桜花妖々録   作:秋風とも

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第107話「死の超越」

 

 どうして自分は戦う力を持っていないのだろうと、岡崎進一がそんな無力感を覚えたのは一度や二度ではない。

 あの日。ちゆりを庇って『死霊』に殺されて、けれども成仏は出来なくて。そしてどういう訳か、約八十年前のこの時代にタイムスリップしてしまった。それもただの人間ではなく、死してなお現世に縛り付けられた亡霊という存在として。

 

 その辺りの経緯に対する考察に関しては、一端後回しにする。とにもかくにも、今の自分は亡霊だ。人間ではない。だから普通の人間には実現不可能な()()()()()()()だって、出来るようになってもおかしくはないはずなのに。

 しかし、実際はどうだ。確かにちょっと空を飛べるようにはなったが、けれどもそれだけだ。霊力を操って、例えば霊弾を飛ばすような事も出来ない。身体能力だって人間の頃と比較して飛躍的に上昇した訳でもなく、妖怪を相手にすればあっという間に下されてしまうだろう。

 

 自分は戦えない。亡霊の癖に、戦う力を持っていない。

 本当は、進一だってもっと妖夢の力になりたい。出来る事ならば、妖夢と肩を並べてこの脅威に立ち向かってゆきたい。けれどもそれは実現できない。そんな無力さを進一は痛いほど理解してしまっているのだから、嫌でもやるせなさが募ってしまうのだ。

 判っている。自分が下手に出しゃばった所で、どうしようもないくらいに足手纏いにしかならないのだと。身の丈に合わぬお節介にしかならないのだと。

 

 だから進一は、割り切る事にしている。

 戦う力を持たぬなら、戦い以外で役に立てば良いのだと。要は適材適所だ。戦いに関しては無力でしかないこんな自分でも、出来る事はあるのだと。それは進一自身だって理解しているから。

 今回だってそうだ。

 戦う力を持っていない。そんな理由でへこたれる暇があるのなら。

 

 手が届く事を。出来る事を、成し遂げろ。

 

「紫!」

 

 ぐったりと倒れ込んだままの紫のもとへと、進一は駆け寄る。屈みこみ、彼女の容態を確認した。

 息はある。少なくとも命を落としてしまった訳ではない。それはこんな『眼』を持つ進一が一番良く判っている。

 この感じ。眠っているのだろうか。催眠術か何かの類? いや、どうにも少し違うような気がする。

 

「くっ……。一体、何が……」

 

 進一は空を仰ぎ、そして一瞥する。そこには紫をこんな目に遭わせた張本人である霍青娥と、そして妖夢達の姿。互いに互いをけん制し合うように、色とりどりの弾幕を展開している。

 段取りは単純。妖夢達が青娥の相手をしている隙に、進一が紫の事を介抱する。幸いにも青娥は倒れた紫には目もくれず、あっさりと興味の対象を妖夢達に移してくれた。お陰で進一は簡単に紫のもとへと駆けつける事が出来た訳だが。

 

「嘘だろ……?」

 

 上空で繰り広げられる弾幕の応酬を前にして、進一は思わず息を呑む。

 妖夢と霊夢、そしてプリズムリバー三姉妹。対する相手は青娥一人。数では圧倒的にこちらが有利であるはずなのに、それでも青娥は一歩も引いていない。流石に戦況は妖夢達に傾いてはいるが、それでも決してこちらの勝利が確定した訳ではないように思える。

 

 妖夢達の放つ弾幕。それを青娥は次々といなし、一瞬の隙を突いて攻撃に転じている。その弾幕は、ただ一人の仙人が放っているとは思えない程に絶大だ。

 

「五対一だぞ……。それなのに……!」

 

 青娥の霊力は、文字通り底なしなのだろうか。

 八十年後の未来でも、京都全土を人払いの結界で覆ったり、大量のキョンシーを使役していたりしていたが──。ひょっとしたら、あの程度では青娥の力の片鱗にも触れていなかったのかも知れない。

 何なんだ、彼女は。あれほどまでの力を有していて尚、一体何を求めているというのだろうか。

 

「うっ……」

 

 微かな呻き声が耳に入る。反射的に視線を落とすと、意識を失っていたはずの紫がもぞもぞと反応を見せ始めていた。

 こちらの存在に気づいてくれたのだろうか。進一は慌てて紫を再び呼びかけた。

 

「紫! 大丈夫か……!?」

「ぅ……。だ、れ……?」

 

 消え入るように小さな声。それでも紫は何とか答えてくれる。

 うっすらと瞳が開かれる。おぼろげな様子ながらも、彼女は進一の姿を認識してくれているようで。

 

「しん……いち、くん……?」

「っ! ああ……。目を覚まして、くれたんだな……」

「わた、し……」

 

 たどたどしい口調。反応は見せてくれたものの、意識は混濁寸前といった所だろうか。

 

「一先ずここから離れよう。巻き込まれたら大変だ。立てるか?」

「…………っ」

「……無理そうだな」

 

 声をかけてみたものの、紫の反応は相変わらず薄い。

 一体、青娥に何をされたのだろう。特に目立った外傷は確認できないし、少なくとも弾幕ごっこで下された訳ではないように思える。まるで外側ではなく、内側から何等かの攻撃を受けてしまったかのような──。

 ともあれ、こんな所で彼女を眠らせておく訳にもいかない。せめて安全な場所まで移動させなくては。

 

「立ち上がれないようなら、悪いが抱き上げさせて貰うぞ。少しだけ我慢してくれよな」

「えっ……?」

 

 ぼんやりとした紫の返事を聞く前に、進一は彼女の事を抱き上げてしまう事にする。体勢的に、例えば背中におんぶするような形は難しい。安定性も考えて、所謂お姫様だっこで彼女を運ぶ事にした。

 以前に妖夢の事もこのような形で運んだ事があったが、彼女と比較すると紫の体格は大きめだ。しかしそれでも、少しの距離を運ぶ程度なら進一でも問題はなさそうである。このくらいなら造作もない事だ。

 

「よっ、と……。よし、行けそうだな」

「…………」

 

 きょとんとした表情を浮かべる紫。何をされたのかイマイチ理解出来ていない様子だった。

 けれども進一の顔を見て、そして自分の身体を見下ろして。するとどうやら、自分が立たされた状況を少しずつ把握し始めたらしい。みるみるうちに頬を赤く染め上げて、目をぐるぐると回し始めて。

 

「~~~~っ!? しッ、進一、くん……!? こ、これ、これ……!?」

「うぉ……!? あ、暴れるなっ! 落ちたらどうするんだっ」

「で、でも……。でもぉ……!」

 

