桜花妖々録   作:秋風とも

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第2話「秘封倶楽部の二人」

 

 朝。進一は空腹で目を覚ました。

 

「……、あぁ……」

 

 そう言えば、あれから結局夕食を取らなかった事に気がつく。色々とバタバタしていた事もあって、すっかり頭から抜けていたが。つまり、進一は遅い昼食以降何も口にしていない事になる。それでは腹が減って当然である。

 何だか昨日は偉く不健康な生活リズムだったなぁと思いながらも、進一は枕元に置かれたスマートフォンを手に取る。時間を見ると、もうすぐ早朝五時を回る所だ。朝一に大学の講義がない日はもう少し遅くまで寝てたりするのだが、今日はこれ以上寝付けそうにない。主に空腹の所為で。

 

「……起きるか」

 

 進一はベッドから身体を起こし、窓のカーテンを開ける。

 日が完全に昇りきっていないのか、外はまだ薄暗い。換気の為に窓も開けると、冷たい空気が部屋に流れ込んできた。中途半端な眠気が吹き飛ばされる。

 今日は雲ひとつない晴天だ。朝はまだちょっぴり肌寒いが、この様子だと太陽が昇りきる頃には幾分か過ごしやすい気候となるだろう。

 

 欠伸を一つしてベッドから降り、進一は自室を出る。階段を降りた先、リビングへの扉の前で人影を見かけた。

 

「……妖夢?」

「あっ、進一さん。おはようございます」

「お、おう。おはよう」

 

 まさか妖夢がもう起床していたとは。昨日は疲れているようだったし、てっきりもっとぐっすりと寝ていると思ったのだが。

 

「早いな。まだ五時前だったはずだが」

「まぁ……、いつもこの位の時間には既に起きているので。身体が覚えていたようですね」

 

 そう言えば、彼女はとある日本屋敷の庭師だと言っていたか。更には家事等も担っているらしいので、やはり仕事の関係上、朝は早いのだろう。その癖で、今日もこんな早朝に目を覚ましてしまったと言う事か。

 

「進一さんこそ、朝はいつも早いんですか?」

「ん? あぁ……。普段はもうちょい遅い、かな? 今日はたまたまだ。なんか空腹で目が覚めちまってな……」

「あ……。え、えっと……。やっぱり、私がおにぎり食べちゃったから……」

「……え? い、いや……、別にお前が気にする事はないぞ。あの時は本当に腹減ってなかったんだからな」

 

 しまった。余計な事を言ってしまったか。

 生真面目な妖夢の事だ。きっとあれこれと気にしてしまうだろう。確かに空腹で早い時間に目が覚めてしまったのは事実だが、進一は別に妖夢の所為だとは思っていないのだ。あの時は腹が減っていなかったと言うのも、嘘ではない。

 

 しかしそうは説明しても、妖夢は申し訳なさそうな表情を浮かべたままだ。本当に、そんなに気にしなくても良いのだが。

 どうしたもんかなぁ、と進一が頭を捻らせていると、

 

「そ、そうだ! あの、お詫びと言ってはなんですが……」

 

 何かを思いついたらしい妖夢が、ポンッと手を叩く。

 

「今朝の食事……私がお作りします!」

「……へ?」

 

 思いも寄らぬ提案だった。

 

 

 ***

 

 

 参った。本当に、参った。

 昨晩泊めて貰った事と食事を分けて貰った事のお礼も兼ねて、朝食を準備すると提案したのまでは良かった。あの超大食いの主のために、妖夢はよく食事を作ったりもする。その為、自慢じゃないが料理の腕にはかなり自信があるのだ。だから進一にもきっと喜んで貰えると、そう思った。

 思い返して見れば、妖夢はその時点で失念していたのだ。外の世界と幻想郷では、文化も文明も違うのだと言う事に。

 

 まず予想外だったのは、この台所には火を起こすような設備がまるで見当たらなかったと言う事だ。

 例えば味噌汁を作るにしても、まずは水を加熱しなければならない。その為には火が必要となるはずだ。いや、味噌汁だけじゃない。料理の多くは、作る上で加熱という行程を必要とするはず。にも関わらず、この台所には火を起こすような設備がどこにも見当たらなかったのだ。

 

 進一曰く、この家は『おーるでんか』なので、『がすこんろ』ではなく代わりに『あいえいち』が設置されているらしい。意味が分からない。昨日のお風呂用具と言い、聞いているだけで頭が痛くなりそうだ。

 なんでも、外の世界の道具はその多くが電気を動力源としているとの事。妖夢の中では、電気とは明かりの代わりになるものと言う認識だったのだが。応用すれば、もっと多くの用途があると言う事か。

 

 それはさておき。

 つまり何が言いたいのかというと、この台所は妖夢が見た事も聞いた事もない道具や設備だらけだったと言う事だ。当然、使い方なんて分かる訳がない。

 それ故に。結局、進一の手を借りる事になってしまった訳で。

 

「うぅ……すいません……。あんなに堂々と提案しておいて、この体たらくなんて……」

「いや、使い方が分からないなら仕方ないだろ。気にすんなって」

 

 ちょっと進める度に分からない事が出てきて、進一を呼ぶ。そんな事を繰り返している内に、随分と時間が経過してしまった。たった二人前の朝食を作るだけなのに、まさかこんなにも手間取ってしまうなんて。

 そんなこんなで。妖夢が朝食を作り終える頃には、外はすっかり明るくなっていた。

 

「お、お待たせしました!」

「……お。できたのか」

 

 やっとこさ作り終えた朝食をおぼんに乗せ、妖夢は進一の下へと向かう。

 メニューは白いご飯に焼き鮭、そして味噌汁にお新香だ。ご飯とお新香に関しては既に出来上がったものがあったから良かったが、問題は焼き鮭と味噌汁だった。たったこれだけの品でこの時間である。我ながら情けなく思えてくる。

