桜花妖々録   作:秋風とも

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第14話「そして少女は街を駆ける」

 

 蓮子達の話が終わって。辺りには、一抹の沈黙が訪れていた。

 静寂の中、妖夢は息を呑む。まさか進一の『眼』に、そんな秘密が隠されていたとは。『星を見ただけで今の時間が分かり、月を見ただけで今居る場所が分かる程度の能力』を持つ宇佐見蓮子や、『結界の境界が見える程度の能力』を持つマエリベリー・ハーンと同じように。岡崎進一という青年もまた、特別な『眼』の持ち主だったのである。

 生命などという概念的な存在を、視覚する事ができる能力。オカルトや非常識の存在に無頓着な態度を見せていながらも、まさかその本人が持つ『眼』がどこまでも非常識的だったなんて。

 

「驚きました……。まさか、進一さんがそんな能力を持っていたなんて……」

「そうね。進一君、能力使うの好きじゃないみたいだから。滅多な事じゃ使わないし、妖夢ちゃんが今まで気づかなかったのも無理ないわ」

「……好きじゃない?」

 

 蓮子の物言いが引っかかった。

 能力を使うのが好きじゃない。確かにそれは言葉通りの意味なのかも知れないが、それとは別に何かもっと深い理由が隠されているかのような。そんな印象を抱いてしまう。

 その真意が気になって、妖夢は思わずオウム返しをしてしまったが、

 

「うん。だって、進一君は……」

「れ、蓮子……。流石に、それを蓮子の口から話しちゃうのは……」

「……そうね。確かに、こればっかりは進一君から直接聞いた方がいいかもね」

 

 蓮子とメリーの反応を見て、妖夢は察した。おそらく、彼が能力を嫌っている理由は軽い気持ちで聞いて良いような内容ではない。しかし逆に言えば、進一が能力を使わないのにはそれなりの理由があるという事だ。にも関わらず、メリーから聞いた話では、行方不明になる直前に彼は能力を使い続けていたのだという。

 

「……分かりました。理由は何であれ、とにかく進一さんは能力を使うのが好きじゃない。それで良いんですね?」

「……ええ。そうね」

 

 自分の能力が好きではなく、普段から滅多に見せる事もない。それなのに、その能力を長時間使い続けていたと言うことは――。

 

「それだけ分かれば十分です」

 

 楼観剣と白楼剣を竹刀袋に仕舞い、妖夢はそれをおもむろに背負う。毅然とした眼差しで、彼女は踵を返した。向かう先は、玄関の外。

 

「……ちょっと、妖夢ちゃん。どこに行くつもり?」

 

 当然ながら、蓮子に呼び止められる。妖夢は踏み出した足を止めて、しかし振り返りはせずに、

 

「少し、気になる事があって。多分、進一さんは偶発的におかしくなってしまった訳じゃない。これはおそらく作為的……犯人がいると思うんです」

「それって……犯人の心当たりがあるって事?」

「ええ」

 

 おそらく、今の進一は正気を失っている状態なのだろう。何らかの術にでもかけられたか、或いは言葉で揺さぶられたか。とにかく、作為的な力が働いている事は明白だ。

 他人の心理に介入する力。それが能力によるものだとすると、犯人は絞られてくる。

 

(こいしちゃんか、或いは……)

 

 あの三度笠を被った女性。正直、こいし以上に人物像が掴めない女性である。彼女は一体、何者なのか。そもそも人間なのだろうか。

 もしも仮に、人間ではないのだとしたら。幻想郷とも、何らかの関わりを持っているのだろうか。

 

(いや……)

 

 幻想郷への手掛かりだとか、冥界へと帰る方法だとか。今はそんな事を気にしている場合ではない。それより何より、妖夢がすべき事は一つ。

 

「とにかく、進一さんを助けに行きます。ここでジッとなんてしていられません」

 

 ちゆりには待っていろなどと言われていたが、正直そんな悠長な事をしている場合ではないと思う。こいしと名乗ったあの少女と三度笠を被ったあの女性が、本当に妖の類だったとしたら。進一の身が危ない。

 

「ま、待って、それなら私も……」

「……いえ」

 

 メリーが一歩前に出てきたが、妖夢はそれを静かに制する。

 

「メリーさんは、蓮子さんと一緒にここで待っていて下さい」

「ど、どうして……?」

「お二人を危険な目に遭わせたくないからです」

 

