桜花妖々録   作:秋風とも

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「邪仙に堕ちゆく#2」

 

 父の死を知ってから、何年か経過した。

 仙人を志す事になった根本的な目標。父と再会するという夢を見失った私は、どこか無気力な日々を送っていたように思う。仙人としての修行を続けながらも、これまでのように真理探究に熱意を注ぐ事もない。──いや、()()()()()()()()、と表現した方が正しいか。結局私の夢なんて、父からの借り物に過ぎなかったという事だ。

 父親との再会が叶わなくなった今、真理を探究する事に意味を見出せなくなってしまった。今更そんな事を続けた所で、待っているのは虚無だけではないだろうか。意味なんて本当にあるのだろうかと、そんな疑問ばかりが胸の奥から溢れ出るようになってしまったのだ。

 

 夢を叶える為ならば、家族を欺く事だって厭わない。他の人の事なんてどうでもいい。私は別に、一人でも問題ないのだと。そう思っていたはずなのに。

 それなのに、何だ。一人で真理を探究した所で、虚しい結果にしかならない等と。今更そんな事を思ってしまうなんて。

 

 最早私に生き甲斐なんてものはない。色褪せて、風化して。ただ淡々と時間だけを浪費する日々が続く。

 けれどそれでも、仙人としての修行を怠る事はしなかった。──少しでも修行を怠れば、あっという間に身体が朽ち果てて死んでしまうから。それだけは嫌だ。死ぬのだけは、絶対に嫌だ。

 生きる価値を見失いつつある癖に、死ぬ事に対してだけ敏感に恐怖心を覚えてしまうなんて。私はあまりにも不安定だ。──不安定で、中途半端で。仙人としても、人間としても、決定的な何かが破綻してしまっている。

 

 判らない。どうして私は、死に対してこんなにも恐怖しているのだろう。父親が死んだから? いや、それはあくまで小さな理由の一つに過ぎない。

 

 私は元より、()()()()()()だったのだ。

 もしも死んだら、その後どうなる? 死の瞬間まで存在していた自分という物語は終幕を迎え、そして無に帰す。その先にはきっと、何も残らない。この世界の理として輪廻転生というものも存在するらしいが、結局のところそれは、魂の再利用に過ぎないのである。輪廻転生を経た時点で、魂は真っ新な状態に()()()され、それ以前の情報は消去される。

 私はそれが、受け入れられないのだ。

 自分という存在が消えてなくなる。何故私達は、そんな運命を受け入れなければならないのだろう。そう考えると、怖い。判らないから。理解できないから。怖くて、怖くて、堪らない。

 

 だから私は、それ故にこそ父親が求める真理にも引かれたのだと思う。

 人が死を受け入れなければならない理由。その真理を手に入れられれば、この恐怖心も払拭できるのではないかと思ったから。

 

 でも。駄目だった。

 私が心に抱えていた恐怖心は、そんな探究心を飲み込む程に大きなものだったのだ。私は今まで、そんな不安定な心を“父との再会”という希望で必死になって支えていたに過ぎないのだから。故に、その希望を失った時点で、私の心が瓦解するのは必然だった。

 

 だから、あの時。父の死を聞かされたあの瞬間。ギリギリのバランスで保たれていた私の心は、あっけなく崩壊したのである。生きる目的を見失い、その癖“死への恐怖”という最も原始的な本能だけは、呪いのように私の心に根付いてしまっていた。

 

 ──それからの私は、本当に価値のない日々を送り続けていたように思う。

 目的を見失い、何をするにもやる気を感じない。これまで私が続けてきた勉学も、鍛錬も、全て無駄なものだったんじゃないかと。そんな諦観めいた思考にさえも支配されつつある。だが、それでも私は命を手放す事だけはしなかった。命を捨てるなんて、そんな選択肢は有り得なかった。

 だって、死に対する絶対的な恐怖心のみが、私を顕界に留めている唯一の楔だったのだから。

 

 とは言え、何の理由も目的もなく泥臭く生き続けるのも限度がある。故に私は、無気力なりに生きる理由を求めた。

 幸いというべきか、道教や仙術を学んでいただけあって、私はそれなりの力と知識を有していた。だから道教を布教するという尤もらしい理由を掲げて、私はそんな力を人々に見せびらかしてみる事にした。

 