 

「ごめんなさい……。想像以上に時間がかかってしまって……」

「いや、謝る事じゃないだろ。それにほら、あれだ。どうせご飯が炊けるまで時間があったんだし、寧ろ丁度良かったって言うか……」

 

 進一はこう言ってくれるが、妖夢が色々と迷惑をかけてしまったのも事実だ。そう思うと、やっぱり申し訳ない気持ちになる。

 

「ほ、ほら。落ち込んでないで、早く飯食っちまおうぜ。あー、腹減った」

 

 一瞬だけ沈んだ表情になりそうになったが、妖夢は慌てて顔を上げる。

 そうだ。今は朝食の時間。それなのに妖夢がこんな調子では折角のご飯が不味くなる。確かに申し訳ない気持ちはあるが、だからと言っていつまでもくよくよしてはいられない。それでは逆に迷惑がかかってしまうだろう。そんな事は駄目だ。

 モヤモヤとした気持ちを払拭し、妖夢も進一の向かい側に座る。

 

「……そうですね。早く朝食にしましょうか」

「よし。それじゃ、いただきます」

「……いただきます」

 

 両手を合わせてそう口にし、まず進一が手に取ったのは味噌汁だった。

 さて。時間がかかったのも問題だったが、それ以上に心配なのは味だ。一応味見はしたので問題ないとは思うが、進一の舌に合うか否か。ただでさえ待たせてしまったのに、進一の舌に合わなかったとなると――立ち直れる自信がない。

 

 お椀の縁に口を付け、進一は味噌汁を口に含む。一口ほど飲み込んだらしく、喉元が小さくうねるように動いたのが見えた。それから、ゆっくりとお椀を口元から離す。

 たったそれだけの動作なのに、なぜか妙に長く感じる。口に合ったのか、合わなかったのか。そればっかりが気になって、妖夢は自分の食事に手をつける事すら忘れかけていた。

 ドキドキと心臓が高鳴っているのを感じる。人にご飯を振舞うのに、ここまで緊張したのは生まれて初めてだったかもしれない。

 

 そして、それから。進一は、ふぅっと一息ついて。

 

「うん。旨い」

 

 表情を綻ばせて口にしたのは、賛辞の言葉だった。

 

「え、えっと……。お口に、合いましたか……?」

「ああ。正直びっくりした。こんなにも旨い味噌汁は初めて飲んだかも」

「そ、そうですか……! よかったぁ……」

 

 今一度確認して、妖夢は肩の力が一気に抜けるのを感じた。

 良かった。本当に、良かった。文字通り緊張の糸が解れた妖夢は、思わず突っ伏しそうになる。朝食が置かれているので踏み止まったが、それ程までに安心したのだ。

 

「なんだ? そんなに自信なかったのか?」

「い、いえ、そう言う訳では……。なんて言うか……、お待たせしてしまったのにお口に合わなかったらどうしようかと……」

「ははっ。心配性だなぁ」

 

 まぁ、確かに。今になれば、ちょっと心配しすぎたかなぁと思うけれど。

 でも。やはりこうして「旨い」と直接言ってくれると、心の底から安堵するのも事実だった訳で。

 

「この鮭も旨いな。焼き加減バッチリじゃないか。慣れない設備でここまで旨くできるなんて、凄い事だと思うぞ」

「ありがとうございます……」

 

 焼き鮭をつまみながらもそう言ってくれる進一に対し、妖夢は少しもじもじしながらも答える。そこまで褒められると、ちょっぴり恥ずかしい。

 昨日から、進一には迷惑ばかりかけていたけれど。これで少しは恩返しできたかなと思うと、妖夢は何だか嬉しくなった。

 

 よし。私も食べよう――と、妖夢も味噌汁の入ったお椀に口をつける。

 

「……あれだな。妖夢は良い嫁さんになりそうだな」

「ぶふっ!?」

 

 むせた。

 

「お、おい大丈夫か? どうした急に」

「ごほっごほっ……! い、いきなり変な事言わないで下さいよぉ!」

「……え? そんなに変な事言ったか?」

 

 まさかの反応である。ひょっとして彼は、意外と天然なのだろうか。

 とにかく、落ち着こう。このままじゃ結構苦しい。そう思い、妖夢はコップに入った水を飲む。

 

「いや、だって料理凄く上手いし。それに……えっと、白玉楼? だっけ? そこで毎日庭の手入れとか家事とか諸々熟してんだろ? だからきっと良い嫁さんになるんじゃないかなぁと」

「ぶっ!?」

 

 またむせた。追撃である。

 なんだ、これは。ワザとか? ワザとやっているのか、彼は。

 散々咳き込んだ後、ようやく落ち着いた後もぜえぜえと息が切れる。まさか朝食中にここまで体力を消耗する事になるとは。流石の妖夢も予想できない。

 

「え、えっと……。別に、変な意味で言った訳じゃないからな……?」

 

 少しきょとんとしていた進一だったが、二度もむせた妖夢を見てようやく原因に気づいたらしい。冷や汗をかいて表情をひきつらせながらも、そう補足してきた。

 この反応。どうやら本当に深い意味はなさそうである。いや、当たり前か。きっと彼なりに場を和ませようとしてくれたのだろう。それは妖夢も重々承知している。

 しかし。やはり何度も嫁さんがどうのと言われると、どうにも変な反応をしてしまうと言うかなんと言うか。妖夢もそういうお年頃なのである。

 

「な、なんかすまん」

「へっ!? あっ……い、いえ! わ、私の方こそ何か変に反応しちゃって……!」

 

 取り敢えず。

 色んな意味で随分とバタバタした朝食なのだった。

 

 

 ***

 

 

「ところで、一つ確認したい事があるんだが」

 

 朝食を終え、食器を片付けてから一息ついた後。進一は妖夢にそう切り出した。

 