 思考が上手く働いていないのだろうか。紫の語彙力が消失している。

 まぁ、こんな反応を見せられる事は何となく予想はしていた。彼女がこの手の類に対してやたらと初心である事は、とっくの昔に分かっていた事である。

 だが、今は四の五の言っている場合ではない。妖夢達が青娥への対処に集中出来るよう、自分が紫の事を助けなければならない。それくらいしか、今の進一には出来ないのだから。

 

「一先ず白玉楼の中にまでお前を連れて行くぞ。そっちの方が少しは休めるだろう」

「う、うん……」

 

 有無を言わせぬ勢いで進一がそう告げると、流されるように紫は受け入れる。顔を真っ赤に染め上げたままこくりと小さく頷いて、そのまま幾分か大人しくなってくれた。

 移動するなら今だ。紫が再び羞恥心を覚えてしまったら、彼女を安全な所まで退避させるどころの話ではなくなってしまう。無論、彼女が自分の足で移動出来たのなら話は簡単だったのだが、この様子だと立ち上がる事さえも未だに難しそうだ。

 

 そうなると、やはり進一が動くしかあるまい。紫だって、進一にとっても大切な存在なのだ。こんな所で見捨てても良い理由なんてこれっぽっちも存在しない。

 

 紫を助ける為、進一は白玉楼へと足を向ける。あまり揺らさぬよう出来るだけ慎重に、そして出来るだけ速やかに。

 

(……軽いな)

 

 移動の最中、進一は思う。

 

(思っていたより、ずっと軽い……)

 

 腕っぷしが極端に強い訳でもない進一。そんな彼でも難なく抱き上げられてしまうくらい、羽毛のように軽い紫の体重が少し心配になりながらも。

 岡崎進一は、白玉楼に向けて足を速めた。

 

 

 *

 

 

 黒い閃光が爆ぜ、強大な衝撃音が周囲に轟いた。

 霍青娥と対峙して、彼女の異常性を再認識して。その暴挙を止める為にこうして実力行使に移る事になったのだが、想像以上の力量を前に妖夢は思わず息を呑んだ。

 五人がかりで攻撃を仕掛ける妖夢達に対し、あちらは霍青娥ただ一人。戦況は優位ではあるのだが、それでも圧倒的という程でもない。寧ろ、少しずつこちらが押され始めている印象すらある。

 

 霊夢が先行して弾幕を展開し、それに合わせるようにして妖夢が斬撃を放つ。そしてプリズムリバー三姉妹が強烈な魔力での後方支援を担当。立ち回りに隙はない。即興のチームとしては、十分すぎる程に及第点と言える連携の数々。けれどもそんな彼女らの攻撃を以てしても尚、霍青娥を下すにはもう一歩届かなかった。

 攻撃がいなされている。

 相手だって、ここに辿り着くまでに連戦を重ねてきたはずなのに。

 

「はぁっ!」

 

 距離を詰めて剣を振るう。──が、物理的な結界に阻まれてその刃は通らない。

 まるで岩石でも斬りつけているのでないかと錯覚する度の衝撃。あまりにも強い抵抗力で妖夢の剣は押し返された。

 

「くっ……!」

「ふふっ。噂に聞いていた通り、中々の斬撃ですね。でも……」

 

 妖夢が体勢を崩したのは一瞬。けれども霍青娥が相手では、その一瞬さえも命取りだ。

 霊力が高められる。掲げられた青娥の掌に黒い光が凝縮される。そして、そのまま一気に──。

 

「妖夢! なるべく全力で飛び退きなさいッ!」

「……っ!」

 

 耳に届く霊夢の声。妖夢はそれに反応し、指示の通りに大きく身を後退させる。

 無論、ただそれだけの動作では青娥の迎撃を凌ぐ事は出来ないだろうが、直後に放たれた霊夢の弾幕によって彼女は難を逃れる事となる。

 

「霊符『夢想妙珠』!」

 

 丁度青娥の側面に回り込んでいた霊夢が霊力を爆発させ、ありったけの弾幕を放つ。そんな不意打ちじみた攻撃でも青娥には難なく防がれてしまうが、流石の彼女も攻撃と防御をいっぺんに行う事は出来ないらしい。妖夢が逃れる時間稼ぎには十分だ。

 

 爆発。けれども防がれる霊夢の弾幕。しかしその隙に、妖夢は霊力を逆噴射して青娥から距離を取った。

 青娥の反撃は飛んでこない。一瞬高められた霊力を間近で感じただけだったが、それでも十分に冷や汗ものだった。攻撃をまともに受ければ最後、あっという間に致命傷を負ってしまいかねない。

 

「チッ……。やっぱりこの程度じゃ防がれるか……」

「あ、ありがとう、霊夢……」

「礼を言うのは後回しよ。今はあの女に集中しなさい」

 

 霊夢もまた妖夢のもとへと飛び退いてくる。深追いは禁物だと判断したのであろう。

 彼女の放った弾幕は、決して脆弱なものという訳ではない。それでも難なく防がれてしまう辺り、これ以上追撃しても徒に霊力を消費してしまうだけだ。彼女の判断は正しい。

 

「あらあら、避けられてしまいましたか……。それなら」

「……それなら、今度は私達の番」

「おや……?」

 

 次なる行動に移ろうとしていた青娥だったが、けれども彼女の攻撃は再び妨害される事となる。

 彼女の言葉に被せるように口を挟んできたのはルナサだ。これまで妖夢達の後方から支援に徹していた彼女達──プリズムリバー三姉妹が、青娥よりも先に攻撃へと転じる。

 

「よーし! 行くよ姉さん、リリカちゃん!」

「うん……。私達の全力をぶつければ……!」

「……これで決める」

 

 三人が揃ってスペルカードを掲げる。

 彼女達の全力全開。切り札とも言える弾幕。深い絆で結ばれている彼女達三姉妹だからこそ通用する、合同型スペルカード。

 

「大合唱」

 

 ルナサの宣言。三姉妹の立ち位置を頂点とした三角形の陣が形成され、彼女達を取り巻く魔力が急激に上昇する。霍青娥から放たれる霊力に匹敵──それどころか、吹き飛ばしてしまう程に強大かつ激烈。増幅した魔力は烈風を形成し、周囲の霊力も春力も押し出していく。

 そして、その直後。

 

「「『霊車コンチェルトグロッソ怪』ッ!!」」

 

 リリカとメルランの掛け声と共に、強烈な弾幕が彼女達から放たれた。

 メルランが管楽器でアップテンポなメロディを奏で、ルナサが弦楽器で淑やかな旋律を響かせ、そしてリリカがそんな姉二人の音楽を調律する。ライブの時と同じように奏でた音楽を響かせる三姉妹だが、そんな音楽から形成される弾幕はまさに苛烈である。

