桜花妖々録   作:秋風とも

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第130話「運命を変える方法」

 

 八雲紫という大妖怪の事を、一言で言い表すのは難しい。

 彼女には妖怪としての種族名は存在しない。『スキマ妖怪』と呼ばれる事もあるが、それはあくまで通称であって種族名ではない。八雲紫の持つ『能力』は唯一無二の存在で、彼女だけの特権なのである。彼女以外に行使出来る者は存在しない。

 いや。()()()()()()()、と言うべきか。

 ともあれ、八雲紫が一般的にはある種の畏敬の念を抱かれていた事に変わりはない。幻想郷の創始者で、絶大な『能力』を有する大妖怪。胡散臭い性格で、何を考えているのか判らない。善悪が判らず、気味が悪い。それが幻想郷での彼女における一般的な認識。

 

 だが、その認識は少し間違っている。

 胡散臭くて、何を考えているのか判らない。善悪が判らず、気味が悪い。──そんな印象は、彼女が意図して()()()()()()()を見せつけた結果に過ぎない。幻想郷の創始者にして、妖怪の賢者。そんな存在に対する畏怖の念を確たるものとする為に、彼女の方がその肩書きに合わせた行動をしていたに過ぎないのである。

 実際の八雲紫は、胡散臭くも気味が悪くもない。

 比較的温厚で、心優しい。そして生真面目な少女だった。

 

 八雲紫は幻想郷を愛していた。人間や妖怪、妖精や神などが暮らす理想郷を、彼女は大切に思っていた。故に彼女は、そんな楽園の管理者としての責任感を、人一倍抱いていたのだ。

 管理者であるが故に、毅然とした姿勢を崩してはいけない。

 妖怪の賢者としての本質。()()()()姿()を、裏切ってはいけないのだと。そんな思いが彼女にはあった。

 

 それ故に、彼女は。

 ()()()()()()()()()()()()

 

 不安や悩み事。思わず弱音を吐きたくなるような状況にだって、往々に直面していたはずなのに。それでも彼女は、頼らなかった。表面上は自分の式神や博麗の巫女に仕事を依頼する事はあれど、本当に重要な事はいつだって抱え込んでいた。

 

 ()()()()だって、その例に漏れない。

 『死霊』と化した西行寺幽々子。彼女の事情を把握しながらも、紫は誰にも相談しなかった。誰の力も借りなかった。親友である幽々子の変貌は、全て自分に責任があるのだと。まるでそう言いたげな様子で。

 彼女はたった一人で幽々子に立ち向かい、そして──。

 

「──そして、敗北した」

 

 妖夢によって語られた、八雲紫の物語。それを頭の中で反芻しつつも、メリーは思わずその結末を口にした。

 

 妖夢と魔理沙に連れられて、幻想郷に足を踏み入れて。いつの間にかついて来ていた蓮子とも合流し、彼女と共に紅魔館を訪れて。そして様々な真実を立て続けに突き付けられた。

 幻想郷で継続している『異変』の事。その首謀者が西行寺幽々子である事。そして──自分が、八雲紫の娘である事。この『異変』を解決する為の“鍵”が、自分である事。

 

 正直言って、すぐには受け入れられなかった。いきなりそんな事を言われても、困惑と恐怖ばかりが胸中から溢れ出ていた。

 マエリベリー・ハーンは、幻想郷の管理者たる妖怪の賢者の一人娘である。──なんて、何かの冗談ではないかと思った。だがレミリアの話を聞いている内に、ただの冗談だと片づけるには無理があるようにも思えてきて。

 

 そんな混乱の中、更に突き付けられたのは、進一の死。その裏に隠された真実。

 彼もまた、メリーと同じく“鍵”の一人で、あの瞬間に死ぬ事が運命だったのだと。死ぬ事で、異変解決の“鍵”と成り得るのだと、そんな事を告げられて。

 限界だった。メリーも、そして蓮子も。受け入れられる訳がなかった。メリー自身の真実も。そして()()()()が、確定した運命であったという事も。

 

 メリー達は逃げ出した。そんな真実を、受け入れる事が出来ずに。そしてあろうことか、蓮子とも衝突してしまって。

 だけど。

 

『仲違いなんて絶対に駄目だ。お前ら友達同士なんだろ? だったらちゃんと向き合って話し合わないと、いつか後悔する事になるぞ』

 

 あの時、魔理沙が止めに入ってくれて。最悪の事態だけは、逃れる事が出来たように思う。

 あれから、お互いに頭を冷やして。レミリアへの答えを保留にしたまま、一度元の世界に帰還して。そして、日を改めて──。

 

