桜花妖々録   作:秋風とも

28 / 148
幕間3「永遠に紅い幼き月」

 

 紅魔館の主、レミリア・スカーレットは吸血鬼である。

 吸血鬼。それは強靭な肉体と強大な魔力、そして驚異的な再生能力を有する存在。人の血を吸い尽くす鬼にして、数多の魑魅魍魎の頂点に立つ夜の帝王。最凶最悪の妖怪。悪魔とも揶揄されるその存在の起源は、実に数十世紀前まで遡る。

 

 幻想郷における吸血鬼の立ち位置は、比較的新参であると扱われる事が多い。そもそも吸血鬼という妖怪は欧州を中心に活動していた種族で、日本文化にはあまり馴染みが深いとは言えない。故に幻想郷においてもその歴史は精々数百年程度で、その何十倍、何百倍もの年月を日本で刻んできた他の妖怪からしてみれば、吸血鬼という存在はまだまだ新参者なのである。

 けれども、だからと言って吸血鬼が他の妖怪と比べて舐められている訳では決してない。先述の通り、吸血鬼は強靭で驚異的な身体能力と魔力を有する妖怪。人の血を吸って糧にする鬼である。新参者でありながら、既に幻想郷のパワーバランスの一角を担う強大な存在であると認知されており、その名は広く知れ渡っている。

 

 常識の範疇を逸脱する程の強大な力をその身に有し、人間の血液を主食とする悪魔。人間にとって実に明快な脅威である。ある意味、あの胡散臭いスキマ妖怪などよりもずっと分かりやすいとも言えるかも知れない。それ故に、吸血鬼という存在は短期間でここまで広く知れ渡る事になったのだが。

 

 しかし、驚異的な能力を持っている反面、弱点も非常に多い。日光や流水、鰯の頭や炒った豆など、その点についても具体的で実に分かりやすい。

 吸血鬼は最凶であって最強ではない。幾ら強大な妖怪でも、完全無欠など有り得ないのだ。

 

 しかし、それでも。

 吸血鬼からしてみれば、人間などは下賎な存在。気高く、高貴で、誇り高く、そして美しい。そんな存在を前にすれば、人間風情はひれ伏す他に道などない。

 最凶最悪の悪魔。カリスマの具現。吸血鬼とはそういった妖怪である。

 

 そして。その少女も、また――。

 

「お嬢様。夕食の準備が整いました」

 

 夜も更けてきた頃。四阿にて夜風に当たっていたレミリアのもとに現れたのは、銀色の髪を持つ一人の少女だった。

 体格は長身。その容姿から推測して、年齢はおそらく十代後半。そしてその身に纏うのは、青と白のメイド服。レミリアに絶対的な忠誠を誓う彼女は、深々と頭を下げつつも要件を伝える。

 レミリア・スカーレットの従者。この館に仕える唯一の人間。完全で瀟洒なメイド。十六夜(いざよい)咲夜(さくや)とは、彼女の事である。

 

「……そう。分かったわ」

 

 夕食と言っても、吸血鬼にとってそれは人間で言うところの朝食や昼食のようなものである。日光を苦手とする吸血鬼の主な活動時間は夜。太陽が昇っている時間帯はベッドの中でぐっすりだ。日光に焼かれる危険性を顧みず、日中に活動する吸血鬼はそういない。

 まぁ。レミリア・スカーレットという吸血鬼に関しては、その点について必ずしも当てはまるとは言い切れないのだけれども。

 

 四阿に設けられた椅子から立ち上がり、レミリアは館に向かって歩き出す。テーブルの上に広げられていたティーセットは、既に咲夜の手によって片付けられている。

 彼女が得意とする時間操作である。その『能力』を活用して、咲夜は紅魔館の家事をほぼ一手に引き受けている。

 人間にしては出来すぎた『能力』である。しかも十代後半の少女とは思えない程に、従者としてのあらゆる仕事を完璧に熟している。だからこそ、彼女は人間でありながらメイド長という地位に立てている訳だが。

 

「何だかあんまりお腹空いてないわね。紅茶を飲み過ぎちゃったかしら?」

「お言葉ですがお嬢様。不規則な食生活は美容等にも悪影響を及ぼします。お嬢様の気品ある美貌を保つ為にも、規則正しい生活リズムは崩すべきではないかと」

「分かってるわよそんなこと」

 

