桜花妖々録   作:秋風とも

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第106話「因縁との対峙」

 

 八雲紫は慈悲も容赦も抱いたつもりはなかった。

 ラストワード、『深弾幕結界-夢幻泡影-』。スペルカードルールを踏み躙った霍青娥を排除する為、紫が放った極意の弾幕。手加減などしない。自身の『能力』も最大限に活用して、爆発させた妖力であの邪仙を四方八方から取り囲んだ。

 逃げ道なんて殆どない。スペルカードルールに則った弾幕とは言えない攻撃だったが、そもそもこれは最早弾幕ごっことは言えない殺し合いだ。先にルールを踏み躙ったのはあちらの方。だから紫も相応の対応をしているだけである。

 

 幻想郷のパワーバランスを考慮すると、紫のような存在の介入は極力避けるべきだ。けれども『異変』がここまで進行してしまった時点で、紫の介入によるパワーバランス云々の心配をする場合ではなくなってきている。

 西行妖。春を集め、あの妖怪桜を開花させようとする。その意味を理解した上でこうして実行に移している時点で、彼女の暴挙は到底看過出来るものではない。このまま傍観に徹すれば、必ず取り返しのつかない事になる。

 

 それ故に、直接手を下す事にした。

 幻想郷の管理者としても、これ以上彼女の狼藉を許す訳にはいかない。

 

「……っ」

 

 しばらく経ち、紫のラストワードが終わる。

 無数のスキマから放たれた激しい弾幕が炸裂し、白玉楼の正門前は絶え間なく白煙が立ち込めていた。爆発の余波として小刻みに空気が振動し、残留した妖力も周囲に充満している。まさに最大級の極意。まともに食らえば、身体が蜂の巣にされかねない。

 

 だが、相手はあの博麗霊夢をも突破した邪仙。ごく一般的な常識が当て嵌まるはずもなく。

 

(この手応え……。仕留め切れてないわね)

 

 肌をビリビリと擦るような印象の霊力。それが未だに、風に乗って紫の元まではっきりと届いている。それが意味する事は即ち、今の弾幕で霍青娥に致命傷を与える事が出来なかったという事である。

 煙が晴れる。そこにはボロボロになりながらも、未だ倒れず佇み続ける霍青娥の姿があった。

 

 一瞬、息を呑む。

 予想はしていたが、それでもまさかこれほどまでにしぶとい奴だとは。あの弾幕は正真正銘のラストワード。それもスペルカードルールに則った攻撃ではなかった。

 逃げ場などない。攻撃を凌ぐには、物理的な結界か何かで防ぐ他に道はなかったはず。──まさかこの女は、本当にそれを実践したと言うのだろうか。だとすれば凄まじい。元人間の仙人とは思えぬ程に強大だ。

 

 ──だが。

 

「ふっ……、ふ、ふふふっ……。本当、血も涙もありませんね……」

 

 そんな事を口にする霍青娥は、既に満身創痍の状態である。ラストワードを凌ぎ切ったとは言っても、それでも彼女はギリギリだ。こうして生還したのが奇跡と言える。

 あの様子では、体力も殆ど残っていないように見える。それでもあのような軽口を叩くのは、自棄になったという事なのだろうか。

 

 紫は青娥を睥睨し、そして再び妖力を循環させる。仕留め切れていなかったとは言え、それでも彼女を追い詰めた事に変わりはない。あと少しでも妖力をぶつければ、簡単に下す事が出来るはず。

 

「思ったより頑丈ね。そのタフさには敬意を表してあげるわ。でも……」

 

 手をかざし、そしてスキマを開く。

 ぎょろりとした無数の瞳が、スキマの中から一斉に青娥の姿を捉えた。

 

「これでお終い。残念だったわね」

 

 循環させた妖力を、再び一点に集中。後は弾幕を形成し、この邪仙を貫くだけ。

 けれども当の霍青娥は、未だに表情を崩さない。命の危機に瀕しても尚、彼女はにこやかな笑顔を浮かべままだった。

 

「うふふ……。お終い、お終いですか……。確かに、少し残念ですね。貴方とはもっとお話をしてみたかったのですが……」

 

 青娥は肩を窄める。

 それはどこか、どこか物憂げな様子で。

 

「流石は妖怪の賢者様です。境界を操るその『能力』……。私の方からも敬意を表します」

「そう……。それはそれは、とても光栄ね」

 

 紫は皮肉気にそう答える。

 これ以上、この邪仙の戯言に付き合うつもりはない。彼女が何を考えていようとも、紫の取るべき行動に影響は及ぼさないのだから。

 

「それじゃ、いい加減眠って頂戴。私は貴方とお話するのもうんざりなのよ」

 

 紫は青娥を睨みつけ、吐き捨てるように言葉を繋ぐ。

 迷いなどない。たった一人の仙人を葬り去る事に躊躇いなんて抱かない。八雲紫は大妖怪。妖怪として生れ落ちてから、既に悠久の時を経ている。見た目は可憐な少女でも、その胸中に抱く信念はどこまでも厳格だ。

 

 そう。それこそが、八雲紫という大妖怪。幻想郷の管理者。妖怪の賢者としての本質。()()()()姿()