「はい、なんでしょうか?」

「これからについてだ。お前は幻想郷に行く手段を探すんだろ?」

 

 進一が尋ねると、妖夢の表情に影が差す。痛い所を突かれたと、そう言いたげな様子だ。

 ある程度予想できた反応である。大方、昨日一晩考えたけれど結局良い案は思いつかなかったと言う所か。

 まぁ、無理もないだろう。たった一晩考えただけで、早々に良い案が思いつく訳がない。これはそこまで単純な問題ではないはずだ。

 

「ええ。確かに、その手段を探すつもりですけど……」

「でも当てが全くない。そうだろ?」

「……はい」

 

 観念したかのように、妖夢は弱々しく肯定する。進一から目を逸らした彼女は俯き、そして肩を窄めていた。

 進一は一瞬だけ言葉を失いそうになる。流石にここまで弱々しい姿を見せられると、心にぐさぐさと刺さるものがあるのだ。見ているこっちも落ち込みそうになる。

 

 しかし。何も現実を突きつけて妖夢を打ちのめす為に、こんな話を持ちかけたのではない。こほんと一度咳払いをして、進一は気を取り直す。

 

「そこで、だ」

 

 彼には、一つだけ宛があった。

 

「俺の知り合いに、オカルトに精通している奴らがいる。独断で悪いが、昨日そいつらに電話をして事情を話させてもらった」

「オカルト……ですか?」

「ああ」

 

 進一の通う大学には、とあるオカルトサークルがある。文字通り、超常現象だとか都市伝説だとかを追ったり、研究したりするサークルである。ただ、大凡まともな活動をしているようには見えないと言う事から、大学内の他の学生にはどうやら不良サークルとして認知されているようだが。

 話を戻そう。端的に言ってしまえば、進一はそのサークルメンバーと知り合いなのだ。昨晩、進一は風呂の準備をする前に彼女らに電話をかけ、妖夢の事や幻想郷について説明した。

 

「結論を言えば、幻想郷への手がかり探しにそいつらも協力してくれるらしい。普段から超常現象だとかを調べている連中だからな。きっと力になってくれると思うぞ」

「ほ、本当ですか!?」

「本当だとも。それに、昨日電話越しに話を聞いた感じじゃ、何やら心当たりがあるみたいだったし」

 

 二人のサークルメンバーの内、片方は特に行動派なオカルトマニアだ。昨晩電話した時も、かなりの勢いで食いついてきた。

 そんな彼女は電話を切る際、何やら勿体振るように含みのある言葉を残していった。どうやら彼女には何か心当たりがあって、しかも相当自信があるらしい。こういう時には頼もしい限りである。

 

「それで、その時そいつらと約束をしておいた。直接話をしないかってな。どうだ? ちょっと急だが、今から会いに行ってみないか?」

「は、はいっ……! でも、あの……それはありがたいのですが……」

「なんだ? 何か問題でもあったか?」

 

 妖夢は俯く。どこか遠慮しているような、そんな様子だった。

 

「どうして……そこまでしてくれるんですか……?」

「……えっ? どうしてって……」

「あっ! べ、別に進一さんを疑っている訳ではなくてですね!? えっと、なんて言うかその……。私なんかの為に、進一さんがそこまで手を煩わせる必要はないと言いますか……」

 

 そう言う事か。

 確かに。昨日出会ったばかりの進一があれこれ手を尽くすのは、妖夢からして見れば少し不思議に思えたのかもしれない。このまま幻想郷へ帰還する手段を探したとしても、進一には何の利益もないし寧ろ骨折り損になる可能性だってある。

 けれども。利益がどうのだとか、そんな事は関係なかった。

 

「目の前に困っている奴がいて、しかもその事情を知ってしまったんだ」

 

 中途半端に関わって、中途半端な所で投げ出すなんて。そんな無責任な事、出来る訳がない。

 

「はいそうですかと突き放すのも、後味が悪いからな。乗りかかった船だ。ここまで来たら、とことんまで付き合おう」

 

 毅然とした態度で、進一は口にする。

 

「約束する。出来る限り、俺も力を貸すよ」

 

 岡崎進一と言う青年は、昔からこんな人間だ。

 普段はどちらかと言えば無頓着で、積極性もそれ程高いとは言えないはずなのに。一度深くまで踏み込んでしまったら、途中で引き返すような事はしない。相手がどんな人物であれ、見捨てるような事はしない。否、できないのだ。向ける態度に、多少差異はあれども。

 つまるところ。言ってしまえば彼は、お人好しという奴なのだ。それも筋金入りの。尤も、進一本人にはそんな自覚はないのだけれども。

 

 そんな彼の態度を見て、妖夢がふと莞爾として笑う。

 

「やっぱり……。あなたは私の思った通りの人です」

 

 妖夢のそんな呟きは、あまりにも小さすぎて。進一の耳には届かない。

 

「……ん? 何か言ったか?」

「……いえ。何も」

 

 

 ***

 

 

 それから。昨晩洗濯しておいた見慣れた服に着替えた後、妖夢は進一と共に外出していた。

 今日の天気は快晴だ。気温も特段低い訳でもなく、風も然程強くない。とても過ごしやすい気候である。

 しかし。そんな気候とは別に、妖夢には気になる事が一つ。

 

「あの……どうしても剣を持っていくのは駄目なのでしょうか……?」

「いや、あのな……。この国には銃刀法というものがあってだな……」

 

 簡単に言えば、真剣を持ち歩くのは御法度らしい。

 と言う訳で。取り敢えず楼観剣も白楼剣も進一の家に置いてきたのだが、やはりどうにも落ち着かない。普段から剣を持ち歩いていただけあって、何かが物足りないと言うか、欠けていると言うか。

