桜花妖々録   作:秋風とも

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第19話「父親と、姉弟と」

 

 早朝。空は快晴だが気温は低く、地や草木には霜が降りている。先日降り積もった雪はすっかり溶けてしまったが、それでも大気は肌を刺すような冷たさだ。鋭い寒気が四方八方から襲いかかり、身体中の筋肉を萎縮させる。厚着をしなければあっという間に凍えてしまいそうな気候である。

 そんな中でも妖夢が足を運んだのはいつもの公園。今朝もすっかり日課となった剣術鍛錬の時間である。言うまでもないが、彼女が手に持つのは真剣などではなく竹刀。人気の少ない公園、中段の構えで静かに佇み、目を瞑って神経を研ぎ澄ませる。澄み切って落ち着いた心をよく明鏡止水と形容する事があるが、どんなに小さなものだろうと映し出す鏡のようなその心境は、剣士にとっても重要素である。剣の打ち合いにおいてその勝敗を左右するのは、如何に相手の動きを把握し、直ちに対応できるか。つまり心の鏡にどこまで相手を投影する事ができるか。心に乱れが生じては、相手の動きを捉える事などできない。

 

「――っ」

 

 風に揺れて草木がさわさわと擦れ合う音。締めが甘かった蛇口から水滴が零れ落ちる音。どこかで誰かが行き交う足音。そんな雑音など耳に入れず、妖夢は身体の力を抜きつつも集中力を一気に高める。当然ながら、実戦では悠長に心を落ち着かせる余裕などない。幾ら明鏡止水と言えど、そこに至るまで時間が掛かるのでは意味がない。素早く集中力を高め、速やかに神経を研ぎ澄ませる。大雑把過ぎても、時間が掛かり過ぎてもいけない。迅速に、かつ繊細に。ある種の境地まで辿り着く必要がある。

 

「――ッ!」

 

 悠久の時間が経ったようにも、須臾の時間しか経っていないようにも思えた。刹那的に手に持つ竹刀の柄を握り締め、キッと妖夢は目を見開く。

 そこから先は見事なものだった。降ろした竹刀を持ち上げて斬り上げるように振るい、その勢いで身体を捻らせて休む事なく斬撃を繰り返す。ぶれる事なく一定のリズムで竹刀を振るうその様は、まるで舞踊。根本的には攻撃の手段である剣術だが、しかし彼女が振るう剣の舞いは思わず目を引く程に美しい。誰かを傷つける事だけにとらわれず、剣には他にもっと可能性があるのではないか。そんな思いを抱かせてしまうような舞いだった。

 

 最後に勢い良く竹刀を振り下ろし、画竜点睛である。

 

「おー!」

 

 拍手と共にそんな歓声が流れ込んできて、妖夢は反射的に顔を上げる。息を切らしつつも視線を向けると、そこにいたのは赤髪おさげのゴスロリ少女。

 

「……あれ? お燐さん?」

 

 お燐こと火焔猫燐だった。

 手首で額の汗を拭いながらも、妖夢は首を傾げる。今はまだ日も昇りきっていないような早朝である。雪はすっかり溶けきっているとは言え、それでも霜が降りる程に冷たい空気の朝。人気も殆んどないようなこんな時間帯に、まさか彼女が目の前に現れるなど。妖夢からしてみれば想定外の出来事だった。

 

「凄かったー! あたい剣術は良く分かんないけど、でも思わず見惚れちゃったよ」

 

 パチパチと手を叩くお燐が感嘆の声を上げる。別に誰かに見せる為に竹刀を振るった訳ではないので、こうして真正面から歓声を上げられると何だか恥ずかしい。乱れた息を整えて、妖夢はもじもじと身を縮こませながらも、

 

「あ、ありがとうございます……。でもっ、どうしてお燐さんがここに?」

「いや、妖夢がこの時間に剣の鍛錬をしてるって話だけは聞いてたから。それで、ちょっと様子を見に来てみようかなぁって」

「そうなんですか……。あれ? それじゃあ、お燐さんってこの辺に住んでるんですか?」

「……へ? あ、あぁ、うん。まぁ、そんな所かな……」

 

 人差し指で頬を掻きながらも、お燐はそう答える。何だか言葉を濁したようにも思えたのだが、ひょっとして聞いてはいけない内容だったのだろうか。ちょっぴり気になった妖夢だったが、仮にそうだとしたら無理に追及するのも悪いだろう。取り敢えず適当に納得しておく事にした。

 

 それから剣術の鍛錬がひと段落ついた所で、妖夢は少し休憩する事となった。竹刀を竹刀袋に仕舞い、タオルで汗を拭いながらもベンチに腰掛ける。相も変わらず引き締まるような寒さの朝だが、激しく身体を動かした後だけあってかなりポカポカしている。ふぅと一息吐き出しつつも、妖夢は空を仰いだ。

 雲一つない快晴である。冬なので気温はそこまで上がらないだろうが、それでも多少は過ごしやすい気候となるだろう。今日は洗濯物が良く乾きそうだ。

 妖夢がそんなどこぞの主婦のような事を考えていると、

 

「はい、これ」

 

 隣に座ったお燐が何かを差し出してきた。

 視線を向けると、彼女が手に持っていたのは所謂水筒だった。ステンレス性の魔法瓶タイプの水筒で、キャップがコップにもなる物のようだ。並々と注がれているこれは、冷えた麦茶か何かだろうか。

 

