桜花妖々録   作:秋風とも

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第126話「パラダイス・ロスト#11」

 

 私のメリーは、特別なんかじゃないはずだ。

 蓮子にそんな言葉を突きつけられ、自分の中の()()が瓦解して。そしてメリーは、自らの感情を抑えきれなくなった。

 レミリアが口にした真実それを聞いたあの瞬間から燻り続けていた、この恐怖心。それが爆発してしまったのだ。

 

 八雲紫。大妖怪である彼女の血を引く自分。レミリアはそれでもメリーの事を人間だと称していたが、だとしても。そう簡単に受け入れて、割り切るなんて出来る訳がない。

 本来の自分は、人間ではない。()()()こそが自分の本質なのではないかと、そんな考えが頭の中にこびりついて離れなかった。

 

 故にこそ、その恐怖心が怒号として吐き出された。

 蓮子は、メリーの事を恐れているのではないかと。化け物であるメリーを、怖がっているのではないかと。だから──。

 

 ──だけれども。自分を化け物だと認めるメリーの言葉は、魔理沙の介入によって未遂に終わる事となる。

 

「私達も、色々と悪かったな。だけど、仲違いなんて絶対に駄目だ」

 

 メリーの言葉を遮るようにして、割り込んできた彼女はそう言った。

 

「お前ら友達同士なんだろ? だったらちゃんと向き合って話し合わないと、いつか後悔する事になるぞ」

 

 それはどこか、悲しげな声調だったように思う。──いつか後悔する事になる。まるで、自ら経験した事があるかのような。そんな印象。

 故に、踏みとどまれた。これ以上足を踏み出せば、本当に魔理沙の言う通りになってしまうのではないかと。そんな説得力があったから。

 

「…………」

 

 メリーは押し黙る。一度吐き出しかけた言葉を飲み込んだ後、何も言えなくなってしまった。

 言葉を完全に見失う。途端に理性が追いついてきて、頭の中が冷静になってきた。そこでようやく、実感が全身を巡ってゆく。自分はもう少しで、取り返しのつかない事をしようとしていたのではないか、と。

 

「メ、リー……」

 

 か細い声で、メリーの名前を呟く蓮子。彼女もまた、幾分か冷静さを取り戻したような様子だった。

 ほんの少しの静寂が、三人の間に訪れる。

 

「ふぅ……。ちょっとは落ち着いたか?」

 

 そんな中で真っ先にそう声をかけてきたのは魔理沙だった。俯くメリー達へと向けて、肩を窄めつつも軽い調子で聞いてくる。

 

「……はい。少し、冷静になりました」

「そうか。お前はどうだ、蓮子?」

「……ええ。私、も……」

「おう。そりゃ何よりだ。良かった良かった」

 

 破顔しつつも魔理沙はそんな事を言っている。つい先程まで見せていた物悲しさとは正反対な印象だが、きっとメリー達に気を遣っての行動なのだろう。

 流石にそろそろ判ってきた。霧雨魔理沙という女性は、()()()()()()なのだと。自らを顧みず、他人の世話ばかりを焼いてしまうような、そんな──。

 

「お前も出てこいよ妖夢。何そんな所で隠れてんだ?」

 

 ──と。不意に彼女は、背後の通路に視線を向けつつもそんな風に声をかける。

 

「私のすぐ後を追いかけてきてただろ? 隠れたって無駄だぞ」

「…………」

 

 魔理沙がそう言うと、通路の隅から()()は現れた。

 魂魄妖夢。どこかバツの悪そうな様子で現れた彼女は、どう言葉を発して良いのか迷っている様子で。

 

「おいおい、どうした? 何か遠慮してんのか」

「……遠慮、と言うか。ただ、追いつくタイミングを見失ったと言うか」

「ははっ! 何だよそれ?」

 

 魔理沙は可笑しそうに笑う。妖夢は居心地が悪そうな様子だった。

 メリー達があの部屋を飛び出してから、魔理沙も妖夢も心配して追いかけてきてくれたのだと。そう察するのは容易い。蓮子に部屋を連れ出されてから、こうなる事は予想出来ていた。

 

 蓮子の勝手な行動が引き金となった──と捉える事も出来るが、蓮子だけに非がある訳ではない。余裕がなかったのはメリーも同じだ。

 あの時は、蓮子が真っ先に行動を起こしただけに過ぎない。メリーが同じ行動を取る可能性だって十分に有り得たのだから。

 

(私……)

 

 未だに胸の奥が締め付けられているような感覚がある。魔理沙達の介入によって多少は落ち着きを取り戻す事が出来たものの、だからと言って突きつけられたこの事実を受け入れられた訳ではない。

 数多くの情報をいっぺんに押し込まれて、半ばキャパシティがオーバーしている。自分の事も、そして進一の事も。事実として受け入れるには、あまりにも──。

 

「あの。メリーさん、蓮子さん」

 

 おずおずと言った様子で、妖夢が声をかけてくる。

 

「レミリアさんが話してくれた事……。それを受け入れられないという気持ちは、分かります。私もそうでしたから」

「妖夢ちゃん……」

「でも……。あの人の考える計画はともかく、メリーさんと進一さんが持っている『能力』については、何も間違ってなくて……」

「……っ」

 

 息を飲む気配。妖夢の言葉に対して過剰に反応したのは、蓮子だった。

 両腕で自らの身体を抱き締めている。俯き、そして震える彼女は、受け入れ難い感情から必死になって堪えているような印象で。

 

「蓮子……?」

「ごめ、ん……。わた、し……」

 

 顔が真っ青だった。文字通り、血の気が引いたような様子。軽い吐き気さえも催しているのか、片手で口元を覆って。

 

「聞きたく、ない……。今は、そんな話……」

「蓮子さん……」

「だから、ごめん……。ちょっと、頭を冷やして……」

 