 けれども外の世界に来てしまった以上、こっちのルールには従わなければなるまい。慣れるしかないだろう。

 それに。昨日は色々とバタバタしていて、じっくりと周囲を観察する事はできなかったけれども。改めて周囲を見てみると、幻想郷でも冥界でも見られぬような、不思議で奇妙なものが数多く存在している事に気がついた。人を乗せて動く鉄の塊や、空を飛ぶ大きな飛行物体など。色々と気になる所はあったが、今は観光目的で外を出歩いているのではない。湧き上がってくる好奇心をグッと堪え、妖夢は黙って進一についていく。

 

 電車と呼ばれる乗り物に乗って、彼女達が向かった先は大学と呼ばれる施設。なんでも、勉学に励んだり色々な研究をしたりする為の場所らしい。寺子屋のようなものなのだろうか。

 

「……ここ、ですか?」

「ああ。待ち合わせ場所は……まぁ、所謂カフェだな。ついて来てくれ」

 

 進一に連れられて、妖夢は大学の敷地内を歩く。葉がすっかり落ちた木が並ぶ門を抜け、まず目の前にあった大きな建物――には入らず、素通りして更に奥へと向かう。レンガが敷かれた道を進み、辿り着いたのは他とはやや雰囲気の違う建物だった。

 確か、カフェと言っていたか。基本的に勉学や研究するのを目的とした他の建物と違い、ここは食事や雑談をする為の言わば憩いの場。意図的に他の建物とはデザインを変えているのだろう。

 

「ほら、入るぞ」

 

 まじまじと建物を眺めていると、進一にそう促された。妖夢はやや早足で、その建物の扉をくぐる。

 

 カフェは建物の二階部分にあった。

 休日の、しかも昼食にはまだ早い中途半端な時間だからだろうか。チラホラと人影は見かけるものの、利用している人は少ないようだった。一際大きくお洒落な部屋に、幾つもの椅子や机が設けられている。が、腰掛けている人の数は少なく、疎らだ。これが講義のある日の昼食時ならば、大勢の学生で溢れかえるのだろうけれども。そんな様子を知らない妖夢からしてみれば、覚えるのは「何だか寂しい所だなぁ」と言った印象である。

 

「……お。やっぱりあいつはもう来てたか」

 

 そんな妖夢の心境など露知らず。部屋をぐるりと見渡した進一は、誰かを見つけた様子だった。十中八九、さっき話してくれたオカルトサークルのメンバーだろう。慣れた足取りで奥へと進み、妖夢もそれについて行く。

 

 ガラス製の扉を越えた先。オープンテラスとなっているその席に、一人の少女が腰掛けていた。

 

「よう。早いな、メリー」

 

 どうやら読書をしていたらしい。進一が声をかけると、少女は読んでいた本から目を離し、そして顔を上げる。

 

「…………ッ!」

 

 その少女を見た途端、妖夢は絶句した。鈍器か何かで頭を強く叩かれたような、はたまた突然空気のない場所に放り込まれたような、そんな心地だった。あまりの衝撃に息をするのさえも忘れそうになる、とはまさにこの事である。

 

 美しい金色の髪を持つ少女だった。

 歳は、進一と同じくらいだろうか。妖夢ほどではないが色白の肌に、スっと整った端正な顔立ち。若干の幼さと美貌を同時に兼ね備えたその容貌は、同じ女である妖夢でさえも少し見惚れそうになる程だ。頭には白いナイトキャップのような帽子を被り、菖蒲色のワンピースを着こなしている。

 ついでに。そのワンピースの上からでもはっきりと分かる程に、少女の胸元には大きな膨らみが確認できる。その癖ウエストはほっそりしており、まさに抜群のスタイルとも言える体型だ。そんな彼女を見ていると、なんと言うか。()()()()である妖夢には、理不尽な劣等感や一方的な敗北感のようなものが、こう――。

 って。今はそんな事を気にしている場合ではない。

 

 煩悩を払拭しつつも、妖夢は今一度少女の顔を確認する。

 

(似てる……)

 

 妖夢が絶句した理由。それは、彼女の容姿がとある大妖怪にそっくりだったからだ。

 妖怪の賢者。あのスキマ妖怪に――。

 

「おはよう進一君。貴方こそ早いんじゃないかしら? 約束の時間までまだ少しあるはずだけれど」

「まぁ……。俺はどっかの誰かさんみたいに時間にルーズじゃないからな」

 

 少女と進一が何やらやり取りをしているようだったが、妖夢にはその内容はまるで入ってこなかった。目の前の少女の事ばかりが気になって、他の事にまで意識を傾けられない。

 

 似ている。確かに似ているが、いや、しかし。当然ながら、本人などではない。所謂他人の空似というヤツだろう。ちょっとびっくりして、先入観に囚われて。まるで瓜二つであるかのように見えていたけれど。落ち着いてよく見てみれば、実はそこまで似ていないような気がしてくる。

 

「それで? そのどっかの誰かさんこと蓮子は……」

「……あの子が約束の時間前に来ると思う?」

「だろうな……」

 

 なんとなく、だが。纏う雰囲気はどこか似ているのだ。ただ、一つ一つの仕草だとか、浮かべる表情だとか。細かな所が確かに違う。何よりこの少女は、あのスキマ妖怪から強く感じる胡散臭さが薄い。彼女とは違って、まだ手が届く存在であるような。

 

「ところで、その子が昨日話してくれた……」

「ん? ああ、そうだ」

 

 そんな時。話題がこちらに向けられた所で、妖夢は我に返った。

 いけない。幾ら彼女の容姿があの大妖怪に似ていたからと言って、いつまでも動揺しているのは失礼にあたる。似ているだけであって、全くの別人なのだ。

 ふぅっと短く深呼吸すると、だんだん動揺も落ち着いてきた。

 

「申し遅れました。魂魄妖夢と申します。よろしくお願いします」

 

 ぺこりと頭を下げて自己紹介すると、目の前の少女はふっと笑みを浮かべた。

 優しそうな笑顔。しかし、やはりどうしてもあのスキマ妖怪と重ねてしまって――いや、止めよう。この少女はどう見ても普通の人間だ。ただ、ちょっぴり似ているだけ。そう片付ける事にしよう。