「差し入れだよ。喉乾いたでしょ?」

「あっ……す、すいません。気を遣わせてしまって……」

「いやいや、気にしないで良いよ。……あたいには、これくらいしかできないから。せめてもの気持ちのつもりだったんだけど……。ダメかな?」

「い、いえっ、そんな……! 助かりますよ! ……いただきます」

 

 水筒を受け取って、妖夢はおもむろに口へと運ぶ。冷えた麦茶は火照った身体によく染みる。内側から身体を冷やされるようなこの感覚は、何とも言えない心地よさがあった。

 喉の渇きを潤した妖夢は、そこで一息つく。

 

「それで、剣術の調子はどう? 順調?」

「へ? え、えっと……。どう、ですかね……」

 

 突然お燐にそんな事を聞かれて、妖夢は少し面食らってしまう。

 剣術の調子。こっちの世界に来てからも欠かす事なく鍛錬を続けてきた妖夢だったが、果たして以前の自分と比較してどれくらい強くなったのか。正直、あまり実感はない。そもそも半霊がなくなって弱体化している身である以上、総合的な強さの比較を行う事ができないのだ。例えばこっちの世界に来る前の妖夢は霊力を剣術の補助として使っていたが、半霊がない今現在ではそうやって剣術を調整する事ができない。となると、完全に肉体的な身体能力に依存する事になるのだが――。

 

「……少なくとも、腕力は上がっているはずです。決して全く成長していない訳ではないと思ってますよ。尤も、順調かどうかは別問題ですが」

 

 実感は薄いが、まるで身に付いてない訳ではないだろう。

 ここはポジティブに考えるべきだ。霊力が使えないのなら、逆にこの状況を利用すればいい。霊力の補助なしでどこまで剣術を極める事ができるのか。それを試してみるのも悪くない。

 

「いつまでもクヨクヨしてはいられませんからね。私は前に進みます」

 

 弱さを自覚しているのならば、強くなる為に努力すればいい。いちいち立ち止まってはいられない。

 昨日の自分より、明日の自分を見据える。時には振り返る事も大切なのだけれども、それでも妖夢は止まらない。過去の自分を受け入れつつも、それを未来に繋げて歩き出す。

 

「……何だか、安心した」

「……えっ?」

 

 柔らかい声で、お燐が口にする。

 

「ほら、クリスマスの時。妖夢、何だか凄く落ち込んでたように見えたから。でもその様子だと、すっかり元気になったみたいだね」

「……そうですね。すいません、ご心配をおかけして」

 

 クリスマス。あれから既に数週間。気がついたら年も越えてしまった。

 妖夢は竹刀を袋ごと握る。三度笠の女性剣士に大敗して、あの時は酷く疲弊していたのだけれども。進一と二人で話をして、目が覚めた。

 

「……進一さんのお陰です」

 

 支えてくれる人がいる。だから妖夢は前を向ける。

 

「でも、進一さんだけに負担を掛けるつもりはありませんよ」

 

 彼が妖夢を支えてくれるのなら、妖夢もそれ相応の何かを彼に返したい。だから妖夢も彼を支える。一方的に支えられっぱなしにはさせない。困った時はお互い様だ。

 頼もしい。心の拠り所というものは、こんなにも頼もしいものなのだろうか。妖夢を理解してくれているという点では例えば主である幽々子もそうだろうが、進一は彼女との立場とは少し違う。あくまで対等に支え合う事ができる人。ひょっとしたら、妖夢はずっとそんな存在を求めていたのかも知れない。

 進一がいるから、妖夢はまた違った強さを手に入れられる。そんな気がした。

 

「へぇ……」

 

 話が終わると、お燐が真っ先に感嘆の声を上げる。それと同時に、随分と意外そうな表情を浮かべていた。

 

「驚いた……。てっきり妖夢は凄く奥手なんだと思ってたんだけど」

「……奥手? 何の事ですか?」

 

 予想外の単語を前にして、妖夢は首を傾げた。

 奥手、とは一体何の事だろう。何を示して、彼女はそんな事を――。

 

「だってそうでしょ?」

 

 途端にお燐はニヤニヤとした表情を浮かべる。まるで妖夢をからかうかのように、

 

「お互いに支え合うだなんて、まるで告白でもしてるみたいだし」

「……、へ?」

 

 ――え? 何? 何の事だ?

 告白。告白とは、つまりあれか。知人とか、友人とか、そんな枠組みから外れて更に一段階上の関係へと足を踏み出す為の、あの――。

 いや、ちょっと待って。なぜお燐は、そんな結論に至ったのだろう。

 

「…………っ」

 

 待て、落ち着け。ここは一旦、あの日の状況を思い出してみるべきだ。

 進一は言った。俺が後ろから支えてやる、だからお前は前だけ見てろと。その意趣返しの為に、妖夢も彼に言った。あなたが挫けそうになったとしても私が後ろから支えます、と。

 月明かりが優しく照らす夜のベランダで二人っきり。そんなシチュエーションでの、あの言葉。第三者の観点から見れば、それはあたかも――。

 

「あ」

 

 妖夢は気づいた。遅れ馳せながら気づいてしまった。いや、あまりにも遅すぎる。

 はっきり言おう。妖夢は奥手である。ついでに白玉楼の庭師として日々を過ごしてきた為か、恋愛経験だってこれっぽっちもない。しかしそれでも気になるお年頃ではある。全く興味がないだなんて、そんな事はないのである。けれどもその立場と性格上、異性と関わりを持つ機会なんて全くと言っていいほどなくて。故にそんな知識なんて殆んど持ち合わせていない。