 フラフラとした足取りで歩き出す。向かうのは廊下の先。メリー達から距離を取るように、彼女はこの場を離れようとしているらしく。

 

「お、おい蓮子っ。待てよ、一体どこに……」

「来ないでください……!」

 

 引き留めようとした魔理沙に対し、蓮子は振り払うように声を上げた。

 

「今は、一人になりたいんです……!」

「っ。お前……」

 

 伸ばしかけた魔理沙の手が空を掴む。強い拒絶感を示されて、流石の彼女もこれ以上の踏み込みは躊躇うレベルらしい。言葉を見失った様子の魔理沙を一瞥して、蓮子は再び歩き出してしまった。

 そしてメリーもまた、どう行動をするべきかを決めあぐねてしまっている。このまま彼女を追いかけて引き留めようとしたとしても、結局は逆効果で終わってしまう事が目に見えている。何故なら彼女の乱心の原因は、メリーにあるだから。故に本人である自分が追いかけた所で、最終的にはまた逃げられて終わりだ。

 

 どうすれば良い?

 

 そう迷っていると、魔理沙が深々と溜息をついて。

 

「はぁ……。ったく、しょうがない」

 

 やれやれと言った様子で頭を掻きつつも、蓮子へと続くような形で魔理沙も足を踏み出した。

 

「魔理沙? 蓮子さんの事を追いかけるつもり……?」

「ああ。放っておく訳にもいかないだろ? あいつ、土地勘も何もないだろうし」

「でも……」

 

 逆効果なのではと心配する妖夢へと向けて、魔理沙は続けた。

 

「心配すんな。暫くはそっとしておいてやるさ。気づかれないように隠れて見守っておく事にする」

「見守るって……。それなら──」

「あー、蓮子の事は私に任せろ。それよりお前はマエリベリーを頼む」

 

 それなら、と妖夢が何かを口にしようとしていたようだが、遮るような形で魔理沙は言葉を並べる。

 厄介事は全部こちらで引き受けるのだと。そんな信念は譲れないとでも言いたげな面持ちで。

 

「そいつに教えてやってくれよ。……紫の事を」

「……っ!」

 

 紫。

 その名前を聞いた途端、メリーは心臓がきゅっと締め付けられるような感覚に襲われた。

 

「あいつの事に関しちゃ、私よりもお前の方が詳しいだろ?」

「それは……」

「つー訳だ。後は頼んだぞ、妖夢」

 

 矢継ぎ早にそう告げると、魔理沙は今度こそ歩き出した。

 ひらひらと手を振りつつも、彼女は歩き去ってゆく。蓮子が消えた廊下の先へ、彼女に尾行が気づかれぬように。社交的な普段の様子とは対照的に、その背中からはどこか物寂し気で孤独な雰囲気が漂っているかのような。──なぜか、そんな印象を感じてしまった。

 

 妖夢と共に、メリーはその場に取り残される。静寂が、ゆっくりと周囲に漂い始めるが。

 

「魔理沙……」

 

 そんな静寂は、妖夢の呟きによってピリオドが打たれる事となる。

 

「……うん。判った、私に任せて」

 

 そうして彼女はメリーへと向き直る。

 どこか、吹っ切れたような。心を決めたような表情。未だに不安が多く残るメリーの心には、そんな彼女の真っ直ぐな視線は力強く届く。

 

「メリーさん。まずは、謝らせて下さい。元々私は、貴方をこの計画に巻き込む事に反対でした。だけど、結局こんな事になってしまって……。メリーさんも、蓮子さんも傷つける事になってしまって……。本当に、ごめんなさい」

「そ、そんな……」

 

 そんなの、妖夢が謝る事ではないじゃないかと、メリーは思う。けれどそれを伝えた所で、きっと妖夢は引き下がらないだろう。彼女は責任感が強く、そして存外頑固な一面を持っているから。

 

「……だけど、メリーさん。こうして真実の一片をお見せした上で、改めて問います」

 

 そんな妖夢に、メリーは問われる。

 

「貴方は、紫様の事を……」

 

 それは、今日に至るまで秘匿され続けてきた、メリーの中に眠る“真実”。

 

「ご自身の母親の事を、知りたいですか?」

 

 それは、メリーの意思を最大限尊重しようと。そう思っての問い掛けだったのだろう。

 幻想郷の状況だとか、レミリアの計画だとか。──自分自身の事だとか、進一の事だとか。数多くの真実を突き付けられたこの状況での、問い。

 母親。八雲紫。彼女の事を、知りたいのか。否か。このまま踏み込みたいのか、否か。そんな二つに一つの選択肢を、妖夢は提示してくれている。──ここで投げ出せる機会を、与えてくれている。

 

 もしもここで首を横に振れば、メリーはこれまで通りの日常に戻れるのだろうか。普通に大学に通って、普通に講義を受けて、そして普通に秘封倶楽部として活動して。そんな日常に戻る事が出来るのだろうか。

 いや。結局そんなのは、一時に逃避に過ぎない。仮にここで逃げ出したとしても、結局はこれまで通りの日常になんて戻れる訳がない。待っているのは、きっと虚妄が精一杯。

 

 それに。

 そもそもメリーが、納得出来ない。

 

 確かに頭が混乱している。自分という存在が、判らなくなってきている。

 だけど。それを理由に、逃げ出す事なんて出来る訳がない。判らないから。怖いから。だから逃げ出すなんて、そんな因果はメリーの中には既に存在していない。

 数ヵ月前。奇妙な夢で悩んでいたあの時だって、自分と向き合う恐怖に耐えきれなかったから、結果としてあんな事になってしまった。だからもう、同じ過ちは繰り返さない。

 

 向き合うのだ。

 例え、自分という存在の本質が、どんなものであったとしても。

 

「……私は、知りたい。私自身の事も……。そして、お母さんの事も」

 

 故にメリーは、そう告げる。

 