 青娥の周囲をあっという間に三姉妹の魔力が取り囲む。華やかな印象を受ける弾幕だが、それでもまるで容赦はない。

 

 閃光が迸る。強烈な炸裂音が周囲に轟き、魔力の爆発が霍青娥を呑み込んだ。

 

「……っ。凄い、魔力……!」

 

 三姉妹の絶大な魔力を肌でビリビリと感じ取り、妖夢は思わず片腕で口元を覆う。

 流石はプリズムリバー三姉妹だ。地底で鬼に絡まれた時もそうだったが、音楽団でありながら彼女達の力量は並外れている。それぞれが持つ魔力も凄まじいが、あの合同型スペルカードも抜群のコンビネーションである。

 

 ──しかし、だ。

 確かに強烈なスペルカードではあるけれど、相手はあの霍青娥である。そう簡単に下せるはずもなく。

 

「ふぅ……。成る程、こういう弾幕もあるんですね」

 

 響き渡る声。実にけろりとした印象。

 ルナサ達が放った弾幕の余波が収まりつつあるその場所で、彼女は変わらぬ様子で佇んでいて。

 

「まぁでも、この程度なら……」

「ッ!」

 

 ──殆ど反射的だった。

 間髪入れない。一瞬の隙も与えない。少しでも彼女に時間を許したら、それこそいつまで経っても有効打なんて与えられない。直感的にそう判断した妖夢は、瞬時に霊力を爆発させて霍青娥へと突進する。

 楼観剣を抜き放つ。ギリギリの間合い。青娥が次なる反応を見せる、その前に。

 魂魄妖夢は一閃した。

 

「断命剣『冥想斬』ッ!」

 

 瞬時に出来る限り極限まで霊力を高める。そうして振り上げられた楼観剣が翠玉色の光を放ち、瞬く間に霊力の刀身を形成した。

 断迷剣『迷津慈航斬』程リーチがある訳でもないが、速攻を仕掛ける目的で言えばこちらに軍配が上がる。瞬時に剣術の準備を完了させた妖夢は、その勢いで楼観剣を振り下ろす。身を翻した勢いを更に上乗せして、青娥を横殴りに斬りつけた。

 

 加減なく放たれた一斬り。鈍い衝突音と共に青娥は吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられる。一見すると、真面に攻撃が決まったかのように見えたのだが。

 

「……っ。浅い……?」

 

 実際に剣を振るった妖夢だからこそ判る。

 この手応え。恐らくダメージは殆ど与えられていない。大きく吹き飛ばされたようにも見えたが、今の感覚から推察するに。

 

(また、いなされたの……?)

 

 今のタイミングでも駄目なのか。攻撃に反応する暇なんて、全くと言って良いほど与えなかったはずなのに。それでも青娥は瞬時に霊力を操り、飛び退きつつも妖夢の斬撃を上手くいなしたのだ。それにより、攻撃の威力は最低限まで抑えられる事となり。

 

「あらら……。今のは流石に、上手く着地できませんでしたね……」

 

 立ち上がる。全くのダメージゼロという訳ではなさそうだが、それでもあの様子では彼女は殆ど堪えていない。

 妖夢が息を呑む。このまま更なる追撃を仕掛ける事も考えたが、すんでの所で昂る感情を落ち着かせた。焦って前に進もうとすれば、却って手痛い反撃を食らいかねない。

 

 それに。

 

(なに……この、疲労感……?)

 

 視線を落とすと、楼観剣を握った手が小刻みに震えている事が確認できる。普段よりも身体が重く、呼吸も乱れ始めている。霊力の消耗だって、普段以上に激しいように感じるのだ。

 まるで、空気の薄い地帯で激しく動き回った後のような。そんな疲労感。

 

「うぅ……! そんな! 今の攻撃でもダメなの!?」

「は、ははは……。流石にここまでは、予想外かも……」

「…………」

 

 プリズムリバー三姉妹もまた、一様に表情を歪めている。そんな彼女達もどことなく疲労感が漂っているように思えるのだ。

 恐らくこれは、妖夢だけの症状じゃない。この白玉楼に漂う空気──いや、霊力が原因となっていると考えられる。

 

「ったく……。どんだけタフなのよ、あの女……」

 

 苛立ちを隠す素振りも見せずに、霊夢がそんな言葉を吐き出していた。

 その後、霊夢はちらりと妖夢の事を一瞥する。諦観したような表情を浮かべて、軽く嘆息を交えて。

 

「……やっぱり、あんたもあの女の霊力の影響をモロに受けているみたいね」

「やっぱり、という事は霊夢も?」

「ええ。さっきから、霊力が無駄にごっそりと浪費されてるみたいな感覚が続いてる。ホント、嫌になるわ」

 

 そう口にする霊夢の顔色もあまりよろしくない。彼女の場合、妖夢達が合流するよりも前に青娥と交戦を続けていたのだ。恐らく妖夢達よりも、既に体力をごっそりと浪費してしまっているに違いない。

 そう。霊夢も言っていた通り、この不調の原因は青娥が放つ霊力と見て間違いない。彼女が放出する禍々しいこの霊力に触れていると、精神的に蝕まれているかのような感覚を覚えるのだ。霊力も体力も纏めてごっそりと浪費してしまい、疲労感だって一気に蓄積してしまう。

 

 この傾向はまずい。このまま下手に攻撃を続けたとしても、こちらの霊力が余計に消費されてしまうだけだ。やがてジリ貧となり、いずれは押し返されてしまうだろう。

 何か。何か、対策を練らねばとは思うのだが。

 

(でも、この状況じゃ……)

 

 既に青娥の霊力は広範囲に充満してしまっている。

 今更、対策を講じた所で──。

 

「……おや? そちらの攻撃は打ち止めですか?」

 

 青娥の声が届く。妖夢達の猛攻を防ぎ切った彼女は、パタパタと衣服の砂埃を払いつつも立ち上がっている。そんな衣服は既にボロボロ。身体中は傷だらけで、血が滲む箇所も確認できる。一見すると、彼女は既に満身創痍にも思えるのだが。

 

「それにしても、実に素晴らしい実力ですね。霊夢さんも、妖夢さんも、そしてプリズムリバー楽団の皆さんも。噂に聞いていた以上の力量でした」

 

 青娥の口調は軽く、表情は涼し気。

 まるで、自分の身体の事など全く気にも留めていないように。まるで、痛覚さえも失ってしまっているかのように。

 