 まぁ、要するに何を言いたいのかというと。あの時の妖夢は、お燐が思っているような()()()()()()など全くもって無かったという事だ。それなのに。

 

「~~~~!?」

 

 その時は。ぼふっと音を立てて、頭から煙でも吹き出していたかも知れない。

 

「ち、ちちちち違いますよ!?」

 

 ガッとお燐に飛びつく妖夢。突然の出来事にお燐は面食らっているようだが、今の妖夢にそんな事を気にする余裕はない。

 

「ふえっ!? ちょ、ちょっと妖」

「べ、べべ別に私は全然、そ、そそそんなつもりはなかったですから!! なかったですからあ!?」

「ちょ、待っ、わかった! わかったから待って妖夢!! 落ち着いてぇ!?」

 

 その後の事は、あまりよく覚えていない。

 

 

 ***

 

 

 妖夢は一人、無言でトボトボと帰路に就いていた。

 まともに顔を上げられない。今の自分は、きっと茹蛸みたいに真っ赤になっているはずだ。色白な分、より顕著に赤くなっていると思う。冬だと言うのに、顔の部分だけ妙に熱い。

 あれからお燐に宥められていたような気がするし、勢いのあまりお燐を失神寸前まで追い込んだような気もする。とにかく記憶が曖昧である。あまりにも狼狽し過ぎて、あの時は頭の中がぐっちゃぐちゃだった。こうして一人で歩いている辺り、取り敢えずお燐とは別れたのだろうけれど。

 

(ああああもうなんであの時は気づかなかったのぉぉぉぉ……!!)

 

 何も喋れないが、頭の中は非常に五月蝿い。クリスマスの事を思い出す度に、悲鳴を上げながら町内を50週くらい走り抜けたくなってくる。そんな事をしたら確実に不審者の階段をまっしぐらで駆け上がる事になるので何とか自制しているが、今の妖夢は穴があったら形振り構わず飛び込もうとするだろう。

 恥ずかしさのあまり足取りもフラフラしている。年明け前のあの出来事を今更悔やんだ所で後の祭りだが、それでも気になって仕方ない。

 

 お燐の言う通り、あれは傍から見れば()()()()()()にしか見えないし、妖夢が意趣返しとして口にした内容も考えようによっては――。

 

(だ、だだだだだから違う! 違うって……!!)

 

 まぁ、おそらく進一にはそんな気はないだろうし、そもそも彼も気づいてないのではなかろうか。進一の事だ。あれは妖夢を元気づける為に言ってくれた言葉だけであって、それ以上に大きな意味はないはず。まぁ、それが尚更タチ悪いのだが。

 

「はぁ……」

 

 妖夢は溜息をつく。まったく、どうしてこんな事に。何と言うか、あの時は色々と思い悩んでて、そんな事にまで気を回す余裕なんてなかった。そう、言葉の綾というヤツだ。そんな深い意味がある訳じゃない。

 

(そもそも、私は……)

 

 別に、進一の事なんて。

 

(進一さんの、事を……)

 

 ――どう思っているのだろう?

 こっちの世界に迷い込んでしまって、右も左も分からない所に手を差し出してくれたのは彼だ。もしも進一がいなかったら、今頃どうなっていたか分からない。

 進一は恩人だ。妖夢を元の世界に帰してやると、そう言ってくれた。それだけでなく、疲弊した妖夢の支えになるとも言ってくれた。妖夢を励まし、立ち上がる為の力になってくれた。

 進一は優しい人だ。一見クールで無頓着のように思える部分もあるが、それが彼の本質ではない。見ず知らずの妖夢を何の躊躇いもなく家で休ませてくれたり、彼には何の利益がないのにも関わらず妖夢に力を貸そうとしてくれたり。岡崎進一という青年は、やっぱりお人良しなのだ。

 もしも。そんな彼が、相手だったのなら――。

 

(やっ……な、なに考えてんだろ私……)

 

 ぶんぶんと首を振る。

 止めよう。これは煩悩だ。そんな事にうつつを抜かしている場合ではないだろう。妖夢は白玉楼専属の庭師で、西行寺幽々子の剣術指南役。だから一刻も早く冥界へと帰らなければならない。こっちの世界の未練を残すなんて、そんな事はあってはならない。

 

(そう、だよね……)

 

 そう。余計な事など、考えてはいけないのである。

 

(でも、私……)

 

 落ち着かぬ心境のまま、気がつくと家の前まで辿り着いていた。結局自分の真意すら分からず終いだが、しかしいつまでも思考を繰り返してはいられない。これは、細やかな心の迷い。そう納得しておく事にする。今はまだ、それだけで十分だった。

 

「ふぅ……」

 

 そんなこんなで何とか心を落ち着かせ、妖夢は玄関のドアを開ける。途端に何かを煮込むような音が耳に流れ込んできた。

 

「……あれ?」

 

 耳を澄ますと、台所の方から鼻歌のようなものも聞こえてくる。靴を脱いで足早に向かうと、そこにいたのはエプロン姿の真っ赤な女性。

 

「あら、おかえりなさい妖夢。剣の稽古は終わったの?」

「ゆ、夢美さん? どうして……」

 

 岡崎夢美だった。赤地の上着に赤地のエプロンという相も変わらず目が痛くなりそうな服装の彼女は、一人台所に立って朝食を拵えている。そんな状況に妖夢が疑問を呈したのは、そもそも朝食作りは妖夢が担当だった為である。