「お願い妖夢ちゃん、私に教えて。貴方が知っている、全てを」

 

 恐怖心から、目を逸らさずに。

 

「私は、逃げ出さないわ」

 

 一瞬、静寂。メリーの視線と、妖夢の視線。真っ直ぐな二人の視線がぶつかり、互いの意思が混ざり合う。

 妖夢が浮かべるのは、息を呑んだような表情。メリーの意思に感化されて、ほんの少し驚いたように。けれどもそんな表情も、直ぐに安堵のものへと変わる。

 

 納得した、とでも表現すべきだろうか。或いは満足したとでも言うべきか。

 彼女はまるで、メリーならそんな答えを提示するであろうと、初めから判っていたかのように。

 

「……覚悟は、お決まりのようですね」

 

 そして彼女は目を伏せる。メリーの示した覚悟を、受け止めてくれている。

 それが判るから、安心出来る。妖夢が相手なら、隠された真実を突きつけられたとしても、ある程度自分を保つ事が出来るのだと。そう思うから。

 

「判りました。では、お話します」

 

 そして妖夢は語り始める。

 メリーの母親だったらしい大妖怪。──八雲紫の事を。

 

 

 *

 

 

 宇佐見蓮子の心境は、控え目に言って最悪だった。

 胸の奥がざわつき続けている。心臓が締め付けられるような感覚が続いて、息が出来ないくらいに苦しい。胸中から溢れ出てくるのは、どうしようもないくらいの嫌悪感。

 レミリアに対する嫌悪感──ではない。この感覚は、自虐に近い。自分の抱く()()()()が、底の知れない程に嫌になる。

 

 最低だ。自分は何も、成長出来ていない。魔理沙の介入により幾分か冷静な思考が出来るようになった今だからこそ、蓮子は自分自身を分析する事が出来る。

 また、逃げ出したのだ。

 突きつけられた事実を、受け入れる事が出来ずに。

 

「…………っ」

 

 蓮子は立ち止まる。当てもなく紅魔館の廊下を突き進み続けた所為で、自分がどこにいるのかも半ば判らなくなってしまっている。

 だけれども、今はそんな事なんてどうでも良い事だった。自分自身に感じるこの嫌悪感と比較すれば、そんなのは些末な事だ。

 

 嫌になる。

 果たして自分は、いつまでこんな調子なのだろうと。

 

「こんなの、もう……」

 

 弱音が胸中から溢れ出てくる。少し前までの自分だったら強気になって平気なフリをし続けたのだろうけれど、そんなのもう限界だ。

 

「嫌……。嫌だよ……」

 

 平気な訳がないだろう。メリーの事も、そして進一の事も。ちょっと時間と場所が判るだけで、それ以外に()()()()()()()()()自分などでは、二人に対して何もしてあげる事が出来なかったのだから。

 

『この場に来てからというものの、お前からは諦観めいた雰囲気が漂っていたのだがな。てっきり、自らの意志の殆どを手放したのだと思っていたのだが』

 

 レミリアに言われたその言葉は、決して間違っていた訳ではない。実際蓮子は、心のどこかでは諦観してしまっていたのだから。

 最早、自分の力では何も出来ないのだと。

 

『だが、分かりやすく憎悪の対象が現れた途端に、その態度。お前──』

 

 ああ、そうだ。

 確かに、その通りだ。

 

『──一体、何がしたいんだ?』

 

 矛盾だらけなのだ、自分は。

 一体、何がしたいのか。そんなの、蓮子本人にも分からなくなっていた。

 どうすれば良い? どうすれば良かった?

 

 中途半端に世界の真実を知ってしまって、それでも尚、何も出来ない自分は。

 ただ、その運命とやらに、流される事しか──。

 

「──苦しそう。思い悩んでいるの?」

「……えっ──?」

 

 立ち止まって俯いていると、不意に声をかけられた。

 弾かれるように顔を上げる。見知らぬ声が流れ込んできた方向へと視線を向けると、そこにいたのはやはり見知らぬ一人の少女だった。

 

 小柄な少女だった。真っ赤で豪勢な衣服を身に纏っており、透き通るように綺麗な金色の髪をサイドテールとして纏めている。窶れた蓮子の姿を見据えるのは、これまた綺麗な紅の瞳。幼さを多く残す容貌だが、同時にどこか人智を超えたような印象も抱かされるような、そんな出で立ちの少女だった。

 当然ながら会った事はない。こんな所に現れるという事は、見てくれは可憐でも人間ではないのだろうけれど。それが判っていても、その整った容姿を見ていると、まるで精巧な人形を相手にしているような心地にもなってしまう程で。

 

「えっと……。誰?」

 

 ほんの少しだけ声が上擦る。らしくないが、自分は緊張しているのだろうか。

 そんな蓮子に対し、目の前の少女はあっさり自らの素性を明かした。

 

「私の名前は、フラン。フランドール・スカーレット」

「スカーレット……? と、いう事は……」

「うん。私は妹。お姉様はレミリア・スカーレットだよ」

「…………っ」

 

 妹。あのレミリア・スカーレットと血の通った家族という事なのだろうか。

 蓮子の中で警戒心がちょっぴり募る。確かに目の前の彼女のは、面影がある。あの無茶苦茶な話を一方的に突きつけてきた、レミリア・スカーレットという少女と──。

 

「……急に怖い表情になった。ひょっとして警戒している?」

「それは──」

 

 それは、その通りだ。

 そう蓮子が告げるよりも先に、少女は口を挟んできた。

 

「大丈夫だよ。私はお姉様とは違う」

「えっ……?」

「あいつは色々とおかしな事を言っていたと思うけど、それはあいつが文字通り()()()()だけだから。話が通じなかったでしょ?」

「…………」

 