 そこで蓮子が口を挟んでくる。流石の彼女も、焦りを露わにしている様子だった。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ。妖夢ちゃんの心当たりって、そんなに危険な相手なの?」

「それは、まだちょっと分かりませんが……」

 

 蓮子もメリーも外の世界の人間だ。幻想郷や冥界で日々を過ごしてきた妖夢とは違う。もしも、妖怪のように人間を遥かに凌ぐ力を有した存在と対面してしまったら。彼女達では太刀打ちなんて出来やしない。そんなリスク、負わせる訳にはいかないのである。

 

「だったら尚更妖夢ちゃんを一人で行かせる訳にはいかないわ。もしも、本当に危険な相手だったら……」

「大丈夫ですっ!」

 

 そこで妖夢は振り返る。出来る限り、精一杯の笑顔を見せて、

 

「確かに私は半人前ですが、こっちの世界に来てからも日々の剣術鍛錬を怠った事は一度もありません。こう見えて、結構強いんですから!」

 

 最後にそれだけを言い残して、妖夢は家を飛び出した。蓮子とメリーが揃って妖夢の名を呼んでいたが、それでも彼女は振り向かない。

 

 黄昏色の空の下。少女は一人、街を駆ける。その心が向かう先は、ただ一つだった。

 

(進一さん……!)

 

 彼は妖夢を助けようとしてくれた。だから今度は、妖夢が彼を助ける番だ。

 

 

 ***

 

 

 激しく乱れた息遣いが、嫌でも耳に響いてくる。まるで動悸でも起こしているかのように心臓がバクバクと波打ち、激しく酸素を消耗する。やがて酸素が足りなくなって、軽い酸欠の症状が出始めてしまった。

 しかし、それでも尚。岡崎夢美は止まらない。視界が歪み、足が縺れ、転びそうになりながらも。彼女はただ直向きに突き進む。

 

(どこに行ったのよ……進一ッ……!)

 

 進一が行方不明になったと聞いて。夢美は家を飛び出して、無我夢中で走り続けていた。

 宛だとか、手掛かりだとか、そんなものは殆んどない。最後に見たのは駅前だったと、そんなメリーの言葉を頼りに周囲を捜索したものの、結局発見には至らなかった。

 夢美の焦燥感はますます強くなる。一体何が起きていて、彼はどこに行ったのか。まるで見当もつかなくて、頭の中がぐちゃぐちゃになって。夢美は混乱していた。冷静な判断なんて、出来る訳がなかった。

 

「あっ……」

 

 バランスを崩した。慌てて足を踏み出してバランスを取ろうとするが、身体が上手く動いてくれない。酸欠の影響だろう。踏み出そうとした足に、瞬間的に痺れが走って。力が、抜けてゆく。

 

「くっ……!」

 

 反射的に横に手を伸ばして体重を移動させ、塀へと寄りかかるような形になる事で何とかバランスを取る事に成功した。

 しかし、そこで夢美は突然の倦怠感に襲われる事になる。蓄積されていた疲労が、遂に限界に達したのだ。今の今まで闇雲に走り続ける事で誤魔化し続けていたのが、足を止めた事によりその歯止めが効かなくなったのである。塀に寄りかかったままでぜぇぜぇと息を切らし、酸欠の所為か酷い目眩までもする。真冬の冷たい空気が肺に染み込んでくるような気がして、余計に息苦しくなってきた。

 

(休んでいる場合じゃないのに……!)

 

 そうだ。休んでいる場合ではない。今は一刻も早く、進一を見つけ出さなければならない。

 

(進一……どうして……!)

 

 どうして、『能力』なんて使っているのだろう。

 人の生命をその眼に映す能力。それは即ち、使い方によっては生と死の境界を視覚する事さえもできてしまう『眼』。人が死ぬ瞬間。その身に宿す『生命』という存在が、無残にも散りゆく様子。見たくなくとも、見えてしまう。

 『能力』。それに振り回されてしまっていた、あの頃の進一は。

 

『助けてよ、お姉ちゃん……!』

「……ッ!」

 

 ぎゅっと、握る拳に力が入る。ギリっと、思わず歯軋りをする。息苦しさにより蹲りそうになる身体に鞭を打って、無理矢理体勢を立て直した。鉛のように重い身体を持ち上げて、夢美は再び前を向く。相も変わらず呼吸は荒いが、その程度の事でいつまでも立ち止まっている暇などない。