「本当、傀儡として欲しくなっちゃうくらいに……ね」

 

 彼女の佇まいは、底が全く知れぬ程に不気味だった。

 

 妖夢達は少しだけ距離を取り、そして飛翔を止めて着地する。青娥の霊力が充満したこの空間では、今は少しでも霊力の消費は抑えるべきだ。飛翔する際に必要となる霊力は微々たるものだとは言え、今は少しの油断も命取りになりかねない。

 

 改めて霍青娥を見据える。その表情には胡散臭い笑顔を浮かべ続けるだけで、少しの真意を読み解く事さえも叶わない。

 

「あなたは……。あなたは一体、何なんですか……? どうして、そこまでして西行妖を開花させようとするんです……?」

 

 妖夢は思わず尋ねてしまう。

 この邪仙が、一体何を考えているのか。それがあまりにも判らなすぎて、否が応でも不安感に駆られてしまうから。

 

「あなたの目的は、一体……」

「ふぅ……。それ、もう霊夢さんや紫さんにも説明しているんですけどね」

 

 やれやれとでも言いたげな様子で、青娥は肩を窄めると。

 

「私の目的は“死”を超越する事です。それ以上でも、それ以下でもありません」

「死の超越……? 不老不死になりたい、という事ですか?」

「不老不死……。まぁ、当たらずと雖も遠からずと言った所ですね。強ち間違ってはいませんが、百点満点の正解という訳でもありません」

 

 青娥は首を軽く振る。するとほんの少しだけ考え込むような素振りを見せた後に、何かを思いついたような表情を浮かべて妖夢達へと向き直った。

 

「そうですね……。例えば、永遠亭。あそこには元・月のお姫様と、その付き人の方々が生活をしていると聞いています。中でも、そのお姫様と薬師の女性……。彼女達は蓬莱人──つまり不老不死だそうじゃないですか」

「ええ……。そう、ですね……」

「蓬莱の薬。私もかねてより、その存在は話にだけは聞いています。服用すれば存在の主軸が肉体から魂に置き換わり、生命としての有り様そのものが変貌する事になる。魂のみで個として成立してまっているのですから、蓬莱人にとっての肉体は“存在”を定義する為の条件から外れてしまっている訳ですね。例え肉体が滅びようとも、魂が存在する限り幾らでも再生する事が可能なんだとか」

 

 蓬莱の薬。それを服用した蓬莱人。

 青娥の示すお姫様と薬師の女性とは、おそらく輝夜と永琳の事であろう。妖夢も詳しく把握している訳ではないが、彼女達は確かに不老不死であると聞いた事がある。生命が消えてしまう程の大怪我を負ってしまったのだとしても、蓬莱人はその肉体をすぐさま再生する事が出来るらしい。

 まるで、それこそが自分達にとっての摂理であると言わんばかりに。意識を傾けずとも、蓬莱人はその肉体を永遠の如く保ち続ける事が出来る。──有り体に言えば、肉体的な死が訪れる事がないのだ。

 

「ええ、確かに魅力的ですよね。魂は基本的に不変かつ不滅。その本質のみで個として存在を確立する事が出来るのならば、確かに滅びが訪れる事はないように思えます。不変の魂そのものが蓬莱人という存在そのものなのですから、肉体が老いる事も滅する事もない。魂がそこに在る限り、蓬莱人は存在し続ける事が出来る」

 

 それは正しく永遠だ。永遠に個を確立し続ける事の出来る存在。

 不老不死。仙人達が挙って求める大きな目標。霍青娥もまた例に漏れずそんな理想を抱いているのならば、彼女にとって蓬莱人は一つの終着ではないだろうか。

 しかし──違う。蓬莱人に関する知識をひけらかす霍青娥の表情は、どこか面白くなさそうな印象を受けるものであり。

 

「けれど……()()なんですよ」

 

 心底落胆したように、青娥は言葉を続ける。

 

「蓬莱人は、単に存在の主軸を魂に移動させただけ。真の意味で“死”を超越した訳ではありません。確かに、()()の滅びは訪れないのかも知れない。だけど、()は? 基本的には不変かつ不滅と言われている魂ですが、しかし必ずしも終わりが存在しないと言い切れる訳ではありません。魂が“死”を迎えれば……。それを成す手段が存在するのであるのなら、蓬莱人にだって終着が存在すると言えるでしょう」

「それは……」

 

 それは。確かに、そういった仮説を立てる事は可能かも知れない。

 例えば、妖夢の持つ白楼剣。あれは現世に漂う霊の迷いを断ち斬り、強制成仏させる効力を持つ。霊の未練を払拭したり、お祓いをしたり。そんな手順を一切無視して、あっと言う間に現世から消滅させる事が可能なのだ。

 流石に魂そのものを消滅させる事は出来ないが──。ひょっとしたら、白楼剣が現世の霊を強制成仏させる事が出来るように、魂に“死”を与える手段だって存在するかも知れない──。

 

「だけど……! それと西行妖に何の関係があるんですか……!? 西行妖を開花させた所で、あなたの言う“死”の超越なんて……!」

「ありますよ、関係。……ええ、大いにあります」

「なっ……」

 

 青娥はきっぱりと言い放つ。

 まるで、西行妖の事を知り尽くしているような。妖夢や、ひょっとしたら幽々子以上に理解しているかのような。そんな様子で。

 

「一度目の春雪異変。あの時の貴方達は、単なる興味本位で春を集めただけなのかも知れませんが」

 

 どこか陶酔したかのような様子で。

 

「西行妖は、ただ単なる枯れ桜という訳ではありません。あれには今も尚、底が知れない程に内包されているのです。……絶対的な、“死”が」

 

 身体全体で愉悦を感じているかのような様子で。

 

「最早“生”の情報だけでは、真の意味で“死”を超越する事は出来ない。だから私は手に入れるのです。絶対的な“死”の情報を」

 

 青娥は笑う。

 空を仰ぎ、渦巻く春を見据えながら。

 

「正攻法では生者は“死”の情報を紐解く事は出来ない。私はそれを理解している。だから、それ故にこそ入念に()()を立て、()()を積み重ねてきた。……そして、今。遂にその計画を遂行する時が訪れたのです」

 

 興奮気味に、高々と言葉を捲し立てる霍青娥を前にして。

 

「絶対的な“死”を支配して、真の意味で“死”を超越する」

 

 妖夢がひしひしと感じとるのは。

 

「私は既に、その手段を確立しているのですから……」

 

 狂想。

 それはある種の恐怖心。霍青娥の抱く思想は、最早どうしようもないくらいに理解の範疇を超えてしまっている。彼女は何だ。一体、何なんだ。どうしてそんな考えに到る? どうしてそんな発想が出来る? 判らない。あまりにも、訳が判らない。