 それは、確かに。──等と一瞬思ってしまったが、それを言葉として口にするのは憚られた。

 妹を名乗る人物を前に姉を悪く言うなんて、等という遠慮も多少は存在していたが、それと同時に彼女に対する警戒心は未だ根強く残っている。下手に懐柔されるのは危険なのだと、そんな警鐘が煩いくらいに鳴り響き続けている。

 一体自分は、いつからこんなにも疑り深い奴になってしまったのだと。思わずそんな事を思ってしまう程に。

 

「……御託は結構よ。それで? 一体何の用なの? そのお姉様とは違うらしい貴方が、私に?」

 

 精一杯の虚勢を取り繕って、蓮子はそう尋ね返してみる。ついさっきまで散々弱り切っていた事を考えると間抜けも良い所だが、それでも蓮子は意地を貫き通す。弱さなど見せてやるものかと、そんなちっぽけな意地を。

 しかし。フランドール・スカーレットと名乗った彼女は、そんな蓮子の虚勢を前にして佇まいを改める。そして──。

 

「──私は」

 

 彼女の口から飛び出したのは、蓮子にとってあまりにも意外過ぎる言葉だった。

 

「私は、貴方に謝りにきたの」

「……っ。は……?」

 

 一瞬、蓮子の頭の中が真っ白になる。目の前の少女が口にした言葉の意味を、瞬時に噛み砕く事が出来ない。

 謝る? 誰に? 貴方に? 貴方とは誰だ? 蓮子の事か?

 混乱している。いきなり目の前に現れてレミリアの妹だと言われた事もそうだが、あろうことか謝りたい等と。イメージと合わないとでも言うべきか、何というべきか。

 

「謝る、って……?」

「お姉様の事だよ。一方的に貴方達の事を呼び出して、好き勝手な事ばっかり言ってたでしょ? だから、それに対する謝罪」

「……お姉さんの代わりに、って事?」

「うん。そういう事」

 

 蓮子の言葉を、目の前の少女は素直に肯定する。嘘を言っているようには見えなかった。

 この雰囲気。まさか、本当に? 何の表裏もなく、ただ純粋に姉の不手際を謝罪しに来たのだと。本気でそう思っているのだろうか。

 

「──この度は、現スカーレット家当主、レミリア・スカーレットの数多くの無礼な物言いに対し、ここに謝罪します。姉がご迷惑をおかけしました」

「へ……? い、いや、そんな……。畏まらなくても……」

 

 丁寧に頭を下げる少女を前にして、蓮子は強く狼狽した。見るからに身分の高そうな人物にこのような行動を取らせてしまうと、流石の蓮子も申し訳なさが先立ってしまうのだ。

 だが、慌てる蓮子に対して、顔を上げた少女は自分が取った行動こそがさも当然の事であるような表情を浮かべており。

 

「ううん、これで良いんだよ。じゃないと私の気が済まなかったから」

「貴方の気が、って……」

「私、お姉様の事を認めてないから。だからこれは、そんなお姉様に対する反抗のひとつ」

 

 すると彼女は、ほんの少しだけすっきりしたような表情を浮かべて。

 

「まぁ、まだまだこの程度で終わらせるつもりはないけど」

 

 無邪気な印象。先ほどまで対峙していたレミリアと比較すると、格段に話しやすい雰囲気だ。人となりが良いと言うか、何と言うか。

 この少女が相手なら、それほど強い警戒心を抱く必要はないのではないか。そんな直感が蓮子の中を駆け抜ける。

 

 少しだけ、蓮子の胸中が冷静になる。心に余裕ができ始めたとでも言うべきか。胸の奥のざわつきは未だに消えていないが、それでも幾分かマシになってきた。

 それ故に。意を決して、今度は蓮子の方から彼女に声をかけてみた。

 

「えっと……。フランドール、さん?」

「フランドールさんなんて、そんなに畏まらなくても良いよ。私の事はフランと呼んで。敬語も遠慮も必要ないから」

「……それじゃあ、フランちゃん。ちょっと聞きたいんだけど」

 

 彼女──フランの方から遠慮は必要ないと言ってきたのだ。ならば単刀直入に聞かせて貰う事にしよう。

 

「貴方はさっき、お姉さんの事を認めてないって言ってたわよね? なら、あの人……。レミリアさんは、実際のところ何をしようとしているの? 大異変を解決する、みたいな事は言っていたけど……」

 

 知りたかった。レミリア・スカーレットというあの少女が抱く、真意を。あんなにも尊大な態度で、かつ意味深な言葉を並べてきたのだ。単純に『異変』を解決する以上の意図があるように思える。

 しかし、明確な答えを期待して疑問を呈した蓮子だったが、当のフランは肩を窄めて首を横に振った。

 

「さぁ?」

「さぁ、って……」

「判らないんだよ、私も。実際のところ、あいつが何を考えているかなんて」

 

 ほんの少しムッとしたような表情を浮かべつつも、フランはそう語る。確かにレミリアは自分にとって姉にあたるが、だからと言ってその真意を全て理解出来る訳ではないのだと。そう言いたげな様子だった。

 

「あいつと話して、貴方も感じたでしょ? やたらと偉そうな喋り方で、常にこっちを見下して。まるで自分が王様みたいな態度を取っちゃってさ」

「……まぁ、それは間違ってないかも知れないけど」

「でしょ? ほら、あいつはあれなんだよ。えっと……中二病、ってヤツ? もう、本当に恥ずかしい……」

 

 心の底から辟易とした様子のフラン。姉の暴挙にはほとほと迷惑している様子である。

 と言うか、中二病などという言葉なんて、幻想郷でも存在していたのか。一体どこから流れ込んできたのだろう。

 

(……それにしても、お姉さんの事をやたらと悪く言う子ね)

 

 仲が悪いのか──と一瞬思ったが、それも少し違う気がする。確かに彼女は姉に対して、ある種の鬱陶しさと言うか、反抗心のようなものを覚えているようだけれど。

 

「……フランちゃんって」

 