 呼吸を整える。そして再び、夢美は走り出さねばならないのだ。是が非でも、進一に辿り着く。それ以外の事なんて、最早どうでもいい。

 

「おーいっ、夢美様! やっと追いついたぜ……!」

 

 夢美が息を整えようと必死になっていると、聞き覚えのある声が彼女の耳に流れ込んできた。

 視線を上げると、そこにいたのは見知った顔。

 

「……ち、ちゆり? どうして」

「決まってるだろ。夢美様を追いかけて来たんだ」

 

 当然だと言わんばかりの表情を浮かべる彼女は、夢美の助手。北白河ちゆりだった。

 この口ぶり。どうやら夢美を追いかけて、彼女も街中を走り回っていたらしい。けれども軽い酸欠に陥っている夢美とは違い、ふぅっと額の汗を拭うちゆりはどこまでも涼し気だ。息切れも殆ど確認できない。

 まったく、一体どんな体力をしているんだ。それとも、単に夢美に体力がないだけなのだろうか。

 

「何しに来たのよ。言っておくけど、止めようとしたって無駄よ? 私は進一を連れて帰るんだから」

「……ああ、分かっている。どうせ私が止めたって、夢美様は是が非でも突っ走ろうとするんだろ?」

 

 素っ気なくちゆりに自分の意思を表明すると、意外にも簡単に彼女は折れてくれた。随分と物分りがいい。

 

「へぇ、よく分かっているじゃない」

「おいおい、舐めてもらっちゃあ困るな。私は夢美様の助手だぜ? あんたの考えている事なんて、ある程度は理解しているつもりだ」

 

 そう口にしつつも肩を窄めるちゆりの態度は、どこまでも軽い。事を深刻に捉えている夢美とは、まるで対照的である。

 夢美はムッとした。進一がいなくなって、どこにいるのかも分からないのに。なぜ彼女はこんな態度なのだろうか。この期に及んで、夢美をからかいにでも来たのだろうか。

 

「……私を止めに来たんじゃないのなら、一体何のつもりよ」

「助手が教授にする事なんて一つだろ?」

 

 少し、予想外の回答。夢美は思わず首を傾げる。

 一体、何を言っているのだろうと。夢美が訝しげに思っていると、

 

「手伝うぜ。進一を捜すの」

「……、えっ……?」

 

 夢美を見上げるちゆりの瞳は、どこまでも真っ直ぐだった。焦りともどかしさで苛立ちが募り、八つ当たり紛いの冷たい態度で夢美があしらおうとしても。ちゆりは至極きっぱりと、瞭然たる面持ちでそう口にした。夢美を手伝う、と。

 言葉が出なくなった。

 

「なんだよ、その顔。何を言われると思ったんだ?」

「あ……、ぅ、いや、別に……」

「……私だって、進一がいなくなったって聞いて結構焦ってるんだからな。夢美様がそこまで狼狽しちゃうのも、無理ないと思うぜ。あんたは意外と過保護だからなぁ」

「な、何よっ。お姉ちゃんが弟の事を心配しちゃ悪いって言うの?」

 

 結局からかうちゆりを前にして、夢美は頬を膨らませる。どうやらあまりにも予想通りの反応だったらしく、ちゆりはケラケラと笑っていた。

 

「まぁ何にせよ、少し安心した。鬼気迫る様子で家を飛び出していった時にはどうなるかと思ったけど、その様子じゃあちょっとは落ち着いたみたいだな」

「そ、それは……」

 

 確かに、ちゆりの言う通りだ。勢いで家を飛び出して、街中を捜し回ってから今の今まで。夢美は我を忘れる程の強い焦燥感に襲われていた。冷静さなんて欠片もなかったし、心の余裕だって微塵もなかった。

 けれども、今現在はどうだろう。焦燥感は未だに拭いされていないが、つい先程までとはだいぶ様子が違う。焦燥感の中にも、どこか冷静な自分がいるような。

 

「とにかく、私の意思も夢美様と同じだって事だ。それなら一人で突っ走るよりも、二人で協力した方が効率的だと思わないか?」

「……そうかもね」

「だろ? こういう時こそ助手を有効活用すべきだぜ」

 