 この家で世話になる事になってから積極的に家事を行うようになった妖夢だったが、朝食作りに関しても彼女自ら志願してその役割を担う事になっていた。故にこれまでの朝食も全て妖夢が作っていたし、ある種の日課のようなものになりつつあった。

 

 そんな中。なぜか今日に限って、夢美が台所に立っていたのである。

 

「たまには良いじゃない。今日の朝食は私が作るわ」

「えっ……で、でも……」

「心配しなくても大丈夫よ。妖夢程じゃないけど、私も料理は結構得意なんだから。それに、毎日稽古の後に朝食を作るのも大変でしょ?」

 

 白玉楼にいた頃でも朝稽古の後に朝食を作るのは珍しくなかったし、特に苦に思っていたつもりはない。先にも述べた通り、日課のようなものなのだ。それが突然、別の誰かの介入により行う必要がなくなってしまうと。どうしても違和感を覚えてしまう。

 

「それとも、やっぱり私の料理じゃ不満かしら?」

「い、いえっ、そんな……! 夢美さんの料理だって、とっても美味しいですよ!」

「そう。それじゃ、問題ないわね。後は私に任せて、あなたはシャワーでも浴びてきなさい」

 

 結局押し切られてしまった。やはり彼女は押しに弱いと思う。

 しかし、夢美がそう言ってくれているのに、その気持ちを無下にするのも心苦しい。まぁ、夢美の言う通りたまにはこういう事があっても良いかも知れない。

 

「わ、分かりました。それじゃあ、今朝は夢美さんにお任せします」

「はいはい。任されたわ」

 

 取り敢えず。一度シャワーを浴びて汗を流してくる事にした。

 

 

 ***

 

 

「お父さん、ですか?」

 

 妖夢の料理にも負けず劣らずの朝食。夢美の作ったそれを起床してきた進一と共に食べている最中、突然口にした彼女の言葉を妖夢は思わずオウム返しする。

 

「そう。今朝電話がかかって来たのよ。今年は帰って来られるみたいね」

 

 進一と夢美の父親。海外で仕事をしているらしい彼が、珍しく帰って来るらしい。日々多忙な生活を送っているようだが、今年は何とか時間を取る事が出来たとの事。しかし、年末年始を過ぎたこの時期に帰って来るとは。少し微妙な時期のような気がする。

 

「……そろそろ命日だからな。母さんの」

「あっ……」

 

 成る程。そう言う事だったのか。

 

「ご、ごめんなさい……」

「いや、別に謝る必要なんてないぞ。俺達も話してなかったんだし」

「そうよ。あなたが変に気にする必要なんてないわ」

 

 二人はこう言ってくれるが、やはりどうにも気になってしまう。うっかり地雷を踏み抜いてしまった気分だ。軽はずみな質問は避けるべきだったか。

 

「ほーら、どんよりするの禁止! 折角私が腕によりをかけて作ったのに、ご飯がまずくなっちゃうわ」

「あぁ、これ姉さんが作ったのか。どうりでいつもとちょっと違うような気がしてた」

 

 食卓の雰囲気が重くなり始めた辺りで、それをぶち壊すかのように夢美が声を上げる。味噌汁の入ったお椀を片手に進一がそう口にすると、澄まし顔を浮かべた夢美がふふんっと鼻を鳴らした。

 

「そうなのよ。味はどう?」

「……妖夢の方が旨いな」

「うっ……手厳しいわね。妖夢と比べられたら流石に勝てないわ……」

「いやまぁ、姉さんの料理も普通に旨いけど……。でも何で急に朝食なんて作ろうと思ったんだ?」

「ん……ちょっとね。お父さんったら時差も考えずに電話かけてくるもんだから、朝早くに起こされちゃったのよ。それで、二度寝する気にもならなかったし折角だから朝食でも作ってみようかなーと」

 

 そこで夢美は欠伸を一つする。なぜ急に朝食を作る気になっていたのか不思議に思っていたのだが、そんな理由があったのなら納得である。早朝の微妙な時間帯に突然電話がかかってきたとなれば、中途半端に目が覚めてしまうのも無理はない。

 それにしても、もう直ぐ進一達の父親が帰って来るとは――。あれ? 似たような状況が前にもあったような気が。

 

「進一さんと夢美さんのお父さん、ですか……。どんな方なんですか……?」

「うーん……。そうね、お父さんは……」

「安心しろ妖夢。父さんは姉さんと違って、いきなり襲いかかってきたりしないから」

「ひ、酷い!? 何てこと言うのよ進一! 私は別にいきなり襲いかかったりはしてないわ! ちゃんと同意の上で……!」

「……姉さんの中では“詐欺”と書いて“同意”と読むんだな。よく分かった」

「ね、ねぇ進一。私、あなたのお姉ちゃんよね……? どうしてそんなに信用されてないの……?」

 

 胸を衝かれたような表情を浮かべる夢美を見て、妖夢は思わず苦笑いを零す。ぶっちゃけ夢美の時のような事を危惧していたのは事実であるが、それは秘密である。そんな事を口にしようものなら、喜怒哀楽の激しい夢美はショックのあまり泣いてしまうかも知れない。流石にそうなると困る。色々と。

 

「あ、あの……。べ、別に……あの時は、夢美さんも反省してましたし……。いつまでも蒸し返す必要はないと言いますか……」

「よ、妖夢……! やっぱりあなたならそう言ってくれると思ってたわ!」

「甘やかさなくていいぞー、妖夢」

「進一は黙ってなさい! ふふーん、そうよねそうよね! いつまでも過去の事をズルズルと引っ張る必要はないわ!」

 

