桜花妖々録   作:秋風とも

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幕間2「楽園の素敵な巫女」

 

 博麗(はくれい)霊夢(れいむ)と言えば、幻想郷の住民ならば誰もが一度は聞いた事のある名前だろう。幻想郷の中核を成す神社、『博麗神社』。そこを運営しているとされる人間の少女で、それと同時に異変解決のスペシャリストでもある。

 幻想郷には、時折り『異変』と呼ばれる事件が発生する事がある。一口に異変と言ってもその原因や内容は多岐に渡るが、中には幻想郷全域に様々な影響を及ぼしかねないような大きな異変が発生する事もある。そんな異変を解決し、幻想郷のバランスを保つ。それが博麗の巫女に与えられた役割の一つなのである。

 

 しかし当然、それだけが彼女の仕事の全てではない。巫女という立場上それなりの役割を全うせねばなるまいし、時にはその立場を越えて神主がいないこの神社の運営もしなければならない。彼女自身の生活水準を維持するという観点では寧ろそちらの方が重要素であり、それらもしっかり熟さなければ安定した生活を送る事さえも叶わない。

 お賽銭は彼女にとって非常に重要な収入源だ。外の世界と比べて宗教や神道が人間にとって強い意味合いを持っている幻想郷では、神社まで足を運ぶ参拝客は珍しくない。それならばそれなりにお賽銭だって入れられているはずなのだ。

 そう、そのはずなのに。

 

「…………」

 

 艶のある黒いセミロングヘアに、頭に着けた赤いリボン。そしてその身に纏うのは、赤と白を基調とした腋のない特徴的な巫女服。そんな紅白巫女こと博麗霊夢は、ゴトンっと鈍い音を立てて無言で賽銭箱の蓋を開ける。拝殿に置かれた標準的なサイズの賽銭箱だが、しかしその中に入っているのは土と埃と、風か何かで飛ばされてきた紙か何かゴミだけだ。お札は疎か、小銭の一枚も入っていない。

 すっからかん。その言葉がここまで似合う賽銭箱が、他に存在するだろうか。と言うかこれは、本当に賽銭箱なのだろうか。最早その機能を完全に放棄してしまっているように思える。

 

 霊夢はそのまま何も言わずに、一度賽銭箱の蓋を閉じる。それからワンテンポ程おいて、再びその蓋を開けてみる。けれどもそんな一連の動作でお賽銭が増える訳もない。そんな摩訶不思議な事が許されるのなら、彼女はここまで苦労していない。

 

「……、さてと」

 

 気を取り直して、と言う事だろうか。賽銭箱の蓋を元に戻した後、彼女は悟りを開いたかのような妙に和やかな表情を浮かべて。

 

「……境内のお掃除でもしよーっと」

 

 現実逃避した。

 

「あらあら、今日も大盛況ね霊夢」

 

 聞き覚えのある声が流れ込んできて、霊夢は思わず足を止める。透き通った少女の声。霊夢の神経を逆撫でするかのような皮肉。真っ先に脳裏に浮かんだのは、とある妖怪の姿。

 霊夢は明け透けにしかめっ面を浮かべながらも、

 

「……何しに来たのよ紫」

 

 案の定。振り向くと、そこにいたのは霊夢の想像通りの少女。妖怪の賢者、八雲紫であった。

 彼女は賽銭箱の蓋を開けると、その中身を一瞥した後に呆れ気味に嘆息している。どこからともなくいきなり現れて、早々にこの態度である。何だ、こいつは。ひょっとして馬鹿にしているのだろうか。

 霊夢がそんな苛立ちを密かに募らせていると。

 

「私は常々思うのだけど、貴方は真面目に神社の運営をする気はあるの?」

「う、うっさいわね! 余計なお世話よ!」

 

 成る程、どうやら喧嘩を売りに来たらしい。

 紫の言動を目の当たりにして、霊夢は堪える素振りも見せず直様いきり立つ。今日の彼女は機嫌が悪い。何せこの一週間、お賽銭の“お”の字も見ていないのだ。ぶっちゃけ神社としては有り得ない事態である。お陰で食料の備蓄もそろそろキツくなってきた。流石にヤバいかも知れない。

 