 

「“死”を支配して“死”を超越する……? そんなの……」

 

 本気で、成し遂げるつもりなのだろうか。完遂する事が出来る算段が立っているというのだろうか。

 ──無理だ。そんな事をして何の意味がある? そんな理想なんて叶えられる訳がないじゃないか。そう、頭の中では理解しているつもりなのだけれども。

 

 だけど。

 

「ふんっ……。相も変わらず、訳の分からない事をごちゃごちゃと」

 

 気圧され気味になる妖夢の横で、苛立ちを覚えた様子の霊夢が一歩前に出る。

 

「あんたの戯言はもうウンザリなのよ。いい加減、ここで引導を渡してあげるわ」

「ふふっ……。大きく出ましたね。貴方だって、既にそんなにもボロボロですのに」

「それはあんただって同じでしょ? 平気な感じを装っているけど、その怪我じゃ身体への負担もそろそろ無視できなくなるはず。このまま戦い続ければ、先に倒れるのはどちらになるのかしらね?」

 

 青娥の言う事も、そして霊夢の言う事もどちらも正しい。

 既に青娥は満身創痍。しかし、こちらだって受けたダメージは決して小さくはない。特に、妖夢達が駆けつけるよりも前から戦っていた霊夢の疲労がそろそろ心配だ。幾ら博麗の巫女とは言え、彼女だって人間の少女。青娥の気味の悪い霊力に中てられて、精神的にもだいぶキツイ状態であるはずだ。

 それでも霊夢は気丈に振舞っている。弱さなんて、米粒たりとも見せていない。

 

「まぁ……。確かにそうですね。流石の私も、このまま五対一の状態で戦うのは少しばかりキツイかも知れません」

 

 霊夢の言葉をあっさりと認める青娥。肩を窄めつつも、そんな事を口にしている。

 しかし、だからと言って彼女は降伏を選択した訳ではない。この邪仙がそう簡単に負けを認めるとは思えない。

 それは、青娥の言動を少し聞いただけの妖夢でさえも、ひしひしと伝わってくるから。

 

「それなら……。そうですね。そろそろ第二ラウンドと行きましょうか」

「……っ!」

 

 パチンと、青娥が指を鳴らす。その直後、一際強大な霊力が一気に彼女から放たれた。

 妖夢達は思わず揃って顔を腕で覆う。ビリビリと激しく肌が擦られるような感覚。これまで以上に気持ちの悪い霊力が、烈風と共に白玉楼を覆っていく。その霊力が持つあまりの()()()を前にして、声を上げる事さえも叶わない。

 

 何だ。第二ラウンドと言ったか、彼女は。それは一体、どういう意味だ。

 嫌な予感がする。きっと良くない事が繰り広げられているに違いない。そんな事を密かに考えつつも、妖夢は恐る恐る腕を退けて目を開ける。

 そして。その眼前に広がっていたのは。

 

「えっ……?」

 

 目を疑うような光景。

 気味の悪い霊力。白玉楼を充満していたそれが、次々と何かの形に変貌を遂げていく。単に空間を漂う霊力などではない。個体として、そこに存在を確立させていくかのような。そんなイメージ。

 あれは何だ? ──なんて、そんな疑問を抱いた時点で現実から逃避している。一目瞭然。霍青娥が()()した青白い霊力の塊。それをこの目で認識したのは、これが初めてではないのだから。

 

「そ、それは……!」

 

 怨霊。或いは、それに準ずる気質の具現。先程霊夢の事を拘束していた異形と同質の存在。

 ここで重要なのは、そんな霊が再び召喚されたという事実ではない。問題なのは──数。一体や二体などという生易しい数などではない。少なくとも、十体以上。実に十数体にも及ぶ大量の霊魂が、青娥によって召喚されたのである。

 

「うふふ……」

 

 薄ら笑いを浮かべる青娥。あんなにも大量の霊魂を召喚したのにも関わらず、彼女の表情は相も変わらず涼し気だ。

 

「う、嘘……!? あれって……!」

「ちょ、ちょっと! 何あれ凄い数だよ! ね、姉さん……!」

「そんなに大声を出さなくても聞こえてる。……何て乱暴な霊力の行使。あの邪仙、何が一体どうなってるの……?」

 

 絶句した様子のリリカと、わたわたと慌てふためくメルラン。ルナサはある程度冷静に状況を認識出来ているようだが、流石に冷や汗を隠し切れない。冷静であるからこそ、霍青娥の異常性をダイレクトに感じてしまっているのだろう。

 そう。これは、あまりにも()()だ。

 怨霊に準ずる存在を召喚し、そして使役する。それだけなら然して珍しくもない能力だが、ここまでの数となると話は変わってくる。怨霊だって、それぞれが同質の存在という訳ではない。それぞれの個体がそれぞれの独自性を有している為、使役するにしても個体によってアプローチを変える必要があるのである。

 つまり、完全に使役する数が多くなれば成る程、それだけ情報量も多くなる。故にここまでの数となると、脳のリソースも霊力も膨大な負荷がかかる事になるはずなのだが──。

 

「どうです? 壮観でしょう? この子達みんな、私の可愛い可愛い養小鬼(ヤンシャオグイ)です。仲良くしてあげて下さいね?」

 

 なぜだ。彼女だって、これまで散々霊力を浪費してきたはずなのに。

 どうして。このタイミングで、しかもそんな涼し気にここまでの事をやって退ける事が出来るのだ。

 

 ──そして、もう一つ。奇妙な要素。

 

「ちょ、ちょっと待って……。あんた……」

 

 息を呑んだ様子で霊夢が声を上げる。

 その視線の先。青娥の傍ら。青娥に負けず劣らず、禍々しい霊力を身に纏っている()()()姿()

 藤色の髪。紺色のハンチング帽。赤を基調とした上着。黒いスカート。

 それは、本来ならばこの場にいるはずのない一人のキョンシー。

 

「まさか、その子まで呼び寄せたって言うの……!?」

 

 まるで霊力の貯蔵庫にでもなってしまったかのように、より混沌とした霊気を振り撒くその少女は。

 

「流石に、冗談止めてよね……」

「あの人は……!」

 

 宮古芳香。

 彼女が漂わせる霊力は、妖夢が未来の世界で対峙した時を彷彿させるものだった。

 

 

 *

 

 

 それは、少し前の出来事。

 

「それぇ!」

 