 

「マエリベリーよ。マエリベリー・ハーン。よろしくね、妖夢ちゃん」

「は、はい。えっと、マエ……リベリー、さん?」

「ふふっ。呼びにくいなら、メリーで良いわ」

「ま、皆そう呼んでるしな」

 

 その少女――メリーは、落ち着いた様子で自己紹介してくれた。

 この名前から考えて、外国人なのだろうか。しかし日本語をペラペラと話しているし、日本にいる期間は相当長いようだ。ひょっとしたら、日本生まれの日本育ちなのかも知れない。

 

 それはさておき。

 

「あの、メリーさんは……オカルト、サークル? のメンバーなんですよね?」

「ええ、そうよ。秘封倶楽部って言う名前のサークルでね。まぁ一応、貴方の言う通りオカルトサークルって事になっているのだけれど……」

「でも不良サークルって認知されてるんだよな」

「うっ……。そこまでストレートに言われるとちょっぴり傷つくわね……」

 

 引きつった表情を浮かべながらも、冷や汗を流すメリー。どうやら、不良サークルだという自覚はあるらしい。ストレートに言われると若干思うものがあるようだが。

 まぁ、でも。口ではそう言っても、心の底から傷ついているような様子はメリーにはない。気軽に冗談を言い合える仲、と言う事なのだろう。

 

「なんて言うか……、傍から見るとちょっと怪しいんだよな。度が過ぎてるっていうか」

「私はこれでも節度は守っているつもりなのだけどね……」

「まぁ……メリーはまだマシな方かもな。蓮子と比べると」

「……れんこ、さん?」

 

 聞きなれない名前が出てきて、妖夢は首を傾げる。いや、確かさっきもその様な名前は出てきていたか。あの時は意識がメリーの方ばかりに行っていて、あまり聞いていなかったけれど。

 

「秘封倶楽部のもう一人のメンバーだ。まだ来てないみたいだが……」

「そう、ですか……」

「そう言えばアイツ、昨日電話で話した時はやけに自信満々だったんだよなぁ……。メリー、蓮子から何か聞いてないか?」

「それが私にも教えてくれないのよ。楽しみに待ってなさいの一点張りで……」

「なんじゃそりゃ。あの蓮子がそこまで勿体振るのも珍しいな……」

 

 会話の内容から察するに、その蓮子という人物が来ないと話が進まないらしい。約束の時間までまだ少しあるようだし、今は待つしかないだろう。

 メリーの向かい側の席に進一、そしてその隣に妖夢は座る。適当に雑談でもしながら、蓮子を待つ事になった。

 

 そして、それから。半刻弱経過した頃。

 

「やあやあ諸君! 集まってるわね!」

 

 彼女は現れた。

 

 

 ***

 

 

 宇佐見(うさみ)蓮子(れんこ)は時間にルーズな少女である。

 彼女にとって、時間という概念はあらゆる事柄の非優先事項だ。度外視していると言っても過言ではない。

 あちらから時間を指定してくる癖に、彼女は大抵遅れてやってくる。約束の時間にはまず現れないし、それよりも前に来る事は奇跡でも起きない限りあり得ない。そろそろ“遅刻”と言う言葉を、彼女の代名詞にしても良いかも知れない。それ程までに、蓮子は遅刻の常習犯なのだ。

 

 そして、やはりと言うか。今回もまた、約束の時間を大幅に過ぎてからの登場だった。

 

「やあやあ諸君! 集まってるわね!」

 

 ダークブラウンの髪はセミロングで、服装は大雑把に言ってしまえば白と黒のツートンカラー。黒い中折れ帽に白い長袖のシャツ。そして黒いロングスカート。

 そんなツートンカラーの少女こと蓮子は、まるで悪びれる様子も無く進一達の前に現れた。

 

「いやー、まさか進一君があんな話を持ちかけてくるなんてびっくりしたわ。でも安心して! 秘封倶楽部の名にかけて、私達がどんな不思議も暴いて見せるんだから!」

 

 しかもこの態度である。

 全く、呑気と言うか何と言うか。ここまで堂々とした態度を取られると、怒りも呆れもすっ飛ばして逆に尊敬したくなってくる。

 

 そんな彼女の様子を見て、メリーが明け透けに溜息をついた。

 

「ねぇ蓮子。一人で盛り上がってる所悪いのだけど、その前に何か言う事があるんじゃないの?」

「……へっ?」

「いや、へっ? じゃなくて……。約束の時間からもう20分経つのだけれど、その件についてどう思う?」

「ふふん、よく見なさいメリー。まだ18分よ。20分経ってないわ」

 

 ダメだこりゃ。

 なぜだか胸を張りながらも、ドヤ顔でそんな事を言う蓮子。それを見てどうやら頭痛を感じてきたらしいメリーが、額に手を乗せて天を仰いでいた。

 正直、蓮子に約束の時間についてとやかく言って聞かせても無駄だ。まさに牛に経文、石に灸。進一は既に諦めている。

 

「あの、進一さん」

「なんだ?」

「蓮子さんって、いつもこんな感じなんですか?」

「まぁ、な……」

 

 それだけで、妖夢は全てを察してくれたらしい。苦笑いを浮かべながらも、彼女は目だけで伝えてくれた。「お疲れ様です」、と。

 

 そんな風に進一達が短いやり取りを終えた頃。

 

「……あ。ひょっとして貴方が半人半霊の?」

 

 妖夢の存在に気づいたらしい蓮子が、目を輝かせながらもそう声をかけてきた。そんな彼女を前にして、妖夢は少し押され気味になりながらも、

 

「え、ええ。そう、ですけど……」

「おぉ……成る程成る程。私は宇佐見蓮子よ。よろしくね」

「あ、はいっ。魂魄妖夢です。よろしくお願いします……」

 

