闊というか何と言うか。まぁ、妖夢も人の事を言える立場ではないが。

 

「こいしちゃん。私も一つ確認してもいいかな?」

「……なに?」

 

 そんな進一を横目に、妖夢もこいしに声をかける。

 

「……こいしちゃんは私達の敵なの? それとも、味方?」

 

 二者択一。実に単純明快な確認事項である。

 先程進一に囁やきかけた通り、妖夢はついさっきまで彼女を敵だと認識していた。けれども、今はその認識を改めつつある。

 いや、明確に心を許してしまった訳ではないし、彼女の行いを赦してしまった訳でもない。だからこその確認だ。妖夢の気持ちがどうであれ、果たしてこいしの方はどう見ているのか。少なくとも、それだけは確認しておきたかった。

 

「……私は」

 

 暫しの沈黙の末、古明地こいしは口を開く。

 

「……味方とは言えないかな。隠し事とかしちゃってるし。目的に一部共通点があるのかも知れないけど、私は貴方達に協力している訳じゃない」

「それじゃあ……」

「でも」

 

 間髪入れずに、彼女は口を挟む。

 

「敵だとも思ってないよ」

「えっ?」

「確かに私は、捜し人を釣り上げる為に貴方達に近づいた。でも……」

 

 そこで彼女は破顔する。

 

「お兄ちゃんと、半分幽霊のお姉ちゃんと一緒に遊んで、今日は久しぶりに楽しかった。その気持ちに嘘はないよ」

 

 それは実に屈託のない笑顔だった。

 妖夢の表情も釣られて綻ぶ。今の今まで、いまいち何を考えているのか分かり難い少女だったのだけれども。でも、この瞬間だけは違う。彼女が浮かべたこの笑顔と、口にしたその言葉は。まやかしでも、偽りでもない。

 彼女の心は、確かにここにある。

 

「さてと。結構日も沈んできたし、私はもう行こうかな」

 

 口を開きつつも、彼女は再び背を向ける。

 

「帰るのか?」

「うん。()()()()半分幽霊のお姉ちゃんも、そろそろ心配してそうだしね」

 

 古明地こいし。読心を捨てた覚妖怪。無意識の領域に干渉し、自在に操る事が出来る少女。

 初対面での印象は、お世辞でも良いものとは言えなかったのだけれども。こうして半日共に過ごしてみて、彼女の心の一端に触れて。

 魂魄妖夢の認識は、少なからず変化していた。

 

「こいしちゃんっ!」

 

 それ故に。

 

「私は、こいしちゃんの事……敵だと思ってた。でも……」

 

 はっきりと、伝えておかねばなるまい。

 

「多少なりとも勘違いしていたんだって……。今は、そう思ってる」

 

 あの時は、怒りで我を忘れていて、冷静な分析ができずにいた。表面だけの第一印象を間に受けて、それだけが真実なのだと思い込んでいた。

 けれども、それではあまりにも早計だ。表面上に現れているものだけが真実だとは限らない。

 

 それが分かっただけでも、この半日間は無駄ではなかったのだと。妖夢はそう感じていた。

 

「……ありがと。そう言ってくれるだけでうれしいよ」

 

 最後にくるりと振り向いて、彼女はニッコリと笑顔を見せる。

 

「ばいばい。また遊ぼうね」

 

 それだけを言い残して、古明地こいしは姿を消した。

 ――いや、去って行ったと言う方が正しいか。『能力』を使って周囲の無意識を弄り、妖夢達の意識から外れただけだ。遊ぶだけ遊んで、最後は満足気に突然姿を消す。まるで座敷童だ。幼い容姿であるだけに、覚妖怪ではなくてそっちの方がしっくりくるのではないだろうか。

 

 名残惜しげな気持ちに浸りながらも、妖夢は何気なく空を仰ぐ。こいしの言っていた通り、空模様はまさに夕暮れ時といった様子だった。

 

「……よかったのか?」

 

 そんな中。歩み寄りつつも、進一が声をかえてくる。

 

「あいつについて行けば、三度笠を被った奴ともまた会えたかも知れないぞ」

「……いいんです。こいしちゃんについて行かなくても、あの人とはまた対面する事になる。そんな気がするんです」

「そいつはまた、随分と曖昧な予感だな」

「進一さんの方こそ、いいんですか?」

 

 視線を空から進一へと移しながらも、妖夢は続けた。

 

「あの子が進一さんの能力を知っていた理由、結局分からず終いだったじゃないですか」

「あぁ……。まぁそうだな。でもさっきも言っただろ? 俺は嫌がる奴から無理矢理情報を聞き出す事なんてしない。というか、そもそも好きじゃないんだよ、そういうの」

「成る程……。ふふっ、進一さんらしいですね」

「……そこ笑う所か?」

 

 結局の所、今日は二人ともこいしに翻弄されっぱなしだったと言う事か。クリスマスイブの時も彼女に翻弄されていたとも言えるが、けれども今日はあの時とは違う。

 振り回されてはいたけれど、まぁ、悪い気はしない。自分達の方も良い息抜きになったんじゃないかと、妖夢はそう感じていた。

 

「さて。俺達も帰るか?」

「そうですね」

 

 それに、成果が何もなかった訳ではない。

 妖夢をこちらの世界に連れてきた犯人。その存在を確信する事ができた。これは大きな成果である。誰が何の目的でこんな事をしたのかは分からないが、この際その細かな目的を追及するのは後回しでも良い。

 誰かに連れてこられたのなら、帰る事も可能なはず。それが分かっただけでも十分だ。

 

 数ヶ月に及ぶ暗中模索。その先にようやく光が見えてきたかのような、そんな気がした。

 