「私は何も悪くないわ。最近寒波が続いてるから、きっと里の連中はここまで足を運びたがらないのよ。そうに違いない」

「……温泉で客寄せをするとか何とかって言ってなかったかしら?」

「寄って来るのは相も変わらず妖怪ばっかりなのよ! お陰で商売あがったりだわ!!」

 

 博麗神社は幻想郷の中枢を成す神聖な『神社』でありながら、人里の一部の人間の間では『妖怪神社』などという不名誉な呼ばれ方をされてしまっている。文字通り、神社なのにも関わらず妖怪ばかりが集まって来てしまうのだ。

 博麗霊夢の性格は、一言で言えば単純である。喜怒哀楽の激しい、表裏のない少女。誰に対しても平等で、人間だろうが妖怪だろうが妙な線引きはしない。けれどもそれは誰に対しても優しいだとか、厳しいだとか、そう言う意味ではない。誰に対しても等しく興味を持っていないだけだ。一度異変が発生すればその黒幕を容赦なく叩き伏せるが、けれども彼女は世のため人のために行動しているつもりはない。ざっくばらんに言ってしまえば、ある意味淡白な少女なのである。

 

 自由奔放で単純明快。しかも博麗の巫女として確かな力を有している。それは強い妖怪を惹きつけるのに十分過ぎる魅力だった。故に博麗神社には、自然と妖怪達が集まってくる。

 例えば紅の館の主である吸血鬼然り、密度を操る能力を持つ鬼の少女然り。とにかく様々な、しかも強大な力を有する妖怪ばかりが霊夢のもとに集まってくる。お陰で参拝客の比率は人間よりも妖怪の方が断然高い。いや、お賽銭も持ってこない妖怪どもを、霊夢は参拝客とは思っていないのだけれども。

 

 とにもかくにも、態々そんな妖怪だらけの神社を訪れようとする命知らずな人間などそういない。そうでなくとも博麗神社の立地条件はあまり良いものとは言えず、普通の人間が頻繁に足を運ぶのには少々厳しいのも事実である。

 それ故に。博麗神社は年中無休で素寒貧。閑古鳥の鳴き声など飽きる程に聞いてきた。空っぽの賽銭箱だって、最早見慣れた光景なのである。

 

「妖怪云々以前に、そもそも神社の運営だってまともにしてないじゃない。たまにようやくやる気になったと思ったら、三日も続かず放りだすし」

「仕方ないでしょ。私だって暇じゃないのよ」

「……昨日は一日中縁側でお茶を啜っていたように見えたのだけど?」

「うわっ……出歯亀なんて相変わらず趣味が悪いわね紫」

「人聞きが悪い事言わないで下さる?」

 

 ああ言えばこう言う。霊夢は巫女としての自覚が少々――いや、かなり薄い少女なのである。

 

「と言うか本当に何しに来たのよあんた。説教なら間に合ってるわよ」

「別に大した用事でもないわ。貴方がちゃんと巫女としての役割を全うしているのか、ちょっと様子を見に来ただけよ」

「ふーん……。そう言えば、珍しいわね。あんたならもうとっくに冬眠してるんだと思ってたけど」

「私としては今すぐにでも寝てしまいたいんだけどねぇ……。でも色々と立て込んでるのよ。まだまだ眠れそうにないわ」

「……予め言っておくけど、あんまり面倒事を持ち込まないでよ? こっちはつい最近地底の連中を叩き潰したばかりなんだから」

 

 博麗神社の近所に突如として吹き出した間欠泉。それが先の異変の始まりだった。

 何だか良く分からないけれど、つまりは温泉である。これは客引きに使えると、霊夢は嬉々としていたが現実はそう甘くない。地の底から吹き出してきたのは温泉だけではなかったのだ。湯と共に地上に現れたのは、地底に蔓延る霊魂達――つまり地霊だった。

 魑魅魍魎が跋扈する幻想郷に今更多少地霊が現れた所でぶっちゃけ大した影響はないのだろうが、温泉を客引きのネタにするにあたってそれらを放置しておくのは色々と都合が悪い。渋々霊夢は重い腰を上げ、地底の調査に乗り出すのだった。

 