 品定めするような蓮子の目つきに、妖夢は若干面食らっているようだ。大方、半人半霊などと言う特異体質を前にして、蓮子の好奇心が奮い立たされたのだろう。オカルト好きな彼女の事だ。きっと妖夢の姿を見て、あれこれと想像を膨らませているに違いない。

 

「半分幽霊だって聞いてたけど、姿は普通の女の子にしか見えないわね……」

「えっと……。いつもなら半霊が一緒にいるんですけど、実は昨日からどこかに行っちゃってて……」

「そう、それよ! 実に興味深いわ……! 半霊というのは、自分の身体の半分なんでしょ? それなのに気付かぬ内になくなってたなんて……! 感覚とかどうなってるのかしら? 例えば、半霊を擽ったりしてみたら……」

「あ、あの……」

「なぁ、蓮子。そろそろ本題に移っていいか?」

 

 妖夢が困った表情を浮かべた所で。収拾がつかなくなる前に、進一は蓮子を制止する。ただでさえ彼女が遅刻して時間が遅れているのだ。これ以上、話があらぬ方向に進んでしまうのは勘弁願いたい。

 意外にも、進一の制止は一発で効果を現した。「そ、そうだったわね」と呟いて、蓮子は乗り出していた身体を引く。どうやら一応、遅れて来た事や妖夢に質問攻めをしてしまった事に対する謝罪の念はあるらしい。なんとなくバツが悪そうな表情を浮かべながらも、蓮子は一度咳払いした。

 

「それじゃ、早速始めるわよ! 秘封倶楽部の活動を!」

 

 立ったままテーブルの縁に両手を乗せて、蓮子は高らかにそう宣言した。

 なぜだか妙にハイテンションである。進一は秘封倶楽部ではないので詳しくは分からないが、少なくとも毎回こんな調子ではないはずだろう。普段、彼女はメリーと二人だけでサークル活動をしている訳だが、今回は進一と妖夢がいる。いつもより多い人数を前にして、心躍っているのだろうか。

 

 そうなると。なんだか蓮子の考えている事が分かってきたような気がする。

 

「さて。色々と説明したいんだけど、その前に進一君に一つ提案!」

「なんだ? 秘封倶楽部には入らんぞ」

「秘封……って、ちょっ、答えるの早くない!?」

 

 やはりそう来たか。

 

「前にも言ったろ。俺はサークルには入らないって」

「そ、そんな……! あんな話を持ちかけてきたから、もしかしたらと思ったのに……!」

「いや、別に俺を引き込む必要なくないか? 二人だけでも十分活動できてるんだろ?」

 

 活動内容に多少問題はあるとは言え、秘封倶楽部はこの二人で既に完成しているように思える。そもそもオカルトにあまり詳しくない進一が参加した所で、足を引っ張る結果にしかならないだろう。

 ――などと言うのは建前で、本音は乗り気じゃないから、なのだが。

 

 一応理由を説明したが、蓮子は未だに「ぐぬぬ……」と唸っている。進一は困ったように頭を掻いた。

 

「いや、だから俺がいても邪魔にしかならないって言うか……。なぁ、メリーもそう思うだろ?」

「……へっ? そ、そうね……。進一君が入ってくれるなら、私も嬉しい、かな……?」

「そうだよな。やっぱり邪魔……って、え?」

 

 助け舟を求めたつもりが、意外な反応を返されてしまった。メリー、お前もか。

 どうしてここまで進一に参加して欲しいのだろうか。何か理由が――。

 

(……あ。成る程、そう言う事か)

 

 そこで進一の脳裏に思い浮かんだのは、大学内の他サークルの事。

 進一達の通うこの大学には、数多くサークルが存在している。ポピュラーなスポーツサークルや文系サークルもあれば、あまり聞かないようなマニアックなサークルまで。実に多種多様である。都内の大きな大学だけあって、サークルの豊富さも魅力の一つと言える。

 

 そんな大学内の他サークルと比べて、秘封倶楽部のメンバーは明らかに人数が少ない。その部員はただ二人、蓮子とメリーのみである。十分に活動できているとは言え、個人サークルでもないのにこの少ない人数では、確かに堂々と名乗り難いのかも知れない。

 それに。もしこのまま来年もメンバーが増えなかったら、最悪廃部になる可能性もある。そうなっては目も当てられない。

 つまり。他サークルと比べて圧倒的にメンバーが少ないと言うこの状況に、彼女達は焦りを感じている。だからどのサークルにも属していない進一に声をかけた、と。

 

「それなら別に俺じゃなくても良くないか?」

「えっ」

「俺以外にもサークルに入ってない奴なんて結構いるだろ? 全員が全員何かしらのサークルに所属しちゃった訳でもないだろうし」

 

 何も進一に拘る必要はないはずだ。メンバーを増やしたいのならば、進一などよりも適した者は沢山いるだろう。

 そう思ったのだが。

 

「…………」

「…………」

「……えっ? 何だこの空気」

 

 蓮子もメリーも揃って黙り込み、溜息混じりに項垂れてしまった。周囲にどんよりとした空気が漂い始め、気まずい空間が生成される。

 なんだ、これは。進一が悪いのか? そう言えば、今朝も無意識の内に妖夢に変な事を言ってしまったようだが――。ひょっとして、今回もまた余計な事を言ってしまったのだろうか。

 

「……進一さん。それはないです」

「や、やっぱり変な事言ってたか……?」

「変な事と言いますか……。入ったらどうですか? きっとお二人とも迷惑だなんて思ってないと思いますよ」

「いや、しかしだな……」

 

 分かっている。彼女達が進一の事を迷惑だと無下にするような奴らではない事は、よく知っている。それは重々承知しているのだが――。

 