 調子に乗り始めた。何と言うか、本当にちょろいお姉ちゃんである。

 まぁ、確かに妖夢は気にしていないが、反省するという点では過去の事を完全に度外視するのも問題だとは思うのだが。

 

「さてと! そろそろ時間ね。進一も早く食べちゃいなさい。今日の講義は1限目からでしょ?」

「あ、ああ……」

「妖夢、悪いんだけど後片付けはお願いできるかしら?」

「は、はい……分かりました」

 

 妙に上機嫌な夢美に気圧されながらも、妖夢は頷いて了承する。ここまで単純明快で感情の変化が分かりやすい女性も珍しい。博麗の巫女といい勝負かも知れない。いつまでもクヨクヨとされるのよりマシなのだろうけれども。

 食べ終えた自分の食器を簡単に片付けた後、夢美は大きく伸びをする。

 

「よーし、今日もお仕事頑張っちゃうわよー!」

「……俺は姉さんが担当する講義は受講してないから詳しくは知らんけど、また講義中に変な事を口走るなよ? 今更だとは思うけど」

 

 張り切る夢美を横目に、マグカップを片手に持った進一が釘を刺すかのようにそう口にする。しかし彼が何を危惧しているのかイマイチ理解できなかったようで、夢美は目をパチクリさせていた。

 

「ん? 何の事?」

「……姉さんの講義、一部の学生の間でどう呼ばれてるか知ってるか?」

「なになに? そんな通称みたいなものがあるの? まぁ自分で言うのもなんだけど、私って結構有名人みたいだし、やっぱりそれ相応の……」

「エセ新興宗教の集会」

「……えっ?」

「宗教の集会」

 

 どんな講義だ。いや、学会発表で宗教が云々などと言ってしまう辺り、彼女が講義内でも似たような話題を学生に振っていても不思議ではないけれども。

 比較物理学を専攻している夢美だが、その研究内容は少々――いや、かなり独特であると聞いている。研究室のあの状況を見ても何となく察する事ができると思うが、現代人の常識とは少し離れた研究を行っているらしい。統一理論に当てはまらない力、『魔力』。その存在を科学的に実証する事が最終目的らしいのだが――。

 

「し、失礼ねっ。私の講義はそんな怪しげな内容じゃないわよ」

「そうなのか? あぁ、でも一部の連中には結構支持されてるみたいだぞ。カルト的に」

「ますます怪しくなった!? ご、誤解よ進一! 確かに、ちょーっと魔力だとかオカルトだとかについて熱弁しちゃった事もあったけど……!」

 

 寧ろそれが原因なのではないだろうか。夢美のちょっとは、一般常識の“ちょっと”とは程度が異なるのである。

 

「まぁ、とにかく。父さんに関しては本当に心配いらないぞ」

「そ、そうですか……」

 

 色々と話題が拗れてしまったような気もするが、ともあれ妙な不安感を抱く必要はなさそうだ。少なくとも、夢美の時のような事にはならない――はず。

 取り敢えず進一の言葉を信じておく事にして。妖夢は朝食を終えた後の食器を片付け始めるのだった。

 

 

 ***

 

 

 夢美と進一は姉弟である。

 表面的な性格や好み等はあまり似てはいないものの、時折り見せる表情の変化とか、微妙な仕草などに共通点は存在する。例えば笑顔などは本当に良く似ているし、何かを誤魔化そうとする際のおどける様子もそっくりである。そう言えば進一は夢美の事を肝心な所でポンコツだと言っていたが、ぶっちゃけ進一本人も中々――いや、それは良いだろう。

 羨ましいな、とちょっぴり思う。妖夢は所謂一人っ子というヤツで、兄や姉、弟や妹というものを知らない。もしも自分にそんな存在がいたら――などと考えた事だってある。やっぱり自分と似ているのかな、とか、同じように剣の道を歩むのかな、とか。だから進一達を見ていると、本当に羨ましく思えてくる。彼らが割と仲の良い姉弟だから尚更である。

 

 血の繋がった家族。だから似ているのは当たり前。

 

(家族かぁ……)

 

 家族と言えば、やはり気になるのはもう直ぐ帰って来るらしい彼らの父親。一体、どんな人なのだろうか。

 何だか妙に緊張してきた。夢美と初めて会う時とはまた違った心境である。例えるならば、恋人の両親に挨拶をしに行く時のような。

 

(……って)

 

 いや、一体自分は何を考えているのだろう。と言うか、そもそもそんな経験妖夢にはないではないか。

 

「……妖夢?」

「はうっ!? な、なんですか……?」

 

 そんな中。 突然進一に詰め寄られて、妖夢は思わず間の抜けた声を上げてしまう。変な想像をしていた分、いきなりそんな事をされてしまっては心臓に悪い。

 

「い、いや、どうしたんだよ。何だか顔が赤いみたいだが……、熱でもあるんじゃないか?」

「だ、大丈夫ですっ! べ、別に、何も変な事は考えてませんから!?」

「……変な事?」

「あっ……、い、いえっ! な、なな何でもないです!!」

 

 自爆する所だった。

 夕刻。講義が終わって大学から帰宅してきた進一を出迎え、お茶でも入れようかと思い立った直後の出来事である。ぼんやりとしていた所為で、完全に進一の接近に気づかなかった。これは剣士としてあるまじき注意力の散漫。不覚である。