 故に紫は非情になり切る。その結果、例え誰かの恨みを買う事になろうとも。

 紫は──。

 

「──やっぱり、殺すのですか?」

 

 ──不意に、霍青娥が言葉をつく。

 

「本当に、私を殺すのですか?」

 

 どこか挑発するような口調で。

 

「貴方は()()()()()()()?」

 

 彼女はそんな質問を投げかけてきた。

 一瞬、紫の動きが止まる。この邪仙が口にした質問の意図が、瞬時に理解できなかったからだ。いや、言葉の意味は理解出来る。けれどもなぜ急にそんな事を言い出したのかが判らない。

 命乞いか? それともまさか、紫は非情になり切れないとでも思っているのだろうか。だとすれば舐められたものである。

 

 安っぽい挑発だ。その程度の言葉で攻撃を躊躇う紫ではない。

 

「無駄な抵抗ね。そんな言葉を並べた程度で、私が考えを改めるとでも……」

「ああ、いえ。そうではなくて」

「……えっ?」

 

 言葉が遮られる。割り込むように、青娥が口を挟んできて。

 

()()()()かなと、そう思いまして」

「そろそろ……?」

 

 含みのある言葉。一瞬意識を傾けかけるが、所詮は出任せだろうと紫は高を括る。

 耳を貸す必要なんてない。この邪仙にとって、言葉はある種の武器だ。動揺を誘う事によって隙を作り、形勢逆転を狙う。何て事のないありふれた戦術。そんなものに引っかかる紫ではない。

 青娥の言葉を丸っ切り無視して、紫は改めて妖力を高める。極限まで高めた妖力を一点に束ね、物理的な結界程度では防げぬ程に凝縮して。

 

 そしてそのまま、一気に──。

 

「────ッ!?」

 

 ──弾幕を放とうとした、その時だった。

 不意に、()()()()()が紫の中を駆け抜ける。けれど違和感を覚えた紫がその感覚の正体を探るよりも先に、強烈な眩暈が彼女に襲い掛かって来た。

 足元がふらつく。どくんっと、心臓が大きく高鳴る。額に手を抑えつつも反射的に踏ん張るが、その所為で束ねていた妖力が霧散してしまった。訳も分からぬままに攻撃の中断を余儀なくされ、紫は狼狽える。

 

(なっ……!?)

 

 何が起きた?

 唐突な眩暈。そして強烈な倦怠感。身体全体が急激に重たくなり、そして意識が何かに掌握されそうになるような感覚に襲われる。気を抜けばあっと言う間に崩れ落ちてしまいそうな状態で、紫は思考を回転させ始めた。

 

(な、何……? 毒……?)

 

 いや、違う。

 これは、一体──。

 

「ふふっ。ほら、だから言ったじゃないですか」

 

 声が耳に届く。

 顔を上げると、そこにはその声の主。霍青娥と視線がぶつかって。

 

「やっぱり、ギリギリの所で殺し切れませんでしたね」

「あ、貴、方……! 一体、何を……!?」

 

 息が苦しい。頭が痛い。吐き気さえも催しているが、それでも紫は何とか言葉を投げかける。

 けれども当の青娥は満足そうな笑みを浮かべるのみだ。まるで悶える紫を前にして悦に入っているかのよう。苛立ちを覚えた紫が境界を操って、改めて攻撃を仕掛けようとするけれど。

 

「うっ……!?」

 

 『能力』を行使しようとした途端、再び強烈な眩暈に襲われて妖力が霧散する。スキマを開くどころか、境界に干渉する事さえも叶わない。

 いや、この感覚。そもそも境界を()()する段階で不調に見舞われているように思える。異物でも紛れ込んでいるかのような感覚。あまりにも気持ちの悪い得体の知れぬ違和感。

 

「『能力』が、使えない……?」

 

 何だ、これは。一体何をされた?

 例えば四季映姫のように、紫の『能力』に割り込む形で境界の操作を上書きしたのだろうか? いや、しかしあの時のような感覚とは根本的に違うように思える。映姫を相手にした時と異なり、そもそも今回は実際に境界を操る以前の段階で強い違和感に邪魔されている。“あやふや”にした境界を先に確立されてしまった訳ではない。

 

 考えろ。原因は何だ? どこかのタイミングで必ず何等かの接触があったはずだ。その違和感を手繰り寄せれば、きっと求める答えに辿り着く事ができるはず。

 ああ──。けれども、何だろう。()()()()は。

 思考が、上手く働いてくれない──。

 

「『境界を操る程度の能力』。貴方がスキマ妖怪と呼ばれる所以は、その『能力』にあるのですよね?」

 

 青娥が再び言葉を投げかけてくる。

 ふらつく紫へと、おもむろに歩み寄ってきて。

 

「とても素晴らしい『能力』です。あらゆる物事に存在する“境界”そのものに干渉し、そしてそれを意のままに操る事も可能なんだとか。まさに論理的創造と破壊の『能力』ですね。妖怪の持つ『能力』の中でも、ずば抜けて強大ではないでしょうか? 何せ殆ど神の領域に足を踏み入れてしまっているのですから」

 

 霍青娥は言葉を並べる。それはどこか、八雲紫の『能力』に対して甚く関心しているかのように。

 けれども彼女はくすりと笑う。関心している一方、どこか紫を見下しているようで。

 