 まぁ、ちょっと変わった大道芸みたいなもの、とでも表現すべきか。何故そんな事を始めたのか、等と聞かれても困ってしまう。だって、それくらいしかやる事がなかったのだから。それくらいしか、あの頃の私は持っていなかったから。だから私は、私が出来る範囲の中で、生きる理由を探し回るしかなかった。──心の渇きを、少しでも癒したかったのだ。

 

 けれど、結局それも私の心を潤す事には繋がらなかった。幾らそれなりの力を持っているとはいえ、当時あの国では、私くらいの力を有する仙人や道士は珍しくもなかったのだから。私が幾ら力を見せびらかした所で、誰も見向きはしなかった。

 

 やっぱり駄目だ。こんな事を続けた所で、自らの心が摩耗していくだけだ。このままでは、生きる意味を本当の意味で完全に失ってしまう。自分という人間が、本当の意味で無価値で無駄な存在なのだと。そんな自覚が心の底から芽生えてしまう。そうなってしまったら──。

 

 焦燥感に駆られた私は、思い切って趣向を変えてみる事にした。とは言っても、あの頃の私は、修行で身に着けた仙人としての知識と力しか持っていない。そんな要素が、あの国の中では対して珍しくもないというのならば。

 話は簡単。国から出て行ってしまえば良い。仙人のいない国で仙術を行使すれば、少なくともそこに住む人々の注目を集める事が出来る。そうして人々の注目を集め、心の乾きを潤す事が出来れば、新しい生き甲斐だって見つけられるかも知れない。

 

 そう考えた私は国を抜け、そして海を渡った。

 

 

 ***

 

 

 海を渡った私が辿り着いたのは、とある島国だった。

 私が生まれ育った国とは、海さえ渡り切ってしまえばそう遠くはない所に位置している島国──日本。その国には道教はあまり深く広まっておらず、仙人や道士と呼ばれる存在も確認できていない。──この国の住民ならば、私の持つ仙人としての力はさぞ物珍しく映る事だろう。生まれ故郷では大した能力ではなかったのだとしても、異国の地でなら話は別だ。私の力に、価値を見出してくれる人物だって現れるかも知れない。

 

 私が私である理由。死を恐れた私が、生に縋り付く為の意味。この国でなら、それを見つける事が出来るだろうか。

 いや、推測をする段階では駄目だ。()()()()()()()()()()()。そうしなければ、私はいつか本当に生きる理由を失ってしまう。そうなってしまったら終わりだ。

 

 私は、死なない。生き続ける。

 その為ならば、どんなに泥臭かろうとも藻掻き続けると決めたのだから。

 

 当時の日本は、大陸より伝わった仏教と日本古来の神道が覇権を争っているような状態だった。言うなれば、宗教戦争とも呼べる状態である。そんな中で、そのどちらにも属さない道教を混入させようとしている。

 人々の注目を集められるのかどうかは、正直五分五分である。神道と仏教の存在の大きさ故に埋もれてしまうか、或いは第三の勢力の出現により、良い意味でも悪い意味でも注目を集める事になるのか。異国の地では、そういった予想も中々どうして難しい。

 

 だが、ここまで来てしまった以上、今更引き返す事も出来ない。ここまで精神的に追い込まれてしまった時点で、私に失うものなど殆どないのだ。だったら一か八か博打に出てみるのも、そう悪い選択ではない。

 

 そして、その結果。

 私の取った行動が、私にとって大きな転機を齎す事になる──。

 

「──ッ! すいません、今の技、もう一度良く見せてくれませんか?」

 

 彼女との出会いは、偶然に偶然が重なった奇跡だったように思える。

 

「この力……。君は、間違いなく人間ですよね? いや、だとしてもどこか……」

 

 まるで期待していなかった訳ではない。

 だが、まさかここまで強い興味を示してくれる人物に出逢うなんて、流石に予想外だったから。

 

「ああ、ごめんなさい、つい興奮してしまって……。珍しいものを前にすると、どうにも好奇心が抑えきれなくなってしまうのです」

 

 思わず面食らう私に対し、捲し立てるように言葉を並べられた事が今でも強く印象に残っている。

 

「申し遅れました。私、豊聡耳神子と申します」

 

 どこかパワフルな印象を受けるその女性は、上品な所作でそう名乗ってきて。

 

「君のその技、是非もっと見せてくれませんか?」

 