 このメイド、ここ最近はこういった意見を挟む事も多くなってきているような気がする。幻想郷に来る前はもっと無機質で無感情な少女だったと思うのだが、常識外れなこの世界はどうやら彼女にも少なからず影響を与えているらしい。いや、あんな賑やかな連中と長い間一緒にいれば、嫌でも心を開かざるを得ないという事か。

 

「ほら、今日は意外な来客があったじゃない。だからいつもよりティータイムが長引いちゃって……」

 

 微妙な腹の空き具合に対する言い訳。それをさっきの来客に擦り付けようとした所で、レミリアは思い出したかのようにポンッと手を叩いた。

 来客と言えば、あれである。

 

「そうそう! ねぇ、咲夜。さっきの私、どうだったかしら?」

「……どう、と申しますと?」

「鈍いわねぇ。品格よ品格! まさに大人の淑女って感じじゃなかった?」

「……そうですね」

「そうでしょそうでしょ? ふふーん、パチェの本を読んで勉強した甲斐があったわ!」

 

 咲夜が何とも微妙な表情を浮かべていたような気もしたが、そんな事はレミリアにはお構いなしなのである。満足気に胸を張る今の彼女の様子は、宛らちょっと背伸びをした子供のようだ。

 

 そう。レミリア・スカーレットは紛れもなく高貴な吸血鬼でありながら、それと同時に紛れもなく幼い子供なのである。

 確かにその小さな身体からは、吸血鬼としての特徴が数多く見て取れる。自然と現れる品格と、醸し出される美しさは、まさにカリスマの具現たる吸血鬼の象徴だ。その点についてはレミリアとて例外ではない。

 ただ、何と言うか。内に秘めるその性格が、ちょっとばかり容姿通り過ぎるのだ。

 

「思うに、今までの私は少しばかり攻めすぎていたと思うのよ。でも時にはちょっと後手に回る事も必要なの。ほら、大人としての余裕、みたいな?」

 

 レミリアは好奇心に忠実な上に気まぐれな少女だ。たまたまふと思い立って読んでみた本。その影響を強く受けてしまっている訳だ。しかし、“大人”だとか“淑女”だとかの単語をやけに強調している辺り、より子供っぽさを推し進めているように見えてしまう。

 けれど、今のレミリアはそんな事などまるで気にも留めていない。従者である咲夜もまるで揚げ足を取ろうとしないのだから、完全に悪循環である。

 

「きっとさっきの人間もひしひしと感じていたはずよ。この私、レミリア・スカーレットの威厳をね」

 

 レミリアが得意気にそう口にする。その容姿通り何とも微笑ましい態度であるが、傍らにいる咲夜の表情は相も変わらず微妙なものだ。仕える主の子供っぽい態度に呆れているのか、それとも表情に出さないだけで内心はこの状況を楽しんでいるのだろうか。

 

 ――いや。そのどちらも違う。

 

「お嬢様」

 

 落ち着いた声調。主へと声をかけるその少女の表情は、どうにも訝しげなものだ。

 別に、彼女は主に対して妙な疑念を抱いている訳ではないだろう。レミリア・スカーレットに仕える従者である十六夜咲夜は、誰よりも主に忠実だ。レミリアの一挙一動に多少疑問を抱く事はあれど、それに逆らうような事は決してない。

 

「お嬢様はスカーレット家の現当主です。お嬢様自身が気を遣わずとも、その粛然たる品格や高貴、そして威厳は十二分に伝わってきます。況してや相手は人間。お嬢様から見れば下賎な存在です。吸血鬼であるお嬢様を前にすれば、卑劣な人間など恐怖に慄き、震え上がる事になるでしょう」

 

 レミリアはちらりと咲夜を一瞥する。

 何とも遠回しと言うかじれったい物言いだ。謙っているのか、それとも探りを入れているのか。いずれにせよ、レミリアはあまり回りくどい事が好きではない。

 

「何が言いたいのかしら?」

「……申し訳ありません。無礼は承知しておりますが……」

「構わないわ。続けなさい」

 