「だけど貴方の『能力』には弱点が()()存在します」

 

 愉悦に満ちた声調で、彼女は語る。

 

「一つ。境界を操る為には、まずその境界を一度否定し、“あやふや”にしなければならない。つまり“あやふや”にしてからもう一度確立するまでの間に、ほんの一瞬だけ隙が生じるのですよね? その隙に別の『能力』で境界を確立してしまえば、貴方の『能力』は完遂する事が出来なくなってしまう訳です」

「……ッ」

「うふふっ。だから苦手なんですよね? 『白黒はっきりつける程度の能力』を持つ、四季映姫さんの事が」

 

 知ったような口を利く。

 この邪仙。やはり紫の『能力』に関しても事細かにリサーチ済みという事か。

 しかし、彼女は映姫のように境界を確立する手段は持っていないはずだ。それが可能なら、もっと早い段階で紫の『能力』を無力化する事だって可能だったはず。それがなかったという事は、彼女が使った手段は映姫のそれとは別物だったと推測できる。

 だとすれば──。

 

「──そして、もう一つ。これがある意味最も致命的な弱点だと思うのですが」

 

 人差し指と中指を立てて、青娥は言葉を繋ぎ続ける。

 言葉を上手く発する事すらも出来なくなりつつある、紫へと向けて。

 

「境界を否定する前に、まずは対象となる“物事そのもの”を解析しなければならないはずです。分析し、解析し、そしてそれを隅々まで理解する。その物事が持つ膨大な量の情報を事細かに処理する事で、貴方は初めて境界へと干渉する事が可能となる訳です。……貴方はあくまで妖怪であり、全知全能の神などではありませんからね。まぁ、それでも神の領域に足を踏み入れようとするのなら、確かにそこまで複雑なプロセスが必要となりますよね」

 

 つらつらと並べられる青娥の言葉。

 彼女の認識は、確かに正しい。八雲紫が『能力』を行使する為には、まずあらゆる事象、あらゆる物事が持つ本質を解析しなければならない。それを事細かに理解しなければ、そもそも境界へと干渉する手段を確立させる事が出来ないからだ。

 

「当然、解析を完了させるまでにはそれなりの時間を要します。しかも物事は必ずしも不変という訳ではありません。一瞬一瞬で変化する情報を理解し切る為には、思い立ってから解析を開始するのではとても処理が追いつかないでしょう」

 

 そう。

 スキマを開いたり、境界を弄ったり。傍から見れば簡単に行っているように思えるかも知れないが、その実、境界をあやふやにしてスキマを開くだけでもかなり複雑なプロセスを踏む必要がある。瞬時に物事を解析して境界を弄る。それが出来れば話は簡単なのだが、青娥の言う通り紫は全知全能などではない。解析するにもそれなりの時間を要してしまうのだ。

 だから。

 

「そう……。だから貴方は、()()()()()()()()()()()のですよね? 不変とは限らない物事の境界を、操りたい時に操る為に。貴方は少なくとも、この幻想郷に存在するあらゆる物事の膨大な情報を処理し続けている。それこそが『境界を操る程度の能力』のカラクリの一つなのでしょう?」

「……っ! まさか、そこ、まで……」

「ふふっ。だけどそんなカラクリこそが致命的なウィークポイントです。あらゆる物事が持つ膨大な情報を解析し続ける為……。八雲紫さん、貴方はリソースの大半をその処理に割いてしまっているのです。貴方はよく眠る妖怪だと聞いた事がありますが、これがその理由なのでしょう? 幾ら超人的な頭脳を有している貴方とは言え、膨大な情報を解析しつつ活動を続けるのにも限度があります。故に普通の妖怪よりも多くの休息が必要となってしまう」

 

 ぼんやりとする意識の中、霍青娥の声だけが嫌でも紫の脳裏に響く。

 

「結果。その特異な『能力』は貴方にとって最大の武器であると同時に、貴方にとって最大の枷となってしまっている訳です」

「……ッ」

 

 この女。どうやら紫の想像以上に紫の事を調べ上げているらしい。彼女の仮説も多少なりとも混じっているだろうけれど、青娥の言葉は概ね的を射ているのである。

 八雲紫だけが持つ特異性。『境界を操る程度の能力』。その本質を直接目の当たりにする前に、散見された情報と自身の仮説だけでここまで正確な結果に辿り着いてしまうなんて。霍青娥の持つ情報収集能力と分析力は、ひょっとしたら紫のような大妖怪にも匹敵──いや、下手をすれば凌駕している可能性もある。

 

 けれど。だとしても、だ。

 例え『能力』の本質を分析する事が出来たのだとしても。

 

「だから……。何だって言うのよ……!」

 

 覚束ない足元。震える両脚で何とか身体を支えながらも、八雲紫は口にする。

 

「それが、判った所で、貴方にはどうしようもなかったはず……。リソースの大半を物事が持つ情報の解析に割いてしまっている……? ええ、確かにその通り……。でも、だけど……」

「? だからこそ、ですよね?」

「えっ……?」

 

 霍青娥は首を傾げる。

 今更何を言っているのだと、そう言いたげな表情で。

 