 因みに、今日はメンバーそれぞれの講義終了時間がバラバラだった為、秘封倶楽部の集まりはなしだ。そうでなくとも今は殆んど手持ち無沙汰の状態。こちらが何らかの手掛かりを掴むか、或いはこいし達のような存在が大きな動きを見せるまで、まともな活動は出来ないだろう。まぁ、あくまで秘封倶楽部という特殊なオカルトサークルとして、という事だが。

 

 話を戻そう。

 

「あの……進一さんのお父さんって、いつ頃帰ってくるのでしょうか……?」

「ん? さぁな。今すぐ帰って来るかも知れないし、夜遅くになるかも知れない。あ、ひょっとしたら明日になっちまう可能性もあるかもな」

 

 片手で頬杖をつきながらも、進一がぼんやりとそう答える。

 何とも釈然としない回答。夢美の時は結構細かな時間をあちらから伝えてきたはずだと思ったが、今回は違うのだろうか。

 

「な、なんですかそれ……。随分と曖昧と言うか……」

「姉さんはかなり律儀なんだけどな……。父さんは、そういうの割と適当なんだよ」

「は、はあ……」

 

 思わず生返事になってしまう。それは、つまり蓮子のように時間にルーズだと言う事なのだろうか。まぁ、流石に彼女程ではないと思うけれども。いや、そうだと信じたい。

 

「ま、そんなに緊張するなって。今からそんな調子じゃ、すぐに参っちまうぞ」

「そ、それは、そうかも知れませんけど……」

 

 しかしそうは言っても、緊張感はそう易々と解けるものではない。実際に会ってみないと何とも言えないのである。確かに進一の言う通り、今から妙に緊張していても仕方がないとは思うのだが。

 

 そんなこんなで進一と共にリビングでお茶を飲む事数分。お茶を飲み終えた後の湯呑を片付けようと立ち上がったその時、玄関のインターホンが鳴り響いた。妖夢は思わず手を止めて、進一へと視線を向ける。

 

「帰って来たんでしょうか?」

「……いや」

 

 インターホンのディスプレイに映し出された映像を見て、進一は首を横に振る。

 

「……メリー、か?」

 

 そこに写っていたのは、ブロンドヘアの頭にナイトキャップに似た白い帽子を被った少女。進一の呟き通り、マエリベリー・ハーンに間違い無かった。

 妖夢は時計へと目をやる。現在、午後6時15分。この時期では既に夜の帳が落ちて少し経つ時間帯で、街灯が照らされているものの街中は暗い。再びディスプレイを確認すると、メリー以外に誰かがいるような様子はない。こんな時間に、態々一人で彼女はここまで足を運んだのだろうか。一体、なんの為に?

 

 ともあれ、訪ねてきたのは知り合いである。胡乱に思う所はあるものの、別に彼女を拒む理由はない。

 

「……あっ、進一君。それに、妖夢ちゃんも」

 

 進一が玄関のドアを開けると、返ってきたのはどうにも申し訳なさそうなメリーの反応。

 

「ごめんなさい、急に押しかけちゃって」

「いや、別に構わないが……」

 

 するとメリーはチラリと家の奥を確認した後に、

 

「えっと、夢美さんは……」

「ん? まだ帰ってきてないぞ。何か仕事が溜まってるみたいだけど……。なんだ、姉さんに用があったのか?」

「へ? う、ううん。別に、今いないのなら良いのよ」

 

 妖夢は首を傾げる。

 どうにもメリーの様子がいつもと違うような気がする。何かに動揺しているような、はたまた戸惑っているかのような。感じるのは、そんな様子。進一とのやり取りも、妙にちぐはぐしているような。

 意を決して、妖夢は彼女に確認してみる。

 

「あの、メリーさん。何かあったんですか? 態々一人で訪ねてくるなんて……」

「う、うん。……実は、二人に相談したい事があって」

「……相談? 俺達に?」

 

 メリーはこくりと頷く。進一の表情はますます困惑の色が強くなった。

 

「……珍しいな、お前の方からそんな頼み事をしてくるなんて。そう言えば、蓮子は一緒じゃないのか? 悩み事なら、真っ先にあいつを頼りそうなもんだが……」

 

 そう、そこである。

 メリーと蓮子は親友同士で、互いに強い信頼関係で結ばれている。秘封倶楽部だって、この二人だからこそ今まで少ないメンバーでも活動を続けられたのだと言っても過言ではないだろう。自分達が加入する前の秘封倶楽部を詳しく知らない妖夢でも分かる。あの二人の間には、切ってもれない絆が確かに存在しているのだ。

 そう、思っていたのだが――。

 

「……蓮子は、今はちょっと……」

「……ちょっと?」

「……ちょっと、忙しそうだったから。じっくりとお話できるような時間、取れないみたいなのよ」

 

 彼女が浮かべる表情は、いつもと変わらない。邪気がなくて子供のように好奇心旺盛な宇佐見蓮子に振り回されて、しかしそれでも意外と満更でもない様子で彼女の後ろについて行く。やれやれ、しょうがないなぁと。蓮子を理解しながらも、歯止め役として彼女のサポートに徹する。そんな時に浮かべる表情。

 それと同じ。同じだとは思うのだけれども。

 

(メリーさん……?)