 この感覚を強いて言葉にするのなら、これだ。

 

「お姉さんの事が、心配なの?」

「……へっ?」

 

 一瞬。フランは素っ頓狂な声を上げて。

 

「べ、別に、そんなのじゃないよ。お姉様があんな調子だと、妹である私の方が恥ずかしいから。ただ、それだけ」

 

 捲し立てるような口調。判りやすい反応だなと、蓮子は思った。

 フランは姉であるレミリアの事を中二病などと称していたが、彼女の場合、所謂反抗期というヤツだろうか。

 レミリアの事を心のどこかで気にかけているものの、素直にその感情を認める事が出来ない。姉の力に頼らず、自立して自らの力だけで前に進みたいのだと。きっとそんな心境が燻っている。

 

 何となく、判った。

 レミリア・スカーレットというあの少女は、少なくとも身内から無条件に嫌悪されている訳ではない。彼女の事を信じる者は、存在している。

 だが、それでも蓮子にとってはレミリアへの印象を覆すだけの要素とはなり得ない。今の状態では、彼女への不信感の方が勝ってしまっている。

 

「……フランちゃんも、レミリアさんの計画を認めてないのよね? あんな、目的達成の為ならそれ以外の事なんてどうでも良いみたいな……」

 

 思わず、蓮子は尋ねる。

 それはレミリアに対する怒りというよりも、不安感が起因して発した発言のように思える。自分の感じたこの感覚は、間違っていないのだと。自分こそが正しいのだと、そんな確証が欲しかったのかも知れない。

 

「『運命を操る程度の能力』なんて、そんなのにわかには信じられない……。実際はただの妄言なのかも知れない。そんな不確かな根拠しか存在しないのに、どうしてあんな言葉を信じろって言うの」

「…………」

「仮にあの話が真実だったとして、進一君の……」

 

 ぎゅっと、蓮子は両手の拳を握り締めて。

 

「進一君の死が、決まっていた事なんて──」

 

 ──だけど。

 

「ねぇ、お姉さん」

 

 蓮子の言葉は、不意に割り込んできたフランによって遮られる事となる。

 

「名前」

「えっ……?」

「お姉さんの名前、何だっけ? 私の方は名乗ったけど、まだ聞いてなかったよね?」

「え……、あ、そう、かも……」

 

 確かにそうだったかも知れない。

 雰囲気に流されるように、蓮子は改めて名乗った。

 

「……蓮子。宇佐見、蓮子」

「そう。じゃあ、蓮子さん」

 

 そうして名乗った蓮子に対して、フランは問う。

 

「蓮子さんは、紅魔館に来てみてどう感じた?」

「どう、って……?」

「今の紅魔館の中には、貴方達以外の人間はいない。貴方達をここまで連れてきた魔理沙は魔法使いで、妖夢は半分幽霊の半人半霊。雑用をしているメイドはみんな妖精で……。まだ会った事はないと思うけど、門番だって妖怪で、魔法使いももう一人いる。果てには悪魔やその他諸々」

「妖怪や、妖精……」

「そして私とお姉様は吸血鬼。人間である貴方達からしてみれば、規格外の人外ばかりだよね」

 

 吸血鬼。そうか、フランとレミリアは吸血鬼だったのか。そんな事すらも把握出来ていなかった。

 しかし、今更そんな事を聞いて何になるというのだろうか。どう感じたか、なんて聞かれても──。

 

「……人間が一人もいない事に違和感を覚えなかったのか、とでも聞きたいの? 別に取り分け不思議に感じた事はないわ。だって、()()()()()()なのだとばかり思い込んでいたから」

「……そっか。そうだよね」

 

 幻想郷という世界については、子供の妖夢からもある程度の情報は貰っている。そこは人間だけではなく、妖精や妖怪、そして神などといった人外が生活する、ある種の楽園であるのだと。

 とはいえ、そこまで多種多様な種族が暮らしているのなら、ある程度の偏りが生じても不思議ではないと思う。人間は基本的に人間の里で生活しているのだと聞いた事もあるし、里ではないこの紅魔館には人外しか生活していない点は、特に違和感を覚えるような要素ではないと思うのだが。

 

「この紅魔館にもね、かつてはいたんだよ。人間の住民──お姉様に仕える、一人のメイドが」

「え……?」

 

 しかし。

 しかしフランは、その点に違和感を覚えているのだという。紅魔館の住民の中に人間が存在しないという、今のこの状況が。

 

「そうだよ……。()()()()んだ。今の紅魔館には、決定的なピースが一つ……」

「フランちゃん……?」

 

 フランは語る。

 ()()()なのだと。今の紅魔館に生じている“欠落”は、あまりにも致命的な傷跡であるのだと。

 

「判ってる。判ってるよ、人間だもん……。私達吸血鬼と違って、寿命の差とか、そういう問題があるのは判ってる。だけど……。だけど、少なくとも……」

 

 それ故に、フランは。

 

()()()()()、許されて良いはずがない……」

 

 苦しげな表情。苦しげな口調。それだけで、過去にこの紅魔館で何が起きたのか、想像するのは容易かった。

 かつてレミリアに仕えていたらしい人間のメイド。種族差という絶対的な壁が存在する以上、フラン達よりも先に()()()が訪れるのは殆ど必然なのだろうけれど。

 恐らく、まともな最期ではなかったのだろう。

 それこそ進一と同じように、『死霊』の手によって──。

 

「お姉様の計画を認めていないか、だったよね。勿論、あいつのやり方は気に食わないよ。でも……」

 

 それでも、と。フランは想いを吐露する。

 

「未来を、変えられるのなら……。あの結末を変えられる可能性が、少しでも存在するのなら……。私はそれに、賭けてみたい」

 

 その想いは、どこまでも純粋で。どこまでもひたむきで。

 

「だから私は、私のやり方で協力しようと思う。この、計画に──」

 