 ちゆりの言葉一つ一つが頭の中で反響して、その度に胸中の焦燥感は少しずつ弱まってきて。ちゆりの言葉や振る舞いで、夢美が落ち着きを取り戻してきているのは明白だ。それは彼女自身も分かっている。

 言ってしまえば夢美は、心細かったのだ。だからこそ強い焦燥感が生まれたし、冷静な判断力も完全に欠落していた。けれども一人で勝手に飛び出した手前、今更そんな事を認めてしまうのもバツが悪くて。

 

「それで、どうなんだ夢美様? 私は何をすればいい?」

「……勝手にしなさい」

「ほう……こりゃまた随分とアバウトなご指示で。それじゃ、勝手に手伝わせてもらうからな」

 

 つい、素っ気ない態度を取ってしまうけれども。夢美の本心は。

 

「……ありがと。ちゆり」

「ん? 何か言ったか?」

「……ううん。別に、何も」

 

 聞こえなかったのなら、別にそれでも良い。

 

「さぁ、モタモタしている暇はないわよ。早く進一を見つけないと」

「……ああ。家は蓮子達に任せているから安心だぜ。仮に進一がひょっこり帰ってきたとしても、あいつらが連絡してくれるはずだからな」

「……そうなってくれると一番良いんだけどね」

 

 照れ隠しに踵を返し、夢美は再び前を見据える。

 不安感は残っている。胸中の苦しさも相変わらずだ。けれども今の夢美には、ちゆりがいる。こんなにも心強い助手がいるじゃないか。だから一人で突っ走る必要なんてない。だって夢美は、一人じゃないのだから。

 夢美は短く深呼吸をする。そして肩の力を抜いて、出来る限り焦燥感を抑え込む。呼吸の乱れはすっかり良くなっていた。

 

「そう言えば、これって警察とかに通報した方がいいのか?」

「……いえ。もしも能力だとか、そういった非常識的な存在が絡んでいるのなら、あんまり大きな騒ぎにすると収拾がつかなくなるわ。そうなると、こっちにとっても色々と都合が悪いわね。進一もそんな事は望んでいないだろうし」

「だよなぁ……」

 

 さっきちゆりも言っていたが、今回の件はどうにもきな臭い。能力を使い続けていた進一と言い、メリーが彼から感じた違和感と言い。どうにも作為的な力が働いているとしか思えない。

 もしも。今回の件の原因が、非常識的な存在の介入によるものだとすれば。常識に囚われた現代の人々では、対処しきれないだろう。だからと言って夢美達だけでどうこうできるのかと聞かれても、胸を張って首を縦に振れる訳ではないが――。それでも。

 

(待っててね、進一……!)

 

 夢美の意思は変わらない。絶対に進一を連れ戻す。それだけだ。

 

 

 ***

 

 

「はぁ……」

 

 魂魄妖夢は悶々としていた。

 街中。思わず空を仰いだ妖夢は、明け透けに溜息を零す。白い吐息を吐き出す彼女の足取りは、徐々に重くなっていた。

 進一を助けに行くと、そう意気込んで家を飛び出したのまでは良かった。だけれども、今更になって少し後悔している。ちょっぴり格好つけ過ぎたかな、と。

 

 もしも古明地こいしか三度笠の女性がこの件の犯人ならば、彼女達の行方を追えば必然的に進一に辿り着けると思っていた。おそらく、妖夢のその推測は強ち間違っていない。間違ってはいないと思うのだが――問題は別にある。

 

「まさか……ここまで見つからないなんて……」

 

 妖夢は独りごちる。家を飛び出して暫く経つが、未だに彼女等の行方を追えていないのだ。

 無論、手掛かりが皆無という訳ではない。先日接触した時に覚えた感覚からの推測だが、彼女達に非常識的な何かしらの力が働いている事はほぼ明白である。それならば、その力の本流を辿れば行方を追う事も可能なのではないかと。そんな考えだったのだが。

 

「と言うか、そもそも……」

 

 それでそう易々と見つける事ができるのなら、とっくの昔に再び接触できているはずだ。それならこれまでの一週間はなんだったんだという事になる。

 

 非常識的な力。例えば霊力だとか、妖力だとか、魔力だとか。そういったものを瞬時に察知する事ができるのなら、妖夢は既に幻想郷への手掛かりを掴んでいる事だろう。

 

「やっぱり半霊がないと駄目なのかな……」

 