「メリー」

 

 名前を呼ばれて、メリーは顔を上げる。

 大学の構内。満開の桜が一望できる場所に設けられたベンチ。そこで、()()と待ち合わせしていたのだ。

 

「もう来てたんだ。待った?」

 

 そう問われ、メリーはスマホで時刻を確認する。

 事前に決めていた約束の時間。それと比較すると──。

 

「……五分遅刻よ。全く、いつになったら時間を守れるようになるの?」

 

 嘆息交じりにそう告げると、()()は。

 

「ふふん。五分なんて誤差の範囲よ。実質時間ぴったりに来たのと変わりないわ」

 

 宇佐見蓮子は、何故だか得意げな決め顔でそんな事を口にしていた。

 五分の遅刻。それも悪びれる様子もない。普通なら怒っても良い場面だが、どうにもそんな気分にはなれない。そもそも彼女が時間を守る事の方が稀だし、こんな場面にも慣れてしまったというか。

 いや。寧ろ、安心している自分がいる。

 何だろう、この感覚。不快な思いなどではない。何だかとても懐かしい。ずっとずっと、待ち望んでいた瞬間が目の前に現れたかのような。──強いて言語化するならば、そんな感じ。

 

 傍から見ればおかしな光景なのかも知れない。遅刻をされて、怒るどころかこんな気持ちになってしまうなんて。

 

「……メリー? どうかした?」

「……ううん。何でもない」

 

 蓮子に問われ、メリーは首を横に振って答える。

 今の聞き方。どうかした等と問いかけてきたが、恐らく蓮子はメリーの気持ちに気づいているのだろう。一ヵ月前のあの日から、今日に至るまで。自分達が味わった後悔や葛藤は、最早心の奥まで染みついているのだから。

 だからこそ、なのだろう。

 宇佐見蓮子は、そう。()()()()()()調()()で、メリーに接する。

 

「なら、早速本題に入りましょ」

 

 そう口にしつつも、彼女はメリーの隣に腰掛ける。

 ほんの一瞬だけ、思案顔。どのように切り出すか迷ったような様子を見せた蓮子だったが、それでもすぐに意を決する。迷いを完全に振り切った様子で、蓮子は語り出した。

 

「昨日は、ごめんなさい。一方的に感情的になって、ロクな説明も出来なくて。今思い返すと、本当に勝手だったよね、私」

「それは……」

 

 そう言われると、下手に否定も出来なくなってしまうけれど。

 

「……仕方ないわ。私だって、同じようなものだったし……。それに、お互い頭の中を整理する時間だって必要だったと思う。日を改めたのは正解だったんじゃないかしら」

「……ええ、そうね。お陰で色々と考えを纏める事が出来た」

 

 芯のある声で、蓮子はそう口にする。不安定で弱々しい印象は感じられない。

 覚悟を。心を、決めたという事か。迷いを振り払って、躊躇いを払拭して。彼女は一歩、前に踏み出した。

 

「レミリアさんから聞いたの。あの人がやろうとしている事。この未来を、どうやって変えようとしているのか」

「……うん」

 

 昨日。頭を冷やしてくると言ってメリー達から離れた蓮子は、紆余曲折あって再びレミリアを訪ねる事になったらしい。メリーが妖夢から八雲紫に関する話を聞いている間、蓮子もまたレミリアから彼女らの計画について話を聞いていたのだと。それだけは、昨日の時点でメリーにも伝えられていたのだけれど。

 

「“結果”を変えるには“原因”を変えなければならない。今の幻想郷の状態が幽々子さんに起因しているのだとすれば、『異変』が進行するよりも先に幽々子さんを止めるしかない」

「ええ。そこまでは、私も聞いたけれど……」

 

 世界の構造。時の流れのルール。因果関係という強烈な繋がり。あの時は、その後すぐに反発してしまって、それ以上の話をレミリアから聞く事は出来なかったのだけれども。

 

「八十年前。『死霊』として覚醒した直後なら、幽々子さんを止められる。だから……」

「……だから、私の力が必要なのよね?」

 

 蓮子が言い終わるよりも先に、メリーが口を挟む。

 

「私を、八十年前の幻想郷に送り込む。それがレミリアさんの計画なのでしょう?」

「メリー……」

 

 蓮子の反応が、肯定の意を何よりも示している。やはりそうだったのかと、メリーは腑に落ちた。

 話の流れを考えれば、幾らでも想像出来る事だ。メリーが鍵。そしてタイムトラベル。それらの要素から行き着く答えなんて、そう多くはない。

 