 豊聡耳神子。後から知った話だが、彼女は為政者に近しい立ち位置の人物だったらしい。当然身分的な立場も高く、政治的な発言力も強い人物だ。そんな彼女はたまたま視察という形で人里を訪れており、そしてたまたま仙術を行使する私を見かけたのだという。

 彼女は私の仙人としての力に強い興味を示していた。何故為政者である彼女が──と一瞬だけ不思議に思ったが、彼女は為政者であると同時に、どうしようもない程に()()()としての側面も持っていた。

 

 彼女は──豊聡耳様は、一口に言えば天才だった。

 若くして為政者に近い立場に立っている点からもそれは伺えるが、彼女は幼き日より既に特出した能力を持っていたのだという。それは常人を凌駕した天才的な頭脳と、超人的な()()()()だったらしい。

 役人達の難解な政治的訴え。豊聡耳様はそれら全てをその耳で聴き取り、そして完璧に理解していたようだ。その上で状況に応じて的確な判断を下す事も可能で、その頃から既に政治に対して多少なりとも影響を与えていたとの事。

 その上彼女はそんな特異性を鼻にかける事もなく、常に誠実な思想を持って人の世を案じていたのだという。故に彼女を慕う者も多く、あっという間に今の立場に上り詰める事に成功した。

 

 そんな彼女は、世間からは聖人と持て囃されていたようだ。

 常人とはかけ離れた能力を持ち、その上で徳が高く、高潔な人物。成る程、確かに聖人と呼ぶに相応しい人物なのかも知れない。少なくとも、私とは住む世界がまるで違う、実に気高い女性という印象だった。

 

 だけれども。彼女は天才でありながら──。いや、天才であるが故に、常人では理解し得ない思考回路を有していた。

 それは間違いなく、豊聡耳様が天才である所以の一つであり、そしてそれと同時に欠点の一つとも言える要素であった。

 

「ここが……」

 

 ある日。私はとあるお屋敷に招かれていた。

 人里でよく見かける建築物と比較して、明らかに際立って豪勢で大きな建物。一目見ただけでも地位の高い人物が住んでる事が推測出来る建物で、異国の民である私が招かれるには、少し分不相応のような印象さえも受けてしまう。

 だが、それでも私が正式な招待状を得てここに訪れたのも事実なのである。

 

 意を決し、私は招待状を手に持ってそのお屋敷へと足を踏み入れる。

 

「おお! 良く来て下さった! お待ちしておりました!」

 

 迎えてくれたのは一人の小柄な少女だった。

 銀色の髪に、青い烏帽子。そして袖の部分がブカブカな白装束を身につけており、漂わせる雰囲気もどこか落ち着きのない印象を受ける。

 意外な印象の人物の登場に、私はちょっぴり面食らう。なぜこのような子供が、こんな所にいるのだろうと。

 

「おぬしの事は、太子様より仰せつかっております! ささっ、こちらに……。ご案内しますぞ」

「えっ……? あ、そうなんですね。失礼しました、お願いします」

 

 口振りから察するに、彼女は私を招いた人物の部下にあたる者なのだろうか。確かに見た目は小柄な少女でも、纏う衣は平民とは異なる豪勢なもの。実はかなり地位の高い人物なのかも知れない。

 

 そんな少女に案内されて、私は屋敷内のとある部屋まで通される。扉を開けて入室すると、()()はいの一番に出迎えてくれた。

 

「来てくれたんですね。待ちわびてましたよ」

 

 その女性は、出逢った当初と何も変わらない様子で私に声をかけてきた。

 為政者という厳格なイメージとは違う。どこか無邪気で、ともすれば子供みたいに好奇心に忠実な様子で。

 

「さぁ、可能な範囲で君の話を聞かせてください。一体どこから、何の為にこの国に来たのか。あの時見せてくれたあの技は、一体なんだったのか」

 

 彼女は。

 

「君の事を、もっと良く知りたいんです」

 

 豊聡耳様は、眩しいくらいの笑顔を私に向けてくれた。

 生きる目標を見失い、あらゆる事に無気力になってしまった私。そんな私とは、まさに正反対。彼女はどこまでも活力に満ちた女性だった。

 彼女には理想がある。為政者として、この国を導くという理想が。それ故にこそ、彼女はこんなにも輝いているのだろう。

 

 部屋に通されると、案内してくれた小柄な少女は会釈を挟んで退出する。部屋に残されたのは、私と豊聡耳様の二人のみ。

 ──私が気にするのも何だが、大丈夫なのだろうか。彼女は地位の高い人物であるし、こうして部外者である私と二人にしてしまっても。

 