「だからこそ、話は簡単なんじゃないですか。膨大な情報の処理にリソースの大半を割いているのなら、更に強大な情報を混入させてしまえば良いのです。それで貴方は多大な()()をその身に受ける事となり、『能力』を行使するどころではなくなってしまう。その結果が──()()、という訳です」

「な、何を言って……。強大な情報の、混入……? そんな情報、一体……」

「あらあら……。白を切るつもりですか? それは貴方が一番良く理解しているはずでしょう?」

 

 頭の中に靄がかかってきているみたいに、思考が働かなくなりつつある紫。そんな彼女の事を嘲笑うかのように、青娥は言葉を続けた。

 

「“死”の情報、ですよ」

「……っ!?」

 

 一瞬、紫の中に強い衝撃が駆け抜ける。

 死の情報。死の情報と言ったか、彼女は。自分の聞き間違えを疑った紫だったが、けれども青娥は相も変わらずにこやかな表情のままだ。

 まるで、紫の驚愕を肯定するかのように。

 

「死。それは生命あるものにとっての終着の一つ。死ねば魂は魄から切り離され、人格的な本質のみがそこに残される事となる。──肉体という媒体を持つ生者と、魂という本質のみを持っている死者。それらは表裏一体の関係に見えるようで、その実、立ち位置はまさに対極です。つまり生命あるものにとっての“死”という情報は、根本的に価値観の違う相容れぬ概念なのです。その本質を真の意味で理解する事なんて出来る訳がない」

 

 霍青娥は、声高にそう語る。

 

「然しもの貴方も“死”の情報を解析する事はできない。どう足掻いても、死の境界だけは自由に操る事なんて出来る訳がない。だって貴方は死者でも、ましてや神などでもない。生命ある生者に過ぎないのですから」

「そ、それは……」

「強烈な“死”を内包する西行妖。それを危険な存在であると認識しながら、簡単な封印を施すだけで何もできなかったのが良い証拠です。もしも貴方が死の境界を操れるのなら、とっくの昔にこんな問題なんて解決出来ているはず」

「……ッ」

「ふふっ。だから、貴方のスキマに“死”を混入させて頂きました。攻撃の為だとは思いますが、ご丁寧に私の周囲をスキマで取り囲んでくれましたからね。スキマから覗くあの不気味な瞳こそが、情報を解析する為の器官のような役割を担っているのでしょう? そこに“死”の情報をぶつけてしまえば、後は勝手に……」

「なっ……」

 

 青娥の話を聞きながら、遂に紫は膝をついてしまう。そんな様子を眺めながらも、青蛾はくすくすと笑っていた。思い通りに事を運べて、実にご満悦な様子で。

 けれど。それでもやっぱり──納得なんて出来る訳がない。紫だって弱点を剥き出しにしている訳ではないのだ。ちょっと変わった情報を混入されたところで、()()()()にはならないはずなのに。

 

「有り、得ない……。有り得ないわ……! だって、貴方だって生者じゃない! だから貴方だって“死”を解析する事なんて出来る訳がない……。貴方だって、“死”を掌握する事なんて出来る訳がないの……! それなのに、私のスキマに“死”を混入させた……? “死”を操ったとでも言いたいの……? そんな、ふざけた話を……!」

「信じられない? 信じられませんか? けれどもこれは紛れもない現実です。現に貴方は、こうしてダウンしてしまっているじゃないですか」

 

 そう言うと青娥は右手を掲げ、軽く霊力を集中させる。すると青白い霧のようなものが彼女の傍らに現れ、青娥から放たれた霊力と融和して個として形成されていく。

 そうして召喚されたのは、青白い霊力の塊。禍々しく、そして不快感のある雰囲気を醸し出し続ける気質の集合体。

 

 この感じ。単なる霊力の塊という訳ではない。

 

「そ、それは……」

「うふふ。可愛いでしょう? この子は養小鬼(ヤンシャオグイ)。所謂、水子の霊です。折角現世に生れ落ちたのに、“生”を殆ど知らずに再び“死”を迎えてしまった哀れな存在……と、言ったところかしら? 故に死者でありながら、生者よりも“生”に対して強い執着を持っている。有しているのは“死”の情報ばかりであるはずなのに、なまじっか“生”の情報に触れてしまったばかりに、それを強く渇望しているのです」

 

 水子の霊は青娥の傍らで静かに佇んでいる。ここまで禍々しい霊力を放っている以上、あれは最早殆ど怨霊だ。にもかかわらず、霊は佇んだまま動こうとしない。

 まるで、支配権を青娥に掌握されてしまったかのように。──いや、比喩などではなく、実際にそうなのだろう。

 彼女はヤンシャオグイと言っていた。それは小鬼や子供の霊を使役する道術の一つ。あの水子の霊は、青娥にとって式神のような存在となっているという事か。

 

 だが。

 

「ヤンシャオグイ……。悪趣味な道術ね……」

「あらあら……。それ、霊夢さんにも似たような事を言われましたよ」

「養小鬼の霊……。その未練は、胎内回帰の願望……。ヤンシャオグイという道術は、霊のそんな願いを利用して支配下に置いているはず……。だけど、その程度じゃ……」

「足りませんか? まぁ確かに、単にこの子をスキマの中に送り込んだだけは、貴方を無力化するのは難しいでしょうね。ですので当然、細工はしています。少しばかり“死”の情報が色濃く現れるように……」