「妖夢ちゃんから聞いたわ。──私の、お母さんの事」

 

 メリーは、妖夢から様々な事情を聞いている。自分の母親とされる八雲紫の事も。そして彼女が、この大異変の首謀者である西行寺幽々子と親友である事も。

 

()()()は、幽々子さんとは親友同士だった。変に気取る必要もなく、互いに本音で接し合う事の出来る存在。あの人にとっての幽々子さんは、紛れもなく心の拠り所だった」

 

 八雲紫は元来、生真面目で責任感の強い人物だったという。幻想郷という楽園を管理する。その役割に対して絶対的な責任を強く抱き、最後までその使命を全うしようとしていた。

 だからこそ、彼女は孤独だった。

 その責任感故に。

 

 そんな彼女の孤独を埋めてくれたのが、幽々子だった。

 

「あの人は、全部一人で背負い込もうとしていたのよ。幻想郷の事も、そして幽々子さんの事も」

 

 あくまで妖夢から聞いた話で、それが彼女の意思と完全に一致していると言い切れる訳ではない。だが、それでも的外れという訳でもないように思える。

 苦しくて、苦しくて。それでも誰の力も借りない。()()()()()()()()。──そんな歪んだ責任感。

 

「結局、最後の最後まで……。自分が死ぬ間際になって、ようやく……」

 

 もう、自分ではどうする事も出来なくて。先の短い生命の灯を、浪費する事しか出来なくて。そんな状態になって初めて、彼女は頼った。外の世界に干渉していた、レミリア・スカーレットを。

 

「レミリアさんは、あの人が私に暗示をかけていたと言っていた。それも多分、私を幻想郷の事情に巻き込みたくないと思ったからなんでしょうけど……」

 

 メリーがこれまで自分の母親に関する意識を表に出さなかったのは、八雲紫による暗示が影響していた為だ。彼女はメリーの境界を操って妖怪としての特性を完全に消失させ、そして死の間際に暗示を行ってメリーの意識を操作していた。

 メリーを巻き込みたくなかった。それ故の行動。彼女の遺した願いはきっと、メリーが普通の人間として生を全うする事だった。

 

 でも。

 そんな彼女の想いに反して、メリーの中には残滓が消えていなかった。

 八雲紫が持っていた『境界を操る程度の能力』。妖怪としての特性が消失していたとしても、その『能力』だけはしっかりとメリーに受け継がれていて。

 

「私の中には特異性が残っている。『結界の境界が見える程度の能力』……。あの人が私の中に遺した、ほんの僅かな幻想……」

「…………っ」

 

 蓮子は言葉に詰まっている。すぐには答えを提示出来ぬような、そんな雰囲気が漂っていた。

 彼女の気持ちは、何となく判る。どんなに心を決めたつもりになったとしても、やはり心に葛藤が生じてしまうのだろう。本当に、これで良いのか。本当にこれ以外の選択肢は存在しないのかと。

 だけど、それでも。

 

「……そう。その通りよ、メリー」

 

 宇佐見蓮子は、迷いを断ち切る。

 

「メリーの中に残された、紫さんの残滓……。それこそが、幻想郷の大異変を解決する為の鍵なの」

 

 怯える事も、逃げ出す事もせずに。

 

「メリーの『能力』の本質は、ただ単に()()事だけに留まらない。本来ならば、紫さんだけの特権だった境界への干渉……。その『能力』が、メリーには受け継がれている」

 

 彼女は、向き合おうとしてくれているのだ。

 

「紫さん一人の力じゃ、幽々子さんには届かなかった。──でも。同じ『能力』を持つメリーの力を合わせれば」

 

 マエリベリー・ハーンを取り巻く、運命を。

 

「未来を、切り開く事が出来る──」

 

 未来を切り開く。何とも大層な響きである。少し前までのメリーだったら、そんな事を言われても実感なんて湧いてこなかったかも知れない。

 だけど、今は違う。少なくとも、メリーは感じ取る事が出来る。自分の中に眠っている、『能力』の本質。母親から受け継がれた、幻想の残滓を。

 

「私が、鍵……」

 

 呟き、そしてメリーは続ける。

 

「レミリアさんも、私の事をそう称していたわ。……いえ。より厳密に言えば、鍵は私だけじゃない」

 

 レミリア・スカーレットの計画。その要となる要素。

 

「……進一君も、私と同じ鍵だって」

 