 レミリアが促すと、ようやく咲夜は単刀直入に口を開いてくれた。

 

「お嬢様らしくないと、そう感じたのです。幾ら本の影響を受けていたとは言え、あそこまで正直に後手に回ってしまうなど……」

「……あら? 私は傲慢な女であると、貴方はそう言いたいの?」

「いえ、決してそういう訳では。ただ……言葉は悪いですが、今回はどういった風の吹き回しなのかと」

「ふぅん……」

 

 ふふっと、レミリアは思わず鼻で笑ってしまった。

 別に咲夜を嘲笑したつもりはない。彼女が零したその笑みは、言わば思い出し笑いのようなものだ。つい先程まで対面していた来客。あの少女と交わした他愛もないやり取り。その中で覚えたあの()()を思い出し、レミリアは愉悦に浸っていた。

 

「ねぇ、咲夜。さっきの人間の話、貴方はどう感じた?」

「……率直に申しますと、あまりにも支離滅裂であるように感じました。自分でも状況を理解していないと申しますか……。そうですね、言うなれば酷く混乱していたような、そんな気がします」

「まぁ、そうよね。私もそう感じたわ」

 

 あの人間。確か――マエリベリー・ハーンなどと名乗っていたか。まぁ名前などはどうでもいい。肝心なのは彼女の名前などではなく、彼女が見せていたあの様子だ。

 

「まるで状況が飲み込めず、自分に何が起きているのかも理解していない。あの人間の様子、どこかで見覚えがあるとは思わない?」

「最も近いのは……外来人、でしょうか」

「そう。多分、あの人間は外来人。それは間違ってないと思うわ。でも……」

 

 仮にそうだったとすれば、色々と解せない部分が出てくる。

 

「どうしてこの館に辿り着いたのかしら? 幻想入りするにしても、普通は無縁塚か……或いは博麗神社辺りに現れるはず。でもあの人間は、どういう訳がいきなりこの館周辺に現れたみたいだったのよね」

「彼女の話を聞いた限りでは、そう言う事になりますね」

「そして最も奇妙に思った点が一つ」

 

 薔薇の庭園を抜けた辺りで、レミリアは足を止める。ニヤリと口元を歪ませつつも、彼女は言った。

 

「あの人間は真っ先に尋ねてきたのよねぇ。ここは幻想郷なのかって……」

 

 あの人間は紛れもなく外来人――外の世界の人間でありながら、幻想郷の存在を認知していた。妖怪等の魑魅魍魎がまやかしだと排斥され、その事実こそが常識であると思い込んでいる外来人であるはずなのに。

 外の世界で忘れられた者達が住まう楽園、幻想郷。なぜ、あの少女はその存在を認識していたのか。一体、情報はどこで手に入れたのか。

 

 その答えは至極単純。

 

「魂魄妖夢。あの人間は確かにそう言ったわよね?」

「はい。間違いありません」

 

 マエリベリー・ハーンと名乗ったあの少女は、確かにそう口にしていた。

 幻想郷の存在は、魂魄妖夢から聞いたのだと。

 

「魂魄妖夢って……あれよね? ほら、半分幽霊の……」

「白玉楼専属の庭師兼、冥界の管理者である西行寺幽々子の剣術指南役でございます。二刀流を扱う剣士です」

「そうそう! 何か隣にふわふわとした物がくっついているヤツね」

 

 別に、レミリアと彼女の間には特に繋がりがある訳でもない。宴会などでたまに顔を合わせる事はあるが、その程度の接点である。レミリアからしてみれば、彼女はただの中途半端な人間という認識程度でしかない。しかし半霊などという分かりやすい特徴を持っていたからこそ、レミリアの記憶にも彼女は残っていた。

 確か、見るからに生真面目であまり表裏のない少女だったか。飄々としている西行寺幽々子とは打って変わり、分かりやすく素直な性格をしている少女である。

 

 そんな彼女の名前が、あの人間の口から出てきた。

 

「魂魄妖夢なんて名前、外の世界じゃまず見かけないでしょうね。それじゃあ、やっぱり……」

「おそらくお嬢様の推測通りかと」

「……そうよね」

 

 そう。今の魂魄妖夢は。

 

「外の世界にいる、という事になるわね」

 