「……ッ! いい加減に、して……!」

 

 紫の頭に血が昇る。釈然としない青娥の言葉に苛立ちを覚えて、感情を制御する事が出来ない。

 思考が上手く働かない。明らかに異常をきたしている。青娥に“死”の情報をぶつけられ、自分の思考回路が強烈な負荷を受けているのか? だから『能力』だって上手く行使できなくなっているのか? 霍青娥が口にした言葉は、どれも紛れもなく真実だったというのだろうか。

 ──ふざけるな。

 そんなの、納得なんて出来る訳がない。

 

「有り、得ない……。有り得ないのよ……! 私でさえどうしようも出来なかったのに、貴方なんかが“死”を掌握するなんて……!」

「……()()()?」

 

 ──冷え切った言葉が、紫の脳裏に響いていた。

 熱に支配されていた紫の頭が、一瞬にして冷却される。それはまるで、冷たい何かで心臓を鷲掴みにされたかのような感覚。あまりにも唐突過ぎる事態を前に、紫は一瞬思考を止める。

 何だ、今のは。本当に、霍青娥の言葉なのだろうか。

 紫はおずおずと顔を上げる。紫を見下ろしていた霍青娥は、その直後、甲高い笑い声を上げ始めた。

 

「ふ……ふふっ、あっはははは!」

 

 しかし。彼女の瞳は、どこまでも冷たい。そんな笑い声とは、まるで対極に位置しているかのよう。

 一頻り笑い終えた後、彼女は改めて紫を見下ろす。身に纏う雰囲気は、先程とは様変わりしていた。

 

「それはこちらの台詞よ。ふざけるのもいい加減にして」

 

 胡散臭い敬語口調が完全に消える。

 向けられるのは、怒りに似た感情。けれども紫が向けていたように熱を帯びた怒りという訳ではない。まるで氷のように冷たく、けれども同時に強い芯が通っているかのような。静かで、それ故に突き刺さるかのような怒り。彼女から向けられる感情を表現すると、そんな感じだったと思う。

 そんな青娥の鋭い言葉が、痛いくらいに紫に届いた。

 

「私を何だと思っているの? 貴方に私の何が判ると言うの? 貴方が出来ない事ならば、私にだって出来る訳がないとでも思っているのかしら? はっ……。見くびられたものね」

 

 青娥は霊力を振り払う。

 紫に見せびらかすように召喚していたヤンシャオグイが、霊力だけを残して霧散した。

 

「私がどれほど研究を重ねたと思っている? 私がどれだけの時間を費やしたと思っている? 確かに生者である私は、“死”という情報を真の意味で紐解く事は出来ない。それは貴方と同じ。でも……。少なくとも貴方とは、“死”に対する年季がまるで違うのよ」 

 

 そして青娥は再び手を掲げる。

 霊力が集中する。どす黒く染まったそれを、紫へと向けて放出すると。

 

「────ッ!?」

 

 強烈な違和感。頭の中が黒く塗りつぶされるような感覚。

 筆舌に尽くしがたい衝撃を身体の内側から受けて、紫は声にならない悲鳴を上げた。全身の力が抜け落ちて、彼女はなす術もなく倒れ込んでしまう。

 

「あっ……。あ、ああ……!」

 

 染まる。思考が、染まる。

 底の知れない異物感。解析できない未知の情報。紫の精神が、浸食されてゆく。

 

「どう? これが“死”の本質。その一端よ。凄いでしょう? 私達生者にとって、()()は紛れもなく毒そのものなの。色々な意味で、ね」

「ぅ……あ、ぁ……」

「知らなかったでしょう? 少しも理解出来ていなかったでしょう? ──随分と偉そうな言葉を並べていたけれど、所詮貴方もその程度。何も知らないのは貴方も同じ。何も得られていないのは貴方も同じ。貴方だって……どこにも辿り着けていないのでしょう?」

 

 青娥が何かを言っている。つらつらと言葉を並べている。

 けれども。今の紫には、そんな言葉に返事をする余裕がない。理解する事が出来ない。暗い。どこまでも暗い闇の中へと、堕ちてゆく。

 

「“死”は生者にとって毒そのもの。紛れもない天敵。だから私は“死”を超越する為の手段を手に入れたいの。そんな手段を手に入れさえすれば、そう……。あの人だって……」

 

 黒く、塗り潰されていく。

 

「妖怪の賢者。幻想郷の管理者。随分と大層な肩書だけれど……。でも結局、()()()()()()()()に過ぎなかったという事ね」

「…………」

 

 眠い。あまりにも、眠い。

 意識が遠退く。思考が、止まる。

 

「だからもう、おやすみなさい」

 

 どこまでも無機質な、青娥の言葉を浴びせられながらも。

 

「良い夢が見れると良いですね」

 

 紫は意識を手放した。

 

 

 *

 

 