「うん? どうしたのです? そんな呆けた表情を浮かべてしまって」

「え……? あ、いえ……。ただ、よろしいのかと……」

「よろしい……? ああ、そうですね。君の考えている事は判ります」

 

 私が何かを口にするよりも先に、豊聡耳様は納得してしまっているかのような様子で。

 

「私、人を見る目には自信があるんです。確かに君は異国の人間のようですが、少なくとも私に害を与えるような人物ではないと判断しました。違いますか?」

「いや、まぁ……」

「ならばそれで結構。私にとっては十分です」

 

 変わった人だ。私でもそう認識してしまう辺り、彼女は本当に常人では考えが及ばぬような感性を有しているのだろう。

 それに。あまりにも人を容易く信じすぎではないだろうか。確かに私は彼女をどうこうしよう等という考えは持っていないが、それでもまだ知り合ったばかりの間柄という事に違いはない。にも拘わらず、こんなにも無警戒に受け入れようとするなんて。

 

「貴方って、ひょっとしてどこかズレているんですか……?」

「ふふっ。まぁ、良く言われますよ」

「…………」

 

 ダメだ。この人を相手に、このまま真面目にそんな事を気にしても無意味なような気がする。

 話題を変えよう。あまりペースを狂わされるとロクでもない事になりそうだ。

 

「そういえば、先ほど私を案内してくれた少女……。彼女は貴方の側近か何かですか?」

「ん? 布都の事でしょうか? そう言えば、紹介するのを忘れてましたね」

 

 尋ねてみると、豊聡耳様はこほんと咳払いを一つ挟んだ。

 そして改めて、といった様子で。

 

「彼女の名は物部布都。側近……というよりも、私は同志だと思っています。まぁ、君の言う通り、あの子は自分の事を側近だと思ってそうですが……」

「物部……? と言うと、まさかあの物部氏の……?」

 

 物部。この国に来てからというもの、その姓を私は何度か耳にした事があった。

 当時の日本で宗教戦争が勃発していた事については先に述べた通りだが、物部氏と言えば神道を信仰する廃仏派の中心的な一族であったはずだ。子供とは言え、そんな彼女を同志だと称しているという事は、豊聡耳様は神道を信仰しているという事だろうか。

 

「ええ。お察しの通り、あの子は物部氏の一人です。しかし少々特殊な立場でしてね。私もあの子も、神道派という訳でもないんですよ」

「神道派では、ない……?」

 

 しかし私の思考とは裏腹に、豊聡耳様は自分が神道派であるという事をあっさりと否定する。そればかりか、廃仏派の物部氏であるはずの布都と呼ばれたあの少女までもが、神道派ではないのだという。

 何だそれは。少々特殊な立場、等と彼女は口にしていたが。

 

「あの、それはどういう──」

 

 一体どういう意味なのだと、私が彼女に尋ねようとした次の瞬間だった。

 不意に、バンと。酷く乱暴な勢いで部屋の扉が開け放たれたのは。

 

「太子様ッ!! ご無事ですかッ!?」

 

 開いた扉から誰かの声が流れ込んでくる。先ほど私を案内してくれた布都さんではなく、別の少女の大きな声。弾かれるように振り返ると、そこにはやはり見知らぬ少女の姿があった。

 深藍色の衣服を見に纏った少女だ。頭に黒い烏帽子を被った彼女が浮かべるのは、何とも鬼気迫る表情である。大慌てで豊聡耳様を訪ねて来たように思える。火急の用だろうか。

 

 そんな彼女は私の姿を認めるなり、露骨に不機嫌そうな表情を浮かべて。

 

「お前か、太子様を訪ねて来たって奴は……!」

「……はい?」

 

 どうやら用事は私の方にあったらしい。思わず首を傾げると、彼女はますます機嫌が悪そうな様子になって。

 

「何だその反応? 惚けてんのか……!? ちっ、布都の奴、無警戒に通しやがって……」

 

 何やら彼女はご立腹だ。私も少々胡散臭い反応を見せてしまったかも知れない。無意識のうちに愛想笑いを浮かべてしまったのが悪かったか。

 それにしても、初っ端から敵愾心旺盛な様子だが、私は彼女とどこかで会った事でもあるのだろうか。正直、記憶にはないのだが──。

 