「はぁ……。教授はあんなにもオカルト好きなのになぁ……」

「いや、姉さんと一緒にしないでくれるか?」

「まぁいいわ……。こうなったら強硬手段よ!」

 

 バァンと、蓮子は強い勢いでテーブルを両手で叩く。近くにいた他の学生達が「何事だ?」と視線を向けてきたが、そんな事は微塵も気に留めていない。

 どうやら、蓮子の何かに火がついたらしい。

 

「どうせ今日は私達の活動を間近で見る事になるんでしょ? なら、すぐに気づくはずよ! 秘封倶楽部の魅力に……!」

「そうか。だと良いな」

「ふふーん、そんな調子なのも今の内よ? それじゃ、いよいよ本題に移るわよ!」

 

 色々と話が脱線してたような気がするが、ともあれようやく本来の目的を果たしてくれるようだ。取り敢えず気を取り直して、蓮子の話を聞く事にした。あれだけ勿体振ったのだ。きっと有力な情報に違いない。

 

「まずはこれを見て」

 

 そう言って蓮子が取り出したのは、一枚の写真だった。

 写っているこれは、古い寺院だろうか。和様建築の本堂に、その奥に見えるのは大きな三門。その三門の周囲には、幾つかの桜の木が確認できる。本堂も三門も、建てられてから相当な年月が経過しているようで、使われている木材もシミなどで完全に変色してしまっているようだ。

 随分と歴史を感じさせる寺院ではあるが、生憎進一には見覚えがない。少なくとも、この辺にこんな寺院はなかったはずだ。どこで撮った写真なのだろうか。

 

「……なんだ? この写真」

「ふっふっふ……。よくぞ聞いてくれたわね。何を隠そうこれに写っているのは……」

 

 不敵な笑みを浮かべながらも、蓮子は答えた。

 

「冥界よ!」

「……へ?」

 

 今、彼女はなんと言った?

 進一の聞き間違えでなければ、『冥界』などと口にしたような気がするのだが。

 

「……冥界?」

「そう。冥界」

 

 聞き間違えじゃなかった。思わず進一は写真を二度見する。

 どうやらこの写真、冥界のとある場所を撮影した物らしい。眉唾物ではないのだろうか。いきなり冥界だとか言われても、正直反応に困る。

 しかしよく見ると、何だか空気感が現実のそれとは違うような。まさか、本当に?

 

「……でもやっぱり、いきなり冥界だとか言われてもな」

「……いえ、これは……!」

 

 進一は半信半疑な様子。しかし彼の隣で同じように写真を眺めていた妖夢は、突然食い入るように身を乗り出した。机に置かれた写真を手に取り、それをまじまじと凝視する。何事だと進一が思っていると、妖夢は酷く緊迫した面持ちで、

 

「……間違いありません。これは冥界です」

「……マジで?」

「ええ。この写真だけでは、冥界のどこかまでは分かりませんが……」

 

 見間違い――ではなさそうだ。

 妖夢は元々冥界に住んでいた半人半霊だ。しかも現世である幻想郷に頻繁にも出入りしていた様子。それ故に、冥界独特の空気感だとか、現世との微妙な違いだとか。写真からでも、それらを敏感に見分ける事が出来るのだろう。そんな彼女もそう言っているのだ。蓮子の言う通り、これは冥界の写真で間違いないのだろう。

 

「ほら、妖夢ちゃんもそう言ってるじゃない。これで信じる気になった?」

「でも蓮子。冥界の写真なんて、一体どうやって手に入れたの?」

「ふふっ……。メリー、私には表裏ルートがあるのよ」

 

 何やら口を濁した蓮子。本当にどうやって手に入れたのたのだろうか。進一はなんだか不安になってきた。

 しかし、行動派なオカルト好きである蓮子の事だ。進一ではとても思いつかない手段で、この写真を手に入れても不思議ではないだろう。彼女の行動力を舐めてはいけない。

 

「だが……これが本当に冥界の写真だったとしても、ここへ行く手段がなければ意味がない。冥界へは、幻想郷からじゃなきゃ……」

「甘いわね進一君。ここをよく見なさい」

「ここ……?」

 

 そう言って蓮子が指差したのは、写真の奥に写った三門。桜の木に囲まれたそれは、一見すると何の変哲もないただの三門にしか見えないが――。

 

「……三門がどうかしたのか?」

「よく見て! 門のここよ。明らかに現世でしょ?」

「そう、なのか……?」

 

 正直、そう言われてもよく分からなかった。普段からオカルトに触れていると分かるものなのだろうか。

 

「蓮子の言うとおりよ進一君。門の向こう側……明らかに隠世じゃないわ」

「うぅむ……。妖夢はどう思う?」

「はい。私もお二人と同じ意見です。恐らく、この先は現世で間違いないかと……」

 

 どうやらイマイチ理解できていないのは進一だけらしい。なんだか一人だけ負けたみたいで悔しくなってきた。

 しかし、分からないものは分からないのだ。ここは三人の言葉を信じ、そうだと納得するしかない。釈然としないが。

 

「……って事は、この先は幻想郷に繋がってるのか?」

「いや、蓮台野よ」

「えっ……?」

「だから、蓮台野だって」

 

 蓮台野。そう聞いて進一がまず連想したのは、京都市北区にある墓地。別に先祖の墓がある訳でもないので行った事はなかったが、場所くらいは何となく分かる。

 まさか、とは思うが。

 

「蓮台野って、北区のか?」

「ええ、そうよ。ほら、ここに月が写ってるでしょ? 間違いないわ」

 

 進一は混乱した。

 今までの話をまとめると、つまり蓮台野に冥界への入口があるという事になる。しかし、妖夢は言っていた。冥界へは一度幻想郷を経由しなければ行く事ができない、と。にも関わらず、明らかに()()()()()()である蓮台野に、そんな入口があるなんて。

 