 あまりにも信じられない光景を前にして、妖夢は一瞬思考を停止した。

 白玉楼。その正門前広場。思わず顔を背けてしまう程に気味の悪い霊力が充満する、その場所で。彼女が──。妖夢もよく知る一人の少女が、倒れ伏している。

 妖怪の賢者、八雲紫。掴み所のない『能力』を持つ、幻想郷の中でも最強クラスの大妖怪。そんな彼女が、意識を手放してしまっているのだ。──とある女性の、目の前で。

 

「おや、意外と早い到着ですね」

 

 群青色の衣服を身に纏う彼女は、妖夢達の姿を認めるなりそう口にする。

 まるで何ともないかのよう。目の前にある状況に対して、何の疑問も抱いていないような。彼女が浮かべるのは、そんな無機質な表情で。

 

「これはこれは、大所帯でご苦労様です」

 

 彼女は何故か、にっこりと笑顔を浮かべていた。

 直後、声が届いて妖夢は我に返る。「紫ッ……!?」と、倒れ伏した彼女の名を呼ぶ霊夢の声だ。そこで妖夢は、目の前の状況をようやく理解する事が出来た。

 負けたのだ。彼女が──八雲紫が。恐らくこの『異変』の首謀者であろう、群青色の女性に。

 

「あいつは……」

 

 思わずといった様子で進一が言葉を零す。彼が見据えるのは、やはりあの女性の姿。

 見知らぬ女性。会った事はない。けれども彼女を前にした途端、妖夢は理解する事が出来た。否が応でも、理解する事が出来てしまった。

 彼女だ。彼女こそが、妖夢達が追い求めていた全ての黒幕。

 

「青娥、さん……?」

 

 呟き、そして妖夢は一歩前へと足を踏み出す。

 

「あなたが……霍青娥さん、なんですか……?」

 

 そして疑問を、群青色のその女性にぶつけた。

 当の彼女は笑う。既に身体はボロボロで、満身創痍のようにも見えるのに。そんな負傷などまるで意に介していないように、彼女の表情は涼し気だ。

 愕然とする妖夢を前にして、くすくすと可笑しそうに。

 

「ふふっ。私の事、ご存知なんですね? 貴方とは初めましてのはずなのですが……」

「……ええ。そう、ですね……」

「貴方の事、私も知っていますよ。魂魄妖夢さん、ですよね? ここ白玉楼専属の庭師なんだとか。凄腕の剣士でもあると聞いてます」

「……そうですか」

 

 品定めするような目つきを向けられて、妖夢は思わず身を逸らしそうになってしまう。

 彼女──霍青娥の言葉と振舞いをただ前にしただけでは、その真意を紐解く事は難しい。どうにも掴み所のないような印象を受ける女性だ。気味の悪さも覚えている。

 判らない。何なのだろう、この感覚は。話に聞いていた通り、彼女はこれまでの『異変』の首謀者とは根本的な何かが違う。有する霊力の不気味さに関してもそうだが、何よりも──。

 

「紫様に……。紫様に、何をしたんですか……?」

 

 青娥の側で倒れている八雲紫という大妖怪。

 この構図こそが、あまりにも信じられぬ光景。

 

「どうして、紫様が……!」

「……どうして、ですか。別に私は取り立てておかしな事をしたつもりはありませんが」

 

 妖夢が呈した疑問に対し、さも当然の事であるかのように青娥は答える。

 

「あちらから攻撃を仕掛けてきたので、私は単に迎撃しただけです。彼女は本気で私を殺そうとしているようでしたからね……」

「……っ。そういう事を訊いてるんじゃないでしょ……。あんた、どうやって紫を打ち負かしたのよ……。本気で殺しにきてる紫を相手に、どうやって……!」

 

 口を挟んで来たのは霊夢だった。彼女にしては珍しく、冷静さを事欠いているように見える。

 無理もない。妖夢だってにわかには信じられないのだ。あの八雲紫が、敗北を期す事になるなんて──。

 

「おやおや……。熱くなり過ぎですよ、霊夢さん。紫さんだって、別に完全無欠の存在という訳ではないはずでしょう? 彼女の言葉をお借りすれば、そんな存在は幻想郷のパワーバランスに悪影響を及ぼしかねます」

「それは……」

「なに、私は単に紫さんへの対策を十分に講じていただけですよ。だからこうして彼女を無力化する事に成功した訳です」

 

 簡単に言ってくれる。

 紫への対策? そんな事が可能なのだろうか。『境界を操る程度の能力』は、神の力にも匹敵する程に強大な『能力』であるはずなのに。一体、どうやって? それほどまでに霍青娥が有する力は絶大という事なのだろうか。

 

「ふぅん……。あれが噂に聞く邪仙という訳ね」

 

 そんな青娥とのやり取りを見据えていたルナサ・プリズムリバーが、抑揚のない口調でそんな言葉を発する。

 あまり感情を表に出さない事が常の彼女だが、今回ばかりは流石に少し驚いたような様子で。

 

「博麗の巫女だけでなく、妖怪の賢者さえも突破するなんて……。流石に想像以上かも」

「や、やばいよ姉さん! あの人の霊力、何だかおかしい……!? こう、ビリビリって!」

「何だか気持ち悪い……。こんな霊力を身に纏ってる人なんて初めて見た……」

 