「そう言えば妖夢。お前はなぜ外出してたんだ? 買い物でもしにきたのか?」

「え? あっ……あー!! そ、そうです! すっかり忘れてました! わ、私、元々お夕飯の買い物をしようと思っていて……!」

「おいおい……」

「そ、そんな……! 折角のタイムセールがああああ!!」

 

 ――ついでにある意味最大のミスに気づいてしまう妖夢なのだった。

 

 

 ***

 

 

 人気のない通り。誰もない裏路地。鴉の鳴き声と風の音だけが寂しげに響く中、古明地こいしは一人トボトボと歩いていた。

 妖夢達と別れてから数分。三度笠の女性――この時代の妖夢の下へと帰るのだと言っておきながら、彼女が歩むのは全くの別方向だ。まるで何の宛もないのかのように、彼女はふらふらと歩き続ける。目的地など完全に度外視して、彼女は一人で闊歩する。

 

 ただ。その脳裏に、つい先程の出来事がぼんやりと投影される。

 

(どうして『能力』の事を知っているのか、ね……)

 

 あの時。こいしの口から出てきたのは完全に出任せだ。第三の眼を使って彼の心を覗き見たなど、そんな事は有り得ない。

 だって。古明地こいしは、第三の眼を使う事が()()()()のだから。

 

(でも……。何で嘘なんかつこうとしちゃったんだろ……)

 

 自分の事であるはずなのに、自分でもよく分からない。

 

(お兄ちゃんと一緒にいるのが、本当に楽しかったから……?)

 

 あの時こいしの脳裏に過ぎったのは、ある種の恐怖だった。あそこで真実を話したら、進一に嫌われてしまうのではないだろうか。また、誰かに忌避されてしまうのではないか。そう考えると、怖くて、怖くて、仕方がなかった。

 だから彼女は嘘をつく事にした。嘘をついて、誤魔化して、その場を凌ごうとした。

 

(自業自得、なのにね)

 

 笑わせるな。目的を達成する為なら、何でもするって決めたじゃないか。それなのに、こんな事に躊躇いを感じている場合ではないだろう。況してや進一達と共にうつつを抜かしている場合でもない。

 

(……そうだよ)

 

 こいしの目的はただ一つ。アイツを見つけて情報を聞き出し、そして『異変』を解決する。そうすれば、()()()()()を助ける事ができるんだ。

 その為に必死に駆け回って、ようやくここまで辿り着いた。今更引き下がる訳にはいかない。

 

 古明地こいしの捜し人。そいつの手掛かりを釣り上げる為に、彼女は進一達に近づいた。けれども餌は彼等ではない。

 古明地こいし。彼女自身だ。

 

「ようやく尻尾を出してくれたんだね」

 

 人気のない裏通り。そこで不意に足を止め、彼女は声を上げて語りかける。

 その相手は彼女の背後。高い塀が陰となった曲がり角。そこから微かに感じる、胡乱な気配。それをこいしは見逃さなかった。

 

「思った通り。私が妖夢に余計な事を喋り始めたから、流石に動かざるを得なかったって事なのかな?」

 

 振り返りつつも、こいしは続ける。やはり塀が陰なってここからでは何も見えないが、それでも彼女には分かる。そこには、確かに誰かがいる。

 

「凄く上手く尾行できているとは思うけど、でも残念だね。私にはお見通しだよ?」

 

 適度に間隔を開けつつもこいしは喋り続けるが、やはり一向に反応はない。いつまでこの膠着状態を続けるつもりなのだろうか。

 

「貴方は誰? アイツの差し金で動いてるんだよね?」

 

 そこに隠れているのは、こいしの捜し人本人ではない。この感覚、おそらく奴の協力者。妖夢達の動向を観察し、定期的に報告していた張本人。

 

「……いつまで黙り続けるつもり?」

 

 こいしがそう口にした直後、気配が動いた。

 明確に耳に届く足音。しかしこちらに向かってくるものではない。踵を返し、立ち去ろうとしている。

 

「逃がさないよ」

 

 負けじとこいしも走り出す。ここまで踏み込んで、ようやく尻尾を出してくれたのだ。千載一遇のこのチャンス、逃す訳にはいかない。

 全力で通りを走り抜け、こいしは勢い良く角から飛び出す。しかし飛び出すや否や、彼女の目に飛び込んできたものは。

 

「あれ……?」

 

 誰もいない、無人の通りだった。

 こいしはゆっくりと歩き出しながらも、周囲を見渡し始める。有り得ない。確かに誰かがいたはずだ。ずっとこいしを尾行してきて、こそこそと様子を伺って。一際強い警戒心を、ずっと向けられていたはずなのに。

 

「どこに……?」

 

 歩きながらも、消え入るように彼女は呟く。

 けれども、その直後。

 

 ()()は突然背後に現れた。

 

「…………ッ!?」

 

 唐突に現れる気配。突き刺さるような殺気。それらを肌で感じたこいしが慌てて振り返ろうとするが、頭の中で認識した頃には何もかもが遅すぎた。

 追跡者の姿を確認する前に。ぐわんと、突然こいしの頭の中が大きく揺さぶられた。

 

(なっ……)

 

 一気に混濁する意識。崩れ落ちてゆく身体。ジワジワと響く鈍痛までもが遠退いてゆくのを感じながらも、こいしの視界は真っ暗になってゆく。

 

(う、嘘……。そん、な……)

 

 完全にしてやられた。まさかこんな単純なトラップにかかってしまうなんて。軽率な自分の行動に憤りを覚えるが、今更悔やんだ所でもう遅い。

 行き場のない屈辱感を強く覚えた直後。こいしの意識は途絶えた。


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