 元より()()()()()方面での霊力の使い方はあまり得意ではなかった妖夢だが、半霊がなくなった事により更に酷くなってしまっている。霊力や妖力を探るだとか、そういった高度な技術は諦めた方が良いかも知れない。

 

「はぁ……」

 

 再び、溜息。何もできない自分が、あまりにも情けない。進一というたった一人の青年も、助ける事ができないなんて。

 悔しい。妖夢は拳を握り締め、下唇を噛み締める。結局、どうあがいても自分は半人前止まりなのだろうか。幾ら鍛錬を重ねても、幾ら高みを目指しても。伸ばしたその手は、何も掴めずに終わってしまうのだろうか。

 そんな事って。

 

「……絶対に嫌だ」

 

 ――その時だった。

 

「……あれ?」

 

 ()()()を覚えた。

 一瞬。それも本当に小さな、下手をすれば気にも留めない程度のものだったけれども。確かにその瞬間、どうにも奇妙な感覚を妖夢の感性が捉えた。それを強引に例えるならば、雑音。本来ならば存在し得ないはずの、全くのイレギュラーなノイズ。紛れ込んでしまった歪みが、妖夢の感性を執拗に突っつく。

 胡乱に思い、妖夢は周囲を隈無く見渡すが。

 

「気の所為……?」

 

 いや、違う。この感覚は。

 

「もしかして……」

 

 自然と、妖夢の足は動いていた。

 

 

 ***

 

 

 月の煌きも星々の瞬きも、まるで地上に届かない曇天の夜。身体の芯まで響く程の冷たい空気が、気流に流され吹き乱れる中。とある廃ビルの屋上に、岡崎進一は佇んでいた。

 夜。クリスマスイブであるが故に街中の至る所に飾り付けられたイルミネーションが一斉に点灯し、眼前は幻想的な光景が広がっている。LEDによる大小様々な光の装飾の数々は街中の夜景とうまく融和する事に成功しており、どちらか片一方がもう一方を制してしまっているのではなく、寧ろ切磋琢磨して互いに磨き上げているようにも見える。実に壮観な光景だ。闇夜に突如として浮かび上がった壮大な芸術品は、見る者全てに安息を齎してくれるかのような包容力がある。皆誰もがその光景に視界の全てを奪われて、一時の安息感をその胸中に感じている事だろう。

 

 だけれども、そんな壮麗な光景を前にしているのにも関わらず。進一の『眼』は、全く別のものを捉えている。

 それは人の手によって作られた、この壮大な光ではない。人そのもの――延いては生物そのものが持っている、脆く儚い輝き。

 

「……どう? 見つかった?」

 

 ぼんやりと何かを眺めている進一の横にひょっこりと現れたのは、鴉羽色の帽子を被った一人の少女。古明地こいしである。手を腰の後ろで組みながらも首を傾げて尋ねると、無機質で無表情な進一は首を横に振る。そんな反応を前にして、こいしはがっくりと肩を落とした。

 

「やっぱりダメかぁ……」

 

 嘆息しつつも、こいしもイルミネーションで彩られた街並みへと視線を落とす。けれどもその表情は浮かない。芳しくない状況を前にして、流石の彼女も困り顔である。顎に人差し指の背を添えながらも、こいしは一人思案する。

 

「やはりそう上手くはいかないようですね」

 

 思案を続けるこいしの耳に、一人の女性の声が流れ込んできた。視線を向けると、真っ先に目に入ったのは頭に深く被った三度笠。

 緑と白を基調とした和装に身を包んだその女性は、三度笠の鍔を指で掴みながらも、

 

「“彼女”も馬鹿ではありません。一筋縄ではいかないと、それは(はな)から分かっていたはずです」

「それは、そうだけど……」

 

 何となく予想はしていても、実際にこうも上手く行かないとやきもきしてしまうのも仕方がない訳で。こいしは頬を膨らませながらも、ぶーぶーと不平を垂れ始めた。

 

「あーあ。もう少し上手くいくと思ってたんだけどなぁ……」

「ここで文句を言っても仕方ありませんよ。そんな事よりも、今は少しでも多くの手掛かりを探るべきです」

「手掛かり、ねぇ……」

 

 こいしは進一へと視線を向ける。その手掛かりを期待して彼をほんの少し利用させてもらったのだが、結局は空回りである。苦肉の策だった訳だが、このままではそれすらも水の泡だ。折角こうして、こいしの『能力』を使って力を借りているのだというのに。