 結論から言ってしまえば、その異変の黒幕は地底に住まう地獄鴉だった。どこからか八咫烏の力を取り込んだ彼女は調子に乗って地上を灼熱地獄にしようなどと考えていたらしく、間欠泉はそんな彼女の力の影響によるもの。温泉と共に地上に現れた地霊はその地獄鴉の親友が送り出した怨霊で、ある種の救難信号のようなものだったらしい。手に負えぬ程に調子に乗った地獄鴉を地上の妖怪に何とかしてもらおうと、そんな目論みだったのだろう。

 

 地底の妖怪の力になるのは霊夢としても癪だったが、それで異変を解決できるのなら彼女は妙な拘りなど持たない。何よりこの騒動が解決して吹き出した温泉を客引きのネタとして存分に利用できるようになるのなら、霊夢に尻込みをする理由などなかった。

 結局いつも通りに霊夢は黒幕をぶっ飛ばし、いつも通りに異変は解決に収束するのだった。

 

「でも結局参拝客は殆んど増えなかったけどね。私には何の利益もなかったわ」

「何言ってるのよ。異変解決は巫女の仕事なのよ? 利益不利益で動くのは間違ってるわ」

「妖怪であるあんたにそんな事言われても説得力ないけどね」

 

 再び紫が嘆息したが、霊夢は完全に無視である。他人にちょっと諭された所で、霊夢が自らの考えを改める訳がない。

 

「そう言えばあの異変、また守矢が一枚噛んでたみたいね。地獄鴉に八咫烏を齎した犯人、あの神社に祀られている二柱の神だったそうよ」

「そうなのよ! サンギョーカクメーだか何だか知らないけど、あいつら全然懲りてなかったみたいだし……! 一度本格的に潰しにかかった方が良いんじゃないの?」

 

 苛立ちを隠す素振りも見せず、霊夢は指の関節をポキポキと鳴らす。まるでチンピラである。巫女以前に、その態度は女の子としてどうかと思う。

 

「それに、あいつらが来てから明らかに参拝客減ってるし……。そう、そうよ! この神社にお賽銭が全く入らないのだって、あいつらの所為なんじゃないかしら!? これは立派な営業妨害じゃない! よしちょっと守矢神社行ってくる」

「待ちなさい霊夢。幾ら何でも流石に短絡的過ぎるわよ貴方……」

 

 紫に腕を掴まれる。途端に霊夢はキッと彼女を睨みつけて、

 

「何? まさかあいつらの肩を持つって言うの!?」

「別にそう言う訳じゃないけど……。他の神社に殴り込む前に、貴方はまずやるべき事があるんじゃないの? 具体的に言えば神社の運営とか、神社の運営とか……神社の運営とか?」

「……馬鹿にしてんの?」

「……ねぇ、霊夢。信仰の減少は神社にとって死活問題なのよ?」

「そんなもんよりお賽銭の減少の方が私にとって死活問題だわ!」

 

 紫が今日一番の大きな溜息をついた。

 ここまで信仰を軽視している巫女も珍しいのではないだろうか。けれど誰が何と言おうと霊夢にとって信仰などお賽銭の為に多少必要な要素程度の認識でしかなく、その絶対的な優先順位は揺らぐ事はない。その点で言えば、霊夢より守矢神社の風祝の方が余程巫女っぽいかも知れない。

 

「まったく……。貴方はどうして、こうなのかしら……」

「何が言いたいのよ」

「はぁ……何だか疲れちゃったし、私はもう帰るわ。貴方と違って暇じゃないし」

「あっそ。それじゃ、お気をつけてー」

 

 棒読みでそう口にしながらも、ひらひらと手を振る霊夢。呆れた瞳で紫に一瞥されたが、そんな事をいちいち気にする彼女ではない。

 

「ま、暇じゃないのは本当だしね。……一応言っておくけれど、貴方はもっと巫女としての自覚を持つべきよ。確かに異変を解決し、幻想郷の均衡を保つと言う点では貴方はよくやっているとは思うけど……。でもそれだけじゃ足りないんだから」

「余計なお世話ね。そんな事、分かってるわよ」

 

 紫がスキマを開く。どうやら本当に帰るつもりらしい。まぁ、口うるさいのがあっちからいなくなってくれるのなら、霊夢にとっても好都合なのだけれども。

 

(色々と立て込んでいる……。暇じゃない、ねぇ……)

 