 根底的には、()()だ。

 納得出来ない。認める事なんて出来る訳がない。こんな結末、絶対に間違っている。そんな想いは、蓮子の中にも確かに存在していた。──だから、怒ったのではないか。進一の死が必然だったのだと、レミリアにそう告げられて。

 

 だけど。そんな想いを抱えているのは、何も蓮子だけではない。フランだって同じようなものじゃないか。恐らく、家族同然の存在だと思っていたのであろう人間のメイド。そんな彼女の結末が、心の底から納得出来ないのだと。そう思っている。

 

 一体、何の違いがある? 似通った想いを抱く蓮子と、何の違いが──。

 ──いや。

 

「……フランちゃんは、本気で未来を変えようと思ってるのよね」

 

 あった。

 決定的な、違いが。

 

「納得出来ない結末を覆そうと、そう思っているのね」

「……うん。そうだよ」

 

 フランドール・スカーレットと宇佐見蓮子の違いは。

 

「納得出来ないから。認める事なんて出来る訳がないから。だから──」

 

 未来への可能性を提示された、その上で。

 

「こんな運命、私が()()してやる」

 

 立ち向かったか、逃げ出したか。

 

「そして、取り戻すんだ。──私達の可能性を」

 

 ただ、それだけの違いだった。

 

「…………」

 

 蓮子は言葉を見失う。次の言葉を発する事は出来ないのに、頭の中は様々な感情でいっぱいだった。

 目の前にいるフランドール・スカーレットという少女。見た目は小さな女の子なのに、抱く覚悟はなんて強固なものなのだろう。どこまでも強く、どこまでも揺るがない。大切な人との理不尽な別れを経験しても尚、こうして立ち上がり、前を向いている。

 

「フランちゃん……」

 

 それに比べて、自分はどうだ?

 進一が死んでから一ヶ月。──いや、厳密に言えばそれよりも前。北白河ちゆりの裏切りを目の当たりにしたあの瞬間から、ずっと迷い続けている。

 迷って、逃げて。そしてまた迷って、また逃げて。

 自分はいつまで、こんな事を続けている?

 

「……蓮子さんは」

 

 ふと、蓮子はフランに問われる。

 

「蓮子さんはどうして、紅魔館(ここ)まで来ようと思ったの?」

「どうしてって……」

「別に、魔理沙達に強要された訳じゃないんだよね?」

「それは……」

 

 確かに、そうだ。そもそも強要される所か、蓮子の方から勝手についてきた形である。

 どうしてそんな行動を取ったのか。それは単純に、メリーの事が気になったから。この時代の妖夢と、そしてあの時点では見知らぬ女性だった魔理沙に連れていかれたメリーを見て。ただ、彼女の事が心配だったから。

 

 だけど結局、そんな思いも蓮子の中では中途半端だったのだ。突き付けられた真実を飲み込む事が出来ずに、こうして逃げ出してしまったのだから。

 ──だけど。

 

「わたし……。私は……。メリーの、為に……」

 

 そうだ。メリーの為。メリーともう一度向き合いたい。彼女と共に歩きたいのだと。そんな想いを抱いていたのではないのか。

 それなのに、あんな。

 あんな事を、言ってしまうなんて。

 

「メリー……」

 

 怖かった。メリーがどこか、遠い存在になってしまうような気がして。だから逃げ出した。メリーは特別ではないのだと、そう自分に言い聞かせて。

 ──いや。そんなの結局、言い訳に過ぎない。

 宇佐見蓮子は自分の弱さに向き合えなかった。ただ、それだけの事なのだから。

 

「メリーは、秘封倶楽部のメンバーで……。私の大切な友達、なのにね……」

 

 メリーだけじゃない。

 進一も、妖夢も。今や秘封倶楽部の一員だ。二人との別れはあまりにも突然で、特に進一とは納得のいく別れではなかったけれど。それでも蓮子にとっては、二人は今でも秘封倶楽部の一員なのだ。

 

「進一君……。妖夢ちゃん……」

 

 ()()()()()()()。今の秘封倶楽部は、フランにとっての紅魔館と同じである。

 ならばどうする? フランは逃げずに、立ち向かう事を選択した。理不尽な運命を破壊して、理想の可能性を掴み取る事を決意した。

 

 ならば、自分は? 宇佐見蓮子は?

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だったなら。一体、どちらを選択したのだろうか?

 

「…………」

 

 そんなの。

 

「……ふっ」

 

 そんなの、深く考えるまでもないじゃないか。

 

「ふふっ、ふふふふっ……」

 

 決まり切っていた事だった。迷いなんて生じる余地もなかった。

 その感覚を思い出した途端、何だか酷く滑稽に思えてしまった。いつまでも、いつまでも。うだうだ、うだうだと。そんな風に散々迷い続けてきた、これまでの自分に。迷って、躊躇って、足を止めて。そんなの自分なんて──。

 

「蓮子さん……?」

 

 不思議そうに首を傾げるフラン。まぁ、目の前で急に笑い出されてたら、こんな反応になってしまうのも不思議ではない。

 そんなフランに対し、蓮子は笑いを抑えつつも謝罪する。

 

「ああ、ごめんなさい。何でもないの。ただ……」

 

 そして、続ける。

 

「本当、馬鹿だったなぁって……。そう思うと、何だか可笑しくなっちゃって」

 

 そう。()鹿()だったのだ。

 即断即決。考えるよりもまず行動。それが自分だったはずなのに。

 

 立ち止まるなんて、そんなのあまりにもらしくない。

 

「そうね。そうだったわ」

 

 深く考える必要なんてない。

 

「私も貴方と同じよ、フランちゃん。こんな結末、納得なんて出来る訳がない。進一君と妖夢ちゃんも、秘封倶楽部に入ってくれたのに……。こんな風にバラバラになるなんて、そんなの認められる訳がないじゃない」