「おい、妖夢。冥界へは幻想郷からでなければ行けないんじゃなかったのか?」

「そ、そのはずですよ……! 本来、生身の肉体を持ったまま冥界へ干渉する事なんて不可能なはずですから……。過去の異変の影響で、冥界との結界の密度が薄くなってる幻想郷だけが例外で……。で、でもちょっと待って下さい! どうしてこの先が蓮台野って場所だって分かるんですか? 月がどうのと言ってましたが……」

「それは私の能力」

「能、力……?」

「そう。『星を見ただけで今の時間が分かり、月を見ただけで今居る場所が分かる程度の能力』」

 

 宇佐見蓮子は特殊な能力を持っている。いや、『眼』と言うべきか。

 その能力はまさに文字通り。星を見ただけで時間、そして月を見ただけで場所を認識する事ができるのだ。蓮子はこの能力を使い、写真に映っている月を見てこの場所を特定した。

 この能力は本物だ。決して世迷い言などではない。現に進一は、正確無比なこの能力を過去に何度か間近で見ている。

 

「蓮子の能力で特定したのなら、きっと確実な情報なんだろうな。だが、しかし……」

「もうっ。進一君は固定観念に捕らわれ過ぎ。ニュートン力学が相対性理論によって覆されたのと同じように、目先にあるもの全てが真実って訳じゃないのよ? 冥界への入口が幻想郷にしかないだなんて、そう言い切るのは早計よ」

 

 イマイチ納得のいかない進一に対し、蓮子が溜息混じりにそう口を挟んでくる。確かに彼女の言うとおり、少しばかり頭が硬すぎるような気もするが――。

 それでもやはり、何かが引っかかる。冥界への入口と言うのは、そんな何箇所もあるものなのだろうか。

 

「……取り敢えず、蓮台野に行ってみない? 本当に冥界への入口があるのかどうかは分からないけれど、幻想郷への手がかりが何か見つかるかも知れないし」

「そうよ! 流石メリー、話が早い!」

「……そうだな。今はとにかく情報が欲しい」

 

 色々と気になる事はあるが、取り敢えず。

 メリーの提案通り、とにかく蓮台野に行ってみるべきだろう。釈然としないとは言え、手がかりは他にないのだ。今は蓮子の自信を信じるしかない。

 

「妖夢もそれで良いよな?」

「はい。そもそも私は協力をお願いしている身です。異論はありません」

「よーし! そうと決まれば、早速今夜蓮台野へと向かうわよ!」

「……、え゛っ……?」

 

 グッと握り拳を作りながらも、蓮子はそう提案する。それを聞いた妖夢が何やら妙な反応を見せる――が、進一達は気づかなかった。

 

「どうして夜なんだ?」

「いや、白昼堂々と行くのはまずいでしょ。お墓とか調べたり、色々とする訳だし」

「色々って……何するつもりだよ」

「ちょっと蓮子。まさか墓荒らし紛いな事をするつもりじゃないでしょうね?」

「あ、あのっ!」

 

 進一とメリーによる蓮子への追及は、張り上げられた妖夢の声によって遮らえてしまった。

 いきなりどうしたんだと、三人の視線が妖夢へと集中する。彼女は血の気の引いた表情を浮かべていた。

 

「ど、どうしても、夜じゃなきゃダメなんですか……?」

「……ええ、そうね。夜なら蓮子の奇行も目立たなさそうだし」

「ちょ、奇行って酷くない!?」

「で、でででもっ! ほら、夜って暗くて危なくないですか!? し、しかも蓮台野ってお墓なんですよね……? 何が出てくるか分からないじゃないですか!」

 

 そこで進一はようやく気づく。

 妖夢の様子が変だ。今朝ご飯を作る際や進一が変な事を言ってしまった際、慌ててわたわたとするような事はあったが――。今回はそれらとも比べ物にならない程の慌てぶりである。まるで、何かに怯えているかのような。

 

「どうしたんだ? 夜だと都合が悪いのか?」

「へっ!? い、いえ! 別に、都合が悪いとかそんなんじゃ……!」

「それじゃ、決まりだな」

「はひ!? ちょ、ちょっと待って下さい……!」

「いや、本当にどうしたんだよさっきから。異論はないとか言ってたのに」

 

 進一がそう言うと、妖夢は言葉に詰まった様子だった。痛い所を突かれたと、そう言いたげな表情を浮かべている。

 何をそんなに慌てているのだろう。そもそもお墓だから何が出てくるか分からないとは、一体どう言う事なのだろうか。

 まさか幽霊だとか、そう言った類の事を言っているのだろうか。いや、それだと妖夢が怯えている理由が説明つかない。半分幽霊の妖夢が、幽霊や所謂お化け等を怖がるとは思えないし。

 

 しかし、やはり昼間ではなく夜に行くべきだと進一も思う。メリーの言っていた蓮子の奇行云々だけでなく、冥界への入口だとか、そう言った怪現象は深夜――俗に言う丑三つ時の方が起きやすいという印象がある。それならば、やはりそう言った時間帯の方が手がかりも見つけやすいのではないだろうか。あくまで素人の意見、なのだが。

 

「それじゃ! えっと、そうね……。深夜1時半! この時間に現地集合って事で!」

 

 ポンッと手を叩いて、時間指定をしてくる蓮子。そのやり取りを最後に、一度解散する事となった。

 未だに顔が真っ青になっている妖夢に何度か声をかけてみたが、返ってくるのは「もう、どうでもいいです……」だとか「大丈夫、大丈夫……」だとか、なんとも噛み合わない答えばかり。やっぱり行くのは止めとくかと一応言ってみたのだが、その提案は首を横に振って断られてしまった。彼女曰く、蓮子達の協力を無下にはしたくないらしい。

 

 妖夢が何に怯えているのか気になるが、取り敢えず。

 集合場所は蓮子の家にした方が良かったんじゃないかと、ちょっぴり後悔しながらも進一は妖夢を連れて一度自宅に帰るのだった。


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