 無邪気で可愛らしい掛け声が、命蓮寺の境内に響く。けれどそんな掛け声と共に叩きつけられた伊吹萃香の拳は、不釣り合いな程に強大な粉砕音を周囲に轟かせていた。

 石畳を叩き割る感覚が拳を通じて伝わってくる。どんなに強固な石畳だとしても、萃香の前では風化し切った岩石とそう変わらない。粉砕するのも容易い事だ。

 

 けれども今の萃香の目的は、命蓮寺の石畳を粉砕する事ではない。昔馴染みの腐れ縁、茨木華扇。彼女の意思を聞き入れた萃香は、目の前にいるこのキョンシー──宮古芳香を拘束する事を目的としている。

 一先ず力づくで黙らせて、それから縛り上げるなりなんなりで動きを止めようとしていたのだが──。石畳を叩き割るこの感触が伝わって来たという事は、少なくとも萃香の攻撃は空振りしたという事であり。

 

「っと。流石にすばしっこいなぁ。でもっ!」

 

 拳を振り下ろす瞬間、芳香が大きく飛び退いたのは確認済みだ。ならば話は簡単。こちらの攻撃が届くまで、何度でも拳を振るうだけだ。

 

「ほぉら! それ、それぇ!」

「……っ!」

 

 芳香は殆ど表情を変えない。けれども間髪入れずに振るわれる萃香の攻撃を前にして、ほんの少し息を呑んでいる様子。萃香の連撃は圧倒的。攻撃に転じる事も出来ず、彼女は回避に専念するしかない。

 

「どうしたどうしたぁ!? あんたの実力はそんなもんなのかぁ!?」

「ぐっ……」

 

 そんな煽りを口にしてみるが、やはり芳香は悔しそうに呻き声を漏らす事しか出来ないようだ。

 実力差は明白。これ以上芳香が霊力を高められぬよう、こちらも妖力を使わずに腕っぷしだけで勝負しているのだが、それでもである。幾ら華扇達を相手に立ちまわっていたキョンシーと言えど、流石に鬼の怪力には敵わないという事か。もう少し楽しめると思っていただけに、この展開はちょっぴりガッカリだ。

 ──でも。

 

(まったく……。でも、華扇にやると言ったからには……!)

 

 やってやる。

 自分だって仮にも鬼だ。彼女との約束は、必ず守る。

 

「はぁ!」

 

 再び轟音。石畳が叩き割られる。

 けれども流石にすばしっこい。この攻撃さえも芳香は回避し、後方に大きく飛び退く。死体であるが故に疲れ知らずだ。ここまでそれなりの時間攻撃をし続けてきたが、彼女の動きが鈍くなる事はない。

 

「あっちゃー……。また外したかぁ。避けるのだけは一丁前だなぁ」

「…………」

 

 すたりと着地した芳香。けれども萃香の言葉には反応せず、ボーっと虚空を見つめるのみ。今の今まで萃香の猛攻を受けていたのに、まるで急に興味の対象を切り替えてしまったかのような。

 しかし、あっちが勝手に大人しくなってくれたのなら都合がいい。この隙に動きを封じてしまえば、萃香の仕事は終わりである。

 

「ぼんやりとする暇なんてあるの? だったら、こっちも遠慮なく行っちゃうよ!」

 

 萃香は地を蹴り、勢いよく駆け出す。そのまま一気に急接近し、後は芳香に飛び掛かるだけ。流石のキョンシーも、鬼の怪力で拘束されれば簡単には逃れられないはずだ。腕でも足でも、掴んでしまえばこちらの勝ち。これで──。

 

「……そうか」

 

 ──終わりだと。そう萃香は確信していたのだが。

 

「……()()()()()()()()は、もう十分なのか」

「……ッ!?」

 

 悪寒。反射的にそれを感じて、萃香の動きがほんの一瞬だけ鈍くなってしまった。

 警告信号のようなものが自分の中で鳴り響いている。その理由は明白。芳香から放たれる霊力に、奇妙な“変化”が訪れたからだ。一瞬の出来事であったが故に気を抜けば見逃してしまいそうだったが、けれども萃香はそんな変化に過敏に反応してしまう。

 この感覚。何等かの術を行使している? いや、だとしても少しばかり妙だ。これは芳香本人が行使するというよりも、外部から何等かの霊力を()()したかのような。

 

「っ。しゃらくさい!」

 

 けれど今更萃香は止まらない。何等かの術が発動しようとしているのなら、その前にこちらの攻撃を決めてしまえばいい。鬼の身体は頑丈だ。ちょっとやそっとじゃビクともしない。多少強引でも、拳をねじ込んでしまえば──。

 

「いっけぇ!」

 

 萃香は拳を振り下ろす。

 霊力に奇妙な変化を見せる、宮古芳香へと向かって。

 

「……青娥」

 

 でも。

 

「青娥の為ならば、わたしは……」

「なっ……!」

 

 ──萃香が拳を振り下ろす瞬間。芳香の周囲に霊力が溢れ、そしてそれが何等かの陣を形成する事に気がついた。だが、萃香がそれを認識した瞬間では、少しばかりタイミングが遅かったようだ。

 陣が眩い光を放つ。そして芳香の姿が薄れ、ノイズがかかったみたいに存在が希薄になっていく。そんな特徴を目の当たりにして、萃香は瞬時に察した。これは、転移系──或いは召喚系の術式。芳香がキョンシーである事を考えると、恐らくは後者。彼女は何者かの呼びかけに答え、そしてその術式に身を委ねて。

 

「このっ……!」

 

 そして術の発動からワンテンポほど遅れて、萃香の拳が振り下ろされる。手の甲から伝わるのは、先程と同様。石畳を叩き砕く感覚のみ。つまり萃香の攻撃は、最後の最後まで芳香に届かなかったという事であり。

 

「……っ。あー……。まずったかなぁ……」

 

 思わずそんな間の抜けた声を漏らす萃香。そんな彼女の眼前。つい今さっきまでそこに佇んでいたはずの宮古芳香は、忽然とその姿を消してしまっていた。

 

 嘆息をしつつも、萃香はどさりと腰を下ろす。何だか一気に気が抜けてしまったかのような心地である。

 参った。万が一にでも負ける可能性など考えていなかった萃香だったが、まさか相手がこのタイミングでこんな行動を起こすなんて。

 

「萃香……!」

 

 声が聞こえる。どこか心配そうな声調。腰を下ろした萃香を見て、ひょっとしたら怪我でもしたのかとでも思っているのだろうか。

 まったく、彼女は心配性だ。それが少し可笑しくなって、萃香は駆け寄ってくる彼女──茨木華扇に向かって、ニッと人懐っこそうな笑顔を浮かべた。

 