 その点だけは、判らない。だから確認するしかない。

 

「教えて、蓮子。レミリアさんの狙いを、もっと詳しく」

 

 そう。

 それこそが。

 

「レミリアさんの言っていた“切り札”って、一体何なの──?」

 

 そしてメリーは、改めて耳を傾ける。

 蓮子を通して、レミリアによって語られた運命を変える方法を。

 

 

 *

 

 

「面白い! 実に面白いぞ、人間……!」

 

 運命を変える方法を教えて欲しい。

 蓮子がそう告げると、レミリアは実に楽しそうな表情でそんな事を口にした。

 

「私はお前の意思を尊重するぞ、人間。確かにお前は鍵ではない。だが、今のお前が抱くその意志は、この未来を変革させるのに充分な力を持っている。これが私の求めていた、()()()の一つだ」

 

 一方的に拒絶して、一方的に逃げ出して。

 見限られてもおかしくない行動を取ってしまったのに。

 

「私の事が気に食わないのだろう? 私の計画に納得していないのだろう? ──ならば、掴み取って見せるが良い。誰かに与えられたものではない。お前自身が抱く意志で」

 

 だが、それでもレミリアは蓮子の事を迎え入れた。

 まるで、こうなる事をある程度見越していたかのように。

 

「その上で、お前に知識を授けてやろう」

 

 彼女は告げた。

 

「運命を変える方法を、な」

 

 この理不尽な結末を回避する。その為に必要な手段を、蓮子に授けてやるのだと。

 

 毅然とした面持ちで、蓮子はレミリアと対峙する。内心、彼女は酷く緊張していた。

 一度は逃げ出した癖に、今更のこのこと現れた事に負い目を感じているのだろうか。それとも未だに、真実を知るのが怖いという気持ちが残っているのだろうか。──いや、どちらにしても関係ない。

 決めたのだ。もう、逃げないのだと。立ち向かうのだと。

 こんな運命、ぶっ壊してやるのだと。

 

「……改めて、色々と確認したいんですけど」

 

 緊張を抑え込みつつも、蓮子は尋ねる。

 

「メリーを、過去の幻想郷に送り込もうとしてるんですよね?」

「フッ……。流石にその程度の事は理解できているか」

 

 鼻を鳴らしつつも、レミリアは蓮子の言葉を肯定した。

 

「お前の考えている通りだ、人間。八雲紫の忘れ形見を、八十年前の幻想郷に送り込む──。それが運命を変える為に必要なピースだ」

 

 ピース。欠片。

 含みのある表現だ。言わんとしている事は、何となく判るのだが。

 

「つまり、単にメリーを過去に送るだけでは、足りないって事?」

「……まぁ、そうだな。過去に送ったその上で、あの人間には運命を変える為の()()を取って貰わなければならん。言っただろう? あの人間は、切り札を切る為の鍵。その片割れなのだと」

 

 切り札。鍵。そして、片割れ。

 先ほども聞いた表現だ。メリーは鍵で、だけど片割れに過ぎなくて。切り札を切る為に必要な要素──。鍵は、もう一つ存在する。

 それこそが、岡崎進一。一ヵ月前『死霊』によって生命を奪われてしまった、蓮子達の友達。そんな彼の場合、死を経る事で鍵へと成り得るのだという。

 

「……やっぱり、進一君も必要って事ですよね? だから貴方は進一君を見殺しにした」

「ああ、そうだ。この『異変』を解決する為に必要なプロセスだったからな。それで西行寺幽々子に一泡吹かせる事が出来るのなら、私は手段など選ばない」

「……そう」

 

 あくまでその意思は変えない、という事か。この『異変』を解決する為ならば、例えどんな犠牲を払う事になろうとも構わないのだと。彼女の心は決まっている。

 

「ククク……。やはり気に食わんか? 私の意向は」

「……そうね。だけど……」

 

 気に食わない。確かにそうだ。進一の死が必要だったなんて、例えどんなに取り繕われたとしても納得なんて出来る訳がない。

 でも。

 

「貴方達の事情は理解しているつもりです。他に選択肢なんて存在しなかったという事も……」

「ほう……?」

 

 幻想郷の惨状。蓮子はそれを、直接この目で見た訳ではないのだけれど。

 妖夢や魔理沙。そしてフラン。彼女らと少しやり取りを交わした程度でも、今の幻想郷に余裕なんて殆どない事を察する事くらいなら出来る。『死霊』による襲撃を受けて、沢山の人が犠牲になって。最早、後なんて残されていないという事も。