 三姉妹の反応は、根本的に一様だ。霍青娥という邪仙の異常さを前にして、酷い困惑に襲われてしまっている。

 いや、困惑するなという方が無理な話だ。八雲紫の敗北は、それほどまでに信じ難い要素なのだから。

 

「ふむ、そちらの三人は……騒霊の音楽団でしたか。貴方達までもが一緒なのはちょっぴり予想外でしたね」

「……私達の事も知っているのね。これほどまでの大異変を起こすような奴だから、私達みたいな音楽団なんて眼中にないと思ってたけど」

「ふふっ。またまた、ご謙遜を。貴方達だって十分に有名人じゃないですか。貴方達三姉妹が有する魔力……。並みの妖怪とは比較にならないほど絶大です。私、貴方達に対しても興味を抱いていたんですよ」

「……あっそ」

 

 素っ気ない様子でルナサは答えるが、やはりいつも以上に余裕がなさそうな雰囲気である。

 きっと彼女達だって感じている。霍青娥を前にした際の、この異常性を。霊夢も、そして紫でさえも、彼女の暴挙を止める事が出来なかったのだ。それほどまでに、彼女が有する力は絶大と言える。

 ──次元が違う。

 この邪仙は、これまでの相手とはまさに一線を画しているのだ。改めてそれを再認識してしまう。

 

「……おや? そちらの殿方は……」

 

 そんな彼女が次に興味を示したのは進一だった。

 けれども彼の姿を見据えた途端、青娥は不思議そうに小首を傾げて。

 

「ふぅむ……。貴方の事は、残念ながら存じていませんね。亡霊……みたいですが、霊力があまり大きくない……? 変わった方ですね」

 

 この反応。嘘をついているような様子はない。そもそもこれまでの口振りから察するに、このタイミングで嘘をつく理由なんて彼女にはないように思える。

 本当に進一の事を知らない? だとすると、彼のタイムトラベルに関して彼女はノータッチだという事なのだろうか。

 

 進一は一瞬だけ言い淀む。けれどもすぐに肩を窄めて、彼は皮肉っぽく答えた。

 

「……ああ。生憎俺は、妖夢や霊夢達のように戦える力は持ち合わせていないからな。亡霊の癖に、空を飛ぶ以外に霊力をまともに扱う事もできやしない」

「へぇ、それはそれは……。亡霊というものは元来、現世に強い未練を残している者か、そもそも自分が死んでいる事に気が付かない者が、成仏できずに留まってしまう存在だったはず。自分の死を自覚しているという事は、貴方は前者にあたりそうですが……。霊力が少ないという事は、それほど未練が強い訳ではないという事でしょうか?」

「……知らん。何にでも例外はあるという事じゃないか?」

「うふふ……。確かに、その通りかも知れませんね」

 

 考察をしていた青娥だったが、進一の言葉を前にしてあっさりと引き下がってしまう。早々に思考を打ち切って、彼女は宣言した。

 

「まぁ……。貴方がどんな亡霊であろうとも、そんなのは今の私にとってどうでも良い事です。今更貴方のような存在が介入した所で、最早私の計画遂行に何の支障もきたさないのですから」

 

 自信に満ち溢れた様子の青娥。彼女は既に確信しているのだ。最早何人たりとも、自分を止める事など不可能であるのだと。

 妖夢は息を呑む。彼女と対峙する事で、進一や自分が巻き込まれたタイムトラベルに関して何らかの手掛かりを得られる事に期待していた訳だが──。この様子だと、そんな期待は裏切られそうである。

 

「計、画……」

 

 その言葉に釣られて、妖夢は思わず視線を逸らす。

 見据える先は白玉楼──とは、少し逸れた場所。その先に佇む一本の巨木。

 妖怪桜、西行妖。春になっても決して花を咲かせる事のなかった枯れ桜が、今や少しずつ淡紅色に染まりつつある。冥界に集められた春を吸収して、蕾を次々と花開かせて。西行妖は、少しずつ生命力を蓄え続けているようなのだ。

 

 やはり、そうだった。

 霍青娥は、最初から()()を狙っていたのだ。西行妖を復活させる事を──。

 

「あんたがその計画とやらを遂行する前に、一つだけ確認させてくれないか」

 

 けれどもそんな青娥に対し、進一は一歩前に出て言葉を投げかける。

 毅然とした面持ち。強大な力を有する霍青娥を前にしても尚、彼は臆する事もなく。

 

「『死霊』、という言葉に聞き覚えはあるか?」

「……っ。進一……?」

 

 進一の大胆な行動を前にして、妖夢は思わず息を呑んだ。

 『死霊』。それは、進一が生命を落とす事になってしまった直接的な原因。未来の青娥がどこまで『死霊』に関わっていたのかは不明だが、仮にその関係が密接だった場合この時点でその存在を認知していてもおかしくはない。

 

「……死霊?」

 

 けれども。

 当の青娥は、不思議そうに小首を傾げると。

 

「それは、何らかの隠語か何かでしょうか?」

「……いや」

 

 青娥の言葉に対し、進一はふるふると首を横に振って答えた。

 

「知らないのなら、それでいい」

 

 今の青娥の反応に嘘や演技は含まれていなかったように思える。未来の世界を蹂躙する『死霊』と呼ばれる異形。少なくとも、今の青娥はそんな存在とは無関係だという事なのだろうか。