 

 ああ、そうだ。納得できない。できる訳がない。

 だったらどうする? 納得する事が出来ないのならば。

 

「この運命を破壊する。──ふふっ。面白いじゃない」

 

 ──覆してしまえば良い。ぶっ壊してしまえば良いじゃないか。

 理想の世界。それを掴み取れる可能性が、少しでも存在しているのならば。

 

「やってやるわよ。だって、私は」

 

 手を伸ばす事に、躊躇いを生じさせる理由なんて。

 

「秘封倶楽部のリーダー、だからね」

 

 最早、ありはしない。

 

「……すっきりした、みたいだね」

 

 迷いを振り切った蓮子に対して、フランがそう口にする。

 

「さっきよりも、表情が良くなってる」

「ええ。──フランちゃんのお陰。ようやく心を決める事が出来たわ」

 

 そうだ。文字通り、決心した。迷いを断ち斬ったのだ。

 理不尽な運命に納得出来ないのならば、自らの手で覆してしまえば良い。──単純な話だったのだ。それはこれまで、蓮子が特に意識せずとも突き進む事が出来ていた道。

 それを、いつの間にか見失っていた。それを再び見つける事が出来たのは、間違いなくフランのお陰だった。

 

「ありがとう、フランちゃん。私、貴方に会えてよかった」

「そんな、大袈裟だよ。私はただ、率直に思った事を口にしただけで」

「だとしても、私が救われた事に変わりはないから」

 

 ちょっぴり照れ臭そうにするフランへと向けて、蓮子はしっかりとした口調で言葉を述べる。

 

「今の私のやるべき事は──」

 

 そう。まずは、筋を通す。

 未来を変える、その為には。

 

「──ねぇ、フランちゃん。ちょっとだけお願いがあって」

「お願い?」

「うん。いや、私、勢いだけで皆と離れちゃったと言うか。それで、道が判らなくて」

「……うん」

「だから、教えて」

 

 宇佐見蓮子は、告げる。自分の次なる行動を。

 

「レミリアさんと話した部屋。その場所を」

 

 躊躇いなんて、既になくなっていた。

 

「もう一度、あの人の話を聞いてみようと思う」

 

 向き合うのだ。あの少女と。そして確立させるのだ。──運命を変える方法を。

 それこそが、この理不尽なバッドエンドを回避する為の、最初の一歩になると思うから。

 

 

 *

 

 

「よう、フラン。こんな所で会うなんて奇遇だなぁ」

 

 蓮子に頼まれた通りレミリアと話した部屋の場所を教え、彼女と別れたその直後。フランは物陰から突然現れた魔理沙にそう声をかけられた。

 突然、という言葉は厳密に言えば正確ではない。狙ったとしか言えないようなこのタイミング。誤魔化すにしても杜撰過ぎではないだろうか。フランは思わず嘆息した。

 

「魔理沙……。わざとらし過ぎ。本当に誤魔化す気あるの?」

「うん? なぁんだよ、ノリが悪いな」

「ノリの問題なの……? と言うか、奇遇って。ここ紅魔館だし、私と遭遇するのは奇遇でも何でもなくない?」

「おおう……。すげー正論ぶつけて来るじゃん。流石の魔理沙さんも傷ついちゃうぞ」

 

 軽いノリでそんな事を口にする魔理沙。フランとの温度差が凄い。

 まぁ、魔理沙が何を考えてこんなノリで話しかけてきたのか、何となく理解はできる。彼女の事だ。なるべく雰囲気が深刻にならぬよう、あえてこんな態度を取っているに違いない。

 

「蓮子さんの事を追いかけてきたんでしょ? 一人にさせる訳にもいかないから」

「お? 鋭いなフラン。お前には全部お見通しか」

「……別に、私じゃなくても判ると思うけど」

 

 魔理沙のお人よし加減というか、お節介焼き加減と言うか。とにかくそれは人一倍である。それが判っているからこそ、この程度を察するなんて造作もない事だった。

 

「まったく……。魔理沙は相変わらず、人が良いんだから」

「おいおい、何だよその嫌味っぽい口調は。というか、お前がそれを言うかね」

「……どういう意味?」

 

 肩を窄める魔理沙の物言いが気になって、フランは一歩踏み込んで追及してみる。すると魔理沙は、ニヤリと生温かく微笑んで。

 

「お前も蓮子達の事を気にかけてくれてたんだろ? で、このタイミングで声をかけてきたという事は、大方レミリアに一声文句を言ってから駆けつけたって所か」

「…………」

 

 何故か魔理沙には全部バレていた。──何がお前には全部お見通し、だ。それはこちらの台詞である。

 フランは思わずバツが悪そうに口籠る。魔理沙が相手とは言え、こうもストレートに言われてしまうと小恥ずかしい。故にフランは、苦し紛れの言い訳を口にした。

 

「別に、私は……。ただ、お姉様に反抗しようとしただけで……」

「……そうか。まぁ、そういう事にしておくか」

 

 なぜフランが、宇佐見蓮子という人間に対してあんな態度を取ったのか。その理由を明確に説明するのは難しい。ただ気になってしまった、としか言いようがないのだから。

 久しぶりに人間の少女がこの紅魔館に訪れたと聞いて、重ねてしまったのだろうか。蓮子にも話した、紅魔館のメイドの事を──。

 

(……別に、同じ人間というだけで、似ているという訳でもないのにね)

 

 一方的な感情だ。紅魔館とは無関係である蓮子からしてみれば、こんな感情は迷惑でしかないだろう。

 だけれども。やっぱり、放ってはおけなかったのだ。

 あんな形で彼女が落ちぶれてしまうなんて、そんなの──。

 

「……私は、期待しているのかも知れない」

 

 ふと、フランは自らの想いを言葉として口にする。

 

「あの人達が、私達と同じ想いを持っているのなら。こんな運命を打ち破りたいと、思ってくれているのなら……」

 