 

「……、あっ……」

 

 その時。不服そうな表情を浮かべているこいしの目の前で、進一の身体が揺れた。

 こいしの持つ『能力』によりほぼ無意識下の状態で従い続けていた青年は、その瞬間に本当の意味で意識を喪失させてしまう。まるで糸が切れた傀儡のように突如としてバランスを崩し、膝の力がガクリと抜けてそのまま前のめりに――。

 

「……限界ですね」

 

 倒れ込む前に、三度笠の女性によって身体を支えられた。そのまま付近の壁面まで慎重に運ばれて、壁に凭れるような形でゆっくりと座らせる。どうやら完全に意識を失っているようで、ちょっと身体を揺すった程度じゃ起きる気配も見せなかった。

 

「さ、流石に無理をさせ過ぎちゃったかな? やっぱり、心身ともにかなりの負担がかかるみたい……?」

「それはそうでしょう。無意識下で半ば無理矢理能力を使わされ続けていた訳ですから」

 

 こいしは進一の顔を覗き込む。かなり強引な手段を使って彼に能力を強要していた訳だが――。その寝顔は、こいしが思っていた程に苦しげではなかった。察するに、自身の能力による心身への負担よりも、寧ろこいしの能力による弊害の方が色濃く現れているようだ。それなら然して心配をする必要はない。程なくして、彼は目を覚ますだろう。

 こいしは胸を撫で下ろしつつも、彼の持っていた『眼』を今一度思い返してみる。

 

「それにしても、本当に面白い人だよね。こっちの世界の住民でありながら、こんな『眼』を持っているなんて」

 

 非常に珍しい事例である。幻想郷の外の世界では、既に妖怪等の魑魅魍魎や超常現象の数々はその大半が存在を否定されたと聞いている。そんな世界で生まれ育った普通の人間でありながら、あまりにも非常識的な能力を宿す『眼』を持っているなど。

 

「この人をペットにしたら、お姉ちゃんに自慢できるかな?」

 

 冗談交じりにそんな事を口にしてみるこいし。しかしその次の瞬間、彼女の背筋に悪寒が走る事となる。

 原因は三度笠を被ったあの女性だ。鋭い視線をこいしに向け、突き刺さるような眼光でギロッと睨みつけてくる。どうやらこいしの何気ない発言を間に受けて、彼女を叱責しようとしているらしい。

 こいしは冷や汗を流しながらも、

 

「い、いやだなぁ、冗談だよ冗談! もー、生真面目なんだから」

「…………」

 

 こいしは本当に冗談のつもりだったのに、三度笠を被った女性は未だに鋭い視線を向けたままだ。怖い。冗談抜きで。

 

「そ、それより! この人、どうしよっか? 流石にこのままって訳にはいかないでしょ?」

「……そうですね」

 

 こいしは慌てて話題を変える。対する女性は少々腑に落ちない様子だったが、何とか話の流れに乗ってくれた。

 

 そう。問題は進一をどうするかだ。流石にこれ以上こいし達に付き合ってもらう訳にはいかないが、だからと言ってここで寝かせたままと言う訳にもいかないだろう。だけれども、彼が目を覚ますまで待つというのも少々都合が悪い。目を覚ました後、彼にどう説明すべきか。

 

「……やはり目を覚ますまで待つ他ないと思いますが」

「うーん、そうするしかないのかぁ……」

「それとも、何か別に良い方法があるとでも?」

 

 確かに彼女の言う通り、これといって良い解決策はまるで思い浮かばない。となると、残された選択肢は限られてくるだろう。

 

 ここは腹を括るしかない。彼が目を覚ますのを待って、それから――。

 

 

「進一さん!!」

 

 

 ――その時だった。第三者の声が、こいしの耳に流れ込んできたのは。

 

「……へっ?」

 

 思わず間の抜けた声を上げながらも、こいしは反射的に視線を向ける。

 屋上への出入り口。扉が開け放たれたその場所に、見覚えのある少女の姿が確認できる。白銀の髪に、頭の上の黒いリボン。そして小柄な体格に、背負った大きな竹刀袋。

 見覚えのある少女。つい先日、少しだけ対話した事があったはずだ。彼女の名は。

 

「う、嘘でしょ……!?」

 

 魂魄妖夢。

 

「思った通り……。やっと、見つけた……」

 

 なんで、どうして。だって、この廃ビルはこいしの能力の範囲内だったはずだ。『無意識を操る程度の能力』。その効力の応用、意識の幻惑。付近を行き交う人々でさえも、この廃ビルに意識を傾ける事なんて出来るはずがないのに。にも関わらず、一体彼女はどうやって?