 

 どこか。いつもと微妙に異なる点が存在するような――。

 

「……それとも、やっぱり迷惑だったかしら?」

「いや、別にそんな事はないが……。それで? 俺達に相談ってなんだよ?」

「そ、その……。あ、いや、相談と言っても、ちょっと話を聞いてくれるだけでいいのだけど……」

 

 どうにも違和感を覚えるが、だからと言って変な詮索をするのはあまりよろしくない。とにもかくにも、相談したい事があると態々訪ねてきたのなら、彼女は何やら悩み事でも抱えているのだという事だろう。それならば、まずは彼女の話を聞くべきである。

 

 妖夢は耳を傾ける。

 別に勿体ぶっている訳ではないのだろうが、メリーはどうにも言い淀んでいる様子。上手く言葉に言い表せない、という事なのだろうか。どうやら単純なお悩み相談ではなさそうだ。

 本当に何があったのだろう。ここまで言葉選びに手古摺っていると言う事は、それだけ現実離れした状況にでも直面したのだろうか。それこそ、こちらの世界では決して起こりえないような。

 

 息を飲み込んだ妖夢は、メリーの次なる言葉を今か今かと待ち侘びる。

 

「えっと……、実は……」

 

 聞き覚えのない声が聞こえて来たのは、その次の瞬間だった。

 

「ほーう? 今日は随分と賑やかじゃあないか」

 

 落ち着いた、静かなバリトンボイスだった。

 声が流れ込んできたのは、丁度メリーの背後から。反射的に視線を向けると、そこにいたのはやはり見覚えのない一人の男性。黒いスーツを着こなしたやや長身の男で、その容貌を見る限り歳は若くはない様子。けれどもそのダンディな容姿とは裏腹に浮かべる笑みは人当たりが柔らかそうな印象で、少なくとも無条件に警戒心を高めてしまうような男性ではなかった。

 見覚えのない男性と述べたが、しかしよく見るとその容貌は誰かの面影に似ているような気がする。彼の面影に重なるのは、普段から妖夢のそばにいる誰か――。

 

 突然現れたその男性を見て、真っ先に声を上げたのは進一だった。

 

「……父さん?」

「……えっ!?」

 

 驚いた妖夢は思わず声を張り上げて、彼と進一を交互に見比べる。成る程、確かに面影は重なる。どうやら進一も夢美も母親似のようなので一瞬分からなかったが、こうしてまじまじと見比べてみるとようやく確信を持てた。

 

「久しぶりだな、進一。元気だったか?」

 

 今夜帰って来るらしい進一と夢美の父親。目の前にいる男性は、彼に間違い無かった。

 

 

 ***

 

 

 岡崎(おかざき)悠次(ゆうじ)は夢美と進一の父親である。彼は主に仕事の関係で海外を飛び回っているらしく、多忙な日々を過ごしているらしい。彼がそんな生活を行っているが故に家では進一と夢美の二人っきりになる事が殆んどで、寧ろそれが当たり前のような状態になっていたとの事。けれども自分の娘と息子を蔑ろにしているのかと言われるとそういう訳でもないようで、なるべく時間を見つけてはこうして帰って来るようにしているらしい。それでも殆んど時間が取れないのが悩み所であるらしいのだが――。

 

 ともあれ。

 

「……2年ぶりじゃないか? 父さんが帰ってくるの」

「ん? あぁ、そうか。結局去年は帰ってこられなかったからなぁ」

「でも良かったじゃない。お母さんのお墓参り、今年はみんな揃ってできそうね」

 

 程なくして夢美が帰ってきた事により、遂に一家が揃った事になるのである。こうして見ると、やはり二人は母親似なんだなぁとしみじみ思う。別に進一達の母親を見た事がある訳ではないのだが、少なくとも父親似でないと思う。いや、確かに面影は存在するので全く似てない訳ではないのだけれども。

 それはさておき。訪ねてきたメリーも家に上がらせて、一行が集結しているのはリビングだ。岡崎一家が揃っているという非常に稀な状況の中ではどうにも自分は浮いているように思えてならないが、どうやらメリーも妖夢と似たような心境だったらしい。進一の左右隣に座る二人の少女は、揃ってそわそわと落ち着きがない様子であった。

 曰く、メリーも彼等の父親と会うのはこれが初めてらしい。まぁ、彼は基本的に家を留守にしている人物だ。幾ら進一の友達とは言え、全くと言っていいほど会う機会がなくとも不思議ではない。

 

「それにしても、進一も中々隅に置けないなぁ。両手に花なんて、やるじゃないか」

「からかわないでくれ」

 

 どうやら進一の父親は茶々を入れるのがお好きらしい。メリーと妖夢に挟まれて進一が座っているというこの状況は、彼にとって格好のからかいネタだったようだ。

 

「おいおい、そんなに照れるなって」

「照れてない」

「いやー、まさか進一が女の子を二人も家に連れ込むようになるとはなぁ。こりゃ将来は安泰だな」

「だからそんなんじゃないって言ってるだろ。と言うか別に連れ込んでないし」

 

 相も変わらず進一は冷静である。彼はからかう父親の言葉をひらりひらりと捌いているが、妖夢とメリーからしてみればたまったもんじゃない。とんだとばっちりを受けて、二人の身体がびくりと跳ねる。

 

「べ、別に、そんな期待するような関係ではないですよ。進一君とは、本当にただのお友達同士で……」

「なんだ、そうなのか。それじゃあ、妖夢ちゃんはどうなんだ? 進一とひとつ屋根の下で一緒に暮らしてるんだって? 」

「……へっ!? わ、私ですか……?」

 