 幻想郷と外の世界の間に博麗大結界が存在するのと同じように、冥界と顕界の間にも確かに隔たりが存在している。死後の世界である冥界の住民が顕界に接触するなど、本来は摂理に反するからだ。幻想郷という特殊な世界ならともかく、あろう事か外の世界に足を踏み入れてしまうなど。

 

「あの半分幽霊、見るからに生真面目そうなヤツだったと思うのだけど。まさか独断で外の世界に行くとは思えないわよねぇ……」

「そもそも彼女一人の力では結界を越える事など不可能でしょう。となると西行寺幽々子の差金か……それとも八雲紫、でしょうか?」

「或いは他の誰かか……。まぁ、流石の私もそれ以上の事は見当もつかないけど」

 

 どちらにせよ、はっきりしている事が一つある。

 

「何だか色々と厄介な事が起きているみたいね」

 

 魂魄妖夢が外の世界に飛ばされた事といい、そんな彼女を知る外来人が幻想郷へと迷い込んできた事といい。何やら奇妙な出来事が重なっているようだ。この二つの出来事、はたして偶然なのだろうか。

 

「後手に回って探りを入れたお陰で、色々と把握する事も出来たわ。あの人間……随分と面白い運命を持っているみたいね」

「面白い運命、ですか?」

「ええ。実に面白いわ……」

 

 マエリベリー・ハーンというあの人間。彼女から垣間見た運命。妙にぼんやりとしていて、はっきりと認識する事はできなかったのだけれども。それだけで十分だ。

 『運命を操る程度の能力』。レミリアの持つその能力を以てすれば、他人の運命を覗き込む事だって可能である。そんな能力を持つレミリアでさえも、あの人間の能力をはっきりと認識する事はできなかった。

 

「まるで誰かの妨害でも受けているみたい……。まぁでも、あの程度じゃこの私を完全に阻む事なんて不可能だけど」

 

 不敵に笑うレミリア。愉悦に浸り、快楽に揉まれ、それでも尚傲慢に。レミリア・スカーレットという吸血鬼は、とある運命を見据えている。

 

「随分と楽しそうですね、お嬢様」

「当たり前よ! さっきの人間にも言ったでしょ? 私は人生に刺激を求めるタイプだって」

 

 そう。こんな刺激的な体験、そうそう出来るものじゃない。

 

「春雪異変。百鬼夜行。永夜異変。大結界異変。守矢神社の幻想入り。各地で発生した異常気象。そして、年末の間欠泉。私が起こした紅霧異変も含めて、これまで幻想郷では様々な異変が起きてきたけど……。でも、今回はそのどれとも根本的に違う。他に類を見ないような何かが起きようとしているのよ」

「新たな異変ですか?」

「そうね。そうとも言えるかも」

 

 レミリア・スカーレットは退屈を嫌う。好奇心の赴くまま、彼女は常に刺激を求めて闊歩する。

 退屈とは、レミリアにとってある意味最大の敵だ。日光、流水、鰯の頭や炒った豆などと同等、或いはそれ以上の脅威である。無尽蔵の欲望は、文字通りいつ爆発してもおかしくない。

 それ故に、だからこそ。彼女はこの状況を、心の底から楽しんでいる。

 

「咲夜。分かっていると思うけど」

「承知しております。今回の件は内密に……」

「ええ、他言無用よ? 特にあのスキマ妖怪には絶対に言っちゃダメだからね?」

 

 折角の“運命”だ。余計な介入で邪魔されるのだけは避けたい。おそらくあのスキマ妖怪は何らかの行動を起こしているのだろうが、別にレミリアには彼女に協力してやる理由がない。

 いや。寧ろ今は協力しない方が面白そうだ。それならレミリアが選ぶ道は一つしかない。

 

「ふふっ……」

 

 まるで新しい玩具を前にした子供のような、無邪気で至福の笑み。そんな表情を浮かべながらも、レミリアは一人呟く。

 

「面白くなってきたわね」

 

 運命が、動き出そうとしていた。




この幕間は本来入れる予定はなかったのですが、前回までで切りが良かったと言う事とレミリアの心境等を描写しておきたかったという理由から挿入させて頂きました。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。