 

「ど、どうして……!」

「……違和感ですよ」

「違和、感……?」

 

 自分でも、声が震えているのが分かる。酷く動揺しているようだ。

 だって、仕方がないじゃないか。落ち度は絶対にないんだって、そんな自信を今まで強く抱いていたのに。

 

「本当に、偶然と偶然が重なり合った結果です。街中をひたすら駆け回っている最中に、突然覚えた奇妙な感覚……。意識の歪み、とでも言いましょうか。それを辿ってここまで来ました」

「なっ……!」

 

 こいしは瞠目した。あまりにも強すぎる衝撃を受けて、開いた口が塞がらなかった。

 あり得ない。意識の歪み? それを辿って来ただって? それじゃあ、まるで。

 

「私の能力が、効いてない……!?」

「それは違いますね」

 

 口を挟んできたのは、三度笠を被った女性。

 

「こいしさんの能力は、確かに彼女に影響を与えています。現に彼女は、今の今まで私達の存在を意識する事ができていなかったようですからね。しかし、完全ではなかった」

「ど、どういうこと……?」

「気づきませんか?」

 

 彼女は三度笠の鍔をつかみ、それを深く被り直して、

 

「能力の酷使による体力の消耗。貴方は貴方が思っている以上に、その身に疲労を溜め込んでいたという事ですよ」

「……っ」

 

 こいしは思わず視線を落として、自らの手を握っては開いてを繰り返す。

 確かに。そう言われれば、実感はある。こっちの世界に来てからと言うものの、こいしは四六時中能力を使いっぱなしだ。それはこちらの世界の住民に自分達の存在を極力意識させない事が狙いだった訳だが――。かなり横暴なやり方である。

 例えばついさっき倒れた岡崎進一がそうであったように、こいしだって能力を長時間使い続ければ次第に精神力が磨り減っていくし、体力だって消耗する。その疲労感は能力の精度を少なからず落としてゆき、やがてどこかに“歪み”を生む。

 

「それでも、こいしさん程の存在が使う能力ならば、その歪みは微々たるものだと思うのですが……」

 

 しかし、魂魄妖夢は辿り着いた。常人ではまず気がつくはずもない、こいしの能力の歪みを辿って。彼女はこの廃ビルの存在を認識し、こうしてこいし達と対面している。

 にわかには信じがたい事だ。一度こいしの能力をその身で体験しているとは言え、まさか微かな歪みを見つけてこうして突破してくるなんて。

 

 いくらなんでも――。

 

「タネ明かしはこれくらいで良いでしょう」

 

 頭を抱えるこいしを余所に、妖夢は一歩前に出る。竹刀袋を肩から降ろし、二本の刀の鞘を出して。鋭く、睥睨する。

 

「やはりお二人はグルだったのですね」

 

 その眼光は、まさに刃の如き。その瞳には一点の曇りもなく、放たれる威圧感はこいしの足を竦ませる。息を呑み込みながらも、こいしは一歩足を引いた。

 

(や、やっぱり怒ってるよね……)

 

 無理もないだろう。こいし達がやったのは、あまりにも非人道的な行動である。誰かの意識を無理矢理操り、強引に手駒にしてしまうなど。例え恨みを買ってしまっても、それは仕方ない事。

 分かっている。それは分かっているのだけれども。

 

「え、えっと……。違うの、これには訳があって……」

 

 こいし達にだって、こんな事をせざるを得なくなった事情がある。何も好き好んでやっている訳じゃない。だけれども、残忍な行為であったという自覚はある。だから許してくれとは言わない。

 でも。

 

「訳? 何か真っ当な理由があるとでも言うんですか?」

「それは……詳しくは、説明できないんだけど……、でも!」

「こいしさん。落ち着いて下さい」

 

 三度笠を被った女性に諭される。言葉が詰まったこいしが視線を向けると、真っ直ぐな瞳で向き返された。

 

「これは……良い機会かも知れません」

「機会……?」

「ええ」

 

 そう言い残すと、三度笠の女性は踵を返す。そして妖夢のもとへと歩みより、彼女と二人で対峙して。

 