 どうしようもないこの理不尽への反逆心を、持っているのなら。

 

「未来を、変える。僅かな可能性を、掴み取ってくれるんじゃないかって……」

「…………」

「なんて。結局はお姉様と同じ考えなんて、そんなのは癪だけど……」

 

 そう。

 未来を変えるには。運命を打ち破るには、それ相応の想いが必要だ。強く、どこまでも強く、そして純粋な想い。願いとも言い換える事が出来る、そんな力が。

 きっとレミリアもまた、期待している。彼女達が抱く思いを。人間の持つ可能性を。

 

 レミリアは既に理解しているのだ。()()()()()()を。そしてそれを実行する事が出来るのは、()()()()()()()という事も。

 

「……そうか」

 

 フランの言葉を静かに聞いていた魔理沙が、しみじみといった様子でそう口にする。

 

「そうだよな」

 

 どこか遠くを見るような目つきで、彼女は続ける。

 

「もう後戻りなんて、出来ないよな」

 

 それは所謂、再認識。彼女の覚悟はとっくの昔に決まっている。こうしてフランの想いを聞いて、彼女は改めて噛み締めている。

 今の幻想郷は、あまりにも後がない。西行寺幽々子による蹂躙だって、博麗霊夢の結界によってギリギリ抑え込めているに過ぎない。その均衡はいつ崩れても不思議ではなく、崩れたその瞬間にこの世界は終幕を迎える。

 

 その終幕を回避する手段は、最早一つしか残されていない。

 だから。

 

(だから、私達は──)

 

 ()()()の持つ可能性を、信じるしかない。

 

 

 *

 

 

 もう逃げない。もう迷わない。こんならしくない感情なんて、金輪際おさらばだ。

 宇佐見蓮子は決意する。なぜ自分はここまで来たのか。何の為にメリーを追いかけたのか。──進一が『死霊』に殺されて、何を感じたのか。それを改めて思い返して。

 

 行き着く先は、たったひとつだった。

 

「レミリアさん」

 

 がちゃりと、勢いよく部屋の扉を開ける。蓮子達が飛び出してからそれなりの時間が経っていたはずだったが、それでもレミリアは変わらずそこに腰掛けていた。

 まるで、蓮子がこうして戻ってくる事を初めから予測していたかのように。

 

「……フッ。何だ? 一方的に出て行ったかと思えば、また一方的に戻って来て無遠慮に入ってくるなど」

 

 余裕のありそうな口調。やはりレミリアは、この運命を()()()()()とでも言うのだろうか。

 いや、そんなのは最早どうでも良い。運命だから何だと言うのだ。蓮子の想いは、最早そんな定義にも収まらない。

 

「勝手な事をした件については、ごめんなさい。謝るわ。だけど私、頭を冷やして……。それで、ようやく判ったの。逃げるんじゃない、私がやるべき最善を」

「ほう?」

 

 感心した様子で声を上げるレミリア。相変わらずの上から目線が鼻を突くが、それでも。

 

「確かに私には、大した力もない。メリーや進一君みたいに、貴方の言う鍵にはなり得ないのかも知れない。だけど」

 

 そう。

 ちょっと時間と場所が判るだけで、それ以外に取り立てて特殊な力なんて持っていない蓮子だけれども。

 

「それでも私に、教えて欲しい」

 

 この想いだけは、誰にも負けていない。

 偽りなんかじゃないのだと、そう自信を持って言えるから。

 

「運命を変える方法を──」

 

 だから蓮子は、頭を下げる。

 

「お願いします、レミリアさん……!」

 

 この想いを、成就させる為に。

 

「私は、取り戻したいんです! 私達の、秘封俱楽部を──!」

 

 ああ、そうだ。宇佐見蓮子の願いは、至って単純。『死霊』をどうにかしたいだとか、それこそ世界を救いたいだとか。そんな大それた願いは二の次だ。

 彼女はただ、彼女の日常を取り戻したいだけだった。理不尽にも奪われてしまった当たり前を、もう一度手に入れたいだけだった。

 

 その為ならば、躊躇わない。

 理想の未来を掴み取る為の可能性が、少しでも残されているというのなら。

 

 どんな秘密だって、暴いてみせる。

 

「……フッ」

 

 そんな蓮子の言葉を聞いた、レミリアは。

 

「クククッ……。ハハハハッ……!」

 

 笑う。だが、蓮子を嘲るような印象はない。

 どこか無邪気な雰囲気。純粋に、この展開に対して強い歓喜を覚えているかのような。そんな印象だった。

 

「面白い! 実に面白いぞ、人間……!」

「……それは、私を馬鹿にしているということ?」

「まさか」

 

 尋ねてみると、レミリアは食い気味に蓮子の言葉を否定する。

 

「私はお前の意思を尊重するぞ、人間。確かにお前は鍵ではない。だが、今のお前が抱くその意志は、この未来を変革させるのに充分な力を持っている。これが私の求めていた、()()()の一つだ」

「…………」

 

 よく判らない事を言っている。

 けれどもどうやら、彼女は蓮子の想いに共感してくれるらしい。

 

「私の事が気に食わないのだろう? 私の計画に納得していないのだろう? ──ならば、掴み取って見せるが良い。誰かに与えられたものではない。お前自身が抱く意志で」

 

 そして、彼女は。

 レミリア・スカーレットは、語る。

 

「その上で、お前に知識を授けてやろう」

 

 この世界に残された希望。

 

「運命を変える方法を、な」

 

 宇佐見蓮子の決意は固い。今度こそ、逃げ出す事なんて選択しない。逃避なんて、そんなのは自分が許さない。

 それ故にこそ、蓮子は耳を傾ける。一見すると、荒唐無稽な夢物語。けれどもそんな物語の中に、一筋の希望が必ず残されているのだと。

 

 そう、強く信じて。


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