 

「気に食わない……。気に食わない、けれど……。でも、そうするしかなかったんでしょう……?」

「…………」

 

 一瞬、沈黙。

 ほんの少しだけ、バツの悪そうな表情を浮かべたようにも見えたレミリアだったが。

 

「成る程、そう来るか……。確かに、お前の認識は間違っていない。今更体裁を保つつもりもないさ」

 

 肩を窄めつつも、彼女は肯定した。

 

「選り好みをする余裕など、既に我々には存在しない。……あまりこんな事を言うのも癪だが、()()()()以外に西行寺幽々子に対抗する手段はない。限界、と言ってしまっても差し支えないだろう」

「限界……」

 

 魔理沙も言っていた。今の幻想郷は、夢想天生結界──博麗霊夢の手によって、『死霊』の侵攻を何とか抑えている状態。けれどそんな結界も、既に限界なのだと。いつ幽々子の呪力に押し負けてしまっても不思議ではない状況なのだと。

 事は一刻を争う。これ以上悠長に事を構えていようものなら、今度こそ取り返しのつかない事になってしまう。だから。

 

「ごめんなさい。それでもすぐには、納得は出来ない。……だけど、理解はしているつもりです」

「フッ……。理解、か……」

 

 失笑しつつも、レミリアは続ける。

 

「今は、それで良い。こちらも無理矢理飲み込め等と言うつもりはない。お前はお前の納得出来る答えを見つければ、それで良いさ」

「…………」

 

 そんなレミリアの言葉に対して、蓮子は。

 

「……ええ。元より、そのつもりです」

 

 気丈に、振る舞う。これ以上、躊躇いなんて生じさせない。

 真実と向き合う。その覚悟は最早、何が待ち受けていようとも揺るがない。

 

「話を戻そう。マエリベリー・ハーンと岡崎進一が鍵。そこまでは話したな?」

 

 レミリアの確認。蓮子は頷いて肯定する。

 納得するかは別として、そこまでは理解している。レミリアの計画遂行の為には、二人の存在は必要不可欠なのだと。

 

「ええ。切り札を切る為の、ですよね?」

「ククク……。その通りだ」

 

 そう。

 気になるのは、その要素。

 

「切り札って、一体何なんですか?」

 

 西行寺幽々子を止め、この『異変』を解決する事の出来るカード。メリーと進一。鍵であるその二人が揃った時に初めて切る事の出来る、文字通りの『切り札』。

 果たしてそれは、何を示しているのか。

 

「フッ……『切り札』、か。なに、それほど特殊な要素という訳ではないさ」

 

 だけどレミリアは、何でもない事であるように口にする。

 その『切り札』の名前を。

 

「魂魄妖夢だよ」

「えっ……?」

 

 それは、蓮子達も良く知る人物の名前。

 

「無論、この時代のではない。八十年前の過去──西行寺幽々子が、『死霊』として覚醒した頃の魂魄妖夢だ」

 

 秘封俱楽部の一員になってくれた、半人半霊の少女。

 

「彼女なら、西行寺幽々子を止められる」

「妖夢ちゃんが……?」

 

 名前を口にしつつも、妙に得心出来るような感覚が蓮子にはあった。

 魂魄妖夢。確かに幽々子を止めるのならば、彼女はまさに適任だ。最も幽々子の傍にいて、長い時間を共に過ごして。幽々子への想いの強さだって、誰にも負けていない。

 そんな彼女なら、幽々子の事を止められる。『異変』を解決する事が出来る。

 

 だけど。

 

「八十年前って、どういう事? この時代の妖夢ちゃんじゃ駄目なの?」

「ああ。彼女では無理だ」

 

 きっぱりと、レミリアは蓮子の疑問を否定する。

 

「そもそも、この時代では既に西行寺幽々子を止める事が出来ない。それは話したな?」

「それは、そうですね」

「そうでなくとも、この時代の魂魄妖夢は既に()()()()()()が失われてしまっている。この八十年間、彼女はあまりにも神経をすり減らし過ぎた」

 

 曰く。この時代の妖夢が有する()()()は、全盛期のそれとは悪い意味で比べものにならないらしい。

 西行寺幽々子を止める事が出来ず、知り合いも、友人も、数多くの人が犠牲になって。そんな中で生き残った妖夢は、精神を大きく摩耗させていた。

 

 底が知れぬ程に深く、そしてあまりにも強すぎる後悔と罪悪感。そんな感情に苛まれて、彼女は既に限界だった。──自分自身の事さえも、信じられなくなってしまっていた。

 彼女の感じた絶望は、あまりにも深い。元より感受性が豊かだった故に、尚更。

 だから。

 