「ごめん、華扇。あいつに逃げられちゃったみたい」

「逃げられちゃったって……」

 

 どうにも鬼気迫る雰囲気を解こうとしない華扇。彼女はやっぱり、心配そうな表情を崩す事はなく。

 

「貴方は大丈夫なの? どこか怪我とか……」

「いやいや、だいじょーぶだって。よっと」

 

 ぴょんっと萃香は立ち上がる。そして腕をぶんぶんと振るってみせると。

 

「ね? 大丈夫でしょ?」

「そ、そう……みたいね」

 

 どうやら納得してくれたらしい。ほっと、彼女は胸を撫で下ろして安堵していた。

 さて。心配性な華扇が落ち着いてくれた所で、萃香達はこの状況を整理しなければならない。自分のキャパシティを考慮せずに『能力』を行使する芳香を止める為、こうして萃香が腕っぷしだけで勝負を挑んていた訳だが。

 

「ふぅ……。あいつ、思ったよりすばしっこくてさぁ。最後は足元に陣か何かを形成して、私の拳が届く前にどこかに転移しちゃったみたいだけど」

「転移? それって……」

「成る程。青娥の召喚に、芳香が応じたという事なのかも知れません」

 

 華扇に続いて歩み寄ってきた他の面々。その中で真っ先に口を開いたのは、頭に耳当てのようなものを付けた一人の女性。

 

「そうなると、私達を足止めする必要はなくなった、という事なのだろうか……」

「あー……。えっと、あんたは確か……」

「……おや、すいません。私の方はまだ名乗ってませんでしたね。豊聡耳神子です。よろしくお願いします、萃香」

「ああ。うん。まぁ、よろしくー」

 

 一先ず適当に挨拶を交わしておく。

 いかにも真面目そうな雰囲気の女性だ。タイプ的には、聖白蓮という住職と近いかもしれない。いや、白蓮に関してもつい先ほど出会ったばかりであるし、完全に第一印象だけで察してしまった訳だが。

 

 そしてそんな彼女らの陰に隠れるように、おずおずと周囲の状況を確認していたのは。

 

「い、いなくなっちゃった……? 私、いよいよ何のために連れてこられたのか……」

「あ、小傘とかいう唐傘お化けじゃん。何だ、まだこんな所にいたの?」

「ちょ、ええっ!? 何その言い草!? 私は嫌だって言ったのに、あなたが強引に……!」

「あっはっはっは! 冗談だよ、じょーだん! どう? 私の勇姿、しっかりとその目に焼き付けてくれた?」

「ま、まだ酔ってるの……? と言うか勇姿って。結局逃げられちゃってるじゃん」

「あいたたた……。それを言われるとぐうの音も出ないなぁ」

 

 ジト目で睨みつけてくる小傘。頭を掻きながらも、萃香は苦笑してそれに答える。

 ──まぁ、でも。実際、これは萃香の失敗である。あれだけの大見得を切っておいて、この体たらく。ケジメはつけなければなるまい。

 

「……本当にごめんよ。私があいつを腕っぷしで捻じ伏せるって、そう約束したのに」

「謝らないで下さい、萃香さん。確かに、あの子を拘束できればそれに越した事はないとは思うのですが……。それでも、貴方のお陰でこちらの被害も抑える事が出来たんです。それで十分ですよ」

「ん、そう? そう言ってくれるのなら、私も文字通り腕を振るった甲斐があるよぉ」

 

 優し気に白蓮が感謝の念を述べる。何だかこそばゆい心地だ。流石は妖怪が集まる命蓮寺の住職なだけあって、それ相応の器量を持ち合わせているのかも知れない。大した奴だ。

 

「さて……。本当に、これからどうするかな」

 

 一息ついて、萃香は考える。

 確かに芳香が召喚系の術式でどこかに呼び出された事は確認済みだが、それがどこかまでは流石の萃香にも判らない。霊力の残滓を探ってみる事も試してみたが、どうやらそれも難しそうだ。そんな証拠を残す程、相手は未熟な術者という訳でもないらしい。

 

 それならば──。

 

「おーい! 白蓮さーん!」

「……ん?」

 

 萃香がそんな考えを巡らせていると、不意にそんな声が流れ込んで来た。

 白蓮の名前を呼ぶ声が近づいてくる。声質的に、幼い少女だろうか。けれど、この感覚。恐らく人間の少女ではない。それなりの力を持った妖怪の類だと考えられる。

 振り向いて確認してみると、確かに近寄ってくる二人の人影を確認できた。一人は、西洋風で呪術的な黒い衣服を身に纏った赤髪の少女。そしてもう一人は、先程の声の主であろう幼い少女。そんな二人組が、空を飛んでこちらへと──。

 

「……おや? あの子達って……」

 

 萃香も見覚えがある少女達だ。確か、住まう場所は地上ではなく地底──旧地獄だったはず。確かにここ最近は、地上でも目撃情報が何度か耳に入っていたけれど。

 

「こいしちゃん……? それに、お燐さんも?」

 

 反応を見せたのは、名前を呼ばれた白蓮だった。どこか戸惑ったような表情を浮かべている。

 まぁ、確かに。意外な人物の登場ではある。口振り的に二人は知り合いのようだが、一体どういう関係なのだろう。

 古明地こいしと火焔猫燐。旧地獄にて怨霊の管理を閻魔より任されている覚妖怪──古明地さとりの妹と、彼女のペットである少女達である。そんな彼女達は命蓮寺の参道へと足を踏み入れるなり、酷く困惑した様子で辺りの様子を確認していた。

 

「うわっ……。なにこれ……? 辺り一面ボコボコになっちゃってる……!」

「な、何かあったんですかね? まるで石畳が叩き割られたみたいな……」

 

 気にしているのは境内の惨状。確かに中々凄い事になってしまっている。

 その殆どが、先程萃香が暴れまわった際に拳を石畳に叩きつけてしまったのが原因だ。──少々、後先考えずに拳を振るい過ぎてしまったかもしれない。

 

「いやぁ、ごめんごめん。ちょっと暴れすぎちゃってさぁ。足元、気を付けなよ?」

「あれ? 萃香お姉ちゃんだ。どうしてこんな所にいるの?」

「それはこっちの台詞だよ。まさかこいしちゃん、この寺に入門でもしたのかな?」

「うん、そうだよー」

「……え? マジ?」

「ホントだよ。だから心配になって、ちょっと様子を見に来たんだけど……」

 

 意外な事実が飛び出した。

 一体、いつの間にそんな事になっていたのだろう。

 