「屠自古……。君は、もう、まったく……。客人を相手に、失礼ですよ」

 

 見かねた豊聡耳様が、少女にそう投げかける。けれども当の少女は、私に対する威圧的な態度を崩すつもりはないらしく。

 

「お言葉ですが太子様、こんな得体の知れない奴を易々招き入れるのもどうかと思います。今はこんな時代ですし、何があるか分かったもんじゃない」

 

 至極真っ当な意見が飛び出してきた。

 この少女が口にした言葉は、何も間違っちゃいない。ちょうど私も、自分の事ながら似たような事を考えていた所だ。流石に豊聡耳様や布都さんのように、そう易々と他人を信じる人ばかりではないらしい。

 

「おい、お前。一体何が目的だ? どうして太子様に近づいた? ロクでもねー事を考えてるんなら、こっちとしても容赦しねぇぞ……!」

「ロクでもない事も何も、私は別に豊聡耳様をどうこうするつもりはありませんよ。まぁ強いて言えば、道教を広めたいとは多少考えてはいましたが」

「はぁ? 道教だぁ?」

 

 取り合えず、今の私が人畜無害である事を伝えてみる事にした。──が、道教の事を喋ったのは失敗だったかも知れない。現に少女は、私に対してますます強い不信感を向け始めている。

 完全に薮蛇だった。軽率な事は言うものじゃない。

 

「お前、まさか宗教戦争なんてやらかしている連中の関係者か何かか……? だったら……!」

「屠自古っ!」

 

 少女が何か言いかけた所で、やや強めの語調で豊聡耳様が口を挟んできた。

 中々の威圧。流石の少女も言葉を飲み込み、言い淀んでしまう。そんな彼女に向けて、豊聡耳様は続けた。

 

「いい加減にしなさい。私の事を心配してくれているのは分かるが、少々度が過ぎてます。それに、憶測だけで何かを決めつけてしまうのも良くない」

「…………ッ」

 

 豊聡耳様はそう言うが、少女は納得していない様子。何かを訴えるような視線を豊聡耳様に向けているようだ。どうしてこんな奴を庇うんだと、きっとそんな事を考えているのだろう。

 それについては、まぁ、私も実は同感だ。どうして豊聡耳様は、会ったばかりのこんな私を信じてくれているのだろう? ただの無防備過ぎるお人好し、と結論づけてしまうのも、少し違和感があるような──。

 

「すいません、うちの屠自古が……。あ、そうだ。この子の事も紹介していませんでしたね」

 

 そんな私の心境を知ってか知らずか、豊聡耳様はそう話題を切り替える。

 未だぶすっとした表情の少女の事を示しつつも、彼女は続けた。

 

「彼女の名は蘇我屠自古。布都と同じく、私の同志です。少し威圧的な部分はありますが、決して悪い子ではありませんので……。どうぞよろしくお願いしますね」

「ふん……」

 

 蘇我──? 鼻を鳴らして顔を背ける少女の名前を聞いた途端、私の中に一つの違和感が駆け抜けた。

 蘇我。まさか、あの蘇我氏の一族だったりするのだろうか? この時代における宗教戦争において、蘇我氏は仏教派──つまるところ、廃仏派である物部氏と敵対関係にあった一族である。だが、そんな彼女の事を、豊聡耳様は布都さんと同じく同志であると紹介していた。

 本来敵対関係であるはずの一族を、それぞれ同志と呼称する。中々どうして、不自然な状況である。そう考えると、やはりこの少女──屠自古さんは、苗字は同じと言えども、蘇我氏とは無関係であると考えるのが妥当で──。

 

「あぁ? んだよその顔。お前、何を考えてやがる……?」

「え? あ、いえ、聞いた事のある苗字だなと思ったもので」

「けっ……。やっぱりそうかよ。先に言っとくけどな、私は蘇我氏の他の連中とは違う。あんな下らねぇ戦争なんて、私にとっては真っ平御免なんだ」

「その口振り……。貴方は、本当に蘇我氏の一人なんですか?」

「は? だからそう言ってんだろ。文句あるかよ?」

「いえ……」

 

 ──私の予想は、どうやら外れていたらしい。この少女、本当に蘇我氏の一人であるようだ。

 となると、これは、一体どういう事だろう? 目の前にいるこの少女は、仏教派である蘇我氏の一人。そして先ほど私を案内してくれた布都さんという少女は、神道派である物部氏の一人。本来ならば敵対関係であるはずの二人の少女が、豊聡耳様の同志としてこの場に集っている。この時代の日本において、そんな状況など特殊どころの騒ぎではない。