 ──話はふりだしに戻ってしまった。結局のところ、タイムトラベルに関しては未だ不明瞭なまま。

 

 だが。

 

「──タイムトラベルとか、『死霊』とか。今気にすべきはそこではない、という事か」

 

 どこか諦観めいた進一の言葉。自分が巻き込まれた謎について解決の糸口を掴む事は出来なかったが、それでも彼はしっかりと気持ちを切り替えた様子だった。

 落ち込んでいる場合じゃない。今は直面する問題を解決する事に全力を尽くすべき。彼はそれを、重々理解しているから。

 

 それなら妖夢だって、迷いを生じさせている場合ではない。

 霍青娥という邪仙。今の彼女は『死霊』やタイムトラベルには関わっていないのかも知れない。だが──彼女が『異変』を引き起こし、幻想郷を大混乱に貶めたのは紛れもない事実なのだから。

 故に妖夢が遂行すべきは、一つしかない。

 

「青娥さん。あなたがどうして春を集め、何が目的でそれを冥界に持ち込んでいるのか。なぜ西行妖を開花させる必要があるのか。あなたの計画の真意とは、一体何なのか。私はそれを理解した訳ではありません。でも……」

 

 妖夢は数歩前に出る。そして腰に携えた楼観剣を手に取り、それを抜刀する。

 

「私はあなたを止めます。止めなくちゃ、ならないんです」

 

 そう。

 ここは冥界、白玉楼。妖夢が帰るべき場所。そして妖夢が何よりも護るべき主の住居。もしもこのまま西行妖が復活してしまったら、間違いなく主が危害を受ける事となる。幾ら彼女が、死を操る最強の亡霊なのだとしても。そんな事は看過なんて出来る訳がない。

 

 それに、幽々子だけじゃない。

 もしも西行妖が復活してしまったら、きっと幻想郷にだって甚大な被害が及ぶ。何せ紫が危険視する程の妖怪だ。絶対に封印を解くべきではない。

 

 幽々子も、そして幻想郷の皆も。妖夢にとって、とても大切な存在なのだ。

 だから護る。青娥を止めて、この『異変』を解決させる。

 

「……ったく。なにカッコつけてんのよ」

 

 剣を掲げた妖夢の横に、霊夢が歩み寄って来た。

 妖夢をからかうような口調。けれども浮かべる表情は、どこか満更でもない様子で。

 

「ま、私が何か言えた義理じゃないか……。あんたがそこまで決意を固めているのに、いつまでも情けない姿を見せる訳にはいかないわね」

「霊夢……」

「私もあんたと同じ気持ち。だから一緒に、あの女を止めるわよ」

 

 八雲紫の敗北を前にして、冷静さを事欠きつつあった彼女。けれど今の霊夢は幾分か落ち着きを取り戻しており、こうして妖夢と共に青娥と対峙している。

 ──ああ、そうだ。やはり霊夢は、こうでなくては。確かに本調子ではないのかも知れない。心の整理だって完全に落ち着いた訳ではないのかも知れない。

 でも。それでも彼女は、たった一度裏をかかれた程度で折れてしまう程、弱い少女ではない。どんな逆境であろうとも、必ず跳ね除けて突き進む。それこそが博麗霊夢だ。それこそが彼女の本質なのだ。

 

 霊夢はまだ諦めていない。

 そしてそれは、彼女だけの思いという訳ではない。

 

「庭師さん庭師さん! 私達の事も忘れて貰っちゃ困るよ! ここまで来たら、最後まで付き合っちゃうからね!」

「う、うん……。確かに得体の知れない相手だけど、でもだからこそ放っておけない……。この人が皆の笑顔を奪っているというのなら、プリズムリバー楽団としても看過できない……!」

「……まぁ、そうね。最初からそのつもりだった訳だし」

 

 プリズムリバー三姉妹。彼女達もまた、決意をその胸に抱いている。音楽で沢山の人達に笑顔を届けたい。皆の笑顔を守りたい。そんな理想を叶える為にも、彼女達は彼女達なりのやり方で尽力しているのだ。

 彼女達の思いだって同じ。妖夢と一つだ。

 

 ──だからこそ。

 妖夢は戦わなければならない。戦い続けなければならない。皆が妖夢の思いに賛同し、こうして肩を並べてくれているのだから。せめて妖夢は、そんな思いに少しでも多く答えなければならないのである。

 

「あらあら、まぁまぁ……。五対一ですか。一見すると、明らかに多勢に無勢……。ふふっ。これはこれで、余興としては悪くないですね」

 

 戦う力を持たない進一を除く全員が前に出たが、けれども青娥は嫌な顔をしない。寧ろこの状況を楽しんでいる節すらある。相も変わらず、掴み所のない女性である。

 

 しかし、今更彼女の本質が何であろうと関係ない。

 決めたのだ。絶対に幽々子の事を護るのだと。そして今は、幽々子だけではない。幻想郷。そこに住む皆の力になるのだと。

 

 その為ならば。

 

(私は、この剣を振るう事を躊躇わない……!)

 

 ──『狂気の瞳』から、魔力が溢れ始めていた。


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