「どうしてこいしちゃん達が地上に? 確か今日は、進一さん達が地霊殿に……」

「うん。えっと……お兄ちゃん達の用事はちゃんと済んだから、私達も地上まで見送りにきたんだ。そしたら、こんな事になってたから……。命蓮寺のみんなが心配で……」

 

 白蓮の問いに対し、何やら言葉を選びつつもこいしはそう答える。

 どうにも含みのある言葉遣いである。進一? お兄ちゃん? 一体誰の事だ、それは。けれども当の白蓮は、こいしの少ない言葉だけで状況を大凡察してしまったらしく。

 

「……成る程。ですが、もう日暮れですよ? あんまり遅くなってしまうと、さとりさんにもご心配が……」

「ちょっとくらい大丈夫! それに、幻想郷がこんな事になっているのに、見て見ぬフリなんて出来る訳がないよ……!」

「でも……」

「あー……。えっと、住職のお姉さん? 一応、あたいも傍にいるし……。だからそんなに心配はいらないと思うよ。さとり様には、あたいの方から説明しておくからさ」

 

 いまいち納得していない白蓮に対し、こいしと共に現れた火車の少女──お燐こと火焔猫燐が宥めるようにそう告げる。

 曰く。こいしは本気で命蓮寺の皆が心配になって、地上に出た途端真っ先に飛び出してしまったらしい。反射的に止めようとするお燐さえも押し切る程に、彼女の心は強い決意に満ち溢れていたようだ。

 

 そんなこいしの意思を前にして、お燐もまた心を動かされてしまったようだ。

 放ってはおけない。見て見ぬフリなんて出来ない。こいしに手を差し伸べてくれた命蓮寺の皆は、それだけでお燐にとっても恩人であると言えるから。だから、少しでも力になりたいのだと。

 

「ふぅん……」

 

 そんな説明を傍らで聞いていた萃香は、一息。

 

「何か、あれだね。あんたも色々と苦労と言うか、無茶してるんだねぇ」

「うーん……。まぁ、でも苦に思った事はないよ。これは紛れもなくあたいの心が命じた意思だから。……あたいはただ、自分の心の赴くままに行動しているだけだよ」

 

 この少女も中々に肝が据わっている。意思が強いというか、何と言うか。

 まぁ、本人が満足しているのなら、こちらは何も言うまい。下手に口を挟むのも野暮というものだろう。

 

「で? この『異変』の黒幕とやらは……」

「そっちは妖夢に心当たりがあるみたい。だから今は妖夢に任せて、あたいはこいし様と一緒に命蓮寺の様子を見に来たって訳だね」

「……成る程ねぇ」

 

 魂魄妖夢。白玉楼専属の庭師兼、西行寺幽々子の剣術指南役。

 どういう経緯でお燐達が妖夢と行動を共にしていたのかは知らないが、この際そんな事は一端適当にこじつけておく事にしよう。重要なのは、妖夢に心当たりがあるらしい『異変』に黒幕の件について。

 

(春に振る雪……。『春雪異変』……って、また幽々子のヤツがやらかした訳でもないだろうし)

 

 流石にそう何度も同じような『異変』を引き起こすような事はしないだろう。紫がそれを許さないだろうし。

 そうなると、やはりあのキョンシーの主とやらが黒幕と見て間違いない。全く、どこのどいつだ。こんな『異変』を引き起こすなんて。こんな降雪日が何日も続いちゃ、おちおち宴会も開けやしない。傍迷惑なヤツもいたものである。

 

「……取り合えず、黒幕──青娥さんへの対処については霊夢達に任せてみない? 私達はどちらかと言うと、この春力を何とかする方法を考えた方が良いと思う。今も尚、幻想郷から奪われ続けているみたいだし……」

「ふぅむ。そうだねぇ……」

 

 華扇の言う事にも一理ある。このまま幻想郷から春が奪われれば、『春雪異変』の時よりももっと酷い事になる。おそらくその黒幕とやらを退治すれば万事解決だろうけど、それでもこのまま進行を許せば被害は広がる一方だ。

 何とかして進行を妨害できれば、それを講じる事に越した事はないと思うのだが。

 

「あの……。その前に一つ、良いでしょうか?」

 

 控え目に手を挙げたのは白蓮だ。

 萃香は一端思考を打ち切って、彼女に耳を傾けてみる事にする。

 

「一輪と雲山が心配です。命蓮寺の境内もボロボロになってしまいましたし……。『異変』への対処に関しては、諸々の確認を終えてからでもよろしいでしょうか?」

「えっ……!? 一輪さんと雲山さん、何かあったの!?」

「……ええ。実は、少し負傷してしまいまして」

 

 食い気味に反応するこいしに対し、バツが悪そうな表情で白蓮が答える。

 ──どうやら萃香が乱入する前に、負傷してしまった人物が何人かいるらしい。

 

「そうですね……。私も屠自古の事が心配です。布都がついてくれているので、大丈夫だとは思いますが……」

「むぅ……。こっちが受けた被害もそれなりに大きいという事なのかな」

「いや、命蓮寺の境内に関しては、殆どあなたがボロボロにしたようなものなんじゃ……」

 

 再び小傘にジト目で睨まれる。やっぱりぐうの音も出ない。

 

「まったく、それなら仕方がない。『異変』の対処に関しては、一端この後始末を片付けてからかな。ぶっ壊した石畳に関しては、私が片付けておくからさ。あんた達は怪我人の様子を見に行ってくると良いよ」

「……すいません。よろしくお願いします、萃香さん」

「謝んなくて良いって。で、華扇。あんたは『異変』のこれからについて、どうにかこうにか考えといてよ。進行を止める方法とか」

「……簡単に言ってくれるわね」

「なぁんだよ、あんた考えるのは得意でしょ? ほら、頼んだよ、山の仙人様」

「はぁ……。判った。まぁ、言い出しっぺは私だし、取り合えず引き受けるわ」

 

 渋々と言った様子で、華扇が萃香の言葉を受け入れる。

 

「……まぁ、色々と考えたい事もあったしね。丁度良いかも」

「……うん?」

「いや、何でもないわ」

 

 華扇が何かを呟いたような気もしたが──。まぁ、それはともかくとして。

 一先ずは、命蓮寺に集まった面々は各々の行動を開始する事となった。




新年あけましておめでとうございます。
そして四週間ぶりくらいの更新でした。遅れてしまって申し訳ございません…。
九月辺りからリアル多忙過ぎて執筆出来る時間が極端に減ってしまいましたが、今年はどうなる事やら…。
なるべく時間を見つけて、ひっそりと執筆を続けていく所存でございます。
暫くこんな感じかと思いますが、今年もどうぞよろしくお願い致します。

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