「だから……。この時代の妖夢ちゃんは、もう……」

 

 託すしか、ないのだろう。

 八十年前。『死霊』によって幻想郷が蹂躙される前の、魂魄妖夢に。

 

「フッ……。感傷に浸るのは後にしろ。今は説明の続きをさせて貰うぞ」

「…………っ」

 

 レミリアはあくまで冷たい態度のまま進める。まるで、妖夢の気持ちなんて知ったこっちゃないと言わんばかりに。

 相も変わらずその態度には正直ムッとしたが、今はいちいち突っかかる暇などない。彼女は()()()()()()なのだと、無理矢理にでも飲み込むしかない。

 そう自分に言い聞かせて、蓮子は感情を落ち着かせた。

 

「八十年前の魂魄妖夢に『異変』を解決させる。その為にまずは、彼女に強くなって貰う必要があった。──まぁ、()()()()については、一先ず及第点だ。故に次の段階に進ませて貰った」

「強くなって貰う……?」

 

 ふと、何かが気になった。

 

「八十年前の妖夢ちゃん……。タイムスリップは、ちゆりさんと青娥さんによるもので……」

 

 そこまで考えれば、推測するのは容易だった。

 

「……貴方、青娥さんとグルだったって事ですか」

 

 蓮子の確認。それに対するレミリアの回答は、無言でニヤリと笑う事だけだ。だが、その無言こそが何より肯定の意を示しているような気がした。

 つまるところ、魂魄妖夢のタイムスリップに関しても、レミリアの計画の一端だったという事だ。八十年前の彼女に『異変』を解決させる──つまりは、“切り札”になって貰う。その為の下準備。

 

「魂魄妖夢は強くなった。だが、それだけではまだ足りない。彼女を西行寺幽々子にぶつける為には、鍵が二つ必要だ」

 

 それは、バッドエンドに直行する運命をねじ曲げる為に、必要な要素。

 

「八雲紫の残滓を持つマエリベリー・ハーン。彼女の『能力』を使って西行寺幽々子への道を切り開き」

 

 大異変の元凶たる彼女に手を伸ばし。

 

「西行寺幽々子の残滓を持つ岡崎進一。彼の持つ『特異性』で絶対的な“死”を無力化させ」

 

 “死”の蹂躙を食い止めて。

 

「そして、魂魄妖夢が西行寺幽々子の暴挙を止める」

 

 それこそが、レミリア・スカーレットの思い描いた最終手段。

 

「これでこの基準世界は、可能性世界によって上書きされる──」

 

 彼女が観測した、運命を変える方法だった。

 

「絶対的な“死”を、無力化……」

 

 宇佐見蓮子は反芻する。レミリアが口にした『切り札』。そして二つの『鍵』に関する情報を。

 メリーの事に関しては、納得するかどうかは別として、理解する事は出来た。彼女は八雲紫の一人娘。境界への干渉が可能な『能力』の一端を、継承しているのだと。時折そんな()()()を目の当たりにした事のある蓮子からしてみれば、確かにそうかもしれないといった思考に辿り着く事は出来る。

 

 だが、進一に関しては別だ。

 確かに彼もまた、他の人にはない特異な『能力』を有していた。だが、それでも。

 

「どうして、進一君が『鍵』になるには、死ななきゃならなかったの……?」

 

 レミリアは言っていた。進一は、死を経る事で初めて鍵と成り得るのだと。幻想郷の大異変を解決する為、寧ろ死んで貰わなければ困るのだと。

 なぜだ。メリーと違って、どうして彼は。

 

「どうして、か。ふむ、そうだな。お前が納得するかどうかは別として、その理由を素直に説明するのなら」

 

 そう前置きを置いた後に、レミリアは続けた。

 

「岡崎進一の『特異性』は、()()()()()では開花しないからだ」

「人間の、状態……?」

 

 何だ、それは。つまるところ、進一には人外になって貰う必要があると。そういう事を言いたいのだろうか。

 人外。それに至る為に必要な要素が、死。そう考えると、ある程度は絞り込む事が出来る。

 

「……亡霊、という事ですか?」

 

 死を経た人間が至る人外と言えば、真っ先に連想される。

 

「亡霊になる事で、進一君の『特異性』が開花するんですか……?」

「……フッ。話が早くて助かるぞ、人間」

「……っ」

 