「ちょ、ちょっと、何を……!」

 

 彼女は。一体、何をするつもりなのだろうか。

 

 

 ***

 

 

 自分でもびっくりするくらいに、妖夢は落ち着いていた。胸の奥ではジワジワと怒りの念が湧き上がってきているのに、頭の中は冷静だ。

 ちょっと前までの自分なら、なりふり構わず剣を振るっていた事だろう。『真実は斬って知る』という師匠の言葉を真に受けていたあの頃が懐かしい。欠かさず行ってきた日々の剣術鍛錬が、ようやく実ってきたと言う事か。

 

 進一を捜しに街中を走り回り、とある違和感に気がついたのがつい数十分前。それを辿って、この廃ビルまで辿り着いて。立ち入り禁止のビニールテープを無視して足を踏み入れて、建物の屋上まで駆け上がった所で。遂に彼女達と対面した。

 古明地こいしと、そして三度笠を被った女性。その二人の傍らで、意識を失っている進一の姿。その状況を見ただけで、妖夢の予感は確信に変わる。

 

 やはり犯人はあの二人。

 

「あなたは何者なんですか?」

 

 歩み寄って来た三度笠の女性に、妖夢は問う。

 

「進一さんを、どうするつもりなんですか?」

 

 けれども女性は答えない。三度笠を深く被ってしまっている為、表情さえも読み取れない。

 ふつふつと煮えたぎる怒りが、表面上にまで現れてゆくのが分かる。握る拳に力が入り、思わずその手を剣へと伸ばしそうになる。

 

 許せない。進一を誘拐し、利用するだけ利用して。剰えこの態度。

 何だ。一体何なんだ、こいつは。

 

「あなたは……ッ!」

 

 妖夢の怒りが頂点にまで達する直前。ようやく女性が動きを見せた。

 おもむろに自らの腰へと手を伸ばし、カチャリと、何かを掴む。それを一気に引き抜いて、両手で構えて妖夢へと向けた。

 

 それは、剣だった。しかもあの形状は太刀――日本刀に分類される。

 妖夢と同じ種類の武器だが、けれど一つだけ違う点がある。それはあの剣が反りのない直刀であるという点だ。装飾の類も確認する事が出来るものの、少なくとも白楼剣や楼観剣より古い形式の刀であるように見える。

 

 けれどそれでも、古かろうが新しかろうが剣である事に変わりはない。それが意味する事は、即ち。

 

「……あなたも、剣を使うのですね」

 

 相も変わらず、女性は何も喋らない。表情を読み取る事も出来ないが、彼女の考えている事は何となくだが理解出来た。

 

「語るなら剣で、と言う事ですか」

 

 同じ剣士だからこそ、分かる事がある。剣士同士の剣の打ち合いは、時には音の言葉を超えた会話となりうる事がある。振るう剣術の一つ一つがある種の()()となり、ぶつかり合う剣撃がその真意を紐解く。

 剣術とは、剣士にとってのコミュニケーションの一つである。それを彼女が所望するのだと言うのなら。

 

「分かりました。あなたがその気であるというのなら」

 

 二本ある剣の片方。楼観剣の柄を掴み、それをおもむろに引き抜いて。

 

「お相手します」

 

 三度笠の女性と同じように、妖夢も剣をゆっくりと構えた。

 この女性が何者で、一体何が目的なのか。それは皆目見当もつかない。分かる事と言えば、彼女も妖夢と同じように剣士であると言う事だけ。

 しかし。今はそれだけで十分だ。彼女も剣士であるのなら、こうして剣を打ち合う事で何か分かる事だってあるかも知れない。彼女の正体も、目的も、その真意も。洗い浚い暴き切ってやる。

 

「あなたのその剣……相当鍛え上げているようですね。かなりの業物であるとお見受けします」

 

 妖夢は一歩足を踏み出し、降ろした剣を右脇に取る。

 

「けれど、私の剣だって負けません」

 

 それはいわゆる脇構え。腰を低く落として、体重を移動させて。

 

「妖怪が鍛えたこの楼観剣に――」

 

 鋭い瞳を女性に向ける。寸分の狂いもなく、ただ一点を見据え続けて。

 

「斬れぬものなど――」

 

 地を思い切り蹴り上げて、爆発的な加速力で一気に走り出す。

 

「あんまり無い!」

 

 斬撃が、襲いかかった。


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