 いきなり話題を振られてしまって、妖夢はしどろもどろしてしまう。特にひとつ屋根の下云々に過剰に反応してしまって、妖夢の顔は瞬時に真っ赤になってしまった。

 いや、確かに間違ってはいないのだが、だからといって別に妖夢も進一とはそんな関係同士ではないはずである。クリスマスのあれだって、進一も()()()()深い意味で捉えてはいない――はず。

 

 けれどもよく考えてみれば、ここでメリーと同じように普通の友達と答えてしまって良いのだろうか。こんなにも世話になってしまって、居候までさせてもらっているのに。ただの友達だと言うのも無理があるような気がする。まぁ、だからと言って他に良い答えが思いつく訳ではないのだけれども。

 

「もういいだろ父さん。妖夢達だって困ってるじゃないか」

「うーむ、しかしだなぁ……。ここは父親として、お前の恋愛事情もきちんと把握しておきたいと思ってな」

「なんだよそれ」

「……じゃあ逆に聞くが、お前はどうなんだ進一? 妖夢ちゃんとマエリベリーちゃんの事、どう思ってる?」

「あっ、それ私も聞きたーい! どうなのよ進一?」

 

 夢美まで乗っかってきた。完全に悪ノリである。

 と言うか、妖夢もメリーもいるこの状況でよくそんな事が聞けるなぁと思う。いや、これも進一が実の息子だからこそ行なえる暴挙なのだろう。寧ろ進一よりも妖夢達の方がある意味余計にダメージを受けているが。

 

 そんな中。当の進一は子供みたいなノリでグイグイ迫ってくる自分の姉と父親を呆れ顔で一瞥した後、

 

「メリーはただの友達だし……」

 

 そこで一息ついて、

 

「妖夢は……」

 

 腕を組み、一瞬だけ何かに悩むような表情を浮かべた後、

 

「……妹、みたいなものか?」

 

 妹。それが彼の絞り出した答えだった。

 

「妹……。うん、そうだな。妹が一番しっくりくる」

「そ、そうですよっ!」

 

 一人頷いて納得している進一を余所に、透かさず妖夢は立ち上がる。

 千載一遇のチャンスである。妙な誤解をされてしまう前に、ここで丸め込んでしまうしかない。

 

「で、ですから私と進一さんはそんな関係じゃないんです! た、確かに進一さんにはとてもお世話になっていますけど……!」

「そ、そうなのか?」

「そうですっ! 別に、悠次さんが期待するような事は何も……!」

 

 困惑気味の悠次に対し、妖夢はやや食い気味に弁明する。クリスマスの過失に気づいてしまった事もあり、妖夢の説明はいつも以上に真剣だ。進一との現状を悠次に分かってもらうだけでなく、自分自身にもはっきり言い聞かせてしまおうと。無意識の内に、彼女はそんな意思も持っていたのだろう。

 今朝から胸中に抱き続けている、迷いにも似たこの妙な違和感。それを断ち切ってしまいたかった。

 

「妹のようなもの、ねぇ……」

「ああ。いや、友達って表現はなんか違う気がするんだよ。多分、こうして同じ家で生活している所為だと思うんだが……。それで考えてみたんだけど、この感覚は妹って表現が一番しっくりくる気がしたんだ」

「成る程なぁ。ふぅ……やっぱり、こりゃ難儀しそうだな……」

「……は? 何の事だよ?」

 

 そう。進一にとって、妖夢という存在は精々妹のような認識なのである。それ以上でも、それ以下でもない。

 彼らしい回答だとは思う。以前自分でも言っていたが、彼は必要以上に距離を縮めようとしない。元々は奇妙な『眼』を持つ故に自然とそんな傾向になりがちだった進一だが、ある程度克服できた今でもその癖は治っていない。その弊害か、進一は変な所で鈍感だし、ある特定の気持ちを受け止めるという点では常人と比べてやや苦手としている節もある。しかも本人でさえも自覚してないのだから、そう簡単に治りそうにない。そう言う意味でも、色々と()()しそうなのである。

 その為。

 

「進一さんならそんな感覚を抱いていると思いました。私の事は、きっと妹のような認識だと」

「……ひょっとして迷惑だったか? 妹だなんて、そんな表現……」

「……いえ」

 

 想定通りなのである。これまでの彼の振る舞いから考えて見れば、簡単に推測出来た気持ち。

 クリスマス。彼は妖夢の事を支えてくれると言ってくれた。だから妖夢は前だけ見てろと、そう励ましてくれた。それはきっと妖夢の事を妹のようなものだと思うが故の、一種の兄心のようなものだったのだろう。夢美が進一の事を深く気にかけるのと同じような気持ち。

 彼は妖夢を家族として受け入れてくれている。ただの知人だとか、友達だとか、そういうものではない。妹のような存在であると、彼はそう認識してくれている。

 

(そう、妹……)

 

 兄弟姉妹という存在が羨ましいと思っていた妖夢にとって、進一がそんな気持ちを向けてくれている事実は素直に嬉しい。一人っ子である妖夢にとっては、姉や兄という存在はある種の憧れなのである。もしも、自分に兄がいたら――。そんな想像をした経験だって一度や二度ではない。

 だからちょっぴり嬉しいのだ。一時的であるものの、兄という存在ができたみたいで。夢にまで見た妹というポジションに立つ事ができたみたいで。

 そう、嬉しいと思うべきはずなのだ。そのはずなのに。

 

(な、何、これ……?)

 

 この、胸の奥がチクチクと痛むような感覚は。一体何なのだろうか。


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