 失笑しつつも、レミリアは肯定する。やはり蓮子の想像通りだったらしい。

 という事は、つまり──。

 

「進一君は、今どこかで亡霊に……」

「いや、その考えは厳密に言えば少しズレている」

「えっ……?」

 

 けれども蓮子の想像は、言葉にするよりも先にレミリアによって否定される事になる。

 

「岡崎進一の魂は、既にこの時代には()()()()()

「……っ!」

 

 一瞬。レミリアが何を言っているのか、理解出来なかった。

 この時代には存在しない。果たしてそれは、どういう意味だ。まさか、言葉通りの意味なのか。だとすると、まさか。

 

「この時代にはって、まさか……!」

 

 既に、八十年前に──。

 

「ふむ? それを説明するならば、私よりも()()()から直接聞いた方が早いか」

 

 言葉を失った蓮子の前で、レミリアは何やら思案すると。

 

「少し時間を貰おう。また後日。その時になったら、しっかり説明してやるさ」

「…………っ」

 

 よく判らない、が。恐らく蓮子の予感は当たっている。

 進一の死はレミリアにとっての計画内。彼の『特異性』が開花するのは、死んで亡霊となった後。

 今も尚、この瞬間も着々とレミリアの計画は続いている。進一は既に、()()()()に進んでいるという事か。

 

「……判りました。今は、納得しておきます」

 

 無理矢理にでも感情を抑え込み、そして蓮子は状況を飲み込む。

 

「貴方の計画も、何となく理解出来ました。どうにかしてメリーと進一君を八十年前の幻想郷に送り込み、妖夢ちゃんと一緒に『異変』を解決させる。そういう事、ですよね?」

「──ああ。その通りだ、人間」

 

 レミリアは肯定する。

 他でもない。メリー達の力が、この『異変』の解決に繋がるのだと。彼女はそう考えている。

 

「お前達人間の持つ可能性。それこそが、西行寺幽々子を打ち倒す武器となる」

 

 運命を変える方法。言葉にすれば、それは単純明快。

 

「否定しろ。こんな結末、クソくらえだと。願え。喪失した()()()()を、取り戻したいのだと。そして行動しろ。こんな運命、ねじ曲げてやるのだと」

 

 強固な意志を胸に秘め、理想の可能性へと手を伸ばす。

 

「それこそが、運命を変える方法だ」

 

 

 *

 

 

 蓮子から聞いた話は、心のどこかでメリー本人も察していた内容だった。

 進一もまた、メリーと同じ鍵。けれども彼の場合、()()()()に死ぬ事こそがレミリアにとって計画の一端であるのだと。そう聞かされていたのだけれど。

 

 彼の場合、死を迎える事で鍵としての特異性が開花される。

 そう言われると、レミリアの取った行動の合理性が見えてくる。死ぬ必要があるから、彼を見殺しにしたのだと。──それがメリー達にとって、納得出来る行動だったかどうかは別問題として。今は、無理にでも理解しなきゃいけないのだと。そう思う。

 

 そして、“切り札”。この大異変を解決出来る可能性を持つ者こそが。

 

「妖夢ちゃん……」

 

 無意識の内に、メリーはその名を口にする。同時に強くしっくりとくる感覚を、メリーは覚えていた。

 納得。と言うよりも、最初からそうなんじゃないかという予想がメリーの中にはあった。この約半年間、メリー達が体験した非常識の数々のうち、その殆どの中心に彼女はいたのだから。

 

 霍青娥による妖夢のタイムトラベル。青娥が元よりレミリアと協力関係にあったのならば、彼女の取った行動にも説明がつく。八十年前の幻想郷から妖夢を連れて来て、この時代の自分自身とぶつけさせて。“切り札”としての覚醒を促していた、という事なのだろう。

 そして紆余曲折があり、“切り札”の下準備は整った。故にレミリアは、計画を次の段階に進める事となる。

 

 理不尽で不条理なバッドエンドを変える。その為に、“切り札”である魂魄妖夢を西行寺幽々子にぶつける。

 その為に必要な二つの鍵。八雲紫の残滓であるマエリベリー・ハーンと、西行寺幽々子の残滓である岡崎進一を、八十年前の妖夢の元へと送り込んで──。

 

「今のが、レミリアさんから聞いた話の全容よ。進一君の事については、後でもっとちゃんと説明してくれるみたいだけど……」

「うん……」

 