 豊聡耳様は、一体何を──。

 

「ふっ……。そんなに深刻な顔をしないで下さい。私は別に、何か大それた事を企てている訳ではありませんから」

 

 けれども当の豊聡耳様は、相も変わらず微笑みを絶やさずに。

 

「君も知っての通り、私は為政者です。この国をより良く導きたいという想いだって、確かに存在しています。故に宗教戦争などという今の状況は、私にとっても看過できる状態では決してない」

 

 さもそれが、自分にとっての責務であるかのように。

 

「布都も、そしてここにいる屠自古も。それぞれの派閥に属する者でありながら、私と同じように宗教戦争を憂いていました。いや……主要な一族に属しているからこそ、争いの醜悪さを間近で目の当たりにしたのでしょう。故にこそ、布都も屠自古も、宗教戦争の終幕を望んでいる。──そんな彼女達の想いも、私は叶えてあげたいのです」

 

 豊聡耳様は、口にする。

 

「この子達は私の想いに賛同してくれた。ただ、それだけなのです。派閥間の隔壁なんて関係ありません」

 

 そんな彼女の姿を、称するならば。

 

「私はこの国を正しい在り方に導いて見せる。醜悪な争い事もない、あるべき姿へ──」

 

 聖人。

 本当に、彼女からは野心のようなものは微塵も感じられない。彼女の想いは、どこまでも純粋で潔白だ。本当に、心の底から。この国が、醜悪な争い事のない姿に至る事を望んでいる。そこに至る為に、彼女は彼女が出来る事を全力で実行に移しているのだ。

 なんて徳の高い人物なのだろう。既に何度も感じていた事だが、この瞬間、私は改めて再認識した。豊聡耳様は、本格的に私とは住む世界が違う人間なのだろう、と──。

 

 しかし、だからこそ解せないのだ。

 どうして彼女は、私を受け入れようとしてくれているのだろう? 言ってしまえば、この国にとって私という存在は完全に部外者だ。私としても、宗教戦争がどうなろうと正直知ったこっちゃない。態々戦争を止めよう等という気だってこれっぽっちも沸いてこないし、はっきり言って、豊聡耳様の想いにだってそこまで賛同出来る訳でもないのだ。

 理屈としては判る。争い事なんてない事に越したことはないのだと、そんな主張だって人並みに理解できるつもりだ。けれども、やはり、何というか──。

 

 ──どうでも良いのだ。今の私にそんな情熱なんて存在しない。

 

 でも。

 だけれども。

 

 それ故にこそ、これは()()()()である。

 

 豊聡耳様は、間違いなくこの国の中でも最も徳の高い人物の一人だろう。しかも為政者という、国を動かせる立場にも立っている。そんな彼女に、どういう訳か私は一目置かれているらしい。

 このまま彼女に取り入れば、私もまた私という存在を世に知らしめる事が出来るかも知れない。私という存在が、世にとって必要不可欠な要素にまで昇華する事が出来るかも知れない。──そこに至る事が出来れば、私という存在にだって価値が出来るかも知れないのだ。

 

 心の渇きを、潤す事が出来るかもしれない。その為のきっかけを見つける事が出来るかも知れない。

 そうだ。この人を──豊聡耳様を、()()()()事が出来れば。私は──。

 

「……貴方達のお考えは、よく判りました。宗教戦争を終わらせたいという無垢なる願いも、私の心に強く響き渡りました」

 

 私は淡々と、言葉を紡ぎ始める。表面上は、豊聡耳様達の考えに賛同しているという雰囲気を醸し出しながら。

 

「でも、だからこそ判らないのです。どうして私は、このお屋敷に招かれたのでしょう? そもそも私は、宗教戦争になんて関係ない異国の人間。そんな私でも、貴方達のお力になれる事はあるのでしょうか?」

 

 ただ、機械的に、つらつらと。私は言葉を並べ続ける。

 

「そろそろ本題に入りませんか、豊聡耳様」

 

 私という存在を保ち続ける為。死という概念から逃れ続ける為に。

 

「私の事、もっと良く知りたいのでしょう?」

 

 豊聡耳様には、私の為の生贄になってもらおう。


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