 どうにも霊夢には幾つか引っかかる事があった。

 もう年末なのにも関わらず一向に冬眠もしない紫。所々垣間見せる()()()()()紫の素振り。そして最近人里で囁かれているとある“噂話”。博麗霊夢は、直感する。

 

「ねぇ紫。あんた何だか随分と忙しそうみたいだけど」

 

 足を止め、紫はチラリと視線だけをこちらに向ける。彼女は一瞬だけ面倒くさそうな表情を浮かべたが、それでも構わず霊夢は続けた。

 

「それって――妖夢の事と何か関係してたりするの?」

 

 束の間の静寂が、博麗神社を支配した。

 真冬の冷たい風が吹く。風が横髪を棚引かせ、冷気が霊夢の肌を撫でる。今日この頃では珍しくもない寒波である。今年の冬は、例年と比べてもかなり寒い。そんな季節なのにも関わらず、目の前の妖怪少女――八雲紫は活動している。あまりにも強大な力を有する彼女にとって、睡眠と言う休息は大切な要素であるはずなのに。彼女がそれを蔑ろにするような“何か”が、起きているというのだろうか。

 

 紫は霊夢を一瞥した後、すぐに視線をスキマへと戻す。

 

「……どうしてそう思うのかしら?」

「別に。ただの勘よ」

 

 くすりと、紫が笑ったような気がした。

 

「ほら、あの子って食材の買い出しとかで頻繁にこっちに来てたじゃない。だから人里ではちょっとした有名人らしいのよ。それがここ一、二ヶ月はめっきり姿を見なくなったーって、そんな話を風の便りで小耳に挟んだの」

「ふぅん……」

「ま、白玉楼の事情なんて私には知ったこっちゃないんだけどね。でも何か妙に変な感じがするのよ。きな臭いと言うか何と言うか」

 

 白玉楼の主と言えば、あの年中腹ペコの大食い亡霊、西行寺幽々子である。そんな少女が主では食材が幾らあっても足りないらしく、頻繁に買い出しをする必要が出てくるらしい。もしも妖夢がそれに嫌気を差して、家出でもしたとなれば問題は単純なのだが――。紅魔館のメイドにも負けない程に主に従順な妖夢の事だ。その程度で嫌気を差すとは思えない。まぁ、あくまで他人に興味がない霊夢の観点から見た推測なのだけれども。

 

「……それで? 実際のところどうなのよ?」

 

 とにもかくにも、もしもこれが何らかの『異変』であるのなら、霊夢も黙ってはいられない。異変解決は博麗の巫女の義務。誰かが暗躍をしているなら、霊夢はその黒幕を引っ張りだして退治するだけだ。

 霊夢は紫に問いかける。けれど彼女は黙ったままで、振り向く事さえしてくれない。

 

 霊夢は腕を組む。紫が何を考えているかなんて深く考えても仕方ないが、それでも引き下がれない理由が彼女にはある。

 霊夢の勘が告げている。霊夢の知らぬ所で、『異変』にも近い()()が起きている。それが幻想郷にどんな影響を齎すのか、そこまでは分からないのだけれども。

 

 あまりにも不明瞭。だからこそ、紫から何かを聞き出せれば良かったのだが。

 

「……さて」

 

 肝心の彼女の返答は。

 

「それはご想像にお任せしますわ」

 

 取り繕ったような笑顔と共にそれだけを言い残し、紫はスキマを使って立ち去ってしまった。結局満足のいく答えも得られぬまま、霊夢は一人立ち竦む事となる。

 胡散臭い。そんな返答で霊夢が納得する訳がない。一体、何が起きている? 博麗の巫女にも口外できないような事態なのか、それとも霊夢に態々言うまでもないような小さな出来事なのか。いや、後者の可能性は限りなく低いだろう。そもそも紫が冬に活動している時点でおかしな話だ。少なくとも、紫が自ら動かねばならぬような事態が発生している事は確かである。

 気味が悪い。これまでの『異変』でも類を見ないような何がか起きている、或いはこれから起きようとしている。そんな気がしてならない。

 

「まったく……」

 

 博麗霊夢は嘆息する。

 

「……嫌な予感がするわね」

 

 胸中のざわめき。否応なしに、彼女はそれを感じざるを得なかった。


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