 曖昧気味に、頷く。同時に、メリーは噛み締めていた。

 レミリアの計画。運命を変える方法。その為の鍵が、自分と進一。

 改めて考えると酷い話だ。自分の知らない所で勝手に話を進められ、自分の知らない所で一方的に鍵にされて。有無も言わさぬ勢いで、一方的に巻き込まれてしまっている。ふざけるのもいい加減にしろと、思わずそう口にしたくなるような状況である。

 

 ──でも。

 

「……メリーは、どう思う?」

 

 蓮子に、問われる。

 

「レミリアさんの話を聞いて、メリーは」

 

 だけど、メリーが返す返答をある程度()()()()()ような面持ちで。

 

「メリーは、どうしたい?」

「…………」

 

 どうしたい、か。

 全く。蓮子はずるい。今のメリーの気持ちなんて、蓮子にはお見通しのはずなのに。それでも彼女は、メリーの口から言わせようとしている。覚悟を、確かめようとしている。

 けれども、不思議と悪い気持ちはしなかった。だってメリーの想いは、とっくの昔に決まっていたのだから。メリーの覚悟は、とっくの昔に固まっていたのだから。

 今更、言葉にするのを躊躇ったりはしない。

 

「……私は、やりたい」

 

 そしてメリーは、口にする。

 

「私が鍵で、私の力で『異変』の解決に導けるのなら」

 

 想いを。

 

「私が、変える」

 

 覚悟を。

 

「この理不尽な運命を、変えてみせる……!」

 

 メリーは、吐露した。

 毅然とした面持ち。迷いも、躊躇いも。一切合切、その全てを捨て去って。たった一つのの理想を、メリーは見据えていた。

 幻想郷が大変な事になって、こちらの世界にまで影響が生じて。大切な人達が傷ついて、大切な友達の生命まで奪われて。そんな理不尽を受け入れろと? 冗談じゃない。

 

 この理不尽を、覆せるのなら。運命を変える方法を、持っているのなら。メリーはそれに、賭けてみたい。

 これ以上、運命に翻弄されるのなんて沢山だ。

 回避するのだ。この不条理なバッドエンドを──。

 

「……うん。やっぱり、思った通り」

 

 そんなメリーの想いを聞いて、蓮子が再び口を開く。

 

「流石はメリー。カッコイイわ」

「何が流石よ。私がどう答えるかなんて、最初から分かってた癖に」

「ふふっ、まぁね。だけどメリー、一つだけ間違ってるわよ」

「……え?」

 

 何の事だと、きょとんとした表情を浮かべるメリーに向けて。

 

()じゃなくて()()、でしょ?」

 

 さも当然の事であるかのように。

 

「私も一緒に行く」

 

 宇佐見蓮子は言い放った。

 

「メリー一人に背負わせるなんて、させてあげないんだから」

「蓮子……」

 

 ──ああ。そうだ、そうだった。

 確かにそれじゃあ、大間違い。何を一人で盛り上がっていたのだろう、自分は。

 メリーには、蓮子がいる。唯一無二の親友である、彼女が傍にいてくれる。

 

 秘封倶楽部は、今やたった二人になってしまったけれど。

 蓮子と一緒なら、メリーは立ち上がれる。前に進める。戦える。

 

 そして。

 そして、いつか。

 

「……うん。ありがとう、蓮子」

 

 いつか、あの頃のような当たり前を。

 

「一緒に行きましょう。()()()()()

 

 何て事の無い日常を。

 

「未来を、切り開くのよ」

 

 取り戻して、見せるのだと。

 この瞬間、メリーと蓮子の想いは固まった。欠けていた二つのピースが繋がった。運命を変える。理想の未来を手に入れるのだと、そんな想いを胸に抱いて。

 

 世界を救うだとか。幻想郷を救うだとか。そんな大層な願いなんかじゃない。ただ、自分には蓮子がいるから。大切な親友が、傍にいるから。

 だから、何となく分かる。

 八雲紫。彼女が成し遂げたかった、本当の事。たった一人で西行寺幽々子に立ち向かった、彼女の想い。

 

 親友だから。かけがえの無い、大切な存在だから。

 だからこそ。

 

(だからこそ、貴方は……)

 

 メリーの中に遺された、八雲紫の残滓。それは、何も答えてくれないのだけれども。それでもメリーは、感じていた。

 たった一つの、純粋な想い。

 儚き願いを──。




約1年ぶりの更新でした。

……いや、本当、すいません。
忙殺されると趣味に時間を当てる気にもならなくなるんだなと…。
落ち着いてきたので、ぼちぼち活動再開します。

全く返信できていませんが、感想やコメントも見れています。
ありがとうございます。

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